新入団員から
自由法曹団での6ケ月

森 真子 もり まこ
東京支部 51期 99年入団

 今年4 月弁護士になった後、初めて自由法曹団の行事に参加したのは、5 月の研究討論集会でした。
 他にもいくつかの弁護士団体に所属しており、各団体の集会にいくつか参加しましたが、自由法曹団と他の団体との違いは、「闘う」弁護士集団だと感じるところです。なにしろ、集会での各弁護士の発言の中に、「闘う」という文字が100 %に近い確率で含まれていたのですから。あとで、51 期女性部屋では、「大衆的裁判闘争」の意味について話題になったほどです。なんとなく意味はわかるのです。たぶん、弁護士が、裁判での法的手段だけでは解決が困難な事件について、市民や支援団体の人たちと一緒に、運動をしながら、事件解決へ持っていく、ということなんだろう。けれど、自分たちのこれまでの人生にないタームだし、漢字が一杯で仰々しい上に、私たちの世代は「闘争」という言葉に引いてしまうので、何か使い慣れた言葉で言い換えられるものはないか、と話題になったのです。
 そのときから早や6 ヶ月。この間の弁護士活動で感じたことは、大げさに言えばこの仕事は真剣勝負だということです。やっつけ仕事ではできないものがあります。失敗すれば本当に涙がでるほど悔しく、夜も眠れないほどですし、うまくいくと、わが事のようにうれしい。その感情は報酬と関係のない、掛け値なしのものです。
 最近悔しかったのは、当番弁護士で引き受けた風営法違反事件がありました。被疑者の話を聞くと、どうも不起訴事案だと思いました。現地調査をしたり、判例を調べたりして、ますます確信を深め、否認事件だからと毎日接見をして被疑者を励まし、勾留に対する準抗告などもやっていました。ところが、結局は被疑者が、1 日も早く身柄解放されたいと略式起訴に同意してしまったのです。あとでいろいろ考え直すと、勾留理由開示が悪かったのではないか、検事とのコンタクトが不充分だったのではないか、身柄拘束をされて心細くなっている被疑者の気持ちにきちんと応えられていたか等、反省点が後から後から沸いて来ます。この何日かの自分のエネルギー投入が空回りだったような気がし、被疑者からの信頼を得られなかった自分の至らなさを思い知らされたような、なんともいえない悔しい気持ちで、その夜は眠れませんでした。
 世の中で、こんなに感情の起伏の激しい仕事はそうないでしょう。だから、忙しくとも、充実感があって楽しいのだろうと思います。
 5 月集会で違和感を覚えた「闘う」という言葉にこじつけてみますと、弁護士の仕事を6 ヶ月やってみて少し印象が変りました。私があれほど悔しかった刑事事件の何百倍もの時間、エネルギー、多くの人たちの運動を投入した事件について使われる言葉であることを考えると、そう生半可な表現では言い尽くせないのだろうと感じることができます。今後私が自然に「闘う」という言葉を使えるとはとても思えませんが、違和感はなくなった、それが自由法曹団歴6ケ月の私の感想です。

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