リレー特集 各地でひろがる憲法運動 |
1、これまで、その年毎に集会の様子について、集会実行委員会に参加する団員や団事務所の事務局から投稿してきましたが、現在のスタイルになって今年八年目になるので、これまでの経過と今年の集会について報告します。
2、一九六四年に結成された「広島憲法会議」は、毎年の憲法記念日を中心として講演会などを開催してきましたが、次第にごく限られた人々の参加になってきたため、一九九一年から憲法会議を中心にしながら青法協広島支部、団支部、法律事務所の事務局、各民主団体らによる実行委員会方式で、シンポジウム、オムニバス憲法劇等を実施してきました。九四年からは、さらに広く市民の参加を求めて、「講演とミュージカル」のセットで、ミュージカルの出演者の公募を始めました(先行する神奈川、埼玉、福岡のミュージカルの刺激を受けて)。その後の実行委員会には、この集会やミュージカルに参加してきた市民の人たちも加わり、田村和之・広島大学教授を実行委員長(私が事務局長)とする憲法集会として定着します。
3、これまでの集会の内容は、次のとおりです。
九四年が「子どもの権利条約」をテーマとしたミュージカル風憲法劇『学校よ、よみがえれ』とマルセ太郎の憲法講座(この年は、広島の高校平和ゼミと協力)、九五年が「高齢者の人権」をテーマの『大往生』と壽岳章子さん(京都)と上原千寿子さん(広島)の講演、九六年が「女と男の共生」をテーマの『女と男の共生時代』と広島の野曽原弁護士のミニ講演、沖縄と平和を考えるシンポジウム(沖縄の三宅弁護士、平和学の岡本三夫教授、地元の新聞記者らがパネラー)、九七年は、「情報公開」をテーマの『いま、窓をひらこう』と奥平康弘教授の講演、九八年が、「規制緩和」をテーマの『ワンカイセキ国旅行記』(キセイカンワの逆)と二宮厚美教授の講演、九九年が、「高齢者の人権」をテーマの『大往生パートU』と一番ケ瀬康子さんの講演。
二〇〇〇年は、水島朝穂早稲田大学教授の講演と悪徳商法やリストラ、憲法がいまの時代に合わなくなったなどに立ち向かおうという『だまされやすい人々』でした。
いずれも、その年々の軸になりそうな課題を、その前年から見通しを付けて半年くらいかけて準備し、これまでのシナリオは団員の廣島弁護士が、劇中の歌は音楽センターの新江氏が、そして出演者やスタッフは広く市民から公募などにより募集して、小学生からお年寄りまで幅広い参加と手作りのものです。おもしろおかしく、会場は笑いにつつまれ、踊って歌う子どもたちの熱気を受け止め、いつも五五〇の会場が六五〇人位の参加であふれます。
4、今年は、講演を教育研究家の三上満氏に「憲法を高く掲げて、子どもたちとともに、二一世紀を」の演題で、ミュージカルは『あなた任せはサヨウナラ!!』。主なテーマは、教育問題と家庭や職場や政治の場面であなた任せにしないで自立と共生をめざそうというものです。特に、教育については、「明治憲法と教育勅語」から「現憲法と教育基本法」という枠組みに変わったのが、いま憲法調査会と教育改革国民会議のセットで違う枠組に変えられようとしていることを軸にしたものです。
一 二月一一日、読売新聞は「IT技術者・弁護士ら自衛隊に任期付採用」の見出しで、「防衛庁は十日までにIT(情報技術)関連技術者や弁護士など高度な専門知識を持った民間人を期限付きで自衛隊員として採用する『任期付き隊員制度』を導入する方針を決めた。自衛隊法改正案など関連法案を今国会に提出し、二〇〇一年度から実施する予定だ。」「高度な専門性を持つ隊員に対しては、東大、京大両学長並みの最高で壱百参拾七万五千円の月給を支給する」と報じている。
一昨年自民党特別調査会の提言を受け発足した司法制度改革審の審議は、弁護士制度改革を最重要課題としていよいよ大詰めを迎えようとしており、団が昨年一二月発表した司法改革審「中間報告」への意見書の中で危惧を表明していた(二三頁)弁護士法第三〇条問題・公益的責務問題をめぐり、弁護士のあり方は大きく変わろうとしている。
二 この時に当たり、表記日弁連会長の見解は「二一世紀に求められる弁護士・弁護士会の役割と課題」の冒頭に「自立した市民社会を積極的に支えることが弁護士に課せられた役割であると考えます」と全会員へ発表された。(傍点筆者)
この「自立した」「市民社会」とは耳障りの良い言葉ではあるが具体的にどういうものであろうか?
手許の大辞林(三省堂)を引いてみると、「市民社会」とは「自由・平等な個人が自立して対等な関係で構成することを原理とする社会、封建的な身分制度を打破した市民社会、ブルジョア社会」、「市民階級」とは「資本主義経済体制を確立した都市の中産階級」とある。
「自立した」とは政・財界が新自由主義改革・規制緩和大改革によって実現をめざす「市場原理」「自由競争」の社会、その中で国民に強く求められている「自立性」「自己責任」を意味するのではないだろうか。
「市民社会」とは多国籍企業の大競争時代の危機感の下、経済同友会が「こうして日本を変える」(九七・三・二七)で述べている新しい国家運営システムとして構想する「市民社会」、「戦後日本システムの総決算」(九七・四)で述べている「国と企業に依存する中産階級」を「『民主導改革の担い手となるべき市民階級』として自立させる必要がある」として構想している「自立した」「市民階級」を言っているのではないだろうか。
オイルショックを乗り越え強い競争力を誇った日本企業を支えた日本の「企業社会」に代り新しく構想されている「自立した」「市民社会」とは何であろうか。
三 この点について、渡辺治氏は「企業社会・日本はどこに行くのかA―再編の時代・日本の社会分析―」(教育史料出版会)の中で、支配層が「既存の企業社会的・福祉国家的な統合にかえて、いったいどういうあたらしい統合をつくろうとしているのかということについては『戦後日本のシステムの総決算』をはじめ、経済同友会が最近やつぎばやに出している社会構想のなかで、かなり明らかになっています。彼らはそこで『新しい市民社会をつくる』と強調しています。簡単にいうとこういうことです。日本はいままで画一的な平等と画一主義的な福祉国家の体制にあったけれどもこれではもう二一世紀の日本はやっていけない。これからの日本はカッコつき「弱者」にたいする保護と福祉の政策を切り捨てて、国家に依存しないあたらしい市民たちによる、あたらしい社会、自由で自立したーこの言葉は一五期中教審のなかにもふんだんに散りばめられていますがーあたらしい市民による、あたらしい社会をつくっていかなきゃいかん≠ニいうのです。ではその「自立した市民」とは誰か。よく読んでみると自立した市民というのは既存の「中産階級」とは区別されると書いてあります。ここでいう「中産階級」というのは農民とか自営業とか大企業サラリーマンとかを指すわけですが、これは国家や企業による様々な保護と福祉に依存した階級であって、あたらしい「自立した市民」というのは国家や企業に依存しない強い市民である、と書いてあります。そしてこの自立した市民は『自分たちの稼いだ分を税金に取られないということを要求しなければいけない』と具体的に書かれています。つまり所得税の累進税率の緩和です。ところで所得税の累進税率の緩和化を間接税増税と入れ替えることによって得する<市民>というのは、もっとも低くみても年収七〇〇万円以上の層ということになります。」―中略―「しかし、こうした<市民>は明らかに社会の少数者です。社会の少数者に依拠してはたして社会の統合ができるのか、不思議なことですが、ここで想定されているのはおそらくアメリカ型の社会と思います」(前掲書「九〇年代教育改革の政治的経済的背景」一六〇頁)と分析されている。
財界が構想し、又日弁連会長も表明している「自立した市民社会」とは、現実を直視すれば新自由主義改革の柱として強行されている規制緩和によって切り捨てられていく大部分のサラリーマン、労働者、農民、自営業者や経済的弱者は市民権を有しない「市民社会」ではないだろうか。
四 昨二〇〇〇年五月発行された日弁連編の「二一世紀弁護士論」(有斐閣)の中の「法の支配と弁護士の役割」の論文(一九九九年度の日弁連執行部の一員であった小堀樹・吉野正・寺井一弘氏が弁護士会内の有志の研究成果を取りまとめたもの)によると「自由と正義」の「社会正義」を論ずるにあたって、個人と国家の間に中間集団を認める考え方を紹介し、フランス型は中間集団を否定し、アメリカ型は個人と国家の間に中間集団を認めるとし、「少なくない論者は中間集団の再構築を志向している。コミュニティ論、分権論などはその一例である。上述の類型によればアメリカ型を追求するものである」と述べている(一〇頁)(傍点筆者)。「この関係を『私』と『公』と『官』の三つの概念で説くのが弁護士の中坊公平である」―中略―「『私』と『公』の利益は調和されなければならず、その上で『私』と『公』は連帯して『官』に対抗し、自由を確保しなければならない」と述べ、弁護士法第一条一項を二つに分け「基本的人権の擁護」については「個人主義に立脚していることは明らかである。自由の権利性と主体性・自律性は権利のために自律すべく闘う個人像を想定している」とし、社会権には触れず「『社会正義』とは国家以外の共同体、つまり『中間集団』の『正義』を意味し、その『実現』を図るということは『中間集団』の存在を積極的に評価し、これの発展を求めているものと理解される」とし、ここから「弁護士の公益に奉仕する責務が導かれる」とする(司法改革審第一二回・第一三回会議に提出された中坊リポートの公益責務論と同じ)。
右の理論の「中間集団」、中坊氏の「公」に該当するのが表記日弁連会長見解によれば「自立した市民社会」ということになるのではないかと思う。そして「自立した市民社会を積極的に支えることが弁護士に課せられた役割であると考えております」という弁護士の公益義務論の展開となっていると考えられる。
現在政財界が進めている新自由主義改革・規制緩和改革の社会の中での「自立した市民社会」を「中間集団」とし、その「正義」を弁護士法第一条にいう「社会正義」とし、それを「積極的に支えていく」のが弁護士の公益的責務とする見解は、日本の弁護士が今まで考えてきた弁護士法第一条一項の「人権擁護」「社会正義の実現」とは異なった見解を示すものではないだろうか。
規制緩和社会の中で切り捨てられていく「自立」できない階層を「積極的に支えていく」のが弁護士の公益的(公共的)責務ではないだろうか。
五 現在の司法改革審の司法改革が、経済のグローバル化を背景に財界主導によって進められていること、その中心的要求は我が国弁護士制度を「グローバル・スタンダード」に合うよう早急に改革したいことであり、財界の構想は弁護士人口大幅増、弁護士制度規制緩和によるアメリカ型弁護士化であろう。その中で表記日弁連会長の見解が財界と同じく「自立した市民社会」を「中間集団」とするアメリカ型社会を構想し、その「中間集団」を支える弁護士公益義務論を表明しているのであれば、戦後の日本弁護士制度の個々的改革のみでなく、二一世紀の日弁連及び日本の弁護士の「あり方」の抜本的方向転換を会員全員に表明したものと考えられることになろう。
表記日弁連会長の「自立した市民社会」公益義務論に重大な危惧を感じ、まだ考えが不充分な段階であるが急ぎ問題提起をし、諸兄姉の御意見を求める。(二〇〇一・三・一五)
一 二〇〇一年二月二四日(土)午前一〇から一日かけて支部団員の半数が集まって、支部総会をもちました。
午後三時からは、本部より篠原幹事長が来られ、議論に参加された。討議では、司法改革問題等に関して、活発な議論がなされて久しぶりに討議の盛り上ったが総会になりました。
司法改革問題での討議は、弁護士人口増員推進、ロースクール法科大学院賛成、弁護士事務所法人化賛成の意見は、財界・支配層の「司法改革」路線に無防備に流されて行くもので、基本方針として誤っている、特に法人化問題は、弁護士を質的変容するもので、予定の法案に反対する方向で緊急に取組むべきではないか、という意見。それに対して、支配層の司法改革推進の狙いを警戒しつつ、国民の司法改革要求を実現する方向で、意見を上げ運動をして行かねば、支配層の「司法改革」路線に流されしまう結果になるのではないか、団の意見書は、団内の議論の大旨一致したものを、明らかにしたもので、その上で、各自もっと強く訴えて行きたい点は、声を上げて行けば良いのではないか、という意見の対立となったもの。この問題の支部内の討議が十分ではなかったことが、明らかになった総会でありました。しかし、具体的な行動の計画をまとめた団本部の提起の「運動方針」を、実践して行くことは、確認されました(篠原幹事長が出席されている以上当然か)。
二 また、教科書問題、教育基本法の改悪、教育改革、との関連で、日の丸の掲揚の強制問題が、支部総会でも議論になり、卒業式、入学式の時期でもあることから、支部で意見書をまとめて、教育長に、要請することになりました。その後、支部三役で、昨年の団本部の意見書を参考にして、卒業式、入学式の時期であるので、「君が代の斉唱、日の丸の掲揚を、これらの式で強制しないよう」要請する申入書(請願)を作り、三月六日、県教育長に団支部として申入れ(請願)をしました。
この申入れに対しては、同日教育庁・企画管理部総務文書課長(宮下忠光氏)が受取り、「高校教育課、指導課推進部長等関係部局に伝える」旨表明しました。
三 なおこの千葉支部の総会で、当支部の役員が、次のように代わりましたので、併せて報告します。支部長・鈴木守、幹事長・藤野善夫、事務局長・市川清文。
フリーメーソンという団体は「世界を陰で操る組織」などと言われていますが、実はアメリカン・スピリットとか「友愛精神」とかを共にする団体(もちろんそのメンバーによる世界政治に対する影響力は強い)のようです(春名幹雄・『秘密のファイルーCIAの対日工作』)。しかし日本の弁護士・研究者・労働・市民・地域運動界隈に「義仁党」というそれはそれは恐ろしい団体があることはほとんど知られていません。
この義仁党には格別の規約も行動方針もありません。ただ一つの精神ーそれは当主のために、それだけです(ヤクザと違うのは失敗をしたり、辞めたりする場合でも指を詰めないでもいいことだろうと思われます。もっとも辞めた人を知りませんから、後のほうがどこまで真実かは保証の限りではありません)。
この当主が偉いのは、一番困難な部署、一番困難な場面に自らを投ずることです。ただ、コメ屋の息子が朝からパンが食えるか、などと意味不明の言葉に象徴されるとおり、好き嫌いが結構あり(それにしてもなんであのナベツネのジァイアンツファンなんだ)、しかも他人が解読するのにははなはだ困難な手書き文字を専ら通信手段として用いていることが難点です(そのほか懇親会におけるあの耐え難い不規則発言を云々する人もいましょうが、それは入口の口頭試問みたいなもので、これで評価するのは未熟というものでしょう。なお私はこの死海文書並の篠原文書を解読するため、川崎公害弁護団時代を通じ実に数年を要しましたが、神奈川では途中で挫折して篠原FAXを見もしないまま捨てる者が跡を断たず、結局構成員になることなく幸いにもそこそこな平和な世界を謳歌している団員も少なくないようです)。
あれやこれやの矛盾の中、運動の世界にひとたび名乗りを上げるや、その責務の重圧からの一時の解放を求めて(実は構成員募集の口説きのため)飲酒を続ける一方、ひそかに正しい薬を飲み、更には帰宅すると大量の水を飲んで翌日に備えるという「健康管理」も行っているとは誰が知りましょうや(公知の事実ですか、ハイスンマヘン)。そのようなVIP(我がまま者)のため、川崎合同法律ではとっときの渡辺(登)女史という親衛隊を配置した(配置ではなくこれまたたぶん自発的構成員)ほどです(同女史が柔らかな京都弁でいわはると、昔のカカア殿下の清い時代の記憶が戻るのか、結構ヘルシーな態度に回帰するのです)
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当主紹介が長くなりました。
昨年夏くらいから神奈川支部・篠原義仁団員の幹事長就任かいう声が強まり、一構成員として「やめなはれ」とお諌め申し上げましたが、わが当主は全国各地の行脚のなか人狩り(本部事務局次長オルグ)を続け、ついに富山総会で異例にも小賀坂事務局次長の三年目突入とともに神奈川から二人目の次長を出すことが神奈川支部総会決議と相成ったのでした。
翻って言えば篠原当主、神奈川支部の一部では「中興の祖」と言われています。「出入りだ、出入りだ、者ども続け!」と旗頭を立てて先頭を切って出陣してしまった以上私らにできることは何が残りましょうや。
なんだお前、半白髪の年寄が今頃何しに来たんじゃ、と言われそうですが、今まで雑巾掛けも十分にできていなかったため、あらためて作法を学ぶ直すべくお世話になることになりました。
東京も知らなきゃ、全国はもっと知らん、そのうえ本部で何するかもわからへんという田舎者ですが、お力添えを切にお願い申し上げるものです。