団通信1003号(11月21日)

思想調査事件ー高裁の勝利判決が確定

東京支部  吉 田 健 一

 東京高裁は、去る一〇月二五日、鈴木亜英団員に対する思想調査事件の判決を言い渡した。国の責任を認め、国に慰謝料等金一二万円の支払いを命じる判決であった。
 判決は、捜査報告書に記載された政党や団体所属の事項は原告のプライバシーに属するとし、この捜査報告書を裁判所(略式裁判)に証拠として提出した検察官の行為が違法であると判断したのである。しかし、捜査報告書を作成した警察官の所属する東京都や北海道(給与負担者)の責任については認めなかった。
 まず、プライバシー侵害を認めた点について、判決は、「原告が青年法律家協会に所属しているか否か、あるいは、原告が日本共産党の党員であるか否かということは、本来的に原告の私事に属する事項というべきであり、原告がこれを他に知られたくないと考えることも、一般人の考え方として不合理なものとはいえず、また、これらの点に関する事実が既に一般人の知るところとなっていたり、これらの事実について原告がプライバシーを放棄するに至っていたものとまでは認められ」ないとしている。これは、原告が赤旗記事に登場したり、会員の取った無罪事件として青年法律家に紹介されているとか、これらが国会図書館で閲覧できるなどとしてプライバシー侵害を争ってきた被告の主張を否定したものである。
 また、違法性の判断については、捜査報告書を証拠として裁判所に提出した検察官の行為を違法とした。裁判所において略式命令の相当性を判断するために、この捜査報告書は必要な資料であるとし、これを証拠として提出する行為は検察官の裁量の範囲内であるとして、違法性を争った国の主張を否定したのである。
 しかし、高裁判決は、警察官による捜査報告書の作成及び検察官への提出に関しては、その違法性を否定した。これは、同僚が個人的体験から得た知識を提供し、それを捜査報告書に記載し、捜査担当者への引継資料として捜査報告書を作成・提出したとの「事実」を前提としたものである。そのうえで、「調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するといったおそれのない方法によって行われるものである限り」直ちに違法な行為といえないとした。一審判決では、この点をも違法として警察官の所属する東京都や北海道(給与負担者)の責任を肯定したのであるが、高裁判決は、この点で後退した内容となっている。
 損害額についても、一審の認めた三五万円から一二万円に減額されてしまった。弁護士費用は、何と二万円にすぎない。
 このように不満の残る判決ではあるが、プライバシー侵害と検察官の違法行為を明確に認めた点で、重要な意味をもつ内容といえよう。原告本人と弁護団及び関係者の議論を経て、高裁判決は確定判決となった。
 裁判では、警察や検察をはじめ国家権力等による様々なプライバシー侵害の実態を明らかにしてきたが、このような事件や違法行為を許さないたたかいが日常的に必要であると痛感している。
 九四年九月の提訴から六年に及んだ裁判の運動では、地元三多摩地域を中心に「思想調査を許さない会」が組織され、国民救援会や労働組合をはじめ諸団体、個人の支援のもとに広がり、三万を越える署名も集められた。法廷は、いつも二桁の原告弁護団が出席し、原告本人の依頼者の参加も含めて傍聴席も満員となるなかで審理が進められた。事件の内容や問題点をわかりやすく訴えるために、寸劇やひとり芝居、講談などで工夫し、盗聴事件の緒方議員の協力もえて、毎年の地域集会を成功させていった。これらの運動の先頭にたって一人ひとりの心に響く訴えを続けた原告本人・鈴木団員の真摯な努力とねばり強さには驚嘆させられるものがあった。
 全国の団員、法律事務所のみなさんからも、物心両面のご支援をいただきました。心から感謝する次第です。


船舶検査活動法案について

広島支部  井 上 正 信

一、周辺事態法との関係
 船舶検査法案は周辺事態法と一体となった構成になっている。周辺事態法の「周辺事態」に際して行われるものであること、船舶検査活動は周辺事態法の「基本計画」に定めること(法案第一条、二条、四条)である。修正前の周辺事態法案では、第二条、第三条三項、第四条、第七条、第一一条二項に船舶検査活動が規定されていた。一〇月二七日に国会へ提出された船舶検査活動法案は一ヶ所を除き修正前の周辺事態法案と全く同一である。異なる点は国連安保理決議のほかに「旗国の同意」を入れたことである。

二、旗国の同意
 政府の説明では(九九・五・二一ガイドライン特別委員会東郷条約局長)
 船舶検査  旗国の明示黙示の同意があるもの。
 臨検    国連海洋法条約上の警察行動としてのもの、旗国主義の例外
 戦時臨検  海戦行為としてのもの
 船舶検査活動の根拠として政府は一般国際法と言うだけで明確な根拠付けが出来ないでいる。一般国際法なる概念があるのか?問題の本質は、国際法では最も伝統的な慣習法であり、国連海洋法条約でも規定されている「公海の自由(航行権)」に抵触することである。黙示を含む同意と言う曖昧な概念で国際法上最も重要な保護法益である「公海の自由」を制限することはできない。圧倒的な軍事力による事実上の強制がありうるのである。

三、戦時臨検との関係
 政府は戦争が原則禁止になったことから、伝統的な意味での戦時臨検はそのまま適用されなくなったと説明する。その趣旨が、船舶検査は現代国際法では戦時臨検ではなくなったというのであれば誤りである。確かに伝統的な中立法が適用される場面は少なくなってきている。違法な戦争に対して(とりわけ安保理が決議した場合)中立概念は成立たないともいえる。しかし安保理決議がなく、敵対国が互いに相手国を侵略者と決めつけたり自衛権行使だと主張することはよくあることである。この場合第三国として中立を宣言することは意味がある。しかも戦争の違法化と戦闘行為の規制とは次元(保護法益)が異なる。違法な戦争であっても人道法は適用されるからである。中立法も同様である。したがって中立法である戦時臨検法(海戦に関するロンドン宣言に体現される国際慣習法)は現代の武力紛争にも適用されるものである。
 戦時臨検と船舶検査の大きな違いは「旗国の同意」である。しかし「旗国の同意」が事実上の強制を含むことになれば戦時臨検との区別はしがたい。
 湾岸戦争で米国を中心とした多国籍海軍は、安保理決議六六一号を根拠に臨検を実施した。この決議はイラクに対する経済制裁を決めたものである。しかしその厳格な実施の為の措置までは規定していなかった。それは決議六六五号まで待たなければならなかった。そのため米国は憲章五一条の集団的自衛権であると説明した。これが現在の米国の見解である。自衛権行使の一環としての臨検は、戦時臨検に他ならない。

四、武力行使
 法案は周辺事態法と同じ説明で、憲法の武力行使禁止原則には抵触しないと説明するであろう。しかし法案によると船舶検査活動は後方地域(我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海―周辺事態法第三条一項三号)で行われるものと定義されていない。また周辺事態法六条四項を準用するが同条五号は準用していない。五号は戦闘行為に巻き込まれることを防ぐ為の活動の休止規定である。周辺事態法では後方地域支援活動・後方地域捜索救助活動にはいずれも五号が適用される。周辺事態法と一体となっているはずの船舶検査活動のみ五号が適用されなのである。もっとも修正前の周辺事態法案でもこの点は同様であった。
 なぜか?船舶検査活動は、周辺事態法による後方地域支援や後方地域捜索救援活動が米軍の戦闘行為の支援活動であることに対し、船舶検査活動は我が国が独自に行う活動という建前だからであろう。そうすると米軍の「武力行使との密接さの程度」という武力行使に該当するかしないかの基準は使えない。法案第五条二項では我が国の行う船舶検査活動実施区域が他国の行う船舶検査活動と混交しないように実施区域を定めるとしていることからも頷けるであろう。船舶検査活動が武力行使に該当するかどうかは船舶検査活動それ自体から判断しなければならない。
 法案第六条で武器使用が定められている。周辺事態法第一一条と同じ規定である。これを根拠に武力行使ではないとはいえない。旗国の同意を要件としていることも根拠にならない。軍事力により事実上強制することがあるからである。武力行使になるかならないかは単に鉄砲・大砲を発射するかしないかではない。自衛艦自体が兵器・武器である。自衛艦は単に船で積載している兵器システムが武器・兵器であると言うなら、戦車は単に車両で戦車砲が武器・兵器であると言うに等しい。対空ミサイル・対艦ミサイル・対空機関砲・速射砲・対潜ミサイル・魚雷などを積載した軍艦が民間船舶に対して停船を求め信号弾照明弾をうち停戦に応じない場合接近・追尾・伴走・進路妨害するのであるからいくら実弾行使が除外されていても(法案第五条別表)、武力行使少なくとも武力による威嚇にはなる。
 武力行使を含む地域紛争において自衛隊が船舶検査活動を行っている際、敵対国の水上艦・潜水艦・航空機が攻撃してくることは当然想定される。法案は周辺事態法と同様に自衛隊法第九五条の適用排除をしていない。国際法上「適法」な船舶検査活動を行っている自衛艦に対して攻撃されれば、自衛隊法第九五条(武器防護の為の武器使用)または率直に個別的自衛権行使としての武力行使により反撃するのであろうか。

五、他国の船舶検査活動に対する後方地域支援
 法案第三条後段で、船舶検査活動を行っている自衛隊はそれと同じ活動を行っている米軍に対して後方地域支援をするとしている。法案第五条二項で我が国の行う船舶検査活動の地域と他国の行う地域とが混交してはならないと規定しながら、本条では自衛隊とは別の海域で船舶検査活動を行う米軍に対して後方地域支援をすると言うのであるから、第三条の規定に関わらず、米軍と自衛隊とが一体となって(混成部隊となって)船舶検査活動をするのであろう。
 法案第三条後段は法案に規定する船舶検査活動に相当する活動を行う米軍に対して後方地域支援を行うとしている。ところで米国は自衛権に基づく船舶検査が出来ると言う見解であることは先に述べた。しかもこの活動は戦時臨検そのものである。法案の規定する船舶検査とは建前上異質のものということにならないのか。その場合船舶検査活動の後方地域支援はしないのであろうか。

六、なぜ国連安保理決議以外にも「旗国の同意」を入れたのか
 周辺事態法に関わる事態として安保理が機能しないケースとしては台湾海峡をはさんだ中・台武力紛争しか考えられない。米国は二一世紀の安全保障政策の中で、対中国政策を最大の重点にしている(ジョイントビジョン二〇二〇)。中・台紛争では中国は常任理事国として拒否権を行使するので安保理決議は出せない。この事態を想定していることは明らかである。

七、船舶検査では絶対に武器使用・武力行使をしないか?
 自衛艦は国際法上は「Armed force」であり、国際法上軍艦として認められている権限を行使できる。法案は根拠が薄いが、一般国際法により船舶検査が出来るというものである。法案では戦争法上の戦時臨検を明確に否定していない。国内法がなければ国際法が優先し、自衛艦は軍艦としての国際法上の権限を行使できると言う見解は可能である。即ち状況によっては戦時臨検が可能となるのである。船舶検査とは異なる国際法上の戦時臨検であるから自衛の為の戦争であれば戦時臨検が出来ると言う見解である。


退任に当たって

東京支部  鈴 木 亜 英

 昨年のあの悪法ラッシュ、そして今年は司法改革と誠にめまぐるしい状況のなかに身を置いてみて、荒波に翻弄される小舟に我が身を例えるのが最もふさわしい気がする。終わってみれば目と鼻の距離だったかもしれないが、渦中にあった私にとって航海は短かったと答えれば嘘になる。
 「国家改造計画」をどうみるかの昨夏の議論、司法改革の情勢をどうとらえるかの今夏の議論は、見方を一致させることは難しかったが、ひとつの方向を見出すことはできたと思う。意見の違いを残しながらも、国民とともに闘おうという視点がどの団員にも漲り自由法曹団ならではの結論を生み出せたと思う。
 私は豊田前団長、小部前事務局長、小口現事務局長に随分助けられた。いろいろなことを教わったような気がする。二年間にわたってお付き合いした事務局次長の皆さんは、確かに私よりはるかに若い方たちばかりだったが、いずれもしっかりした考え方の持ち主であった。共に苦労したという思いが強い。本部事務局の皆さんは慣れない私がどうなるのかと随分気を揉んだに違いない。しかし、私はいつもその笑顔に助けられて、余計な苦労をかけているのではという思いを吹き飛ばしてくれた。そしてなによりも私を送り出し、二年間辛抱しながら支えてくれた三多摩法律事務所の諸兄諸姉には言う言葉もない。団がどんなに大切かを理解しないではできないサポートであった。思えば随分大勢の善意と励ましのなかで仕事ができたというこの感慨はこれからの私の貴重な体験として生きるだろう。
 今春、パリとブリュッセルを訪ね、EU労働法制を勉強し、日本の解雇規制はどうあるべきかを考える機会を与えて貰った。九月には中国を訪問し、旧日本軍の息を呑む暴虐の爪痕を見つめながら、憲法の平和理念を堅持することの大切さを中国の法律家たちと語り合う場を設けて貰うことができた。総会後、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド総会に出席するためにボストンを訪ね、各級裁判所を見学しながら、陪審の功罪を論じる企画を成功させることができた。いずれも団が抱える課題を国際的視野でとらえることができたという点で貴重な経験であった。多国籍企業の利益を追求するグローバリゼイションに対し、人民のグローバルな団結が今ほど求められているときはないと思う。こうしたなかで団が益々国際的交流を深めながら、国際連帯を活動の柱のひとつとしていくことはとても大切なことである。私もそのプロモーターのひとりになれればうれしい。
 いまひとつの任務を終え、期せずして、六年にわたって闘った「思想調査事件」も国の上告断念で終了した。これまでに得たかけがえのない体験をこれからの団活動にどう生かしていこうかと思いつつ、このホッとした気分を暫く味あわせて欲しいとも願うのである。


事務局次長退任にあたつて

千葉支部  山 田 安 太 郎

 昨年、事務局次長になり、すぐ、オウム対策の立法、日産リストラ問題、比例定数削減問題に直面し、対応が忙しくなった。その後は、神奈川県警、新潟県警等警察による連続犯罪・腐敗行為が発生し、警察の民主化の意見書を警察問題委員会が中心になって、作成した。
 今年の後半は司法改革について、司法審の見方、当面の方針の具体化等について、団本部で、白熱した議論が行われ、迫力があった。
 団本部の事務局の仕事をして、今度も、感じることは憲法問題、人権問題、民主主義の課題が矢継ぎ早に発生し、これらの課題を迅速に対応していかなければならず、たいへんであることである。
 精力的に実践する団長、事件の当事者として闘いながら、全般的に目を配る幹事長、有能な事務局長、諸課題を解決するために奮闘する事務局次長、いつも忙しい事務局、みんな明るく、楽しく仕事ができたのではないか。
 もう一年やれ、との声に後ろ髪をひかれたが、事情もあり、ごめんなさい。


事務局次長就任にあたって

事務局次長  柿 沼 祐 三 郎

 どのようないきさつをたどってなのか、くわしくは知らないのですが、本年の九月ころ、事務局次長を群馬支部からという要請が本部サイドからあり、そのお鉢が私のところに回って来ていると聞きました。そして、多少迷ったのですが、このたび事務局次長をお引き受けすることになりました。
 私は、四八期で一九九六年四月の弁護士登録ですので、今回の事務局次長就任者の中で、一番の若輩者ということになろうかと思います。弁護士登録後すぐに、自由法曹団に加入はしておりますが、これまで団の活動にそれほど積極的に参加してきてはいませんので、余り真面目な団員とはいえません。そのような私が団本部の事務局次長をお引き受けしてよいのかどうかという疑問を持っておりますが、周囲からは、是非引き受けなさいと勧められ、今回お引き受けすることになりました。
 実は今回のお話は、最初、同じ事務所の池末弁護士の方に「柿沼さんは引き受ける気があるかな」といわば迂回路での打診があり、(脳天気な)池末弁護士は、「そんな話があるのなら、本人が引き受けられるように、自分は最大限協力をする」などと簡単に返答をしていたようです。私は、現在の事務所の状況、仕事の状況とを考えるとためらいを感じていました。しかし、最終的にはお引き受けをしたのですから、私も脳天気なのでしょうか。
 私の所属するわたらせ法律事務所は、群馬県桐生市にあり、群馬支部のさらに支部という感じで、これまで群馬支部の活動にも余り参加できていませんでした(支部の例会が開かれる前橋市まで車で一時間ほどかかる)。そして、仕事の内容といえば、地方の弁護士の常というか、雑多な事件を多数抱えております。ただ、特徴的なこととしては、県立高校での生徒会誌をめぐる二つ事件の憲法裁判にもかかわっております(一方については、一一月一日に前橋地方裁判所で全面敗訴の判決が出てしまいました)。私自身は、弁護士になるにあたって、外国人問題、医療問題、消費者問題の三つに特にかかわりたいと考えており、前二つについては、群馬弁護士会員有志による外国人問題弁護団(パートナー)と医療問題研究会という組織があり、その活動に参加しておりましたが、最近は、やや低調になっております。そして、消費者問題の関係でいうと、クレサラ、商工ローンの事件を多数受任しており、私自身、クレサラ対協、日栄・商工ファンド被害対策弁護団にも参加していて、最近はもっぱらこの種の事件で忙殺されています。自由法曹団の活動については、かねて消費者問題についてやや手薄なのではないかという印象を個人的には持っておりましたので、どこまでできるか分かりませんが、今後この種の分野を中心として担当させていただければと考えています。今後二年間、事務局次長としての仕事を全うできるのか甚だこころもとないのですが、できる限り頑張っていこうと思います。どうぞよろしくお願いします(やっぱり私も脳天気だ)。


就任のごあいさつて

事務局次長  伊 藤 和 子

 このたび、事務局次長になりました。これまで自由法曹団の活動にはあまり参加してきませんでしたが、「これもまた、新しい体験かな」と思い、自分の活動の幅が広げられることを楽しみにしています。
私は弁護士登録以来、冤罪名張毒ぶどう酒事件の弁護団に入って、再審開始を目指す活動をしていますが、その中で今の刑事裁判のひどさを日々痛感しています。
何とか刑事裁判を変えたい、という思いから、弁護士会で陪審制導入の活動をしています。現在、司法改革の中で陪審制度の実現の道が開きかかっていますが、これを現実のものにするため、私にとって今一番の課題は陪審制の導入のための活動です。
先日、自由法曹団の総会に参加し、司法改革の議論に参加しましたが、人口問題・法曹養成という、それ自体重要ではあるが内向きの議論に多くの時間が割かれたことは正直いって残念でした。絶望的な刑事裁判のみならず、労働、行政、一般民事に至るまで司法が人権保障の砦となっていない現状をどう改革するか、弁護士の責任が問われていると思います。二一世紀の司法制度を大きく転換するために、是非スケールの大きな議論を団内で展開すべきではないかと思っています。
 これまでに横田基地訴訟や、日の丸・君が代をめぐる「所沢高校」問題にも関わってきました。横田基地訴訟の関連で、訪米要請活動に参加したり、ハーグ市民平和会議に参加する等の貴重な経験もさせていただきました。昨年以降、新ガイドライン法成立や日の丸・君が代法制化、憲法調査会等、がっくりすることが多いですが、これを機に、改めて平和や憲法の問題にも目を向けていきたいな、と思っています。
団活動については全くの素人ですので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、何卒よろしくお願いします。


事務局次長就任にあたって

東京支部  大 川 原  栄

 二〇世紀最後の年に次長に就任し、二一世紀の始まりを団とともに過ごすことになる。何が出来るのであろうか。
司法改革は、弁護士そして弁護士会(日弁連)の改革を不可避としており、この中で団と団員の改革もいずれ不可避になるのではないかと思う。日常的な団活動への参加者減少(特に若手)、団幹部へのなり手不足といったことが言われて久しい。一団員だった時の私自身の意識と行動は、全国の団員のそれとほとんど同じであったと思われる。誰もが、団幹部になったときには、団を改革したい・改革すべきであると思うのかもしれないが、具体的にどうすべきかの答えは、今現在、当然にない。
修習生から、「自由法曹団とはどのような団体ですか。」と聞かれると、一瞬躊躇した後、必ず、「理論集団であり、実践集団である。」と答えてしまう。前者の「理論集団」は、悪法についての意見書・逐条解説書作成のイメージであり、後者の「実践集団」は、悪法についての国会要請その他集会等主催者のイメージである。このイメージが正しいのかの検証をしないまま団について語るのであるから必ず一瞬躊躇し、また、このイメージしか浮かばないから必ず同じ答えを出してしまう。もちろん、各団員の事件活動そのものも団の活動ではあるが、団を語ろうとすると、どうしても団の「理論・実践」活動がイメージの中心になってしまう。
日常的に事件を処理し、また、弁護士会その他諸団体の活動をしながら、団の「理論・実践」活動を行うのは、極めて困難である。その結果、団の活動を担える人は強い意識を持った「特別の人」ということになる。一団員は、「特別の人」と「特別の人」に支えられている団に共感し強く支持はするものの、いざ自分が具体的に関わらざるをえないことになるとどうしても腰が引けてしまうのではないかと思う。とすれば、漠然とではあるが、この辺(「特別の人」)が改革の原点になるのではないかと考えている。今後、次長として担当分野に力を注ぎつつも、「特別の人」でなくても団活動に関わる方法があるのか、「特別の人」を必要としない団活動が考えられるのかということについて、具体的に考え、行動したい思っている。


次長就任にあたり

事務局次長  黒 澤 計 男

 事務局次長就任の挨拶についてはまた別の機会に譲ることにして、ここではいくつか違うことを書いておこう。
 第一に、富山空港から富山市内へ向かうバスの中から見えた光景で、進行方向に向かって左側にサラ金のドライブスルーみたいなのが五件くらい棟割り長屋みたいな建築様式で一列にずらっと並んでいたのには驚いた。醜悪且つあんな差別化もへったくれもないような店舗設定でどうするのだ。切羽詰まって借りに来る客にカネをかけたお店の魅力など無用ということなのだろうか。正しい判断とも言えるが、根性の醜悪さかげんも正しく露呈されて、正しくえげつない。端から端まで借りまくったあげく、その次に提携弁護士の事務所でもあれば大傑作だ。ついでに督促手続のための簡易裁判所と破産手続のための地方裁判所の支部でも造ったらどうだ?
 第二に、サカナの味がいまいちかな。総会の一日前に富山市に入って富山駅にほど近い飲み屋に一人で入った。とくに印象深かったのは鰤の刺身で、いやに油っぽくってえも言われぬ味わいであった。大きめの断片を口に入れると鼻腔の奥までべっとりするような曰く言い難い感じで、おもわず携帯電話で配偶者に通報してしまったくらいのものである。その夜の午前三時ころ腹痛で目が覚めた。体をどっち向きにしても痛くて痛くて、朝まで全然眠れなかった。地場産業を発展させるための魂胆かとも思われ、このへんが富山の限界であろう。
 第三に、国鉄富山駅前に屯していた女子高生の雰囲気である。なんかこのうえなく退廃的な感じがしたのだ(文字どおり主観的な印象であるから何の意味もないことではあるが)。そして、主観的には富山の人々は男女ともにおおむね美しかった。富山出身の×××団員によれば、「おまえにそんなこと言われたって嬉しくもなんともない」のだそうであり、私の美的感覚が一般的な傾向と基軸を異にしていることを白眼視しているように察せられるが、それこそ富山人の偏見というものである。サンプル不足に弱点はあるものの、富山の人々は美しめの外形の割には美意識と人間性に問題有りと見た。
 第四に、と思ったが、この程度でやめておく。でも、富山駅前の「シネマ食堂街」は特筆に値するたたずまいであり、実にいい。「シネマ」というのが観客が今じゃほとんど入りそうもないポルノ専門館なのも哀愁を誘う。
 以上、富山の印象である。本当はもっともっともっと書きたいことがあるから、そのうち貴重な誌面をお借りするつもりである。次長就任の挨拶もおこなう所存である。


総会参加の感想@

自由法曹団総会に参加して

東京支部  千 葉 恵 子

 一〇月六日に研修所を卒業し、一〇月七日に弁護士登録した私は二一日の団の新人学習会を仕事始めとすることにしました(団も仕事だと事務所の大先輩である柴田五郎先生に言われました)。
 団の総会でよいと思ったのは、希望があれば、保育所を設置してもらえるということです。私は修習中に出産をして現在八ヶ月の娘がいるため、宿泊をともなう団の総会参加を躊躇する気持ちがありました。しかし、保育所を設置してもらえれば子どもを連れていけるため安心して参加できました。
 そして、団が手配してくださった保育士の方はとても素敵な方で、大満足でした(香取瀧さん。その後、丁寧なお手紙を頂きました。この原稿をちゃっちゃと書いてお返事を書く予定)。
 さて、初日の新人学習会ですが、黛先生、西村先生のお話を三田先生の司会のもと、諸先輩方を閉め出してお話を満喫いたしました。一人の女性としての、そして団員としての生き方、苦労、やりがいということをお聞きでき、子どもを生んで間もなくこれから仕事を始めるなか、仕事、家庭をどうしていくか模索中の私にはとても有意義なお話でした。
 その後の松波先生のお話ですが、イタイイタイ病訴訟のお話には研究熱心な真面目なお人柄を感じました。松波先生は事前に資料を送って下さって、忙しい中、学習会を充実したものにするための心遣いをありがたく感じました。
 翌日の総会は、色々な方のお話が聞け、エネルギーを感じました。
残念に思ったのは、民主主義を重んじるのであれば、議論が分かれる点(私が感じた議論が分かれる点は司法改革のなかのロースクール、法曹人口大幅増加です)で、出来うる限り多くの人に出来うる限りの時間意見を述べる時間を設けるべきで、時間が限られているのは重々承知の上ですが、途中で打ち切らず、もう少し議論の時間を設けるべきだと思いました。
 また、私は総会で承認されるまでは団員でないということで発言権、投票権がないというのは残念でした。
 総会後は雨のため娘のことを考え、申し込んでいたトロッコ列車をあきらめ、なかば強引に乗り込んだ坪田先生(それまで面識はありませんでした)のカーナビ付き、クラシックをBGMとするレガシーで魚津まで送っていただきました。坪田先生この場をお借りしてお礼申し上げます。
 魚津で見た埋没林は意外にヒットだったし、富山市内で食べたおすしはおいしかったし、娘は初めての飛行機の中でもぐーぐー寝てくれて、トロッコ列車に乗れずへこんでいた気分も吹っ飛び、富山いいじゃん、団総会よかったという感想を抱きつつ家路につきました。

『団員的生活』の功罪!?

北大阪総合法律事務所  中 西   基

 総会に先だって行われた新人学習会は、実に興味深く、これからの私自身の弁護士人生のあり方を考えさせられるものだった。
 松波先生のイタイイタイ病、薬害スモン、水俣病等でのご活躍は、先生ご自身は極めて控えめにお話になられたが、実に緻密で周到で献身的な弁護活動であり、私などには到底まねできるものではないが、やはり弁護士として身を立てていく以上は常に模範とし目標としなければならない姿勢だと肝に銘じた。
 松波先生の私生活については存じ上げていないが、おそらく多くの団員の方々は、寝る時間も惜しまずに人権擁護のために邁進されておられるだろう。これまでの先輩団員の方々が成し遂げてこられた輝かしい功績は、そのようないわば自己犠牲的な弁護活動によるところが大きいのではなかろうか。それが黛先生や西村先生のおっしゃる『団員的生活』というものなのだと思う。
 先輩団員の方々の功績についていささかもケチをつけるつもりはないのだが、私生活までも犠牲にする『団員的生活』については、これからの時代においては再考しなければならないのではなかろうか。独り身ならば私生活を犠牲にしようとも自業自得で済むが、配偶者があり子供がある場合には、『団員的生活』の陰で犠牲になっている家庭があり、家族があるはずである。おそらく先輩団員の半数以上は男性であろうから、団員が『団員的生活』をおくっているということは、すなわちその配偶者である女性が家事・育児を一手に引き受けていたということになろう。これまでの日本の社会では、このような「男は仕事、女は家庭」という構図が特に不自然なものとしてではなく受け入れられていたが、今日ではそのような固定的な男女の役割分担意識が女性の社会参画を阻んでいる元凶であると指摘されている。つまり、人権擁護のためにすばらしい活動をなさってきた先輩団員の方々も、一方では家庭や家族を犠牲にし、女性の社会参画を妨げることに一役買っていたとも言えるということである。
 「男は仕事、女は家庭」という役割分担意識が根強い中にあって家庭・家族と仕事とを渾然一体のものとして奮闘してこられた黛先生や西村先生のお話は、家庭や家族を犠牲にして仕事に没頭する従来型の団員的活動スタイルについつい魅力を感じてしまう自分自身にとって非常に重要な意味を持つものであった。

総会に参加して

兵庫県支部  高 本 知 子

 富山総会で団員となることを承認していただき、ありがとうございました。
 総会関連行事としての新入団員学習会はとても充実した内容だったと思います。北陸支部の女性の先生方の経験談である「地方における女性団員大いに語る」では、西村先生と黛先生の家事、育児、仕事のお話を聞くことができましたが、私は、先生方はまさにスーパーウーマンに見えました。私は家事は修習生の時も、現在でも全くしていません。私も先生方のように両立できるようになりたいと思いました。
 そして、松波先生のイタイイタイ病や水俣病のお話しについては、私は、本当に恥ずかしいのですが、修習生になるまで、社会問題に特に関心を持たずに来てしまったので、公害訴訟も、昔日本史の教科書で見た事件という程度の認識でしかなかったのです。しかし、松波先生のお話を聞き、弁護士とは、被害者の方々の救済の手助けをすることが仕事なのだと実感しました。これまでの無関心な態度は許されないと思いました。
 松波先生は、なぜ骨がぼろぼろになるのかというイタイイタイ病が発生するメカニズムを、詳細な腎臓の断面図、レントゲン等を使って、平易な言葉で具体的かつ丁寧に説明して下さいました。自然科学の複雑な因果経過は素人の私たちにも大変わかりやかったです。また、被害の悲惨さや被害者の方々の生活状況に言及される時の先生の話し方や声のトーンから、先生の被害者の方々への思いがにじみ出ており、とても優しい方なのだと思いました。被害者を救済するために、極めて高度に専門的な知識までも獲得されて事件の解決に尽力されたことがよく分かりました。公害事件に対するこのような姿勢は、参考にしなければならないと思いました。
 翌日の富山総会の感想ですが、個性的で、社会正義のために行動する、活動的な先生が集まっていると感じました。もっとも、「女性団員大いに語る」のお二人の先生方について、お二人の先生方は非常に優秀であるから(地方である)金沢にはもったいないとか、あの二人は女性なのに家事も仕事もきちんとこなしているからいろいろな発言が許されるのだという内容の話も聞き、いろいろな見方があるものだと思いました。
 それはともかく、総会では、法曹人口の増員とロースクール構想で活発な議論がなされ、少数意見もきちんと述べる機会が与えられ、団としての意見はなかなかまとまりそうにないところが自由法曹団らしいと感じました。
 最後に、未熟者でありますが、よろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。


誇りをもって自治を主張できるプロたり得ているのか

京都支部  荒 川 英 幸

 団総会の分散会で、自覚的な医師達の努力と対比して弁護士の現状はこれでよいのかとの発言を行ったところ、そのような「国民の声」なるものは、小選挙区制のときと同様の攻撃の手口であり、そんな発言を聞くと、日弁連の執行部案に反対したくなる旨の反論がなされた。その際の自分の発言は、いささか舌足らずだったと思われるし、先日の日弁連臨時総会に出席して、若干名を除く反対意見の格調やレベルに改めて唖然としたこともあるので、補足を行いたい。
 「弁護士自治の堅持」や「法曹人口増大による質の低下」などの声高の発言を聞くたびに自分が思うのは、その具体的内容の貧困さであり(日弁連の平成一〇年度研修でも、朝日新聞の藤森論説委員が「法曹人口をふやすなという人が、では現状の質についてどう改善しようとするのか、その具体的方策はあまり聞こえてこない」と批判している)、「日本の弁護士って、そんなに質が高いの」という素朴な疑問である。人権擁護事件やプロボノ活動に取り組んでいることと、スペシャリストとしての資質や実践の高さは決して同義ではない。そして、団員の多くも、自らの関心ある分野については一定の専門性を発揮しえても、それ以外の一般事件については「生活の糧」としてのルーティーン処理に終わっているのが実情ではないだろうか。特に地方においては、あまりに忙しくて勉強する暇もないというのが率直なところであろう。総会の夜に同期と話をした際も、「今の日本の弁護士の仕事の中身がガラス張りになれば、国民の批判に耐えられないだろう」というのが共通の感想であった。 例えば、ポピュラーな離婚事件にしても、自分は、かねてより、今の手続の実態や弁護士の事件遂行に疑問を持ち、会派の通信でも問題提起を行ってきた。端的に言って、これまでの多数の事件において、専門性の高さを感じさせるような相手方代理人の書面や判決にはお目にかかったことがないのである。昨年一二月二一日の静岡地裁浜松支部判決で、高度資本主義社会におけるゲマインシャフト(共同社会)としての家族機能論を展開しているのを発見し、実に新鮮な印象を受けたが、このような判決は稀であろう(ちなみに、この裁判官は、以前に格調の高い個別訪問禁止規定違憲判決を書いている)。
 自分は、ある離婚事件で、尋問終了時の和解の席で裁判官から露骨に当方敗訴の心証が示されたにもかかわらず、それを逆転させる勝訴判決を得たが、その原因は、十数冊の内外の文献を証拠提出して、家庭内の事象をどう見るべきか、人格侵害行為をどう捉えるべきなのか等について、裁判官が「何にも分かっちゃいない」ことを示したからである。例えば、監修・野田愛子氏、編著・家庭問題情報センター(家裁調査官OBが設立した公益法人)の「変貌する家族」などは、現代の家事事件を担当する上での必読文献であるはずだが、これを読んでいる裁判官や弁護士がどれだけいるだろうか。街の書店では、現代家族問題に関する書籍が溢れ、痛切な法律家批判がなされていたり、宝の山というべきアメリカの実践・研究成果が平易に提示されていたり(例えば著名なサイコセラピストであるジニー・ニッキャーシーらのD・Vにおける暴行概念の拡大など)、夫の視点からの洗い直しをした中国新聞文化部の「男が語る離婚」「妻の王国」「長男物語」の三部作があったりするのだが、多くの弁護士はそれを知らないだろう。なぜなら、そのような文献にも接して、自分の事件の実像に少しでも迫ろうという意欲が欠如しているからである。現代の人間をめぐる深刻な状況において、「こんなことはもうしませんね」「はい、反省しています。もうしません」などという倫理的な命題の立て方が、問題の解決にならないだけでなく、物事の本質を誤らせてしまい、次の悲劇の幕開けにもなり得ることは、専門家達の努力によって解明されて久しいが、弁護士だけが今日も平気で、そのような尋問を行い、準備書面を書いているのではないか。
 調停手続について述べれば、家事審判官と二名以上の調停委員とで構成される調停委員会による調停が原則であるのに、実際には裁判官不在の調停が常態化しており、家事審判法二二条一項が空洞化している。しかし、例えば昭和四四年当時は、東京家裁や神戸家裁などで、「第一回期日を家事審判官単独の調停期日とし、調査官を立会わせて、当事者に面接し、争点の整理を行い、引き続いて調査官に基礎事実の調査を行わせ、第二回期日以後を調停委員会による調停とし、右の審判官の争点整理と調査官の基礎調査の結果を基礎として調停を行わせ、審判官は重点的に立会う」という方式が実践されていたのであり、当時の神戸家裁所長は、これが「現状において、もっとも弊害を少なくする方式」とした上で、所長専任の家裁の増加と審判官の増員の必要性を述べていたのである(家事審判法講座第三巻)。即ち、これだけ家族問題が複雑化しているにもかかわらず、国民は三〇年前の水準にも達しない調停を受けているのが現実であり、しかも、その事実を疑問に思わない弁護士が多数いるのである。ましてや、審判官から調査官に対するカウンセリング命令(心理的調整命令)を視野においた事件活動を行っている弁護士はどれだけいるだろうか。自分は、調停委員の調停がおかしいと思うと、右の点だけでなく、調停の制度趣旨論や、調停委員の選考基準に関する昭和四九年七月二二日最高裁通達などに基づく準備書面や本人の陳述書を提出するので、審判官や調査官、支部においては書記官まで立会う調停を行う機会が多いが、ディスカッションを通じてすごく深まるし、自らの方針の検証や軌道修正にも役立つ。そして、何より法的手続に対する依頼者の信頼や納得の程度が全く異なるのである。調停委員への不満を漏らしながら、結果として調停委員のみによる調停に甘んじている弁護士はどう考えているのだろうか。ましてや、約九割の弁護士不在の調停がどうなっているのかを想像してみる気にはならないのだろうか。
 そう言いながらも、実際には多分野の対応に追われて、気概もつい、くじけそうになるというのが正直なところである。
 例えば、一〇月二七日の自分の行動は、午前中は、市町村社協の正副会長、理事、事務局長を対象とする京都府等が主催するセミナーにおいて、「福祉サービス契約の意義と利用者の権利擁護」と題する講演。全国社協が発行した地域福祉権利擁護事業に関する三冊の重いマニュアル(運用について、行政の現場では大変な悩みが存在しているのだが、このマニュアルすら知らない弁護士が多いだろう)に基づき、重点事項や運用上の留意点を解説。午後からは、商工ローンに対する十何件目の仮処分事件の打ち合わせ、別の件に関する商工ローンへの求釈明の起案、消費税仕入れ税額控除否認事件の尋問立ち会い、国労問題に関する電話での意見交換などが続き、憲法企画の街宣に遅れて顔を出し、引き続いて行われた少年法改悪反対の街宣の司会兼演説。すなわち、日弁連総会議案書六頁で今後の重点課題として並べられている高齢者、消費者、子ども、環境のうち三点の課題について同じ日に取り組んだ訳だが、そのいずれもが、付け刃的な不十分なものであり、自分が国民のニーズに応えられる質を持っているなどとは到底思えない。しかし、高齢者問題では、そのようなレベルの自分の講演レジュメを、他の弁護士がアレンジして使っているのが実情なのである。
 自分よりはるかに激務である民医連の医師が、より質の高い医療を患者に提供すべく、海外の学会での発表にも取り組んでいる姿を見習おうと思うものの、かかる多様な対応は、正直言って自分の能力を超えていると言わざるを得ない。自分自身は、債権者取消権や遺留分など、未解明の論点が多々あり実務的にも解明・整理が必要と思われる分野(前者につき、裁判官の要請で、様々なパターンを組み合わせた各類型における判決主文例を考察したこともある)について、じっくり研究したいという要求がありつつ、足を踏み出す気力がないのである。
 かように弁護士が取り組むべき課題は無限にあり、スペシャリストとして本当に国民の役に立とうとすれば、内実ある専門性の獲得と日常の事件でも裁判所に真剣に問題提起していく気概及び体制が必要である。そのためには、法曹人口の抜本的増員が不可欠だし、ジャーナリストが「小さな記事でも、自分の情熱や思考のエキスを注ぎ込めるのかどうか」(辺見庸)と自問するように、真のプロ精神を問える気風が必要である。松井康浩氏は「日本弁護士論」三二九頁において「弁護士もまた、国民の要求を充たす努力、その制度の樹立を怠っている。事件の大小、軽重を問わず、国民の正当な法的要求を充たさなければ、この面において法治主義が貫徹されないことになる。国民とともに弁護士は存る。国民の要求を充たしえない弁護士は亡びる。国民の弁護士への期待を高め、それに応えていくために弁護士のなすべき調査、研究、実践のための制度の確立は広くかつ責任は重いが、これをなし遂げることへの生甲斐と歓びをもちたいものである」と書いている。法律相談でも、ボロボロに傷ついている妻に対して、法律関係の解説をしても意味はない。短時間のうちに、彼女が自己肯定感を抱くことの出来る糸口を見つけ出し「こうやって相談に来れる力を持っているんだよ」と励まし、今後の信頼関係の構築に歩みだせるかどうか−すなわち、共依存(コ・ディペンデンス)にある彼女を暴力夫の支配下から救出できるかどうかの力量が問われる時代なのである。
 団体であれ、個人であれ、自己検証なきところに向上心は生まれず、発展の環もない。まこと、詩人の長田弘が「自由に必要なものは」で書いているように「新しい真実なんてものはない 自由に必要なものは、ただ誠実だけだ」なのである。


日弁連臨時総会に参加して

福岡支部  池 永   満

 去る一一月一日、日弁連臨時総会が開催され、司法制度改革審議会に臨む日弁連方針の採択に関し執行部案が賛成七四三七、反対三四二五、棄権六九で可決された。可決された内容は、法曹人口に関しては「国民が必要とする数」を養成することとし、かっての臨時総会決議のように弁護士会自身が弁護士人口を制約しうるかのごとき発想を廃棄したこと、多数の法曹養成を担うシステムとして「法科大学院」構想を支持し実現に向けて積極的、主体的にかかわっていくことを打ち出したことなど、日弁連として歴史的なものである。
 そこで私も、当初からの司法試験改革論議に関わって来た思いを胸に、歴史的な区切りの場面に立ち会いたいと考え、先約日程を変更して上京した。しかし臨時総会自体の内容や運営は、率直に言って決議された内容の歴史性に比べ、何とも物足りなく不満の残るものであった。
 事前に集まった委任状の数でダブル・スコアの差がついているとのうわさが流れていたからか、過去に例がない程多数の出席者が満場をうめ特設会場まで設営されたにもかかわらず、ありきたりの質議で長時間を費やし、討論に移って以降の発言内容も紋切り型が多く、歴史的な決議を生み出すに相応しい多様な視点からの鋭い問題提起がなされ互いに論戦を交えるというような雰囲気や緊迫感はほとんど感じられなかった。
 私にとって最も残念だったのは、私も含め五〇数名が討論開始前に発言通告を出し、内容はともかく、それなりに整然と討論が進行していた最中に、(執行部案賛成の立場にある私が考えても)極めて唐突に質議打ち切り動議が提出されたことである。これを切っ掛けに動議合戦が始まり三時間近い時間がその処理のために空費され、何らの追加的討論も出来ないまま臨時総会は幕切れを迎えてしまった。
 一旦議事が混乱し始めた以上は、日弁連の歴史的な態度決定を引き延ばすだけの無意味な続会を避けるためにも、主催者としては愚直に議事運営をすすめ終局へのレールを引く以外になかったのであろうが、あの空転した三時間の半分でも討論が続行されておれば、もっと充実した気分でホテルに帰れたであろうにという残念な思いは今でも捨て去ることが出来ない。
 ならば、お前は何を発言したかったのかという問いかけに意を尽くして答える程の字数はもはや残っていないが、ポイントは三点あった。
 一つは、法曹養成制度改革の必要性に関して、国家による一元的な法曹養成の本質的欠陥と、それがもたらした歴史的害悪を明確にすることである。又、現在の司法研修所を「統一修習」の場と呼び礼讃するものがいるが、私が修習した二五年前でも既に「統一」は形だけで、日弁連は弁護教官の選任権すら保証されず、最高裁の努力はひたすら官僚的裁判官養成に集中していたし、自由な研究活動や自治的生活を忌み嫌うなど、法曹にとって不可欠の市民性や批判精神を養う場とは到底思えない政策が取られていた。
 一九九八年の国連規約人権委員会の最終見解が「夫の妻に対する暴力を当然視するような判決の存在」に困惑を表明し「裁判官に対する人権教育」の必要性を強調しているが、これほどの恥ずかしい国際批判を招く事態と人権感覚を欠く裁判官を養成してきたのが、ほかならぬ司法研修所である。
 もはや司法研修所に法曹養成をゆだねることは到底できないとすれば、今後の法曹養成制度は司法研修所の本質的欠陥を克服することに求められることは明らかであり、地方分権により地域に密着し、市民性豊かで多様な人材を安定的に養成するという国際的常識にそった方策をとるべきである。全国各地に法科大学院を設置し、弁護士会が主体的に運営に関わることこそ、現時点でその可能性を有する唯一の方策であろう。
 二つめは、弁護士を大幅に増員すると質が低下するとか、弁護士自治を危うくするという議論は「量から質への転化」という社会発展の法則や諸外国の経験に照らしても、一般論としても成り立たないし、弁護士自治の観点で言えば、むしろ弁護士を増員し弁護士集団の社会的役割と影響力を高めることこそ自治を強化する道である。
 三つめは、弁護士自治を危うくするものは市民から隔絶して独善に陥ることであり、今年の人権大会における「報道の自由」と報道被害をめぐる議論でも明らかなごとく、声高に「自治」を叫ぶ中に、その危険性が潜んでいることである。私達が「官のコントロール」を拒否して自治を確保し続けることを望むのであれば、利用者による、即ち「民のコントロール」を受けるシステムをつくり出す必要がある。利用者と連帯し、信頼されることこそ「自治」を確保しうる最強の方策であり、イギリスにおける弁護士や裁判官に対するオンブズマン制度等も研究する必要があろう。
 私は、以上の観点から、敬愛する同期の伊賀興一団員が提出した「関連決議」の原案が示していた問題性について(それは執行部案の賛成、反対を越えて存在しているように思えるが)、せめて一言指摘しておきたいと初めてマイクの前に立ったが、簡単に封殺され、お開きとなった。


司法改革への道ーOpen The Golden Gate

─日弁連「百聞は一見に如かず」 サンフランシスコツアーの報告─

大阪支部 桐 山   剛

一 「百聞は一見に如かず」ツアー第二弾
日弁連司法改革推進センターは、三月のハワイツアーに引き続いて一〇月 二三〜二七日の間サンフランシスコツアーを実施した。
テーマは、陪審制、法曹一元、ロースクールであるが、忙しい時期にもかかわらず、全国から八〇名(うち弁護士七〇名)が参加し、大いに盛り上がった。

二 ゴールデンゲート大学ロースクール
サンフランシスコといえば、有名なのがゴールデンゲートブリッジ。ゴールデンゲート大学ロースクールなどというのは、日本では聞いたこともなかったが、これがなかなか味のあるロースクールで、感銘を受けた参加者が多かった。
マスコミによる順位はかなり下位のロースクールであるが、夜間部もある地域密着型の実務弁護士の養成を中心としたロースクールである。
世界の経済大国である日本からナショナルなバーアソシエイションが見学に来たというので(?)大歓迎を受けた。ランチのときには、四〜五人のテーブルに分かれたが、テーブル毎にロースクールの教授が来て(しかも日本語通訳付で)雑談の相手までしてくれた。
教授と学生の討論を通じて問題の考え方を学ぶケースメソッドの授業も活気があったが、教育の目標は主な判例を批判することであると言い切る姿勢には実に新鮮な印象を受けた。
なかでも学生へのインタビューはなかなかおもしろかった。一〇数人の学生に「大学で何を学んだか」(夜間部の学生には)「なぜ夜間部に来ているのか」「将来どの分野で仕事をしたいか」「授業料などの経済的負担はどうしているのか」を次々に質問した。
学生のバックグラウンドが多彩なこと、ほとんどが教育ローンを利用して親の世話になっていないことを率直に話してくれた。何しろ、雰囲気が明るいので、「日本の司法試験制度よりずっと明るい」というのが感想である。
なお、有名校スタンフォード大学ロースクールも訪問したが、こちらはアカデミックな雰囲気でまったく受ける感じが違う。

三 イーストベイ・コミュニティ・ローセンター
これは、サンフランシスコの対岸にあるアラメダ・カウンティにあってコミュニティの経済的発展を図ろうとする団体である。具体的には、貧困者のために住宅問題を始めあらゆる問題に取り組んでおり、日本的にいえば借地借家人組合と生活と健康を守る会を合わせ、もっとパワフルにしたような感じである。
事務所は見るからに立派でないが、弁護士が一〇人雇用されており、貧困者に無償で法律サービスを提供している(資金は寄付)。「弁護士の給料はいくらか」とぶしつけに訪ねたが、「答えたくない」という答えであった。
 ところが、このローセンターが、近くにあるカリフォルニア大学バークレー校の実務修習を受け入れており、希望者が多くて全員の受け入れはできないというから驚く。しかも、このような団体がカリフォルニアの全カウンティにあるというから底が深い。

四 日本型ロースクールと司法研修所
人から聞いた話だけではなく、自分の眼で見て実感し考えようという趣旨で始めたツアーであるが、今回は日本型ロースクールを考えるのに強いインパクトを受けた。日本型ロースクールを成功させるには、われわれ実務家が 強力にコミットする必要があり、大学側に任せていたのではろくなロースクールはできないというのが結論である。
同時に、全国各地にロースクールができるのであるから、司法研修所も全国的に複数配置して司法修習に多様性をもたせることを具体化していかなければならない。例えば、関東、関西の他東北と九州には司法研修所が必要だと思われる。
なお、Open The Golden Gateというのは、参加者によるサンフランシスコの誓いである。


法律家団体共同企画・連続シンポジウム(第三回)

なぜ 今

憲法調査会「東アジアの平和の構築と日本国憲法」

のお知らせ

 第一回「平和主義のリアリティ」(渡辺治氏、最上敏樹氏)、第二回「二一世紀の恒久平和主義」(水島朝穂氏、西川重則氏)と、連続シンポジウムを開催してきました。第三回は、東アジア(中国、朝鮮半島)の情勢をふまえ、日本国憲法の平和主義の意義と日本の平和のための戦略について、左記の通り講演していただきます。また、運動論的な問題提起も受けながら、会場からの議論を深めたいと思います。

 【日 時】 一二月六日(水) 午後六時〜八時三〇分
 【場 所】 エデュカス東京 七階大会議室
         (地下鉄有楽町線「麹町」駅徒歩二分)
 【講 演】 浅井基文氏(明治学院大学教授)
       「最近の東アジアの情勢と、
                我が国の『平和のための戦略』」
              君島東彦氏(北海学園助教授)
              「東アジア情勢と憲法論・憲法運動論」
 【参加費】 一〇〇〇円

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