<<目次へ 【声 明】自由法曹団


アピール

松川事件五〇年を契機にさらに奮闘しよう

 五〇年前の一九四九年に発生した松川事件は、アメリカ占領軍とこれに呼応した吉田内閣が、高揚する当時の民主主義と労働運動を抑圧するためにデッチあげた政治的大謀略事件であった。
 死刑四名、無期懲役二名を命じた二審仙台高裁判決(一九五三年)などによりもたらされた気の遠くなるような苦難を乗りこえ、その後壮大な国民運動を展開して全員無罪判決を手にした一四年に及ぶ松川裁判闘争とそれにひき続いた国賠訴訟の勝利は、わが国の戦後民主主義運動の輝かしい成果である。
 同時に松川裁判闘争はわれわれ自由法曹団の戦後にとっても、さまざまな運動とその発展の原点となるものである。松川裁判運動が「民主主義の学校」といわれ、また「松川のように闘おう」という運動スローガンに象徴されるように、大衆的裁判闘争の土台を築いた。その後、自由法曹団は団員を飛躍的に拡大するとともに、政治的弾圧事件をはじめとして労働裁判、公害・薬害・環境裁判、再審・えん罪事件、税金・消費者・オンブズマン等々様々な分野の裁判闘争にかかわり、多くの成果を得てきた。そして、国民の平和と人権・民主主義に対する悪法の制定等に反対する国民的運動を多くの団体とともにすすめてきたが、それらの発展のいしずえには、松川事件裁判闘争の経験があった。
 わが団の戦後の憲法裁判の五〇余をおさめて昨年出版した「憲法判例をつくる」をみると、松川裁判のつくりあげた大衆的裁判闘争の伝統が脈々とそれぞれの裁判闘争に受けつがれていることを確認できる。
 昨日開催された松川事件五〇周年記念シンポジウムでは、松川裁判闘争は、改めて汲みつくせぬほど多くの教訓に満ちていることが明らかにされた。
 とりわけ裁判闘争の分野では、団の固有の伝統として定着してきた大衆的裁判闘争の運動の一層の展開と、積極的な事実調査とその集団的分析の重要性の再認識が今日ほど求められているときはない。また「人権のとりで」であるべき裁判所の憂うべき状況は、依然として否定的なもので五〇年前の負の遺産を基本的に引きついでいることが明らかにされた。
 今日、支配層による二一世紀に向けての「新ガイドライン関連法案」、「労働法制改悪」、「盗聴法」などにみられる規制緩和、国民抑圧の体制の構築と進展は急ピッチにすすめられている。しかし一方では、国民の側からの憲法を擁護し、生活のすみずみにまで人権と民主主義を求める運動の力量は、これに抗して発展してきている。また司法と裁判制度を真に国民主権に立脚した構造にかえていこうとする運動も、歴史的な一歩を踏み出しつつある。
 われわれは、松川裁判のゆかりの地である宮城県で開かれた研究討論集会を機に、松川事件に深く学びながら、裁判闘争の前進と発展、平和と人権をめぐるたたかい、司法制度の改革に向けて、さらに奮闘することを誓うものである。

一九九九年五月二四日
自由法曹団一九九九年研究討論集会