うちの弁護団 税理士会政治献金訴訟
税理士
牛島昭三 うしじましょうぞう
1928 年2 月12 日生 税理士 株式会社 第一経営所長(熊本市)
前九州税経新人会会長
熊本県・大分県保険医協会顧問 理論会計学会会員
著編書に「公害と税金」「アメリカ・カナダ納税者の権利と税務署の義務」「韓国の納税者憲章」「牛島税理士訴訟物語」
私の所属する南九州税理士会は、特別会費という名の政治献金5 千円を私が納入しなかったため、税理士会は1979 年5 月、私の税理士会の選挙権、被選挙権を停止した。このため私は、1980 年1 月熊本地裁に税理士会の献金決議無効と納入義務なきことを求めて提訴した。判決は地裁勝訴、高裁敗訴で96 年3 月に最高裁で全面勝訴し、損害賠償は差し戻しとなった。そして、97 年3 月に福岡高裁にて和解をかちとり、17 年3 ヶ月にわたる裁判は「300 %の勝利」といわれる結果で終了した。この訴訟では、12 名の自由法曹団員が弁護団を組み、事件を勝利判決へと導いてくれた。
弁護団は、現在、歯科医師有志が98 年10 月に鹿児島地裁に提訴した「日本歯科医師(政治)連盟退会の自由を求める訴訟」の検討中で、未だ正式解散に致っていない。未解散であるのは、弁護団が勝ち取った「政治献金は投票の表裏をなすもので個人の自由」「税理士会の政治献金は違法無効である」を国中に拡げる使命感からであろう。
それにしても私は弁護団からたくさんのことを教えていただくとともによく叱られた。その一つに「牛島さん、私憤を出すな、公憤で闘え」ときびしく言われたことがある。和解確認書では1 千名の税理士会会員に1 人当り過去2 回の政治献金1 万円プラス利息1 万円の計2 万円、合計2 千万円が新旧役員の責任で返還され、政治連盟への加入は個人の自由となるなどが実現したのもこのためである。また「裁判は本人が闘うことです。貴方が裁判所への書面を自ら書いて思いを述べなさい。そして最高裁では毎月ビラまきするなど支援を拡げなさい」とも言われた。これにより最高裁では弁護団、支援の会と一体での27 回のビラまきを行い、12 種類のパンフレットや資料集を発行し、4 万5 千人の署名を集め、講演会・報告集会は142 回1 万名が集るなどの取組みが行われた。運動と並行して5 名もの著名な学者の方々との合宿を含めた研究会が行われ、理論面も大いに前進しその成果は最高裁判決に投影している。
同時に、弁護団は原告の私を法廷をはじめすべての所で前面にたて本当に大切にしていただいた。
とにも角にも私が20 年近くを元気に楽しく闘い抜けたのは、師とも兄とも思う、うちの弁護団のきびしくも温かい「愛情」と「指導」があったからである。一審から最高裁まで証人などとしてご指導いただいた日本大学北野弘久教授は、「牛島弁護団は日本一の弁護団」と喝破された。私もそう思っている
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