空の安全を確保したい─『沈まぬ太陽』の現場から

日本航空乗員組合 執行委員長
濱田俊郎 はまだとしろう
JAL (日本航空)乗員組合プロフィール
1954 年に設立され、1999 年11 月現在の組合員は1357 名。日本航空に在籍する一般職 運行乗務員(副操縦士、航空機関士及び訓練生)を100 %組織している。会社の分裂労務政 策により1966 年に第2 組合である運行乗務員組合が作られ、8 名の組合員(内4 名は解雇) となるが、1972 年の連続事故を契機に1973 年に乗員組合に再統一された。機長について は、1970 年に機長全管理職制度の導入により組合活動の自由を奪われたが、520 名の犠牲 者を出した1985 年の123 便事故後、機長組合、先任航空機関士組合が相次いで設立され、 現在日航内5 労組として、日航内の安全運航を目指して乗員組合とともに活動している。

 日本航空は1993 年、乗員組合と締結していた「運航乗務員の勤務に関する協定」を破棄し(その後も続き現在38 の協約を破棄)、93 年11 月1 日に就業規則を変更して労働条件の大幅な切り下げを行いました。
 乗員の乗務に関する労働条件は、その疲労が航空機の運航の安全性に直結することから、労働基準法の規制に加えて、航空法及び航空法施行規則を遵守しなければなりません。しかし日本航空が改定した内容は、例えば国際線の場合、B747- 400 型機のような2 名編成機(機長1 名、副操縦士1 名)でサンフランシスコから成田まで全くの休憩なしで11 時間(勤務時間で13 時間30 分)の乗務を実施する等、安全上の問題が大きく、組合ではこれを受け容れませんでした。
 そして94 年4 月22 日に東京地裁に組合執行委員25 名が原告となり「就労義務不存在等確認訴訟」を起こし、ここから東京南部法律事務所6 人の先生方のお力をお借りして、私達の闘いが始まりました(現在は第2 陣原告を含め898 名の原告団)。
 この裁判は、99 年11 月25 日に判決が言い渡され、東京地裁は、航空の公共交通機関としての安全性に関する我々の主張をほぼ全面的に認め、請求した項目の主要な部分の就労の義務がないことを認定しました。これは私達が根拠とした客観的データに基づく理論や進めてきた運動が正しかったことを示しています。と同時に、今回の安全性を無視した就業規則の変更が、御巣鷹山の123便事故をはじめとする多くの航空機事故を発生させ、これまでに744 名もの尊い命を奪ってきた要因であったことを意味しています。
 今、日本航空をモデルとして作家・山崎豊子氏が書かれた「沈まぬ太陽」がベストセラーとなっています。この小説の中に描かれている無責任な経営体質は、現実に今もなお日本航空にはびこっています。
 摘発された総会屋への利益供与事件や運輸省からの事業改善命令、優待券等の不正換金疑惑は、このような体質が一部表面化したものです。また労働者に対しては、組合ニュース配布を制限し、所属組合の違いを理由とした昇格差別が依然行われている一方で、御用組合幹部が次々と役員や関連会社社長になり続けています。
 企業はともすれば法律をも無視した強引な方法で、リストラ、労働条件の切り下げを押し進めようとしていますが、それに対抗するには法理論に基づいた運動を構築していく必要があり、そのためには弁護士、学識者の方々の助言なくしては不可能です。
 そしてこの5 年半にわたり、難解な航空について1 から勉強され、ある時は連日、ある時は徹夜で私達と会議をもって、書面の作成や尋問の準備をして下さった自由法曹団の弁護士の先生方に心から感謝し、敬意を表したいと思います。私達の闘いが、産業の再生、構造改革、規制緩和などの名の下で全産業で横行しつつあるリストラ、労働条件の切り下げの攻撃に対する労働者の反撃の烽火となることを願ってやみません。

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