<<目次へ 団通信1010号(2月1日)

三和銀行争議解決する

大阪支部  城 塚 健 之

一、積年にわたる組合内少数派活動家に対する賃金昇格差別の是正と、使用者を批判する出版活動を理由とする懲戒処分の無効確認を求めていた三和銀行争議(争議団は男性九名、女性一〇名の合計一九名)は、一月一六日、大阪地労委において和解協定が成立し、全面的に勝利解決した。
二、三和銀行では、他の日本の多くの大企業に見られるのと同じく、激しい競争の中で労働者がばらばらにされる中、長時間過密労働、サービス残業、男女差別、労災職業病などの諸問題が蔓延していた。本来、こうした銀行の体質を批判すべき労働組合(三和従業員組合)は、昭和四〇年代の始めに変質して以降、昇進のステップとはなっても(何しろ頭取をはじめ銀行の役員の三分の一程度が従組役員出身者である)、何ら本来的な役割は果たさなかった。
 三和銀行は、数ある銀行の中でも、ダーティなことで名をはせてきた。AERAなどで暴力団や仕手集団とのつながりが指摘され、週刊ダイヤモンドなどからは「いったん大号令がかかると顧客の都合もお構いなしに突っ走る体質」などと揶揄されていた。一九九八(平成一〇)年夏に発覚した大蔵省・日銀汚職事件(「ノーパンしゃぶしゃぶ」「どぼん・ざぶん」などという言葉がマスコミを賑わせたことはご記憶でしょう)で有名になった「MOF担」(MOFとは大蔵省のこと)出身役員が実権を握り、頭取、さらには業界団体である全銀協の会長も務めてきた。
 こうした職場にあって、争議団のメンバーは、組合内少数派活動家として、労働者の権利と民主主義を求め、あるいは銀行の社会的責任を問題にして、長年にわたって活動してきた。銀行はそのような彼らを嫌悪し、「共産党」「アカ」「企業破壊者」などのレッテルを貼り、時間外の活動を把握するために尾行調査し、単純な定型業務にしかつけないという仕事差別を続け、暴言その他職場内いじめを繰り返した。彼らが頸腕を訴えると「アカのなる病気だ」などと宣伝した。そして多年にわたり徹底的な賃金昇格差別を続けてきた。
 三和従組は、率先して彼らを押さえ込む役割を演じ、不公正選挙で組合役員から排除し、彼らが労災認定闘争などを訴えるビラをまくと統制処分の脅しをかけた。
三、一九八九(平成元)年、彼らは賃金昇格差別の是正を求める運動を始め、その一環として、一九九二(平成四)年七月、『トップ銀行のわれら闇犯罪を照らす』という本に自らの経験を語る手記を寄せた。この暴露本的タイトルは、当時の流行に出版社が乗っかったものだが、掲載されている手記の内容は、各自が銀行員としての半生を振り返り、職場の実態を告発し、差別を訴え、自らの思いを語るというものだった。しかし、銀行は翌一九九三(平成五)年二月、彼ら全員を戒告処分した。
 そこで彼らは、まず懲戒処分に対し、同年七月、大阪地裁に処分無効確認訴訟を提起し、賃金昇格差別に対しては、一九九四(平成六)年一月、大阪地労委に不当労働行為救済申立をしてたたかってきた。大阪地裁の弁論では毎回一〇〇頁を超える準備書面を提出し、証人尋問では銀行人事部の幹部を徹底的に追及した。大蔵省検査前の「証拠隠滅マニュアル」や国会で問題となった「貸し渋りマニュアル」などの悪の手引き書も法廷で追及された。地労委では六年間、月一回二時間という審問のペースをこなした。主張立証事項は膨大な量に及んだが、争議団と弁護団は過酷な負担に耐えてよく奮闘した。そして、二〇〇〇(平成一二)年四月、大阪地裁(松本哲泓裁判長)は、懲戒処分を無効とする勝利判決を出した。
 この判決後、当事者間で解決に向けた話し合いが始まり、このたび、差別是正、処分取消、解決金支払いの三点を内容とする合意ができ、全面解決に至ったものである。
四、解決内容は全面的な勝利と評価しうるものである。
 差別是正は、例によって試験制度の壁があり(彼らのうち、一部の者は合格していたが、不合格の者、そもそも受験していない者もあった)、十分というわけではないが、全体としては男女差別なく是正をはかったものと評価できる。
 処分取消は完勝である。悪名高き関電ビラ事件最高裁判決(最判昭和五八年九月八日判時一〇九四号一二一頁)の射程距離を制限し、企業に対する労働者の批判の自由を守ったたたかいとしてこの勝利の意義は大きい。
 解決金の金額は当面非公開とされているが、他の同種争議の水準と比較しても遜色のないものである。
五、こうした解決に至った要因については、今後、きちんとした総括が必要であるが、私見では、(1)地裁での勝利(銀行側は関電ビラ事件最判があるので負けるはずがないとたかをくくっていたようである)、(2)今年四月に予定されている東海銀行との合併など銀行再編を前に銀行側も解決を求めたこと(「MOF担」上がりの頭取が辞めたことも大きい)、(3)広範な運動の広がりと、これを支えた大阪労連、銀行職自連ら支援共闘会議の奮闘、そして争議団をよくまとめた大塚孝夫争議団長ら四役の尽力、(4)合わせて東電、関電、日立などの各種争議の解決のもたらした効果も大きかった。先行するこれらのたたかいに携わられた団員の皆様方には心より敬意を表したい。
六、金融機関の社会的責任を求める国民の声はますます大きくなっているが、それに応えるためには、金融職場が、労働者が人間らしく扱われる場でなければならない。今回の勝利は、こうした職場を実現する重要なステップとして社会的意義を有するものと考える。 【弁護団 小林保夫(団長)、豊川義明、松尾直嗣、鎌田幸夫、城塚健之(事務局長)、阪田健夫】



裁かれた市議会による人権侵害

-人権侵害裁判(青梅)一審勝利判決の報告

東京支部 長 尾 宜 行

一 東京の西方、青梅市の山間部では、小中学校の統廃合に伴なう父母の通学費負担が切実な問題となっている。地域のこどもたちは、バスやJR線を乗り継いで通学しなければならなかったが、一九八七年青梅市はそれまで行なっていた父母に対する通学費補助を原則的に打ち切ってしまった。
  これに対し、一九九一年地域では住民による通学費の補助復活を求める署名運動がおおいに盛り上がった。ところが、保守的な青梅市議会は、このような自主的な住民運動を異常に嫌悪し、運動を根絶やしにしようとした。すなわち、市議会は、地方自治法上のいわゆる百条調査委員会を設置したうえ、委員会所属の保守系議員らが、運動に関わった市民や日本共産党所属議員を呼び出しては、運動を罪悪視する立場から、これらの者に対する「つるし上げ」としか言いようがない人権侵害の違法な質問を浴びせかけたのである。彼らは、委員会において、運動関係者に対し署名用紙の作成者が誰なのかということやその配布ルートなど運動の詳細等を問いただすなどすることによって、署名運動の内部状況を徹底的に調べ上げようとしたのであった。
  その挙げ句、委員会は、署名運動が市議会議員選挙の時期と重なったことを利用し、署名運動の実質的な推進者は共産党議員や「共産党関係者」であって、運動はそれらの者が表面的にはまったく政治的意図をもたない市民を代表者としてたてるなどして行なった「非常に巧妙な選挙運動の一環」であり、公職選挙法に抵触するおそれがあるとの調査結果をデッチ上げたのである。そして、市議会保守派は、その調査結果報告書を市内の自治会長らが多数傍聴している本会議において可決承認したうえ、あろうことか、その内容を市議会広報紙に掲載したのである。もとより、同広報紙は、市内においてほぼ全戸配布されている。

二 委員会に参考人として呼び出されたうえ、委員会調査結果報告書のなかで「共産党関係者」と実名をあげて名指しされた一主婦が、一九九六年七月青梅市及び委員会の委員であった五名の議員を被告として、東京地裁八王子支部に対し国家賠償法に基づく慰謝料請求訴訟を提起していたが、昨年一二月二五日その判決があった。
  結論的に、判決は、主婦に対する参考人質問の違法は認めなかったものの、本会議における調査結果報告書の可決承認及び市議会広報紙の配布は、主婦の名誉権、思想良心の自由を侵害する違法な行為であるとして、被告らのうち青梅市に対し、慰謝料として八〇万円(さらに弁護士費用して一〇万円)の支払を命じた。

三 判決は、地方議員が議会における公的活動を行なうにあたっても、「市民の権利、就中、市民の名誉権や思想良心の自由を侵害することがないように注意すべき義務を負」うとしたうえ、調査結果報告書の可決承認等は、国家賠償法上違法の評価を免れないものと明快に判示した。さらに、委員会での参考人質問の場における委員らの言動についても、判決は、それらが署名活動に対して「事実上の抑止的効果を及ぼすおそれが強いものであったことは否定し難」く、委員らの言動は「まことに不適切であったというほかない」と判示したのであり、委員会活動のねらいが住民運動抑止にあったということを事実上肯定したものにほかならない。

四 議会の行為が市民の憲法上の権利を侵害したものと断じ、八〇万円という高額な慰謝料を認容したケースは希有であろう。議会の公的な活動は、一見あらゆる面において正当化されやすい行為であるが、しかし、それが国民の憲法上の権利を侵害する場合には、やはりそれは正面から断罪されるべきであるということが明確にされたのであり、判決の論旨は、権利の救済という司法の使命に忠実であろうとしたものとして、高く評価することができる。

五 判決に対し、青梅市(実質は市議会保守派)は控訴した。たたかいの舞台は東京高裁に移ることになったが、一審勝利判決に気をゆるめることなく、さらに攻勢的なたたかいを展開しなければならない。いっそうの御支援をお願いしたい。


追悼 市来八郎団員

市来さんは逝った

東京支部  向  武 男

正月の三日で、まだいい気分で晩酌をやっていた。午後八時過ぎ、大田区内に住む山下さんから電話があった。「明けましておめでとうございます。本年もよろしく」と言い終わらないうちに、相手の「市来さんが亡くなりました」という言葉に、おもわず絶句した。電話は、葬儀の日取りやなにかを言っていたが、もう、こちらの耳には入らない。受話器を置いて、二階へ駆け上がり自分の部屋の座卓に突っ伏した。大声をあげて泣いた。涙が止まらなかったが、少し、冷静になって、市来宅へ電話をかけた。電話で奥さんに確かめたところ、ご遺体は自宅へ帰ってきているという。馬込の家へいちどくらい行ったことがあるのに、気が動転しているせいか、奥さんの道順の説明が理解できない。夜分ですので、と言われ、その夜は出かけないことにした。
市来さんとの仲間としての出会いは、一九六八年四月東京南部法律事務所設立の時からであった。東京の南部地域に自由法曹団の拠点事務所を設けようという方針により、松本善明法律事務所から小池と市来が、小島成一法律事務所から松井が、第一法律事務所から向が参加した。最初から給料は満足に支給されることはなかった。が、みんな楽天をよそおって働いた。貰い物の一升瓶を空けるまでコップ酒をあおり、夜の更けるのも忘れて談笑した。市来さんも、無類の酒好きで、法廷からの帰りに、ふたりで、近所の立ち飲み屋で鞄を股に挟み、一合の桝の端の塩を舐めながらキュッとやった。病気になったり、事務所が別になったりしても、一緒に飲むのが楽しみで、酔えばどもりながら早口でしゃべるのを、うんうんと聞いてやった。最後は、二年ほどまえ、五反田事務所へ立ち寄ったおり、「おい、飯でもたべよう」と言いながら近くのうなぎ屋で、ビールを二、三本注文して、うなぎ重をご馳走してくれた。そのお返しをしないうちに、逝ってしまった。
五反田事務所の誰かから、市来さんは今度は駄目らしいと聞かされ、慈恵大の病院へ見舞いに行った。本人には知らせていないんだからという注意を忘れず、病室へ「ようッ」と入った。市来さんは、からだを曲げてテレビを見ていた。元気じゃないかと言うと、なにかを話すんだが、声がかすれて言葉にならない。せわしく咳こむ。こちらまでつらくなり早めに帰った。握手した市来さんの手には力がなかった。



市来八郎さんを偲んで

東京支部  亀 井 時 子

 市来さんは、最後まで現役の弁護士でした。市来さんが事務所に戻ってこないときがくるとは誰も思ってもいませんでした。
 市来さんは、二二年前の一九七九年六月に最初の舌癌の手術をしました。それ以来六回の癌手術に耐え、常時目の治療、歯の治療もしていました。一昨年の口腔・中咽頭癌の手術以来は、年四回、二週間ずつ抗がん剤投与のために入院していました。入院前は猛烈に仕事をして、退院後は次の日から、ケロッとして事務所に出てきました。所員は、市来さんが病院から戻ってくることを当然のように待っていました。
 一六期の市来さんは、六四年、設立二年目の松本善明法律事務所(現代々木法律事務所)で弁護士生活をスタート、松本議員の当選をみて、六八年三四歳のときに東京南部法律事務所の設立にかかわり、七七年四三歳で五反田法律事務所を開設しました。
 南部事務所の設立は、選挙違反、ビラまき、ポスター張り事件などの弾圧事件、労働事件が地域活動家を襲った時代、地域の中に弁護士を配置する重要性が訴えられ、地域事務所が次々とつくられるという時でした。私も南部時代からの三二年間にわたる同僚です。
 京浜の全金横町といわれた石井鉄工、大谷重工、日本起重機、山武、北辰電気、ヒロセ電気などの労働争議、全自交の労働争議など右翼や暴力団のからみも多いころで、市来さんは本当に労働者と寝食を共にし、体を張ってたたかってきました。大田病院などの選挙違反、無数の弾圧・公安事件、休みもとらずに深夜まで働いた南部時代の中心でした。自らも地域の活動家として全戸配布、戸別訪問も当たり前、警官から尾行されたりしながらがんばってきました。当然、事務所財政は苦しく、七〇年代中ころまでは、給料も安く、遅配の連続でした。皆、風呂のついたアパートに住むのが夢でした。
 市来さんは、いつも、この時代を、食えない中でも意気にもえ、深夜まで働き、酒をくみかわし、労働者と共にたたかい、弁護士として楽しい活動をしたと述懐していました。
 こんな中で、市来さんは、有名な高野山総会の後六九年から二年間自由法曹団の事務局長もやりました。この時代、司法の世界も阪口修習生罷免など大変な時期で、団活動も厳しく、団と事件活動で八面六臂の活躍をしていました。
 七七年から五反田に事務所を構え、品川地域の活動に専念することになり東電事件にも参加しました。二年目に病に倒れ、昔の血気を押さえ、団の活動や労働事件からは遠ざかっていきました。事務所の運営、経済的な支柱となり、所員の精神的な支えともなり、仕事師のように仕事にのめりこんでいきました。市来さんの支えを軸に、所員は、それぞれ自分の好きな活動ができたのです。
 最後まで、機械はきらいだと、読みにくい字で手書きの原稿をせっせと書きまくっていました。咽頭癌のため、声がでずにしゃべりにくい、聞き取りにくいという中で、医療用のマイクを探し求め、最近はマイクで法廷や調停をこなしていました。「聞き取れるか」と何回も練習して。鬼気迫る思いがしたものです。それでも仕事が命、元気の源だったのです。
 二〇〇〇年一一月八日(水)の入院時は、固形物は喉を通らない、動けない、歩けないほど体力が弱っていたのに、直前の一一月四日(土)まで事務所で仕事をしていました。入院後も「事件は一回復代理か延期してくれれば、一月には出られるから」と病院から電話であれこれ指示していました。
 市来さんの酒豪は有名でした。南部時代は、事務所に一升ビンがいつもあり、事務所で大声で談論風発しながら飲むのが好きでした。市来さんの酒好きを知っている依頼者が蒲田駅前の酒屋で特級酒を頼むと、「いつでも二級酒三本に取り替えるとことづけてくれ」と言ったそうです。傷だらけの顔で現れ、どこで飲んでケガしたのか分からないが、家には帰ったみたいだということも時々ありました。 最近は、医者から一日ビール大瓶一本半までと制限されて、大事に大事に飲んでいました。今回も途中、三週間自宅に帰り、一二月二八日まで日本酒を毎日二〇〇CCストローで飲んでいたそうです。二〇〇より少ないんじゃないかと不平を言いながら。酒豪の市来さんが最後まで好きな酒を飲めてよかったとホッとする思いです。
 弁護士の仕事は区切りがないので、いつも、残したことがあると思いがちです。でも、市来さんは三六年間、世のため、人のため、人権擁護に尽くしてきました。もう休んでいいころです。後は若手が引き継ぎますよ。十分働いたのだから、酒でも飲みながら、もうゆっくりお休みください。でも市来さんのことだから、天国でも、せっせと読みにくい原稿を書いているかもしれませんね。事務局が慣れるまで大変ですよ。



市来八郎兄を送る

東京支部  柴 田 五 郎

 市来君、八郎君、いや八ちゃん!
 君と初めて会ったのは、もう四〇年近くも前だったろうか。
 司法研修所の前期、寮が文京区の指ケ谷にあったころ、近くの飲み屋でいつも飲んでる修習生が若干名いて、その中に君とボクが居た。他人の名前をどこで調べたものやら「君は五郎っていうんだってね、ボクは八郎っていうんだ、ボク達は兄弟って訳だ」これが君の最初のセリフだった。とんだ兄貴が出来てしまったもんだ。
 研修所の後期のある日曜日、君から「ハイキングに行こう」と誘われた。着いたところは立川の河川敷きで、松本善明とかいう余り聞いたことのない若い弁護士が、何やら米軍基地反対のような事をぶっていた。翌日新聞を見たが、昨日の集会の事は一行も載っていなかった。これでボクは「世の中には新聞に載らなくとも大事な事があるんだ」と言う事を学んだ。
 ボクは検察官志望だったが、取り調べ修習を拒否したためか、お声がかからなかった。ウロウロしていたら、又々君から「どうだ、おれと一緒に松本善明(現代々木総合)事務所に行かんか」と声を掛けられた。既に検察官採用が決まっていた別の親友に相談したら「悪い事は言わないからあそこだけは止めとけ」と忠告された。反対されるとやりたくなるのがボクの悪い癖で、結局君について行く事にした。
 松本善明事務所で一〇年ほど暴れ回った後、君は東京南部の、続いて五反田の、ボクは世田谷(現渋谷共同)の新事務所建設に参加する事になった。
 来客時酒屋が閉まっていれば、奥さんを飲み屋に酒を買いに(借りに?)走らせるというので、君を亭主関白と評する向きもないではない。しかし或る弾圧事件で日曜日に勾留裁判官との交渉が入った時、君が長女(暁子さん)をおんぶして裁判所に行き、廊下でおむつを代えたこともあるという事実を挙げれば、反証としては充分だろう。
 君が最初にガンの告知を受けた時、とにかく栄養をつけなくてはと病院の帰りに、銀座で特注のうな重を食べたという話は、君の何にでも立ち向かって行く根性を表すものとして、今でも語り草だ。退院した君を見舞った時、君の枕元で長男の陽一郎君(当時中学生)が、運動会の選手宣誓の練習をしているのを見て、君はガンなんかに負ける訳はないと、確信したものだった。
 以来二二年、君は六回もの手術に耐え、その都度不死鳥のようによみがえり、我が家に事務所に仕事に復帰した。
 昨年一一月、君は見舞いに行ったボク達に筆談ながら、長女(暁子さん)も長男(陽一郎君)も結婚したこと、長男も弁護士になり友人と一緒に事務所を構えたことなどを、嬉しそうに話してくれた。帰る時君は「この病院の八階にビアホールがあるから、そこで飲んでいけばいい」と、気を遣ってくれた。
 一二月中旬退院した君は、一二月二八日まで晩酌を重ねた。一二月三〇日最後の入院、二一世紀を迎えて正月三日、君は二二年に及ぶガンとの闘いと六六年の人生を閉じた。二二年はあまりにも長く、六六年はあまりにも短い。
 一月七日、君を野辺に送った日、夕方より雪が舞い始め、一夜にして銀世界と化した。まるで君の旅路を掃き清めるかのように…。


司法制度を考える

-アメリカの司法制度の現状-

-ピーター・アーリンダー(前NLG議長)氏の講演-
          幹事長  篠 原 義 仁
国際問題委員会委員長   菅 野 昭 夫

 前NLG議長のピーター・アーリンダー氏は、今年の一月から六月まで、早稲田大学のの客員研究員として、日本に滞在されます。
そこで、これを機会に、同氏から、アメリカの司法制度の実情などについて講演していただく企画を設けました。
 また、自由法曹団は、二〇〇〇年一〇月二九日から一一月六日まで、マサチューセッツ州ボストン市を訪問し、ナショナル・ロイヤーズギルド(NLG)総会に参加するとともに、アメリカにおける司法制度、特に陪審裁判の現状を調査しました。その報告もしたいと思います。
 夜は、ピーター・アーリンダー氏との懇談も行います。  日本の司法制度改革を考える上で、アメリカの司法制度の実情を知ることはとても大切なことと思います。
 ぜひともご参加下さい。


内容 講演(アメリカの陪審制度、法曹一元制度、公設弁護人制度、ロースクールの現状について)/ピーター・アーリンダー(前NLG議長)
   アメリカ司法制度調査の報告/鈴木亜英
日時 二〇〇一年二月九日(金)午後四時〜午後六時三〇分まで


教育改革対策本部(仮称)会議のご案内

幹事長  篠 原 義 仁

 昨年一二月二二日、教育改革国民会議は、教育を変える一七の提案と報告を発表しました。その中で「新しい時代にふさわしい教育基本法」を提言しており、教育基本法の見直しを方向付けています。
 少年犯罪の多発、いじめの問題など教育問題に対する国民的関心が高まる一方、その原因を教育基本法に求め、戦後民主主義の基礎となった教育基本法の改悪が行われる危険性が強まっています。また、新しい歴史教科書をつくる会による戦争賛美の教科書を採択する動きも激しくなっています。こうした情勢のなかで、自由法曹団には、教育改革問題に対する意見書の作成を早急に行うこと、教育基本法の改悪を許さず、子どもの権利を守る運動を強めることが求められています。
 そこで、下記の体制で教育改革対策本部(仮称)を設け、対策会議を下記の要領で行いたいと思います。
 多くの方に参加いただくようお願いいたします。
会議/日時 二〇〇一年二月一五日(木)午後四時〜午後六時
     場所 団本部会議室



労働事件における司法改革実現のため、

労働組合への要請をお願いします

担当事務局次長  財 前 昌 和

一、一月一九日、労働問題委員会を行いました。その内容は以下の通りです。

1、労働事件における司法改革を実現するための取り組みについて議論しました。司法制度改革審議会での審議は実質的には四月中旬で終わり、その後は最終報告作成作業に入ります。従って最終報告に影響を与えるために残された時間はわずか二か月あまりしかありません。
 労働組合に取り組みを強化してもらうため、団本部では全労連、全教など、さらには連合に要請に行くことを計画していますが、各支部や団員のみなさんも各地の労連やつながりのある組合に、団の審議会中間報告に対する意見書や労働裁判に関する意見書(いずれも団のホームページに掲載しています)などを持参して働きかけることをお願いします。また二一日の司法改革全国活動者会議で、二月一五日から一か月間を司法改革問題での草の根宣伝学習月間とすること、そのための武器として、労働組合への申し入れ書のひな型、労働組合から審議会に要求をぶつけてもらうための審議会への要請はがき(本部で官製はがきに印刷します。一部五〇円の実費で買い取りをお願いします)と要請書のひな型(労働分野における司法改革要求をまとめたもの)を団本部で作成することが決まりました。要請書ひな型は後記の通りです。ぜひご活用ください。
2、規制改革委員会が発表した昨年七月二六日付の「規制改革に関する論点整理」と一二月一二日付の「規制改革についての見解」の雇用・労働に関する部分に対する団としての意見書の骨子について議論しました。次回委員会に意見書案を諮り、確定します。
3、五月集会の分科会のテーマとして、規制改革委員会の意見に対する取り組み、企業再編型リストラとの闘い、東京地裁を中心とする解雇規制法理の空洞化の動きとの闘い、労働分野における司法改革の取り組みなどが候補として挙がりました。次回委員会でさらに検討します。

二、労働分野における司法改革要求をまとめた審議会への要請書ひな型は以下の通りです。


        要 請 書 (ひな型)

司法制度改革審議会  御 中

 労働事件は五三〇〇万人もの労働者の利害に関わるものであり、その在り方は国民生活に重大な影響を与えます。私たちは、現在の労働裁判には数々の重大な問題点があり、その改革はもはや放置することはできないと考えます。
 貴審議会が今年六月に予定する最終報告において、労働事件に関して少なくとも以下の改革を盛り込むことを強く要請します。

要 請 項 目

1、陪審制度を採用すること。現在の裁判所は、労働者の置かれた状況や職場の実態、労働者やその家族の生活、労使間の証拠の偏在を理解せず、使用者側に一方的に偏した判断を行う傾向にあるため、労働裁判に国民の良識を反映させることが必要である。
2、最高裁による統制を受ける官僚裁判官が裁判を担当する現状を改め、すべての裁判官を社会経験豊かな弁護士などの多様な人材から選任し、かつ、その選任手続を民主的かつ透明なものとすること。
3、労使間の証拠の偏在を考慮した特別の手当てを行うこと。具体的には、文書提出命令の範囲の大幅な拡大、訴え提起前の証拠保全手続の要件や範囲・効力の拡充強化、労働者側に立証困難な事項についての立証責任転換や推定規定の新設。
4、多くの労働者が泣き寝入りをしている現状を改革するため、比較的事案が簡明な事件について簡易迅速な労働訴訟制度を導入すること。
5、裁判所・裁判官制度や司法行政制度を改革すること。具体的には、最高裁判事の人選や国民審査の改革、最高裁事務総局の廃止と裁判官会議の権限回復、裁判官に対する差別的・恣意的人事の改革など。
6、裁判官会同・協議会を廃止し、これまでの資料をすべて公開すること。
7、裁判官やその他の裁判所職員を大幅増員すること。
8、労働者・労働組合の提訴を困難にする弁護士費用敗訴者負担制度は絶対に採用しないこと。
9、不当労働行為からの迅速な救済のため、労働委員会の救済命令に対する司法審査に実質的証拠法則を採用し、労働委員会の判断を裁判所ができる限り尊重するようにすること。
10、地労委・中労委・東京地裁・東京高裁・最高裁と事実上五審制となっている現状の改革のため、中労委命令に対する取消訴訟の管轄を東京高裁とすること。
11、公益委員や労働者委員の選任の在り方を改革し、とりわけ中労委や多くの地労委における連合系労働組合による労働者委員独占を改めること。



所謂「一人法人問題」について

-法律事務所法人化総会に向けて-

東京支部  坂 井 興 一

 団通信前号(一〇〇九号、一月二一日付)において小生は頭記総会問題について投稿し、その際、一人法人の実現は事実上困難であるとの執行部の説明により云々としてこれを論じた。ところがその後執行部は、一月一九日付全会員向け文書により、その可能性が出てきたことを肯定的文脈で報告した。可能性の論議について云えば従来の説明を一八〇度変えたのである。この報告と小生の投稿掲載の時期が一緒になったため、団員にはご迷惑を掛けることになった。このお詫びと問題の当面する重要性を考え、団本部にはご無理を言って再度この問題に絞って掲載して頂くこととした。

第一、一月二五日付で小生は以下の内容の問い合わせを日弁連執行部に行った。
「一人法人問題」についての問い合わせ

問い合わせの趣旨
 頭記の法人化総会にあたり、所謂「一人法人問題」についての状況、連合会執行部の受け止め方、方針等を明らかにして頂きたく、本書をもってお問い合わせ致します(また、各会理事に於かれましては、この件についてのご希望・ご意見が現在どのようなものになって居られるのか、お知らせ頂ければ幸甚です)。

問い合わせの理由
一、経過と問題

1、頭記について、二〇〇一年一月一九日付の連合会執行部の臨時総会向け文書(2)によれば、八割の会員が利用できる制度にするため、日弁連が一人法人の実現を求めてきたこと、法務省がこの主張に理解を示すようになり、認められる可能性が出てきたとのことであります。
2、一一月理事会に於いて小生は、一人法人要求について弁護士自治の観点から強い危惧を指摘し、一一/二八付の修正意見書を提出しました。然し、一二月定例理事会では、その実現可能性は事実上考えにくい状況になっているとの答弁により、修正案文の趣旨が理由中に挿入されたことで理解することとし、議案に賛成しました。この経過については執行部に於いてもご承知のことと思います。
3、小生が所属する東弁のこの件についての公式見解は、九五年(平成七年)三月の常議員会決議によって行われ、三人以上を要件とするものでした。その趣旨は、少なくとも一人法人については積極的に否定するというものであり、今日に於いてもこれは変更されてはいないと思われます。
4、尤も、二〇〇一年一月常議員会に於いては、来たる総会の単位会票を賛成のものとする旨提案され、多数により可決されています。 5、理事会段階での法人化問題は当面手続きが終了したのだとは思いますが、一人法人問題については、その後の執行部の状況説明が一八〇度変更された如くのため、討議未着手乃至は未了のままの進行と受け止めざるを得ないのではないかと思われ、甚だ落ち着きの悪い気分であります。
 そのような次第のための以下のお問い合わせです。ご面倒でも文書または二/二理事会に於いてご応答頂くよう要請する次第です。

二、問い合わせ内容  一月後半現在、一人法人が認められる状況にあるとの前提に立って、以下の点について執行部の受け止め様を明らかにして頂きたいと思います。
1、連合会執行部はこれを求める立場(Q&A7)なのか、それとも視野に入れて検討する程度の立場なのか(議案第3、3)、そのあたりを明らかにして下さい。

2、上記1、に関して
イ、その立場はいつ何処で決め、又承認手続き段階はどのようなものと受け止めれば宜しいのか。
ロ、議案との関係では一括して、(8 その他の具体的諸条件として理事会の定めるところによる)のか。
ハ、それは未だ決められていないとされるのか、今次総会に於いて決められたとされるのか、どちらなのか。
と云った具体的なこともご教示下さい。

3、仮に一人法人についてこれを推進若しくは許容するのが執行部の立場だとした場合、
イ、弁護士法人の理論的構成はどうなるのでしょうか。一般法人と同じだと言われるのでしょうか。
ロ、多数の会員が利用出来るようにとの観点から一人法人を考えますと、それが多数事例となることを想定して構成を考えることになってしまいます。これは議案の本来的趣旨とは反対のものを取り込むことを意味し、統一的構成が困難になると思われます。例えば一人法人の議決権、懲戒等の構成もどうなるのでしょうか。
ハ、所謂一人会社の社会一般状況を考えますと、法人化について利用者サイドから好意的理解を得ることや、弁護士自治確保についての懸念を払拭するのが難しくなるように思われますが、如何でしょうか。

4、総会議案の該当個所(理由第3、3では、利便性に資するとの観点について、依頼者保護の徹底を期しながらの一人法人化が経営の合理化、近代化となるから、となっています)の説明は、ご苦心の産物であると受け止めるに吝かではありませんが、やはり形容矛盾の記述の印象を拭いきれないものであります。そこで、
イ、その実現の可能性が出てきたとされる現在、その説明をそのまま維持されるのでしょうか。
ロ、そのような説明は連合会の意向とは関係なしに出てきたものの説明としては有り得ても、求めるものとして、また求めたことの結果として出てきたものの説明としては無理があるように思いますが、如何でしょうか。
ハ、そもそも一人法人問題についての方向は、九八年六月実施アンケートを受けてのことのように思われますが、その後、これについての各会の意向を調べたこともなさそうです。そうすると、些か不確かな意向らしきものによって、弁護士自治に重要な影響を与えることが決められてしまうように受け止められますが、それで宜しいのでしょうか。

5、
イ、而して、今次総会に於いて、連合会は一人法人について確認、決議する方針は「尚、白紙である」とすべきもののように思いますが、如何でしょうか。
ロ、仮にやはり実現の方向が方針であるとするなら、「議案基本方針その8以下」とでも掲記すべきではないでしょうか。

6、尚、理事各位に於かれましては、一人法人問題についての各会乃至は各理事のご希望・ご意見がどのようなものであるのか、ご教示頂ければ幸いです。
  以 上。

第二、この問い合わせに回答があったとしても総会前にご紹介することは時間の関係で不可能である。この問題に小生がこだわる理由はおよそ見当が付くと思われる。その概要について、一二月理事会向けの意見書では、

1、法人問題一般について、ざっと俯瞰してみても、
イ、法律関係の二重性と責任構造の分離性
ロ、非会員による経営や業務への事実上の参画の可能性
ハ、過度の経営合理性の追求や、経営・組織論理の支配による弁護士業務の独立性、自立性への影響
ニ、経理、税務処理関係の適正確保に関すること
ホ、会員と弁護士会との間に法人が介在することによる諸調整の複雑化と、様々な理由・原因による「弁護士会の自律的権能」への批判の増大、弁護士自治維持の困難化
等々を指摘し、また、

2、所謂一人法人については、自然人と法人の分離を必要以上のものとする恐れがあります。そしてややもすると、その経営の閉鎖性と主体責任の分離性が相待っての様々な問題の派生することが社会に於いて広く現認されます。おそらくは法律事務所経営に於いても、その傾向と全く無縁とは言い難いものでありましょう(また、些かお節介を言えば、イソ弁のパートナー化を邪魔しかねません)。と云うこと、及び、

3、小生は一人法人についてその許容を方針とすること、及びそれを可とすることについては強い抵抗を覚えるものです。然し、仮に単位会の相当多数がそれを強く求めている というのであれば、大都市以外の各単位会の相互批判力の大きさを考慮して、柔軟対処の余地もあろうかとは思います。
いずれにしても、これらの問題は今次法人化が所謂準則主義によってなされ、法人設立・発足段階での点検・指導の徹底が必ずしも図りがたいことから、その克服のため大きな努力を必要とするものと思われます、
と指摘し修正意見を述べていた。
 このことについて率直に言えば、八割を占める一人事務所会員が望んでいるかも知れないことに水を差すような問題提起はしにくい。執行部とて同じだろう。けれども、世間一般にある安直な法人成りをするようになって、果たして弁護士自治でございと言い続けれるのだろうか。フツーの人、フツーの法人で結構という時代に入ることは止めようのないことではあるが、やはり大きな節目、分岐点である。微妙だから避けて通るのではなく、それなりに議論を尽くした上でのことにして貰いたいと云うのが、わが心境なのである。


二〇〇一年日韓法律家交流会のご案内

東京支部  小 池 振 一 郎

 約二年に一度日韓交互で開かれている日韓法律家の交流会が、今年は、韓国・済州島で日韓法律家交流協会主催で行われます。 南北会談実現後の新しい朝鮮半島情勢が聞かれます。  是非、ご参加下さい。