夜、事務所に一枚のファックスが届いた。
「処分場予定地から、今日重機3 台が出ていきました。平成10 年7 月30 日重機が入っていった予定地。平成11 年8 月31 日午後6 時25 分、1 年1 ヶ月ぶりに工事は完全に止まったのです。山は少しなくなったけど感無量です。先生方に感謝申し上げます。一鹿屋の水と自然を守る会」
私もこの文面を見て、思わず感動の涙で文字がぼやける。鹿児島県知事が管理型の最終処分場設置許可を出してから1 年余。処分場設置に反対する住民たちは、予定地入口に監視小屋を作り、毎日交代しあって監視を続けてきた。
朝、工事のトラックがやって来ると監視のサイレンが鳴り響く。すると農作業をしていた農民たちがたちまちかけつけてくる。その数は毎日5 、60 人以上。入口でトラックを囲んで、住民の必死の説得がはじまる。「この処分場が安全だということを、私たちにきちんと説明して下さい。それまでは工事をしないで下さい。」予定地内で動き出した重機にかけよる住民もいる。訴えかける言葉は同じだ。
住民の生命・健康を害し、生殖機能まで侵し、子孫まで危険にさらそうとする安全性に重大な疑問が存する施設に対し、住民は「本当に安全であることを説明する義務が業者にある」と要求し続けたのである。
その結果、1 年1 ヶ月工事は少しも進行しなかった。設置許可を行なった鹿児島県に対しても、住民は説明を行なうよう求め続けた。それに応じ、鹿児島県も業者に説明会を行なうよう指導した。しかし、業者はあくまで説明会を開こうとはせず、工事を強行しようとした。そこでついに1 年後、住民600 名は処分場建設差止の仮処分を申請したのである。裁判所はこの申請を受けて、仮処分の判決を行なうまで工事を中止するよう業者に強く勧告し、業者もついに工事中止に追い込まれたのだった。
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毎日毎日、くる日もくる日も、サイレンに応じてかけつけてきた農民たち。「もう疲れはてたけど、子どもや孫のためには、今がんばっとかんと。先生達が教えてくれたとおり、裁判所が差止めを勝たせたところは、みんな住民が自分達の力で工事を止めていたんだもんね。私達がみんなでがんばって工事を止めておかんと、裁判所に差止めを認めてもらえん」。日焼けした顔で、私達に笑顔で語りかけた農民たち。そうだ、山は少しなくなったけど、ついに工事は完全に止まった。今度は差止めの決定を取る番だ。私は涙の中で改めて勝訴への決意を固める。
九州廃棄物問題研究会
私たちゴミ問題に取り組む自由法曹団の九州の弁護士は、研究会を作って、各地でのゴミ問題への対応を集団で討議し、取組みを行なってきた。「集団の力は一人の英知に勝る」。「みんなで一緒にやれば、苦労も楽しみになる」。「住民が力を合わせれば、要求は必ず実現できる」。これは私達がこれまで住民とともに現場で取組みを行なってきた中で得た、心からの実感である。
「自分たちの地域のことは、自分たちみんなで決める」この民主主義の原点、地方自治の原点が、今ゴミ問題に取組む運動の中で確認されてきている。「処分場に反対して追い出すだけではだめだ。日本からゴミをなくす運動をみんなで考えよう。私達の町の環境をどうやって守り育てていくか、町りをみんなで考えよう」。このような声がゴミ問題に取組む中で各地で続々と大きくなっている。
私たち弁護士も、この人々と一緒になってがんばっていけるのだ。研究会に結集した私たち弁護士は、大きく開ける展望に胸を踊らせて、今日も住民みんなと語りあっている。