<<目次へ 団通信1073号(11月1日)
神奈川支部 杉 本 朗
相模原南病院は、神奈川県の県央部に位置する、人口六〇万人あまりの相模原市にある老人病院である。病床数は三八六床と、そこそこの規模である。
この病院で、一九九四年、労働争議が発生した。ケースワーカーに対し、ナースヘルパーという全く異職種への配転命令が出された。この配転命令は、神奈川県地労委のあっせんで、撤回されたのであるが、この不当配転をきっかけに、劣悪な労働条件を改善し、病院の独裁・専制的な運営を打破するために、労働組合が結成されることとなった。何せ、職員の一部の基本給は、当時の神奈川県の最低賃金を下回っていたし、職員の定着率も悪かった。病院のオーナーの気に入らないものはすぐにクビにされたり、オーナー所有の農園で土木作業をさせられたりしていた。組合結成の呼びかけがなされ、二四名で相模原南病院労働組合が、神奈川医労連を上部団体として、一九九四年九月に結成された。すると病院側は、理由にならない理由をつけて、呼びかけ人として名を連ねた七名を、次々と解雇してきたのである。
この解雇処分は最終的に、一九九九年六月に最高裁で、七名全員について解雇が無効であり、従業員としての地位を有していることが、確認された。
あわせて、行った不当労働行為救済の申立についても、神奈川県地労委で一九九八年一二月に救済命令が出され、中労委も二〇〇一年六月、初審命令を維持した。
これに対し、病院側は、中労委命令の取消を求めて、行政訴訟を東京地裁に提起し、民事第一一部に係属した。
ご存知のとおり、労働委員会は行政機関であり、その救済命令には公定力がある。しかし、救済命令に従わなくても、使用者側に不利益はない。使用者側は、救済命令が確定するまでは、履行せずにのんびりと過ごすことが出来る。これでは、労働者や組合はたまったものではないというわけで、救済命令のエンフォースメントとして設けられたのが、緊急命令の制度である。
この緊急命令について最近の東京地裁労働部の動向を見ると、緊急命令を出しても、早くて、取消訴訟の本案判決と同時、という傾向がある。たとえば、一九九七年七月二三日の千代田化工事件においても(東京地裁民事第一一部)、二〇〇一年四月一二日の青山会事件においても(東京地裁民事第一九部)、本案判決の言渡しと同時にしか緊急命令は出されていない。これでは、緊急命令本来の、取消訴訟の係属中に被解雇者が生活に困窮したり、団結活動から切り離されたりすることによって、労働者の団結権が著しい被害を被ることを防止する、という目的は達成されない。
本件は、不当労働行為事件としては、きわめてシンプルな分かりやすい事件である。解雇処分が解雇権の濫用で無効であることは、最高裁で確定している。あとは不当労働行為意思の有無のみである。この点についても、組合結成直後に結成呼びかけ人を次々と解雇していること、病院オーナーは関係病院への挨拶状で「医労連による労組結成等によりお騒がせした時期もございましたが…不健全分子を院外に一掃し」などと書いていることなど、病院側が組合を嫌忌していたことは明らかである。こんな分かりやすい事件ですら、本案判決言渡しと同時にでなければ緊急命令が出されないとすれば、緊急命令は死んだも同然である。
私たちは、取消訴訟が提訴されてしまった以上、この不当労働行為事件として極めて分かりやすい相模原南病院不当解雇事件において、本案判決より一日でも早く、緊急命令を勝ち取ることを課題に据えた。そのために、日本労働弁護団、自由法曹団の各団員に、緊急命令申立事件の代理人への就任を呼びかけたところ、わずか二週間のうちに一五〇名を超える人たちから就任承諾をいただき、私たちはこの代理人名で、早期の緊急命令を求める意見書を、裁判所に提出した。
二〇〇二年四月二五日の結審後も、私たちは裁判所へ、本案判決よりも一日でも早く、緊急命令を出すよう要請行動を続けた。
しかし、七月三日になっても緊急命令は届かまいまま、判決言渡し期日の七月四日を迎えた。原告病院側の請求を棄却するという判決の後、待望の緊急命令が手渡された。受け取るとき、裁判所の職員が、本当によかったですね、と心から言ってくれたのが印象的だった。
このように、本案判決よりも一日でも早く緊急命令を勝ち取る、というそのことは獲得できなかった。しかし、取消訴訟が提起されて三ヶ月で中労委が緊急命令の申立を行い、結審から二ヶ月あまりで判決が言い渡された、というそのペースは評価されていいように思う。あるいは、あまりに明白な不当労働行為事案であったために、早く本案判決を出すことが可能だったことが、本案判決と同時の緊急命令をもたらしてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、緊急命令が労働者の団結権を保障するためにおかれた特別の制度である以上、本案判決と同時という形態が、常態化することだけは許してはならない。今後各地でのさまざまな事件で、緊急命令の申立がなされた場合、一刻も早く緊急命令を出すように運動を広げていくことが、この制度に命を吹き込むことになると思う。
最後になったが、代理人に就任していただいた団員各位に心から謝意を表したい。なお、この事件の常任弁護士は、岡田尚と私である(二人だと弁護団というのはちょっとおこがましい)。
東京支部 坂 勇 一 郎
1 司法制度改革推進本部において、弁護士報酬の敗訴者負担制度に関する議論が本格化する。推進本部の司法アクセス検討会の次回会合(一一月二八日)において、この制度の本格的議論が行われる予定となっている。
2 団も参加している弁護士報酬の敗訴者負担に反対する全国連絡会は、去る九月一〇日「みんなでとめよう!『弁護士報酬の敗訴者負担制度』市民集会」を開催、二五〇名の参加をもって成功させた。続いて一〇月七日には個人署名六〇、〇〇三筆、団体署名三六四団体分(今年七月の第一回目提出分の一四七団体と併せると五一一団体になる)を司法制度改革推進本部に提出した。団東京支部が参加する司法改革東京センターは、一〇月八日要請書と「弁護士報酬の敗訴者負担を巡る事例集」を推進本部に提出した。「司法に国民の風を吹かせよう」実行委員会は、PartVII「弁護士報酬敗訴者負担に反対するつどい」を一一月八日(金)午後一時からプラザエフ(主婦会館)で開催する予定となっている。
日弁連は、九月二〇日の理事会で弁護士報酬の敗訴者負担問題対策本部の設置を決め、既に同本部が精力的な活動を開始している。また、一〇月一一日人権大会にて「司法アクセスを阻害する弁護士報酬の敗訴者負担に反対する決議」を採択した。日弁連では、敗訴者負担反対署名を呼びかけるとともに、一一月二二日にクレオにて「弁護士報酬の敗訴者負担に反対する集い」を開催することを決定し、集会成功に向けて動いている。また、この間、静岡・仙台・札幌と各単位会において、敗訴者負担反対の市民集会が開催されてきている。
3 伝えられているとおり、推進本部事務局は敗訴者負担制度の導入に積極的な姿勢を見せており、司法アクセス検討会には経済界出身の西川元啓委員・学習院大教授の長谷部由起子委員と制度導入の積極論者がいる。状況は予断を許さないものとなっており、一一月二八日の司法アクセス検討会の会合をどのような状況の中で迎えるかは、極めて重要となってきている。
こうした中で、一一月二二日に弁護士会館クレオにて開催される「弁護士報酬の敗訴者負担に反対する集い」は、一一月二八日の検討会の直前に開催される集会であり、また「敗訴者負担問題」というテーマで初めて一〇〇〇人規模の集会を成功させようというものである。それだけに、これまでの運動をもうひとまわり大きなものとすることが求められている。
日 時:一一月二二日(金)午後六時開会
場 所:弁護士会館二階講堂(クレオ)
主 催:日本弁護士連合会
プログラム:
第一部 コントと「行列のできる法律相談所」の弁護士によるジャッジ
第二部 裁判当事者の発言
第三部 日弁連ヨーロッパ調査報告
第四部 「行列のできる法律相談所」の弁護士によるミニシンポジウム
4 司法制度改革推進本部では、二〇〇四年通常国会への関連法案提出をめざして議論が進められており、各検討会での議論は来年夏ころまでには固められていくものと思われる。一一月二八日(第一一回)以降の司法アクセス検討会は一月二九日(第一二回)・三月一〇日(第一三回)と予定されているが、審議日程との関係でも一一月二八日の検討会は重要であり、一一月二二日の集会は今後の日程の中でも最も重要な動きのひとつとなる。
既に一〇万枚の宣伝チラシが刷り上がり、このチラシを用いての集会参加の呼びかけが行われている。是非、この集会への参加を多くの市民に呼びかけるとともに、敗訴者負担の問題をもうひとまわりふたまわり広めていくことを呼びかける。
*集会のチラシは、日弁連に発送先を連絡すると直接発送が行われる体制ができています。
静岡県支部 中 川 真
静岡県弁護士会は、九月二一日に弁護士費用敗訴者負担制度に反対する市民集会を開催しました。私は静岡県弁護士会会員としてこの取り組みに関わったことについて、一団員としてご報告させていただきます。
静岡県弁護士会では、平成一二年度臨時総会において、当時司法制度改革審議会中間報告において打ち出されていた弁護士費用の敗訴者負担制度の導入に対して、弁護士会として反対する決議をあげていました。しかし、司法制度改革推進本部アクセス検討会では、原則導入の方向で議論が進められており、六月ころに簡裁の事物管轄の拡大問題と併せて、敗訴者負担制度の議論が盛んになりました。ちょうど、静岡県弁護士会の会長職を私の事務所のボスがしていたことから、「何かする必要があるんでしょうねえ」と言ったことから、とんとんと話が進んで、七月には弁護士費用敗訴者負担問題プロジェクトチームが、八名の会員弁護士で作られました。
それから、二ヶ月間で準備を進めました。集会の企画としては、東京弁護士会の澤藤統一郎弁護士に敗訴者負担制度の内容について説明していただき、衆議院議員の川田悦子さんからHIV訴訟の経験から、敗訴者負担制度について話していただこうということになりました。また、さまざまな類型の訴訟の原告を呼んで、経験に基づいて敗訴者負担制度についての意見を出し合ってもらうということにしました。
当日は、一〇〇人以上の参加者がありました。
澤藤統一郎さんからは、敗訴者負担制度が導入されたら、一体どのようなことになるのか、なぜ弁護士会がこの制度の導入に反対しているのか、ということが大変分かりやすく報告されました。
川田悦子さんからは、息子さんの龍平さんが血液製剤からHIVに感染し、エイズに対する偏見からその治療も隠れながら行う中で、HIV訴訟に原告として加わるまでの苦労などをお話しいただき、もし敗訴者負担のような制度が導入されれば、弱者が裁判から切り捨てられてしまう、この制度だけは絶対に許してはならないということを熱く訴えていただきました。
その後、ハンセン病訴訟の原告、静岡空港訴訟の原告、労働訴訟の原告からどのような裁判を闘ってきたのかということと、その立場から見て敗訴者負担制度がどのような意味を持つのかということを話していただき、澤藤さん、川田さんを交えてフリーディスカッションをしました。
集会参加者の市民の多くは敗訴者負担制度については初めて知ったという人が多かったのですが、集会に参加してこの制度の問題点がよく分かったという感想も聞かれました。
現在は、弁護士会として敗訴者負担制度の導入に反対する署名に取り組んでいます。
しかし、弁護士費用の敗訴者負担制度の危険性はまだまだ市民に知られていません。この制度が導入されれば、これまで多くの団員が闘ってきた公害事件、薬害事件、消費者事件、労働事件その他数多くの類型の訴訟にとって計り知れない影響をもたらすことになります。敗訴者負担導入阻止のために全国的に運動をして世論を盛り立てて行かなくてはなりません。この秋が一つのヤマ場になりそうです。多くの団員の奮起をお願いします。
千葉支部 守 川 幸 男
1 人権大会での発言
一〇月一一日に郡山で人権大会があり、有事法制三法案の廃案を求める決議(案)が上程された。私は、疑問意見や反対意見があり得るので、これに対してどう説得すべきか発言を準備しておいた。
この問題を弁護士会として考えるキーワードは、憲法、弁護士法一条、会内合意の三つであり、この観点からも決議案に賛成すると述べ、補強点として、周辺事態法との連動の問題と、有事だけでなく平時にも影響することを発言した(この二点の発言内容についてはここでは省略する)。そのうえで国会秘密法反対の経験を発言し、会長声明、対策本部などを中心に千葉での活動を紹介した。この決議(案)には二名の棄権があったが、圧倒的多数で可決された。
2 国家秘密法反対決議無効確認訴訟と東京高裁判決の画期的意義
有事法制反対を弁護士会が行うことに対しては、政治的、とか目的外の活動だ、という疑問や反対がある。しかし、提案者の説明にもあるとおり、有事法制一般が問題なのではなく、現に提案されている法案が問題である。これは当然の前提である。
一五年前、日弁連定期総会で国会秘密法反対決議がされた。これに対して日弁連会員一一一名を原告、日弁連を被告として決議無効確認等を請求する訴訟が東京地方裁判所に提起され、のちに差止請求も追加された。日弁連が最高裁まですべて勝訴したが、一〇年前の東京高裁判決(一九九二・一二・二一)は今回の問題に大いに参考となる。すなわち、「被控訴人のような強制加入の法人の場合においては弁護士である限り脱退の自由がないのであり……たとえ多数による意思決定をもってしても、目的を逸脱した行為に出ることはできない……」「公的法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない……」としたうえで、
「弁護士は『基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とし』(弁護士法一条一項)、『社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない』(同条二項)とされているところ、弁護士に課せられた右の使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難であると考えられること……」「被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも、被控訴人の目的と密接な関係を持つものとして、その範囲内のものと解するのが相当である」
「そこで、まず本件総会についてみるに……これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体しての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」とした。
私は以上の判旨を紹介したうえで、会内討議と会内合意の重要性を訴えた。賛成意見は六名であり、結局反対意見はなかったのだが、ほかには疑問や反対意見を持っている会員向けの賛成意見はなかったから、いくらかの寄与をしたものと考えている。
なお、この間の経過は「日弁連四〇年」や「日弁連五十年史」「国家秘密法対策本部全活動の記録」中の座談会などに詳しい。「四〇年」は東京地裁での審理中の記述であり、五十年史の該当部分は渡辺脩団員が執筆している。これらの資料については出発の前夜に気づき、あわててコピーしてこの日の発言となった。
事務局長 中 野 直 樹
岡山総会に間に合い、八〇周年記念事業のひとつ、自由法曹団物語現代編を刊行することができました。一九七五年以降の団と団員の取り組んできた事件と運動がドキュメンタリーに綴られています。四八名の執筆協力者の思いと個性ある文章のよさを殺すことなく、全体を物語風に仕上げていくことに編集委員会は特段の努力をしたつもりです。
この団通信に申込書を同封しました。なによりも手にしてお読みください。そして申込書に記載してあるとおり、一〇セット単位(団内価格)で購入すると送料が無料となることにも注目してください。
本の帯のキャプションを決めるにあたり、私は次のような表現で応募しました。「同時代に生きた人々と語り合い、次世代に語り継ぎたいヒューマンドキュメント。時代の苦悩に向き合い、民衆とともに、人間らしく生きる社会をめざして格闘する弁護士たちの群像」
結局、豊田誠団員、松井繁明団員のフレーズが組み合わさったキャプションが採用され、なるほど本を売るためには力強い言葉が必要なのだと学びました。
大阪支部 井 上 洋 子
昨年の総会後から今年の八月一杯まで、一年に満ちませんでしたが、次長を務めさせていただきました。ありがとうございました。次長のすべき仕事がたくさんある総会を経験せずに退任するのは、良き鍛錬の場を逃してしまう点で残念であり、皆さんのお手伝いをできない点で心苦しい限りです。
慣例では関西からは京都が次長を出す順番のところ、たまたま候補者がいないとのことでしたので、今年の九月から渡英することがすでに決まっておりましたが、私から願い出て、一年未満の務めを許していただきました。ピンチヒッター的ではありますが、押し掛け女房のような変則的な次長でした。
次長をして楽しかったなあ、よかったなあと心から思います。
常任幹事会に出席することで、各地の団員の活動と心意気に触れることができて刺激になっただけでなく、毎回出席することによって、活動の流れ、時的な幅のようなものが見え、活動を理解する視点が拡がったように思います。また、団の報告書や通信を見ているだけでは、団では立派な方々が活動していて自分とは別世界ではないかと畏怖を感じますが、実際は団活動聖人君子のような人がいるわけではなく、それぞれの団員がそれぞれの得意分野・領域で活動し、それらを織りなしたものが団なのだ、ということがよくわかりました。また、自分の得意分野で活動するだけでも団にとっては有意義であるけれど、次長職など一定の強制の契機があることは、そのときは大変でも結果的には幅を広げるのに役立つこともわかりました。全く知らない分野であった人権擁護法案の意見書を書くためにやむを得ず勉強したり、国民救援会の裁判交流集会に義務づけられて出席したものの活動の原点みたいなものを感じて刺激になったりしました。「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」ということわざがありますが、「次長にはなってみよ」ともいえるなあ、と感じます。さらに、諸先輩方は活動の立派さや人相面体に関係なく、後輩には親切でありその成長を心から願っておられるということもわかりました。
さて、次長の仕事が満足に出来たか、といわれれば、自己評価は七〇点、優良可の良のレベルです。プラス点としては、大阪からサボりも遅刻もなく会議に毎回出席した、与えられた仕事(司法、国際・後継者問題、人権、その他雑務)のうち後三者ではしっかり仕事した、マイナス点としては、司法分野では随分と同僚次長にお世話になってしまった、在任期間が短く絶対的貢献度が低い、といったところでしょうか。
次長をしていて役得もありました。上田誠吉先生と吉祥寺でデートしたんでーす。上田先生の戦争のときの体験やどうして左翼になったのかを短い時間でしたが直接にお伺いすることができました。このデートの感想文は機会を改めて団通信に書きたいと思っています。また、上田先生に限らず、各種宴会の折りに、諸先輩方から公私さまざまな話を聞けることは、とても楽しく興味深いことでした。
短い間でしたがさまざまな方にお世話になりました。ありがとうございました。