<<目次へ 【声 明】自由法曹団
自 由 法 曹 団
団 長 坂本 修
政府は、本年3月2日、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案」(以下裁判員法案という)及び「刑事訴訟法の一部を改正する法律案」(以下刑事手続「改正」法案という)を国会に提出した。
この「2つの法案」は独立した法案であるが、その構造は、裁判員制度の導入を理由にあるいは機として、刑事裁判のあり方を設計するという有機的に結びついた関係にあり、2つを切り離して評価することは本来できない。この「2つの法案」を一体としてみたとき、「裁く側の都合」を最優先し、「裁かれる側の防禦権」を現状よりも大きく後退させるものといわざるをえない。
自由法曹団は、国民の人権を保障する公正・適正な刑事裁判を実現する真の改革を心から求めるがゆえに、この「2つの法案」では容認できない。自由法曹団の本来の要求は2004年2月12日付け意見書のとおりであるが、法案が提出されたこの時点でのギリギリの要求として以下に述べるような両法案の抜本的修正を求める。
(1)現状をどうみるか
刑事司法手続き「改革」の当否をみるときにもっとも大事な視点は、被告人を裁く刑事手続きが憲法と国際人権が求める人権保障の水準にあるのかどうかである。裁判所は、無辜の人を罰する権限はない。刑事司法手続きは、万々一にもえん罪を生まないために警察と検察の権限を規制するところにこそ、その真髄がある。わが国の刑事裁判は有罪率が99%を超えるという世界の中でも突出した「実績」を誇り、あたかも刑事裁判は「有罪確認の儀式」と化している感がある。この異常な「有罪率」のなかから、死刑再審をはじめとした数々の誤判が生まれ、しかも捜査段階において「自白」した被告人から無実を訴える声が絶えず起こっている。
わが国のこれまでの刑事司法は、被疑者・被告人、その弁護人の防禦権を尊重して人権を守り、誤判を防止し、公正・適正な裁判を行う制度としては根本的な欠陥をもっているのである。
(2)何が求められているか
現在の刑事司法の「誤判を生む」構造をなくするために、日本弁護士連合会をはじめとして、かねて刑事司法改革の必要性がとなえられてきた。
(1) 代用監獄制度下での密室取調べの解消(代用監獄の廃止と取調 べの「可視化」)
(2)被告人の自由な防衛活動を保障するための保釈制度の実効化(人質司法の解消)
(3) 少なくとも裁判が始まる前に捜査機関が収集した証拠について検察と弁護人が対等に接し検討できること
(4) 弁護活動の自由の保障の強化
(5)「裁判の公開」と裁判に対する論評の自由の保障
今次司法改革において、裁判員制度の新規導入が刑事司法の柱に据えられている。裁判員制度は陪審制度とは異なり、限定的な国民の司法参加にとどまっているが、戦後初めて国民が「裁きの主体」に参加することは画期である。
この裁判員制度による刑事裁判を、国民にとって公正なものにするための前提として当然上記の刑事司法手続きの改革がなされねばならない。
さらに、それとあわせて、裁判員と職業裁判官の構成等については、裁判員の良識が実効的に合議に反映し得るものであり、かつ裁判員が自主的・意欲的に参加できるように適切な制度設計が必要である。
しばしば裁判員法案とりわけ人数比に焦点を集中した論議に終始し、刑事訴訟法「改正」の問題点及び2つの法案の総合的効果がどうなるかが軽視されている傾向は改められなければならない。
とりわけ裁判員制度の導入は必然的に裁判期日の集中を必要とし、短期決戦となる。ますます「裁かれる側」の準備の負担と困難が大きくなる。身柄を人質とされた被告人と弁護人が、圧倒的な力をもつ検察の組織を相手に無実をはらす短期日の裁判をたたかう上では、上記の改革が不可欠の前提であるというべきである。
(1)何が手をつけられなかったか
しかるに、「2つの法案」では、(1)密室取調べの解消と(2)「人質司法」の実効ある改正にはまったく手をつけず、被告人・弁護人に比し圧倒的な力をもつ警察・検察の権限はいささかも抑制しようとしない。
<抜本修正の要求その(1)>
法案の中に、次の措置をとるための「協議機関」をもうけ、裁判員法案の周知期間である5年間のうちにきっちり制度設計をすることを義務付けること。
(1)「取調べ過程の可視化」(録音ないしビデオ録画)と「代用監獄の廃止」
(2)起訴前保釈制度の創設と、保釈の不許可事由としての「罪証隠滅のおそれ」がきわめて抽象的なおそれとして拡張解釈され、長期の勾留が常態化している実態をふまえて保釈制度の改革を行うこと。
なお、裁判員法案に、裁判員等に対する接触禁止規定がもうけられている(73条)。このことが保釈不許可事由(刑訴法89条5号)と結び付けられ、「裁判員・・に接触すると疑うに足りる相当な理由があるとき」とされている。この「事由」がいまの「罪証隠滅のおそれ」と同じようにきわめて抽象的なレベルで解釈運用されてしまうことがないように厳格な歯止めが必要である。
(2)公判審理を形骸化させてはならない
刑事手続「改正」法案は、裁判員を拘束する期間の短期日化を目的として、新たに第一回公判期日前の公判前整理手続きをもうける(316条の2以下)。法案では、現在公判審理で行っていることの多くをまだ裁判員の参加していない公判開始前に済ませてしまうことになる(316条の5)。そして、公判整理手続き終了後には、原則新たな証拠調請求ができないものとされる(316条の32)。
また同法案は、公判前整理手続きで、証拠開示に関する裁定も行うようにする。しかも、同法案は、検察官手持ち証拠の全面開示を認めず、要件をきわめて限定し(316条の15)、裁判が始まる前の準備手続きにおいて、職業裁判官が、開示すべき証拠の範囲についての判断をするという設計をする(316条の25)。その判断のために、裁判官は検察官から証拠の標目を記載した一覧表や個々の証拠の現物を出させて検分することもできる。ただし弁護人にも裁判員にも見せないというものである(316条の27)。
こうなると、職業裁判官は、弁護人も見ることのできない証拠や証拠の構造をあらかじめ検討して「予断をもって」裁判に臨むことになるし、裁判員との間で、接する証拠に格段の差があることになる。これでは現行刑訴法及び同規則が慎重かつ徹底して求めている「予断排除の原則」(刑訴法256条6項、280条、296条但書、301条、302条、刑訴法規則178条の10の1項但書、188条但書、194条1項但書、198条2項)を無にすることになる。
このことは、すでに述べたように圧倒的に力の劣位する被告・弁護人側にとって、あまりにも不公平である。このような状況下で、「事前準備」を行い、集中短期裁判で裁くというのでは、人権侵害・誤判の続出は避けられない。国民が納得できる裁判ではなくなってしまう。
<抜本修正の要求その(2)>
(1) 検察官の手持ち証拠の開示については、開示制限行使をさらに絞りこむこと。少なくとも「証拠の一覧表」は弁護人にも開示することを義務づける。
(2) 被告人・弁護人については公判前整理手続き後の新たな証拠調べ請求権の制限条項をもうけない。
(3) 裁判員制度のもとでは直接主義・口頭主義が徹底されるべきである。ところが現在「調書裁判」との批判の強い、伝聞証拠に証拠能力を付与する刑訴法322条(被告人の供述録取書面の証拠能力)及び同321条(被告人以外の者の供述録取書面の証拠能力)について一切の改正がなされなかった。このきわめて重要で大きな争点となる証拠能力についての吟味と決定をどの手続き段階で行うかが法案上明確でない。これをすべて職業裁判官による公判前整理手続きで行う制度とするならば、職業裁判官と裁判員との間に、証拠による裁判の基礎である「証拠」との距離で大きな格差が生じることになり適切でない。逆に公判で行うとするならば裁判員が証拠能力が不確かな伝聞証拠(調書)を読むことになり、直接主義・口頭主義に沿わない。この重要論点について法案は不明瞭であり、慎重な検討による制度設計をすることが必要である。
刑事手続「改正」法案は、訴訟指揮権の実効性確保の名の下に、弁護活動自体に対し、裁判所が制裁権を発動する権限を新設する(278条の2、289条3項、295条3項4項)。
裁判官が一時的な感情にかられて、誤ったあるいは行き過ぎた訴訟指揮権を行使し、これに対し弁護人が正当な反論をしたときに、裁判官が制裁権を行使するというのではもはや公正な審判者としての立場ではなくなってしまう。そのことは、私たちはじめ刑事裁判にあたる多くの弁護士が少なからず実際に経験しているところである。
裁判官が「正当と考える」ことのみが「正当」となり、弁護人は暴君と化した裁判官から制裁を受けることを避けようとするために、正当な弁護活動を萎縮せざるをえない状況に追い込まれる。さらにこの制裁権を振り回す裁判官が、事実認定権をもつがゆえに、いっそう事態は深刻である。
公正で透明な刑事裁判は、「裁く者の構成の改正」だけでは決して実現しない。「裁かれる者」の側の弁護活動の自由があってこそ、両者が相合わさってはじめて実現するのである。
弁護人の不出頭が裁判の遅延をもたらした事実は、その責任の所在はともかくとして一時いわゆる「学生事件裁判」などで生じたことはあるが、ここ20年以上皆無である。日弁連及び単位弁護士会は、仮に誤った弁護方針にもとづき不出頭などがあったとしても、そのことは弁護士倫理の問題として、基本的には弁護士の相互批判を通じて解決されるべきあるとして、そのためのルールと制度をつくっている。
弁護人の法廷における活動についてはすでに現行刑事訴訟法規則303条、「法廷等の秩序維持に関する法律」という制度が存在する。この制度で対処できないような事態が生じたこともない。新たな措置をもうける立法事実がないのである。
<抜本修正の要求その(3)>
法案278条の2、289条3項、295条3項4項は全部削除する。
(1)刑事裁判の命となっている裁判公開原則
憲法は裁判の公開を定めている。これは傍聴席の公開ということはもとより、国民の裁判に対する論評の自由までも内包するものである。
この保障が、真実発見という刑事裁判の目的や裁判と国民を結びつける点で歴史的にきわめて重要な役割を果たしてきた。
ところが、「2つの法案」はこの保障に重大な規制を加える。
(2)裁判員に対する「墓場までの沈黙」強制
裁判員法案は、裁判員に一生広範な守秘義務を課し、しかも違反には1年以下の懲役刑又は50万円以下の罰金を科す。国民に裁判員としての「司法参加」を求めておきながら、判決後においても、他の裁判官・裁判員の意見の暴露の制限にとどまらず、自分の意見、判決の事実認定及び量刑の当否についての事後的な意見も述べてはならないというのはあまりに行き過ぎである。しかも懲役1年という重罰の脅しで、裁判員になった国民に生涯の沈黙を強制し、家族にもうっかり口をすべらしたら犯罪者になるという自由のない一生を余儀なくさせることになる。
職業裁判官は、自らの行った裁判について、インタビューに応じたり、法律雑誌や一冊の本で自由に語ることが少なくない。その内容に対しては評価が分かれたとしても、それは社会的批判にまかされており、これを犯罪視するものは誰もいない。
にもかかわらず、裁判員に対してのみ、刑罰を科して「墓場までの沈黙」を強制することは、裁判員及び国民に対する不信である。このような「制度」では、国民が自主的かつ意欲的に裁判員になることはきわめて困難であり、ひいては、裁判員制度をいわば内側から崩壊させる危険がある。
<抜本修正の要求その(4)>
(1)判決までは、裁判員に広範な守秘義務を課すことはやむをえないとしても、その違反に対しては、罰金刑にとどめる。
(2)判決後に事実認定および量刑についての当否を述べることを罰則をもって禁ずる裁判員法案79条3項は削除する。
(3)判決後になお守秘義務を課せられる「職務上の秘密」についてはさらに要件をしぼりこみ明確にする。
(3)証拠の目的外使用の一律禁止
刑事手続「改正」法案は、被告人及び弁護人に対し、開示された証拠すべてについて、時期を問わず、「当該被告事件の裁判のための審理」準備以外の目的で使用してはならないと一律禁止する規定をおき(281条の4)、違反に対しては刑事罰を科す(281条の5)。
このような禁止規定がおかれると、当該事件弁護人以外の者が参加した弁護団会議での記録コピー配布、著作・雑誌・会報などによる事件報告での引用、事例研究会での配布、宣伝物での引用などが広く規制される可能性がある。
国家権力により違法・不当に刑事裁判にかけられた被告人は、逮捕・起訴されたことですでに蔓延している偏見を克服し、強力な国家権力と対峙して身の潔白を晴らしたり、自らの行為の正当性を明らかにするために特段の努力と工夫を必要とする。孤独にたたかう被告人を励まし、支援する運動が必要なときも少なくない。
公正な裁判の実現を求める国民の世論が豊かに拡がることは、誤判を防ぎ、あるいは是正し、公正・適正な裁判を実現する上で不可欠であり、もともと「公開裁判」の原則の重要な内容をなすものである。これからもこの国の刑事裁判を世界の基準にまで引き上げること、つまりは本来の司法制度改革の重要かつ不可欠の柱である。こうした国民世論の形成は具体的な裁判について情報が発信されることを必要とする。そのことは単に1開廷十数名から数十名の傍聴だけではまかないきれるものではない。公開の法廷で明らかになった事実を広く国民に伝え、国民が自分の頭で考えることが必要である。実際に、かつての松川えん罪事件や死刑再審事件から、各種多様なえん罪事件にいたるまで、多くの国民が公開された訴訟記録などをよく検討し真実を訴え、公正な裁判を求めることによって、正しい裁判が実現したのである。そのことは歴史の現実が証明している。
ことは過去の歴史の問題ではないし、いまも、弁護人や被告人を支援する者が開示された証拠の問題点を具体的に指摘し、批判する文書を社会に発表し、被告人の無実や正当性を理解してもらい、支援を広める活動が現になされている。また開示された証拠を弁護人のみで検討するだけでなく、裁判支援をする市民とともに検討し、市民の感覚での分析をすることが真実発見に役立つことも多い。
被告人の権利救済のためになしうるあらゆる活動をしなければならないときに、もっとも重要な証拠の活用について、被告人および弁護人を罰則でしばることは、被告人の防御権、弁護人の弁護活動に重大な影響を与えることになる。そのことは裁判を国民から切り離し、暗く、「不透明」なものにする。刑事裁判は人権侵害とえん罪の温床となり、裁判に対する国民の信頼は消えていくことになる。絶対になすべきことではないのである。
<抜本修正の要求その(5)>
281条の4および281条の5は全部削除する。
以上、述べてきたとおり、2つの法案は不可分に一体となって作用するものであり、摘示した抜本修正がなされない限り、司法改革の掲げた本来の目的に反する結果をもたらすと、私たちは長い間そして多数の団員の現実の弁護活動の実践に照らして考えざるをえない。
よって少なくとも以上述べた抜本修正は必ずやなすべきものであると確信する。
(1)合議体の構成
裁判員法案は、原則として職業裁判官3名、裁判員6名で合議体を構成し、例外として事実関係に争いがない場合には裁判官1名、裁判員4名にすることができるとする(2条)。
職業裁判官3名は現在の合議体裁判所の人数であると同時に、常時同じ部に配属されている。裁判長裁判官が司法行政上「部総括」という上位の地位にあり、事実上他の2名の裁判官に強い影響力を及ぼす立場にある。この強い関係で結ばれた3人の職業裁判官のなかに、事件ごとに選ばれる市民が6名加わったとしても3人の裁判官の影響力に圧倒され、裁判官の判断に依存することになる危険はきわめてつよいと見なければならない。このことは諸外国の参審制度に照らしてもそうである。これでは実質的な市民参加にはなりえない。裁判官はベテランの裁判官1名で十分である。
仮に私たち自由法曹団をはじめ、多くの人々が提起しているこの案ではなくても、少なくとも与党間協議の場で有力にとなえられた裁判官2名、裁判員7名という制度にこの時点で修正すべきものと考える。そうすれば、社会の多様な層を反映した構成になりうるのである。
(2)評決について
裁判員法案は、単純多数決とする(67条)。
しかし、無罪推定の原則のもとで、誤判を防ぐために慎重を期して有罪判決のためには3分の2以上の特別多数決にすべきである。
「2つの法案」の国会審議が開始するこの時点で、私たちがいわば最小限度の抜本修正として要求した事項は、国民のための司法改革を求めてきた多くの法律家及び国民に共通する要求である。自由法曹団はこの正当な要求の全部又は大部分が認められないならば、裁判員制度は形骸化し、刑事手続きの重大な改悪とあいまって、この国の刑事裁判は改革ではなく、改悪になってしまうと考える。
万一にもこうした不幸な事態になることが明らかになれば、私たちは、国民の求める真の刑事裁判改革をつよく求めるがゆえに、2つの法案に反対せざるを得ないと考える。私たちはそうした重大な決意をもって、しかし、そのような不幸な事態になることが回避され抜本修正が実現することを求めて、刑事裁判の真の改革を求めるすべての人々と力をあわせて奮闘するものである。