東京支部 鷲 見 賢 一 郎
鞄月ナとアジアエレクトロニクス梶i以下「アジア社」という)は、九九年一二月二四日、潟Aドバンテストとともに都内で合同記者会見を開き、アジア社の半導体テスタ部門をアドバンテストの子会社に営業譲渡することを発表しました。東芝が計画したアジア社のリストラ案は、テスタ部門(売上八割の優良部門)をアドバンテストの子会社に営業譲渡し、電子機器部門(売上二割の不良部門)だけを残し、労働者を大幅に減らそうというものでした。
アジア社の合計四八四名いる労働者の減員計画は、次のとおりでした。
(1)三七二名いるテスタ部門の労働者のうち二二五名の労働者をテスタ部門の譲渡先のアドバンテストの子会社に移籍させる。
(2)一一二名いる電子機器部門の労働者を八三名に減らす。
(3)右(1)、(2)の施策で減らす必要のある一七六名の労働者を次のようにして減らす。
@七四人の定年後嘱託者及びパートタイマーを雇い止める。
A一〇二人の正規従業員を希望退職させる。
東芝は、〇〇年三月一七日、国内を中心に従業員の一五%にあたる約九千人を二〇〇二年度までに削減する方針を明らかにしました。半導体部門は、東芝本体が三千人、子会社で三千人、合計六千人減らす方針です。アジア社のリストラ計画は、すべて同社の親会社の東芝が計画したことですが、東芝大リストラ計画の一環だったのです。
さらに、全日本金属情報機器労働組合(以下「JMIU」という)アジア支部が入手した東芝作成の極秘文書によると、東芝は、優良部門であるテスタ部門の営業譲渡後、次ステップとして、不良部門の電子機器部門を東芝の他の子会社に事業移管することを検討していたのです。こうなっては、アジア社は完全につぶされてしまうことになります。
〇〇年三月に国会に提出され、同年五月に成立した会社分割法の下では、「吸収分割」の方法を利用して、「分割会社の優良部門を吸収会社に移し、不良部門だけ残った分割会社は、時機を見て大規模なリストラをおこなうか、さらには会社解散・労働者全員解雇をおこなう」危険が指摘されています(自由法曹団「『会社分割』法案及び『労働契約承継』法についての意見と私たちの立法提言」一五頁、中央公論二〇〇〇年一一月号溝上憲文「『バッサリ解雇』会社分割法の恐怖」二〇七頁参照)。
アジア社の優良部門であるテスタ部門の営業譲渡には、会社分割法の手法を先取りして、不良部門だけになったアジア社を完全につぶす狙いが秘められていたのです。
これと符節をあわせるように、アジア社の交渉担当者は、営業譲渡と労働者の移籍に反対するJMIUに対して、「会社分割法がとおれば、秋頃には自由に何でも出来るようになる。」と言っていました。
JMIUは、〇〇年三月六日、東芝の団交拒否とアジア社の不誠実団交の是正を要求して、都労委に不当労働行為救済申立をし、同日、営業譲渡と労働者の移籍の中止や雇い止めと希望退職者募集の中止を求める審査の実効確保の措置勧告申立をしました。また、三月二四日には、東芝を相手として、横浜地裁川崎支部に団体交渉応諾等仮処分申立をしました。
東芝とアジア社は、団交拒否と不誠実団交を繰り返しながら、三月下旬には希望退職者募集等を強行し、四月一日にはテスタ部門のアドバンテストの子会社への営業譲渡とこれに伴う一八五名の労働者の移籍を強行しました。
都労委と横浜地裁川崎支部では、東芝がアジア社のテスタ部門の営業譲渡を計画、主導したことをしめす、東芝・アジア社・アドバンテスト間の覚書(案)等を提出したりしながら、東芝の責任ーアジア社の存続と再建についての責任、労働者の雇用を確保する責任ーを追及することを中心に、調査と審尋を進めました。
JMIUは、東芝本社への抗議行動等を強めながらアジア社と自主交渉をおこなっていましたが、自主交渉での合意を受けて、一一月八日、都労委で、JMIUとアジア社との間で、和解協定を締結しました。
和解協定書の内容は、「@会社は、本件リストラの実施により、従業員に多大な苦痛を与えたこと等を謝罪する。A会社は、全ての労働者の雇用確保の経営責任を果たすため、最大限の努力を払う。
B会社は、事業所の閉鎖・移転・統廃合および会社解散については、組合と事前協議する。C合併・営業譲渡など企業組織の変更等を行う場合で、組合員の雇用・労働条件に影響をおよぼす場合には、組合と協議の上行う。D会社は、組合に対し、解決金を支払う。E会社は、東芝が、アジア社の再建と経営の安定を希望する旨表明したことを確認する。」等というものです。
この和解協定締結に伴い、東芝は、アジア社に次期社長を派遣することとアジア社の資金繰りを援助することを約束しました。
リストラ計画発表前に四八四名いたアジア社の労働者は、一八五名がアドバンテストの子会社に移籍し、一五九名が雇い止めと希望退職者募集で退職し、現在一四〇名(正規従業員一一二名、定年後嘱託者九名、パートタイマー一九名)の労働者がいます。
営業譲渡等の強行を許したのは残念でしたが、アジア社に会社再建、雇用確保を約束させ、東芝に社長派遣等の協力をさせることが出来たのは大きな成果です。
アジア社の労働者にとっては、これから、会社再建・雇用確保の実質をつくっていく新たな闘いが始まります。
東京支部 中 野 和 子
一 一一月二四日、午後五時一五分、原告一五七〇名の東京訴訟の和解期日が始まり、三〇部の福田裁判長は、三年で全国三八地裁・支部の訴訟を終結に向かわせた皆さんのご努力に敬意を表すると述べた。右陪席は、求められて、「全国の訴訟を一挙に解決していただいてありがとうございます」と述べた。左陪席は、「着任早々に一〇〇〇通あまりの陳述書の山、主張整理、一年に及ぶ和解交渉が、東京地裁での最後の登庁日の最後の事件として終了させていただいてありがとうございます」と目頭を熱くして述べた。左陪席は未特例判事補であり、翌週から外部に研修に出るため、被害者弁護団も無理をしてこの左陪席の最後の日に和解期日を設定したのである。
和解内容は、全国の原告総数八九二四名、被告信販会社九社との間で、@未払金九二億円のカット、A既払金五九億円のうち、和解金として二五億円を支払う、Bダイヤは全て信販会社が回収し購入価格の一五%以上を支払った原告に対し購入価格の七・二%の代金を支払う。C破産債権を被告信販に譲渡する、である。三名提訴したうち、二名の役員とも既に和解ができていた。
二 ココ山岡事件は一九九七年一月、突然の破産宣告で始まった。多くの若者が五年後の買戻約定を信じて、アンケートでキャッチされ長時間勧誘の束縛から逃れたい一心で契約をしてしまっていた。二〇パーセント以上という非常に高い解約率(通常は二パーセント程度)があり、被告信販(日本信販、オリエント・コーポレーション、クオーク、ライフ、セントラルファイナンス、ファインクレジット、アプラス)は、キャッチセールスまがいの長時間拘束商法の問題を熟知していた。従って、五年後の買戻しを行う顧客が膨大な数に上ることも予見可能であった。ココ山岡被害者東京弁護団は、三月頃から被害者説明会を開いて対策を練ってきたが、信販らは裁判外の交渉には全国統一した解決をしたいという理由もあり、和解に消極的であった。破産管財人は、多量のダイヤの在庫を処分することで多額の財団を形成することは可能であったが、顧客被害者の債権届出は売買契約上の特約という範囲でしか認めようとしなかった(しかもダイヤ価格を二五パーセント差し引いて)。
一九九七年一〇月一六日、全国一斉提訴の方針が決まった。東京弁護団はココ山岡の買戻商法は詐欺による不法行為であると損害賠償請求を主軸にして、あくまでも既払金返還を求めた。他の弁護団は、信販ごとに訴訟を分けたり債務不存在確認訴訟のみを提起したり様々な工夫をしたが、東京は、危険の分散は考えず訴訟追行の手間を省き、かつ買戻商法の全体像が見えるようにすべての信販を共同訴訟で提訴し、第二次訴訟からは役員三名を追加して同一の部に併合を求めた。
三 第一回からクレジット契約内容のすり合わせと書証の提出を先行させていた。初期の段階から、クレジット申込書などは書証として不要、販売マニュアルがあるのだから販売はそれに従って行われたという推定がされるという裁判所の考えが示され、被告信販側の個別の不法行為を明らかにせよという主張を排除した。しかし、立証としては一五七〇名のうち一二八三名の陳述書(アンケート方式)を提出し、五年後買戻特約がなければダイヤを買わなかったことの立証に努めた。ココ山岡の役員二名の刑事訴追も行われ、詐欺罪で起訴されて刑事裁判も開始された。その中で、一九九二年三月の決算を見て(売上高が最高になったから)五年後には(買戻しが急増して)倒産するのではないかと思ったと役員の一人は述べていたことが明らかになった。
一九九九年九月、論点整理の後、裁判所から和解勧告が行われ、原告一人いくらと決めるのではなく、破産配当を原資として原告全体に被告信販側全体からいくら払うという形の和解を示唆された。これは、原告弁護団が原告に対する配分を決めればよく、被告信販は関与しない、原告団全体として金額を受領するというもので、画期的な内容であった。その後、裁判所は原告と被告との意見を三か月半にわたって聴取し、二〇〇〇年一月一九日、A4版で二三ページにわたる和解提案書が提出された。この段階では、@未払金は全額カットすること、Aダイヤは被告信販に引き渡すこと、B既払い率の高い被告信販は和解金を支払うこと、C購入価格の一五%以上支払った原告の分についてはダイヤ売却価格を原告側に支払うことが提案されていた。その後、管財人の同意(ダイヤの価格を購入価格の一五パーセントと見ること及びクレジット総額を被告信販或いは原告らの破産債権として認めること)を得ることができ、同年三月一五日には、最後まで抵抗していた被告クオークが和解の基本方針を了承し、具体的な作業が始まった。その後、和解対象の原告をどの範囲にするか、ダイヤの買取価格をいくらにするかの交渉の末、同年七月六日、基本合意書をかわしダイヤの回収・検品作業を夏に行った。その回収率は九割を超え、管財人との債権者及び債権額確定作業を経て一一月一〇日、基本合意書に基づく確認書をかわし、前記和解金が確定したのである。
四 ココ山岡事件和解の特徴は、(個別の原告にいくらということではなく)全原告に対して各被告信販が和解金を支払ったこと、その結果、原告弁護団が全原告に公平に配分する計算をしたこと(既払い金の約四二%)、管財人を説得して破産債権を認めさせそれを和解金原資としたこと、未払金を免除し事実上割賦販売法第三〇条の四の抗弁を認めた以上の成果を獲得したことである。
全国の弁護団は民主的に討論し、発言の多寡はあるものの、全弁護団納得の上での統一した解決をすることができたことも画期的であった。その中で多くの団員も統一解決に向けて努力していただいており、感謝したい。
弁護団だけでなく、被害者本人も被害者の会を結成し、東京、横浜、仙台、大阪、神戸など、劇をつくったり、集会を開いたりして被害救済を訴えた。
また、今回、新民事訴訟法になってすぐの提訴であったので、大規模事件の特則のフロッピーで渡すであるとか、当事者照会、宣誓供述書の作成、書面和解などの手続を活用した。弁護団としても、メーリングリストを利用して意見交換をしたり、全国の原告約九〇〇〇名の個別データを集め一人一人への配分を計算するなど、コンピューターを駆使しなければ解決できなかった事件であった。
このような大量消費者被害事件に全国多くの団員が関与しておりこれも団員の活動の内容であることを知っていただきたく、この趣旨で事件報告をするものである。
東京支部 西 嶋 勝 彦
日弁連は、受刑者の処遇をめぐって法務省矯正局と勉強会を続けている。
その一環として、共同で海外の刑務所調査をしようということになり、本年一一月上旬イギリスとドイツの刑事施設等を視察した。一行は、私を含め一〇人(内現地の大使館付検事一、通訳一)。
犯罪者の処遇に、かくも彼我の差があるものかと感じたので、二、三のエピソードを記したい。
〔面会・手紙・電話〕
イギリスでもドイツでも、刑を受け、一定期間施設に閉じ込められること自体が自由の制限と考えられ、それ以外の面では可能な限り外部世界と交流できなければならない、という思想が徹底している。
面会も金網やプラスチック板ごしではなく、遮るものは何もなく、抱き合うこともキスもできる。看守は遠くから見ているだけである。
受刑仲間に犯歴を誇っていた若者が居た。ある時母親が面会に来た。弁解がましく息子はあれこれ語った。一わたり息子の話を聞いていた母親は、ピシャリと息子の頬を叩いた。「いいかげんに目を覚ましなさい」。息子の所内での立場は一変した。
内部の公衆電話から外部への電話もカードで自由にかけられる。手紙も検閲はしない。
重警備の施設でも、原則としてこのような処遇である。
勿論、銃器や麻薬の持ち込みには厳しく、何人も受付でベルトを外され、ボディチェックされ、施設の内外に麻薬犬が配置されている(ロンドンのベルマーシュ重警備刑務所)。禁を犯している蓋然性があれば手紙は検閲され、電話もモニターされる。
一人でも一件でも違反が発生しないように、一率に全てを制限し、出所間近かの成績優秀者のみ解除=自由にする(それでも電話は許さない)日本での扱いとは、正に逆転している。
麻薬を受刑者が入手するルートの一つとして、面会時のキスがある。しかし、この場合でも当局は、全ての面会を接触できない方式に切り替える、という方針を決してとらない。違反者には、次からの面会方式を改めることで十分というわけである。
〔外部通勤、外出、外泊〕
市街地にある開放施設では、外部通勤が常態である。従前の勤務先への通勤も多く、職を失った者でも職安の紹介で新たな職場へ通うケースもある。職につけない者には、職業訓練や施設で用意した軽作業がある。
外部通勤者は、一日八〜一二時間施設に留まる義務が課される外は自由であり、仕事の帰りに映画を観ても、家族・友人と外食してもかまわない。但し、アルコールと薬物はご法度である。
大方は、外で材料を買い込み施設内の冷蔵庫もレンジもあるキッチンで調理する。
加えて、週末の外泊や年休二一日が付与されており、その間の国内旅行は届出さえすれば自由である(ベルリンの刑務所)。
広い農場をもつ郊外にある開放施設では、塀も柵もなく、施設内のプールには地元の児童が通い、受刑者が水泳を指導する光景も見られた。週末には、外出が許され、地元民との交流もさかんという(ロンドン郊外のスタンフォードヒル刑務所)。
当然のことながら、これら開放施設では、逃亡する者も出てくる。
しかし、大半は数日中に逮捕され、警備の厳重な施設へ移される。
逃亡者が年間四〇人以内であれば、施設の責任は問われず、世論も騒がない(ベルリンのハーケンフェルデ刑務所の場合。イギリスでも似たような状況である)。
一人も逃がしてはならないといって全ての施設の警備を厳しくし、逃亡者が出れば施設幹部の責任が問われ、マスコミも大騒ぎする日本とは大いに違う。
そんなに自由が認められるなら、実刑にせず社会内処遇(執行猶予)にした方がよいのではないか?この疑問に答えて、ハーケンフェルデ刑務所の所長いわく―施設内に戻る義務を科されていることは自由を損う苦痛である。開放処遇といえども刑罰権の行使として必要なのだ、と。
〔所内生活あれこれ〕
受刑者が生活する居住空間(ウイング)の入口は、外部と遮断する鉄の扉があるが、各自の房からその廊下への出入は自由であり、廊下やリビングルームでの受刑者同士の対話はもとより、チェス、ダーツ、玉突きの台があれば、その使用も自由である。房内にはヘアー丸出しの写真が貼られ、テレビや身の廻りの持込み品がところ狭しと並べられていた。作業中を含めて、私服も自由である。
房の扉に錠がかかっている前で、私は奇異に思い案内者に説明を求めた。彼は「自室に他の受刑者がみだりに入らないようにしているのです。我々も、合カギで入れますが、出来るだけ房内をのぞいたり、立入って検査したりしません」と答えた(ベルリンのテーゲル刑務所)。プライバシー尊重の精神極まれりというべきだろう。
我々がウイングに入り、各室を外から観察していたら、ロンドンでもベルリンでも日本語で話しかける受刑者がいたのにはびっくりした。日本では、受刑者は見学者と視線を合わせてもいけないし、会話するなど言語道断である。
これには後日談がある。何故多くの者が昼間から房内やウイングの廊下でブラブラしているのかが話題になり尋ねたところ、実は作業がなくて「自由時間」と称して待機させている、ということであった。
日本の保護司に相当する者(女性)がウイングに入り、出所後の希望等を受刑者に聴いている場面や、女性の看守や作業指導員が事務棟や作業場のみならず居住区内をも男性の囚人に交じって闊歩している姿に接し、自由度と女性の進出に目を見張ったものである。ロンドンの重警備のベルマーシュ刑務所でも二三%が女性職員であり、帰り際に現われた三六才の長身の美人が刑務所長であると判った時は、信じられぬ思いであった(握手できたのは記念品の授受にあたった私一人であった)。
受刑者の処遇にかかわる者が、当局の正規職員だけでなく、教育を委託された外部のカレッジのスタッフ、出所後の面倒を見るNGOのスタッフなど多数に上ることも感心したことの一つである。彼らは、職員に伍して、施設内でのびのびと活動していた。
外部との交わりを極力回避する閉鎖的な日本の行刑事情とは異なっている。もっとも、犯罪者や刑務所に対する一般社会の考え方の違いを少なからず反映しているからかも知れない。
〔刑務作業と対価〕
日本では、刑法典が実刑を懲役と禁錮の二本立てにしている関係からか、懲役囚には労働が義務付けられ、その対価は作業賞与金としてわずかな額が釈放時に恩恵的に支給されてきた。現在の月額平均は三三〇〇円である。帰郷旅費に消えたとか、出所後日経たずして生活費に事欠いて刑務所に舞い戻るという話しは良く聞くことである。
ロンドン郊外に本部をおくナクロ(釈放者の職と住を斡旋するNGO組織)の理事長ヘレン・エドワーズ女史も出所後の当座の生活費は絶対に必要であり、職と住のない者に更正の道はないと言い切った。
労働に見合う対価、すなわち賃金制を採用すべきではないか。日弁連メンバーは、この問題意識で、各刑務所での作業と報酬に注目した。
ドイツ(連邦制のため各州で若干の差がある由)では、月平均一万三千円台(一般労働者の五%)であり、イギリスでも月平均八千円〜一万円であった。しかし、そのドイツでも、連邦憲法裁判所が違憲とし、政府は二〇〇〇年度中に一般労働者の平均賃金七%に引上げることにしているが、再度の違憲判決は免れないだろうと行刑当局の幹部自身が述べていた。
隣国オーストリアでは、既に賃金制に踏み切っており、後続する国が増えている。
もっとも、イギリスもドイツも作業量の確保に頭を痛めている。仕事がなければ、手当を支給して補償することになる。
賃金制といっても、住居と食費相当額、各種保険料、被害者賠償(基金)への積立などを控除する立場が支配的であり、労働者平均又は最低賃金の二〇〜二五%以下に留まる。言い換えれば、出所時手にすることのできる自由な金を飛躍的に増やすには、賃金制が説明し易く合理的と思われる。予算上も、年間一四〇億円台の作業収入を還元する程度でよいのである。
海外調査を終え、法務省との勉強会はさらに続いていくであろう。
なお、この視察の詳細は近々公刊される日弁連と法務省の共同調査報告書を、その概要については日弁連新聞一月一日号折込み「拘禁二法案対策本部ニュースNo.77」をそれぞれ参照して頂きたい。
(日弁連拘禁二法案対策本部事務局長)
東京支部 坂 井 興 一
小生は今期東弁から選出されて日弁連理事となっています。これは一二月臨時理事会(一二/五)用に発言代わりのものとして日弁連宛提出したものです。ご一読頂ければ幸いです。
取り急ぎ実践的であることを旨とし、整理されたものではありません。
1、日弁連会長談話について
まず、中間報告への概括的な評価として、一一/二〇会長談話は、談話の性格上やむを得ないものかも知れませんが、訴訟費用の点以外が些か手放しに近いものになっているように読めます。一一/一臨時総会に於ける相当数の批判意見のこともあり、連合会の正規な態度表明は、課題と切り結ぶ姿勢をもっと打ち出すものであって欲しいと思います。
東京支部 盛 岡 暉 道
しかしとにかく、この小学校での「平和文化教育」の授業参観は、予想外の収穫でした(こういう「平和文化教育」のことは早乙女さんの本にも出てきません。おそらく早乙女さんが行ったときには、まだこの「平和文化教育」は始められていなかったためだと思います)。
確か小学五年生の女生徒ばかりの(男生徒もいるのですがこの時間はたまたま工作か何か他の授業と重なって参加していませんでした)一二人ほどが、それは質素な教室で(敗戦直後の私たちの教室を思い出しました)、机を丸く並べて、静かに平和についての討論をしている最中でした。若い女の先生は国連大学の職員だとか聞きました。池田団員の報告文ではコスタリカは一九八〇年に国連大学を誘致したとありますから、やっぱり聞き誤りではなかったようです。この先生や後から顔を出してくれた学年主任のような先生が授業を中断して話してくれたところによると、この「平和文化教育」は三年ほど前からの取り組みで、先ず先生を教育することから始めたといいます。
戦争を起こさないためには、個人の心の中の平静さが大切だと言うことを生徒達同士の議論の中から認識させていくことが授業の眼目のようでした。国と国との争いだけでなく、コスタリカの国内部の争い、家庭の中の争い、クラスや友達の間での争いについても、みんな取り上げて、討論するのだそうです。大体一年間で、平和についての認識が出来るそうです。この授業が、単なる「平和教育」ではなく「平和文化教育」と呼ばれていることは示唆的だと思いました。授業の終わりには、私たちから生徒達に幾つか質問させてもらいましたが、例えば「兄妹喧嘩や親子喧嘩のときはどうするの」には「むずかしいけど、なんとか話し合うように説得する」、「今一番何がほしいですか」には「世界中が戦争をやめて平和になること」という答えが帰ってきたりしました。みんな、てらいがなく、自然な態度で、はっきりと喋るのが印象的でした。授業が終わると、生徒達は一斉に私たちのところに寄ってきて、てんでにノートを差し出して、自分たちへのメッセージとサインを書いてくれるように求め、私たちの書く珍しい日本文字に大喜びでした。私たちの文字は、先生達を含めおそらく誰一人読めないでしょうが、それは例えば私たちがアラブの人たちに目の前でアラビア文字を書いて貰った場合の驚きと喜び(あれは右から左に書くのです。知ってました?)と同じでしょう。きっと彼女たちの小さな宝物になったと思います。
私たちの方も「清原選手にでもなったような気分だった。」と言う者もいて、大変いい気持ちになりました。
誰かの「この近くにあるらしい」という急な思い付きで、アポイントなしでコスタリカ最高裁判所にも寄りました。
最高裁判所といっても、あの映画「日独裁判官物語」で見たドイツの最高裁判所同様、質素な建物で、昼休み時間に予告なしに訪れた私たちのために、女性の書記官の人が、大法廷の扉の鍵を開けてくれて、「禁止されてはいるのですが」と言いながら、私たちが二〇ほどある裁判官席にてんでに腰掛けて写真を撮り合うのを黙認してくれた上に、私たちを裁判官席に座らせたままで「何か質問があれば、分かる範囲でお答えします。」と、三〇分近くも丁寧に色々説明してくれました。
彼女によれば、この大法廷は、裁判所の合議専用の場所であって審理の場所ではなく、しかもその裁判官の合議をしているところを、一般の(あるいは訴訟関係の?)市民が傍聴することができるのだそうです(もっとも、これは、通訳のマルティネスさんが、自分は動植物学専攻で英語の法律用語はよくわからないがといいながら英語に訳してくれた説明なので、正確かどうかは保証の限りではありません)。何にしても、いきなりやってきた外国人でも気軽に大法廷の中に入れて、昼休み時間を潰して色々説明してくれる書記官を持っているコスタリカ最高裁判所の気さくさに、一同完全に脱帽してしまいました。
この日の最後に、もうそうとうくたびれて来た体に鞭打って、私たちはコスタリカ訪問の一番のお目当てであるアリアス平和財団事務所を訪問しました。
ご存じのように、ここは当時のコスタリカ大統領としての中米和平への外交努力を評価されてアリアスさんが一九八七年に受賞したノーベル平和賞を基金として設立されている財団の事務所です。
ここで財団事務局長のヘルナンドさん(五〇歳代?の男性)から二時間ほどあらまし次のような話を聞きました。
「コスタリカは、もう五〇年以上も軍隊を持っていない。
コスタリカは、中米地域全体の非軍事化を推し進めている。
しかも、コスタリカが隣の国々に働きかけた結果、南隣のパナマは一九九四年に軍隊を廃止する憲法になったし、北隣のニカラグワは一九九〇年に八万人の軍隊を一万五千人に減らした(!)」(恥ずかしいことに、私にはこれも初耳でした。今、一九九六年版の「ミリタリー・バランス」を見たら、なるほど、パナマ(人口二六六万人)は「国家警察隊一万一〇〇〇人 重装備を保有せず、小火器のみ」、ニカラグワ(人口四二一・二万人)は「総兵力 現役一万二〇〇〇人 陸軍推定一万人 海軍推定八〇〇人 空軍一二〇〇人」などと書いてあるではありませんか。私たちは、中米でも最も貧しい国であるハイチ(人口七〇九万人・GDP一人当たり一〇〇〇ドル未満 なおコスタリカは六五〇〇ドル)などを選んで、軍備の廃止を呼びかけている。(「ミリタリー・バランス」では「一九九四年ハイチの軍事政権は、文民政権に代わった。軍隊と警察は解散され、三〇〇〇人からなる暫定公共治安部隊が編成された。」とあります)。ホンジュラス(人口五九二・四万人 GDP一人当たり二一〇〇ドル)も政権は軍隊と政府が分離された(「ミリタリー・バランス」では「総兵力一万八八〇〇人」)。そうすれば教育も推進できる。単に非軍事化だけでなく人権問題、環境問題にも取り組んでいる。環境問題には性差別も含めている。紛争は女性と子供を一番苦しめる。このようにコスタリカは中米の国々に積極的に働きかけている。」
(それらの国々から内政干渉だといわれないのかという私たちの質問に)
「私たちは、一人の中米人として(つまり一市民として)それらの国々に出掛けている。何度も何度も出掛けて対話するのだ。GNPの五%を識字運動にまわす、予算を人間作りの基盤整備、社会保障にまわすことを呼びかけている。こうして未だに貧しい国でも、予算を教育に回すことが出来る。その国その国特有の安全保障問題を取り上げて対話している。たとえばパナマの米軍基地問題、ホンジュラスの軍隊と政府の分離キャンペーンなど。ヨーロッパのスイスやオランダなどからの資金援助を得てこの運動をやっている。
(コスタリカは軍事条約である米州相互援助条約=通称「リオ条約」のおかげで自分の国を守っているのだという者がいるがという質問に)
「そのとおり『リオ条約』は大切な条約なのだ。この条約は米州諸国に対する米州以外の国からの脅威に対処する目的の条約であるが、加盟国の米州国が他の加盟国の米州諸国の安全を脅かした場合にも発動される。コスタリカも、ドミニカの一九六九年の内戦では四〇人の警官を派遣した。米州では、こうした紛争は避けることは出来ない事実である。それはニカラグワからやってくる雨や嵐と同じ。だからこそ、何よりも米州条約加盟国の経済格差をなくし、経済を復興させなければならない。」
(一九五九年にコスタリカが、ニカラグワとの国境紛争に備えてアメリカから一機四ドルで購入した四機の戦闘機は、今、どうなっているのかという質問に)
「バラバラの部品に分解されて、日本の業者にでも買い取られたのではないか。日本の業者はそういうことに長けているから。」
(コスタリカはなぜニカラグワから沢山の移民を受け入れているのか。そんなことをすると治安も経済も悪化するのではないかという質問に)
「人口三五〇万人のコスタリカに、現在ニカラグワから一〇〇万人の移民が入国している。このうち五〇万人は合法的な入国者、あとの五〇万人は非合法の入国者だ。しかし、コスタリカにいるニカラグワ人による犯罪の発生率がコスタリカ人自身による犯罪の発生率よりも大きいという事実はない。ニカラグワからの移民によってたしかに経済は苦しくなるが、しかし、私たちはニカラグワの人たちをまったくの他人とは思っていない。そもそも米州諸国は、この地帯に住む私たちをスペインなどが自分たちの都合で作為的に細かく分断して作り出した国家なのである。やがては、私たちはいつかニカラグワの人たちと同じ国の国民同士になるかも知れない。将来同じ国の国民になるかも知れない人たちに冷たい扱いはしたくない。ニカラグワが発展することがコスタリカが発展することなのだ。」
ヘルナンド事務局長さんの話の最中に、元大統領のアリアスさんも顔を出してくれましたが忙しくてすぐ退席されました。服装からして元大統領とかノーベル賞受賞者とかといった雰囲気は感じられない本当に控えめな物腰の方でした。
私たちは、ヘルナンド事務局長さんを囲んで記念写真を撮った後、小学校での授業参観やヘルナンド事務局長さんの話などで、コスタリカの平和政策の原点を知らされた思いを抱きながら、ホテルへ引き揚げました。(続く)
市民問題委員会委員長 赤 沼 康 弘
二〇〇〇年一一月二〇日の市民問題委員会の報告です。
一 骨抜きにされた消費者契約法
平成一二年四月二八日、消費者契約法と金融商品販売法が制定され、二〇〇一年四月一日から施行されることになっています。これをふまえて、この法律に関する解説書を出版した高畑拓団員に報告をお願いしました。
金融ビッグバンにより国民の金融資産を投機資金などに取り込む動きが激しくなる中、一般市民を守るための有効な武器となるはずだった消費者契約法は全く骨抜きにされ、消費者の保護を目的とするものから、「消費者取引の領域に新たな包括的民事ルールを制定するもの」に変容させられてしまいました。市場整備のための民事ルールを制定するにすぎないから規制緩和政策にも反しないが、つくるものはその限りのものにとどめるというわけです。
このため、事業者の責務は努力義務に格下げされるとともに、驚いたことに「消費者の役割」として、みずからすすんで消費生活に必要な知識を修得し、自主的合理的に行動するよう努めよという消費者の努力義務規定が設けられているのです。事業者も消費者も対等な当事者としてルールを守れという新自由主義の発想が示されています。また、民事ルールの制定ですから、取消などができる場合というのは既存の民事法理論でも可能なものばかりです。かろうじて賠償免除規定の無効や損害賠償額の予定に対する規制が役に立つというところでしょうか。
また、金融商品販売法は説明義務に限定されていますので、これも既存の法理論をこえるものではないように思われます。
金融ビッグバンの下、今後消費者被害がさらに拡大していくことが予想されます。消費者契約法は、これに対抗する法的武器としてはあまりに不十分です。
幸い附帯決議で五年後に見直しがされることになっています。五年後に向けて、消費者契約法の問題点と消費者の立場に立った解釈論を展開し、発展させる必要があります。
二 住宅宅地審議会答申ー生涯借家契約の浮上
報告者は住宅問題の専門家、榎本武光団員です。
平成一二年六月二一日、住宅宅地審議会が一年九ヶ月の審議の後、最終答申を出しました。
ご多分にもれずこの分野でも新自由主義の徹底がはかられ、公的主体の役割は市場の環境整備にあるとして、公共住宅政策は片隅に追いやられました。都市再開発、公共住宅の建て替えを推進し、不動産証券化、さらに定期借家の利用促進を図るなどと述べています。もっとも現在の深刻な不況の下では、このような提言はかけ声だけになるのではないかとも思われますが、不況打開のためにこの面でのてこ入れがなされ、その結果借地借家紛争が激増するということもないわけではありません。
またわが国社会の高齢化をふまえて、高齢社会に対応した居住システムの確立をうたっていますが、問題はそのなかで「生涯借家契約」(借家人一代限りの賃借権)のあり方について検討すべきだとしている点です。前回の定期借家制度導入論議の際にも生涯借家契約を導入せよという推進意見がありましたが、今後この面での借地借家法改悪の動きが急になる可能性があり、警戒しなければなりません。