南九州支部(宮崎県) 西 田 隆 二
一 一九九八年二月、宮崎市内にある「老舗」の精神病院の労働組合から相談を受けた。自前で行っていた病院給食を、経営者が一方的に外部業者に委託することを決定し、五名の給食婦(組合員)が解雇されると言うのだ。御時世の「リストラ」で、経営問題も含めた難しい事件になると思って聞いていたが、@法人が出した資料でも給食部門は黒字とのこと、A給食婦の皆さんの勤務状態は真面目で、管理職も団交の席で「よくやってくれている」と述べる状態とのこと。(なんかおかしい?)B同病院は、全ての国会議員が自民党という保守王国宮崎の中で、数少ない労働組合のある病院で、これまで諸権利を獲得してきているとのこと。C給食婦の大半が組合員であるとのこと。
結局、体のいい組合攻撃の臭いが見えてきて、断固闘うことになり交渉から入ったが、法人側は同年四月末外注委託、解雇を強行してきた。
二 仮処分決定
当地の年森俊宏団員と二人で弁護団を組み、ゴールデンウィークの相当部分を返上して準備にかかり、五月七日には地位保全の仮処分申立をした。
前記のとおり、経過が分かりやすかったことと給食婦の皆さんの真面目さが伝わったからか、二回の審尋が開かれただけで、六月一九日には、ほぼ満額で従来の給与の仮払いが認められた(昨今の新民訴の審理促進の影響も大きいと感じた)。
三 本裁判
このような流れの中、争点が明確だからとの裁判所の所見を有利に受け止め、労働事件では異例の集中証拠調べに同意し、一九九九年二月一二日、証拠調べを一日で終えた。不安もあったが、幸い見通しどおり、法人側は有効な弁解はできず、却って、一族である役員の報酬が高いことや法人が引用して経営危機を訴えていた資料が精神病院のものではなく一般病院のものであり不正確であること等が明らかになり、最後には「現職員はよくやってくれている」と現場の管理職が発言していたことまで認めざるをえなかった。さらに、御本人達の証言は誠実で、家庭と両立させながら一生懸命病院のために働いてきた様子がひしひしと伝わり、感動を呼んだ。
四 和解勧告
その後裁判所からの和解勧告を受け、数ヶ月にわたって協議を続け煮詰まった中で、裁判所から和解案も出されたが、不当にも法人代表者がこれを拒否した。和解不調となった日、裁判所は次回最終書面提出の予定も聞かずに直ちに判決日を指定するという固い決意を示された。
我々としては勝訴を確信したが、それにしても今後の解決までの展望を考えると暗い気持になった。勿論一番暗い気持になったのは、一部自主退職も含む裁判所和解案を受け入れようとしていた原告ら五名であった。
五 勝利
ところが、判決日がいきなり指定されたことからか、再び法人側から和解の打診があり、組合上部団体の支援も得て裁判外で粘り強く交渉を進めたところ、判決日間近に事態は急転して五人全員復帰の方向が固まり、無事平成一一年一〇月中旬、五人全員の職場復帰が実現したのである。
六 教訓
多くを書きたいところであるが、敢えて絞れば、@何と言っても七〇%近い組合の組織率による団結の力、A日本医労連、九州医労連が上部団体として機敏な対応、指導を適宜行ったこと(裁判資料等きわめて適切に用意してもらった)、Bそして、何より問答無用で解雇した使用者への素朴な怒りを本人達、組合、そして弁護団が大切にして闘ってきたことだと考える。
現在、私は、この他に解雇事件を三件、地労委賃金差別等申立事件一件、過労死労災申請三件と多数の労働事件を抱えている。
今回の勝利を力に、遅れた地方からこそ、労働環境改善の声をあげていきたい。
熊本支部 寺 内 大 介
一 事案の概要
濱田重工事件というのは、「熊本工場は他の支店とは業務内容が違うから、転勤はありえない。」と言われて入社した濱田重工(新日鉄の下請け会社)熊本工場の労働者二〇〇人中三五人に対して、リストラの一環として千葉の君津支店に転勤命令が下され、これを拒否した労働者を懲戒解雇に付したという現代の典型的なリストラ型解雇事件である。
詳しくは、団通信九六四号を参照していただければ幸いである。
解雇されたうちの六人が職場復帰を求めて仮処分を申し立てていたのであるが、熊本地方裁判所民事第二部(合議)は、一九九九年一二月二八日、六人全員の解雇無効を認める決定を下した。
二 争点
法律上の争点は、@労働者の勤務地を熊本とする勤務地限定の合意があったか、A解雇が相当といえるかの二点であった。
三 決定要旨
1 決定は、@勤務地限定の合意については、就業規則に会社の転勤命令権が明記してあることを理由に、これを認めなかった。
2 しかし、解雇の相当性については、次の四点から転勤命令に相当性がなく、したがって命令拒否を理由とする解雇を無効とした。
(1)熊本工場の売り上げダウンがあったとしても、その後の回復傾向を見ると、経営判断が誤っていた可能性がある。
(2)転勤の人選が適正であったかどうか明らかでない。
(3)転勤命令に応じたのが三五名中三人のみであることからすると、転勤による労働者の不利益も無視できない。
(4)双方が平行線の交渉を続けたことからして、十分な交渉がなされたとは言い難い。
四 決定の意義
全国的にリストラの嵐が吹き荒れる中で、本決定は、「安易に労働者の首を切ってはいけない。」という警鐘を、裁判所自ら鳴らしたものである。
また、「労働者が会社の転勤命令に従うのは当然だ。」という会社本位主義に対しても疑問符を投げかけるものといえよう。
五 六人全員の職場復帰について昨年米子で開催された団総会で訴えをさせていただいた上、多くの団員のみなさんに物心両面にわたるご支援をいただいた。この場を借りてお礼を申し上げたい。
仮処分決定が出たとはいえ、濱田重工が六人を職場に戻すかどうか、予断を許さない。
さらに世論で濱田重工を追いつめ、六人全員の職場復帰を勝ち取るまで闘い抜く決意である。
千葉支部 小 林 幸 也
地労委、中労委での労働者委員の差別選任の取消を求める訴訟が各地で係属してきたが、昨年六月三〇日に言い渡された一九九〇〜九四年の千葉地労委労働者委員選任処分取消訴訟での東京高裁判決は、これまでの同種判決を一歩前進させる内容となった。
これまでの同種判決は、委員候補者を推薦した組合の処分取消に対する原告適格を否定するとともに、知事の裁量を広範に認めて差別選任に対する裁量権逸脱を認めなかった。本件は判決時に選任取消が損害賠償請求に転じていたため原告適格の判断はなかったが、裁量権逸脱についてこれまでの判決よりも踏み込んだ判断をした。すなわち、この種判決として初めて、「積極的にある系統に属する組合の推薦する候補者を労働者委員から排除することを意図して、その系統に属する組合の推薦にかかる候補者であるというだけで選任しない」ことが、知事の裁量権逸脱の類型にあたると明示した。
事実認定についても、ナショナルセンター再編前後で労働者委員の選任基準が変わったと窺われること、県商工労働部の担当者が候補者のどのような点を重視して選任したのか何ら明らかにしないことなどから、「控訴人らが平成2年の選任処分及び本件各処分は千葉労連に属する組合の推薦に係る者を労働者委員から排除することを意図してされたのではないかとの疑念を抱くことには相応の理由があ」り、このような選任が永年にわたって繰り返された場合には差別選任がなされたとの推認が強く働き得ると判示した。
残念ながら今回の判決は三五期選任時、連合独占がまだ連続三回だったことなど、裁量権逸脱のあてはめで屁理屈を持ち出して知事の差別選任を認定しなかった。しかし、この判決の論法は連合独占が回を重ねるほど知事の差別選任を認定せざるを得ないものであり、今後の差別選任是正に生かせる面がある。
一審千葉地裁での他に例を見ない反動判決を受けて弁護団は、控訴審において千葉労連とともに本件が千葉労連排除の差別選任であることを徹底して追及するとともに、元都労委労働者委員の戸塚章治氏の証人尋問を採用させて真の労働者委員像を補強した。このような訴訟活動が本判決を引き出したと考えている。
千葉では現在九八年の選任取消訴訟が地裁に係属しており、この高裁判決を最大限に生かしつつ運動と連携して選任取消を勝ちとるべく奮闘している。また、本判決が各地の差別選任是正の一助となれば幸いである。
幹事長 鈴 木 亜 英
司法制度改革審議会が発足して早くも半年が経とうとしている。かなりのピッチで進行し、今後の論点も定まりつつあるようだ。団は一昨年総会で「二一世紀の司法民主化のための提言案」を採択し、これを実現すべく様々な活動をしてきた。司法総行動はそのひとつである。労働争議から消費者運動まで裁判を経験した人たちの司法改革要求を裁判所をはじめ関係機関にぶつけてきた。こうした要求をまとめて、三次にわたって司法制度改革審議会にも要求書を手渡してきた。
しかし、国民の司法改革という観点からみて、団内の討議も十分であるとはいえないし、国民にあっては司法改革が論議されていることすら知らないのが実情である。私はこんな状況を打開し、国民参加の司法改革論議を早急にはじめたいと考えている。
そのためのひとつの方法として、タイムリーに製作された「日独裁判官物語」の上映会を提案したい。
こう思うようになったきっかけは、昨年九月四日、東京小平市で開かれた『「日独裁判官物語」上映会・トーク&トーク』の成功である。トークのパネラーに映画製作に携わった高見澤昭治弁護士、日立残業拒否解雇事件の田中秀幸さん、それに思想調査事件原告の私が招かれた。といっても単なるお客様ではなく、企画の段階から実行委員会の討議に加わり、集会が何を獲得すべきかを話し合った。三人「散」様では焦点がぼけてしまうからだ。
当日、映画はまず観客を圧倒したようだった。五月集会でこれを見損なった私も初めて観て、日独司法の違いに心底驚いてしまった。質問コーナーになり、映画についての感想と質問がどっと集中した。参加した誰もが一言ありそうな雰囲気が会場に漲っていた。司会者の手さばきの良さもあって、私たちもそれぞれ質問に的確に対応できたようだ。上映会を終えてからの懇親会には、たった二時間半の集いにもかかわらず、今の司法に対する厳しい批判と改革へのビジョンを共有できたことへの興奮から誰もが饒舌であった。
外国の製品は町中に氾濫し、最早、特別のめずらしさはないが、外国のシステムはやはり別である。私はアメリカで実際に陪審裁判をみたり、ジュネーヴで人権機関の関係者と度々話をしてきた経過から、欧米の人権感覚と日本のそれとの違いは多少は承知していたつもりであったが、日独司法の鮮やかな対比を見せつけられ、日本の遅れを痛感せざるを得なかった。
「官僚的司法制度」、「法曹一元」、「陪参審制度」などについて、どれ程国民の理解できる説明を私たちは成しうるであろうか。いまなぜそれを問題にしなければならないかを説得力をもって語りかけることができるであろうか。映画はそんなもどかしさをさっさと乗り越え、短時間のうちになぜ司法改革が必要か、どんな改革が準備されるべきかの論議の場へ視聴者を一気に導く。裁判と縁遠い人々をも遠慮なく論議の渦中へと誘うのである。
私は映像のもつこんな優れた面を利用しながら、これをひとつの題材にして日本の裁判を語り合う企画作りに病みつきになってしまった。以来私は人を見れば『「日独」を観たか』と気軽に問いかけることにしている。「話には聞いているがまだ」などという輩がいれば格好の餌食にして、「上映会やろうよ。ビデオ持っていくからビールとおでんでも用意しておいてよ」などと小さいながら楽しい上映会を強要している。
これまで、国民救援会の支部、労働組合、人権運動組織などが呼びかけに応えてくれた。もう十ヶ所を越えた。すばらしいオーディオシステムのあるホールもあればゴミゴミとした組合事務所もあった。しかしこの企画は場所の良し悪しを問わない。人数の多い少ないも選ばない。上映中参加者の「違う!」などという溜息を耳にしながら、私はどんな質問が飛んでくるかを楽しみに待つことにしている。トークは講演ではない。参加者の質問と対話するところからはじまる。日独の裁判官の日常生活や人権感覚、裁判所の考え方の違い…。質問はいつもとどまるところを知らない。
「市民的自由を本当に獲得するところから裁判官の独立がはじまる」、「国家権力の侵害から市民の人権を守るのが裁判所の役割」「裁判所は行政の違憲行為に敏感」などといったドイツ裁判官の声を耳にするたびに、私も天を仰いで嘆息するのである。「私の思想調査事件も是非ドイツで裁いてほしかった」と。
ともあれ、これはビールを呑みながらの楽しい試みなのである。ただし、酒食の強要を潔しとしない恬澹な団員にまでこれを勧めるつもりはない。お茶を飲みながらでも充分であろう。
日本民主法律家協会が司法改革のための市民ネットワークを立ち上げ、「日独」の千回上映運動を提起した。この度外れた回数に魅力を覚える。日本全国で千回も上映したら国民の見方もきっと変わってくるに違いない。そう思うと、ちょっとした身震いさえ感じるのである。
上映運動では団員の力に改めて期待しないわけにいかないと思う今日この頃である。
東京支部 松 島 暁
一 昨今の日の丸・君が代法制化、憲法調査会の設置など、改憲、特に憲法九条をめぐっての動きが顕在化してきている。
また『文藝春秋』九・一〇月号において小沢一郎(自由党党首)の改憲構想と鳩山由起夫(民主党党首)の改憲論が、あいついで掲載された。団・沖縄改憲対策本部においては、この動きを重視し、二つの論考についての検討会を開催した。
当日の報告及び出された問題点について、「九〇年代改憲策動」と題して、団通信上で順次報告することとなった。
当日は、小沢・鳩山改憲論の検討に先き立ち、「読売改憲試案(憲法・二一世紀に向けて)」と「『平和基本法』を提唱する」(「世界」九三年四月号)を素材に、九〇年代前半の改憲論を簡単に振り返った。
本稿は、右報告の「読売改憲試案」に関する部分であり、復習の意味でお読みいただければと思う。
二 「読売試案」は、日本国憲法の全面的改正案となっているが、以下では、最高法規性、国民主権、九条関係の三点について、その特徴と問題点を指摘したい。
第一の特徴は、「最高法規性」の換骨奪胎、憲法の権力規範から国民拘束規範への変質をその特徴とする。そもそも国家権力による人権侵害の防止とそのための権力機関の拘束にこそ憲法の本質があったのであるが、読売試案は、現行の最高法規性(一〇章)、とりわけ公務員の憲法尊重擁護義務(九九条)を廃止し、前文に移した上、「国民」に憲法遵守義務を求めるものとなっている。
第二は、国民主権の代表制への純化という点である。現憲法にはいくつかの直接民主主義的制度を有しているが、そのうちの憲法改正国民投票の排斥や裁判官国民審査の削除等、直接民主主義制度を限定し、代議制民主主義を強化する内容となっている。
第三は、九条の改正である。戦争の「放棄」を戦争の「否認」とすることにより、自衛戦争を認め、そのための組織(自衛隊)を明文で認める。また、「国際協力」の章を新設し、自衛隊の海外派遣を憲法上で認めようとするもので、公然たる海外派兵宣言である。
三 小沢改憲構想は、この読売試案と細かな点においては異なるが、重要な部分においては極めて類似しており、小沢構想が、九〇年代前半の改憲策動の延長線上にあることがうかがえる。
次号において、小部正治団員による小沢・鳩山改憲論についての報告が予定されているので、乞うご期待。
広島支部 井 上 正 信
1、超党派国会議員団と北朝鮮労働党との共同声明が一二月三日発表された。日朝両国が速やかに前提条件なしの国交回復交渉を開始し、両国間のいわゆる人道問題は両国の赤十字間の交渉に委ねるというものである。わたしはこの共同声明に全面的に賛成する。そして日本政府は共同声明の示した道筋に従って、速やかに国交回復交渉を開始するよう求めたい。
2、国交回復交渉を進めるに当たり、いくつかの問題点を指摘したい。
制裁解除
昨年八月のテポドン発射実験に対し、日本は経済制裁を発動した。KEDOへの拠出金の停止、人道援助の停止、チャーター便の乗り入れ停止、等である。KEDOへの拠出金停止は、米韓の反対に遭い一〇月に解除し、チャーター便乗り入れ停止は米朝ベルリン会議の結果を受けて解除している。私はすべての制裁を直ちに解除することを要求する。
ミサイル発射実験
仮に今後北朝鮮がミサイル発射実験を行ったとしても、我が国にとって何ほどの脅威にもならない。大事なことはこのことを持って国交回復交渉を停滞させてはならないということである。
日本人拉致問題
両国の赤十字間の交渉でも難航が予想されている。このことを国交回復交渉に影響させてはならない。
戦後補償問題
我が国は一五年戦争と植民地支配問題で何一つまともに取り組み解決していない。朝鮮半島に対する植民地支配、強制連行、従軍慰安婦問題等速やかに解決しなければならない問題である。北朝鮮を除く他のアジア諸国に対する関係では、戦時賠償済みとして逃げる論理もあり得るが、こと北朝鮮との関係では国交回復と切り離せないだけにここを突破口にすれば他の戦後補償問題も解決の展望が出てくるであろう。
3、国交回復交渉を政府の手にだけ委ねてはならない。ボーダレス時代になり市民団体や自治体によるマルチトラック外交が提唱されて久しい。戦後補償問題に取り組んでいる市民団体や平和運動団体、法律家団体、憲法運動団体などが積極的に発言行動し、両国との民間交流を促進しながら、政府の交渉を促し、両国の国交回復が単に政府間のものだけではなく、両国市民間の多面的交流の復活としなければならない。国交が回復しても根強い対日不信感を残している日韓関係の二の舞になってはいけない北朝鮮問題は常に政府・マスコミにより、国民に対し脅威論しか植え付けてこなかった。
このことが我々の北朝鮮観をいびつなものにしている。更に新ガイドライン路線推進の口実にされ、憲法破壊の安全保障政策を採らせてきた。新ガイドライン路線に反対する運動にとっても、北朝鮮とどの様な国交回復をするのかが重要である。
4、来年の今頃は新しい米国大統領が選出されている。一〇月一二日発表されたペリーレポートは、政権が代わってもレポートの路線は維持されるべきであると述べている。しかし、米国下院は共和党が中心になって、ペリーレポートに対抗するレポートを発表している。共和党から大統領が選出された場合、対北朝鮮強硬路線が採用される可能性も否定できない。我が国はこれまで対話路線をとる米韓とことなり、強硬路線をとってきた。米国の新政権が強硬路線に転じ、我が国もそれに追随すれば北東アジア情勢は一気に緊張するかも知れない。このことは我が国の国益にも反し、国民にとっても不幸である。米国の政権が交代しても我が国は独自に北朝鮮との国交回復を進め北朝鮮との緊張緩和をはかるべきである。間違っても軍事的対応を中心にしてはならない。このために様々な市民間のマルチトラック外交が必要なのである。
広島支部 山 口 格 之
一、一年前はほとんど誰も知らなかった「商工ローン」という言葉を、今やこれを知らない国民の方が数が少ないように思われる。そのくらいマスコミも取り上げたし、また実際、社会問題としても大いに深刻である。
にもかかわらず、(非常に言いにくいが)自由法曹団のこれまでの商工ローン問題への取り組みは、およそ十分であったとは言えない状況にあると思う。それはなぜであろうか。
二、この問題は、そもそも中小の事業主を起点として生じているものであり、事業主からの相談を受けている各地の民主商工会(民商)は、当然自由法曹団の法律事務所に解決を頼っていたはずである(当職の事務所でも、近時、地区の民商から寄せられる相談の大半が商工ローンを含む多重債務問題である)。
日栄・商工ファンド対策全国弁護団が結成されて一年、その二〇〇名足らずの弁護団の地道な取り組みの積み重ねがマスコミを動かし、そのスポンサーだった商工ローン業者の違法性がやっと取り上げられるに至ったが、それでもなお、個別事案における被害が十分に救済されているとは言い難い実態にある。また元日栄社員の行徳氏の言葉を借りれば、商工ローン問題に真剣に取り組もうとする弁護士が、全国で二〇〇名にも満たないのか、ということになる。
三、広島では、全国弁護団の発足とほぼ時期を同じくして事業者ローン弁護団を結成し、その後、同弁護団によって個別事件に対し統一的な取り組みを行うようになった。また被害事例の掘り起こしと市民への啓発をねらい、一一〇番活動、相談会活動のほか、同弁護団とクレジット・サラ金問題対策協議会、民商、司法書士等と実行委員会を立ち上げて連続的に商工ローンを告発するための市民集会を開催してきた。近日中には集団提訴も準備している。
もちろん広島でも、民商との連携はまだ十分であるとは言い難いし、すべての事案が解決に結びついている訳ではない。しかし、そのような、解決に向けてみなで努力するための体制は徐々に確立されつつある。
四、確かに手間はかかるし、商工ローン業者との交渉にはエネルギーを要する。今のところ「ほとんどボランティア」的な活動を強いられる場面も少なくない。また各団員がほかにも大いに社会的意義のある事件を抱えた頭の下がる活動をしておられ、超多忙であることは今さら聞くまでもないが、各地の事業者に同じ事態が発生しているのが確実であることからすれば、自由法曹団の団員の事務所でこそ、各地の民商との二人三脚による事業者、被害者と連携した活動が必要になるものと思われる。
五、また商工ローンの業者によっては、全国津々浦々の裁判所で自分たちが勝ち取った判決をもって書証として提出し、訴訟活動を有利に展開するというやり方をしており、そうなると各地できちんとした取り組みがなされないことの弊害は極めて大きい問題となっている。
ぜひ各地民商との連携と、全国弁護団への参加等による情報収集を踏まえた各地での十分な訴訟活動をお願いしたい。
以上、僭越であることを承知で問題を提起したいと思う。