山口県支部 内 山 新 吾
1 季節はずれ?のいい決定
聞くところによると、東京地裁労働部あたりでは、リストラ容認の冷たい風が吹いているという。が、山口地裁では、今年二月二十八日、教員の大量整理解雇を無効とする仮処分決定が出ている(現在、本案が始まろうとしているところ)。決定直後の報告集会では、うれしさ余って、「リストラの冬に春を告げる決定」「教育の公共性に春の光をあてた決定」と評した。ちょっと季節がずれてしまったが、元気が出る決定なので、報告する。
2 組合のないのんびりした高校での二年連続の人員整理
山口県防府市にある大正年間に創立された私立の女子高。生徒数約七百名。のんびりした職場で(?)、労働組合もなかった。その高校で、九七年、九八年の二年度にわたり、計三二名の教員(非常勤講師を含む)の人員削減が断行された。
口実は、「少子化を理由とする生徒減」「それに伴う収入減により収支が赤字に転換」「人件費比率が高い」「他校に比べて教員数が多い」「赤字体質は構造的なもので、将来にわたって続く」といったものであった。
二年目のリストラが完成する直前になって、指名退職勧奨対象者が立ち上がって、組合を結成。その後、指名解雇された教員のうち四名が当事者となって、地位保全・賃金仮払いの仮処分を申立てた。
3 「人員削減の必要性」という重い争点が中心に
本件では、人員削減に顧問弁護士が関与していることもあって、手続的な面での「失策」は少なく、自ずから、整理解雇の要件の中でも、人員削減の必要性という実体的な要件が正面から問われることになった。
これには、弁護団(といっても二人だが)として、少々不安があった。一つは、最近のリストラ賛美(あるいは、やむなし)の風潮の中で、裁判所も、この要件について、使用者側の裁量を広く認めてしまうのではないか、という不安。もう一つは、財務分析(しかも、学校法人)へのにが手意識である。実際、ショウヒシュウシチョウカガク(消費収支超過額)などというまるで早口言葉のような聞き慣れない概念や数字とにらめっこをしなければならなかった。
他方、「こんなリストラに裁判所のお墨付きを与えては大変なことになる」と、かなりのプレッシャーを感じた。
この不安は、最終盤になって展望が見えてきてからも消えず、「裁判所は、勝たせるなら、人選の合理性の要件あたりで救済してくれるのではないか」と予想したりもした(今となっては、失礼な予測)。
4 「予想はずれ」のいい決定
結果は、本件解雇は整理解雇四要件を満たさず無効という、全面勝利決定だった。
決定の第一の特徴は、一般論として、整理解雇四要件を確認したうえ、私学における教員の場合、その要件が「より厳格」に適用される、とした点である。しかも、その理由を「安易な教員数の削減は、教育の質の低下を来たし、そのしわ寄せを生徒に押しつける事態を生じさせるおそれがあること」に求めた。これを読んで、当事者も支援のみんなも、大いに喜んだ。(申立書の表現がそのまま採用されて、代理人も喜んだ。)「先生が多すぎるなら削減もやむをえない」という一般論を克服し、少子化生徒減の下での教員リストラに歯止めをかける司法判断だからである。
第二の特徴は、整理解雇四要件のうち、第一の要件(人員削減の必要性)で勝たせてくれたことである。(第二、第四の要件も満たさないとした。ただ、第三の要件(人選の合理性)は、「検討するまでもなく」として、判断の対象外とされた。―― 予想、大はずれ。)すなわち、決定は、人員削減の必要性の要件について、全国の私学の実態(赤字の高校でも、必ずしも指名解雇を伴う人員削減を行なっているわけではないこと)をふまえて、「資産や負債を含めた総合的な財務分析により、その是非を検討する必要がある」として、その観点から、本件での必要性を否定した。これは、「赤字だから」「人件費比率が高いから」解雇、という発想を否定するものであり、経営・財務問題であっても、私学経営者の裁量が広く認められるわけではない、という考え方に立つものである。決定は、理事会側の姿勢について、人員削減方針を決定するに当たり、経営や財政の状況分析を十分に行なっていないと批判し、直ちに指名解雇を行なわなくても対応できるだけの財政的な体力を有していたとして、本件人員削減の必要性を否定した。
また、決定は、そのような事情をふまえて、解雇回避努力の点も否定し、さらに、「総合的な財政状況を裏づけとする説明」「財政上の数字を示しての具体的説明」がなかったとして、説明協議義務も尽くしていないと判断した。
全体として、常識的で中身の濃い決定で、本案に移行した現在も、大きな武器となる。
5 勝因を考える
「裁判官が良かった」ということのほかに、いい決定を勝ちとれた原因として、次のようなものが考えられる。
第一は、「およそ組合なんてできそうもない」職場で労働組合ができたこと。まじめな先生方ばかりだが、自分たちの給料がどうなっているかも知らず、また、教員同士の信頼関係も希薄だった。一年目のリストラでは、組合づくりの動きすらなかった。そんな職場に、「予想に反して」組合ができたことが、「予想に反する」決定を導き出す原動力になったことは、まちがいない。打合せのとき、組合のビラの中の、およそ「組合的」でない表現を見て、不安と新鮮さを感じながら、少しずつ勝利への確信を感じとることができた。 第二は、本件解雇を単なる雇用の問題ではなく、教育の問題として位置付けたことである。教員削減に伴う現場での矛盾(二クラス合同授業の実施など)を指摘したり、当事者の教員としての生きがいや問題意識も押し出すようにした。「先生は多くてもいい。それが生徒の、親の、地域の願いだし、学校の魅力にもなる。」という確信が、裁判所にも伝わったのかもしれない。
第三は、学校法人の財務分析をしっかりやったことである。前述のとおり、代理人にとっては未知の分野だったが、上部団体の私教連や、会計学の山口孝先生(明治大学名誉教授)の協力が大きかった。山口先生には鑑定意見書を作成していただいた。先生は、財務分析にとどまらず、御自身の大学理事者としての経験もふまえて、本件の理事会の意思決定過程の問題点まで指摘して下さった。「私学の理事者は、金集めが仕事。それをやっているのか。」という趣旨の指摘にも説得力があった。
こうした成果により、本件解雇は、「生徒減」や「財政難」を口実にしているとはいえ、法人の資産状況は良好であることから、今後一定の規模の赤字が継続するという将来予測を前提とした「予防的」な意味あいの強い解雇であることが見えてきた。そして、前理事長の審尋を通じて、理事者の財務分析が極めておおざっぱなもので、ちゃんとした将来予測をしていないということを浮きぼりにすることができた。
6 時間がかかりすぎ(弱気の虫)―――反省点
結果は良かったが、弁護団として反省点もある。何といっても、仮処分決定まで時間がかかりすぎた。申立てから決定まで、一年十ヶ月。「重い」争点で、「本案化」したとはいえ、当事者の負担は大きすぎた。申し訳ない。指名退職勧奨後の団交の段階で、もっと相手を追いつめることはできなかったのか。(今なら、この仮処分決定を活用できるのに、と思う。)目標とテンポをもって、もっと主導的に審理を進めることはできなかったのか。弱気の虫を育ててはいなかったか。当事者の気持ちがわかっていたのか…。
本案では、この教訓を生かし、整理解雇法理を発展させていきながら、いかに、早く、先生方を学校に戻すか、が課題である。
今回のいい決定は、「冬」を口実に厚着をしていた弁護士を、もっと薄着で踊りまわれ、と励ましてくれた感じがする。
東京支部 大 森 浩 一
動き出した憲法調査会で何が行われているのか。新聞・雑誌の記事や評論だけでなく、審議を傍聴してその雰囲気に触れてみたい。
こう思っていた矢先、マッカーサー草案起草に携わった当時のGHQ民政局スタッフ二名(ベアテ・シロタ・ゴードン女史、リチャード・A・プール氏)を招致して開かれた五月二日の参院憲法調査会を傍聴する機会を得た。議場は、約二〇〇名分の傍聴席を有する広めの委員会室。学生からお年寄りまで幅広い年齢層の傍聴者でほぼ満席となった。委員席も殆ど埋まっており、他の法案審議と比較すると議員の出席率も高いようだ。
この日の審議に予定されている時間は、午後一時から四時までの三時間。冒頭に参考人が行う意見陳述はそれぞれわずか二〇分。憲法制定過程という大きなテーマを取り扱うにしては、余りにも少なすぎるのではと思う。このあたり、今回の審議がセレモニー的位置づけとされている気配を濃厚に感じた。
議長役は、改憲派の重鎮であり調査会長でもある村上正邦氏。時間が気になるのか、伝法な口調で発言や質問をやたら制している姿が印象に残った。この日の参考人招致実現を強く要望したのは、改憲推進派の扇千景議員。その思惑は定かではないが、結果として日本国憲法の素晴らしさを語りうる最高の語り部の一人を国会に登場させることとなった。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、GHQ草案誕生までの一週間を描いた演劇「真珠の首飾り」(ジェームス三木作・青年劇場公演)のヒロインとして知られている。当時二二才。ロシア系ユダヤ人である著名なピアニストを父に持ち、開戦前の少女時代を父母と日本で過ごした経験と、六カ国語を自在に手繰る語学の才を見込まれて、GHQ民政局に入局。憲法草案づくりの中では、人権(とりわけ女性の権利)のパートを担当し、男女平等を草案に明記させるために全身全霊を傾けた。「真珠の首飾り」では、ここでの彼女の奮闘ぶりが感動的なドラマとして描かれている。
当日の議場は、流暢な日本語で語りかける歴史の生き証人の話に釘付けとなった。
「私は、戦争の前に十年間日本に住んでいましたから、女性が全然権利をもっていないことをよく知っていました。私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。」「ケーディス大佐は、あなたが書いた草案はアメリカ憲法に書いてあるもの以上ですよと言いました。私は、…アメリカの憲法には女性という言葉が一項も書いてありません、しかし、ヨーロッパの憲法には女性の基本的な権利と社会福祉の権利が詳しく書いてありますと答えました。」 「(四六年三月四日の民政局運営委員会と日本政府代表との極秘会議の中で)日本側は、こういう女性の権利は全然日本の国に合わない、…日本の文化に合わないなどと言って大騒ぎになりました、…日本側は、私が男女平等の草案を書いたことを知らなかったので、ケーディス大佐がそれを言ったときに随分ビックリしました。そして、それでは大佐の言うとおりにしましょうと、…それで、第二四条が歴史になったのです。」「普通、人がほかの人に何か押しつけるときに、自分のものよりいいものを押しつけませんでしょう。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法です…特に、この憲法が日本の国民に押しつけられたというのは正しくありません。日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう一九世紀から国民の権利を望んでいました。女性は特別に参政権のための運動をしていました。この憲法は、国民の押さえつけられていた意思を表したので、国民に喜ばれました。」
時間の制約が恨めしく思ったのは私だけではないと思う。ただ、彼女の話は、復古主義的改憲論者のいう「押しつけ憲法論」が如何に乱暴粗雑な議論なのかを短時間にして実感させるものとなったことは確かである。「お二人が、それぞれ深く日本をご理解いただき、日本を愛しながら、日本と世界のためにいい憲法を作ろう、こう思ってあらゆる努力をいただきましたことはよくわかりました。本当に改めて敬意を表しますと同時に、この憲法がいよいよ我々にとって身近な感じを一層濃くした次第でございます。」これは、当日の審議を締めくくる憲法調査会会長代理(吉田之久議員、九条改正論者でもある)の発言である。
ベアテさんは、日本における改憲への動きに対し、次のように苦言を呈した。
「日本はこの素晴らしい憲法をほかの国に教えなければならないと私は思います。ほかの国々がそれを真似すれば良いと思います…私の耳に入っているのは、日本の女性の大多数が憲法がいい、日本に合う憲法だと思っているということです…隣のアジアの国々も日本について安全な気持ちを持っています。日本の女性はそれをよくわかっています。だから、私は一つのお願いがあります。日本の女性の声を聞いてください。」
数において劣勢ではあるものの、護憲派議員は質疑の中でも大いに奮闘していた。しかし、再開される調査会の審議では、改憲推進派による憲法九条包囲網が一層強化されることが危惧される。日本国憲法応援団の一員として、もっと議場にも足を運ばなきゃとの思いを抱き帰途についた。
北陸支部(富山県) 水 谷 敏 彦
1 去る六月九〜一〇日開かれた日弁連刑事弁護センター全体会議で「刑事弁護ガイドライン」(仮称)の策定に向けた決議が成立した。この決議の意味が必ずしも正確に受け止められていないように思われる。
私は刑弁センター委員として全体会議に加わり、決議に賛成した。その立場から報告したい。
2 決議の内容は七月一日付刑弁センターニュース(23)等に紹介されているとおりである。
また、決議に至る全体会議の経過と討議内容については、右ニュースでの概要報告がほぼ正確だと思われる。若干のコメント(あくまでも私の主観的な見解である)を付すと――
(一)委員長による「ガイドライン」検討経過の報告は、被疑者国公選制度を展望する政治状況とはまったく無関係に「ガイドライン」の検討が進められてきたことを強調するものであった。「権力に迎合してガイドライン策定を急ぐ(被疑者国公選欲しさに刑事弁護の魂≠売る)」と見る反対論者には、これが却って言い訳がましく映ったようである。
(二)各単位会(二〇数会)からの意見報告では、圧倒的多数が策定反対であった。その多くは、二次案を念頭に、弁護活動の障害となり得る条項を懸念し、あるいは弁護活動に対する権力の介入を警戒するものであった。
(三)討議の過程で、二次案には@弁護活動の最低限基準(ミニマムスタンダード)、A弁護活動の準則、B弁護活動の障害となるもの、以上三つの性格の異なる条項が混在するとの指摘がなされ、その認識では一致をみたと思われる。
(四)策定賛成論も、被疑者国公選に備えて弁護の質の向上が必要だと説くもの、「ガイドライン」が弁護活動批判への楯になるとするものなど、その論拠ないし狙いは様々であった。これらの賛成論者は、最低限基準の「ガイドライン」ではおそらく不満のはずであろう。他方、最低限基準ならば敢えて反対はしないという消極的賛成論もあった(しかし、そのような「ガイドライン」で権力側が満足するか、満足しないとして、それが被疑者国公選の帰趨を左右するか、見方は分かれよう)。
(五)「ガイドライン」の効果ないし拘束力、就中、違反が懲戒事由を構成するかどうかは今後議論すべき事柄で、未確定であることが確認された。
(六)提案者がともかくガイドライン策定の決議をしたいと訴えたのに対し、討議の集約の仕方に強い批判が浴びせられた。結局、決議案に「その内容は、国家権力による介入の口実を与えるものであってはならず、刑事弁護を発展させるものでなければならない」とのなお書きが付加された。
以上の討議経過からは当然の帰結であるが、今回の決議は「ガイドライン」の内容ばかりか、策定の要否ないし当否それ自体についても全国討議を求めるものである。二次案もたたき台ではなく討議の参考資料と位置づけられている(策定は既定事実と勘ぐる者もあるかもしれないが、少なくとも公式にはそうではない)。
3 被疑者の人権擁護にとって被疑者国公選実現が肝要であることに異論はないと思われる。被疑者段階での弁護が当たり前になれば刑事弁護への理解も深まり、その意義や甚大である。ましてや、憲法三七条三項の「被告人」には被疑者を含むという解釈論に立てば国公選制度の欠如は違憲状態であり、その早急な解消を目指すのは弁護士(会)の責務である。
そこで、「ガイドライン」策定が被疑者国公選の実現に資する限りは、――策定提案の経緯や動機がどうであれ――策定に向けて弁護士会の意思統一を図るべきだと考える。但し、出来上がった「ガイドライン」が弁護活動の妨げとなり、あるいは弁護活動を萎縮させるような代物であっては被疑者の人権擁護につながらず、却って有害である。決議は、なお書きにより「ガイドライン」の内容に歯止めをかけた。会議参加者の圧倒的多数が決議に賛成したことは、あの時点では、やはり正しい選択であったと思う。
(七月二二日団「刑弁ガイドライン」問題活動者会議での討論直前に記す)
千葉支部 守 川 幸 男
頭書の意見表明が、二〇〇〇年六月九日付で司法制度改革審議会に提出されました。本年五月一八日の自民党司法制度調査会報告書と同様、司法審に対する影響があると思われます。八月三日の司法民主化推進本部用に、原文(英文)と訳文(日本文)を団本部に送っておきました。
この意見表明はT、「はじめに」の冒頭で、「米国は、日本経済を再活性化し司法制度の基盤を整備するための日本が努力する中で、貴審議会の職務は極めて重要なものであると確信します。それは日本を国際ビジネス・金融センターとして発展させていく上で不可欠なものだからです。」と述べています。また、その末尾で「国際取引き、国際投資に適した司法環境の整備と規制緩和の支援という上記の観点から、米国は以下の八つの分野に関して意見を表明いたします。
(1)国際法務サービスに向けた環境整備、(2)司法インフラ、(3)訴訟手続、(4)仲裁、(5)法的救済制度、(6)司法制度の透明性、(7)行政活動の司法による検査、(8)国際民間訴訟手続との一体化
米国は、審議会が取り扱う刑事事件関連問題については、この意見書において触れていません。」と述べています。
そして、八つの分野の意見表明の末尾で、「ご質問があれば駐日米国大使館経済部までお問い合わせいただければ、在日ワシントンDCの担当官と調整の上、お答えさせていただきます。」と結んでいます。
今回の司法「改革」論議の震源地がどこであるかを示す重要な資料です。私たちは、今回の司法「改革」が、多国籍企業の国際取引のための司法環境作りと、これによって多発する社会的弱者への権利侵害を簡易迅速に「解決」する司法制度「改革」へと行きつく危険を直視し、これに対置して、市民参加、国民参加の司法、社会的弱者の権利の簡易迅速な救済という司法本来のあり方への抜本的改革を目指して、取り組みを強める必要があります。
愛知支部 中 谷 雄 二
講師を引き受けた経過
最初、愛知支部の西尾事務局長から話しがあったとき、直ちにお断りしました。全国の新人に話しをできるような内容を持っていないというのがその時の率直な気持ちでした。特に、わたしがこれまで主に担当してきた労働事件は今の若い人には人気がないから、愛知支部で活躍されている他の方に頼んでくださいと返事しました。
その後、原山団員が引き受けたからといって西尾事務局長から説得され引き受けることになりました。
講師を経験して
実際に、講師を経験して現在では非常によかったと感謝しております。弁護士になってすでに一五年を経ました。若いと思っていた私も既に若手では通らないような年齢になってしまいました。それとともに、自分でも意識せず毎日の事件活動や運動への取組の中に経験に伴う慣れが生じ、ひたむきな取組が欠けていたことに気付かされたからです。新人団員の方々の事件に向き合う姿勢は非常に真摯で、私が弁護士になったときの初心を思い出させられました。同時に、自分自身がどんな思いでこれまでの弁護士活動に取り組んできたかを整理させていただくという意味でも貴重な経験でした。何よりあれだけ多くの新人弁護士が、真剣に話を聞いてくれたことが励みとなりました。彼らの真剣な顔を思い出して、初心にかえって事件活動や運動に取り組みたいと決意しております。
振り返ってみると話の内容は、失敗談ばかりであったような気がしますが、失敗し、うまくいかない事件活動ばかりの中で多くのことを学ぶことができたのだとあらためて気付きました。
このような機会を与えていただいたことに感謝しております。
長野県支部 松 村 文 夫
広島の阿左美さんと長野の私とは、意外にも、群馬県立桐生高校の先輩・後輩の関係にあります。しかも、生まれた所も国定忠治で有名な赤城山の東麓、鉱害で有名な渡良瀬川沿いの隣り合わせの山村でした(もっとも、私は、すぐに桐生市内に移住したのですが)。
桐生は、全国でも有名な保守王国であり、桐生高校も保守的であったうえに、本数の少ない足尾線で通ったいた阿左美さんは、遊ぶこともしないで学校と往復していたはずです。
阿左美さんは、まだ小さかった日本共産党で当選可能性のある弁護士出身候補者を支えるために請われて出身地と離れた地方に馳せ参じたのでした(私も、七年後同じ運命をたどったのでした)。
ところが、それがどうしてあえて苦難の道を選んだのか、勿論安保闘争の影響もあったでしょうが、そこには、国立忠治のように、困った人がいればイヤとは言えない、義理と人情にあつい上州気質があるように思えます(余談ですが、川崎の篠原君は、高校・大学・セツルメント・修習・団と、私のあとを、金魚の糞の如く追いかけてきたのですが、その篠原君にも上州気質を感じます)。
阿左美さんとは、団総会で軽く会釈を交わす程度でしたが、やはり「異郷の地」で頑張っている阿左美さんが私にとって目標の先輩となっていました。
それだけに働き盛りの阿左美さんの訃報は、私にとっても残念でなりません。