らい予防法違憲国賠訴訟において原告側全面勝訴判決(杉山判決)が去る五月一一日、熊本地方裁判所において言い渡されました。判決骨子が朗読されるなか、歓声のあがる法廷を飛びだし、「勝訴」の旗を高らかに掲げつつ、裁判所前の支援者、そしてメデイアを通じて全国民に、人権史上記念碑的判決の第一報を報告しました。
テレビなどでみる私の表情とは裏腹に、内心複雑な思いでした。判決骨子を聞いただけでは、一九五五年以前の国の責任を免責してしまったように思えたからです。ある原告の顔が頭に浮かんでいました。結婚式を親元で挙げるため無断外出をしたことで屈辱的な懲罰を受け、結婚後は一二畳の部屋で他三組の夫婦と獣同然の同居を強いられたうえ、妊娠した際に妻は堕胎を自らは断種を強要された方です。「僕は戦前の政策が違法といわれない限り、判決をよしとすることはできない」。この原告は常々そう言っていました。
東京に向かう飛行機の中で判決全文に目を通しました。隔離の必要性はそもそも乏しかったにもかかわらず、国はハンセン病が怖い病気であるとの偏見を国民に根付かせ、それを利用して隔離政策を遂行していったことをはじめ、戦前からの国の政策の誤りを詳細に認定していることが分かりました。また、この隔離政策によって「人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれる」と断言していました。よかった、これであの原告の方も喜んでくれる。全面勝訴判決と評価するうえで心に引っかかったかすかな懸念が氷解しました。
数日後、「勝訴」の旗を持って園を訪れたところ、その原告は奥さんの車椅子を押しながら散歩されていました。旗を手渡すと、ちょうど私がしたように太陽にむけて高らかに旗を掲げられました。
判決直後から、原告、弁護団と支援者は控訴阻止に向けて、国会議員面会、大臣交渉や首相官邸前の抗議行動などできる活動は何でもやりました。多くの原告が文字どおり命を削って上京し、被害を訴えました。平均年齢七四歳、後遺症のために手足や目が不自由な方々ばかりです。
なかでも心を打ったのは、大臣面会のために、はるばる二度も上京してきた原告の気迫です。その原告は、八歳の時に肉親と引き離され以来五〇年近くを孤島の療養所で過ごし、これまで療養所の外にはほとんど出たことがなかった方です。いつも静かに、世間から声をひそめるようにして暮らしておりました。その方が療養所の外を恐れ続けたのは、判決も的確に認定しているように「正に隔離そのものがもたらした結果」です。この原告が東京まで電車を乗り継ぎ、堂々と大臣面会まで行う気持ちになったのは、原告本人尋問で国の代理人から「これまで無料で医療を受けたり生活できたりしたのに、何の不足があるのですか」という趣旨の質問をされた悔しさだと言います。そして杉山判決が国の責任を断罪すると共に、この原告の過去を肯定し、心の中の見えない壁に穴をあけたからでしょう。
午前中は国会議員まわり。玄関先では「数分しか時間がない」と私たちに釘をさしたある自民党の議員も、同行した原告が断種された無念さを吐露すると、私たちを追い返すことは出来ませんでした。
数人の原告が小泉総理大臣と面談していた夕刻、私は雨の降りしきる銀座マリオン前である原告の叫びを聞いていました。赤い帽子をかぶり雨合羽を着た小柄な原告は、「私は、薬によって戦後すぐに『ちゅらさんおばあ』になった。それなのに何故、その後になって堕胎させられたのでしょうか。」と、雨と涙にぬれた顔で声を張り上げました。
そして六時過ぎ、控訴断念の第一報が入りました。国の責任を認めた判決、原告たちの無念を晴らし、原告たちの過去と現在を肯定し、原告らの心の中に今もあった見えない壁に穴をあけてくれた判決が確定するのです。原告と弁護士などが二〇〇名ほど入っていたその部屋は、万歳と涙と拍手と歓声で割れんばかりとなりました。原告たちの握った手を、支援の方々と弁護士が両手で熱く握り返しました。何人もの原告の方々と抱きあいました。ある原告が叫びました。「やっと人間になれた。」
二〇〇一年五月一一日ハンセン病違憲国賠訴訟について熊本地裁で初の、しかも全面勝訴判決というべき判決がなされた。裁判所もまだ見捨てたものではない。
この判決は、過去九〇年のハンセン病隔離政策について、ハンセン病に対する恐怖心・嫌悪感をいたずらに煽り立て、絶対隔離政策を行わなければハンセン病の恐怖からは永久に逃れられないとの強迫観念を国民に植え付け、国が新たな差別、偏見を作り出したと認定し、厚生大臣については、遅くとも昭和三五年には隔離政策の抜本的な変換をする必要があったとして国賠法上の違法性と過失を認めた。
また、国会議員の立法不作為の責任については、らい予防法の隔離規定が存続することによる人権侵害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性からみるならば、本件は他におよそ想定しがたいような極めて特殊例外的な場合であり、明らかに違憲で、遅くとも昭和四〇年以降この法を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為には国賠上の違法性があるとした。
懸念された除斥期間の主張に対しても、本件人権侵害は継続する行為であるから、らい予防法が廃止された九六年まで除斥期間は進行しないと明快な判断をした。
そのうえで、原告に対し一四〇〇万円から八〇〇万円の包括一律請求に基づく損害賠償を認めた。
判決の論理は明快であり、見事である。いちいちもっともであるとうなずかせるものだった。さらに、判決は国の応訴態度についても触れて、「被告の主張は、入所者らの置かれた状況優性政策による苦痛を全く理解しないものといわざるを得ず、極めて遺憾である」と述べて、厳しく叱責している。
熊本判決は、過去九〇年にわたる国の人権侵害行為について、初めて国の機関が真摯に責任を認め、国としてとるべき行為を明らかにしたものである。この判決は西日本(熊本)、瀬戸内(岡山)、東日本(東京)の三地裁合計七七九名の原告に対する回答でもある。熊本地裁提訴は九八年七月三一日であったが、約三年という短期間での判決となった。ここにも裁判所のこの事件に対する使命感がうかがえる。
未曾有の人権侵害に対し、この判決は、被害の深刻さと司法救済の必要性を高らかに宣言した。もっと早くこのような宣言がなされるべきであったとはいえ、司法の本来の役割を示したすばらしい判決であった。
この判決を契機に全面解決を図ろうという機運が一挙に高まった。判決当日の東京での勝利報告集会では、支援の国会議員約一〇名による控訴阻止の決意表明がなされ、三地裁の原告、弁護団、支援は、直ちに控訴阻止の闘いに突入した。控訴阻止一点での闘いである。この闘いの前に立ちふさがったのは、自民党の一部と法務省、厚生労働省、財務省のまさに分厚い官僚機構であった。
しかし、闘いは、連日、国会要請を繰り返し、多くの国会議員の理解を得ることができ、次第に国会のムードは控訴阻止で固まって行った。報道は全国にこの動きを流し、控訴阻止の世論も大きく盛り上がった。さらに五月二一日、控訴の動きに抗議の意思表示をするため九二三名の追加提訴を全国三地裁で行った。
が、官僚機構の巻き返しは激しかった。二〇日頃から「控訴して和解」などという方針がリークされ始めた。
ここから原告・弁護団は、闘いのターゲットを首相に定めた。霞ヶ関官僚機構をうち破るには、最後は首相の政治決断しかない、ここでの一点突破であると判断したのである。
その結果、二一日から闘いの場は、首相官邸前となった。官邸前での座り込みが始まった。
そして、五月二三日夕、ついに原告、弁護団と首相との面談が実現し、控訴阻止の大勝利となった。こんな闘いができたのかと今でも信じられないような思いがある。
全面解決は目前である。
まずは速報。いずれさらに続編をお届けしたい。
(東日本訴訟弁護団事務局長)
本年二月九日、ハワイ沖で、米原潜「グリーンビル」と宇和島水産高校実習船「えひめ丸」の衝突事故が発生した。当時えひめ丸には一三人の生徒と二名の教官、そして二〇人の乗組員が乗船していたが、九人の方々が未だ行方不明となっている。
この事故が発生してから三ヶ月というもの、被害者やその家族たちは、事故自体の被害に加え、様々な困難に直面していた。
まず、被害者らは、事故直後の現地において、謝罪もせず事故の情報を小出しにする米軍と、事故の真相究明を求めようともしない日本政府の対応に深く失望した。そして、その後行われた査問会議も、結局は、終始「米軍の論理」に貫かれた身内内での儀式に過ぎないことを痛感させられた。さらに日本国内においては、救出された人たちの深刻なPTSDに目を向けようともせず、「示談による早期解決」を執拗に迫る愛媛県らの対応に深く傷ついた。
このように、被害者たちは、あの悲惨な事故のあと、二重にも三重にも傷つけられていたのである。
こうした米軍、日本政府そして愛媛県らのやり方に対し、行方不明者及び生存生徒の八家族が立ち上がり、それを受けて五月一〇日に「えひめ丸被害者弁護団」が結成された。
被害者たちが望んでいること、それは、まず事故の真相究明と再発の防止である。団五月集会に参加した寺田亮介・真澄夫妻(行方不明の寺田祐介君の両親)は、このような思いを参加者に熱く訴えた。
アメリカの訴訟も視野に入れたこのえひめ丸問題に対する取り組みは、今まであまり経験されたことのないものである。膨大な英文資料とアメリカ法制度の調査など、やらなくてはならないことは、まさに山積みである。これらを一つ一つこなすとともに、やはりまずは「慣れた分野」で弾みをつけようと、六月八日(金)に集会を企画した。場所は弁護士会館二階の「クレオ」で、時間は午後六時三〇分から。各種分野の方々にご参加頂いてのシンポジウムや、被害者からの訴えなどが予定されている。
急な企画ではあるが、是非、多数の団員の皆様にご参加頂きたい(問い合わせ先:団本部または木村晋介法律事務所)。
五月二〇日、二一日の両日、高知市内で自由法曹団研究討論集会(五月集会)が四八三(うち弁護士二七六)名の参加で開催されました。
小泉内閣が登場し、歴代の内閣の前例とは異なって憲法改悪を公言するという情勢を反映して、また、司法制度改革審議会の最終意見の報告を目前とするという時期、そして、教育基本法改悪がたくらまれているというなかで、各分科会総力をあげた準備がなされ、内容も充実した議論が展開されました。
冒頭に団長から、二一世紀初めての研究討論集会、団創立八〇周年を迎えた画期的な時期、憲法、司法、教育、労働など様々な分野でのたたかいを進めようという力強い挨拶がありました。来賓挨拶では、自由法曹団としておそらく初めて開催地の県知事を迎え橋本大二郎高知県知事から、高知県政を情報公開、県民に開かれた県政として発展させるとの決意と自由法曹団への期待を述べた挨拶がありました。四国総支部・土田嘉平支部長の歓迎の挨拶、高知弁護士会会長・松岡章雄氏の挨拶があり、前衆議院議員山原健二郎氏から、団とのかかわりを盛り込んでの挨拶がありました。
幹事長問題提起では、司法問題、憲法問題、教育問題について、当面する課題を明らかにして、団員が各地でのたたかいを強めることの重要性を強調しました。
記念講演は、一橋大学渡辺治教授から「二一世紀を迎えた支配層の戦略と憲法改悪」と題して一時間三〇分にわたって行われました。小泉内閣の誕生とその背景、憲法改悪の現時点でのたたかいの立脚点について、簡潔にして要を得た凝縮された講演となりました。改憲勢力の様々な要請のなかで、改憲が重要な政治課題として浮上しつつあり、それは全局面での「改革」である、司法問題に取り組むにしても、教育問題でも「オタク」にならずに支配層のねらいをつかんだうえで民主勢力からの構想を対置してたたかう必要があるとの問題提起をして講演を結びました。
一日目後半、二日目前半で、行われた分科会は次の通りです。
第一日
@ 憲法改悪の策動に対するたたかい
A 「教育改革」を検証する
B 情報公開と警察の民主的改革に向けたたたかい
C 対等・公正なフランチャイズ契約関係の確立をめざして
D 脱ダムの世紀ーダムの時代は終わった
第二日
E 司法民主化とその課題 ー審議会最終報告後の運動を展望してー
F 企業再編型リストラ攻撃をどうはねかえすか
G 高利金融による被害者をどのように救済するか
H アメリカの世界戦略と安保・基地問題
どの分科会も大変盛況で、ダム問題の分科会では市民の参加も認める市民参加の分科会としました。いずれの分科会でも各地での活動、研究をふまえ、充実した討論となりました。
前日の五月一九日には、プレ企画として、ピーターアーリンダー前NLG議長を迎えて、アメリカの司法制度と弁護士の役割について理解を深めました。参加者は、約一〇〇名となりました。アメリカの法制度のもとでのナショナルロイヤーズギルドのたたかいは、陪審制・参審制などの国民の司法参加を展望したときの我々のたたかいを示唆するものとなりました。
五月一九日には同時並行で、約一二〇名の参加で事務局員交流集会が開かれました。全体会では四国総支部・谷脇和仁団員から、四国の地で縦横無尽に活躍する生き生きした活動の様子を聞き、そのあと、分科会にうつりました。「憲法・平和」、「市民・住民運動」、「新人研修」の各分科会が開催されましたが、本部事務局から事務局次長が助言者として参加しました。
五月二一日には分科会終了後全体会議に移りました。当面の司法改革の運動、憲法改悪に反対する運動、教育改革をめぐる運動、ハンセン氏病勝利判決と今後の課題、そしてえひめ丸事故の真相究明と補償を求めるたたかいのそれぞれについての特別発言がありました。えひめ丸の事故については行方不明生徒の両親である寺田亮介夫妻が報告をし、真相究明を訴えました。
全体会議で採択された決議は次の通りです。
@ 本格化する改憲・有事法制の策動を許さず、憲法を守り活す国民的運動を強めよう
A 警察の抜本的民主化と徹底した情報公開を求める決議
B 教育関連「改正」法案・教育基本法見直しに反対する決議
C 憲法、国際公約に反する教科書の採択を許さない国民運動を展開しよう
D ハンセン病問題の早期全面解決を求める決議
E えひめ丸事件の真相究明、再発防止および被害の回復・適正な補償を求める決議
F ダム等の建設及び既存のダム等の存続に関し抜本的な見直しを求める決議
G 国民のための司法改革の実現を進める決議(文章最終手直しは執行部が行うことを確認の上で採択)
また、全体会議で発言した寺田夫妻を囲む会が第一日午後九時から開かれ、一〇〇名を上回る団員が参加し、寺田夫妻の思いを聞き、寺田夫妻を励ますとともに、加害者や日本政府・愛媛県への怒りを新たにするとともに、真相究明、責任の所在の明確化、適正な補償の実現のために尽力しようということで発言が相次ぎ熱気あふれる集まりになりました。
六 なお、五月集会全体会議では議長を四国総支部・臼井満団員、京都支部・井関佳法団員の二名がつとめられました。
この集会の成功のために準備段階から、半日旅行まで、会場不足になか四国総支部(土田嘉平支部長、久保和彦事務局長)の団員、事務局のみなさんはじめ関係者の方々には大変お世話になりました。この場を借りて改めて感謝の気持ちを表明するものです。
新自由主義に基づく構造改革が進められる中、公務員制度や地方自治制度をめぐる動きもめまぐるしい。
これまでの公務員制度の改革論議は、「公務員制度調査会報告」(一九九九(平成一一)年三月)、「地方公務員制度調査研究会報告」(同年四月)など、官僚主導の動きであった。いずれも労働基本権制限・人勧制度など、現行制度を基本的に維持しつつ、公務職場に日経連路線(正規職員の業績主義強化、不安定雇用労働者の活用)導入を提唱するものだった。
これはこれで問題だったが、二〇〇一(平成一三)年一月に自民党行革委が「公務員制度の抜本的改革について」をマスコミにリークし、政府レベルでは、二〇〇〇(平成一二)年一二月に出された「行政改革大綱」を受けて、二〇〇一(平成一三)年三月には内閣官房行政改革推進事務局が「公務員制度改革の大枠」を発表し、この六月にも基本設計が出されると報じられている。これらは、従来の官僚主導の流れの頭越しに、いわば政治主導で一気に「改革」を推し進めようというものである。
公務員制度改革と自治体合併のいずれもが、総務省(旧自治省)だけには任せておけないとばかりに内閣官房にいわば推進本部が置かれている。彼らの国家改造計画における役割の大きさを示すものである。
そして瞬く間に法案を作成し、自公保政権のもとで一気に成立させようと考えているのであろう。
自民党案は、政府には「高い国際競争力を持つ政策」、「民間並の顧客サービス意識」、「簡素で効率的」、「実行力と危機管理能力」、「責任をとれること」が求められ、そのためには「国・地方を通じた行政の業務範囲の見直し」を行うと共に、「公務員の意識変革・行動原理の変革を迫る」ことが重要とする。
そして、第一に、「労働基本権回復」と「特権的な身分保障の廃止」を柱に、国公法と地公法を廃止して、統一的な公務員法の制定を掲げる。
ここにいう「特権的な身分保障」とは主として分限制度を指すものと思われるが、これと「労働基本権」との間には論理的関連性はなく、引換にされるようなものではない。
分限制度は「メリットシステム」(=競争試験で能力ある人材を獲得し、政権が変わっても身分が不安定にならないようにして、公務の継続性と安定性をはかる制度)の中心をなすものであり、「労働基本権」とは次元の異なる問題だからである(そもそもこうした身分保障を「特権的」と形容すること自体が悪質なデマゴギーである)。
ところで、現行法の分限処分の要件は緩やかに見えるが、民間で解雇制限法がなく、職位の降格が使用者の裁量とされているのと比較すれば、公務員法で要件が明示されていることには積極的意味があり、実際、これまでほとんど分限処分(免職・降格)を許してこなかった。自民党案はこれを容易にしようということである。
自民党案は、第二に、「信賞必罰」という、時代錯誤的な用語をキーワードに、「企画」部門は年俸制(実績不良なら降格・報酬ダウンもある)、「実施」部門も業績評価を強化すべしとしている。そして評価の基準は「合理化に努力したか」にあるという。
そして民間委託推進、派遣労働者の活用や、「大臣補佐官制度」など時の政権党による行政私物化構想も盛り込まれている。
行革推進事務局の「大枠」は、この一月に発足した一府一二省庁体制という「新しい『器』にどのような『中身』を盛るかが問われている」として、中身たる「公務員の意識・行動様式を変える」ことが最大の問題であるとする。
そして、第一に「公務員一人一人の意識・行動原理の改革」として、@「信賞必罰の人事制度」(能力・業績主義給与、適材適所と分限の実効化、人事評価システムの整備)と、A「多様な人材確保」(民間企業との人事交流の円滑化)を目標に掲げる。これは自民党案と同じである。
第二に「行政の組織・行動原理の改革」として、国家的見地から戦略的な政策立案ができる機動的な組織を目標に掲げ、「国家戦略スタッフ群(仮称)」の創設を提唱している。これは自民党案よりもさらに露骨に政権党による行政私物化を表明するものである。
なお、自民党案に示された「公務員の労働基本権回復」は後景に退いている。
これらの改革案で追求されているのは、特権的キャリア官僚制度は温存しつつ、「小さな政府」を低コストで運営していく、新自由主義に奉仕するための公務員像であり、いずれも日経連路線の公務職場への移植を内容とする。そこで「意識改革」をされる公務員は、優勝劣敗、弱肉強食社会を運営する担い手であり、福祉・教育などのサービス切り捨ても良心の呵責なく行うようになるだろう。すなわちこれは、公務員だけの問題ではなく、国民生活全体に関わる重大な問題である。
そもそも公務は国民・住民の信託に基づきなされるものである。従ってこれは決して公務員(国公労連や自治労連など)だけに任せておくべき課題ではなく、主権者である私たち一人一人が自らの課題として考えるべきものである。そしてそこでは、改めて、「公務とは何か、公共性とは何か、公務員は何のために仕事をするのか」が問われている。
彼らは、「改革」を推進するためにマスコミを動員して徹底した公務員批判キャンペーンを張る。国鉄がまさにそうだった。私たちは「親方日の丸」なる俗論を振りかざした安易な公務員バッシングを批判し、団結を強めて対抗していかなければならない。
(前編は前号団通信をご覧ください)
一 東京地裁民事一九部(山口幸雄裁判長)は、二〇〇一年四月一二日、青山会の請求を棄却する旨の判決を言い渡した。
二 判決は、最大の争点であった採用拒否への労働組合法七条一号、三号の適用の有無について、文理解釈、立法経過、米国における解釈、四八年最高裁判決を順次検討し、それぞれについて概要次のように判示する。
判決は、文理解釈については、「労組法の労働者の定義規定からすれば、一号本文前段は、雇用関係にない者であっても、その者が『賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者』である限りは適用があると解されるから、一号本文前段が雇入れの場合を除外したと解するには、この定義規定から見る限り、困難な面があるといわざるを得ない。」とした。
判決は、旧労組法、現行労組法の制定過程における委員会議事録、国会議事録等を検討し、「労務法制審議会委員の間では、労働組合の組合員であることを理由とする雇入れ拒否が許されないことは、共通の認識であったということができ」、その認識のもとに現行労組法が制定されている経過からすると、決め手になるものとまでは言えないものの、「現行労組法七条一号は、雇入れについても、労働組合の組合員であること等を理由に不利益取扱いをすることを禁止していると解するほうが自然である」とした。
判決は、「米国においては、雇入れの場合にも不当労働行為の適用があることは明らかである」ことを認め、我が国不当労働行為制度を解釈する参考になるとした。
判決は、四八年最高裁判決について、これは雇入れ後の労働者の処遇について規定した労基法の解釈を巡る判例なのであって、「それ以上に、四八年最高裁判決が労働関係一般について、雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、その規律範囲を異にすべきであることを示したものとまで解するのは相当ではない」とした。
三 判決は、以上の検討を踏まえて「労組法七条一号について、これが雇入れにおける不当労働行為までを規律したものといえるかどうかは、(中略)結局は、(中略)企業者に認められた採用の自由の保障と、不当労働行為制度が目的とする労働者の団結権の保障とを比較勘案して、同号の解釈を決するほかはない」と判示した。
四 判決は「比較勘案」の結果について次のように判断した。
「企業者の採用の自由と労働者の団結権保障との比較考量の場合には、仮に雇入れの場合に労組法七条一号本文前段の適用がないとすれば、その限度で労働者の団結権が侵害されることになるが、労働者の団結権が使用者の労働力に関する取引の自由を制限する違法な行為として禁圧されてきた過去の歴史に鑑み、憲法上、労働者保護のためその団結権を保障することとしていること(憲法二八条)からすれば、企業者に採用の自由があるからといって、労働者の団結権を侵害することが許されるとは考え難い。また、これを肯定するとすれば、労働者は、労働組合の組合員であること、労働組合に加入し、これを結成しようとすること、労働組合の正当な行為をすることをちゅうちょするおそれがあるが、そのような事態が生じることを容認することが適当であるとも考え難い。したがって、層入れについても労組法七条一号本文前段が適用されると解するほうが、労働者の団結権を保障した憲法の趣旨にかなうものといえる。
雇入れについても労組法七条一号本文前段が適用されるとすれば、逆に、その限度で企業者の採用の自由が制限されることになるが、企業者の採用の自由も無制限のものではないから、労働者の団結権保障の趣旨に鑑みれば、この制限もやむを得ないものと考えることもできる。
このように解した場合、(中略)労働者が上記の労働組合の組合員であること等を理由にこれを嫌悪する企業者と労働者との間の相互信頼が保てないのではないかも問題となる。しかしながら、労働者の団結権保障の趣旨に鑑みれば、採用の自由と思想、信条の自由との比較考量の場合とは異なり、企業者において、労働者が労働組合の組合員であること等を理由に当該労働者を嫌悪することは合理的な企業活動とはいえないものと解するのが相当であり、企業者としては、労働者が労働組合の組合員であること等を理解しつつ、それを前提として相互信頼を形成すべきである。したがって、この点を理由に、労組法七条一号本文前段が雇入れの場合に適用されないとすることはできない。」
五 判決は、以上の「比較勘案」の結果に、前述の、文理解釈、立法過程、米国法における解釈、四八年最高裁判決の射程距離の検討をも加えて、「雇入れについても、労組法七条一号本文前段の適用があり、雇入れにおいて労働組合の組合員であること等を理由に労働者を不利益に取り扱うことは、同号本文前段により禁止されていると解するのが相当である。したがって、同号本文前段は、法律によって採用の自由を制限したものと解することができるから、このように雇入れについて労働組合法七条一号本文前段の適用があると解しても、四八年最高裁判決との間に整合性に欠けるところはないと考えられる。」と結論づけたのである。
六 さらに判決は、本件の事実経過から、本件不採用が組合嫌悪を理由とするものであることも認め、本件不採用が労組法七条一号本文前段の不利益取扱及び同条三号の支配介入に該当するとした。そして、本件不当労働行為に対する救済方法として、二人の組合員の採用とバックペイの支払いを命じた労働委員会の救済命令について、「上記の認定、判断に照らせば、これが、労働委員会に与えられた裁量権の行使の範囲を超え、または著しく不合理であって濫用にわたるとは認められない。」としてこれを維持し、その命令の履行を命ずる緊急命令を発したのである。
一 これまで、採用の自由と不当労働行為の関係が問題となった事件は、いわゆる万座硫黄事件東京地裁判決など、いくつか存するが、いずれも理由中においてその論点に触れられているにとどまり、この点を正面から判断して、その結果に基づいて判決が言い渡された事件は、本件が初めてである。その意味で、本件は、組合嫌悪を理由とする採用差別が不当労働行為を構成するかという問題に関するリーディングケースであると言って良い。
二 ところで、現在の日本では、不況を口実にした「リストラ」等により、多くの正社員が会社を追われている。また、採用難も相変わらず深刻である。不安定雇用労働者も増大している。
好むと好まざるとに関わらず、いわゆる終身雇用制は崩れつつあり、今後、一生の間に何度も就職活動を行い、新規に労働契約を締結する労働者が益々増加するのは確実である。また、労働組合から見た場合、組合所属・組合活動を理由に採用拒否をされても不当労働行為が成立しないのであれば、組合に加入し、あるいは積極的に組合活動を行う労働者が激減することは火を見るよりも明らかであり、この問題は、まさに組合の死命を制すると言っても過言ではない問題なのである。
そのような状況の下で、判決が、「雇入れについても、労組法七条一号本文前段の適用があり、雇入れにおいて労働組合の組合員であること等を理由に労働者を不利益に取り扱うことは、同号本文前段により禁止されていると解するのが相当である」と判断したことの、今後の労使関係に与える影響は極めて大きい。また、その判断結果は、日本の労使関係の現状を直視し、且つ、団結権の意義を正当に評価したものであると評価しうる。
三 特に、この比較考量をするにあたって、憲法第二八条の団結権保障の趣旨から採用の自由の制限を論じている点は重要である。即ち、本判決は、労働組合法の解釈をするにあたっては、憲法二八条の趣旨を十分斟酌しなければならないことを改めて指摘しているのであり、このことからするならば、JR移行時の採用差別事件で問題となっている国鉄改革法二三条の解釈においても、憲法二八条の趣旨を十分斟酌すべきであるということになるのである。
ついでに言えば、この判決によって、JR採用差別事件に関し、採用差別には労働組合法七条一号本文前段の適用はないと判示した高世コートの判断は明確に否定されたといえる。
四 なお、四八年最高裁判決と本判決の整合性について付言すると、もともと、四八年最高裁判決は、労基法三条違反の有無が争われた事件であって、この中の「法(労基法)が、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、前者については企業者の自由を広く認める反面、後者については、当該労働者の既得の地位と利益を重視して、その保護のために、一定の限度で企業者の解雇の自由に制約を課すべきであるとする態度をとっている」とか、「自己の営業のために労働者を雇用するにあたりいかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができる」との判示も、まさに、労基法三条違反の有無が問われた事件の理由として述べられているのである。従って、四八年最高裁判決についての、青山会の主張、あるいは前記JR判決の理解の方が、本来の趣旨以上に採用の自由を強調しすぎていると言えるのである。本判決の四八年最高裁判決に関する判示部分は、そのことを確認し、明らかにしたものであるに過ぎない。
五 本判決の意義をもう一つ挙げておくと、「労働委員会だからこそできる救済」を改めて明らかにしたということがある。
即ち、本件は新規採用における採用差別の事案であって、二人の組合員と青山会との間には、社会的事実としては「雇用契約」が締結されていない。従って、事実の確定と、それに対する法的効果の付与という、裁判所の権能からは、青山会への就職という「あるべき解決」を勝ち取ることは極めて困難なのである。なぜなら「地位確認」の前提たる「労働契約」が存在していないからである。
しかし、労働委員会ならば、「採用命令」という行政命令を発することによって、この「あるべき解決」を実現することができる。これは、労働委員会ならではの大いなるメリットである。
この点も、労働委員会命令の裁量権を、あたかも裁判所の出しうる判決の範囲内に限るとしたような、高世コートの誤った、狭い見解とは対称的である。
この緊急命令により、青山会は、二名の組合員の就労を認め、さらに就労までのバックペイを支払った。
本件判決は、労働委員会命令による解決の、ひとつのあるべき姿を示したものとしても大きな意義があると言えるのである。
六 最後に、営業譲渡に関する問題点を一つ指摘しておきたい。
我々は、本件病院譲渡は、病院経営という事業目的のために、組織化され、有機的一体として機能する仁和会の財産を譲ったものであり、かつ、その実態からして、従前の職員を全て排除して病院経営を引き継ぐことはそもそも無理なのであるから、職員の雇用継続のみをことさらに排除した契約を、青山会と仁和会が締結したこと自体、違法であり、従業員の承継をも含む、通常の営業譲渡の採用法理が類推されるべきであると主張した。
これに関して判決は、本件譲渡が営業譲渡に類似することは認めながら、従業員の承継のみを排除する契約も契約自由の原則から許されるとして、右法理の類推を認めなかった。
しかし、どう考えても不自然なこのような契約が、本件不当労働行為の道具となったこともまた事実なのであって、本判決のように、「契約自由の原則」から直ちに、この「従業員のみ排除契約」を有効と断じることができるかについては大いに疑問がある。
有機的事業全体が譲渡される際の、譲渡企業の従業員の地位については、営業譲渡の具体的ケースに応じて、今後さらに検討が必要であると思われる。
刑事弁護で高名な石川元也弁護士が本を出したというと、さぞ部厚く難解な本で、まさにゲンナリしてしまうのではないか。そんなイメージを抱く団員がいるかもしれない。実際に私にそんな問いを投げかけた弁護士がいる。しかし、それほど部厚くはない普通の本であり、案外とっつきやすい本だということを私は保障する。
石川さん(団長もつとめられた大先輩ではあるが、親しみをこめて、あえて、さんづけて呼ばせていただく)は、弁護人としてがんばったことは記録し、世の中に知らしめていく努力をなすべきだと反省の念をこめて述べている。
たとえば、付審判請求の事件の審理手続きで、請求人代理人の主尋問を実現したり、検察庁の全記録を謄写したりしたのに、画期的なことをしたという自覚がないまま発表することもなく、記録もいつのまにか散逸させてしまった怠慢を石川さんは自ら責めている。その失敗を生かして石川さんが自分の体験をまとめたものを読むと、後進の身として、いかにもためになる教訓が具体的に語られている。つまり、この本を読むと、たちまち弁護士としていくらか賢くなってしまうのだ。たとえば、弁護人の冒頭陳述は、検察官の冒頭陳述の直後にするのではなく、検察官の立証のあとの弁護側立証の冒頭にやるべきだと石川さんは言う。また、最近できたらしい更生緊急保護の仕組みも私は知らなかった。
石川さんは、憲法と刑事訴訟法の理念や趣旨を生かして刑事弁護のなかでたたかってきた人だけに、「刑事訴訟法が施行されてから、その理念や理想がまったく実現されず、それに近づくことすらなく50年間ただひたすら歪曲されてきた」という見解に納得しない。いや、そうではない。少なくとも大阪では、刑事訴訟法の長所を活かそうとした裁判官たちの努力があったし、弁護人としてそれをともに支えてきたことがあったと総括する。その例証として、石川さんは何人かの裁判官の実名をあげている。
私は、石川さんが「たたかう裁判官」を実名で紹介して評価していることは今日ほんとうに大切なことだと考えている。大阪地裁にいた網田覚一裁判官は、最高裁にたてつくような意見を発表し、論文を書いたために、「あいつは絶対に高裁の裁判長に転出させるわけにはいかない」ということで最高裁などから大変ないじめにあった。また、大阪の良心的な裁判官たちがチリヂリに転出させられていった。まさに、裁判官の独立が最高裁当局によって野蛮な形で侵されていったわけだが、弁護士会としては何ら実効性のある対応をしなかったという。石川さんはその怠慢も痛切に反省している。
悪いことをした裁判官をけなし、良いことをした裁判官を高く評価するということを弁護士会はもっともっと大胆に取り組むべきだと私は考えている。しかし、これには、福岡でも異論が多い。せっかく裁判所と弁護士会とは今までうまくやってきたのだから、下手な波風をたててほしくないという反応がある。しかし、本当にそんなことでいいのだろうか。私は、もっと弁護士会は裁判官の個人評価(実名評価)に大胆に取り組むべきだと思う。
和解に意欲がない、事件の筋を見ることなく、ひたすら早期終結のみを考えている、形式論理にこだわり社会的妥当性を配慮しない、そんな裁判官があまりにも多い。そんな人は裁判官に向いていないとはっきり言うべきではないのか。単に判例・理論を知っているというだけではダメで、やっぱりあくまで健全な社会常識にのっとって裁判官は判断を下すべきなのだ。この点を、石川さんの本を読みながら痛感した。
弁護士としての経験が何年、何十年あろうと、読んで損をすることが決してない本だ。買って手にとって一読してほしい。著者の石川さんに代わって全国の団員にお願いする。
同書は、東京では弁護士会館の地下の書店、大阪では裁判所地下の法政書房、民主書店で扱っています。それらの便のない方は石川法律事務所までFAX(〇六・六三六二・二七〇二)でご連絡ください。
この四月、日弁連の調査団で陪審裁判とロースクールの調査を行なった。
私は以前にも陪審制度については視察経験があり、陪審裁判の優位性については今回も新しい発見があり得るものが多かったが、今回初めて調査したロースクールについては非常に得るところが多かったので、ご紹介したい。
1 アメリカのロースクールは、アメリカ法曹協会(ABA)がロースクールの認定基準を決め、適格認定をし、評価を行なっている。これは一九五二年にABAの一部門が、合衆国教育省よりロースクールの公式の認定機関として認可を受けたことにはじまる。
弁護士資格の付与は各州が行なっているが、ほとんどの州でABA認可のロースクールを卒業していることが弁護士資格付与の要件となっているので、ABAの認定基準は非常に重要である。ABAの設定する認定基準として以下の点が特徴的である。
実務家としての基本技能についての基礎的教育(法廷活動、ADR、交渉術、問題解決法、調査・文書作成等)を指導すること、ロースクールのカリキュラムの中に「学生に対して実際の依頼者その他の現実生活に関する実務経験を提供する」実務教育があること(クリニック・エクスターンシップ等。これについては後述)、ロースクールの教授に実務家が含まれていること、が義務づけられている。
ロースクールは学生に対して教育機会の均等を保証し、入学にあたって人種、宗教、出身国、性別等に基づく差別的取扱をしてはならない。また卒業生の就職についても人種等を理由に就職の機会が奪われないよう配慮する必要がある。
アメリカのロースクールでは学費などの経済的負担に対処するため、奨学金制度や学生ローン制度が充実し、経済的に不利な条件にある学生がロースクールにおける教育機会を奪われることがないよう、一定の手当てがされている。
ABAは、ローンを利用した学生が債務不履行に陥らないようにするための合理的な手段を講じていることを要求している。
職業倫理・法律実務家の公益的性格を理解させることが教育目標に掲げられ、職業倫理の指導(必修)のほか、学生にプロ・ボノ活動の機会を与えることが要求されている。
ABAは各ロースクールがこれら基準を満たしているかを毎年調査・評価しており、この基準を満たさないロースクールはABAの認可を取消されることもある。こうした制度的保障により、実務教育、教育機会の平等性、法曹倫理の維持、公益活動への参加等を確保している。
アメリカでは、働きながら法曹を目指す者のために夜間ロースクールが開設されており、夜間コースを設けているロースクールはABA認定ロースクール一八二校中一一五校に上る。
今回ボストンで視察したマサチューセッツ・ロースクールは夜間専門ロースクール(設備不足からABA認定を受けていない)であったが、「@全てのマイノリティに対して法曹要請教育の門戸を閉ざさないA教育の成果を全てのマイノリティに還元する」という理念を貫いた教育が行なわれており、実際に学生も公益活動や弱者のための法律家を志望する者が多く視察者の感動を呼んだ。
ロースクールの経済的負担への対処のため、前述のとおり奨学金・ローン制度が充実している。これら制度を利用した学生が公益弁護活動組織等に就職した場合、多くのロースクールではローン支払いを肩代わりしたり一定額援助する制度を設けている。学生が卒業後、ローン返済が重圧となって金儲けに走ることのないようにとの配慮である。
また、カリキュラムや実務教育(クリニック エクスターンシップ)を通じて公益活動を奨励するロースクールは多い。
ニューヨークのCUNYロースクールは、公益的な部門への就職を目的とする学生のためのロースクールを作ろうという目的のもと、ナショナルロイヤーズギルドの弁護士が設立の中心に関わったロースクールであると聞いているが、ロースクールの支援のもと、卒業生のほとんどが公設弁護人事務所等公益的な部門に就職しているという。
後述するノースイースタン・ロースクールも、ユニークな方法で、学生の社会的活動の支援を行なっている。
@ABAは全てのロースクールに、「クリニック」(ロースクールの学生が教授の監督のもとに実際に市民の依頼を受けて法律実務を行なう機関)の設置及びここでの実務教育の実施を義務づけている。「クリニック」は地域の住民に対する無料の法的サービスを行なう機関として、地域社会への貢献の役割も果たしている。ハーバードAロースクールも、ボストンで最も貧困層の多い地区にクリニックを開設し、貧困層に対する法的サービスに努めているようである。
クリニックは社会的弱者を対象とするものが多い。アーサー・キノイ氏のいたラトガーズ・ロースクールでは憲法クリニックが実施され、教授も深く関わって訴訟活動を行っているようである。
・また多くのロースクールは「エクスターンシップ」(外部委託研修)を採用しており、弁護士事務所、公的機関、公益団体などにおける研修をもって単位を与えている。
私が視察した中で、ボストンのノースイースタン・ロースクールは興味深い実務教育・社会的活動支援のシステムを採用していた。
まず、二年生、三年生の期間を通じて学生は四カ所の「エクスターンシップ」を必修で行なう。これはコープ・プログラムと呼ばれている。二年、三年はそれぞれ三カ月を一学期とする四学期制を取っており、「エクスターンシップ」とロースクールでの教育が交互に繰り返される。「エクスターンシップ」の受入れ先としてロースクールは七〇〇ヵ所以上のリストをもっており、どこへ行くかは学生の希望で決められる(リスト以外の受入れ先を自分で探してもよい)。受入先には裁判所やローファーム(大中小様々)、公設弁護人事務所、法律扶助協会、企業、地域の住民の権利擁護組織、政府機関等様々である。こうした受け入れ先は一九六八年の設立当時は少なかったが、教育の努力とともに学生が実績を積んで貢献することが評判となり、さらに卒業生も役割を果たし、七〇〇ヵ所以上の規模に開拓されたという。これらの実務研修を通じて学生は自分の適性を発見するとともに、公益業務への理解を深めることができ、また志望先への就職への架け橋ともなっているという。
一年生ではこうした実務での教育に先立つ教育がされるため、実務重視の教育となっている。また一年生は、「法文化とその差異」という必修カリキュラムが大きな比重を占めている。これは社会的差異(マイノリティ等)に対して法がどのようにアプローチできるかを実際に学ぶカリキュラムで、その一貫として、一年生が集団で地域に出ていき、地域の抱える問題を調査し、政策・立法提言をまとめる「コミュニティ・プロジェクト」が実施されている。これは学生が生きた法と問題解決術を学ぶ点でも、地域への貢献という点でも非常に重要な役割を果たしている。
このロースクールにもクリニックが設置されているが、「社会の最も困難な課題を担当する」という観点から、主に、死刑判決を受けた者、在監者、ドメスティックバイオレンスの問題を抱える女性、貧困層に対する無償弁護活動を積極的に行なっている。また、これに対応してドメスティックバイオレンス・大都市の法律問題に関する研究所が設置されている。
教授は、地域社会への貢献、公益活動の実現等のこのロースクールの精神に誇りを持っており、学生をこの共通の目的を実現するパートナーとして尊重している。学生の成績は点数化・序列化されていない。カリキュラムやロースクールの運営を決める教授会(私達は教授会への傍聴の機会を得た)には学生代表六名が参加し、民主的に議論して方針が決定されている。
学生から話を聞いたところ、ロースクールの公益活動重視の方針や、コープ・システムに魅力を感じてこのロースクールを選択した者が多いということで、将来社会に貢献する法律家になりたいという希望を持っている者も多かった。
5 アメリカのロースクールには様々なタイプがあるが、創設者や教授陣の献身的な努力により、高い教育目的を掲げ、それを実践しているロースクールが一定数存在することがわかった。そうしたロースクールでの法曹養成がアメリカにおける人権・民主主義擁護等の活動を一定程度支えているといえよう。
ナショナル・ロイヤーズ・ギルドはこのロースクールにおける民主的法律家養成において一定の役割を果たしている。ニューヨークのCUNYロースクールの創設にはNLGが大きな役割を果たしたと聞いており、ノースイースタン・ロースクールでも私達の視察日に学生とNLGとの懇談会が行なわれていた。
また、ABAが認定権限を有し絶えずチェックを行なっていることは、ロースクールの質の確保や、教育機会の保障、教育における倫理・公益の重視を維持するために重要な点である。
日本におけるロースクール論議はまだ「雲を掴むような話」という域を出ていないように思うが、新しい情勢下での民主的法曹の養成のために、団としても明確な戦略を持つべきであり、あるべきロースクールの実現に深く関わっていくべきだと思う。
五月一七日、代々木総合法律事務所主催で「裁判を国民の手に!司法改革を考えるつどい」を開催しました。
つどいの趣旨は、実際に裁判に係わっている人からの話を聞き、現在の裁判所が国民が利用しやすい所となっているのか、また国民の目線で裁判が行われているのかなどを参加者全員で考えていき、その上で現在の司法改革審での討議状況の批判的検討を行っていくというものでした。
また、事務所の関係者を招くことにし、極力「手作りのつどい」にしていくことを確認し、すすめてきました。
当時者からの発言では、金融被害とホテル商法詐欺事件で裁判をたたかっている二人からと、国労組合員からの報告、国民金融公庫での賃金差別闘争の報告、そして痴漢冤罪事件で最高裁でたたかっている長崎満さんからは特別報告を受けました。
さらに、当事者からの告発を受け、作家の早坂暁氏から「法のレッスン」というタイトルでの講演があり、市民が陪審制を通じて、裁判に積極的に参加していくことの重要性が話されました。
司法改革の現状と今後のたたかいの方向については、伊藤和子弁護士が、短時間でわかりやすい報告を行いました。
当事者からの発言に先立ち、法と民主主義に掲載されていた台本を所員が脚色し、事務所員六人が出演したコント「そりゃ、あんまりだ!弁護士費用敗訴者負担制度」を行いましたが、予想を超えて(?)好評で、『また演じてほしい』などの声(アンケート)も寄せられました。
今回のつどいでは、事務所に関係している方々からの具体的発言で、裁判所の実態がより明らかになり、一つ一つの事件の状況が浮き彫りにされました。そして、多くの所員がそれぞれの役割を分担してすすめました。司法改革問題での地域での初のとりくみとして、このような手作りの集会は成功したと思います。
司法改革問題での取り組みは法案が成立するまで続きます。事務所としても、今回のつどいをステップとして、地域的な様々な企画をすすめていくつもりでいますが、今後の教訓としては、裁判での問題点を明らかにしていくのと同時に現状をどう克服していくのか、私たちの司法改革をいかにすすめていくのかなどを大いに語合い、一人一人に展望をもってもらえるような集会にしていくことがあげられると思います。