団通信989号(7月1日)

沖縄サミットに向けた法律家アピールへの賛同署名と七・八国際シンポジウムへの参加をヨ・ロ・シ・ク!

東京支部  藤 原 真 由 美

 みなさーん、表に緑色で「九州・沖縄サミットに向けた法律家アピール一万人署名賛同のお願い」と書かれた白い封筒が届いてますよねー。エッ、中も見ないで捨てちゃったって?そんなのダーメダーメ。
 せっかく先進国のオエライさんたちが沖縄に集まって、二一世紀の世界戦略を練ろうという機会。自由法曹団の先駆的な弁護士たちが、人類史に刻まれた人権と民主主義がいっそう尊重され、発展するように、国連憲章や日本国憲法の理念を地球的な規模で発信する、またとないチャンスだとは思いませんか?
 そんな思いから、自由法曹団は、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会、日本民主法律家協会、青年法律家協会と手を携えて、沖縄サミットに向けた法律家アピールと、七・八国際シンポジウムの二つを、平行して企画・準備してきました。
 自由法曹団員には、右の白い封筒とは別に、団通信と一緒に、法律家アピールの文章と、署名欄が入ったアピールよびかけ文、七・八国際シンポジウムのチラシとカンパの振込用紙が届けられているはず。早速確認して、署名をして、大至急日本国際法律家協会あてにFAXしてください。
 それから、七・八国際シンポジウムは、自分でいうのもナンですが、大変内容の濃いものが期待できます。
 まず沖縄からは、沖縄大学教授で平和運動家でもある新崎盛暉氏をお呼びして、今の沖縄の平和運動の状況、そして世界の平和と沖縄の今後の役割についてお話いただきます。立命館大学教授で経済学の専門家である藤岡惇氏には、湾岸戦争以降のアメリカの軍事戦略の変化ー宇宙からのハイテクを駆使した地球支配ーを、経済のグローバル化を視座に入れて話していただく予定。そしてアメリカの弁護士でIADL国連代表をつとめ、国際人権法の専門家であるレノックス・ハインズ氏には、アメリカの経済的・軍事的な横暴に対してNOの声をあげはじめた世界のNGOが、どんな運動を展開しどんな影響を与えているのかを、今後の展望を含めて語っていただく予定です。そして最後に、在日韓国二世の林炳澤氏。急速に進展しはじめた南北朝鮮の対話と統一への展望、日本の果たすべき役割について、率直に語っていただきます。
 なかみは、盛りだくさんです。乞う、ご期待!


七・二〇 人間のクサリでカデナを包囲しに行こう

東京支部  神 田   高

 六月一五日、南北朝鮮の二人の金さんは、歴史的な「南北共同宣言」に署名した。宣言は、「南北は国の統一問題を、その主人である我が民族同士でお互い力を合わせ、自主的に解決していくことにした。」と高らかに宣言した。ところが、アメリカは在韓米軍問題を金さんたちが協議したことに強い不快感を表明している。
 在韓米軍とともに、東アジア地域でアメリカの干渉と戦争の拠点となっているのが沖縄の米軍基地である。九五年のナイ報告以来、アジア地域に米軍一〇万人体制をしき続けるというアメリカの軍事戦略は変わっていない。沖縄の名護のジュゴンの海には、二〇〇年はもつという最新鋭の海兵隊基地を日米合作でつくろうとしている。四・一七「沖縄民衆平和宣言」は言うー「わたしたちは、この基地を拠点とする軍事行動の犠牲者たちの被害が、わたしたちの苦しみをはるかに上回っていることに思いを致さざるを得ません」。沖縄から基地をなくすことは、暴力(軍事力)を用いることなく、異なった文化・価値観・制度を尊重しあって、共生することである。
 これは、沖縄の民衆の課題だけでなく、日本人全体が果たさなければならない歴史的課題である。
 軍事同盟のための沖縄サミットを、日本とアジアの平和に連なる人間のクサリでカデナを包囲しに、沖縄に出かけよう。


憲法調査会法律家四団体による連続シンポ(第一回)開かれる

担当事務局次長  高 畑  拓

 連続シンポジューム「今なぜ憲法調査会」(第一回平和主義のリアリティ)が二〇〇〇年五月二六日飯田橋シニアワークで開催された。このシンポは、法律家四団体(自由法曹団、日本民主法律家協会、青年法律家協会弁学合同部会、日本国際法律家協会)の共催によるもので、今後一年に三回から四回のペースでおこなっていく予定である。
 第一回目の今回は、一橋大学の渡辺治教授の「憲法調査会設置のねらいと役割」と国際基督教大学の最上敏樹教授による「国際政治における憲法九条のリアリティー」という講演と質疑応答が行われた。
 渡辺教授の講演は、
1、憲法改悪の政治課題への登場の画期としての憲法調査会
 憲法調査会設置の申し合わせ事項で提案権なしとされていることから大騒ぎすることはないという人もいるが、改憲推進勢力が初めて憲法改悪の舞台を手にいれたという点で画期的なものである。これは、新しい軍事大国化の兆しと見るべきである。「神の国」発言に象徴されるような復古的なものが出てくる可能性はない。
2、なぜ今改憲?軍事大国化の第二段階と企業社会統合の危機
 新たな軍事大国化は、資本のグローバル化により、資本が単一の世界秩序を求めるようにったことにより引き起こされたものであり、この段階では解釈改憲では不十分で明文改憲が要請されるようになった。この改憲のイデオロギーには二つの流れがあり、一つは、国際貢献イデオロギーによる改憲の正当化であり、もう一つは、小林よしのりや桜井よし子のようなネオナショナリズムによる改憲の正当化である。後者は、戦後社会の退廃を批判し、憲法のトータルな改正を打ち出すものである。
3、現代改憲の焦点ー改憲論の諸特徴
 伝統的改憲論と現代的改憲論の違いは、自衛権とは別に、自衛隊の国際貢献のための海外派兵の正当化規定を求める点にある。
4、憲法「改正」の現段階と調査会の役割
 調査会が、提案権を持たないというのは、民主・公明を参加させるために採られた結論であり、改憲について自覚的政治勢力の未結集という現状を反映している。現在は調査会というお店を開いておくことが重要であり、自覚的改憲勢力ができた途端に中間報告・性格が変化する。その意味では押しつけ憲法論は時間稼ぎに過ぎない。思いがけない有名人が調査会にやってきて改憲を語り始めたらいよいよ本気と言うことになる。
 というものであった。
 最上教授の講演は、
1歴史的潮流:平和憲法は、歴史の破調か、
2「武力による平和」への傾向はあるか、
3「武力による平和」と「人道的介入」、
4「国際法上合法な人道的介入」と平和憲法、
5憲法を「試す」ことについて
 というものであった。
 講演も刺激的で、面白いものであったが、質疑応答もずいぶん幅の広い質問が多かった。庭山英雄日民協理事長から出されたグロバリゼーションと司法改革と行政改革との関係というような質問などは、その最たるものである(この講演の詳細は「法と民主主義」に掲載される予定である)。
 次回は、二〇〇〇年九月二七日(水)午後五時三〇分から八時三〇分まで同じく飯田橋シニアワークで「二一世紀の恒久平和主義(仮)」で水島朝穂教授等の講演を行う予定である。是非参加されたい。


これは使える! 新版「自由法曹団への招待」

北海道支部  大 賀 浩 一

 このたび、自由法曹団の紹介パンフレットが全面的に改訂され、装いも新たに「自由法曹団への招待―JLAF2000」というタイトルが付けられた。表紙はブルーを基調として最上部に「JLAF2000」のロゴ文字、という清々しいイメージで、各ページにも写真が多用されていて非常に読みやすい。内容もベテラン・若手団員それぞれの座談会や、団員が関わった最近の著名事件を紹介する「事件ファイル」、新入団員からのメッセージ、各界各層からの期待の言葉、そして団としての活動内容の紹介と、実に多彩であり、しかも裏表紙にはご丁寧に団本部への道案内地図まで付いていて、まさに「自由法曹団への招待」というタイトルにふさわしいものとなっている。
 私が知り合いの修習生数名に感想を聞いてみたところでは「なかなか斬新なデザインですね。ミレニアムを迎えて自由法曹団もイメチェンですか?」「今まで自由法曹団のこと知らなかったけど、こんなに色々な課題に取り組んでいるんですね。みんな生き生きして楽しそう」などと、なかなか好評であった。このパンフレットを、一人でも多くの司法修習生、法律家を志す学生、そして未だ入団していない弁護士に届け、団への興味関心を持っていただいて、団の仲間として迎え入れたいものである。
 とはいっても、ただ大量に印刷・発行してばらまくだけでは、まるで大海原に撒き餌をばらまいて釣り糸をたらすようなもので、さしたる効果は望むべくもない(ましてや、個々の団員がパンフレットを死蔵してしまうのでは何の意味もないだろう)。このパンフレットを手掛かりに、いかに多くの「対象者」と対話を進めるかに、新入団員獲得の成否、ひいては団そのものの未来がかかっているといっても過言ではないだろう。
 そこで、わが北海道支部では一挙に三〇〇部を注文し、道内四都市に配属された修習生、道内在住の合格者、司法試験受験生、そして、団員が集団訴訟や会務などで日頃苦楽を共にしている若手弁護士五〇名以上に対してもこのパンフレットを配布し、働きかけを進めている。五月集会や総会に修習生を同行することも恒例化しつつあり、他事務所の修習生を短期間「里子」として積極的に受け入れている団員事務所もある。北大での受験生ゼミへの援助もようやく実を結びつつある(過去四年間の合格者四名)。
 近年、青法協修習生部会の先細り傾向が懸念されているが、ここ数年の「春の集会」の大成功(五三期ではTVの全国ニュースにもなった)にみられるように、修習生の知的関心、バイタリティーは依然として旺盛である。問題はわれわれ自由法曹団の側がどうアプローチするかであろう。

※改訂版「自由法曹団への招待」の注文は団本部まで。


連続特集(二)◇◆◇司法改革を国民とともに◇◆◇

わが国に合った市民参加制度ー陪審制を

国際会議「日本における司法への市民参加」の報告

大阪支部  桐 山  剛

一 国際会議の開催
 日弁連は、六月一〜五日の五日間、世界九か国(アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、ロシア、スペイン、ドイツ、フランス、デンマーク、北アイルランド)から裁判官、学者、弁護士を招待して陪審制、参審制の実現をめざす国際会議を開催した。
 会議は、東京、京都、大阪と会場を移し、世界各国の実状から「なぜ日本にも市民参加が必要なのか」「市民参加で何が変わるのか」について活発な意見交換をした。
 意見交換には、法律専門家だけでなく松山事件や甲山事件の当事者、検察審査員経験者、高校生、大学生らも参加して大いに盛り上がった。
二 「最終弁論」
 参加国の中では、ロシアは一九九三年に陪審制が復活、スペインも一九九五年に陪審制が復活、北アイルランドは一九七三年に政治テロのみ陪審制停止、ブラジルはなんと一八二二年から陪審制、アルゼンチンは陪審制が実現していないという違いはあるが、一致した点も多く確認された。次は、会議の最終日に私がおこなった「最終弁論」の骨子である。
 陪審員の皆さん、いよいよ最終弁論のときがやって参りました。私は、この五日間の審理を通じて明らかになったことを証拠に基づいて述べたいと思います。
 まず第一は、刑事裁判への市民参加は、民主主義、民主的な司法制度のために必要不可欠であるという点であります。
 二番目は、市民参加制度にはいろいろな形態があり、陪審制と参審制があります。陪審制でもアメリカとスペイン、ロシアでは違います。参審制もドイツとフランスでは違います。これは、それぞれの国、社会に合った市民参加制度をそれぞれの国民が発展させていることだと思います。
 三番目は、わが国ではどのような市民参加制度がふさわしいのかという点であります。日弁連の方針は明確であります。「重罪は陪審」という方針は、私たちの実務経験から出てきたものであり、この方針の正しさを実感できたのでないでしょうか。陪審制への消極的な意見が言われていますが、いずれも根拠がないことが明らかになりました。消極的な意見は、陪審制を実現するという立場に立てば解決可能なものばかりであります。
 陪審員の皆さん、最高裁も、陪審制を実現するかどうかは「最終的には国民が判断すべき問題である」と言っています。私たちは、国民の皆さんとともに陪審制を実現することを誓って最終弁論といたします。
三 国際的なネットワーク
 遠くアルゼンチンから参加されたヘンドラー氏に「アルゼンチンでは陪審制は実現しますか」と聞いたところ、「一歩一歩やるしかない、しかし、日本のような影響力のある国で陪審制が実現すれば大きな力になる」と言われた。私は、この言葉で司法改革の国際的意義というのか、私たちの国際的責務といったものを実感させられた。
 また、この国際会議を一回限りで終わらせるのではなく、継続的に連絡をとりあい、台湾、フィリピン、韓国などアジア諸国にも拡げて陪審制を実現する国際的なネットワークにする必要があると考えている。


五月集会参加の感想B

司法制度改革に今こそ市民運動を

大阪支部 平 山 正 和

 司法改革分科会に参加した。これまで司法改革問題に無関心であったわけではないが「司法族」に任せておけばよいとの意識のもとに司法問題の分科会に参加したことはなかったにもかかわらず、今回は迷わずこの分科会に参加した。司法制度改革審議会を舞台とする「改革」論議の動向に危機感を抱いたからにほかならない。「司法改革」のスローガンのもとに改悪されるという、換骨奪胎、羊頭狗肉となる危険性を察知したからこそ、五月集会が司法改革問題を重点的に論議をしたのだろう。時宜に適した措置であった。
 弁護士会、自由法曹団、国民救援会など市民の側からの司法改革の要求が背景にあったものの、司法改革審議会設置に至る流れは、それとは別の流れである財界、自民党、アメリカからの「改革」の要請であることは否定できない。
 名古屋大学佐分晴夫教授の経済のグローバリズムと司法制度に関する講演はそのことを解明したものであったが、財界側の「司法改革」の思惑は深いことが理解できた。今の司法ではだめだということは、市民側も財界側も一致しているがその内容は重なる部分があるといえど同床異夢といってよい。
 審議会の評価や位置づけ、改革の内容に関する細部の意見の相違があったとしても司法制度審議会の審議内容を市民側が説得的に厳しく批判し、審議会に反映させなければならないことでは相違はない。分科会の最後に、団長が審議会の動向を断固として批判する旨言明されたのは至極当然であった。団こそがその役割を果たさなければならない。
 陪審・参審制度と法曹一元による市民参加の司法を実現し、官僚司法を打破することをめざす市民側の司法改革は明治時代以来の司法を根本的に変革する革命的といってよい内容である。財界側の司法改革がそれを容易に受け入れるとは考えられない。弁護士会を中心とする運動だけではだめだ。国民的運動がなければ実現はできない。
 そのためには、団が一丸となって、論議をしつつ運動を展開しなければ、審議会のスピードについていけない旨の発言があったとおりだ。情勢のスピードに負けずに、団員をたちあがらせ、弁護士を動かし、そして労組、民主団体から国民の運動につなげるには、情勢に遅れない的確な情報が決定的に重要である。弁護士会の審議会に関するファックス通信が情報源ではこころもとない。
 スピードと内容において弁護士会をリードする情報を団員に届ける特別の工夫が必要ではないか。ファックス、E-Mail、ホームページなどを駆使して実行して欲しい。


新人研修会の講師を担当して

愛知支部  原 山 恵 子

一 柄にもなく新人研修会の講師になった私
 五月集会は、私にとって、何となく遠い存在になっていた。
 そんな時期にふって沸いたように新人研修会の講師依頼が愛知支部の西尾事務局長からあった。何事も深く考えない私は、即座に「いいわよ」と答えた。
 その後冷静になって考えたら、新人研修会の講師になるような団活動をしてこなかったことに気づいた。そこで、その日の内に撤回を申し出た。ところが、西尾事務局長は「本部に伝えてしまった、真面目な話ばかりではなく、偶には傾向の変わった話もいいのではないかということで、原山さんが候補になったの…」と、うまく丸められてしまった。こうして、私は柄にもなく講師を引き受けた。
 当日は、事件活動、担当した男女差別事件などを話し、子育ての苦労などを率直に語った。懇親会の席上で豊田団長から「あなたの話は、新人が一〇年後くらいに分かるかも…」と言われた。そうかも知れない、子育ての苦労などは経験してみなければ分からないからと何となく納得した。
二 中谷弁護士の話に感激
 今回の新人学習会の収穫は中谷弁護士の話を聞けたことだ。「当事者の思いを大切にすること。情勢を固定的に考えないことー情勢は運動によって変わりうるー」などの指摘は私にとってはすごく新鮮で、弁護士活動の原点だと思った。私はすぐ「これは難しい」などと言うので反省しきりであった。
三 講師を引き受けてよかったと思う
 私たちの話の後、質問の時間で新人の方々から、彼らの考えていることなどが聞けたし、懇親会でも数人の新人と話をし、彼らの団への熱い思い、悩みなどを聞く事が出来、刺激を受けた。
 夜は、懐かしい方々と同室になり、いろいろ語り合い楽しいひとときを過ごした。
 新人学習会の講師を引き受けたおかげで、館山寺温泉に二泊し、分科会にも出席出来た。
 そして、最後の日は西尾事務局長の優しい配慮で、地ビールレストランで、愛知支部の団員の方々と歓談した。これも私にとってはとてもうれしいことであった。
 この体験を通じて、これからは団の会合に出席しようと思ったことである。


五月集会の感想・自己紹介

兵庫県支部  内 海 陽 子

 この四月に五二期司法修習を終了し神戸合同法律事務所で弁護士として働くことになりました内海陽子と申します。
 兵庫県の東南部、いわゆる阪神地区で育ち、中学校、高校は大阪に通い、大学は京都、修習は神戸と、関西の三都を制覇しましたが、最終的には修習をさせていただいた事務所で弁護士をすることになり、神戸に落ち着くことになりました。同じ関西でありながら、大阪、京都、神戸の三都市は全く印象が違うと言われます。大学時代を過ごした京都も趣のある古都で大変好きなのですが、神戸には海と山の両方があり自然が身近に感じられること、関西の中ではどちらかというとのんびりしていて人が優しいことが気に入っています。このように普段のんびりした神戸で仕事をしている私ですので(のんびりしているのは私だけ???)、今回、団の五月集会に初めて参加させていただき、同期の新入団員の方も含め、全国の団員の方のパワーに圧倒されたというのが第一印象です。
 全国各地で団員の皆さんが取り組んでいらっしゃる問題は、多岐にわたり、かつその内容が専門化され、最先端の議論がなされているのに驚くと同時にまだまだ自分の知らない弁護士の活動があるのだと実感しました。
 今回私が参加した分科会は自然保護の分科会と少年法改悪の分科会でしたが、特に自然保護の分科会は沖縄のジュゴンを守るための法的構成として国内法のみならず、国際法、アメリカ法の適用まで考えられていることを初めて知りました。ちなみに私は宴会後のビデオ上映で「ジュゴンが見たい。」と騒いでいて、その後ビデオをいただきました(笑)。どうもありがとうございます。大切にします。ただ、私の家にはビデオデッキがないのが残念です。
 少年法の分科会では、そのときちょうど私が少年事件に力を注いでおり、少年法の手続きで疑問に感じることもあったので、大変興味をもって参加しました。有名な草加事件の背景、実際の裁判を知ることができたのは、今後少年事件を扱っていく上で必ず役立つと思います。また、少年事件では必ずと言っていいほど教育問題が出てくるので、現在の教育についての講演は自分が知らない最近の教育の実態を知る手がかりとなりました。
 もう一つ五月集会で驚いたのは、あの大宴会場です。
あんなにも大勢の、しかも様々な期の弁護士が集まることがほかにあるのでしょうか。改めて団員の方々の結束の強さとともに、五月集会や新たな問題への取り組みにかける熱意を感じました。
 五月集会では同期の方と久しぶりに会うことができ、仕事を始めてからの自分の悩みを聞いてもらうこともできました。また、同期の皆さんの近況や意気込みを聞いて、私もこれから熱意を持って取り組める事件を開拓していこうと思いました。
 このように、多くの刺激を受けた五月集会、来年からも積極的に参加したいと思いますのでよろしくお願いします。


五月集会に参加して

大阪支部   中 筋 利 朗

 今年の四月から、大阪の天王寺法律事務所で働いている中筋と申します。仕事にもようやく少し慣れてきたというところです。簡単に自己紹介しますと、出身地は大阪で、大学を卒業して約四年ほど関西の家電メーカーの研究所に勤務した後、法曹の世界に転身しました。修習地は奈良でした。
 自由法曹団に関しては、修習生時代に弁護士の方から「憲法判例をつくる」という本を頂いて、その学習会に一度参加させて頂いたほかは、特に活動に参加させていただいたことはなく、本格的な活動に参加するのは今回が初めてです。
 五月集会では、分科会については、実のところ、実務にすぐに役立つだろうという少々安易な考えで、リストラ・合理化、商工ローンの二つを選んで参加させていただいたのですが、労働問題や商工ローン問題の厳しい現状ーたとえばリストラの手口自体の巧妙化、規制緩和や雇用の流動化という風潮のもとに労働者を保護するために営々と築きあげてきた判例が揺らぎ始めていること、そればかりか容易に労働者を解雇するのに利用できるような立法までなされていること、またサラ金、商工ローンについてもマスコミ等でかなり叩かれているにもかかわらず被害が決して収まっていないことーを聞かせて頂き、また、そのような厳しい状況の中で、自由法曹団の弁護士の方々が現状を少しでも改善しようと様々な先進的な取り組みをなされ、そのような活動が社会にも影響を与え、現在の規制緩和=(大企業の)経済活動の自由優先の風潮を押しとどめるのに役立っていることを知るにつけ、私自身今までに成し遂げられてきた成果を取り入れる(=実務に役立てる)ことはもちろん、それだけでなく、私自身も少しでも現状を改善できるような新たな取り組みができればと考えています。
 とにかく、この集会では、多くの弁護士の色々な話を聞くことができ、また全国各地に散らばった同期の人とも情報交換ができ、私個人にとって楽しくかつ非常に有意義なものであったと思います。
 今後は、自分自身が情報の発信源となれるような弁護士目指して頑張っていきたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。


五月集会の感想

東京支部  大 崎 潤 一

 五月集会の浜松へ。浜松と言えば鰻。単純で思い込みの激しい私はまるでドイツ人は水の代わりにビールを飲むというのと同じように浜松の人は鰻を食べているという短絡的思考に犯されたまま浜松駅へと向かった。しかし、私の浅はかな固定観念が崩れるのに時間はかからなかった。浜松駅に降り立つとそこにはピアノがおかれている。浜松と言えば鰻、鰻と言えば浜松しか思い浮かばない私の脳には浜松の特産品にピアノがあるということは全くインプットされていなかった。大学生の学力低下が言われるが、司法試験に日本地理が存在しないまま久しい年月を経て知的能力の低下が進行しているのではないだろうか(それは私だけか)。
 だが、事実をありのままに見ることの重要性を悟ったはずにもかかわらず、ものの数分もしないうちに私の頭はまた鰻に占拠され、鰻屋へと向い、鰻はやっぱり浜松でなきゃとブランド指向にどっぷりつかってしまったのであった。数十年かけて培われた鰻=浜松という強力な思考の連鎖は簡単に断ち切れない。人間の考えを変えていくことの難しさをつくづく感じた。
 さて、五月集会では日曜日の全体会で司法改革についての集中的な討論が行われた。こうした試みは、聞いている側としても論点がはっきりしておもしろい。同時に、一人一人の考えの一致点を見つけ、相違点を検討し、よりよい案を考え出していくことの大変さも感じられる。丁寧に話をしていくことの大切さ、その丁寧さの難しさに思い至る。
 しかし、この程度でへこたれていてはいけない。何しろ、私たちが取り組むべきことは司法だけではなく日本全体を改革していくことだ。そこでは話し相手を説得し、一致点を広げ、また自分自身の考えを発展させていく粘り強い取り組みが必要だ。身内のなかですらそれができないようでは、日本全体の改革をどうしてできよう。しかも、日本の改革は国民的な合意の下で行うべきだと考えている。どうしても、丁寧で胸におちる話し合いが必要だろう。
 今年の五月集会、そして今年のできごとがそうした階段を一歩確実に上るステップになることを思い致しながら私は浜松を去ったのであった。


吉田団員の指摘への「回答」

東京支部  松 井 繁 明

 吉田竜一団員が、団通信九八七号・五月集会参加の感想の中で「芝信用金庫事件のような判決を書いた同じ裁判所(高世コートのこと)が、なぜ、JR採用差別事件や国民金融公庫事件であのような判決を書くのか、この点についての分析があれば、もっと興味深くなったのではと思います」と指摘しておられる。
 もっともな指摘であり、ぜひ「分析」したいところであるが、じつは「よく判らない」というのが正直なところである。
 高世コートはこのほかにも、日本航空就業規則改訂事件でも、航空の安全を理由として労働者側勝利の判決をおこなっている。
 この事件については、裁判官らも飛行機に乗るので生命が惜しかっただけではないか、という悪口もないではない。しかし、航空の安全を全面に押し出した主張・立証が裁判官の説得に成功した事例、と評価してよいだろう。
 これにたいし芝信用金庫事件判決と国民金融公庫事件との関係は、合理的な説明がつかないところがある。
 芝信用金庫事件判例では、労働者の能力が「相当劣悪」であっても、つよい不当労働行為意思の存在が認められる場合には「決定的動機説」にもとづいて決するべきものとし、不当労働行為の成立を認めている。ところが、国民生活金融公庫事件では、つよい不当労働行為意思の存在を認定しながら、労働者に「悪魔の証明」を求め、労働者の勤務成績、能力について「相当劣悪」と認められれば、すべて不当労働行為の成立を否定しているのである。仮に「相当劣悪」であっても、その「決定的動機」がどちらにあるかの認定をなぜ、はぶいてしまうのか、判決には何の言及もない。二つの判決の間には明らかな矛盾があり、裁判所の精神の「分裂ぶり」を示している、としか見られないのである。
 この間の事情を、整合的に説明しうる唯一のものは「高世コートは労働委員会が嫌い」である。芝信用金庫事件は中労委での棄却命令に対する判決。高世コートは常に労働委員会とは反対の判断をする、というのである。ーしかしこれは、単なる偶然に過ぎないだろう。
 以下は私見だが、高世コートの裁判官らには基本的人権や労働法に関する明確な視点があるわけではない。自身の司法内部での出世を見据えて、一面「骨のあるところ」をみせながら、他面、全体としては体制に順応してゆく、ある種のバランス感覚に基づいて判決をおこなっているのではあるまいか。その両面を器用にこなしてゆく程度には「有能」なのである。
 しかしこれこそが、司法官僚制のもとでの「有能な」裁判官像にほかならず、われわれが批判の対象としなければならない、当のものなのである。
 ーこれが吉田団員への「回答」だが、まさに「回答になっていない」ところが情けない。


一泊旅行

東京支部  柴 田 五 郎

 五月集会の後、恒例の一泊旅行に参加した。北は宮城県支部の庄司さん、南は福岡支部の吉野さん夫妻始め三人、金沢からは新人の弁護士と事務局員計四人(それも全員女性)、その他茨城、東京、奈良、それに地元静岡からは案内役の森下さんと石田さんをあわせて四人、総勢一四人で、バス貸し切りの贅沢旅行。
 まずは龍潭寺(りょうたんじ)。うぐいす張りの廊下と、左甚五郎作と伝えられる八方睨みの龍、それと回遊式の庭がすばらしい。
 次は竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)。東海随一の規模の鍾乳洞で、黄金の大滝、雲上の間など自然の造形美を展開、故人が気違い扱いされながらウン十年の歳月をかけて堀抜いたというからビックリ。
 ついで方広寺(奥山半僧坊)。東海地方の代表的禅寺とか。
 陽もかげりはじめ、お腹も空いてきたので、宿をめざして北上、静岡から愛知へ県境を越えた辺りでは、第二東名高速道路の工事が進んでいたのには、驚いた。
 さて泊まりは、浜松の奥座敷とでもいうべき湯谷(ゆや)温泉、宇連川(うれがわ)沿いに建つ純和風のこぢんまりした隠れ宿風の「はつ」なる旅館。渓流に迫りだした露天風呂が素晴らしい、料理がこれまた山と海の新鮮な食材を使い、冷たいものは冷たく、暖かいものは暖かく、板さんの心配りが伝わってくるよう…。勿論アルコールは何でもあり。
 翌日、まずは鳳来寺。薬師信仰と山岳修験の霊山、ウリの仏法僧(正確にはコノハズク)の声は、聞こえなかった。
 長篠の合戦跡をかすめて一路南下、柿とミカンの名産地三ヶ日町、浜名湖の西岸を通って新居の関所、伊場遺跡を見て、浜松駅前の大黒屋で昼食、勿論本場の鰻重(午後の見学先に遠慮してアルコールを控えたのが残念)。
 午後は航空自衛隊浜松基地で、AWACS(空飛ぶ司令塔)を遠望した後、航空自衛隊のアピールを目的に作られた浜松広報館へ。軍備とはまさに壮大な無駄としか言いようがない。ただしウン十年前にこれを見たら、私は間違いなくパイロットを目指したかも。
 最後は蜆塚(しじみづか)遺跡と浜松市博物館。しばし縄文人になった気分。 誠に充実した一泊旅行であった。案内人の森下さん、石田さんに多謝。


一泊旅行への提案(本部へのお願い)
事前準備の充実と本部役員の参加とを

宮城県支部   庄 司 捷 彦

 浜松の五月の風は、爽やかに私を包み込む。舘山寺温泉は、字面からの印象を見事に裏切って、浜名湖のほとり。磯の香りが満ちている街。団五月集会はここで開かれた。
 私は例年のように、新人学習会から参加した。そのあとの討論集会にも、聴き手の一人として参加した。司法問題の討論も警察問題の討論も、いずれも刺激的ではあったが、どこか消化不良気味。日頃の勉強不足と弁護士会内での活動不足を痛感させられた次第。
 団通信九八七号にすでに内容の濃い「五月集会の感想」が掲載されている。これを越えるものはとても書けそうにない。ここでは、恒例の企画となっている「一泊旅行」の充実についてささやかな提案を試みることとしたい。
 今年、一泊旅行に参加して驚いたのは、本部と静岡支部との議論の中でこの企画の中止が論じられた、と聞いたことである。いつから、どのような意図で一泊旅行という企画が始められたのかは知らない。しかし、私の何度かの参加経験からすると、地方に住む団員にとって、五月集会や総会のあとの旅行は、なによりの楽しみである。集会での熱い議論のあとに、肩の力を抜いて、その土地々々の名所を散策し、先人たちの闘いの足跡を学ぶひとときは、心休まる格好の機会である。議論の場では分からない団員諸兄の気質や人柄に触れることも楽しみの一つである。この旅行での歴代団長・幹事長との交流も忘れがたい思い出を刻み込む。
 いわば団本部と地方散在団員との貴重な交流の場なのである。
 是非継続してもらいたい企画だ。ただ、改善すべきものがあるとすれば、@地元支部による事前準備の充実とA団本部役員(本部事務職員も含む)の参加である。@については、旅行者のガイド任せではなく、案内役の地元団員の熱心さが、旅の味わいを増幅してくれるから。Aをあえて希望するのは、(団本部役員の若返りに比例して)最近この方々の参加が目に見えて減っているからです。日帰り旅行も一泊旅行も、団本部が主催する五月集会・総会企画の一部なのだから、本部役員の一定数の参加は義務的なものではないのだろうか。この方々の参加は、間違いなく、旅をより充実したものにするだろう。
 さて今年の浜松での一泊旅行は、古寺を訪ね、鍾乳洞に遊び、静かな宿で疲れを癒し、二日目には、保存運動の嚆矢ともいうべき縄文遺跡、住宅地内の貝塚見学など、私好みの内容だった。そして圧巻は「自衛隊浜松基地」を案内されたこと。そこでは、いつの間にか米軍の巨大な空中給油機が常駐している姿があり、ガイドラインが確実に進行している有様を肌で感じさせた。ここにだけあると言う航空自衛隊の「展示館」では、最先端の戦闘機・ミサイルなどが展示されていて、自衛官がにこやかに案内につとめていた。ここでも戦争法の影が色濃く感じられた。浜松平和委員会の方の説明は、平明で穏やかな語り口の中に、この国の真の独立への確かな希求と現状への憤りとを潜ませていて、粘り強い運動の蓄積を感得させられた。田代支部長と平和委員会との強い絆も知ることができた。
 前記の、@地元支部による事前準備の充実とA団本部役員(本部事務局員も含む)の参加、という条件からみると、@については十分なものがあったと言えよう。惜しむらくは、Aが充たされなかったことである。このままでは、「好きな連中の勝手な企画」になってしまわないか、心配である。本部での検討を希望するしだい。
 追記。懇親会で、冨森啓児兄の詩集「大いなる日に」から二編の詩を朗読させて頂いた。その成果か、同詩集はかなりの売れ行きだったとか。おまけに私の本も少し売れた。うれしい限りです。ご協力頂いた諸兄に感謝いたします。(二〇〇〇・六・一四)


久しぶりの五月集会

東京支部  平 山 知 子

 十数年ぶりに五月集会に参加しました。
 これも、ひとえに、サミット初日に意見広告を=の宣伝をさせていただこうという下心のためでした。
 もちろん、懇親会の席、分科会の席で訴えさせていただくことができ、とても感謝しております。そして実際、団長・幹事長を始め多くの団員のみなさまから今もご協力をいただいております。
 それにしても、あらためて五月集会に参加して良かったと思っています。
 何より感じたことは、若い団員の方々が増え、中心になって立派に、しかも多面的な活動されていることでした。自分の年齢、十数年もさぼっていたことからすれば当たり前の話なのですけれど、妙に感動してしまいました。
 特に、懇親会の席上で紹介された新入団員の数の多さとその決意表明の新鮮さは印象に残りました。自由法曹団の二一世紀の展望がここにありという感じでした。
また、新人研修の講師だった原山恵子団員は私と同期、久しぶりの再会でした。杉井静子団員、福地絵子団員とも同室で、すっかり話が弾み、楽しいひとときを過ごすことができました。
実は、サミット初日の意見広告運動への協力を求めに、一献傾けている団員諸氏の部屋を次々と訪問して、その場で賛同金をいただいちゃおうなどともくろんでいたのですが、その計画はあえなくつぶれてしまったというわけです。
 さて、そこで、サミットまであと一ヶ月、一〇〇〇万円の目標の内、今二〇〇万円をようやく突破し、運動としての広がりが見え始めたところです。
 総選挙の最中で、弁護士といえば、カンパ攻勢の目標になることは十分に承知しております。七月八日の法律家の国際シンポの成功のためのカンパも重要です。
 しかし、敢えてお願いいたします。これからでも十分間に合いますので、振り込もうかなと思っていて下さったけれど、まだ振り込んでおられない団員の方々いらっしゃいましたら、どうか左記のところへお振り込み下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。もし、チラシが必要であれば、ご連絡下さい。すぐお送りいたします。(六月一八日記)


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