団通信999号(10月11日)

日立で差別是正と残業拒否解雇事件の勝利解決

東京支部 坂本 福子 吉田 健一 原 希世巳

 去る九月一二日、賃金・昇格差別事件、解雇事件を争う日立製作所の労働者七三名について、全面和解解決が成立しました。
 日立製作所では、過去に茨城や東京などで解雇争議がたたかわれ、勝利解決を実現してきましたが、武蔵工場(東京・小平市)で残業拒否を理由に解雇された田中事件(六七年解雇)について、最高裁は九一年に解雇を有効とする敗訴判決を言い渡しました。しかし、解雇撤回の旗を降ろすことなく、ますます激しさを増す長時間過密労働に反対し、残業拒否解雇の不当性を国連など国際世論にも訴え続けるなど運動を広げ、「最高裁判決により決着ずみ」と主張してきた会社に対し、ねばり強く交渉を続けました。そして、今回、この最高裁判決を乗り越えての解決を勝ち取るに至ったのです。
 他方、日立の各職場で労働組合活動を積極的に行い、田中事件を支援してきた労働者自身に対しても、激しい差別攻撃が続けられてきました。差別是正を求めるたたかいは、中央研究所(東京・国分寺市)の労働者による労働委員会に対する八六年救済申立にはじまり、九二年三月には男女差別是正を求める提訴、同年九月には茨城・東京・神奈川・愛知で各地方労働委員会に対する救済申立と全国規模のたたかいに広がっていきました。そして、中央研究所(九六年)、東京(九七年)、愛知(九八年)の各事件で、日立の差別攻撃を不当労働行為として差別是正を命じる救済命令が勝ち取られていきました。
 これらの勝利をふまえ、前記残業拒否解雇事件、そして提訴・申立済みの労働者及び申立人以外で関連会社を含む四十数名の労働者が差別是正を求める解決要求を提出し、九九年三月から、中労委を舞台にし、全面的な解決を求める交渉(但、提訴・申立した神奈川の労働者を除く)が進められることとなりました。あわせて、これらの日立争議を支援する中央組織(支援連)も結成され、全国的な宣伝行動等はもとより、この支援連を中心に四〇数回に及ぶねばり強い交渉が続けられた結果、今回の全面解決となったのです。
 今回の解決の主な内容は
 一 双方は、全ての争議を一括して全面的に解決する。
 二 会社は、本年八月二一日をもって、賃金および職群等級等を改定する。
 三 会社は、解決金を支払う。
というものです。
その成果は、第一に、最高裁敗訴判決が確定している残業拒否解雇争議を全体の争議とあわせて解決させたこと、第二に、提訴時期、地域や課題の違いを超えて争議団が団結し、賃金昇格差別を是正し、一括して解決したこと、なかでも、東京地裁係争中の男女差別争議(共同要求提出者)についても、男女同一水準で賃金や職位を是正させたこと、第三に、提訴・申立以外の労働者とも共同して差別是正を求め、賃金・職位を是正させ、解決金支払の対象とさせたことです。なお、日立の関連会社で働く労働者の差別是正についても、解決交渉中です。
 今回の勝利解決の意味について、中央支援連、争議団、弁護団で共同して発表した声明は、「今日、ルールなき資本主義といわれる状況のもとで、モラルハザード(倫理破壊)が広がり、企業の社会的責任が根本から問われる事件が多発しています。また、リストラによって広範な労働者の雇用と権利が脅かされ、能力主義、成果主義などの新たな労働者分断の労務政策も導入されています。こうしたもとで、独占大企業である日立資本と果敢に闘い全面勝利解決したことは、職場における差別をなくし、働く権利を守り、まともな労働運動の前進をめざして闘う全国の仲間を励ますとともに、民主主義の発展を求める運動にも大きく寄与するものと確信します。」とまとめています。
 以上、ご支援ご協力いただいた団と団員の皆さんにお礼の報告をさせていただきます。
(なお、本件は東京、茨城、神奈川、愛知の各団員弁護士が関与しています)


安川電機賃金差別訴訟

─二〇年振りに勝利的和解成立

福岡支部  田 邊 匡 彦

一、安川電機賃金差別訴訟とは?

 安川電機賃金差別訴訟は、@共産党員ないしその積極的支持者である原告ら二四名が、安川電機からその思想・信条の故をもって、賃金差別を始めとする人権侵害行為を受けたこと、A原告のうち女性二名については、性別による賃金差別等の差別的取扱を受けたことについての損害賠償も併せて請求した訴訟である。
 一九八〇年三月四日に福岡地方裁判所小倉支部に提訴した。提訴前三年分の賃金差額・慰謝料・弁護士費用として二九八〇万円余を請求した。その後、九四年に追加提訴して、その前三年分の請求を加え、合計の請求額は一億七五〇〇万円余となっていた。
 和解に至るまでに、原告二名が死亡したが、内一名の相続人は承継せず、別に一名が転職のため取下げ、結局被害者数としては二二名(原告数は相続人四人を加え二五名)となっていた。
 担当した常任弁護団は、私の他に安部千春(黒崎合同法律事務所)、配川寿好(若戸法律事務所)、荒牧啓一(小倉東総合法律事務所)、河辺真史、秋月慎一(北九州第一法律事務所)の六名であった。

二、裁判の経過

 裁判当初、会社側の反共差別意思を会社内での反共教育の資料や証人で立証し、原告と中位者との格差を立証するために組合役員や会社の担当者を調べた。その後は各原告の本人尋問と査定者である上司の証人一人ないし二人を調べていった。しかし、原告数が多数にのぼるため、この立証過程に長年月を費やすこととなった。
 そのような中で東京電力や中部電力での賃金差別訴訟で次々と勝訴判決や勝訴的和解が出され、これらの訴訟と比較すれば、直接的な差別を裏付ける証拠が少なかった安川電機賃金差別訴訟においても、勝利への展望が広がった。一層早期結審へ向けて審理を急ぐことが要請された。そこで、本人尋問を終えていなかった原告とその上司については、原則として本人尋問・証人尋問を省略し、陳述書で代えることとした。しかし、余りにひどい上司の陳述書については証人尋問を申請してその不当性を明らかにしていくことはせざるを得なかった。
 このような中で原告側は早期結審を迫り、本年七月六日に結審することを裁判所と被告側に約束させた。原告弁護団は何度も合宿をして一〇〇〇頁を越える最終準備書面を作成し、事前に提出したが、被告側は準備書面が間に合わないとして、結審は九月七日に延期された。

三、和解成立への経過

 原告や弁護団は勝利を確信していたが、次々と原告が退職していっており、これ以上裁判が長期化することは避けたいとの思いから、訴訟の内外で被告に対して和解に応じるように要求していく闘いも、支援共闘会議等とも連携を取りながら行っていた。
 これまでも裁判の途中で裁判所から和解の打診は何度かあったが、被告はお金(解決金)は出すがそれ以外の要求はのめないとの対応であったので具体的な和解の進展はなかった。

 原告側は、@過去の損害賠償分に相当する解決金の支払い、A原告全員の中位者相当への昇格、B退職者へはそれに対応する退職金の清算、C年金支給額の是正、D解決報の為の特別休暇の取得、E原告らへの謝罪を和解の条件として提示して、裁判所での和解協議を進めていっていた。
 結審の日程が決められ訴訟の中で追い詰められた被告側は本年初めになって、解決金の支払いの他に在職原告全員を年齢で分ける形で2ランクないし1ランクUPするとの提示をしてきたのであった。この提案から和解は進展しはじめた。しかし、退職者への資格是正は含まれていなかったし、UPされるランク付けにも大きな不満があった。七月六日の事実上の結審を終え、被告が全面的な反論の準備書面を出せない中で、原告はあくまでも右の@からEの要求の実現を被告に迫っていった。
 裁判所も専従体制を引き判決作成モードに入ることとなっていた結審予定日(九月七日)を前に漸く原告の要求が基本的に満たされたと評価できる和解が成立する見通しとなり、本年九月一九日の第八七回口頭弁論期日に和解を成立させることができた。

四、和解内容について

 成立した和解の概要は以下のとおりであった。
  1. 原告と被告は相互に本件紛争が惹起され、二〇年以上の長年月にわたったことについて遺憾の意を表明する。
  2. 被告は在籍原告の処遇について、憲法、労働基準法等の法令並びに労働協約・就業規則に従い、他の従業員と公平に処遇することを約束し、在籍原告らは誠実に業務に精励することを約束する。
  3. 在籍原告らを九月二一日付けで3・5ランクないし1ランク昇格させ、それに相応した賃金をに支払う。
  4. 退職原告についてもそれぞれ2・5ランクないし1ランク昇格させ、それに応じた退職金是正額を各人に支払う。
  5. 右3及び4のランクアップのみでは、要求が満たせなかった原告については、資格は上げない代わりに、資格が上がったことを前提にして計算した賃金差額・退職金差額を各人に一時金で支払う。
  6. 退職原告及び五五歳以上の原告については、ランクアップによって増額した賃金に対応する年金受給額を計算した上でその全額を解決金として各人に支払う。
  7. 一括解決金として一億一〇〇〇万円を支払う。
  8. 在職原告に五日間の不就労(有給)を認める。

五、和解の評価について

 和解成立時には、死亡その他の理由の退職者も含め原告のうち半数の一一名が退職していた。二〇年という歳月はいかにも長すぎたと言わざるをえない。しかし、和解内容自体は、判決では得られない内容を含んでおり、「勝利」と評価できる内容であって二〇年間団結して闘ってきた成果であるといえる。一括解決金は請求額の約六三%の額である。それ以外に、原告全員の昇格を勝ち取るとともに係長相当のランクに四人も昇格させることができた。個別解決金は一四一九万円余に上り、解決金支払い総額は、一億二四一九万円余であった。会社側が試算している今回の資格是正に伴う在職原告の給与退職金の増額分を含めると一億五九六四万円余となる。これは請求金額との比較では約九一%となる。
 原告団・支援組織及び弁護団はこの和解を一致して勝利であると位置づけ、今後は在籍原告への処遇の適正運用を監視していくとともに、本件訴訟の成果と教訓を人権と民主主義の拡大の為に役立てていく決意をしている。


インデアン法とアイヌ法の確立の課題

北海道支部(アメリカ留学中) 市 川 守 弘

 団員の皆さん、お久しぶりです。アメリカに来て早くも一年以上が経ちました。この辺で久しぶりに団通信に投稿いたします。
 アメリカに来た理由は、アメリカの自然保護の法制度を勉強したかったからです。よく言われるのは(日本でもアメリカでも)、法律が違うのにどうしてですか?ということでした。確かにアメリカの法制度は日本とは全くことなるものです。例えば絶滅危機種法では、指定種に影響を及ぼす連邦の行為はすべて規制されますし、指定種は四〇〇〇種を超えます。日本では五〇種程度の指定でしかも国家行為にはほとんど影響がありません。種の指定も日本は環境庁長官の裁量なのに対してアメリカでは市民が裁判によって指定させる権利を有します。私の興味はこのようなアメリカの法制度を知ることだけでなく、なぜこのような法律が存在するのか、その歴史的、社会的背景、文化、社会思想を知りたい、ということでした。それには日本から小さな窓で覗くよりもアメリカで肌身に感じながら勉強したかったのです。
 そんなわけで、今コロラド州のボールダーという町で、ロースクールに通っているのです。もっとも、こちらで資格を取るつもりは全くないので、正規の学生ではなく、ロースクールの自然資源法センターという研究所の研究員としてきています。ただ研究員とは名ばかりで、実際は好きな授業を受け、夏休みには八つの国立公園をキャンプしながら巡るという贅沢なことをしていました。
 九月の中旬に、友人の弁護士に誘われて、クローインデアンのバッファローハント(狩り)にいって来ました。この弁護士は、モンタナ州のカナダ国境近くにリザベーションを持つアシリボニインデアンで、今はデンバー市の部署で働いています。アメリカには現在六〇〇近くのトライブ(tribe 日本では「部族」と訳されるが適当とは思われないのでそのままトライブという)があり、うち二〇〇以上がアラスカにあります。人口は約二〇〇万人(一九九〇年センサス)、リザベーション(reservation これも保留地などと約されるが、適当ではないのでリザベーションとする )は三〇〇を超えます。なお、インデアンというのも一般にはネイティブアメリカンといいますが、法分野ではインデアン法といい、またインデアンと称するので、ここでもインデアンという表現をします。
 クローインデアンというのはモンタナ州の南に約二〇〇万エーカー(約八〇万ヘクタール)のリザベーションを有するインデアンです。リザベーションの中央をビッグホーン川が流れ、上流部の高原に一〇〇〇頭を超えるバッファローが生息しています。五〇キロ程度離れたビッグホーン川の下流に、あのカスター将軍がスー、シャイアン、アロパホなどの連合軍に殺されたバトルフィールドがあり、ナショナルモニュメントになっています。
 バッファロー狩りは、クローインデアンの主催でビッグホーン川の上流の高原で行われました。高速を降りて九台の車に分乗し、五、六時間かけ、普通の乗用車ではとても入れない道を進んで行きます。途中オオカミが食い散らかした鹿を見ながら、奥へ奥へと進んで行くのです。するとそれぞれ数百頭のバッファローの群れが谷のこちらと向こう側に三つ現われました。そこで私たちはさらに二台のトラックに分乗し、草原の中をバッファローを追いかけるのです。二台のトラックにはインデアンのバッファローウオーリア(バッファロー戦士)がそれぞれ乗り、ライフルを構えています。メスと子供は狙わずオスの大人だけを狙います。二台がそれぞれ別のオスを追い詰めて、バッファローウオーリアが息を凝らしてライフルを構えます。一瞬の沈黙の後、すさまじい音がしたと思ったらバッファローが倒れました。私の乗ったトラックにはソロモンリトルアウル(小さなフクロウ)と言う名のバッファローウオーリア(彼は高校卒業後海兵隊に入隊し、今は北コロラド大学の学生である)が六歳のオスを射止めました。別のトラックは四歳のオスのようです。時間は夕方の五時を過ぎていましたが、バッファローを倒した後、伝統的な儀式を行い大地に感謝します。儀式の後はその場で伝統にしたがってバッファローを解体しました。解体が終わったのは夜の九時頃になりました。
 夜、高原にある山小屋に行きバッファローウオーリアたちは焚き火を始めました。他の参加者(人類学者や人類学を専攻している学生ら)は食事もそこそこに寝についたが私は興味もあって焚き火にあたっていました。彼らは獲りたてのバッファローの胃を鍋で煮始めました。生の胃を食べましたが草の味がしました。四時間近く煮ている間、彼らはいろいろなことを教えてくれました。「私たちはこの大地から生れた。大地は聖なるものですべての生き物が大地から生れた。すべての生き物、私たちも含めて、いつかはまた大地に帰っていくのだ。だから大地にいつも感謝している。」
 インデアンは数万年前の氷河期(最終氷期)に陸続きのベーリング海を渡ってシベリアからアメリカ大陸に来たと言われています。以後数万年、この地で文明を開きました。コロンブスの大陸発見後、最初に大陸に来たスペイン人はインデアンを殺戮し金を母国に運び、その後に来たイギリス人はインデアンと条約を結びながら土地を確保し殖民していきました。約五〇〇年アメリカ大陸のインデアンの歴史は迫害の歴史でした。インデアン法はこのインデアンの歴史の中で、法制史とインデアンの主権、権利を考える法領域です。膨大な判例の分析も含まれます。自然保護の勉強に来てなぜインデアン法?と思われるかもしれませんが、森林問題、水問題、種の保存問題、すべてが先住民であるインデアンとの問題になります。リザベーションの水に対する権利、狩猟権と絶滅危惧種の問題などなど。思うに開拓による資源の消費とインデアンの迫害は裏表の関係にあり、今また資源保護の問題になったときインデアンの権利をどう保障するか、という問題に跳ね返るからだと思います。自然保護の考えについてもインデアンの思想は大きな影響を与えているようにも見うけられます。現在のアメリカにおいてインデアン問題の法制度・法体系・法制史の考察は自然保護法を考える重要な要素になっています。そんなわけで私も今インデアン法に夢中になっています。
 ところで、北海道に生活していて常々アイヌ問題を考えていました。インデアン法とアイヌ問題を比較するとあまりにも格差が大きすぎます。それは歴史の違いだけでなく、法律家の分野で非常に遅れすぎている、ということです。二年前、二風谷事件で「アイヌの文化享有権」が憲法一三条と人権規約二七条から肯定されました。海外の例を引き先住権を考察する学者も増えてはいます。しかしまだまだ不充分すぎます。アイヌに対する政府の法と政策を歴史的に分析しその違法性(あるいは合法性)を検討する、というような体系的考察はなされていません。例えばアイヌは歴史的、文化的にサケやクマなどの野生動物を捕獲していました。しかし、今これらの捕獲は禁止されていますが、法律家がこのアイヌの狩猟権を検討し、禁止についての法的検討はなされていません。そもそも、北海道の土地を日本政府が占有する根拠すら不明のままです。北方領土の問題が安保条約の問題として議論(千島全島を放棄していることに対する有効性として)されてはいても、千島にかつて生活していたアイヌの主権には触れられません。インデアン法を勉強するうちに、アイヌ問題を放置している我々法律家の怠慢を痛切に感じています。是非、二一世紀のはじめにはアイヌの主権と人々の権利を法的に明らかにするアイヌ法を確立しなければならないでしょう。


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