<<目次へ 団通信1075号(11月21日)
冨森 啓児 | 古稀の群像 長野県支部 | |
島田 修一 | 新旧役員挨拶その3 幹事長に就任して | |
篠原 義仁 | そして 二年経った | |
柿沼祐三郎 | 事務局次長退任のご挨拶 | |
村田 智子 | 事務局次長に就任しました | |
宮里 邦雄 | 団意見書「新仲裁法から労働契約の除外を求める」を読んで | |
坂本 修 | 宮里邦雄団員のご注意について | |
山崎 徹 | NTTリストラと「裁判闘争」の現状 | |
菅野 昭夫 | 二〇〇二年NLG総会報告(1) | |
松島 暁 | 「ブッシュ戦略」は我々に何を求めているか? | |
中西 一裕 | 拉致問題と国家の「信義」? | |
萩尾 健太 | 大学管理・法曹変質法案を阻止しよう(上) |
長野県支部 冨 森 啓 児
生まれも来歴も異なり
越えてきた道も様々
しかしいつか志は一つ
闘いに磨かれて育つ
振り返れば一五年戦争
暗黒の影宿る少年期
羽ばたく鳥達のように
焦土の中で未来を見
心の命ずるまま生きる
その願いが弁護士に
自由法曹団に参画して
民衆の友として出発
騒擾事件公害裁判再審
労働公安環境人権等
数知れない有名無名の
闘争の数々が並んで
その中から政治革新を
目指す候補に議員に
選挙の裏方に徹しつつ
歴史の扉にも挑戦す
力の源泉は団にあった
一人一人と仲間の団
全国各地から駆けつけ
古稀を越え健在の友
我がことのよう祝福し
我が事業とし共感す
幹事長 島 田 修 一
このたび幹事長に選任されました。私のプロフィールは一九四七年に福岡県筑豊に生まれ、炭鉱の閉山で六二年に上京。大学(中大)では七〇年安保の年に卒業するまで学生運動で走り回って脱線もし、福岡修習中(二六期)は自由を満喫しましたが、七四年に旬報法律事務所に入り団活動にも参加するようになってから、ようやく落ち着いた生活をするようになりました。私のこれまでの団活動はすべて東京支部で、本部の仕事はしたことがない典型的な?支部派?でした。最近はTokyo憲法Schoolの活動を楽しんでいたところ、突然の話が舞い込み、断りきれない性格が災いしてこの原稿を書いています。
今は本当に激動のときだと興奮します。世界は「多国籍軍」「人道的介入」「テロ撲滅」「大量破壊兵器」の名のもとの武力行使が横行して国連憲章体制が大きく揺らいでいますし、有事法案や憲法調査会中間報告に見ますように日本国憲法体制に対する攻撃が激しさを増しています。国際社会のあり様と日本の国家・社会のあり方を転換させる策動が連動して推し進められているわけですが、この歴史の逆流に対抗する闘争も前進しています。平和的手段による解決という国連憲章の積極的実現を求める動きが世界各地で高まっていますし、日本の民衆の「憲法的なるものの力」が有事法案を継続審議に持ち込み、廃案を目指してさらに前進しています。国家との対決と並行して、民衆が主体となったアジアの信頼を得るための交流や東北アジアの平和を構築する運動も活発となってきています。潮流と逆流が激突している今日、国連憲章体制の確立そして日本国憲法が生み出したすばらしい思想である平和的生存権が、米国安全保障戦略(NSS)のいう「自由・民主主義・市場主義」に対抗する武器として威力を発揮するときが来ているのだと思い興奮しているわけです。
こうした闘争の先頭に立って先進的先駆的な活動を展開されてきた執行部・対策本部の皆さんの到達点を先に推し進めるのが新執行部の任務だと言い聞かせておりますが、私は団事務所から一駅の神楽坂に住んでいますので帰宅の時間は気になりません。全国の団員の皆さん、力を合わせて、力を尽くして、たたかいに取り組んでいきましょう。よろしくお願いします。
神奈川支部 篠 原 義 仁
1 二〇〇〇年の冬から春、全く団本部の活動に無縁であった私の周囲に変な風が吹き始めた。どうやら仕掛け人の中心は豊田誠団長(当時)と執行部のようであった。しかし、私の方に幹事長をうける気もなく、そして要請する側もそう本気でなかったためか、さしたることはなく風は通りすぎた。
ところが五月集会の一日目の会場で小口事務局長(当時)から、懇親会のあと、しかも、運営委員会のあとにロビーで待機してくれと要請された。止まった風が、また吹き始めたらしい。別口(?)へ行ったのではなかったのか?そんな思いを抱きつつ、夜九時からの面談に応じた。
面談は、三〇分少しで終了。受ける気もなく、その体制、能力もないことを説明して納得してもらった(かのように思われた)。
2 七月に入り豊田さんから電話が入った。団長候補として大阪の宇賀神さんがOKした。あとは、幹事長人事だけだ、という。そして、二日後か三日後の期日指定で豊田法律事務所へ来るよう命令に近い指示をうけた。公害斗争で三〇年来、豊田さんの下で働いてきた私としては、会うこともなしに断るわけにはゆかず、面談の上断る決意で恵比寿駅を下りた。地図をもらったのに、地下鉄側出口から出てしまったため一本入る道を間違え、しかも、法律事務所が本当にあるのかと思うほどわかりにくいビルに迷うこと三〇分、遅刻して面談ということで、最初から負い目を追った面談となった。正午呼出のため弁当が用意され、豊田さん一人と思ったのに二〇期同盟軍で、鈴木幹事長(当時)、菊池元幹事長(当時、団組織財務委員長)が同席していた。鈴木さんは午後から八王子で裁判があるので長居は出来ないがと前置きしつつ、誠実にそして少し思いつめて(後日談、「後任人事が見つからなければあんたが三年やれ」と同期の菊池さんに脅かされて(?)いたらしい)、いろいろ説明をしてきた。鈴木さんとは、それまで余り話をしたことがなかったが、真面目一本の人となりが感じとれた(後日、結構ダジャレが好きな人であることが判明)。そして、豊田さん、菊池さんがこもごもに説得・・・。私としては、前記事情に加え、最近の検診で糖尿病にひっかかり通院中でやれる状態にないことを強調した。すると豊田さんは(自分が体調を崩し周辺環境を整理したはずなのに)、糖尿病は病気ではないと全く抗弁を認める態度をとってくれなかった(後日、団本部に行き、坂本さんや松井さんは、もっと重症の糖尿病患者なのに精力的な活動をしていることを知る)。
しかし、ここでも受け入れ拒否。他方、最後の逃げ道として、事務所に相談していない、事務所会議が未了という抗弁を出した(これは失敗。ここまでくると口説くほうは「成功」と思うもののようである)。
近々の事務所会議日程を聞かれ放免。
3 ここまでくるともう観念するしかない。事務所会議で決めてもらうとしても、自分で自分の方向性を出すしかない。
えいや、と決断し、自分の方向性を伝え、事務所の承認という手順となった。
やると決めたら恥をかきたくない、当時は司法改革問題で団内討議は、大揺れと聞いていた。
そこで、助走をつけるため八月常幹(この年は、司法改革論議のため夏休みはなく八月常幹は開催された)に出ようと日程を聞いたところ、オンブズマン全国大会・東京会議で日程が重なりムリ。そして、九月常幹に出席した。そこで大変なものを見てしまった(すいません、熱心に討議していた方々)。
司法改革をめぐって賛成、反対の意見が乱れ飛び、幹事長の司会、運営に反対意見派から、執行部内部派から、あれこれ激しい注文がつき、会議は予定時間をはるかにオーバーしても終わらない。途中から退席する人が出ても収まらない。その上、会議は執行部の取りまとめのため二度も休会となった。
大変なところに来たものだと実感し、豊田さんの説得に「詐欺的行為」があると恨んでみたが、もうあとの祭りである(私の次期幹事長候補の紹介は、この討論前に行われ、私はあいさつを行ってしまっていた)。
4 さて、このあとのことをつづけて書くと、小賀坂徹元事務局次長のはてしない退任の弁の二の舞となる。
従って、ここで完了させることとするが、私が体験した九月常幹の様相は、私をしてこれ以降の常幹運営を慎重にさせた。会議がもめないよう、自分自身の問題として団の重要課題について必要な委員会に出席し、問題把握をしておく重要性を認識させた。従って、できうる限り自分で大切と思った委員会(対策本部)には出席することとした。
そんな思いで常幹運営にあたってきたが、「?話しすぎ?口が悪い?仕切りすぎの三悪」は改善されず、どんな運営になったのか心もとない。
それにしても、二年前を区切りに、司法改革問題も議論から実践への時期となった。前執行部の担った労苦ある「まとめ」をうけて、議論があっても実践のなかで検証していく、という作風のもとでの、「いい時期」の苦労を担うところになったというのが実感。しかし、予想をこえて、改憲だ、いやいやテロ特措法だ、有事法制だといろいろな弾が飛んでくるものだ、何!教育基本法の改悪。大変な時期に出会ってしまった、というのも実感。
そのたたかいの評価は、常幹の方、各地の団員に委ねるしかない。
二年間、大変ご迷惑をおかけしました。そして、二年間本当にお世話になりました。ありがとうございます。
群馬支部 柿 沼 祐 三 郎
振り返ってみると非常に貴重な経験をさせてもらったと思う。常幹(ほぼ毎月一回団本部で開催される「常任幹事会」のこと。最初に「ジョーカン」と耳から聞いたときは、ホワッツ・ユージならぬホワッツ・ジョーカンであった)にも出たことのない地方の一ヒラ団員にとって、「自由法曹団本部」なるものはちょっと縁遠い、かつ誠に畏れ多い存在であった。ところが、実際に次長になってみると、本部は意外に少ない人員で様々な課題に取り組んでおり、ある意味で中小企業的な必死の奮闘努力により、切り盛りされているということがよーくわかった。皆さん、別に本部はお偉いさんの集まりではないのですよー(ここだけなぜか山田泰さん調)。もちろん各委員会も含め団本部に出入りをされている方々は優秀な人が多く、そのような方々と知り合う機会を持てたことも貴重であった。そして、本部に結集している比較的少数の人間のエネルギッシュかつ献身的な活動で、全国的な運動が切り開かれていく様を目の当たりにできたことは、次長にならなければ決して経験することのできなかったことであると思う。
しかし、しかし、次長になって半年ぐらいは一番しんどい時期で、そのころは、ならなきゃよかったと実は思いつづけていた。というのも、最初の一年はまだ手持ちの事件も多く、常幹、事務局会議、担当委員会のために、平均週一回くらい東京の団本部に行っており、時間的なやりくりが相当大変であったからであった。ちなみに群馬県桐生市にあるわが「わたらせ法律事務所」から団本部までは、片道三時間弱ほどであったので、団本部に行くということは、それでほぼ一日がつぶれるということであった。(次長就任をすすめてくれた群馬支部の鈴木克昌先生、「東京の団本部に行くのは月に二回くらいですよ」と言いましたね。月に四、五回でした。うそはいけません。)
特に、一年目の担当は、市民問題委員会、国際問題委員会、八〇周年記念事業であったが、記念事業としての八〇周年記念集会開催準備のため、結構頻繁に東京に行かねばならなかった。私としては、東京でやる集会なのだから東京の次長の人に担当してもらいたかったというのが本音であった。ただし、最終盤の準備は本部全体で取り組み、内容において多々の不備はあったものの、とても多くの団員に参加いただきほっとした。
八〇周年の記念集会を終えた二年目は、集会が一応は無事に終えたことと、手持ちの事件が減少したことでやりくりが大分楽になった。二年目の担当は、教育改革対策本部と団物語編集委員会であったが、多くの時間を要することになったのが後者であった。昨年の六月に題材と原稿をお願いする方が決まり、七月には原稿の執筆依頼をし、年末くらいまでにほとんどの原稿を提出いただいた。その後は、編集委員会で議論を重ね、六月と八月には編集のための合宿も行い、なんとか一〇月の岡山総会にあわせて発行をすることができた。団物語の編集作業に関わる中で、多くの原稿を読ませてもらい、全国の団員の活躍を知り、学ばせてもらった。また、編集委員は団物語の最初の読者ということになるが、私自身は、長野の林豊太郎団員及び丸子警報器事件の原稿などは、一読してじーんと胸が熱くなり、涙がこぼれた。そして、委員会としてはこの物語に欠かせないと考えていた、坂本堤団員についての原稿もぎりぎりで締切前に寄せていただくことができて、本当にほっとした。担当していただいたО先生には逆に大変心理的負担をかけたのではないかと思う。この場を借りてお礼を申し上げたい。そして、そして、最後に、思い出深い「自由法曹団物語 世紀をこえて」を一人でも多くの方に購入し、読んでいただくことをお願いしたい。
というわけで、二年間多くの方にお世話になりました。どうもありがとうございました。
東京支部 村 田 智 子
女性部を通して団を知る
こんにちは。四八期の村田智子です。事務所は東京の北千住法律事務所です。
弁護士になって六年半になりますが、今まで団の活動をほとんどせず、どちらかというと弁護士会を中心に活動していました。正直に告白しますが、私には、「団に入っているのは弁護士の約一割。それに比べて弁護士会は弁護士全員が加入している→団の活動よりも弁護士会の活動のほうが重要」というイメージがありました。
そのような考えが変化したのは、団女性部の活動がきっかけでした。私は、昨年九月から、女性部の運営委員を引き受け、「女性の憲法年連絡会」の担当になったのですが、この連絡会で、デモや集会、意見広告(昨年五月三日に朝日新聞の朝刊に掲載されました)の企画を他の女性団体の方と一緒に考えたり、資金を集めたり、街頭宣伝をしたりする中で、「ああ、団というのは法律家の団体でもあるけれど、何よりも市民団体なんだ。」と実感しました。まさに目から鱗が落ちるような思いでした。
助け、助け合いながら
今まで、私は、働く女性のための弁護団の庶務係(?)、東京弁護士会の期成会の企画委員、東京弁護士会の犯罪被害者支援委員会の副委員長などの活動をし、私的な場では子どもの学童クラブの父母会を通して学童クラブ増設の問題などに関わってきました。諸活動を通してつくづく思ったのは、「『なぜ、自分だけがこんなに大変なのか』と感じてしまうような、『孤立感』のある活動は、やっていて非常につらい」ということです。反対に仲間と助け合ってワイワイやりながらの活動は、仕事量が多くてもつらくはありません。
団の事務局次長というのは大変な仕事だと思います。私の場合、引き受けるまで、かなり躊躇しました。でも、今回の団総会に参加し、ベテラン、中堅どころ、新人などの各層に、能力も意欲もある団員がたくさんおられることを改めて実感しました。私が「助けてもらえる」ということについては確信しています。
むしろ、問題は、「私が、執行部や委員会の中で、誰かを助けられるか」という点ですが、これはもう「やってみるしかない」という心境です。
二年間が終わった後で、自分でも「楽しかった」と思え、周囲の方とも「楽しかったね」と言い合えるように、微力ですが力を尽くしたいと思っています。
今年度の担当は、有事法制と教育改革です。どうぞよろしくお願いします。
東京支部 宮 里 邦 雄
自由法曹団意見書「新仲裁法から労働契約の除外を求める」(二〇〇二・九・九)を読みました。機敏な対応に敬意を表します。
意見書指摘のとおり、労使紛争、ことに個別的労働契約紛争の解決のしくみを大きく変えることになりかねない重要な問題を含んでいると思います。紛争発生後における当事者の合意による仲裁は、例えば、賃金の考課査定、年俸制のもとでの賃金額の決定などにおいては紛争解決の手段として、今後採られてよいひとつの紛争解決手段と考えていますが(現実に利用できるかどうかは公正な仲裁人や仲裁機関の存在などの条件整備が必要です)、将来の紛争については、適用除外、少なくとも仲裁合意の解約権を保障するなどの取扱いが絶対に必要だと考えます。また、立法手続としても、この問題は労働検討会において十分に議論を尽くすべき性格の重大な問題だと思います。
労働検討会では、労働裁判改革について論議していますが、労働契約における仲裁が導入されれば、労使紛争のほとんどは、「裁判抜きの解決」となるわけであり、労働裁判改革を議論することにどのような意義があるか、ということになりかねません。
だとすれば、新仲裁法において、消費者契約などと同様、労働契約はどのように位置づけられるべきか、というテーマは仲裁検討会においてはもとより労働検討会としても重要なテーマとして検討すべきことではないでしょうか。
紛争解決にあたって仲裁が活用されているアメリカでも、労働契約における仲裁については、その対象事項や有効要件などいろいろな議論があるようです。このような労働契約における仲裁のもつ意味や問題点を十分理解しているかについて、大いに疑問のある仲裁検討会に対し、適用除外等を求める要請とあわせて労働検討会においても十分な検討を求めることが必要ではないかと思います。
なお、意見書のなかに、誤っているのではないかと思われる部分がありますので御検討下さい。
それは、第四「現行法制度と労働裁判検討会審議との不整合」の部分です。
労働組合法二〇条の「労働争議」や労調法の「労働争議」には「個別的な労働紛争も含む」とする記述があります。
労働組合法には、「労働争議」の定義規定はなく、「労働争議」の定義は、労調法六条にあります。同条の「労働争議」には、個別的労働紛争は含まれず、使用者または使用者団体と集団的関係に立つ労働組合その他の労働団体間の集団的紛争を指すと解釈されています(例えば、労働省労政局労働法規課編著「新訂版労働組合法、労働関係調整法」労務行政研究所:別冊法学セミナー基本法コンメンタール「労働団体法」日本評論社二四五頁、菊地勇夫外「全訂労働組合法・附労調法」日本評論社三五四頁など)。
労働委員会のあっせん、調停、仲裁の争議調整実務でも、個別的労働紛争についての個人の斡旋、調停、仲裁の申請は権限外として受理していません。
もっとも、個別的労使紛争であっても、労働組合がこれを労働組合の問題として取り上げ、団体交渉要求等を行うことで労働争議とし得る、あるいは解雇後の合同労組への駆け込み加入することなどにより労働争議となり得ることも当然ですが、この場合の調整手続の申請人は個人ではなく、労働組合となります。
意見書の記述はこのような場合を指しているとは読めませんので、誤解を招くことになると思います。
なお、平成一二年四月施行の「地方分権の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(「地方分権一括法」)によって、地労委の事務は従来の国の機関委任事務から自治事務化されたことにより、都道府県が独自に個別的労使紛争解決を図るための行政サービスを行うことが可能となり、知事の委任にもとづき地労委が「個別的労働紛争に係るあっせん要綱」を制定し、地労委が「あっせん」を行うようになっていますが(「条例」方式はまだありません)、「仲裁」をやっているところはありません(「あっせん」を行っている地労委は現在四〇を超えています)。
東京支部 坂 本 修
団意見書「新仲裁法から労働契約の除外を求める」について宮里邦雄団員から、趣旨は賛成だが意見書の第四「現行法制度と労働裁判検討会審議との不整合」の部分に誤りがあるのではないかという意見が寄せられました。結論を先に言えば宮里団員の指摘は適切だと考え、早速の御注意にお礼申し上げ、かつ、団員のみなさんにお詫び申し上げます。団の意見書は新仲裁制度問題を知ってショックを受けた翌日、短時間で私が原案をまとめ、司法制度改革推進本部に提出し、若干の補筆を経て発表したものです。宮里団員のご指摘の部分についてすべての文責は私にあります。誤りは早急にはっきりさせておいた方がいいと考え、団通信編集担当者にお願いして、宮里団員の原稿と同時掲載の形をとらせていただきました。
以上を前提として私がこの項で記述したことの真意を述べておきます。
労働委員会の現行仲裁制度でも、たとえば組合員の一人が解雇されたときこの撤回について労働組合と会社との間で話し合い解決ができないときは、組合はいわゆるストライキはせずに地労委にあっせんや仲裁を申立てることができますし、現にこうした申立は受理されています。私はこのような手続の活用を考えて、「(こうした仲裁の対象となる)労働者あるいは労働組合が団体行動としておこなう争議だけではなく、個別的な労使紛争も含むとされている」として、つづいて「こうした現行法の一環として、労働委員会での仲裁を活用」すべきであるとしたのです。
こうした指摘自体は誤りではないでしょう。しかし、宮里団員にこの点電話で確かめたところ、労働組合が申し立てるのだから、「個別的労使紛争」とは言わずに「集団的紛争」というのが法的用語であり、誤解を生むということでした。いずれにしても、私の記述では現行仲裁制度で「労働者個人の仲裁申立が可能だ」と言っていると誤解されるおそれがあります。ですから、「組合の申立で」と書くべきだったと考えます。
では、個人申立については仲裁申立は不可能のままでいいのかという問題があります。そこで私は前掲の文章に引き続いて「必要ならば(現行仲裁制度の)いっそうの充実を検討すべきである」としたのです。具体的には個人申立での仲裁(あっせんをも)可能にするように現行制度の改正を検討したらいい、その方が訴権を奪う新仲裁制度よりははるかにましだと考えたのです。この考えも誤ってはいないと考えています。しかし、それなら、「改正して」とはっきり書くべきでした。
〈付記〉「機敏」に反応した意見書の発表、送付は大きな反響を呼び、数日のうちに多数の反対意見が、推進本部に寄せられ、審議に影響を与えつつあります。しかし、事態は予断を許しません。一層のたたかいの強化をお願いする次第です。
埼玉支部 山 崎 徹
一 違法・脱法のNTTリストラ
純粋持株会社NTTは、その傘下に一○○%子会社のNTT東・西会社、NTTコミュニケーションズなどの事業会社をもっている。持株会社NTTは、いわば経営の司令塔としての役割に専念し、株式会社としての利益を最大限追求はするが実際の事業は行っていない。NTTリストラは、このような持株会社のもとで強行されている社員一一万人を対象とした前代未聞の企業再編リストラである。
NTT東・西会社は、持株会社NTTの「NTTグループ三カ年計画」(二○○二年四月)にもとづき、固定電話の保守・管理・営業業務を新設した地域子会社に外注化(アウトソーシング)した。そして、会社は、五○歳以下の社員は子会社への在籍出向とする一方で、五一歳以上の社員には、「退職・賃下げ再雇用」か「異職種・遠隔地配転」前提の雇用継続か、という選択を迫った。「退職・再雇用」を選択する場合には、再雇用者の賃金は従来の賃金よりも約三○%カットされる。この不利益な「退職・再雇用」に同意しない社員には「今までの仕事はない」「勤務地は全国配転だ」として退職が強要された。
今年五月一日、地域子会社が新設され、九万五○○○名がそこに配属となり、「退職・再雇用」を拒否した者に対しては異職種、遠隔地配転が本人の同意なく強行された。三○年以上、同一業務・同一地域で勤務していたのに退職を断ったら北海道から東京へ配転。あるいは、四国から大阪へ。九州から名古屋へ。群馬から埼玉へ往復四時間の長距離通勤を強いられている女性社員たちもいる。しかも、職種は一律に今まで経験したことのない法人営業である。これまで培ってきたスキルはほとんど活かせない。
会社は、「退職・再雇用」に応じないから仕事がなくなったという。しかし、今までやっていた仕事は現に目の前にある。ただ、会社の分社化にともなって、法形式上、それまでの業務が地域子会社に移転されただけのことだ。五○歳以下の社員は在籍出向というかたちで、今までと同じ賃金で今までと同じ仕事をしている。五一歳以上の社員にも同様の処遇をすればいいだけのことである。
要するに、NTTは合理化の手段として自分で勝手に子会社を作り、そして社員にその子会社への賃下げを伴う転籍を迫るとともに、それに応じないものには報復・見せしめとして異職種・全国配転を強行したのである。
NTTリストラは、企業再編・分社化を利用して、これまで労働のルールとされてきた年齢のみを理由とする差別的取り扱いの禁止、労働条件の不利益変更の禁止、会社分割に伴う労働契約の承継、退職強要の禁止、不当配転の禁止、家族的責任に関するILO条約一五六号などの労働者保護法理を多重的に破壊する違法・脱法である。
二 裁判闘争の現状
NTTリストラに対しては、多数派組合であるNTT労働組合はリストラ計画に合意しているが、通信産業労働組合(約一三○○名)が一貫してリストラの撤回を求めて闘っている。そして、この闘いを全労連、各県労連が支援し、国会質問のなかでも繰り返しNTTリストラの違法性が指摘された。今年一月、団も呼びかけ、通信労組の闘いを支えるためにNTT「違法・脱法」リストラ対策弁護団が結成された。
その裁判闘争は、強行されている配転のなかで、家族の状況を全く顧みない「非人道的」な配転事案を、緊急に、個別的に阻止することから始まった。緒戦は大分地裁での配転禁止の仮処分事件であるが、この件は、仮処分申立てをしたところ、第一回審尋前に、会社から配転先を戻すので取り下げて欲しいとの申し出があり、会社が配転を撤回して急転直下に事件が解決した。大分の団員を中心に地元弁護団が結成され、家族の看護の必要に関する証拠資料を早急に準備提出したことがこのような勝利解決を導いた。
また、松山地裁での配転禁止仮処分事件では、二回の審尋期日をもって裁判所が審理を打ち切り、裁判所が決定を出そうとしたところ、会社が本人の勤務地を大阪から松山に戻したので事件が勝利的に解決した。この事件は、妻が冠れん縮性狭心症という夜間に発作が起こる心臓疾患があるにもかからず、夫を松山から大阪に転勤させた事案であった。地元での支援の輪が大きく拡がると同時に、愛媛の団員が妻の病状を裁判所に正しく理解させたことが事件の早期解決につながった。
仮処分事件は、現在、札幌地裁でも闘われている。この間、平行して大阪地労委には、大阪の団員を中心とし、不誠実団交、団交拒否、組合に対する支配介入を理由とする不当労働行為救済申立ても行っている。
そして、今回、NTTリストラの違法性を正面から問う本格的な裁判闘争が始まった。九月二五日、全国的な異職種・遠隔地配転の対象となった組合員二二名を原告として、東京、札幌、静岡、名古屋、福岡の五地裁に配転無効と慰謝料の請求を求める本訴を集団提訴した。一○月三○日には、松山地裁に本訴を提訴し、今後、大阪地裁にも本訴を提訴する予定である。
今回の集団提訴は、「違法・脱法」のNTTリストラを撤回させるとともに、大企業を中心とした無慈悲なリストラ「合理化」が横行し、政府がこれを後押しする今日的状況のなかで、労働者が人間らしく働くための「労働のルール」を確立する歴史的な闘いである。直近の東京高裁判決(一○月二四日)では、国鉄分割・民営化に伴い、JRを不採用になった全動労組合員の採用差別事件に関し、「使用者性」「組合間差別」を認めながら、国策としての政策に協力しないのだから差別されても仕方がない、不当労働行為ではない、などという不当極まる判断もなされている。NTT裁判の本訴で勝利するためには、こうした大企業に迎合する裁判所の姿勢をも糺さなければならない。全国の団員の英知を結集し、この訴訟に取り組むことが求められている。
北陸支部 菅 野 昭 夫
はじめに
ナショナル・ローイヤーズ・ギルド(NLG)の二〇〇二年度総会が一〇月一六日から一九日まで、カリフォルニア州パサデナ市で開かれ、団からは根本孔衛(神奈川支部)、鈴木亜英(東京支部)、藤原真由美(同)、井上洋子(大阪支部)、島田 広(北陸支部)と私が参加しました。団としては八回目の参加になります。以下はその報告です(その前にサンフランシスコ市で行ったロー・スクール調査については、島田団員作成の報告書に譲ります)。
パサデナ市はロサンゼルス市の郊外にあり、オールド・ロサンゼルスと呼ばれる建物を残し、美術館等を有する美しい町です。そこのホテルを会場として、約三〇〇人のNLG会員が参加しました。
ピーター・アーリンダー元NLG議長によると今年度の総会はアメリカのイラク侵略が近いという緊迫した情勢を反映して、参加者一同が決意を一つにした盛り上がった総会になったとのことです。
オープニング・セレモニー
いつものように、総会のオープニングは、第二日(一〇月一七日)の夜に開かれました。
オープニングでは、合計六人の弁護士が基調報告を行いましたが、全員が九月一一日事件後のアメリカ国内の情勢とNLGの闘いをテーマにしたものでした。
彼らによると、九月一一日事件以降のニューヨーク市においては、まず、経済的に、労働者のみならず、中小事業者も深刻な状況に置かれています。予算は大企業や金持ちのためにのみばらまかれ、法執行機関も含め、労働者や中小事業者の利益には何の配慮も払われていません。
そして、九月一一日の事件を利用していかにひどい逮捕勾留が行われているかについて詳細な報告が述べられました。九月一一日の事件以降、政府と大企業とマスメディアの連合が形成され、「超大国は米国のみであり、第二の超大国の出現は断じて許さない。」というのが現在のアメリカ政府の政策となり、この政策と機を一にした厳しい治安政策が現在進行中であるというのです。
まず、グアンタナモ基地にはアルカイダの疑いをかけられた人々が収容されていますが、そこでは、ジュネーブ条約やアメリカ国内法を一切無視した、日系アメリカ人に対する第二次世界大戦時の強制収容所を上回る悲惨な強制収容所が現出しているとのことです。
そして、FBIは今や無差別捜索・逮捕の権限を手に入れ、かつて前例のないほど巨大な権限が法執行機関に集中されているのです。その中で、現在進行中の弾圧は、法律に根拠を置くものもありますが、大部分は大統領令によって行われているとのことです。逮捕されている人の中には、捜査機関が一番簡単に作れる証拠である宣誓供述書のみを証拠として逮捕された人もたくさんいます。こうした乱暴な捜査によって、憲法修正第四条、第七条などの権利は、悉く無視され蹂躪されているのです。事態が放置されるならば、アメリカの民主主義は壊滅的状況に追い込まれると、彼らは警告しています。
こうした発言者の中には、自らが逮捕され起訴されている弁護士もいました。NLGニューヨーク支部のメンバーであるリン・シュチュワート氏で、彼女は、常に世論に不人気な刑事事件を担当する女性刑事弁護士として知られているとのことです。彼女は、ロー・スクールでアーサー・キノイ氏から憲法の講義を受けて、公益的活動に従事する弁護士になった述べました。彼女は、九月一一日事件後に制定された反テロ法によって逮捕され、起訴されています。被疑事実は二つあり、一つは、彼女がアラブ系テロリストとされる被告人の弁護のために接見を行った際、アラビア語の通訳を連れて行き、自らはあたかもテロと関係のない一般的な話題を話し、その間にアラビア語通訳にテロに関する通話をさせる機会を与えた、というものであり、もうひとつは、接見した際の被告人の発言内容をメディアに流したことがテロを助長する行為である、というものです。いうまでもなく、依頼人と弁護人の接見内容は秘密交通権のひとつであり、かつ「アトーニー・クライアント・プリビリジ」としても厳格な保護の対象となっているものです。彼女は、これらの権利を侵害するこの弾圧が、アメリカ憲法の弁護人選任権に対する挑戦であり、断固闘うと発言し、満場の拍手を浴びていました。
また、私達とすっかり友人となったNLG副議長のキット・ゲイジー氏の報告も印象深いものでした。彼女は、まず、最近の新聞に、二九歳の女性がリーガル・オブザーバー(デモなどの際に捜査機関の違法な活動を行わないよう監視する役割)としての活動中に逮捕されたことが写真入りで報道されており、この女性は以前から危険人物として捜査機関にプロファイルされていたとされているが、この女性は自分の長女であることを明かしました。そして、彼女は、今日の報告のために、九月一一日事件以来NLGメンバーと交わしたE-mailをもう一度見直してきたが、事件後当初のメールの内容は戸惑いに満ちたものであったこと、しかし、一週間のうちにNLGは反テロに名を借りたアメリカ憲法の破壊に対し反撃する必要があるという主張を既に打ち出し、事件から一カ月のうちに反撃のためのプロジェクトが開始されたこと、NLGのこのような活動は、多くの市民にとって頼りになるものであり、私たちはこのことに大きな確信を持つ必要があると述べました。特に、九・一一の事件以来、移民として米国に来た人々に対する乱暴な国外追放が横行していますが、この重大な人権侵害に対するNLGの移民問題プロジェクトの活動は非常に素晴らしいものであったことを報告しました。さらに、彼女は、現在の反動化は確かに厳しいものであるが、NLGは、過去に何度も厳しい弾圧との闘いの歴史的経験を経ており、マッカーシズム、ベトナム戦争反対に対する弾圧等々の歴史的な試練をNLGは闘い抜いてきたこと、こうした闘いの歴史の中でNLGだけが事態を政治的.歴史的に分析する力をつけてきたことに確信を持って闘いに望もうと訴えました。
CCRのジンジャー・バーバラ氏はアメリカの中東政策を歴史的観点からとらえた発言を行い、発言の最後に、ニューヨーク・タイムズにイラク戦争反対の意見広告を載せようという提案を行いました。この提案は満場の拍手で受け止められ、あるロースクールの学生の発言を皮切りに、自然発生的に意見広告のための寄付が会場で行われるようになり、また、会場からの発言の中で、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのみならず、ロサンゼルス・タイムズやUSAトゥデイなどの新聞、さらにはテレビのCMでも意見広告を行おうではないかという、より積極的な提案もなされました。
このように、オープニングは、アメリカのイラク戦争に反対し、アメリカ憲法を守り抜く決意に満ちた意気盛んな集会でした。(次々号に続く)
東京支部 松 島 暁
一 本年九月、アメリカ合衆国国家安全保障戦略(NSS)、通称「ブッシュ戦略」が発表された。
「二〇世紀における自由と全体主義の壮絶な戦いは、自由の力による決定的な勝利によって終わった」という言葉で始まるブッシュ戦略は、その善し悪しは別として、二一世紀における「世界憲法」、今世紀の「五箇条の御誓文」ともいうべき性格を有し、ここ当分の間は、世界の国と人々の思想・行動・生活を直接・間接に規定するという意味においてきわめて重要な文書といえる。
団総会においてその仮訳が配布されたが、すべての団員がこのブッシュ戦略に目を通し、批判的検討を加えることを訴えたい。アメリカという国が何を考えているのか、アメリカの支配層が何を行おうとしているのか、アメリカのエリート達の支配意思を知ることは、「この国」の現在と未来を憂える者にとっての「使命」であり「責務」だと考える。
二 「ブッシュ戦略」は、米エリート達の世界に対する支配意思をあからさまに表明したものとして歴史的意義を有する。
これほど露骨に、全世界の支配者となることを表明した文書を私は知らない。我々が何もせず手をこまねいていれば、「ブッシュ戦略」は名実ともに「世界憲法」「二一世紀版五箇条の御誓文」となる危険性が高い。
その信奉する「自由・民主主義・開かれた市場」という彼らの価値体系を世界の隅々にまで徹底すること、これらの価値観や経済体制に刃向かうものは許さない、この体制を圧倒的な軍事力で確保する、この価値秩序・経済体制の破壊者=テロリストに対しては先制的に粉砕する。
本稿は、「自由」「民主主義」「自由な市場」「安全」「平和」「義務」「責務」「使命」等々の煌びやかな言葉をちりばめながら展開される「ブッシュ戦略」の若干の検討を試みるとともに、アフガンーイラクー東アジア(朝鮮半島・台湾海峡)と続く戦争の危機を何とか回避するため、アメリカの戦略の何が戦争を引き起こすかを探ろうとするものである。
三 「ブッシュ戦略」の第一の特徴は、その価値観の絶対化である。
「これら自由のもたらす価値は、すべての人々にとっても、いかなる社会においても、正当かつ真実のものであり、これらの価値を敵から守ることは、自由を支持する人々にとっての普遍的な義務であり使命である」(序章)という。
自由の価値が、何人を問わず、あらゆる時代を通じた普遍的価値、道徳律にまで高められてしまっている。自由の価値が何物にも代え難い価値なのか、自由ほど野蛮なものはないのではないかと考える者にとって、これほど高飛車で幼稚な議論はない。少なくとも、自由以外の諸価値との衝突や調整という観点は全くない(タイバーツを売り浴びせ、タイの民衆に貧困と困窮をもたらす「自由」は国際金融資本にはないという観点は完全に欠落している)し、自由を批判する者の自由すら認めない(正確には、アメリカの認めるルールの中での批判の自由しか認めない)。
この価値の絶対化が、他国への侵略・介入の口実として現実には機能することである。「正邪に関する発言は、幾分外交の道を踏み外すことになりはしないか、非礼ではないかと心配する者もいる。私はその考えに賛同しない。異なる状況は、異なる方法を要求するが、異なる道徳律を求めるものではない」(二章)との記述の意味は大きい。
多様な歴史、多様な文明、そこには固有の生き方があるということ、そしてこのことに対する最小限の敬意を払うことによって人類は共存の道を歩んできた。「正邪に関」し発言を行うに際して、人々は相手の歴史や文化を尊重し謙抑的であったはずである。ところがブッシュは、多様な文明の共存を認めず、独自の価値観に基づく国家形成を「野蛮」と決めつける。固有の文化に対する「礼」や、たとえ人工的なものであるにせよ現に存在する国家の主権は主権として尊重するというのが、長年の経験に基づく教訓であった。ところがブッシュはこの最低限のルールに公然と挑戦している。
四 第二の特徴は、軍事攻撃、しかも先制的軍事行動を公言してはばからない点である。
絶対的平和主義の立場からは、紛争の軍事的解決は当然に許されない。確かに紛争解決の為に軍事的手段を用いることも場合によっては必要だと考える人も多く存在するであろう。しかし、軍事的な解決がやむをえないと考える場合であっても他に取りうる手段がなくなった場合の最終の解決手段だと考えるのが我々の常識である。
ところが「ブッシュ戦略」はそうではない。そこには武力による解決は「最後の最後、やむをえない手段」だという道徳的歯止めは存在しない。軍事的解決は紛争を解決するための「一つの選択肢」だと「合理的」に位置付けている。だからこそ先制攻撃も当然に認められると言い張るのである。九・一一を回避するには、危険が差し迫る以前に敵を叩くのが「合理的」なのである。テロルの芽を除去すること、テロの危険を双葉のうちからつみ取るほうが「合理的」なのである。「脅威が我が国の国境に達する前にこれを確認・破壊することにより、合衆国、米国民及び国内外の利益を保護する・・・・必要があれば、単独行動をためらわず、先制的に自衛権を行使する」(三章)、「合衆国は、我が国の安全保障への脅威に対抗するために、先制攻撃の正当性を主張してきた・・・・たとえ敵の攻撃の時間や場所において不確実性が残ろうとも・・・・敵対行動の機先を制し(これを)阻止するために、合衆国は、もし必要ならば、先制して行動する(先制攻撃を行う)」(五章)という先制攻撃に関する記述は、米支配層の「合理的」選択を行う旨の表明である。
我々一般の日本人の軍事観とブッシュのそれは根本的・質的に異なっていることを知るべきであろう。
五 「ブッシュ戦略」の第三の特徴は、単に軍事戦略にとどまらない点にある。軍事、政治、経済さらには文明までも含む、包括的「平和」拡張戦略だということである。
「自由貿易」は単なる経済原則ではない、「道徳的原則(道徳律)」だと主張する(六章)。「我々は、テロリストや専制君主と戦うことにより、平和を守り抜く。我々は、大国間における友好関係を築くことにより、平和を維持する。我々は、すべての大陸における自由と開かれた社会を激励することにより、平和を拡張する」(序章)という「ブッシュ戦略」は、軍事と政治、政治と経済、経済と軍事が不可分の一体化をなしており、その時々の状況に応じ政策・戦術は「合理的」に選択されるであろう。
六 「ブッシュ戦略」の骨子は、既に、二年前に発表されたコンドリーザ・ライス(現安全保障担当補佐官)の「国益に基づく国際主義を模索せよ」(FOREIGN AFFAIRS 2000.1/2)によって予言されていた。
・共和党の国際主義は、幻想にすぎない国際社会の利益ではなく、国益という確固たる基盤から導かれる。
・多国間協定や国際機関の支援そのものを目的としてはならない。クリントン政権は多国間協調型問題解決に走り、アメリカの国益に反する京都議定書に調印した。
・自由貿易と安定的国際通貨システムを支持する全ての国にこれを広め、経済成長と政治的開放を促進する。
・アメリカの価値を共有し、平和・繁栄・自由を育むための責任を分担できる同盟国と、強固で緊密な関係を新たに構築する
・アメリカと中核的価値を共有する国々と協調しつつ権力を行使し国益を模索すれば、世界はより繁栄し、平和で民主的になる。これがアメリカに課せられた役割であり責務である。
等々である。この共和党の外交戦略を「ユニラテラリズム=単独行動主義」という場合がある。しかし、わたしは「単独行動主義」という概念によっては、つかまえきれない凄まじさを「ブッシュ戦略」は含んでいると思う。単独行動主義+軍事主義+覇権主義をあわせた中味だと思う。その意味では使い古された概念ではあるが「アメリカ帝国主義」という言い方にまさるものはないような気がする。
七 以上、「ブッシュ戦略」をざっと読んでみての、私のおおまかな感想である。ぜひ多くの団員が、「ブッシュ戦略」に直接あたり、その批判的検討を試みていただきたい。軍事的にも、政治的にも、経済的にも、そして思想的にもこの戦略は我々の暮らしや日常生活をも規定することになるであろう。現に、その兆候は顕在化してきている。
東京支部 中 西 一 裕
北朝鮮が拉致の事実を公式に認めたことは、それまで濃厚な疑惑として語られていたとはいえ大変衝撃的なことであり、大韓航空機撃墜事件や不審船問題、テポドン発射事件等に続き、あらためて北朝鮮国家の異様さを強く印象づけた。
その後、拉致被害者五名の帰国が実現したのは全く感動的なことであり、国家が公式に拉致犯罪を認めて謝罪した以上当然のことであるとはいえ、長年にわたり粘り強い運動を続け、政府と世論を動かした被害者家族の皆さんには頭が下がる思いである。
ところが、団通信一〇七四号の守川団員と山本団員の投稿は、「五人を北朝鮮に戻す期限の約束を破った」として政府を非難し、「国交を正常化しようというのだから、交渉にも信義を大事にする態度が不可欠だ」と論じている。全く賛成できない主張である。
もし自分が拉致被害者の家族ならどうするだろうか? 国家の犯罪行為によって二〇数年間拉致されていた子や兄弟をようやく帰国させることができたのに、「国家の約束だから」と言われて、はいそうですかとまた被害者を加害国家に手渡すことに同意するだろうか?仮に被害者本人が帰国したいと言っても、思い止まるよう必死で説得しないだろうか?相手は人道主義や人権、自由という概念の通用しない独裁国家である。いったん戻してまた日本に帰れる保証はどこにもない(「本人と家族の意思」を口実に帰国させないことは十分考えられる)。統一協会やかつてのオウム真理教から家族を取り戻す運動を想起すれば、被害者家族らの要求は当然のものと思われる。
現在の状態は、拉致被害者家族らの被害者本人への説得が功を奏して被害者本人も永住帰国を意思表明し、世論の圧倒的支持の下に、日本政府も被害者本人をいったん北朝鮮に戻す方針を転換したということであろう。問題が人身の自由という最も基本的な人権にかかわるものである以上、「国家間の約束」や国交正常化交渉における「信義」に優先することは明らかではなかろうか。
確かに、北朝鮮に残した家族や子らのことは問題として残る。特に、子らは親が日本から拉致されたとは知らず、北朝鮮国民として成長しているから、子らには日本で親と暮らすか北朝鮮に残るか選択させるべきだろう。しかし、だからといって被害者らが北朝鮮に戻って「家族と相談して将来を決める」などというのは、およそ非現実的な議論である。長年被害者らを監視状態に置いてきた北朝鮮国家の影響力の下で、自由な意思決定ができるわけがないからだ。したがって、被害者の子らをいったん来日させ、その上で彼らに自由な意思決定をさせるという被害者家族らの主張は極めて原則的で筋の通ったものであり、かつ、戦術的にも十分によく考えられたものであると思う。(一一月一二日)
東京支部 萩 尾 健 太
今国会提出中の大学改革・法曹養成制度改革関連四法案(法科大学院連携法案、学校教育法改定案、司法試験法改定案、裁判所法改定案)は極めて危険な内容となっている。
以下、その重点を報告し批判する。
1 法科大学院連携法案について
第二条(法曹養成の基本理念)で「法曹の養成は、国の規制の撤廃または緩和の一層の進展その他の内外の社会経済情勢の変化に伴い、司法の果たすべき役割がより重要なものとな」ったために、法科大学院を設置して行うと規定されている。
この表現には見覚えがある。司法制度改革推進法一条である。
【法案第一条(目的)】
「この法律は、国の規制の撤廃又は緩和の一層の進展その他の内外の社会経済情勢の 変化に伴い、司法の果たすべき役割がより重要になることにかんがみ、平成一三年六月一二日に内閣に述べられた司法制度審議会の意見の趣旨にのっとって行われる司法制度の改革と基盤の整備(以下「司法制度改革」という。)について、その基本的な理念及び方針、国の責務その他基本となる事項を定めるとともに、司法制度改革推進本部を設置すること等により、これを総合的かつ集中的に推進することを目的とする。」
それに対し、我が自由法曹団は、以下のように述べてこの規定の抜本的な転換を要求する修正意見を出した。
(理由)
司法制度改革は、憲法の保障する国民の基本的人権を擁護するという本来の司法の役割が、現在の官僚司法制度の下で十分に果たされていないことがその出発点であり、それを抜本的に改革し、国民の基本的人権の擁護に資する司法制度へと改革することが目的である。
司法制度改革審議会設置法における参議院の付帯決議は「国民のより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹一元、法曹の質及び量の拡充等の基本的施策を調査審議するにあたっては、基本的人権の保障、法の支配という憲法の理念の実現に留意すること。」としている。また、その審議の際、陣内孝雄法務大臣(当時)も「司法制度の改革は、単に規制緩和などを推進していくために必要であるという観点からだけ行われるものではなく、これからの社会において司法制度の利用者としての国民にとって、身近で利用しやすくわかりやすい司法制度を実現するという観点から検討されなければならない。」と答弁している。したがって、司法制度改革は規制緩和に資するためのものではなく、国民の基本的人権を擁護するためのものであることが、その目的において明らかにされなければならない。この点で、法案の第一条(目的)が、司法制度改革を規制緩和路線の一環として位置付けている点は到底容認することはできない。
この見地からすれば、法科大学院連携法案についても、当然、その二条の規定の転換、削除を求めなければならない。
法科大学院連系法案四条は、第四条(大学の責務)で以下のように規定する。
「大学は、法曹養成の基本理念に則り、法科大学院における教育の充実に自主的かつ積極的に努めるものとする」
この規定も、司法制度改革推進法四条とウリ二つである。
【法案第四条(日本弁護士連合会の責務)】
日本弁護士連合会は、弁護士の使命及び職務の重要性にかんがみ、第二条に定める基本理念にのっとって、司法制度改革の実現のため必要な取組みを行うように努めるものする。
これに対して、我が自由法曹団は、次のように批判している。
【修正案】
法案四条を削除する。
(理由)
日弁連は、在野の弁護士の強制加入団体であり、国民の人権擁護のために自治権を保障された団体である。したがって、日弁連には行政府の進める施策に拘束されることなく、常に独立した自由な意見表明の権利が保障されていなければならない。よって、日弁連に対する責務条項を設けることには反対である。
加えて、先に指摘したように、法案の目的には司法制度改革を規制緩和路線の一環として位置付ける等という重大な問題点がある。仮に日弁連の責務条項を設けるとしても、このような目的や基本理念を前述のように修正することが大前提である。また、日弁連の責務条項について、審議会の最終意見を所与の前提として無条件にその実現に努力する責務を課したものとすることは到底許されない。
この批判は、憲法上自治が保障されていることに争いのない大学の場合、一層当てはまるのである。すなわち、大学は、学術の中心であり、学問の戦争協力の痛苦の反省に立って学問の自由確保のために自治権を保障された団体である。したがって、大学には行政府の進める施策に拘束されることなく、常に独立した自由な学問教育研究の権利が保障されていなければならない。よって、大学に対する責務条項を設けることには反対である。
加えて、先に指摘したように、法曹養成の理念には司法制度改革を規制緩和路線の一環として位置付ける等という重大な問題点がある。仮に大学の責務条項を設けるとしても、このような基本理念を前述のように修正することが大前提である。また、大学の責務条項について、推進本部検討会や中教審の意見を所与の前提として無条件にその実現に努力する責務を課したものとすることは到底許されない。
しかも、司法制度改革推進法と異なり、法科大学院においては、この責務は単なる建前では無いことが重大である。
第五条(法科大学院の適格認定等)1項で、「法科大学院評価基準の内容が法曹養成の基本理念を踏まえたものとなるように意を用いなければならない」と規定し、同2項で、「認証評価機関は、当該法科大学院の教育研究活動の状況が法科大学院評価基準に適合しているか否かの認定をしなければならない」、同3項で「大学は、・・・法科大学院設置基準に適合している旨の認証評価の認定を受けるよう、その教育研究水準の向上に努めなければならない」としているのである。
さらに、その驚くべき大学自治破壊の実態は、学校教育法改定案と照らしたとき、一層明らかとなる。(以下、次号につづく)