1、はじめに
東京は多摩地区の大手私鉄・京王電鉄が、新規に作る子会社に赤字部門であるバス部門を営業譲渡し、バス部門に働く労働者全員を新会社に移し(転籍)、その際賃金を大幅にカットし、退職金等もなくし、年休もへらす、等といった労働条件の大幅な合理化案を伴う計画「バス事業再生・勝ち残り策」を昨年の四月に労働組合に提案し、組合内の一部労働者がたたかいに敢然と立ち上がったことについては、既にあちこちで文章になっているので、ご承知のことと思う。このたび、労働者をはじめとする運動が、労働組合が隠匿していた会社資料の開示要求に応じる旨回答したこと、会社も、当初予定していた今期の通常株主総会での営業譲渡決議を断念し、臨時株主総会も開催する予定はないと言明したという成果を勝ち取った。以下ではそのことをご報告する。
2、本問題の特徴点
今回のようなリストラ計画が提案されて少しも不思議でない昨今にあって、今回の提案には極めて特徴的な点が二つある。それは、京王電鉄が、最大の収益をあげる黒字優良企業である、ということである(このことは会社も認めている)。とすれば、真の狙いは、利益の更なる追求のために、労働条件を合理化するということにある。この計画がまかりとおるなら、黒字企業でも、その中の一部不採算部門が生じたら、それを分社化して労働者の利益を大幅に損なってよいと言うことにお墨付きを与えることになる。影響は、計り知れない。もちろん、労働者にしてみると、死活問題である。本提案が実現すると、ひどい人になると、賃金は半減。これまで確保されてきた様々な労働条件が一気にダウンし、賃金を今の水準で維持しようとすれば、長時間の残業を覚悟せざるをえない。
この計画は撤回に追い込むしかない。幸い、会社は労働組合と二〇〇五年までバス部門労働者の電鉄籍を守るという労働協約を結んでいる。労働組合が会社の計画をはねつければ、会社の計画は即座に頓挫する。
しかし、ことはそう簡単にはいかないところに、本問題の第二の特徴があった。それは、労働組合が、会社と対決姿勢を打ち出せないのである。四〇〇〇人もの組合員がいる中で、本提案の不当性を訴えたのは、バス部門労働者中数十名で構成される「京王労働者の会」しかいなかった。
ここにいたり、やむをえず、「京王労働者の会」と、相談を受けた団員弁護士などが取り組みを開始した。昨年の初夏のことである。
3、具体的な取り組み
取り組みとしては、労働組合の意思を計画拒否で統一することを目的として行われた。
「京王労働者の会」では機関紙を発行して労働者に広く会社の計画の不当性を訴え、また執行部との話し合いや組合での討論を通じて、計画の拒否を訴えた。
団東京支部も、いち早く京王電鉄分社化リストラプロジェクトを立ち上げ、第一意見書がマスコミでも大いに取り上げられた。「京王労働者の会」を支援する組織・「励ます会」も結成された。
「京王労働者の会」の情宣活動にも支えられ、組合は、会社に詳細な質問状を出すなど、撤回への意思統一が始まったかに見えた。しかし、会社が法的にもかなり強硬な回答をするに及び、それを受けた労働組合は態度を軟化させていく。
団支部のプロジェクトでは会社回答への法的な反論を第二意見書で行い、会社や組合には勿論、運輸省や労働省にも執行した。
4、組合の資料隠匿
このような状況の中、問題になったのが、組合の質問状への会社回答中の資料を、執行部が隠匿し、一般組合員に開示しないという態度をとったことである。当該資料は、会社の収支状況を示したものなどがあり、赤字であるという宣伝の信憑性を暴露するために必要な資料であった。情報の共有化を言いながら、組合員が転籍の要否を判断するのに最重要な資料を隠すとは何事かと、運動は組合に開示を迫ったが、組合は頑としてこれに応じなかった。
「京王労働者の会」は、情宣活動を精力的に進め、かつ組合に情報の開示を迫る署名を三三〇以上集めて組合に届けた。また、弁護士を含めた学習会・対策会議、「励ます会」での討議を繰り返し行った。「励ます会」では、本年二月に、数百名が参加しての京王電鉄の全駅ビラ配布を行った。
それでも、執行部はなお、資料を開示しない。激論の末、「京王労働者の会」は提訴を決意した。私たち弁護団は法的手続きを準備し、今月に入って、内容証明を組合に発送した。
5、ついに開示成果と、会社の計画延期を勝ち取る
組合はそれに対し、「二月一九日には一般組合員に開示する決定をした」なる珍妙な回答をしてきたものである。一般組合員にこの決定は一切伝えられていないのにである!更に、春闘において会社が通常株主総会では営業譲渡決議をしないし、臨時株主総会も開催する予定もないと言明していることが判明した。
組合は、今更見せることにしたとは格好悪くて言えないので既成事実にして開示しているなどと言っているものであろう。また、会社の言明はスケジュールのずれ込みを意味する。組合が対決姿勢を打ち出せずにいる中、一部労働者とこれを支える人々の運動が、大資本京王電鉄と、労働組合という巨大な山を動かしたのである。
6、今後に向けて
それにしても、忙しく長時間のバス運転業務をこなしながら粘り強く運動した「京王労働者の会」、京王線の全駅でのビラ配布を行うといった驚異的な取り組みを行った「支える会」の取り組みには、驚嘆するほかない。先日、運動の成果を祝う酒の席で、労働者の一人がぽつりとつぶやいた。「俺は家族を守りたかっただけだよ」。これには、心底胸が奮えた。「京王労働者の会」、「支える会」に参加する全てのみなさんに、心より敬意を表する。
運動を支えた団の取り組みもまた画期的であった。問題の勃発段階からいち早く団東京支部はプロジェクトを立ち上げて意見書を作成・執行した。プロジェクトから流れた弁護団には、私を含め五三期の新人弁護士が四名参加し、第二意見書の起案や学習会・会議参加、提訴準備等の実務を担当した。私を除く三名の活躍はすばらしかったが、それでも、新人ゆえの迷いや不手際はいかんともしがたかった。その間多くの団員が、相談にのってくれ、会議に参加してくれ、意見をしてくれた。
会社は提案を撤回したわけではないし、組合も、会社提案にのってしまう可能性もまだまだ否定できない。油断は禁物である。しかし、このような計画は許せないという労働者、世論の声は広がる一方であり、それは大きな山を動かす成果を勝ち取っている。今後も、この声のもたらす力に確信を持って、計画撤回を勝ち取るまで、がんばりたいと考えている。
この紙面において、大変残念な報告をしなければならない。いうのは、過労死問題において、今後に大変悪い影響を与えかねない決定が最高裁からおりたからである。
事件の概要は次のとおりである。この事件の原告であるAさんの夫であったBさんは、レンゴー株式会社というダンボールの製造販売で有名な会社の小山工場に勤めていたが、一九九五年四月、くも膜下出血で急死した。Aさんは、Bさんのそれまでの過重な労働から、夫の死は過労死だとして、栃木労働基準監督署長に労災の申請を行ったが、不支給決定を下されてしまい、栃木労働者災害補償保険審査会に対し審査請求をしたが棄却され、労働保険審査会に対し再審査請求をしたがそれも棄却されてしまった。そこで、Aさんは、栃木労基署長を相手に、上記不支給処分の取消を求める訴訟を宇都宮地方裁判所に提起した。
ここまでは通常の過労死事件と流れは同じであるが、ここで、使用者であったレンゴーが、被告である労基署長に対する補助参加を申し立ててきた(レンゴー代理人は、木下慶郎法律事務所の木下慶郎、納谷廣美、西修一郎、石橋達成の各弁護士)。
レンゴーは、Bさんが死亡した直後から、Bさんの業務が軽微だったという虚偽の主張を労基署にしたばかりか、Bさんがいかに無能だったかという同僚の陳述書まで作成しているところだったが、それにしても労災補償という、労働者に与えられる最低限の補償さえ妨害し、遺族を苦しめることに痛痒を感じないやり口には怒りを感じた。また、本来労働者保護のためにある労基署に使用者が味方して労働者と敵対するという構図に何かいびつなものを感じる。
弁護団としては、このような補助参加を認めれば、今後の労災訴訟において、使用者が労働者の救済を妨害する事態が続発し、過労死の救済が大きく後退する事態となりかねないと危機感を抱き、直ちに補助参加に対する異議を申し立て、徹底的に争うこととした。
その結果、第一審の宇都宮地裁平成一二年二月二四日決定(第一民事部、裁判長裁判官永田誠一、裁判官林正宏、同男澤雅子)、第二審の東京高裁平成一二年四月一三日決定労判七九三号七一号(第一一民事部、裁判長裁判官井上稔、裁判官遠山廣直、同河野泰義)ではレンゴーの補助参加は却下された。しかし、レンゴーは最高裁に許可抗告の申立をした。
本件の争点は、補助参加の要件である「法律上の利害関係」の要件を満たすかであった。レンゴーは、@労災補償責任と安全配慮義務違反に基づく債務不履行責任は実質的に同一であり、前者が認められれば、会社は後者に基づく損害賠償を請求される恐れが高いA労働保険の保険料の徴収等に関する法律(徴収法)第一二条第三項の規定により、労災がおりれば保険料が値上げされる可能性がある、の二点を主張した。これに対し、私どもの側は、@労災補償は無過失責任、安全配慮義務違反は過失責任で、責任の内容が根本的に異なり、事実認定において共通要素があるとしても、それは事実上のものに過ぎず、「法律上の利害関係」と呼べるものではない、A保険料については、原告の請求が認められることと保険料率が法律上当然に引き上げられるわけではなく、法律上利害関係があるとは到底いえない、と主張し、争った。
それに対し、最高裁第一小法廷(裁判長裁判官深澤武久、裁判官井嶋一友、同藤井正雄、同大出峻郎、同町田顯)は、平成一三年二月二二日付決定において、高裁の決定を破棄し、差し戻してしまった。その知らせを受けたときは衝撃を受けたが、内容を検討すると、@についてはこちらの主張を認め、会社が損害賠償請求される可能性をもって「法律上の利害関係」があるとはいえないとしたが、Aについては、労災認定によって保険料が上がる可能性があることをもって「法律上の利害関係」があるとしてしまった。
上記決定によって東京高裁に差し戻されることになったわけであるが、正直、最高裁決定は、高裁に対して審理を求めたのは、レンゴーの小山工場が徴収法一二条三項各号所定の事業に該当するかという点のみであるので、高裁で再び逆転することは困難となってしまった。
このような結果を招いてしまったことは慙愧の極みであり、後々の過労死裁判に悪影響を与えたことは大変申し訳ないことをしたと思っている。特に、この事件では調査官面接を一度拒否されているのであるが、やはり強引にでも最高裁に押しかけ、本件の重大性を十分に説明するべきだったのではないかと反省している。
しかし、決定が出てしまった以上、それによって生じるであろう悪影響をゼロにする努力をすべきであると決意した。特に、補助参加を受けることになる行政訴訟でも、それ以外の場(レンゴーに対し新たに損害賠償請求訴訟を提起するかどうかは未定である)においても、レンゴーに対して徹底的に反撃し、補助参加を申し立てても自分の社会的責任から免れることは出来ないということを企業に知らしめなければならない。
ただ、そのためには、私たち四人の弁護団だけでは間に合わないと思う。今後の弁護団の方針はまだ決定されていないが、こうなってしまった以上、今後の影響を考えると、重大事件として弁護団を拡充し、組織的かつ徹底的に戦っていくべきではないかと私自身は思っている。最高裁決定が出てしまった今となっては遅すぎたと後悔しているが、本投稿を読まれた皆様の一人でも多くの方が、本件に関心を持ち、ご協力を頂けないかと切に願う次第である。なお、Aさんの弁護団は、八王子合同法律事務所の尾林芳匡、三多摩法律事務所の富永由紀子、同事務所の山西弘子の各団員と、同事務所の私、伊藤である(本稿における意見は、全て私伊藤の私見であり、弁護団の意見ではないことをお断りしておきます)。(敬称略)
リレー特集 各地でひろがる憲法運動 |
今、様々な局面で憲法問題が議論されている。憲法調査会では憲法改正、なかんずく九条の改正に焦点を当てた議論が続いており、マスコミもこの問題をよく取り上げているが、憲法問題は無論、九条の問題だけにとどまらない。
教育問題(「新しい歴史教科書を作る会」の手による「教科書」の検定通過、教育基本法の改正等)、ジェンダーの問題、国際関係の変化と有事法制・国際貢献システムの問題、「規制緩和」の大合唱がもたらす安全性の観念の喪失の問題性(三菱自動車や雪印乳業の事件はその代表例である)、生存権侵害の問題(ホームレスの強制排除等)、情報公開法制の進展と個人情報保護の関係など、一般市民にとっても憲法を考える素材は身近に数多く存在する。
そこで、大阪では、在阪の法律家三団体(自由法曹団大阪支部のほか、青年法律家協会大阪支部、民主法律協会の三団体)合同で、一般市民を対象とした憲法連続講座を企画することになった。約一年間にわたり、毎月一回(全一〇回)開講されるが、いよいよその第一回目が四月一六日に開講される。各回のテーマは次のとおり(カッコ内は講師)。
@歴史の中の象徴天皇制(大阪歴史教育者協議会・小牧薫氏)
A教育の自由と君が代・日の丸(中学校社会科教諭・古田明徳氏)
B情報からの自由と情報への権利(弁護士・秋田仁志氏)
C日本の安全保障と憲法改正問題(関西学院大学教授・豊下楢彦氏)
D男女共同参画社会と憲法(弁護士・雪田樹理氏)
E人間らしく生きる権利(大阪市立大学教授・木下秀雄氏)
F規制緩和と国民の安全(関西大学教授・安部誠治氏)
G身近な民主主義、地方自治を考える(大阪市立大学教授・加茂利男氏)
H国際社会と平和・人権(神戸商船大学助教授・岡田順子氏)
I二一世紀の日本国憲法(大阪電気通信大学助教授・足立英郎氏)
いずれもホットで身近な憲法問題につき、それぞれの分野の第一人者に講師をお願いしており、なかなか前評判は良いようである。最終回以外は講師が憲法学者でない点も特徴である。
この連続講座を通じて、ひとりでも多くの市民がもう一度憲法を見つめ直す機会を持ってくれればと願っている。
東京大学駒場寮明渡裁判は、来る四月一九日に高裁での弁論が終結する予定となっている。判決の見通しは決して明るくないが、この最終盤に来て、全学連大会での特別決議など支援の輪も広がり、弁護団にも続々新人が入団してきている。
現在の日本学生運動最大の闘争の一つである駒場寮闘争、そしてそこから浮き彫りになる今日の大学の自治と教育の危機的状況について、以下に報告する。
一 大学自治破壊の警察官との懇談会開催
東京大学教養学部当局と目黒警察署が一九九四年から九五年にかけて、「秘密懇談会」を繰り返していたという驚くべき事実が発覚した。この会合には、駒場寮廃寮計画の遂行を目的とする三鷹特別委員会委員長が毎回必ず出席していた。このことは、学部当局が駒場寮廃寮に向けて学生を実力で排除するために警察との打ち合わせを実施していたことを裏付けるものである。
これは、官官接待の疑惑さえ抱かせるとともに、権力の介入から学問の自由を守るために保障されたという大学の自治を破壊するものであり、大学自治の自殺行為である。
さらにこの事実は、教養学部当局の学生寮生の意思を無視する態度とその帰結を如実に表している。
それは明白に「東大確認書」に違反する。即ち、「確認書」は、一九六八年の東大闘争の際、東大当局が学内問題の「解決」のために機動隊を導入したことから重大問題に発展したことの反省に立って締結され、原則として学内紛争解決の手段としては警察力を導入しないことと、学生の自治活動に関する調査や捜査については協力しないこと、そして学生、職員も教授会とともに固有の立場で大学自治を担う主体であるという全構成員自治の原則が明記されているのである。
東京大学駒場寮の廃寮は、この確認書、および、寮の運命に関わる問題については事前に寮生と協議するという一九八四年の水光熱費負担区分に関する「合意書」に明確に違反し、全構成員自治の理念を踏みにじって一九九一年一〇月臨時教授会において秘密裏に決められたものである。その帰結が、前述した警察と大学との癒着というおぞましい事態である。
二 駒場寮廃寮決定の問題性
教養学部当局が駒場寮廃寮決定をしたのは、八〇年代からの臨調行革路線による大学予算の締め付け、そして大学自治を掘り崩して大学を政府財界に利用しやすいものに作り替えようという大学審路線に屈服して、学生寮を紛争の根元地(一九七一年中教審答申)として敵視する文部省と取引したためである。
学生、寮生らは、廃寮決定後、毎回の学生自治会代議員大会、駒場寮総代会で廃寮反対を決議し、一九九三年、一九九四年には、廃寮反対のストライキを行い、一九九五年、一九九九年には、廃寮反対の学生投票の批准を勝ち取ってきた。このように、学生、寮生が自治団体の正式決定として廃寮反対の意思を表明し続けてきた理由は、前述した大学自治と大学の基本理念に関わる重大な問題にある。しかし、他にも以下に述べるような切実な理由がある。
三 教育の機会均等と学ぶ権利を守る闘い
去る二〇〇〇年一〇月二日の弁論期日で高等裁判所に提出した「駒場寮生文集」には、次のような駒場寮生の切実な声が寄せられている。
「実家は大阪で、最近父の会社が倒産し未だ失業中で、母親の収入と姉の援助で何とかやりくりしています。また家が借家で家主の方からあと一年くらいで家を出ろといわれていて、とても仕送りをもらえる状態ではありません。もちろん私はバイトをしていて、駒場寮があるおかげでそのバイト代だけで仕送りもなしで生活できています。」
こうした状況に陥っているのは、もちろん駒場寮生だけではない。
二〇〇〇年度、国立大学の初年度納付金は、七七万三八〇〇円にも上っている。しかも、定額スライド制が導入されたため、年々上昇していく。加えて、国立大学が独立行政法人化すれば、現在の数倍もの学費値上げが予想される。新聞でも報道されているように、現在、経済苦で進学・在学を断念する学生が後を絶たない。
福利厚生施設としての駒場寮の存続を求める運動は、今日の不況とリストラ、高学費のもと、教育の機会均等保障を求める闘いを代表するものともなっている。
四 人間的交流の回復のために
「大学生の自殺急増の今なぜ」「アエラ」二〇〇一年一月二九日号には、こんな衝撃的な題の記事が掲載された。全国の大学生と大学院生の約半数が加入する大学生協連によると、遺族に給付金を支払った学生の自殺者数は、二〇〇〇年度は一〇年前の五倍近い。
今日の若者は、幼い頃から受験戦争を強いられ、孤独な競争の中で育ってきた。現在も、携帯電話やメールなど、気軽に出来る通信手段の広がりとともに、人間関係は薄まってきている。大学での学問は資格獲得などの更なる競争に勝つための道具と化し、批判的視座は学生から失われていく傾向にある。
駒場寮をはじめとした学生寮は、濃密な人間的交流の場であり、徹底した討論に基づき自治がおこなわれる点で、前述した現代の若者を取り巻く環境に欠落している自主的民主的な人間形成の場としても極めて貴重である。
控訴人・全日本学生寮自治会連合委員長は、自らの体験から次のように法廷で陳述した。
「私は今まで本当の意味で人を信頼する、ということを知りませんでした。高校までの友達もどこかで『競争の相手』と見ていて、本当の自分を見せることはなく、いつも強がっていたし、友達の弱いところを探している自分がいました。しかし、自治がある寮に住み、自分たちで自分たちの生活を作っていく中で、本音を話せる友達もでき、寮の問題、社会の問題など真剣に語り合う仲間ができました。」
駒場寮の存続を求める運動は、現代の若者の競争社会からの解放と交流の回復を求める運動でもあるのである。
五 最後に感謝とお願い
一九九九年、私の弁護士一年目の五月集会のテーマは、松川事件を題材とした大衆的裁判闘争論であった。その時、大衆的裁判闘争を勝利させるためには、その事件の「きちがい」を何人もつくらねばならないということを私は教わった。その松川事件の教訓に則って私は現在駒場寮訴訟を闘っている。その点で、団に感謝するとともに、多くの団員の皆さんのご支援ご協力をこの場を借りてお願いする次第である。現在、駒場寮の管理運営の実体と存在意義に関する陳述書を裁判所に提出すべく準備中である。駒場寮にゆかりのある団員の方は、是非ともこの陳述書を書いて私、萩尾健太(渋谷共同法律事務所)までご郵送下さい。
三月一〇日(土)午後一時半から五時近くまで、千葉駅に近いぱるるプラザ千葉(一階四〇〇名、二階三〇〇名強収容)で、「裁判を市民の手にー司法改革県民集会」が千葉県弁護士会の主催で開催され、一階席がほぼ埋まる四〇〇名近い参加で大成功をおさめた。
1 集会のテーマと内容
内容も盛りだくさんで、パネラーの現職裁判官から「あちこちの集会に参加しているが、もっともよく準備された集会」とおほめをいただいた。
集会のテーマは@裁判官制度の改革A国民の司法参加B弁護士の役割と弁護士改革の三つであった。
(1)私は開会あいさつで、裁判なんて自分は関係ない、と思っている人々に、いくつかの具体例をあげて、裁判所の判断が憲法の三本柱にすべて関係あることや、国民の司法参加に関して、素人に裁判なんかできるのか、とか、では専門職の役割は、という疑問に、会場にいる検察審査会の経験者の発言もふまえて一緒に考えたい、専門職の知識、経験と国民の健全な常識の結合こそ重要と訴えた。
(2)第一部では、参議院議員中村敦夫氏から「紋次郎 木枯らし司法を斬る」と題する講演をいただいた。法務委員の経験から、少ない裁判官の定数や裁判をしない裁判官、判検交流などの問題点を指摘し、行政事件での勝訴率の低さや司法と行政の癒着にきびしい批判を加えた中身のある講演であった。
(3)第二部は、裁判官ネットワーク所属で千葉地方裁判所八日市場支部に所属されている仲戸川隆人および駒谷孝雄の両裁判官と、千葉県弁護士会の四宮啓氏をパネラーとし、東京新聞論説委員の飯室勝彦氏をコーディネーターとする「現職裁判官に本音を聞く」と題するパネルディスカッションであったが、第三部の「各界・各団体・会場からの発言」を、テーマごとにこの中に織り込んだ。
第一のテーマの裁判官制度の改革では、千葉労連から国鉄問題で、また、千商連から税金裁判にそれぞれ見られる裁判の実態を出してもらい、全司法からは裁判所内部からの発言も受け、裁判所の忙しさや、判事の供給源、判事の選任方法の工夫や法曹一元などについて、活発な議論が行われた。
第二のテーマの国民の司法参加では、この点に関する司法制度改革審議会の審議が前進したことを踏まえて、裁判ウオッチングの事務局長や検察審査協会員からの発言を織りまぜながら、日本でも十分国民の司法参加が可能だという発言が続いた。仲戸川裁判官の「陪審を見て知る普通の人の偉さ」との発言は感動を呼んだ。
第三のテーマの弁護士の役割と弁護士改革では、会場からも含めて、きびしい弁護士批判があり、弁護士の人口増の必要性や研修の必要性についての発言などがあった。
2 集会の工夫と教訓
集会や内容について、わかりやすく人目につきやすいキャッチフレーズの工夫をして、二万七〇〇〇枚のちらしを、今回整備した三〇〇を超える団体に送付したり、司法改革懇談会を二回行ったうえで、協賛団体を募って一〇団体の協賛を得たり、推進ニュースを三回出して、この中で、依頼者に発送した事務所の経験や飲み屋にちらしを貼った経験などを載せた。直前には街頭宣伝を行いマスコミ対策もくり返した。速記官制度を守る会の協力を得て、私のあいさつと中村講演は字幕表示をし、パネルディスカッションについても速記をお願いした。書籍販売コーナーや資料配付コーナーをもうけて自由に使ってもらった。
千葉県知事選の告示直後で二週間後が投票日という悪条件は、集会を企画したときからわかっていたが、消極論を押し切って開催することにした。そのため失敗は許されなかった。
案の定マスコミは一ヶ月前に朝日と千葉日報が、また、直前の街頭宣伝に千葉日報がそれぞれ記事を掲載してくれたが、他は掲載されずきびしい状況だった。それだけにあらゆる手を打って成功させることができた。アンケートの評価も高かった。
3 今後どうするか
まだ決まっていないが、このままで終わらせるわけにはいかないので、専門家が壇上に上がるだけでなく、各界・各団体・会場からの発言を、会場からでなく壇上に上げたパネルディスカッションなども検討したらどうかと考えている。
『なぜ世界の半分が飢えるのか』など多数の著作をもつスーザン・ジョージが、大流行の新自由主義政策(規制緩和)のゆきつくところを生々しく明らかにした著作である。
本書の大半は、多国籍企業が環境、金融、人口といった地球的規模でかかえる問題をどのように解決して生き残りをはかってゆくつもりかを分析した「ルガノ秘密報告」からなっている。
秘密報告は、国民国家がどのように変貌してゆくかについてふれている。「国民国家は間違いなく弱体化しているものの、それに代わる本物の超国家的政治権力が承認されるにいたっていない。……国民国家の政府に唯一残すべき伝統的な部門は、警察の管轄権、国内治安の維持、裁判制度、刑務所の管理などを含めた司法である」。グローバル市場経済のもとで、立法・行政が弱体化するなかでも司法だけは生き残れるのかと喜んでいられない。なぜなら、国家が今までになってきた社会保障などが大幅に削減され、多くは市場にゆだねられ支払い能力のない者はサービスを受けられなくなり、労働者や中小企業、農業などを守ってきた規制は撤廃されグローバル市場経済の「見えざる手」にゆだねられることになるからである。国民国家に残されるのは、多国籍企業の保証人と用心棒の役割をはたすことでる。
スイスの湖畔の町ルガノに
賢い男たちだけが集い
ひそやかにまとめた政界最終解決案とは
「存在しなくてもいい」人びとを除去し
地球人口を削減する。
速い人びとが遅い人びとを追い払う。
一般大衆・敗者のための民主主義を滅ぼす。
グローバル市場経済存続のためには。
グローバル市場経済に対応する政治・社会はかぎりなく陰鬱である。ちなみに「ルガノ秘密報告」は実在のものではなく、スーザン・ジョージが数々の資料にもとづいて創作したものである。彼女の言によれば、すべての内容について、その証拠をあげることができるということである。