和歌山支部 阪 本 康 文
和歌山弁護士会は、六月二四日に司法改革を実現する市民集会を開催しました。笑福亭松枝師匠による司法改革落語「真ちゃんの災難=他人事ではない裁判制度」で座をほぐした後、パネルディスカッションに入りました。パネリストは、日本裁判官ネットワークのメンバーで当地和歌山家裁判事の森野俊彦裁判官、東京新聞・中日新聞論説委員の飯室勝彦氏、社団法人和歌山青年会議所理事長の木綿紀文氏、京都の市民団体である開かれた裁判を求める市民フォーラム事務局員の木村祥子氏、当会会員で日本弁護士連合会副会長の岡本浩弁護士です。コーディネーターは由良登信副会長が務めました。
この市民集会は、司法制度改革審議会の中間答申をにらみ、今年の六月頃に開催すべく、一月に入って検討を始めました。三月下旬にはパネラーも確定し、着々と準備を進めていたときに、小渕前総理の突然の病気・内閣総辞職という誰も予想しなかった出来事が発生し、何と市民集会は衆議院議員総選挙の前日となってしまいました。マスコミや市民の関心が総選挙に流れることが予想され、また、労働組合関係者等の参加が見込まれなくなりました。しかし、もはや日程の変更などできません。この危機意識が会員を動かせました。会員が手分けしてかつてない三万枚のチラシを各方面や依頼者等に配布しました(司法改革署名も同時に)。その結果、当日は約三〇〇人の参加者がありました。和歌山弁護士会の過去の集会からしても多数の参加者です。
内容は、司法の問題点の提示、法曹一元制、陪審制という大きな枠組みで進行し、各パネリストの方から的確な意見が出され、法曹一元の実現や陪審制導入の必要性についての議論が深まり、会場からも予想を超える多数の質問・意見が寄せられました。和歌山の市民にとって現職裁判官の法廷外での生の声を聞くのは初めてと言うこともあって、最後まで熱心に聞き入り、森野裁判官の率直な発言(時には駄洒落)もあいまって森野裁判官のような裁判官ばかりであればよいのに、という意見もありました。参加者の感想も好評であり、法曹一元制、陪審制の実現のために大きな意義があったのではないかと思います(司法改革市民署名も六月二四日時点で八三〇〇名を超えるなど順調に集まっています)。
愛知支部 長 谷 川 一 裕
1 経過
愛知では、二月から司法改革運動を推進する連絡組織を結成することをめざし、「市民のための司法改革を求める愛知の会」準備会を結成して活動を進めてきました。
これまで七回の準備会を行い、論議を進めています。
準備会には、自由法曹団、青年法律家協会、東海労働弁護団、日本民主法律家協会等の弁護士、国民救援会、愛知争議団、愛労連、名古屋南部大気汚染公害訴訟(あおぞら裁判)を支援する会、管理職ユニオン、日照権問題を取り組む一級建築士等が参加し、司法改革についての懇談を行ってきました。
労働裁判、環境公害裁判、日照権訴訟等の現状と司法改革の必要性についても議論を行い、自由法曹団、日本労働弁護団、国民救援会の提言等についても議論を深めてきました。
六月二八日には、法廷ウオッチングを行いました。三〇名が参加し、岡谷鋼機女性差別裁判と一般民事事件、刑事事件の傍聴を行い、傍聴後には法廷傍聴の感想を出し合い、日本の裁判の問題点について懇談しました。
2 今後の方針
七月一九日に、日独裁判官物語上映と「市民のための司法改革を求める集い」を開催します。記念講演は竹内浩史弁護士(名古屋市民オンブズマン)。同つどいでは、正式に「市民のための司法改革を求める愛知の会」を結成する予定です。
3 問題点
準備を重ねる毎に参加者の一定の広がりを作りだしているものの、まだまだ端緒的なものであり、幅広い団体、個人の参加を勝ち取るに至っていません。
五月下旬には、愛労連、愛知県商工団体連合会、新日本婦人の会、年金者組合、全司法等の諸団体を訪ね、協力を要請しました。
また、一九日に向けて、県内の労働組合、民主団体、個人に、会への参加と日弁連一〇〇万人署名への協力を呼びかける文書を送付し、準備会のメンバーで手分けして参加を呼びかけることになっています。
東京支部 松 島 暁
一 はじめに
団通信九八七号(六月一一日号)に、和歌山支部の小野原聡史団員の「法曹一元の旗は高く掲げるべきー五月集会における松島氏意見に対する反論を中心に」と題する一文が掲載された。右において小野原氏は、五月集会司法問題分科会に私が提出したペーパー「『司法改革』問題に関する意見」及び特別報告集に掲載の「司法制度改革審議会『論点整理』は何を物語るか」に対する、批判的な見解を述べている。
私自身は、司法問題に関しては特に活発に活動してきたわけではなく、どちらかといえば「外から」司法問題を見てきた一団員にすぎないが、先の五月集会のテーマが「司法改革」であったことから、この間考えていることを取りまとめて提出したものである。
五月集会での議論を通じ、司法制度改革審議会や財界・自民党の「司法改革」論をきちっと批判すること、その上で我々の要求を対置するという正しい方針において、おおかたの合意ができたと理解しているので、これ以上は司法問題に深入りするつもりはなかったのであるが、小野原氏の批判が、名指しのそれであること、批判の視点が五月集会(全体会・分科会)での議論を踏まえているとはとても思えない独自の観点からのものであること、さらに批判の内容を通じ小野原氏が誤った「司法改革」論に固執していることが伺えることから、あえて以下において、小野原氏の所論に対する批判・反論を行うこととし、そのなかで「司法改革」問題に関する私の若干の考えを明らかにしたい。
二 小野原氏の批判の手法についての誤り
小野原氏の議論の特徴として、先ず指摘しなければならないことは、私の意見を不正確に紹介した上で批判するという手法にある。議論の仕方として、不正確な引用や中途半端な要約をすべきではなく、筆者の言わんとするところを正確に理解し、その内容を掘り下げたうえで、その意見のもっている問題性を指摘するというのが、他者を批判する場合の最低限のルールである。
例えば、次の箇所である。
特別報告において当面なすべき団の課題として提起した「今、自由法曹団は何をなすべきか」(一三〇頁)を次のように要約したうえで、「それでは何をすべきかについては、批判、暴露だけを言い、あるべき国家像、司法像の提起という点については何も語っていない」と批判する。即ち、私の提起した課題を、「一、審議会に対する徹底した批判、二、裁判の現状のひどさの暴露、三、我々の目指す国家像、司法像を作り上げること」と要約されているが、不正確な要約である。原文は以下のとおりである。「第一は、司法総行動等あらゆる機会を通じ、司法制度改革審議会に対し、徹底した批判を加えることである。我々が改革審に提出する要求は、仮借なき批判を踏まえた要求でなければならない。第二は、裁判の現状のひどさを広範な人々に暴露すること、そしてそのひどさの原因を歴史的・構造的に明らかにすることである。第三には、困難かもしれないけれど、司法改革市民会議等と協力しながら我々の目指す国家像・司法像を作り上げることである」としているのである。
課題の第一で指摘したことは、改革審に対する徹底した批判を行い、その批判を踏まえた要求(もちろん法曹一元も要求の一つである)の必要性を提起したものである。批判で事足りるとしているものではない。私の原文を中途半端に要約した上で、「批判、暴露だけを言」うとの批判は、フェアーではない。
また課題の第二は、単なる裁判のひどさの暴露を主張したものではない。何故そのようなひどさが生ずるのかを歴史的・構造的に明らかにすることの必要性を主張しているのである。単に「裁判がひどいよね」等ということをいくら言っても始まらないのである。何故そのようになるのかをよく検討しなければならないと考えるからであり、私が直接携ったNTT最高裁判決や全動労判決について分科会意見書において言及したのは、私なりのその試みの一つであり、東京支部や大阪支部の裁判告発集の作成・発行はその成果の一つなのである。それらの具体的な分析を通じて、今日の裁判のひどさの最大の要因が官僚司法にあり、官僚司法を変革することが司法改革に通ずる最短の道だとなれば、「法曹一元」こそ唯一最大の課題として提起すればいいのである。残念ながら、今日の裁判のひどさの最大の要因が官僚司法にあるとの結論には至らなかった。
三 小野原氏の批判の基点についての誤り
また小野原氏は、「松島氏は、法曹一元を闘いの旗印にすることについては誤りだとした上」でと言い、以下「それでは何をすべきかについては、批判、暴露だけを言い、あるべき国家像、司法像の提起という点については何も語っていない」と書いている。右の小野原氏の紹介にあるように、小野原氏の議論の出発点は、私が「法曹一元を団の闘いの旗印にすることについては誤りだ」としている点にある。右のような議論がはたしてあるのかどうかわからないが、小野原氏の言うこの「法曹一元を団の闘いの旗印にすることについては誤りだ」とする議論を仮に、「旗印誤り論」と呼ぶならば、この論を私がとっているという誤読が、その後の間違った批判のそもそもの出発点である。
何時、どこで私が「旗印誤り論」を主張したというのだろうか。法曹一元を団の闘いの旗印にすることが誤りだとか、法曹一元を要求すべきでないという主張を行ったことはいまだかつてない。また、法曹一元が間違いであるとか、キャリアシステムの方が優れている等という抽象的で「空疎」な議論をしたこともない。もちろん小野原氏のように、法曹一元を絶賛したこともなければ、「今回の司法改革」で法曹一元を何が何でも実現しなければならないと考えているわけでもない。法曹一元が実現すればすべてが解決するかのごとき議論やその延長線として法曹一元を唯一最大の課題だとする意見が間違っていると主張しているのである。その点で、法曹一元は望ましい「一つ」の制度改革だと考えているにすぎない。
確かに、私は分科会意見書のなかで、「最近の『解雇四要件』の緩和・骨抜き等の傾向を見るとき、今日の司法の病根は、官僚司法というより、日本社会全体の規制緩和化、大国主義化、右傾化にこそより深刻な問題性があると思われてならない。従って、法曹一元の実現によって司法の問題性の多くが解決するかのごとき論調には同意できない」であるとか「『この国』の大国主義化と規制緩和社会化は避けられないものとして受入れ、その上でせめて司法、その一部だけでも改革(例えば法曹一元の実現)することが求められているとの判断もあるでしょう。しかし、私は、そのような社会における法曹一元も大国主義化されたそれであり、規制緩和が支配的な法曹一元だと考えます。憲法九条の理想をあくまでも掲げて闘う主体と運動があり、グローバルスタンダードを受入れないとする勢力が強固に存在することこそが、日本の司法がまともな判決を出す条件だと考えます。決して法曹一元制度の存在ではない」と書いている。これは、日本の司法がまともな司法となるためには、「この国」の大国主義化や規制緩和社会化そのものと闘う必要性を主張しているのであり、法曹一元によって問題の多くが解決するものではないことを訴えたものである。この文章をもって、「旗印誤り論」を私がとっているというのであれば、小野原氏の誤読と言わざるをえない。
あるいは、特別報告集の「今、自由法曹団は何をなすべきか」において法曹一元に触れていないことを根拠に、「旗印誤り論」を私がとっていると小野原氏は判断しているのかもしれない。ところで、小野原意見と同じ九八七号には鈴木幹事長の「国民とともに司法改革運動の一層の前進を」という五月集会でのまとめの文書が掲載されている。その最後に四ないし五点の行動を提起しているが、そこには法曹一元という言葉は出てこない。小野原氏の論法でいけば、幹事長も法曹一元を闘いの旗印とすることに反対しているということになりそうである。
小野原氏には、もう一度あらためて文書を厳密に読み直すことをすすめたい。幹事長は「行動提起」といい、私は「今、自由法曹団は何をなすべきか」と言っているのであって、団の闘いの旗印や基本的な要求、制度改革要求が何かを論じているものではない。批判の前に何を論じているかを正しく読みとるべきである。
四 要求と課題の混同という小野原氏の誤り
小野原氏において、私が「旗印誤り論」をとっていると批判の基点を間違ってしまった原因は、一つには正確な文章の読解をしなかったこと、もう一つは団の基本的要求と当面の課題・行動提起とを混同したことにある。
私がここで強調したいのは、一般論として、政治情勢・状況というのは日々刻々変化するものであり、その時々の状況や事態に応じたもっともふさわしい方針・課題が立てられなければならないという原則についてであり、それと運動上の要求・スローガン・旗印とは異なるという点についてである。
改革審が「論点整理」において、大国日本の国際貢献と国内治安の維持・強化を主張し、政治改革・行政改革・地方分権推進・規制緩和等の経済構造改革の最後のかなめとして司法改革を位置付け実行に移そうという(政治)状況にあるとき、それを批判せず、「法曹一元の旗」さえ掲げておれば事足りるとか、改革審の具体的動きと連動することなく法曹一元の旗を高く掲げることが今の時点での課題だとする議論は、何が問題の核心かを曖昧にし、運動の方向性を誤らせるものにほかならない。
例えば、沖縄の闘いにおいて、名護市辺野古沖での海上基地建設が焦点となっているときに、「今こそ安保条約廃棄の旗を掲げよう」とか「安保再定義・ガイドライン見直しについての地道な学習会活動を」とかの要求を前面に押し出したり、一般的で抽象的スローガンを掲げることは、それ自体正しい要求だとしても、闘いの局面や政治・運動の状況に照らせば誤りなのである。
特別報告を執筆した時点における、団の運動上の課題は、改革審に対する「仮借なき批判」であり、法曹一元の要求ではなかった。この点に関する私の認識・判断は現在も変っていない。何故ならば、改革審には良いところもあるが悪いところもあるだとか、批判されるべき点があれば批判していくという対応では、改革審の動きを全体として容認することとなり、その危険な動きを阻止することはおろか歯止めにすらならないにもかかわらず、特別報告執筆時において、団として改革審(とりわけ「論点整理」)を正面から批判したことは一度もなかったからである。私の知る限り、「論点整理」に関して団が決議や声明を出したことは一度もないし、団通信に載った批判的見解は、九七五号の高橋融団員の「『論点整理』と司法改革の課題」一本だけである。そのような状況の下においては、先ず改革審の路線に対しこれを批判し、改革審の路線とは異なった道を選択した上での法曹一元であることを明確にすることが、当時求められていた団の課題だったのである。
もちろん私とは異なった状況認識もあり得るだろう。それならば、法曹一元を一般的抽象的に語るのではなく、法曹一元を前面に出して運動することの裏付けとなる自らの状況判断や情勢認識を示すべきである。ましてや、私が「旗印誤り論」をとっているなどという決めつけはやめていただきたい。
五 制度それ自体を偶像化する小野原氏の誤り
小野原氏は、「法曹一元はなぜ必要か」(五月集会特別報告集一二六頁)のなかで、「今回の司法改革では法曹一元を何としても実現しなければならない・・・・そのためには、弁護士の大半が法曹一元についての正しい認識と自分達が責任をもって立派な裁判官候補者を推薦する決意を持ち、国民の間にうって出て世論を形成していくことが重要だ」と述べ、最後に「国民主権という面から見ても、法曹一元はそれに最も合致した制度ということにな」ると結んでいる。
小野原氏の特別報告における議論の個々の内容については賛成できる点もあればそうでない点もあるのであるが、小野原氏の議論で気になるのは、法曹一元という制度に対する過信、崇拝を感ずる点である。
確かに、法曹一元を高く評価するうえで、憲法の基本原理によって法曹一元を基礎付けたいという衝動を理解できないわけではない。しかし、国民主権に「最も合致した制度」とまでいうのは言い過ぎであろう。団もその普及をすすめている「日独裁判官物語」の一方の国ドイツは、法曹一元を取ってはおらずキャリアシステムである。ドイツが国民主権をとっていないという話しや法曹一元を採用していないが故に問題があるとの議論を、私は寡聞にして聞いたことがない。むしろ法律家を含む戦争責任に対する一貫した追及と裁判官の市民的自由・裁判の独立において、その優位性が認められるのだと思う。
そもそも制度それ自体を抽象的一般的に論じても意味がないのである。選挙制度として小選挙区制が優れているのか比例代表制がまさっているのかを、制度それ自体としていくら議論しても意味がないのと同様、法曹一元かキャリアシステムのどっちがいいかを論じあっていても結論は出ないのである。制度それ自体をその国の歴史や国家体制、法文化と切り離して論ずることは、結局は、その制度が実現すれば多くの問題が解決するかのごとき幻想を振りまくだけである。小選挙区制になれば政治改革が実現するかのような論調が跋扈していたことは、われわれの記憶に新しいところである。
「法曹一元の正当化は究極的には歴史的根拠しかないということです。その国の弁護士集団が国民の信頼をかち取ってきたという歴史的事実があればその弁護士層を基礎とする法曹一元は正当性をもつという、そういう問題だと思います」という小田中教授の指摘(法律時報七二巻一号二二頁)に私は全面的に賛成する。
さらに小野原氏は、制度そのものしか視野に入れていないため、次のような奇妙な議論を展開する。即ち、私が「日本の司法がまともな判決を出す条件」ということを根底に据えているようだとして、司法「制度」改革である以上、その条件(といっても小野原氏が勝手に列挙しているだけで、私が条件としてあげている訳ではない。念のため)である、当事者の主張立証、世論の動向や運動は改革の対象外であり、実体法・手続法も直接の対象とは言えず、裁判官の考え方も性格上制度では定められない。国家構造の問題は国会(主権者たる国民)の責務であり、法文化は直接の改革の対象ではないとする。「制度」改革だからというその一言で、司法を取りまく様々な問題群を切捨て、「制度」改革=法曹一元実現に邁進する姿は陳腐としか言いようがない。そのような法曹一元実現運動であるならば、私にとってはまったく関心もなければ興味もないのである。「どうぞ勝手におやり下さい」と言いたい。少なくとも団の提言案における法曹一元の提起は、そのような法曹一元運動とはなっていない。
六 司法制度改革審議会の実体が見えていない小野原氏の誤り
小野原氏は、「松島氏意見でいう審議会の分析、今日の司法の病根の分析については基本的に正当であり鋭いものがある」と一応は口にしてみるが、一歩その中身に踏み込んだとき、その批判の内実ははなはだ心もとないものなのである。
司法制度改革審議会に対する評価を小野原氏が行ったものとしては、団通信九八四号「司法制度改革審議会をどう見るかー四月常幹の感想と今後の運動の方向性について」(五月一一日号)のなかの以下の一節がある。即ち、「たしかに、司法制度改革審議会は、財界の規制緩和論の影響を受けて政府が従来の手法で設置したものですので、ここにまかせておけば、いい制度を作ってくれるなどという考えは本質的に誤っていると思います。しかし、逆に、政府財界の作ったものだからつぶすべきというのも一面的だと思います。審議会の本質的性格がそうであるとはいっても、それだけではなく、国民の間に渦巻く裁判所不信、権利救済の要求、それに基づいた団や日弁連の要求を反映したという面も否定できないからです。中坊さんが委員になったという事実もこの反映であり、その点では評価すべきと考えますが、そうはいっても審議会全体の過大視は禁物です。この意味では、私たちが日常的に活動あるいは業務の場としている裁判所などの国家機関の二面性と同じと思います」。この箇所だけである。ここで小野原氏がいっていることは、過大視は禁物だが評価すべき点もあること、その点で裁判所などの国家機関の二面性と同じだというに尽きる。
しかし、求められているのは、改革審の発足の経緯やその構成員の評価のみならず、審議会における議論や公式非公式の発言を踏まえ、その問題点を具体的に抽出したうえで、その問題性を自らの言葉で語ることである。およそ国家機関には二面性がある等というお題目を唱えていても「評価・批判」したことにはならない。
小野原氏の論でいけば、本年二月に発足した衆参両院の憲法調査会も二面性があり、「政府・自民党の改憲論の影響を受けて政府が従来の手法で設置したもので、ここにまかせておけばいい憲法ができるなどという考えは本質的に誤っているが、逆に、政府自民党の作ったものだからつぶすべきというのも一面的だ。調査会の本質的性格がそうであるとはいっても、それだけではなく、国民の間にある改憲の要求を反映したという面も否定できない」等という評価になりそうである。
この程度の認識をもって改革審に臨むならば、結局は、改革審の危険な動きの阻止はおろか歯止めにもなりえないであろう。
七 司法制度改革審議会は何を物語るか
はじめに記したように、私自身は、「司法改革」問題については外から見てきたといえよう。私自身は、沖縄の基地闘争(裁判)を軸にしながら、安保・平和・憲法問題を主たるテーマ、活動の柱としてきた。そのような立場の団員からは、司法制度改革審議会、とりわけその「論点整理」は絶対に認めることはできないのである。
改憲問題、特に憲法九条の平和主義を考える上で、日清・日露からアジア・太平洋戦争に至る日本の侵略に対する歴史認識が決定的に重要であり、また、戦後の出発点・原点を何だと考えるかは、今後の改憲動向を左右する意義をもっている。それなのに、改革審は、大日本帝国憲法および帝国憲法下の諸法典を近代法治国家確立の指標とし、治安維持法とそれを支えた司法制度、大陸侵略の手先として満州にわたった司法官僚を免罪し、「悲劇的な戦争」の教訓は、国民主権、基本的人権の尊重、法の支配であって、「戦争の放棄」や「平和主義」は教訓とはしないことを表明しているのである。かかる見解を、中坊委員を含む全員一致で了承する組織体に対して何らかの信頼を寄せることは狂気の沙汰である。たとえ法曹一元、陪審、法律扶助を口にしようともである。
また、沖縄問題を考えるとき、戦後、基地の多くを沖縄に押しつけ、その沖縄を拠点とするアメリカのアジア侵略に安保条約を媒介に加担し、その結果として我が国が享受しえた経済成長(発展)を手放しで礼賛し、今後も発展を維持するために、大国日本は国際的に貢献しなければならないとまでいう改革審を容認することは一〇〇パーセントできないのである。
かかる改革審を、単に二面性があるだとか、太田現大阪府知事の応援弁士となり小渕前首相の特別顧問となった中坊氏の改革審委員就任を団の要求の反映だとする議論には、少なくとも、右私の立場からは同意することはできない。
八 おわりに
最後に、小野原氏は、私が「批判、暴露だけを言い、あるべき国家像、司法像の提起という点については何も語っていない。これでは闘いが組めない」という。
私が批判・暴露だけを言っているわけではないことは先に記したとおりであるが、ここでは、現状についての分析や評価のない闘争方針は、有害無益だということ、批判・暴露それ自体が重要かつ立派な運動なのだということを強調しておきたい。
小野原氏は、「法曹一元」擁護の論陣を張ったつもりでいるかもしれない。しかし、氏の筋違いの議論によって法曹一元の旗はかえって輝きを失う結果になったように思われる。 (七月五日記)
広島支部 相 良 勝 美
昨年になって何度か検査入院を重ね、その結果も思わしくなかったようだった阿左美さんが突然入院手術となったのは、一〇月一日の岡山市で開かれた中国地方弁護士大会の直前のことだった。
同日の大会で提案され、宣言として採択される予定であった「法曹一元制度の実現を求め、運動を推進する宣言案」は、司法改革推進センターにおいて活動を続けていた阿左美さんの手になるものであったが、急拠大会の会場での提案説明者が差し代えられて、あの特徴のある語り口を耳にすることができなかった。
間もなく、入院手術の結果は胃癌のための全摘手術と聞こえて来たが、そのような例は近年身近によく話を聞くことでもあって、ご本人も療後、ときどき事務所に出て仕事をこなし、年明けには通常に復して元気な姿を皆の前に見せる筈とのことで、特にそれ以上気にも止めず、従って自宅も同じ町の近所に住んでいながら、とりたててお見舞いという形の訪問もしていなかった。
五月たまたま日弁連の会議で上京の折に、地下鉄丸の内線のホームで、仙台から出て来た青木さん(一四期)に会ったとき、阿左美さんの容態を尋ねられたのに一般的な雑談に紛らしてしまったのが、やや不本意でもあったので、そのうち様子を確かめようと思っていた矢先の訃報だった。
六〇年安保を修習生の時代に過ごした司法研修所第一四期生は、その後の弁護士活動も波瀾万丈の中で送った多士済々の顔ぶれが目立っている。五月二八日の通夜の席には、遠く神奈川から増本一彦、京都から近藤忠孝、下関からは於保睦の各団員のほかにも、同期で同クラスだったという久保井一匡日弁連会長も参列され、故人とのつながりの深さを思わされた。思えば、これらの仲間たちと比べて、阿左美さんはごく地味な職人肌の仕事師としての人生を過ごして来られた。
一九六七年四月、ぼくが阿左美さんに五年遅れて広島にやって来たころ、一緒に取り組んだ事件は、一〇・二一のベトナム反戦ストに対して公務員にかけられた処分撤回のマンモス訴訟、民放労連中国放送労働組合への刑事弾圧と、解雇懲戒処分の民事裁判・地労委斗争だった。
これらの斗争が組合側勝利の全面解決で終わったあと、それまで並行して準備をしていた山口県下の一家六人強盗殺人事件「仁保事件」に本格的にのめり込んだ。亡き青木英五郎先生を団長とした東京・大阪からの弁護団が編成され、一・二審有罪の死刑判決のあとの上告審で破棄差戻し、広島高等裁判所で無罪の判決を得て確定させるまでの斗かいを共にした。カセットテープのなかった時代で、岡部被告の自白の任意性を立証するために検察側から提出された三三巻の録音テープを反訳し、当時建て替え中のため広島刑務所に仮の施設があった拘置所まで重いオープンリールのテープ・反訳機械を持ち込み、二人で何度も足を運んで被告人に聞かせて内容の確認を繰り返した。阿左美さんが最も血気盛んな青年時代を同じ事務所で、彼は寝食を忘れて(ただし酒はよく飲んだ)ぼくはほどほどに休養をとりつつ、つきあって来たつながりの中で数々の思い出があり、苦労もそれなりに絶えなかったが、要するに仕事師であった。
中四国に、岡山・山口・鳥取を除いてはまだ団員の拠点事務所がなかったころ、二人で四国宇和島の生健会の弾圧事件・伊予西条の紙パ労連丸住製紙の解雇事件・山陰松江の公選法違反事件、交通も不便な地に、翌週分の事件の記録や資料までつめ込んだ重い鞄をさげて、さっそうと動きまわっていた阿佐美さんの背中を見ながらぼくたちは育ってきたことを、今にして考える。
しかし、後輩に対しては、あれこれ指導らしい口出しは一切しないで、口数少なく範を示してきた先輩だった。純朴な人柄と、いくら飲んでも悪酔いしない酒の飲み方で大かたの会員からの支持があって、弁護士会の会長となり、やがて日弁連の副会長となった一九九一年には「鬼の中坊」と異名をとった人づかいの荒い日弁連会長に心酔して、任期満了のぎりぎりの日程まで東京に泊まり込み、その厚い信頼を受けた。多忙中の超多忙の元日弁連会長が、葬儀で追悼の辞を語られたのを聞き、あらためてお二人の交わりの深さが感動的に参列者に伝わった。
阿左美さんの晩年を「晩年」とも思わず、身近でうかつに過ごして来た後輩の身としては今さら語るべき言葉もない。
一九九〇年秋、鳥取の君野駿平先生が逝き、岡山の豊田秀男先生は一九九三年夏にみまかられた。同じ癌とは言え、入退院を二度まで繰り返して見事に再生し、七二才の享年を全うされた君野先生の生き方や、その君野先生の「早逝」を嘆きながら、最後まで後輩に範を示しつつ「巨星墜つ」の印象を周囲に及ぼし、大往生を遂げられた豊田先生、中国地方におけるお二人の大先輩と比べて次のわれわれの世代の死は些か唐突である。一九七九年備後の鞆の浦で団総会が開催されたとき、古稀の表彰を受けて挨拶された故豊田秀男先生は、一休禅師の歌を引かれた。いわく、
「世の中は逆さなるこそ楽しけれ、
年の順ではたまるものかは」 そして
「だから諸君も身体に気をつけなさい。」と結ばれた。思わず背筋を伸ばして謹聴してしまったのだが、ぼくたちは今各々その言いつけをきちんと守って生きているのだろうか。
東京合同法律事務所事務局
小 柴 真 理 子
川 崎 悟
新ガイドライン法が成立してちょうど一周年の五月二四日、「新ガイドライン法採決強行一周年 発動をゆるすな!憲法改悪反対 五・二四学習集会」が港区で開催された。主催は「新ガイドライン関連法に反対する港区連絡会」がよびかけた同集会の実行委員会である。メインは、明治学院大学国際学部教授の浅井基文さんと連絡会代表の松島暁弁護士の「対談」であった。
内容は次のようなものである。浅井先生のお話は「周辺事態法成立後の政治情勢」というテーマで、はじめに、成立した周辺事態法関連法案とはなんだったかをふり返り、結局はアメリカの世界戦略を補完する日本の体制づくりのための法律であったことを端的に指摘したあと、この体制づくりには、有事立法を制定しなければ実行力(強制力)が働かないとされている。
しかし、これから予想される有事立法法制化以前に既にその布石がなされている。例えば、昨年一二月に国会で、東海村の臨界事故を契機に「全会一致で」採択された原子力災害特別措置法は、原子力災害だけでなく原子力災害の発生するおそれのある場合(原子力発電所などへの攻撃)に対する対応についても、自衛隊の出動が備えられており、所管庁は消防庁にも関わらず、自衛隊の出動がすでに準備されていることを指摘した。
また、石原知事の「三国人」発言で露呈した、防災の日(九月三日)に「防災訓練」の名のもとに、自衛隊約四〇〇〇人を動員する大演習計画についてもふれ、計画の実態は治安維持に対応する訓練が含まれており、国民にとって非常に危険な問題であることも指摘した。(編集者注ー例年と同じ防災訓練は九月一日に行われる。それとは別に右の訓練が三日に行われる。)
このように、権力側は、防災訓練なり、原発事故の際の対応だといって協力をせまり、その内側に有事の際の対応をすでに折り込んでおく、もしくはこれから折り込もうとしている。今後、本格的有事法制になるまでは、まだ若干の「余裕」があるかのごとく考えられているが、実際の政治(法律)は既に進んでいる(地方分権一括法案も同様)ことなどを述べ、われわれの警戒や監視、反対が非常に重要になっていると「満腔の怒り」をこめて熱弁された。
一方、松島弁護士は、国会の憲法調査会での動向を紹介し、一般マスコミの側での各種の憲法論の本の発行なども注意を要する問題であることを指摘した。
この集会は約六〇名の参加で数こそ多くなかったが、新ガイドライン法制定以後、その実効性を高めるために着々と準備がなされていることを認識し、我々の運動のやり方も考えなければならないと感じた。(東京支部ニュース六月号より転載)