文部科学省による特定の教育内容への不当な支配に強く抗議する
1 はじめに
文部科学省(以下「文科省」という)は、本年2月16日に名古屋市立中学校が総合的な学習の時間において、前文科事務次官である前川喜平氏を講師とした授業を行ったことについて、名古屋市教育委員会に対し、メールで「問い合わせ」を行った(以下「本件『問い合わせ』」という)。本件「問い合わせ」は、以下述べる通り、教育基本法16条1項が禁止する不当な支配に該当するものであって許されないものである。以下、詳論する。
2 憲法・教育基本法が予定する教育行政の原則
そもそも、子どもを含めた国民一人ひとりには、それぞれが一個の人間として成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利(学習権)がある(憲法13条・26条)。学校教育は、何よりもこの子どもの学習権を充足するための責務として実施されなければならない。また、教員と子どもとの直接の人格的接触を通じて、かつ子どもの個性に応じて行うという教育の本質的要請に照らして、子どもと直接接している教育現場にその専門性に基づく教育の自由が保障されなければならない。教育基本法はこの専門性に基づく教育の自由を保障するために、教育の自主性をゆがめるような介入行為を「不当な支配」として禁止している(教育基本法16条1項)。この「不当な支配」の禁止は、国家が教育内容に全面的に介入していた戦前の教育の反省から規定されたものである。
この点、国による教育内容への介入について最高裁は以下のように判断している(1976年 旭川学力テスト事件最高裁判決参照)。
国家による教育内容への介入については、本来党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育に政治的影響が深く入り込む危険があるため、できるだけ抑制的でなければならない。したがって、国による教育内容への介入は、教育の機会均等の確保と全国的な一定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な範囲に限られる。
たとえ行政調査であったとしても、調査目的や調査の必要性が上記大綱的範囲内にあり、かつ不当な支配とみられる要素がないことが必要である。
3 本件「問い合わせ」は不当な支配である
(1)文科省による、本件「問い合わせ」自体が不当な支配である
本件で文科省は、名古屋市教育委員会に対し、前川氏を講師とした授業について、授業のねらいを学年ごとに具体的に述べるよう求め、前川氏の行動等に関する否定的評価を強調したうえで、その授業の適切さを詳細かつ具体的に述べるよう求め、前川氏の行動について説明したのか、前川氏をどのような紹介をしたのか、公開授業としたねらいはなにか、講師謝金はいくらか、参加者の内訳、「動員」の有無、宣伝方法等について、詳細かつ具体的に説明するように求め、かつ講演録や録音記録の提出を求めたものである。
かかる「問い合わせ」が、上記の教育の機会均等の確保と全国的な一定水準の維持を目的としていたり、そのために必要であったとは考えられず、調査目的や必要性も極めて疑問である。さらに、本件の「問い合わせ」は、授業の講演者について、否定的な評価を強調したうえで、その授業の適切性を説明するよう執拗に求めたものであって、文科省が当該授業を不適切と考えると表明したに等しいものである。「問い合わせの」の項目も、講演者をどのように説明・紹介したか、参加者の内訳や宣伝方法等、授業の内容や運営にかかわることについて詳細にわたる説明を求め、講演内容の記録の提出まで求めたものであり、文科省が本件授業について、不適切との否定的評価を前提として強い関心を持っていることが示されている。本件「問い合わせ」が、教育現場に対する強い圧力となり教育現場を委縮する効果をもたらすことは明らかであって、教育の自主性を歪めるものと言わざるを得ない。
先に述べた、旭川学力テスト事件最高裁判決は、大綱的範囲とはいえ、国が教育内容に介入する余地を残した判決として批判もあるところではあるが、同最高裁判決の判断に照らしても、本件「問い合わせ」は、不当な支配として許されないものである。
(2)不当な支配からの保護義務違反
本件「問い合わせ」は、政権与党である自民党の文部科学部会長及び同部会長代理からの指摘を契機になされたものである。文科省担当者は同部会長代理に対し、事前に「問い合わせ」の内容を見せ、同部会長代理からの意見に基づき「問い合わせ」内容を変更した上で、名古屋市教育委員会に「問い合わせ」を行い、名古屋市教育委員会からの回答についても同部会長代理に報告する等している。文科省担当者と同部会長代理は、本件に関し、面談やメールで少なくとも5回のやり取りをして協議していたことが明らかになっている。
本件の経過からすれば、政治家による影響力の下で本件「問い合わせ」がなされたことは明らかである。
この点、国が行う教育行政には、教育条件を整備する義務も含まれている(教育基本法16条1項後段、16条2項)以上、国は、教育条件整備義務の内容として、教育の公正、中立性、自主性を確保するために、学校現場を「不当な支配」から保護するよう配慮すべき義務を負っていると言うべきである(七生養護学校事件2009年3月12日東京地裁判決及び2011年9月16日東京高裁判決参照)。
したがって、文科省は、仮に政治家から、特定の教育内容を問題視し、教育の自主性を歪めるような介入があったとしても、その介入に唯々諾々と従うことは許されない。
本件で、前川氏を講師とした授業について、政治家から否定的評価を前提とした介入行為に従い文科省の「問い合わせ」がなされたのだとすれば、文科省はかかる不当な支配からの保護義務にも違反したものであり、文科省は教育の公正、中立性、自主性を確保するという本来の役割を自ら放棄したものと強く非難されなければならない。
3 本件の背景にある安倍「教育再生」
本件「問い合わせ」は、本来教育現場を不当な支配から保護すべき義務がある文科省が、自己の義務を放棄し、自ら積極的に不当な支配に加担したという点で、極めて重大な問題である。
この背景には、これまで安倍政権が「教育再生」と称して進めてきた教育政策がある。
安倍政権において、小中学校の学習指導要領が改訂され、道徳を教科化するとともに、小学校1・2年生は我が国に愛着をもつこと、小学校3年生以上は我が国を愛する心を持つことが道徳の内容とされた。高校の新学習指導要領でも、高校の道徳の中核となる「公共」で愛国心をもつことが目標とされている。さらに教科書検定基準も変えて、社会で議論がある事柄でも、政府見解等がある場合はそれを教科書に記載することを義務付ける等、政府にとって都合の良い教育が行われるよう教育現場の管理が強められてきた。
安倍政権の政策を批判した前文科事務次官の授業を問題視した背景には、安倍政権が、教育現場の自主性を尊重するのではなく、政府に批判的な事柄を取り扱うことに不寛容な教育政策をとり続けてきたことが挙げられる。
また、本件「問い合わせ」において、「道徳教育が行われる学校の場」という文言が、本件の授業を不適切と判断すべき根拠として複数回記載されている。かかる記載は、学校で「道徳教育」を行うことを口実にして、「道徳教育上好ましくない」との一方的評価の下、政府にとって都合の悪い教育に介入する道を開く極めて危険な記載と言わなければならない。
4 まとめ
以上、述べた通り、文科省による本件「問い合わせは」、教育の自主性を歪める不当な支配にあたるものであり、自由法曹団は、憲法と基本的人権を擁護する法律家団体として、文科省に対し強く抗議するものである。
2018年4月2日
自 由 法 曹 団
団 長 船 尾 徹