日本社会の良心

専修大学法学部教授
小田中聰樹 おだなかとしき
1935 年生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院(修士課程)、司法修習(第18 期)、東京都立大学法学部助教授、東北大学法学部教授を経て、現職。

 いま日本で民主主義、人権、平和をおびやかす現実の動きに対して毅然として立ち向い、真向から批判の声をあげる団体や個人が段々に少なくなっているように思う。そんな風潮のなかで自由法曹団は貴重な存在だと思う。最近も私は盗聴立法問題についてこの感を深くした。
 盗聴というおぞましいヤミの手法を立法化して公認することは、社会と個人を警察権力の見えざる監視のもとに置くことであり、警察国家を作り出すことである。このことに誰しも強い恐怖感を覚える筈なのに、盗聴立法の動きが具体化しても反対や批判の声がなかなか拡がらなかった。暴力団やオウムを取り締るためには必要だという警察側の宣伝が浸透していたからである。
 しかし、盗聴は、犯罪に全く無関係な人の通信をも広くキャッチし、警察情報として利用する。しかも、プロの犯罪者の検挙には余り役立ちそうにない。彼らは盗聴を警戒し万全の対策を講ずるからだ。むしろ盗聴は、犯罪に関係のない無防備の人々にしかけられる、目に見えないワナのようなものである。そして社会や個人に猜疑心と不信を持ち込み、人間関係を破壊していく。この危険な捜査方法に対して有効な法的コントロールを加えることはおよそ不可能である。
 自由法曹団は、このような状況のなかで数次にわたり意見書をつくり、盗聴立法に対し厳しい批判を加えた。それだけでなく、多くの法律家団体や市民団体と手を組み、中心的なまとめ役になって反対運動をくり広げた。1999 年の6 月24 日に日比谷野外音楽堂で8 千人の人々が集まって反対集会を開くなど、反対運動は盛上りをみせたが、これも自由法曹団の下支えの活動があったからこそ、といっていいと思う。
 これは自由法曹団の活動のほんの一端だが、まさに自由法曹団は、日本の社会の「良心」そのものだと思う。私はこのことに研究者の1 人として深い敬意を覚えるとともに、今後とも自由法曹団がそういう存在であり続けて欲しいと切望する。

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