熊本支部 寺 内 大 介
東京支部 伊 藤 和 子
東京支部 後 藤 富 士 子
一、改革に背を向けるのは誰か?
司法制度改革審議会が発足して一年を経過し、夏の集中審議(八月七〜九日)も終わった。集中審議で注目されていた法曹一元の帰趨について、記者会見発表を読む限りでは、法曹一元実現の可能性が充分残されているというのに、新聞報道では「見送り」というタイトルのものが圧倒的である。
この状況下で、私は二つの興味深い反応に注目している。その一つは、日弁連や団の中で、これまで法曹人口大幅増員やロースクールに消極的だった論者が、あたかも法曹一元や判事補廃止を中心的スローガンとして主張してきたような顔をして、審議会が法曹一元や判事補廃止を「見送った」ことを非難するのに急なことである。あとの一つは、「遅れて来た斥候兵」よろしく、今頃になって国民運動を組織するための「生きた環」としての「緊急の国民要求」を持ち出して、法曹一元や陪審制を高く掲げた団の「司法民主化提言案」を批判する論調である。
前者の論調は、臨時司法制度調査会意見書(一九六四年)に対する「葬式説=意見書は法曹一元を葬り去った」と全く同じ誤りを繰り返すものである。法曹一元や判事補廃止を実現するには、法曹人口の飛躍的増員は不可欠の条件であるし、最高裁の権力的統制下にある研修所で判事補を供給するための「統一修習」を後生大事に守っていてどうするというのであろうか。日弁連は、この四〇年の惰眠から目覚め、「国民が必要とする数と質の法曹」と、そのための「ロースクール」を一一月一日に開催される臨時総会で決議しようとしている。かように、法曹一元を担うべき弁護士が、やっとスタート台に着いたばかりなのだから(因みに、日弁連は「判事補制度の廃止」を目標として掲げたことはない)、あの審議会の中間時点で「法曹一元の導入」が合意されるわけがないではないか。むしろ、それに照らせば、集中審議の「とりまとめ」は、積極的に評価できるものである。
後者の論調は、「裁判官の独立を守れ」という三〇年も言い古されたスローガンを「緊急の国民要求」としたり、刑事手続における人権保障や裁判官増員という要求を持ち出して、内閣に設置された司法制度改革審議会の特別の意義を没却するものである。刑事手続における人権保障や裁判官増員という課題は、何も内閣に司法制度改革審議会を特別に設置してやることではない。また、寺西判事補は例外的存在なのであり、「裁判官の独立」を侵害されているとも感じない現在のキャリア裁判官に、どうやって「独立」を保持させようというのか。それができるくらいなら、法曹一元などという困難なことを持ち出す必要はない。もはや現在のキャリアシステムを変えなければ「裁判官の独立」は確保できないからこそ、制度改革が問題になっているのだ。それにもかかわらず、「裁判官の独立を守れ」と最高裁に向かって抗議すれば、それがかなうかのようなスローガンに国民要求を誤導することの政治責任は重大である。
いずれにせよ、これら二つの論調は、どちらも制度改革に背を向けるものである。
二、法曹一元=裁判官の平等=累進制の廃止
日本の在野法曹が提唱してきた「法曹一元」論は、とどのつまり判検事(かつての「司法官」)の人的資質を問題にした給源論(司法官の任用に弁護士経験を要件とする)にすぎない。
しかしながら、このような「人的資質」論としての法曹一元は、既に破綻している。即ち、一方で、弁護士経験のみが判検事にふさわしい資質を培うとか、弁護士=常識、判検事=非常識などというのは的外れであって、こんな論理は世間で通用しない。他方、弁護士経験を裁判官任用の要件としたところで、裁判官の累進制を廃止できるわけではないのである。
ところで、現行裁判所法は、判事の任命資格を極めて高いものとし、司法修習を修了して法曹資格を取得しても、それだけでは一人前の弁護士や検事にはなれても、一人前の裁判官=判事にはなれない。裁判官として「一人前」と認められるには、検事や弁護士として一〇年以上経験を積まなければならない。そうであればこそ、戦前にはなかった「判事補」という半人前の裁判官が生まれたのである。ところが、判事補は、一人で裁判することができない(裁判所法二七条)のだから、憲法七六条三項にいう「裁判官」ではありえない。
そして、「一人前の裁判官」と認められた以上、もはや昇進・昇格はないし、そのような裁判官はすべて対等・平等なのである。裁判官の中で身分的上下があれば、独立を保持したり、自治を機能させることは困難である。つまり、「裁判官の独立」や「裁判官会議による司法行政」の規定を体現できるのは、「一人前の裁判官」と認められるに足る「成熟したオトナの法曹」なのである。
これに照らし、現行キャリア裁判官制度を見ると、判事補と判事とが一連のものとして、経験年数が一年から四〇余年という分布になっている。これでは、「裁判官の対等・平等」など考えられないし、行政官と同様に累進制を免れない。そうすると、統一修習を経て判事補と検事になるのだから、裁判官と検察官の処遇が横並びになるのも当然であり、裁判官の地位を高くした裁判所法の意図は没却される。
戦前の「司法官」とは異なる、高い地位を認められた裁判官が生まれたのは、日本国憲法の「司法権の優越」(憲法七六条一項、二項)に基づくものであり、そのような裁判官任用制度を法曹一元というのである。換言すれば、法曹一元とは、裁判官任用制度における累進制の廃止であり、それを可能にする「成熟したオトナの法曹」を給源とするものに外ならない。
東京支部 坂 本 修
国際問題委員会委員長 菅 野 昭 夫
団通信八月二一日号に鈴木幹事長と連名でお知らせした表題の訪米について、準備状況をお知らせし、参加者を募ります。
一 日程
一〇月二九日(日)出発、一一月七日(火)帰国
二 目的地
マサチューセッツ州ボストン市とし、滞在期間中その近郊の市と町を以下の目的に応じて、自動車、列車等で行くが、宿泊はボストン市のNLG総会のホテルとし、交流、学習、観光を余裕ある日程で消化する。
三 交流
今年のナショナル・ロイヤーズ・ギルド(NLG)総会のテーマは、「司法制度を変革すること」です。一一月二日夜のオープニング・セッションでの基調講演は、いつもその時のアメリカのそのテーマについての問題点が、進歩的立場から鳥瞰図のように明らかに解説されます。メジャーパネルはより深く矛盾をえぐりだします。
アメリカの裁判制度が現在どうなっているかをつかむ絶好のチャンスです。日本の司法改革の問題点と比較してみてはどうでしょうか。一一月五日夜のインタナショナル・レセプションでは、日本代表団の挨拶が予定されています。
四 学習
既にこれまでのNLGの窓口との折衝で、以下のことが確認されています。@NLG総会の合間をぬってNLGの数人の刑事弁護士が、アメリカにおける現在の陪審裁判の問題点について日本代表団のためにセミナーを開催する。Aボストンの刑事弁護士がボストン市及び近郊の裁判所の複数の事件の陪審裁判の傍聴と解説を日本代表団のために準備する。B進歩的立場の裁判官との懇談会も予定している。C希望するなら検察官との懇談も用意する。これらを、さらに具体化していきます。アメリカの陪審制度を直接見聞し、実際に進歩的立場で闘っている法律家から解説を受けられる、又とない学習になるでしょう。
五 観光
ボストン市内には、古い美しい町並みやボストン美術館があり、また、独立戦争当時の史跡として、市内にフリーダム・トレイルがあるばかりか、近郊の町にもヒストーリカル・サイトが豊富にあります。また、映画「パーフェクト・ストーム」の舞台となった港町などもあり、シーフッドの本場でもあります。これまで代表団は常に交流と観光を両立させてきました。今度もそうしたいと思っています。
六 通訳、添乗員
団員が通訳を兼ねます。添乗員はつきません。
七 参加申し込み
九月三〇日までに団本部へ申し込んでください。
事務局次長 中 野 和 子
今年七月二六日、規制改革委員会(総務庁)は、「規制緩和推進三ヵ年計画の最終年度という節目にあたって」という本年度の規制改革に関する論点を公開した。その中では、特に、「IT化」及び「環境問題」について横断的に課題発掘を行った成果を取り入れたという。
総論的には、@選択の自由と多様性の確保、A新しいサービス・商品と技術開発の環境開発、B規制によって生じるコストの低減を実現していくことが必要とされているとある。全体としては一五分野九七テーマの論点があるが、ここでは、雇用・労働分野の論点について、以下報告する。
まず問題意識として、第一に、規制緩和を推進しても細部に規制強化があり再度の規制緩和が必要であること、第二に、この細部の規制緩和は「労働法規の制定・改革プロセスが労使の利害調整プロセスを経て初めて実現することの一つの現れ」として組み合わされたものであるから、労使の集団的利害調整の対象とならない労働市場の諸問題(パート問題、個別的紛争処理問題などを指す)を行政として対処すべきということがあげられている。第一の例は、有期労働契約を導入したが対象労働者がかなり限定されていること、労働者派遣事業の対象業務を拡大したが派遣期間を制限していること、であり、労働者の要求を反映させようと団をはじめとして従前努力してきたことは、一定の歯止めになっていることが確認できた。
次に、今年度のテーマは、@社会環境の変化に対応しない労働者募集に関する規制や、新規高卒者に係る文書募集の規制等、労働市場法制の見直し(例えば、委託募集の許可制の廃止、新規高校卒業者の文書募集をやめ高校二年の夏八月一日からにする)、A企業による採用意欲の喚起や社会全体としての雇用確保といった視点からの解雇規制の見直し、B労働市場のセーフティネット整備の視点から、短期間・短時間雇用者に対する社会保険や雇用保険の適用拡大、及び労使紛争処理制度のあり方検討(例えばパートタイマーに課税、主婦に年金保険料を支払わせる、個別紛争処理は都道府県の労働局はよくないのでは、不当労働行為制度では使用者は被告席にしか立てないのは不公平、労働委員会は実際には個別事件を行っている、労働委員会は実際には争議になりそうにない(労調法六条)ケースも扱っており越権である、など)、Cインターネット活用による労働市場の活性化の視点から、特定の職業紹介行為についての許可制の見直しや届出等手続きの電子化推進、D労基法、職業安定法、労働者派遣法等、改正法の施行によって明らかになった個別の諸問題を取り上げその速やかな対処をする、の五点である。特に、解雇規制の見直しは、「円滑な労働移動の支援」のなかに、企業年金の転職先企業への移転とともに、「解雇規制にあり方について、立法の可否を含めた検討を進めるべきではないか」と提起されている。
解雇規制の見直しについては、整理解雇の四要件の一つとして「解雇回避の努力義務」があげられているが、これについて、「個々の企業だけでなく、社会全体での雇用安定を図るためには、円滑な労働異動を支援する仕組みが不可欠であり、そのためには、『再就職・能力開発の支援』の要件を、より一層重視する必要がある。」との意見が述べられている。ここには、解雇規制を緩和すると新規採用や従業員が増えるという考え方(ドイツを例にして)の紹介もある。規制緩和委員会としては、「再就職・能力開発の支援」のみで解雇できると立法化したいようである。これに対し法務省や労働省からは、解雇要件の立法化については、労使の合意を得られるような客観的・具体的基準が設けられない、其の他三要件に関しても、抽象的な要件であり、行政の判断で施行できず、結局は裁判上の争いになるので解雇規制の立法化は困難であるなどという消極意見が付してある。ドイツの解雇規制は規制対象の事業規模の緩和(五人以下から一〇人以下)にすぎず、円滑な労働移動への企業の支援を解雇の正当化要件としたものではない。
第五の、法改正の内容は、職業紹介事業者の要件緩和、手数料が取れる業種を拡大、派遣期間一年間を三年間に、「物の製造の業務」を派遣対象に、「法令に基づかない派遣事業の禁止は認められない」ことを明確に規定(証券取引法を問題視)、企画業務型裁量労働制について、労使委員会の設置に「労働者の過半数の信任」は不要とすること、本人同意を労使委員会の決議事項とすることを廃止する、などである。
国会で修正された制度を、あからさまに否定してくるところが、行政の一組織でありながら、財界の肝いりである委員会の特質を十分に表している。
以上のような、「論点」については、個別のメール等による反論はできるが、団としても組織的に討議して意見書を出す予定である。
労働関係の企画としては、一〇月二日に東京支部が、リストラ問題事件交流会を、一一月二五日には、大阪で労働事件全国会議を開催する。団本部の労働問題委員会では、一〇月三日に、第一回検討会を行う予定である。
東京支部 中 野 直 樹
六月末、子どもたちが丹沢の麓に蛍狩に出かけた。眼を輝かせて、二匹の蛍を虫籠に入れて帰ってきた。それから一週間、夜八時頃から蛍籠は黄緑の光を点滅させていた。淡い光だが、これはオスとメスが呼び合う信号だそうだ。身を焦しての恋の誘いということになる。
山間いで育った小学生の頃が思い出された。雲が重く垂れ込め、水滴が漂うような梅雨の夜、どこの家の子も、懐中電灯を手に提げ稲田の畔を、刈っても伸びてやまない草に足をとられながら、蛍を追いかけた。堆積した泥底に小粒石がころがる水路にどじょう捕りに入ると、丸っこい田螺とともに細長い巻貝がいた。後者はかわになと呼ばれ、水生動物時代の蛍の餌となることを後に知った。子どもの腰あたりまで伸びた稲の葉にとまる蛍は橙の弱弱しい火を点していた。中空をふわりふわりと飛んでいる蛍が、突然、流れ星のようにスーと光の糸をひいて走り、闇に消えることがあった。恋が成就して草陰で交尾する瞬間であることを知ったのも後年であった。捕った蛍は蚊帳に留めて夜光とした。蛍は湿りがないと生きられず、たいがい朝になると死骸となっていた。中学になると蛍遊びが照れくさく、網をもって飛び出すこともなくなった。やがて、耕地区画整理が進行し、水路がコンクリートに変わり、かつてのような蛍の群舞をみることがなくなった。この夏帰省したとき、母はここ数年蛍の姿を見ることも稀になったと言っていた。環境整備と開発により幼虫と餌のかわになの棲息する水辺がなくなったことが原因だ。次はトンボが心配だ。私は、変わりゆく村の風景を嘆き、せめて蛍の生きる小川を残す努力ができないものかと思うが、村を出て都会に身をおいている現在はそのようなことを口にする資格もなく、失われゆくものへの感傷的な気分を飲み込んだ。
五〜六年前の七月、奥羽山脈から秋田市に向け北流する雄物川上流域に釣りに行った。
仲間は八王子の斉藤展夫、佐治融団員であった。川は上流部に行くにしたがい数多くの支流に分かれ、本流も名を変える。この名の範囲が昔からの生活圏であろうか。支流に注ぐ小さな沢にもすべて名がついている。雄物川は秋田の南端に位置する雄勝町で役内川に改名する。この町には三方の山から川が注ぎ込んでいる。そのうちの一本、松根川に入渓することにした。
谷の戸に瑞々しい稲葉がウェーブする水田を見ながら林道を上っていくと社があった。ここで川は二又になり、道も分かれる。流れの太さから左折を選んだ。うっそうと茂る杉森の道をさらに登る。親しんでいるブナやミズナラの森の源流域とは異なり、生活の匂い強い里川での釣りとなる。川は幅一・五メートルほど、ひどい藪に覆われていた。さて、仕掛けの準備となるが、何しろ両岸から、背丈を超える高さの草が覆い被さっている。こんなところは竿を振れず、穂先から三番目くらいの一メートルに縮める。仕掛けは四〇センチほどの短い提灯掛けにし、鉤に黄血をちょん掛けにする。わずかな落ち込み溜まりの前には、蜘蛛糸が張った草が幾重にも立ちはざかっている。蜘蛛の糸が仕掛け糸にからむと、蝿捕り紙に髪の毛がくっついたような粘着力でまとわりつきまことにやっかいである。まず小枝を拾って蜘蛛の巣を除去し、そおっと草を分け、竿道をつける。神経質な岩魚の警戒心に小波をたてないようにポイント際の草には手を触れてはならない。穂先に仕掛けを巻きつけ、わずかな草のすき間を通し、溜まりの上で穂先を回し戻して、水深一五センチほどの流れに仕掛けをそっと垂らす。すると、谷岸の岩下から、黒い背をした岩魚がスッと近づく。息をつめて見守ると、岩魚の捕食は、瞬時ではなく、餌場で味見をするようにパクパクとやっている。岩魚は蛙や蛇まで食らう悪食だが、棲息域には競争相手がいないためか食がゆったりとしている。私も、岩魚が餌を十分に飲み込んだころまでこらえて、竿先をキュッと合わせると浅瀬で岩魚が反転し、飛沫が散り、差し込む陽に斑点の肌が輝いた。ズームアップレンズでとらえたような瞬間であった。短い仕掛けには動きを吸収するゆとりがなく、竿元に岩魚の力がもろに伝わってきた。身体中に蜘蛛糸がからんだ枯葉をひらひらさせ、真剣な眼差しで藪分けをし、抗う岩魚を掴んでにんまりした。周りからみればさぞかし滑稽な有様だろう。解放感に浸れぬ釣りであったが、誰も敬遠する沢には二五センチを頭とする岩魚がひそやかに、豊かに、生きていた。
沢際のミズ(ウワバミソウ)の群生地に野営した。ミズは、茎が薄黄緑のものと赤色のものがある。いずれも湯がくと実に鮮やかな緑色となる。適当に刻んで花カツオをまぶし、しょうゆで口にすると、サクサクとした舌触りだが、噛んでいるうちにぬるっとしてくる。盛夏の頃は堅くなるので叩くとよい。私のいなかでは杉の落ち葉をすんばと呼んで、竈や風呂沸かしの焚きつけとした。このすんばが降り積もっており、山火事の心配をして焚き火はよした。
仲間と天ぷらの夕餉となった。地酒を飲み、たいがい明朝には記憶から消えている語らいで時が流れた。蒸し蒸しする宵であった。誰かが、蛍だと叫んだ。杉木立のシルエットがかすかに浮かぶ闇夜空を見上げ、ハッと眼を凝らし直した。蛍が、集まり、舞っていた。見ている間に湧き上がり、三、四百匹、いや五、六百匹、ともかく無数の大集合であった。最初蛍は勝って気ままに漂っているように見えたが、次第に寄り添い始め、螺旋を描くひも状に連なって浮遊し、ゆらめいて流れた。そして光の明滅は統一され、隊列全体がそろって光り、そろって消え、またそろって燈る。誰が指揮をするのか、何のための行動なのか。岩魚と蛍を育む谷音に包まれながら、不思議な光景に感嘆しあった。