”事実ハンター”の集団

東京新聞・中日新聞
飯室勝彦 いいむろかつひこ
1964 年、中日新聞社入社。同社東京本社発行の『東京中日スポーツ』でプロ野球 担当記者として記者生活を始める。現在『東京新聞』(中日新聞東京本社)論説委員 兼編集委員。人権問題を中心に主として司法、報道の在り方を追求している。 著書に『戦後政治裁判史録』(共著・第一法規出版)『社会部記者の事件記事考』(三一 書房)『青年はなぜ逮捕されたか』(同)『報道の中の名誉・プライバシー』(現代書館) 『裁判を見る眼』(同)『メディアと権力について語ろう』(リヨン社)『徹底討論 犯罪 報道と人権』(共著・現代書館)『新版 報道される側の人権』(共著・明石書店)『「客 観報道」の裏側』(現代書館)

 松川、八海事件などが片づいてから新聞記者になった私にとって、自由法曹団は既に輝かしい歴史に彩られた弁護士集団だった。だが、60 年代後半から70 年代前半にかけて闘われたメーデー、辰野、高田事件などの裁判の取材を通じてさらに強い印象を受けることになる。
 そこでは「理論や話術だけでは裁判官を動かせない。事実が必要だ」「優れた弁護士は優れた取材者だ」と痛感した。
 いまでも記憶に鮮明なシーンがある。ある朝、当時は赤レンガの最高裁の中にあった司法記者会に、辰野事件の弁護団が何枚かの写真を手にやってきて説明を始めた。辰野事件とは、戦後間もなく長野県辰野地区で共産党員が警官駐在所などを襲撃したという筋書きのでっち上げ事件である。一審では多数の被告に死刑を含む重い刑が言い渡され、当時は東京高裁に係属していた。
 持ち込まれた写真は古い新聞の長野県版から複写したもので、証拠として法廷に出ている現場検証の写真と照らし合わせればでっち上げが明らかだった。弁護団は長野県中の図書館を調べて見つけ出したという。記者クラブはざわめき、当然、大きな記事になった。検察の描いた構図はこれを機に崩れ、逆転無罪になって確定したのである。
 一審で騒乱罪成立とされたメーデー事件が二審で騒乱罪不成立とされたのは、皇居前広場における警官隊とデモ隊の衝突場面を写した写真を詳細に解析、警官が先制したことを実証できたことが大きかった。
 多くの人は、法律家と聞けば弁舌さわやかに法律論を述べる姿を連想する。もちろん理論、弁護術に優れていなければ相手を説得できない。長沼事件、高田事件などは高水準の憲法論を展開したからこその成果だ。
 しかし、裁判の基本は事実である。まず事実をもって裁判官を納得させなければ勝てない。新聞記者の目で見て、自由法曹団は事実を発見する技術を持ち、かつ探すための努力を惜しまない集団だと思う

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