<<目次へ 【声 明】自由法曹団


寺西裁判官に対する懲戒処分決定に抗議する談話

  1. 七月二四日、仙台高等裁判所特別部は仙台地方裁判所の寺西和史裁判官に対し、仙台地方裁判所の懲戒申立を認め、寺西裁判官を戒告処分とする決定を下した。右決定においては、本年四月一八日に開催された「つぶせ!盗聴法・組織犯罪対策法 許すな!警察管理国家社会 四/一八大集会」に寺西裁判官が出席し、「集会でパネリストとして話すつもりだったが、地裁所長から懲戒処分もありうるとの警告を受けた。仮に法案に反対の立場で発言しても、裁判所法で定める積極的な政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する。」と発言したことが、裁判所法五二条一号後段により禁止されている「積極的に政治運動をすること」に該当し、同法四九条の職務上の義務に違反したものであることが、戒告の理由とされている。

  2. 職務外の裁判官の表現行為に対して、「積極的に政治運動をすること」を理由に懲戒処分を行った例は、これまで把握できる限り前代未聞の出来事である。しかも、証拠に掲げられた書類を見れば、最高裁事務総局を中心とする司法当局の意思統一に従ってなされたものであることが強く推認される。

  3. 昨今、司法が国民に十分に開かれていないとの指摘が強いが、裁判官の表現行為を十分に保障することは、国民に対して裁判官一人一人の様々な社会事象に対する考え方、情報を提供することにより国民に身近な司法を実現することに直結する。以上の意味で、裁判官の市民的自由、なかんづく表現の自由を手厚く保障する意義は極めて大きい。
     今般の寺西裁判官に対する懲戒処分は、裁判所の権力により寺西裁判官の市民的自由を真っ向から抑圧しようとするものであり、「表現の自由」、「裁判官の独立」を侵害するのみならず、「国民に開かれた司法」への挑戦である。

  4. しかも、今般の寺西裁判官に対する決定の理由を具体的に見れば、更にその不当性は明らかである。
     まず、寺西裁判官が令状審査の現状に対する誤った認識に立っているとの決定の前提は大いに疑問である。令状審査が形骸化している現状があり、盗聴令状システムの導入によりその形骸化が更に進み、人権保障の機能が喪われていくことは明らかである。そのような見解に基づき寺西裁判官がマスコミに投稿したことなどをもって誤った見解に「固執し」「自己の使命が存する如き主張をしてきた」と決めつけるのは誤りである。
     また決定は、寺西裁判官の発言を引用した上で、「集会に参加した上、裁判官たる身分を明らかにして前記のような発言をしたことは、政治問題となっている法案につき賛否の立場を明確にしている前記団体等とその運動に肩入れしたものである」としている。しかし、寺西裁判官は「パネリストとしての発言は辞退する。」と発言しただけであり、盗聴法案に対する意見は一切明らかにしていないのである。にもかかわらず、決定は「言外に同法案反対の意思を表明する発言をし」としているが、このような事実認定が許されるなら、およそあらゆる裁判官の行為は「積極的な政治活動」と恣意的に認定しうることになろう。

  5. さらに決定がすすんで寺西裁判官が特定の政治的立場をとったかのように言い、旧来の司法部の伝統と裁判官像に反すると言うのは、伝統を振りかざして裁判官の自由を押さえ込もうとするのであろうが、これは明らかな飛躍である。裁判官といえども自己の職責に関係する問題について、例えそれが立法問題であっても意見を表明する自由がある。むしろ盗聴法のような違憲立法であるときには、憲法擁護義務の要請に照らして、裁判官も意見を表明しなければならないのである。社会的な風潮や事象に敏感でない裁判官の非社会性こそ打破すべきであって、今こそ司法の悪しき伝統を打破すべきである。

  6. われわれ自由法曹団は、国民の立場に立った司法改革の提言を行っている。今回の仙台高等裁判所特別部の寺西裁判官に対する懲戒処分は、裁判官の市民的自由を侵害し、われわれの目指す国民の立場に立った司法改革の方向に全く逆行するものである。自由法曹団は、裁判官の市民的自由の保障を貫徹し、国民のための司法の実現を果たすとの観点から、今回の処分に対して強く抗議するものである。

一九九八年七月二四日
自 由 法 曹 団
幹事長 荒 井 新 二