団通信988号(6月21日)

京王バス・リストラ問題要請記

東京支部  田 中  隆

一 端緒と経緯
 東京支部の仕事をしていると思いもよらない問題に対処することになるもので、日産・リストラに続いて今度は京王バス・リストラ。「思いもよらない」のは、いずれも多摩地域で発生した問題で、東京北端の足立に事務所を置く筆者からするといささか「方たがえ」の観があるから。とはいえ、いずれも黙過できない重大なリストラ問題で、地域がどうのといってはおれない。
 会社分割法が最終段階を迎えていた五月下旬、地元の八王子合同法律事務所から、「分割法先取り型」のこの問題が支部幹事会に持ち込まれたのが発端。「こんなことがどうしてできる」「これができるなら分割法なんかいらなくなる」「あの日産リストラがかわいく見える」等々が、報告を聞いた幹事会の異口同音の声。ただちに取り組みを決定し、五月二七日には対策会議を組んで検討し、意見書をとりまとめて提出・発表することにした。

二 こんなことができるのか・・京王バス・リストラの骨格
 京王バス・リストラ問題の「要件事実」を列挙しておく。
@ 私鉄部門とバス部門を併有する私鉄王手の京王電鉄では、バス事業が「不採算」だとして、九七年より別会社の「京王バス」を設立して「分社化」を進めているが、ユニオンショップによって全労働者が加入する京王電鉄労組(私鉄総連)との間に「組合員の電鉄での雇用を保障する」との労働協約がある。
A その京王電鉄は、会社全体では約五〇億円という過去最高の純益を計上している(九九年三月決算)。
B 今回の「リストラ策」は、一〇〇%出資する子会社(「新バス会社」 前記の「京王バス」とは別会社)を設立して、電鉄のバス部門を営業譲渡し、バス部門の労働者約一、三〇〇人との雇用契約を「解除」して「新バス会社」に再雇用する。「新バス会社」の賃金は年棒制で、労働条件は大幅に低下する。
C その一方で、バス事業は京王電鉄地域で重要な意味を持つから、他社からの参入は許さず、バス路線は赤字路線も含めて維持する(東京の私鉄は、デパート・スーパーを含めた「地域分割」が成立している)。「新バス会社」には新規採用はせず、最終的にはバス事業はすべて「京王バス」に吸収する。
 以上が、本年四月下旬に発表された「京王バス・リストラ策」の概要である。
 ここには「企業の危機」もなければ、「赤字部門の縮小整理」もない。「リストラ策」の底流にあるのは、バス事業はそのまま維持しながら、労働者の権利と労働条件だけは切り捨てるというものであり、そのためには会社分割法・労働契約承継法すらあっさり潛脱するというあまりにも露骨な資本の論理である。
 これは京王労使だけの問題ではない。
 「分社化」とはいうものの、「リストラ策」によって設立される「新バス会社」はこれからのバス事業を担うための会社ではなく、将来のバス事業は既定方針どおり「京王バス」に託される。「新バス会社」は現在のバス労働者を移籍させ、退職を待つだけの会社であり、新規採用もなければ、新規事業も将来の計画も全く予定しない。このような「消滅するための会社」に、公共運送事業としてのモラルや使命感を期待できようはずがないだろう。
 営利事業とはいえ、バス事業は道路運送法による免許事業であり、地域住民の生活と安全を担う公共的性格をもっている。「清算事業団」というに等しい「新バス会社」にその事業を担当させようという「リストラ策」には、公共性の片鱗も認められないのである。

三 六・七要請行動とこれから
 六月七日の要請行動には、長く京王労働者の権利問題にたずさわり、意見書の取りまとめの中心となった尾林芳匡弁護士(八王子合同)と東京支部幹事長の筆者が赴いた。
 京王電鉄労組では、「役員選挙の最中」とのことで役員はいなかったが、応対した書記から真摯な対応があった。京王電鉄本社でも広報課が対応したが、「名刺交換はしない」「どこから資料・情報を手にしたか」など緊張感のただよう応対となった。
 その後行なった記者会見での報道機関の関心は相当なもので、労働基準法・会社分割法との関わりやバス事業の公共性などをめぐって踏み込んだ質問が続いた。この日もっとも活発な論議になったのはこの記者会見であり、日産リストラを追いつづけてきた経緯もあってか、記者団の労働・リストラ問題への関心と蓄積の深さがうかがわれる会見でもあった(毎日新聞が六月八日付朝刊で意見書と要請を報道)。
 京王バス・リストラ問題は、新聞報道等はされているものの、会社が「リストラ策」を公式に対外発表していない点でも、労働者の運動がまだ社会的に展開されていない点でも、日産リストラとはいささか様相が異なっている。その段階で自由法曹団が独自の調査と検討を行い、法律家の立場からの意見表明を行なったことも、構造的なリストラ攻撃へのひとつの対抗の試みと言えるだろう。(二〇〇〇年 六月八日脱稿)


刑事弁護ガイドラインの問題の所在

神奈川支部  小 賀 坂  徹

 日弁連・刑事弁護ガイドライン研究会による「刑事弁護ガイドライン研究会第二次案について」と題する文書に、「当番弁護士制度協議会」「刑事被疑者弁護に関する意見交換会」における日弁連と法務省とのやり取りが紹介されている。これによると、法務省は「被疑者国公選弁護制度導入の前提」として、@現在の刑事司法の評価、A適正な弁護活動のあり方、B弁護活動の準則制定等の三点について協議を求め、Aにつき「適正な弁護活動」とは「弁護士は刑事司法の一翼を担うものとして、真実の発見に協力しつつ、被疑者・被告人の正当な権利を擁護することである」とし、その上で、違法・不当な弁護活動の類型として「真相を解明する捜査活動を不当に妨害する弁護活動」等四つの類型をあげ、具体的な二九の事例を摘示したとある。
 これに対し、前記文書は「弁護人に期待されているのは、国家の権力行使に対するブレーキ役であり、捜査機関をチェックする権能にあるのであって、捜査を制約することは弁護そのものの使命である」「法務省が、検察官の視点に立って『捜査妨害』や『真相解明への支障』の観点から刑事弁護ガイドラインの策定を求めるのであれば、答えは断じてNOであ」り、「そのような意味でのガイドラインを制定することは、弁護士会の自殺行為であり、刑事弁護の死滅しか意味しない」と結んでいる。
 法務省の主張は、弁護人に真実義務を認め、弁護人の捜査機関へのチェックのための諸活動を、真相解明のための捜査活動に対する妨害であると対峙させ、このような活動を違法・不当な弁護活動と決めつけるものであり、言語同断としか言いようがない。
 しかし、問題が深刻なのは、法務省が右の主張を「被疑者国公選弁護制度導入の前提」として展開していることである。
 他方、本年五月一八日に発表された自民党司法制度調査会報告は、「公的刑事弁護制度の拡充」という項目を設け、次のように述べている。
 「刑事被疑者弁護の重要性に鑑み、資力に乏しい者に対しては、被疑者段階においても、一定の範囲の事件につき、本人の請求に基づき、公的資金による弁護人を付するものと」し、「被疑者・被告人を通じた統一的な公的弁護制度を創設するべきである」。その上で、「刑事弁護への大幅な公的資金の導入に伴い、適正な弁護活動を確保するため、弁護活動のガイドラインを制定し、その遵守のための有効適切な措置を講ずる必要がある」。
 ここでも被疑者段階での公的弁護制度を導入するにあたって、刑事弁護のガイドライン制定の必要が強調されており、そこで構想されているものは法務省の発想と同じものと見ていいだろう。
 被疑者段階での弁護の重要性は、多くの冤罪事件の教訓が教えるとおりであり、被疑者国公選弁護制度の実現は、いわば悲願とでもいうべきものである。
 団の司法民主化提言案においても「被疑者国公選制度の要求の実現は、国民が切実に期待している重要課題で」あり、「これを完全実施することなどを内容とする日弁連の方針を支持してとりくみます」とされている。
 その意味で、被疑者国公選弁護制度が現実の政治日程に上ってきたこと自体は、大いに喜ぶべきことではある。しかし、先に述べたような法務省や自民党の構想は、被疑者国公選制度の導入と引換に、弁護活動に手かせ足かせをはめ込み、捜査活動に対する制約になるような弁護活動を排し、実質的に骨抜きにしようとする意図がみえみえである。これは刑事弁護の根本を揺るがす重大問題であり、このような策動を絶対に許すことはできない。
 しかし、だ。問題はここからであるが、被疑者国公選制度を導入するにあたり、税金を投入するのであるから、それに見合う弁護の質が問題とされるのはある意味でやむを得ない。実際、現在の国選弁護人の中に、明らかな問題事例は少なくないのである。「刑事弁護ガイドライン研究会第二次案について(その二)」の中に、不適切弁護の実例が掲載されているが、正に目を覆いたくなるようなものが多数ある。こうした国選弁護人の不適切弁護の問題は、決して最近生じたものではない。弁護士会がこうした問題に有効適切な手段を講じてきたとは言い難い実状にあるのも事実である。ここでいう不適切弁護の実例は、接見をしない、記録を読まない、被告人が否認しているのに弁護人が事実を争わないといった類のもので、法務省の言うような「捜査妨害」の類でもなく、また人質司法、自白偏重の捜査、調書裁判といった問題ともまったく次元を異にするものである。このような実態からすれば、法務省や自民党が税金投入と引換に弁護活動に介入してくるスキはあると言わざるを得ないのだ。「弁護の質は、弁護士、弁護士会が担保する。よって一切口出しをするな」と言い放っ・u「討い譴个修譴悩僂爐箸六廚┐覆い里澄・・w)?椏n辺脩団員が団通信九八六号において、刑事弁護ガイドラインの問題を取り上げて、刑事弁護に枠をはめ込むことは本質的に誤っていると述べられているが、この指摘に私は基本的に賛成である。しかし、不適切弁護の実態にメスを入れることなく、被疑者国公選を実現せよ、しかし内容に一切口出しするなというのは無理があるのではないだろうか。国民の納得が得られるのだろうか。
 この問題は、司法改革の冒頭に「弁護士のあり方」をまず議論するということとは次元が異なる。被疑者国公選制度が現実化しようとしている時に、弁護士会として現実的な対応が求められているものであるから。そして、不適切弁護を克服するという問題以上に、法務省・自民党が弁護活動に対して介入することを絶対に阻止するという命題であるから。
 団通信九八七号で中野和子団員が「現に画策されている刑事弁護ガイドラインは、麻原裁判を念頭においた被告人の権利を制限するために弁護人の活動に制約を加えようとするところに目的がある」と断じているが、これは事実誤認であると思う。
 今問われているのは、被疑者国公選を早期に実現すること、それを口実に法務省等による弁護活動への介入を絶対に許さないこと、この両者をやり遂げるのための現実的な方策として何をなすべきかである。「二次案」は、ある意味で刑事弁護人としての最低ラインが示されているに過ぎない。個々の内容について検討すべき点は多々あり、今後さらに内容を煮詰めていくことは不可欠であろう。いかなる意味においても、「ガイドライン」が弁護人の弁護活動の制約になるものであっては、絶対にならないのであるから。しかし、前記の観点から、不本意ながらもこの程度の指針をもつことはやむを得ないのではないかと思いつつある。これに変わる現実的な方策があるのであれば、それに越したことはないのであるが。
 悩ましい、実に悩ましいのである。


連続特集(一)◇◆◇司法改革を国民とともに◇◆◇

「ちょっとおかしい裁判所ーどのようにかえたらよいか」をご活用下さい

大阪支部  杉 本 吉 史

 自由法曹団大阪支部では、本年三月三〇日の発行で、現在の官僚裁判官の下で、いかに常識にはずれ、また大企業や行政を擁護する裁判がなされているのかを、市民に訴えるためのパンフ「ちょっとおかしい裁判所ーどのようにかえたらよいか」を作りました。
 支部の団員が、@「これでよいのか、手間と時間のかかる裁判所」、A「公害環境裁判との関係で眺めると」、B「労働裁判との関係で眺めるとーたった一回の残業拒否でも解雇できる?(日立残業拒否事件)、堂々めぐりの議論で残業手当を認めず(国民金融公庫残業手当請求事件)」、C「何故か勝てない税金裁判」、D「刑事裁判はどうなのかー警察、検察調書を疑わない裁判官、捜査段階から国選弁護の導入を」、「消費者問題との関係で眺めると」、E「司法改革をどう考えるか」との各テーマ毎に執筆を担当し、できるだけ簡潔で読みやすい内容のものを作ることを心がけました。
 大阪では、このパンフを市民対象の「司法改革集会」等で参加者に配布し、司法改革への理解を深めてもらっています。
 このパンフは四月二三日の赤旗で紹介され、全国の各地から一部送ってほしいという小口注文が多数来たり、また学校の教師から教材の作成のためにと、まとまった注文も来たりしています。国民救援会宮城県本部からも注文があります。
 全国の各支部、事務所でもご普及、ご活用をお願いいたします。また、司法改革集会などを開くおりには、是非ご活用下さい。
 体裁はA5版、四〇頁で、定価は三〇〇円。
 ご注文は、大阪支部までお願いします。


裁判・裁判官の現状に対する「仮借なき批判」を!―東京支部の試み

東京支部  大 森 浩 一

一 「裁判官として指摘されていることに、地域社会との接触がないとか、市民的な自由がないというようなことが言われています」「最近、裁判官は忙しすぎるというような指摘があります」「官舎生活をしていることについて、裁判官は官舎と裁判所を行ったり来たりしているだけで、世間が狭いんじゃないか、世界が狭くなって、純粋培養になるんだというようなことを言う人も一部でいるんです」「最高裁の意向を気にして、上ばかり見て裁判をしているのではないかと言う人がいます」―――こういった指摘についてどのように考えているか伺いたいと思います。
 右は「若手裁判官の研さんを考える」と題する座談会(判例時報一七〇一号)での司会者(司法研修所教官)の発言。
 一年間の企業研修を終えた若手裁判官は、明快に答えます。
「そのような声に乗って、キャリアシステムに比べて、法曹一元がいいという議論になぜ進んでいくかも、よく分からない」「私は、家族との時間に余暇を費やして、北海道生活を楽しんでおります」「任官当初は両親の自宅で暮らしていましたが、転勤して共同住宅の宿舎に入って、かえって世界が広がったと思います」「そもそも、裁判所は他の組織と違って、事件処理の中身について上から指示されるようなことは全くありません。ですから、上を見ようがない」などなど。東京地裁商事部の部総括は次のような原稿を寄せています(判例時報一七〇五号)。
「我が国の裁判官の任用制度については、現時点において、キャリアシステムに有効に代替しうる制度は展望できないと考える」「国民に対して現在の裁判所あるいはその担い手としての裁判官・・・の等身大の姿を知ってもらい、また、裁判所全体としての改革の姿勢を理解してもらうことは極めて重要なことであると思う。この点で、裁判所、裁判官からの国民に対する発信の努力が従前決定的に不足していたことは否定できない。具体的にどのような適切な発信の方法があるかについては難しいものがあるが、裁判所全体がそのことを課題として考えていくことが必要であろう」などなど。いずれも、懸命に防戦に努めようとする思いが伝わってくる論稿といえるのではないでしょうか。官僚司法システムを温存しようとする最高裁に対し、団らしい切り口で攻勢的な運動を展開してゆく時期だと考えます。

二 東京支部では、昨秋、各分野の「おかしな裁判」一三例を収集した告発集『ど〜なってるの?裁判官!』を世に問いました。国民を司法から遠ざけている最大の要因は今の裁判所のあり方にある、それなのに改革審で進められている論議は「弁護士改革」ばかり、冗談じゃないよ!という問題意識からの取り組みでした。難産の末の刊行でしたが、その反響は関係者の予想を超えるものに。初刷りは、一〇〇〇部。年内にさらに一〇〇〇部の増刷。普及先は、弁護士会、労組、民主団体、報道機関など様々。勿論、くだんの司法制度改革審議会各委員へも配布されています。
 うれしい反響に励まされたこともあり、東京支部では労働事件に焦点に絞った第二弾告発集の編集作業が動き出しています。「上ばかり見て裁判をしている」といった酷い事例が集中的に現れていると言えるのがこの分野。裁判官としての良心をねじ曲げて証拠上明白な国家的不当労働行為を免罪した「国労・全動労採用差別事件」、国際労働基準すら踏みにじって大企業の利益を擁護する「ケンウッド配転・解雇事件」など、「こんな官僚裁判官なんていらない!」と声を挙げたくなるような非常識な判決が続出しています。東京地裁労働部を震源地として「整理解雇四要件」「解雇権濫用法理」を骨抜きとする不当判決・決定も広がっていますし、最終的に勝利を勝ち取ったとしても、当たり前のことを当たり前のこととして認めさせるまでに一〇年〜二〇年の歳月を要したという例も少なくありません。
 多くの労働者の泣き寝入りをもたらしている裁判の現状を、怒りをこめて告発し、官僚司法に対する批判的世論を盛り上げてゆきたいと構想しています。


三多摩でもやりました
二〇〇〇年「三多摩憲法のつどい」のご報告

東京支部  富 永 由 紀 子

 去る五月二六日、立川駅北口近くのアイムホールにて、二〇〇〇年・三多摩憲法のつどいが開催された。題して「裁判所はお高いのである」。それまで司法問題に関しあまり馴染みのなかったような人たちにむけて、今の日本の裁判所がかかえている問題点をわかりやすい形で提起しようというのが、今年の主たるテーマであった。  集会の内容は、前半が約五〇分の群読構成劇で、後半が約一時間のパネルディスカッションである。
 前半の構成劇では、ミュージカル集団コーラス・シティの前野秀雄さんがこの集会のために脚本を書き下ろして下さった。タイトルは「不幸せな裁判官(たびびと)たち」。コロスと呼ばれる群読者たちの言葉を背景に、裁判官の日常や青法協問題、最近の寺西裁判官事件など、いくつかの場面が劇として演じられる。総勢三〇人あまりの出演者のうち、コロスについては広く一般の人たちに参加を呼びかけ、劇の場面については地元のアマチュア劇団の人たちなどに協力してもらった。
 後半のパネルディスカッションには、パネラーとして、元裁判官の安倍晴彦弁護士、草加事件弁護団の安原幸彦弁護士、ケンウッド柳原事件の柳原和子さんと杉井静子弁護士に参加いただき、これに市民の立場から実行委員会の沢田美佐子さんが加わった。このパネルディスカッションでは、まず事件の当事者らから、それぞれの事件で経験された裁判所の「おかしな」対応などについて報告がなされ、会場は大いに沸いた。そして、それを受けて安倍弁護士が、元裁判官の立場から、そのような裁判を生んでしまう裁判所自体の問題点について、わかりやすく、かつ生々しく話しをされた。
 今年の集会の参加者は約二〇〇人。会場一杯集まった人たちはみな楽しんでくれたようで、集会としては大成功だった。
 最後になったが、今回の集会を準備した実行委員の一人として、若干の感想を述べさせていただきたい。右に書いたとおり、今回の集会では本格的な構成劇に取り組んだわけだが、今年で一八年目を迎える私たちの集会としてもはじめての試みで、正直いって準備は予想以上に大変だった。もともと入場料をとらない集会なので予算は限られており、出演者はもとより、脚本、演出、朗読指導といったスタッフの人たちも完全なボランティアである。それでも、みなさん二ヶ月にわたって行われた延べ二〇回に及ぶ練習に熱心に参加して下さり、本番では本当に素晴らしい舞台を見せてくれた。
 そんなエネルギッシュで、魅力的な人たちと知り合えたこと・・・それが、私たち実行委員にとっての、今年最高の収穫である。


依頼者・相談者中心に司法改革を語り、「一〇〇万人署名」を大いに集めましょう!

京都第一法律事務所事務局 花 岡 路 子

 私たちの事務所では、事務所の中の「大衆運動委員会」を中心にして、ここ数年司法改革の問題を大きく取り上げてきました。実際の裁判を経験した依頼者から、アンケートをとる取り組みをし、これをまとめて、司法制度改革審議会に送付(本年一月)したり、弁護士会が主催する「日独裁判官物語」の上映会に来てもらったり、また事務所独自で同映画の上映会を行ったりしてきました。
 日弁連が提起した司法改革一〇〇万人署名も、事務所会議で議論し、事務所の目標を五〇〇〇にしようと提起(一弁護士《事務局とペア》あたり四〇〇筆)しました。会議では、こうした署名で五〇〇〇は難しいといった意見も出ました。しかし、実際に取り組みをすすめてみると、現在、事務所全体で一万名を超える署名(一弁護士平均七七〇)を達成し、中には一七〇〇筆の署名を集めた弁護士(と事務局)のペアもいます。依頼者に署名のお願いと署名用紙を送り、電話をかけて依頼し、あるいは事務局が子どもの学校や保育園での知り合いに頼んだり、いろいろな努力が積み重ねられています。これらの署名は主に個人から寄せられたもので、労働組合や民主団体などは別扱いにしています。
 署名の数にも見られるように、いろいろな署名の中でも大変大きい反応が返ってきています。個人で四〇名、五〇名と集めて送ってくれる依頼者や、京都市を相手に闘っている住民運動の関係者は、地元住民や自分の職場などでも訴えを広げ、数百の署名を届けてくれています。日常的につながりの深い依頼者や相談者に忌憚無く訴えれば、今の日本の裁判制度を改革すべきということはよく理解してもらえます。
 日本の司法制度をどう造りかえてえてゆくべきかという大きな問題ですから、いろいろ難しい議論もあるのでしょうが、国民の中にこの議論を持ち込んで、課題を共通のものにしてゆくためには、この一〇〇万人署名は大きな材料になっています。
 京都弁護士会では、昨日(六月一三日)時点で、四万四千筆を超えたとの報告がありました。京都の自由法曹団の事務所の到達を合計すると二万を超えるとのことです。私たちの事務所は大いに牽引車としての役割を発揮しています。
 団五月集会の報告では一〇〇万人署名の取り組みが遅れている地域があるとのことでした。みなさん、もっともっと頑張りましょう。


五月集会参加の感想A

五月集会に参加して

─司法改革と団員の活動を考える─

福岡支部  吉 野 高 幸

 今年の五月集会では「司法改革」が主なテーマとされていた。私は日弁連の司法改革の会議にも出席しているので分科会にも参加してみた。
 そこでの議論を聞きながら感じたことを述べておきたい。
―法曹人口増員論について―
 議論の一部には、法曹人口大幅増員論について警戒的、否定的なものもあった。
 しかし国民の立場に立ったとき現在の日本での弁護士へのアクセスはどうだろうか?
 例えば、マスコミを騒がせている名古屋での少年の五〇〇〇万円にも及ぶ恐喝事件の報道を見てまず思ったのは、「なぜこの被害者の母親は弁護士に相談しなかったのだろうか?」ということである。
被害の状況からすると決して費用がなかったからではないであろうし、時間も(たっぷりとは言えないにしろ)あったはずである。
 もちろん警察や学校の対応が問題であることは言うまでもないが、「困ったときには弁護士に」となっていない原因の一つには、国民からみて弁護士へのアクセスがまだまだ悪いということもあるのではないだろうか?もちろん現在の弁護士も弁護士会もいろんな努力をしている。団員もその先頭に立って頑張っている。しかしまだまだ弁護士の数そのものが決定的に不足しているのではないか?北九州市で活動を始めて三〇年余を経て北九州市の団員も二十数名に達した現在でも、「団員がすぐにでも倍増したらよいのに」と考えているのは私だけだろうか?
―弁護士会変質への警戒心について―
 法曹人口増員に対する消極的(警戒的)意見の根拠の一つに「弁護士会の変質のおそれ」があげられている。もちろん数が増えればいろいろな問題も出てくることは否定できない。しかしだからといって「心のかよいあう居心地のよい規模」で、今の病んだ日本社会のなかで苦しんでいる国民の多様なニーズに対応できないこともはっきりしているのではないか。
 私達がとるべき道は、「弁護士会の変質」をおそれるのではなく、弁護士会を変質させない大きな保証となる我が団の強化、特に後継者の質、量ともの飛躍的な強化への取り組みではないだろうか?
 懇親会で新人団員の挨拶を聞きながら、一時期よりは増えてきたことにある種「ホッ」とするところはあるが、「現在の状況に見合っているのか。」というと「まだまだほど遠い」というほかはない。
 二一世紀の日本を考えるとき、国民とともに歩み、活動する自由法曹団の後継者の獲得と養成のために全国の団員(もちろん私も含めて)の奮闘が今こそ求められているのではないだろうか。


五月集会の感想に代えての「新聞雑感」

神奈川支部  篠 原 義 仁

 一週間ほど前、小口事務局長名で五月集会の感想を書くようにとの「指示」文書が送られてきました(編集者注ー投稿のお願いを送らせていただきました)。どうして私が当ったのか不明で、他方、公害弁連の司法改革問題意見書の原稿が未了のためそちらを先行させ、五月集会の感想文を書く気のりもしないまま放置していました。
 しかし、自分で借りたわけではないのに妙に借金をした思いでいました。そして今朝(六月七日)、新聞をみて、むかしから気になっていたことに関連する記事が載っていたので、その感想を書いて借金を返そうと思い立ちました。

 朝日(14版四面)は「共産『責任政党』を強調」「政権入り、本格的準備?」「消費税三%うたわず」と見出しを打って「危機的な財政状況を理由に『いま、三%への引き下げを無責任に言わない』(筆坂秀世政策委員長)」という記事を載せました。
 他方、赤旗(一面トップ)は「成人の年令を一八才以上に」「少年法と選挙権を一体にした解決が必要」と不破哲三委員長がテレビ討論で提案し、与野党の意見が一致したかの記事を掲載しました。
 少年法問題に詳しくない私は、それへの論評能力はもたないのですが、それと連動して選挙権一八才の問題が提起されるのは必然と昔から(そう大昔でなく、一、二年前から)認識をしていました。
 これは序論で、私の感想はそうした提案が、これまた必然的に財政破綻問題と連動して出てくるであろうと、自分なりに「連想ゲーム」を昔からしていたことに連なります。

三 「連想ゲーム」
 国民年金制度の赤字解消策として、選挙権一八才と結合して保険料支払対象者の拡大、すなわち権利の付与と義務の履行という議論が必ず出てくるであろう、と思った。従来は、二〇才をすぎても学生等未就業者にはその支払義務はなかったが、それが義務化された。収入のない者からの徴収は、親がかりとなり「一家」の財政負担は大きくなった。親は怒り、他方、国民年金制度の将来に不安をもつ若者のなかには、いまでも支払拒否を続けている者がいる。これを一八才に下げて財源の確保をめざす、しかも不就業者にも一括して網を打つ。国民負担の増大との関係でどう考えるのだろうか。
 あるいは、三月の税金申告を書くときにいつも頭をかすめる扶養控除につき、その対象年齢の引き下げと連動しないのだろうか(そこまではいじくれないか)。私には悪知恵はないが、何か理屈をつけて、教育問題「飛び級」制度に結びつけてこないだろうか。ことは、その分野に止まるのか、もっと広い範囲に拡大するのではないか。プラス、マイナスにつき総合検討する必要はないのか…。
 ともあれ、今朝の新聞記事は単に成人年齢の捉え方にとどまらず、財政問題(税収入源)や種々の制度に影響してくるように思えます。ひとつの制度を考える場合には多角的、かつ実践的検討、総合的な考察が必要だと改めて痛感した次第です。    (六月七日記)


五月集会において

埼玉支部  松 苗 弘 幸

 今年四月に、第五二期司法修習を終了し、埼玉弁護士会に登録させていただきました松苗弘幸です。私は、昭和四七年(一九七二年)生まれで埼玉県大宮市の出身であり、現在、大宮に在ります埼玉中央法律事務所に勤務しております。
 自由法曹団については、修習生時代はもちろんのこと弁護士になった後についても、名前以上にその存在はほとんど知らない状態でした。そんな状態でありながら新入団員研修として初日からの三日間、自由法曹団の五月集会に参加させていただきました。
 今回は商工ローン問題とリストラ問題の分科会に出席させていただいたのですが、とても勉強になりました。
 これまで、自由法曹団には何となく堅苦しく重い印象を持っていまいした。しかし、自由法曹団においては、幅広い分野の問題について真剣に取り組みつつ、その中において、各地域での状況や各先生方の経験や情報等を気軽に交流することができ、よりよい解決方法を探していけることや、全国的な運動として社会自体を変えていける力になることを認識させていただきました。
 私は、まだ身近な問題の法律相談の仕事が多く、全国的な問題としては商工ローン問題程度しか関わっておりませんが、今後、自分の興味を持つ分野や実際に出会う事件があれば、参考にさせていただこうと思います。
 また、この五月集会は、これまで研修所での同クラス・修習地以外にあまり同期の知り合いがいなかったのですが、同期の弁護士とも知り合う機会ともなりました。
 この出会いをきっかけとして、これから、同期として同種事件に取り組んでいけたり、交流を深めていければと思っています。
 自分自身は保守的でのんびりしているところも多く、権利を守る等の意識に低いところもありましたが、今後、弁護士として事件の大小にかかわらず依頼者の不安・不満を解消すべく、正当な権利を擁護していく活動ができればと考えております。


やっぱり元気の出る五月集会

大阪支部  鎌 田 幸 夫

 久しぶりに団五月集会に参加した。全国各地で元気に頑張っている同期に会えたし、全体会や分科会での活発な議論に触れることができ、やはり参加して良かったと思った。
 分科会では、リストラ分科会に参加した。産業再生法、民事再生法、会社分割法、労働契約承継法などのリストラ立法が次々に成立し、東京地裁労働部では整理解雇の法理を解体するような却下決定が相次いでいるなどの逆風下で、全国各地のリストラとの闘いを報告しあい、どう闘うかが議論された。議論のなかで一番印象に残ったのは、大阪で私も参加している不動信用金庫事件(信用金庫が分割事業譲渡にされ行員全員が解雇、雇用不承継となった事件)に関連して、営業譲渡と雇用承継という理論問題に議論が及んだ際、坂本修団員が「(人的物的な有機一体としての営業譲渡があれば労働者も当然承継されるという)大きな理論でいい。我々自由法曹団は、決して精緻な理論で飯を食ってきた団体ではない。労働者の要求や闘いのあるところで共に闘うことこそ重要なのだ」という趣旨の発言をされたことだ。自由法曹団員としての原点、気概を改めて教えられた気がした。
 ところで、五月集会が終わった後の五月二六日、私は、大阪地労委で関西航業事件(全日空系列の地上ハンドリング会社であるOASがOAS労組対策のために設立したダミー会社として専属の人だし稼業の関西航業を設立させたが、関西航業にもOAS労組の分会ができたため、OAS経営は、分会のOAS労組からの脱退工作を行ったところ分会が拒否したため分会を壊滅する目的で関西航業との専属下請(偽装請負)を解除して関西航業を事業閉鎖、関西航業分会員を全員解雇に追い込んだ事件で、全日空には団交応諾、OASには関西航業分会員を従業員として扱うよう求めた不当労働行為申立事件)につき全日空、OASの使用者性を否定する手痛い却下決定を受けた。この決定の特徴は、事実認定においてはOASの不当労働行為や支配性を基礎づける事実を全て認定しておきながら、労組法七条の使用者性では「労働条件を現実的かつ具体的に支配、決定できる地位」を非常に厳格に解釈していることにある(この決定の詳細な批判は別稿に委ねたい)。この決定の理屈でいけば、まさに五月集会のリストラ分科会で問題となった会社分割法施行下で持株会社が不採算部門を別会社化してリストラを指示しても団体交渉応諾義務は否定されかねない。地労委にも逆風が吹き始めていることを痛感した。しかし、悪法が成立し裁判所や地労委で逆風が吹いているときこそ、闘う労働者がいる限り自由法曹団員としての原点にたち返り粘り強く闘いを続けて行くほかないと思っている。


五月集会に参加して

福岡支部  安 倍 久 美 子

 この四月から、福岡の九州合同法律事務所で勤務しております安倍です。
 私が自由法曹団に入ったのは、事務所の先生方が皆入っていたこともありますが、様々な人権問題のエキスパートとして活躍されている諸先生方の話が聞けるであろうことに魅力を感じたことが大きな理由です。
 さて五月集会についてですが、まず一日目は新人研修に参加しました。ここでは原山恵子先生、中谷雄二先生からこれまでの弁護士活動についてお話を伺いましたが、一見困難で誰もが後込みするような問題に積極的に取り組んでこられた両先生の貴重な経験談を聞くことができ、大変参考になりました。
 特に印象的だったのが、中谷先生のお話の中で、判例や運用の実態などに自分で限界を設けず、法律やその趣旨にさかのぼって救済の必要性を主張することの重要性を指摘しておられたことでした。
 私も、前提として判例や運用の実態をきちんと把握するのはもちろんですが、その上で新人であるということを逆手に取るくらいの気持ちで、基本から考えて事件にぶつかっていこうと思いました。
 次に、分科会は自然保護と教育・少年法改悪に参加しました。
こちらは盛りだくさんで、個々の論点を掘り下げるのには時間不足を感じましたが、法律家以外の専門家の方の話しは、同じ問題について違った角度からのものの見方を知ることができ、非常に参考になるものですから、今後もいろいろな専門家の話を聞きたいと改めて思いました。
 以上、五月集会についての感想を述べてきましたが、私も団に入団した以上、事件で壁にぶつかったときは、その問題のエキスパートである団の先生方にお話をお伺いすることもあると思いますが、その時は優しく教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。


五月集会に参加して

北横浜法律事務所事務局  藤 田 ま さ 子

 自由法曹団は、懸命に生きている人々にとって、なくてはならない掛け替えのない存在です。例えば国会行動や集会などで、明快な言葉で励ましてくれる自由法曹団の弁護士さんは頼もしい代弁者です。
 二年前、縁があって法律事務所に勤めることになり、憧れの五月集会に参加させていただくことになりました。団への理解を深めてもらうという意味で事務局員も参加できるということは、研修の機会が少ない事務局員にとっては喜ばしいことだと思います。まず驚いたことは、弁護士と同じぐらい多くの事務局員が参加しているということでした。まさに自由法曹団は、弁護士と事務局員の連携によって成り立っているんだなあというのが集会に参加しての実感です。
 分科会は「リストラ合理化」を選択しました。新日本婦人の会での活動を通して自分たちの職場のことや夫の労働について話題になります。リストラが当たり前かのようになってしまっているなかで、労働者が苦しめられ、家庭が破壊されるということもあります。経済的な理由で学校を辞めていく子どもが増えています。アルバイトをかけもちして学費を稼いでいる子もいるそうです。この分科会に参加して、職場の闘いにどう関わっておられるのかという事例をたくさん聞きたいと思っていましたが、期待を裏切らないものでした。まず「国家的リストラ法制の概要と問題点」と題しての講演を皮切りに、討論は「『営業譲渡』に伴う労働者の解雇・労働条件の切り下げ」について、「会社分割法案」についての二点にしぼって進められました。発言は「営業譲渡と組合差別による採用拒否」「男女差別・女性に対する退職と転勤命令」「不当労働行為救済申立」「労働契約承継法案」「工場閉鎖による全員解雇提案」等々の報告が続きました。短い時間のなかで多くを語らなければならないため、皆さん本当に早口で、理解が追いつかない部分がありましたが、全国的な事例の大枠が把握できたという点で良かったです。私もよく存じあげる先生方から、「現場に入り共に悩みながら現場の闘いを重視していこう」「労働者の気分に合わせて闘いをつくっていこう」という力強いよびかけがあり、共感と感銘を覚えました。
 子どもの問題は子どもの心に寄り添って考えていかなければわからないのと同様に、労働者は、弁護士に話しを聞いてもらいじっくりと話し合いたい。共に闘っていきながら連帯を築いていきたいと望んでいます。先の弁護士さんの呼びかけは、まさに自由法曹団だからできることなのだ。そしてこうした集団研修を通じて高め合い、判例研究をしながら現場にも踏み込んでいく、そうした素晴らしい仕事の基本を垣間見させていただきました。皆様、お疲れさまでした。


五十嵐義三団員(一九期)を悼む

北海道支部  廣 谷 陸 男

 五十嵐さんが五月二三日朝、六七歳で亡くなられました。長沼訴訟はじめ人権、平和のため三三年間、腕をくんできた仲間として言いようのない悔しさ、寂しさを感じます。
 戦時下の小学校を卒えると直ぐ農村で働き、戦後函館地検の給仕に奉職、才覚と働きぶりが認められ検事事務官に登用されたという青年期の歩み。通信教育で中央大学を卒業、司法試験に合格します。
 彦坂敏尚弁護士が主宰した札幌法律事務所に加わり、自由法曹団に入団しました。
 五十嵐さんは、その苦学力行の歩みから、弱いもの、庶民のための弁護士活動に徹し、持ち前の正義感から弁護士会の民主化に旺盛に取り組んだ足跡があります。そして札幌弁護士会会長、日弁連副会長をつとめました。
 五十嵐さんの特徴の一つは写真でした。まさにプロの域で、二〇〇台以上のカメラを駆使していました。札幌弁護士会会報の表紙は一〇年来その作品で飾られてきたほどです。
 日弁連副会長の任期が終わった直後、片方の腎臓が倍に膨張し、原因がガンとのことでした。摘除に成功しましたが肺に極く小さな転移が認められるとのこと、彼は信念から抗ガン治療を拒否し漢方薬でガンに対峙しました。六年前です。
 その後五年間は、まさに健康そのものの活躍ぶりでした。昨年秋ころから「ガンが体内に蔓延し、頸椎の最下部が欠けてきて痛みがとまらなくなった」と、平然として話していました。車の運転が無理になって、奥さん、お嬢さんの運転で仕事をつづけ、腰の痛みから立ち膝で人と食事をともにし、三月ころからは車椅子で法廷に出てきていました。
 入院中の五月一七日朝から病室で準備書面を打ち、訴状まで準備していたとのことでしたが、急に頭痛を訴え意識が消え、脳内出血ということでした。
 絶望的病名とその蝕みの進行を、一刻一刻自覚しつつ、動ける最後の瞬間まで仕事をしつづけた五十嵐さんの生きざまに、不屈の闘志を感じました。安らかに眠られることを祈るのみです。


湯の森を越えて出会った夏盛り(四)

東京支部  中 野 直 樹

一 テント場には傾きかけた陽射しが木漏れるように差し込んでいた。空が茜色に染まるまでには間がある三時であった。早速、薪づくりの仕事が待っている。幼少期、薪割に精を出す祖父そして父の姿はごく普通の生活の風景であった。小学生も高学年になると挑戦権を取得した。振り下ろす斧が丸木を見事に真っ二つに割ったときの快感はまだ腕に残る思い出となっている。現代では山間でも薪で風呂を焚く家庭は少なくなり、薪つくりは失われつつある情景となった。上流、下流と流木探しをする。ヤニの多い針葉樹木は苦味が出て岩魚焼きには適さない。長雨に曝されてきた木切れは水を含んで重く、手強そうである。

二 夕食の準備は岡村さんが板前頭となる。腹の空く山での料理は旨味はもちろん、手際よさが喜ばれる。岩魚汁と岩魚寿しが好評だ。清水さんもオリーブ油を駆使したパスタに腕を奮う。私は少年期の図画工作・家庭科以来、自分の手指の不器用さを自覚しており、賄いは遠慮して、焚火起こしに取り組んだ。大森さんは私の手網に掬い上げられた尺岩魚に気をよくし、ビールのピッチが早い。一尾も釣れなくとも「釣りをしてきた」と胸をはるように、釣師の談義は期待半分が混入し、真に受けてはならない。大森さんも、ビールから日本酒に移るときには獲た岩魚が三センチ成長していたし、ブランディに酔いつぶれる頃には四〇センチ級の超大物を釣り上げたような回顧談になっていた。
 焚火つくりは、木の組み方、空気の送り方を含め流儀がある。度々の登場で忙しいが、大森さんは焚火の達人を自称している。濡れ木を相手に私が懸命に苦心しているのにイライラして、手を出していじくる。しばらくフーフーがんばり、パチパチ音をたてて炎が立ち賑やかになってくると、焚火は中野さんに任せた、といって場を譲る。枯れ木、湿り木、生木それぞれ火付きまでの時間、燃え尽きるまでの時間に個性がある。無理にせかしても力強く成長してくれるものではない。めらめらと火炎が上がるかと思えば、消えかかって慌てさせる。焚火番には張りついた忍耐強さが求められる。くすぶり煙に目をしょぼつかせながら私なりに任せられた焚火の成長に意を尽くしていると、再び、ほろ酔いの大森さんが口をはさみ手を出してくる。かといって最後まで面倒をみる根気もない。私からみれば、焚火の名人というより気ままな講釈師である。
 火番と平行して、笹竹を細工して串つくりをする。岩魚のヒレ、腹内を重点に塩を振りかけ、串を口から刺して、背肉を縫うように通し、先端を尾の付根付近で止める。火にあぶり始めて三〇分くらいするとぽたりと油の滴が落ち始め、実にこおばしい薫りが漂う。

三 ほんの一瞬、橙色に夕空が燃えた。峪は暮色につつまれ、たなびく煙もなすび色の闇に溶け込む。熾き火が時折チロチロと粗朶をなめる。誰もの目が自然と火を見つめ、心もぬくめながら物思い深くなるひとときである。
 岡村さんと大森さんの岩魚釣りの旅が入稿の後ひととせの熟成を経てようやく出版される運びとなったことが話題となった。岡村さんは、労災職業病問題の実践的研究者で、著作も多い。また「無名戦士の墓」(学習の友社)を著し、戦前、戦後わが国の平和と民主主義のためにたたかった人々の生きざまを追想した。この岡村さんが一九九四年に花伝社から「岩魚釣りのある旅」を出した。本屋でも釣り本のコーナーに陳列されており、渓流人の関心を引いているが、題名を注意深く読み取らないで買った渓流マニアは、唖然とするだろう。釣りの本ではない。岡村さんの人生の針路に影響を与えた人々、事件、読書、旅との出会いを綴った自分史である。四〇代になってから、大森さんに誘なわれた岩魚釣りとの出会いが企業戦士的弁護士スタイルに転機をもたらし、自然の中で生きる「心のやすらぎ」を味わう人生を志向するようになったと記されている。そして二人が四〇代になって始めた山釣り紀行は、この二月、新刊「岩魚庵閑談」(つり人社)として世に出た。これは正真正銘の釣り本である。重荷を背負い、地図を片手に、つま先に汗を垂らして未知の奥処に踏み入る二人・u「瞭Г濱廚・貉以圓膨屬蕕譴討い襦・・w) 九時を過ぎるころ、酒に満ちたりた大森さんが、テントにもぐりこんだ。途端に高いびきがもれてくる。実に寝つきがよろしい。いつもは焼き上げた岩魚の片づけをして眠りにつく岡村さんも一〇時ころにはゴーゴーと合奏する。あの喧騒で互いに安眠しているから不思議である。二人ともあと数年で六〇才を迎える。
 昨夜は雨であったため二日分の釣果を焼かなければならない。清水さんと語らいながらの作業は一二時ころまでかかった。焼きの仕上げの一時間は青葉の生木をくべてもうもうと立つ煙で燻す。熾き火は葉を焦し、火の粉がパチパチと闇にはじけて消えた。岩魚は悔しさに慟哭するようにがっと口を開けている。その背腹をつまみ堅くなっていたら完成である。新聞紙に包み込み、テントに持ち込む。焼き枯らされた岩魚のぬくもりに手を触れ、香を吸い込んでほっと気を緩めた途端に眠りに落ちた。

四 帰る日の朝五時、深みを増した緑の稜線の向こうに紺青の空が夏本番を告げていた。やがて朝陽が差し込み熊笹の露を光らせた。数十尾の赤とんぼが人懐こく群がり、テントに羽を休めている。
 八時に帰路についた。大森さんが戸繋沢を大石沢の出合いまで竿を差すことにすると言って、ゆったりとした流れに毛鉤を振り込んだ途端に尺近い岩魚が中空に舞った。その腕自慢を横目に、私と清水さんは先行し、途中大石沢に道草し、一時間きっかり名残の釣りを欲張った。出合いをおそらく一時間遅れで、二人を追いかけ出した。河原石に残る足跡の濡れがだんだんと大きくなり、差が縮まっていることを感じ、一一時ころには次の曲がりの向こうにいるだろうと考えて単調な遡行の励みとする。しかし姿をとらえることができないことが繰り返されると、疲労と倦怠感が増幅する。一一時五〇分、戸繋沢本流から小沢への登口で、先輩たちが茹でたソーメンを水に浸して待っていてくれた。まだまだ荷を背負える健脚である。
 目にしみる緑のブナ樹林を渡る風にたちまちに汗が引く。途中でつんできたブナヒラタケ?の炒めと隠しウィスキーの水割で賑やかな小昼となった。続く眠気を振り払って、最後の小沢登りに踏み出した。二日前下りくるとき空き缶、ビンが沢を汚していることが気分を悪くした。遊びと恵みを与えてくれた感謝にせめて清掃でお返しをしようとひっかかったビニール、空き缶七〜八個、ビン数本を回収した。ささやかな公共活動に気をよくしていると、大森さんと清水さんが首をひねっている。到着を労うための缶ビール四本を源頭の水中に沈めてきたのが見つからないと唸っている。確か慎重に目印をつけていたが、何しろ流れていた水が干せ単なる溝となっており、様相がすっかり変わっていた。結局、失しなわれてしまった。期待していたビールが逃げてしまったことに落胆するとともに、拾った缶の半分とビニール袋がゴミと化してしまったことが心残った。

五 稜線に出て下りとなった。秋田駒が原生の森の裾野を広げている。地図で確認すると男岳、女岳、男女岳の三つの頂がある。名づけた先人はどのような思いを込めたものか。
 一時、乳頭温泉到着。逗留した孫六湯の川向かいにある黒湯の脱衣場に入ると、若いアベックがいた。着替え終わった直後であった。その余韻をビール缶を手にした私たちが破った。ここの湯場は果てが見ないくらいの雄大さである。打たせ湯に座りながら乳頭山の稜線を遠望する。
 上がりぎわ、清水さんが衣類笊から、黒湯の印刷が入った濡れタオルを拾った。化粧せっけんのほのかな残り香が先刻の女性の姿を思い出させた。(終わり)


 自由法曹団通信のINDEXにもどる