<<目次へ 団通信1077号(12月11日)
内田 信也 | 国鉄闘争の新情況 東京高裁 全動労採用差別事件で初めて「JRの使用者性」を認める!…でも「不当労働行為はなかった」!? |
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杉本 朗 | 植木敬夫遺稿集〜権力犯罪に抗して〜を読んで | |
廣田 次男 | じん肺勝利記念碑についてー五〇〇〇万円の使い方ー | |
菅野 昭夫 | 二〇〇二年NLG総会報告(2) | |
石川 元也 | 「選択制」こそ裁判員制度の生命線 | |
鈴木 宣幸 | 佐井孝和先生を悼む | |
木村 晋介 | 吉田健一氏の論稿について反論する |
北海道支部 内 田 信 也
一〇月二四日午後三時、東京高等裁判所一〇一号法廷 全動労採用差別事件控訴審判決(以下「村上判決」という)。
1.いつものように、裁判長が判決主文を言い放って、サッといなくなるのかと思いきや、村上裁判長が突然、「判決主文の前に、理由の要旨を述べます」と言い出し予想外の展開に一同ザワザワ…。
まずは、一五年間われわれが苦労に苦労を重ねてきた「JRの使用者性」について。一瞬わが耳を疑ったが、判決は「設立委員、ひいてはJRが雇用契約の一方当事者であり、労働組合法七条のいわゆる『使用者』であることはいうまでもない。採用手続の過程において不当労働行為があったときは、JRは、当該不当労働行為に積極的に関与したか否かにかかわらず、不当労働行為責任を免れない。」と実に明確にJRの「使用者性」を認めたのである(やったぜ!でも、正直いって驚いた)。JRはこの一五年間一貫して「改革法によって、国鉄が行なった不当労働行為の責任を新会社が負うことはない。」という「JR無責任論」を展開し、地方労働委員会の審問にも欠席し、東京地裁での審理でも、「事実調は必要ない。法律論だけで決着をつけるべきだ」と大見得を切っていたのであるから、JR側代理人の顔が一瞬曇った。
2.次に、差別の有無について。この点については、一五年間の立証の積み重ねで絶対の自信があった。判決も「全動労は、国鉄分割民営化に強固に反対していたため、その立場からの一連の行動が相当程度重きを持って考慮されたことは否定しがたく、その結果、全動労組合員が相対的に劣位に評価され、採用比率の顕著な差に現れたというほかない」と、分割民営化に反対した全動労に所属していたから差別されたことを認めたのである。
3.そうなると、次は「したがって」とくるぞ!と色めき立ったが、非情にも判決は「しかしながら」と続いた。
判決は「国鉄分割民営化は、国是であり、厳しい状況の中で再建を目指そうとするとき、分割民営化の意義を理解し、新たに民間企業として再出発する新会社に柔軟に溶け込み、規律にも従順でその生産性や効率性を高められる人材を選別したのは当然のことである。全動労のように、分割民営化に反対するような全動労組合員は、職場の秩序や規律を乱し、再建の妨げになるといわざるを得ない。
このような人間は、たとえ業務知識・技能・経験・実績等の面においては遜色がなくても、賛成しているものと比較して差別されても当然である。したがって、全動労の組合員の採用が少なくなったとしても、それは不当労働行為などではない」と言って、控訴棄却したのであった。国鉄がおこなった不当労働行為については、一五年間にわたってJR側も積極的に反論せず、反証もしなかったため、訴訟の争点にはなっていなかったのであるから、一同唖然!
4.「国是」とはまた古風な言い回しだが、国鉄分割民営化は国論を二分する大問題ではあったが「国是」なんかでは断じてない。これは、「企業の経営方針に反対する労働者・労働組合を排除したい」という企業の本音を裁判所が代弁したようなもので、これが許されれば、全国で吹き荒れる会社分割・営業譲渡などでのリストラ・人減らしの場合、会社に楯突いていた人は全て排除されることになる。
裁判所がここまで言うとは…驚きを通り越して、背筋が寒くなる。もはや、採用差別事件は一〇四七人の国鉄労働者だけの問題ではないことが誰の目にも明らかになったのである。
5.当然、一一月七日に、中労委とともに上告・上告受理申立をした。国鉄採用差別事件については、未だ、解決への道筋が見えていないが、村上判決が裁判所として初めて「JRの使用者性」を認めたことは、解決へ向けて大きな意味を持つと思われる。そもそも採用差別事件は、JRの不当労働行為責任を認めさせ、政府の責任で解決させるのが本筋である。国労採用差別事件が先に最高裁に係属しているが、そこへ全動労事件が加わったことにより、最高裁としては法律論を統一する必要がでてきた。すなわち、分割民営化一五年目にして初めて、国労と全動労が団結して、最高裁対策を考えなければならない情況になったのである。ここまで来て、負けるわけにはいかない。団において国鉄問題が取り上げられなくなって久しいが、村上判決がでた今、この問題の正しい解決のために、団の英知を結集するべく、もう一度議論を起こす必要がある。
神奈川支部 杉 本 朗
一一月の初旬、東京高裁で裁判があった後、いつものように弁護士会館地下の本屋に立ち寄った。東京地高裁に用があるときは大抵そのあと、何か新しい本が出ていないか弁護士会館地下に行くのが習い性なのである。
店内に入ってすぐの平積みのところに、「自由法曹団物語・世紀をこえて」の上下がおいてあった。おお、平積みになってるじゃん、と思い、ちょっと手に取って、ぱらぱらとめくって、また下に置いた。どうせあとで事務所か支部で買わされるのだから何も今ここで買う必要はないからである。
団物語を置いて、ふと視線をあげると、平積みスペースの上の棚に「植木敬夫遺稿集・権力犯罪に抗して」という本が置いてあるのが目に留まった。編集が東京合同法律事務所なので、亡くなった東京合同の弁護士の遺稿集なんだろうなぁ、と思って手に取った。
ここで正直に告白するが、私は団の先達に関してほとんど無知・無縁である。大学では公害論を扱っている教授の研究室にいた関係で、公害問題に携わっていた団員の名前は知っているけれど、それ以外はほとんど知らない。私と研修所同期の奴は、上田誠吉の「誤った裁判」を読んで感動して弁護士になろうと思い、今では事務局次長までやっているが、私にそういった経験はない。多分、植木敬夫を知らないなんて、と眉を顰める団員も多いだろうし、眉を顰めるどころか大声で罵倒されるくらいのことかもしれないが、私のレベルはそんなもんである。
さて、手にした植木敬夫遺稿集であるが、とりあえずあとがきを読んで、そういう人なのかぁ、と思い、さらにあとがきの前に載っている、「私の昭和史」というインタビュー記事を斜め読みして、ユニークで面白そうな人だなぁと感じて、とりあえずこの本を買うことにした。あとで、東京合同に頼めば定価より安く買えるということを知ったが、特に後悔はしていない。
遺稿集とあるけれども、論文として独自に発表されたものは少ない。おそらくは、具体的な事件を離れて抽象的な論文を書くということに、あまり興味を持たなかった人なのだろう。中心を占めるのは、松川事件、青梅事件、辰野事件、砂川事件、東京都公安条例事件と彼が関与した事件での準備書面・弁論である(しかし、よくもまぁ、こんなに大事件と取り組んだものだと思う)。これらの書面を読んで感じたのは、とにかく一つ一つ、事実に即して、議論を積み重ねていくその力強さである。少なくとも数人くらいはうなずいてくれる団員がいると思うが、書面を書いていて、うまく論理がつながらず、面倒になって、「…であることは明らかである」と何の根拠もなく書いてしまうことがある。しかし、ここにはそういった手抜きは一切ない。たとえば、青梅事件の最高裁での弁論『客観的状況と自白における犯行内容との矛盾・貨車は最初から四輛連結のまま流れた』『検察官答弁書に対する反論』では、物として確実にある証拠と、物理法則から、貨車を二両ずつ別々に押し出したとする検察官主張があり得ないものであることを論証しきっている。物に即するということで、ふと、国労横浜人活事件で坂本堤が、証拠となったカセットテープの裏面に助役達の謀議が録音されていることを発見したことを思い出した。証拠物と物理法則で追いつめるのは、辰野事件を振り返って書かれた『デッチあげ事件の裁判闘争における方法について』でも同じであり、検察官が主張するような形での火炎瓶発火は起きえないことを、証拠物と論理に基づいて明らかにしたことが語られている。これらの叙述は小気味よいくらいなのであるが、そこにまで到達するために費やされた努力は、私のような軟弱者には想像もつかないものである。
こうした彼の厳しさは、刑事弁護人としての姿勢の問題についても同じである。田中角栄裁判についての論稿『田中裁判におけるコーチャン、クラッター証人尋問調書の地位』では、控訴審から田中弁護団に加わった「われわれの身近にいると思われていた者」に対し、「私は彼らに問いたい。君たちは、田中の弁護を引受けたとき、なんらかの成算があったのか、と。」「もし君たちに成算があるのなら、君たちはなぜそれを一言もいおうとしないのか。」と厳しく彼は問い詰める。私などは、そこに事件があるから、とか、挑戦欲をそそられたから、ということで納得してしまうのであるが、彼は、そんな格好いい答えは「人にはいえない動機を隠蔽するための単なる煙幕にすぎないように、私には思えるがどうであろうか。」と、一歩も追及の手を緩めないのである。
私にとって彼ははるか仰ぎ見るしかない存在であるが、それでも高みがどこにあるのかを知っていることは、いずれ何らかの役に立つかもしれないと自分をなぐさめている。高みがどこにあるのかを知っていることで、努力の嫌いな私でも少しは努力をするかもしれないからである。
ところで、弁護士会地下では一度手に取って戻してしまった「自由法曹団物語・世紀をこえて」上下は、その後、団本部を通じて購入し、ちゃんと読了したので、編集委員会のみなさま、ご安心を。
(おまけ)
今さっき届いた団通信一〇七五号に、柿沼前事務局次長の退任挨拶が載っていたが、私は声を大にして言いたい。O先生こと岡田尚団員を甘やかしてはいけない。本来の締切などとっくにすぎ、担当編集委員の督促などものともせず、篠原幹事長(当時)から直々に催促の電話・ファックスを受けても動じることなく、篠原幹事長から「もっとこわい人から督促が行きますよ」という前振りの後、編集委員会事務局長船尾徹団員の督促まで受けて、もはや団総会までの出版が危ぶまれる状態ぎりぎりの入稿が真実だったことを世間に知ろしめすべきである。団総会に新しい団物語が出ていましたよ、という私の話を聞いて、いやぁ間に合わないかと思ったよ、と明るく笑う岡田が、大変な心理的負担など感じるわけがないではないか。
福島支部 廣 田 次 男
じん肺訴訟の勝利が相次いでいます。勝利記念碑の設立について幾つかの問い合わせもありましたので、常磐じん肺の例を紹介し、参考にしていただければ幸いです。
五〇〇〇万円はパーッと使う
常磐じん肺訴訟は、一九八五年に第一陣一次訴訟提起以来、一九九六年三月に第三陣訴訟が勝利和解により終結するまで提訴準備期間も含めると一三年に及ぶ斗いであった。
二陣原告勝利により設立されていた「常磐じん肺基金」は、最終勝利時には金五〇〇〇万円に達した。
この使途につき基金理事会は、度々会議を重ねたが名案はなく、結論には至らなかった。しかし「チミチミは使わない。パーッと使おう」という点では全員一致であった。基金理事長は「訴訟を支援する会」の会長であったK医師であった。
K医師は、提訴後間もない時期に旧社会党を中心とする「訴訟支援連絡会」が正に絵に描いたような裏切りの中で崩壊した後、「支援する会」を支えてきた人望ある理事長であった。
K医師は「この金を使い切らないうちに死ぬような事になると、心残りで仕方ない」と強調した(K医師は最後から二番目の海軍兵学校入学者であり、私が弁護士になって以来、平和運動その他を共にしてきた愛飲家であった。ある時、酒に酔って「俺が死んだら広田は五〇〇〇万円を何に使うか分からない。だから俺の目の黒いうちに使い切る」とも言っていた)。
一揆は碑と歌を残す
常磐炭礦は、かって、いわき市を中心とする一帯に絶大な権勢を振るい、じん肺訴訟提訴時にも、その権威は隠然として揺るがぬものがあった。だから炭鉱夫が「常磐」を訴えるなど正に「お上に弓を引く行為」にほかならなかった。
常磐地方最大の百姓一揆は元文年間に発生し、その様子は民謡の一部として伝えられ、その中心地には記念碑も建てられている「あれをやろう」という結論になった。
一等賞金百万円
いわき市石炭・化石館は、いわき市に於る観光スポットの一つである。
炭礦の様子を伝える様々な工夫が凝らされた設備で、市内めぐりの観光バスは必ず立ち寄り、四季を問わず賑わっている。
その一隅に常磐炭礦が中心となって建立した炭礦殉職者慰霊碑がある。高さ四メートル位のどこにでもある石碑である。そこで市長に対し、石炭・化石館の一角に全ての炭礦労働者慰霊碑を建てたい旨の申入れをなし、市長はこれを了承した(市長としては、「同じような碑がもう一つできる」程度に考えていたと推測される)。
基金は「ヤマの男たちのモニュメント建設実行委員会」を設立し、モニュメントのアイデア・デザインを全国から募集する事とし、その審査委員長に彫刻界の最長老である佐藤忠良先生に就任していただき、一等賞金を金百万円とした。そして、この事をマスコミが報道し、公募ガイド等が掲載した。佐藤先生の権威および一等賞金の効果もあったのか、応募は日本全国・海外からもあって総数四九八点にも及んだ。
赤子の手足を切り、青空に蓋
四九八点の中から審査委員会が選んだのは、東京の彫刻家青野正氏の作品「山の礎」であった。台座まで入れるとその高さは八メートルになった。実行委は市長に面会を求め「山の礎」の設計概略を提出して建設を開始する旨の申入れをなしたところ、市長は「今ある常磐炭礦の碑とのバランスもある。高さを半分に・・。」との回答であった。
実行委は、芸術作品を半分に切れというのは、「赤子の手足を切り縮める」に等しくその高さが常磐炭礦の作った碑を越えてはならないというのは「青空に蓋をする」に等しいと、強烈な抗議声明を出して、予定通り「山の礎」を製作する事とし直ちに青野氏に手付金を支払った。
横倒しのモニュメントこそ意味がある
実行委は青野氏には予定通りの製作を依頼する一方、市内の空地を物色し、借り上げた。
約一年ほどして完成したモニュメントを東京の青野氏のアトリエから市内の借地に運び込み、一旦組み立てて、その前でじん肺訴訟原告および支援者らを中心に二〇〇名程の集会を行った。
集会議事終了後、モニュメントは解体し、借地に「横倒し」にした(「山の礎」は耐性鉄鋼により作られており、腐る心配はなく、また四つのパーツに分かれており「横倒し」にしても再度の組み立てが可能であった)。そして「横倒し」になったモニュメントこそ、市長の芸術への権力的介入と市民運動敵視の前近代性を末代まで語り継ぐモニュメントに外ならないとの抗議声明を市長に手渡した。一方、聞こえよがしに「その方(横倒しのまま)が、かえってモニュメントとしての意義は大きいかもしれない」とうそぶいた。
密使
以上の経過の節々で実行委は記者会見をし、新聞・テレビは「面白、可笑しく」事の経過を報道した。
その後、私の事務所を営業時間外に市長の使者が密かに訪れ、妥協案を次々と提案してきた。実行委は、妥協を許さず結局「山の礎」は、いわき市石炭・化石館の一角に建立され、実行委は、華々しく除幕式を行った。地元のマスコミは経過を纏めた特集記事を組んだ。
誤算
実行委はモニュメントと併行して「歌」の製作も進めた。当初、地元出身で某国の国立楽団の常任指揮者となっている指揮者に製作を依頼したところ「楽団の維持には大変な経費がかかる。日本企業からも援助を貰っているので、反企業的な集団への協力はできない」との回答であり「俺たちは反企業的な集団なのか」との感慨を新たにした。
そこで仙台市在住の作曲家・作詞家に依頼して、全七楽章からなるカンタータ「魂の坑道は果てしなく」を完成させ、いわき市・仙台市の両市で行った公演は大成功に終わった。
これで五〇〇〇万円は全て使い切るはずであった。ところが誤算があった。「魂の坑道は・・」はマスコミにも取り上げられ公演はほぼ全席完売であったため、その入場料収入等が数百万円残ってしまった。
見届け
そこで基金は、本年四月に新築された、小名浜生協病院の玄関前広場に設置するモニュメントを、再度、青野正氏に製作を依頼した。殆どの患者原告は小名浜生協病院が主治医であり、また第二陣提訴以来、常磐炭礦のお膝元である常磐湯本地区の真ン中で頑張ってきた「じん肺事務所」も同病院内に移転される事が決まっていたからである。
本年四月「山の礎」とモチーフを同じくした「星宿り」が完成し、その支払いも完了し「じん肺事務所」も移転を完了したのは、今年の初夏だった。五〇〇〇万円は見事に使い切った。
全てを見届けてK医師は、昨夜息を引き取った。合掌。
北陸支部 菅 野 昭 夫
メジャーパネル
一〇月一八日に開かれた「テロとの戦争、悪の枢軸とアメリカ帝国の追求」というテーマのメジャーパネルも内容の濃いものでした。
聴衆の数は約一〇〇人。最初に四人のパネリストがそれぞれ発言を行い、次に聴衆も参加した質問と応答の時間がもたれました。
最初のパネリストはワシントンにあるシンクタンクの研究員であり、NLGのメンバーである女性弁護士フィリス・ベニスさんです。彼女は、アメリカは国連がどう言おうともイラクを攻撃するという方針を採りながら、出来るだけ国際的な支援を組織すべく国連を最大限利用しようとしていることや、イラク攻撃についてブッシュ政権及びペンタゴン内部に在る矛盾を詳細に報告しました。
また、中南米問題を専門とするビル・モーニング教授は、コロンビアにおける国家的テロ、特に労働運動指導者や活動家や、政治の浄化を求める人々が悉く虐殺されており、アメリカはそうした暴力的事態を容認し、支持している実態を暴露する興味深い報告を行いました。
同教授によると、こうした暴力に対する反撃の一つとして、民衆の闘いは法廷闘争の形をとって現在も継続しているとのことです。それは、米国の法律によって、外国人が米国民または米国に在籍する団体によって権利を侵害された場合、その権利侵害が外国で行われたとしても、被害者は米国の連邦裁判所に不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起できることになっているからです。最近でもコカ・コーラ社のコロンビアにおける法人が、民兵組織を支援したということで、民兵組織の暴力によって虐殺された被害者の家族が連邦裁判所に対してコカ・コーラ社を被告とする損害賠償請求訴訟を起こしたとのことです。
三番目の発言者は、カリフォルニア州立大学サクラメント校の社会学の教授であるアヤール・アル・カザール氏でした。
彼は、何故今ブッシュ政権がイラクを攻撃しようとしているのか、また何故それに反対しなければならないのかについて述べました。
ブッシュ政権がイラクを攻撃しようとしている理由は次の各点にあると、彼は考えています。
第一に、中東に存在する石油に対する系統的なアクセスを維持すること。言うまでもなく中東は石油の七〇%、天然ガスの五〇%を資源として保有しています。中東の中でも、サウジアラビアの資源は次第に枯渇していますが、イランとイラクにはますます有力な油田があります。
第二に、この地域における軍事的.経済的スーパーパワー.軍産複合体を形成することにあります。ご存じのように、サダム・フセインは米国によって育成されてきました。イラクは米国から多大な援助を受けてきたのです。しかし湾岸戦争が勃発して、米国は一九九〇年にサウジアラビアに恒常的な基地を手に入れました。中東における米軍の基地の維持と軍備には、世界のどの国の基地に対するよりも多額の財政支出が行われています。サダム・フセインこそは、実は、米国民に多額の軍事的な支出を強いるための最大の言い訳になっているのです。米国の軍産複合体にとって、今回のテロに対する戦争によって多額の軍事支出を維持することが可能になったといえます。
第三に、イラクをつぶすことによって、米国が長年頭を悩ませてきた中東パレスチナ問題はその様相を大きく変化させることになるでしょう。
第四に、イラクが石油の流通とりわけヨーロッパ諸国に対する流通において、米国に反旗をひるがえす国であることも攻撃の理由となっています。
第五に、イラクは、中東においてイスラエルに次ぐ軍事大国であり、その軍事力を壊滅させることは、この地域におけるアメリカの軍事的支配をより強固なものにするということも、イラク攻撃の理由です。
第六に、イラクへの攻撃は、シリアやイランに対する明確な警告になるということです。すなわち、「米国の言うことを聞かなければ、お前達の国も同様な憂き目にあうぞ。」という明確な警告です。
第七に、イラクを攻撃することによって、保守政権の支持率が向上することも理由に挙げられます。
最後に、一度はイラクにおける支配を失った米国の石油資本が、再びイラクにおいて繁栄を享受できるということが挙げられます。
そして、彼は、以下のような理由で、この戦争に断固反対すると述べました。
第一に、軍事的攻撃自体が、民主主義に反するものだからです。
第二に、軍事的攻撃は国際法に違反しています。
第三に、この戦争によってイラクがバラバラに解体されてしまう恐れがあるからです。
第四に、大虐殺が行われることが間違いないからです。
第五に、この攻撃が成功すれば、米国は世界各地で同様な攻撃を繰り返すことが予測されるからです。
第六に、攻撃がかえってテロリズムを増幅させる結果になるからです。
そして、彼は、結論として、次の二つのことを申し上げたいと語りました。
第一は、紛争はあくまでも交渉によって解決されなければならないということです。
第二に、この際、世界的な軍縮について考える必要があるということです。サダム・フセインについてばかりに軍縮を求めていても、世界各国が核兵器を持ち、軍拡を行っている現状では説得力がありません。イスラエルも、また中東のそして世界のすべての国が軍縮に取り組む必要があるのです。彼の話は、このように理路整然としたもので、正鵠を射た内容でした。
四番目に、サンディエゴにある大学の国際人権法の教授であり、NLGのメンバーでもある女性弁護士マジョーリ・コーンさんが、アフガニスタン攻撃およびイラク攻撃の国際法的観点からみた違法性について、次のように発言しました。
アフガニスタン戦争は、言うまでもなく国連憲章に違反しています。加盟国は紛争の平和的解決を義務づけられているにもかかわらずこれに違反しています。また、安全保障理事会のみが軍事力の行使を決定できるのに米国が勝手に軍事力を行使している点でも国連憲章違反です。
第二に、アフガニスタンに対する攻撃はジュネーブ条約の議定書に違反します。イラク攻撃も全く同じです。イラクに対する攻撃は、テロリズムをかえって強化し拡大するであろう点でも全く不当と言わざるを得ません。彼女の見るところでは、イラクは現時点においては、核兵器や大量破壊兵器を保有する能力を備えているとは思われないとのことです。
ジュネーブ条約の第四議定書は非戦闘員に対する攻撃を禁止したものですが、この議定書によればテロ行為は以下の五つの分類に従って定義付けられています。
第一は個人の集合体によるテロリズムです。
第二に国際的に行使される国家によるテロリズムです。
三番目は、政府がスポンサーとなっているテロリズムです。
四番目は、政府が黙認しているテロリズムです。
五番目は、移民の紛争に由来するテロリズムです。
九・一一事件は言うまでもなく第一のカテゴリーに属し、その違法性は明らかで、全く恥ずべき行為です。同時にアフガニスタンに対する爆撃は第二のカテゴリーに属します。イラク戦争も同様です。
第三番目のカテゴリーの典型例はコロンビアにおける民兵組織が行う虐殺行為であり、イスラエル支配地域における住民に対する虐殺行為もこれに属します。このカテゴリーのテロリズムは、しばしば第二の分類すなわち国家によるテロリズムに発展していきます。このことはイスラエルの例を見れば明らかです。逆に、今ハマスやヒズボラといった組織が行っている攻撃は、植民地主義に反対する人民の闘い、植民地からの解放を目指す人民の闘いはテロリズムとはみなされないと、彼女は述べました。その意味ではハマスやヒズボラのジハードは特殊なものというのです。アラファトやイスラエルは、いわゆる自爆テロを非難していますが、上記の国際法的なテロの定義からいえばこれらの非難には問題があるというのが彼女の見解でした。(この発言に対しては、会場から、あなたの見解では自爆テロは全く合法なのかという質問があり、彼女からは、そうではなくいわゆる自爆テロがもし無辜の市民を巻き込む形で行われた場合には、ジュネーブ条約議定書との関係でも違法なものと考えられる、との回答がありました。)
この後会場から、イラク戦争に反対する運動をどう組織するかなどについての発言が行われました。
なお、この会場に、団のイラク戦争反対の常任幹事会決議(英訳)を配布しました。
インターナショナル・レセプション
一〇月一八日夜に、外国代表団のためのインターナショナル・レセプションが開かれました。約一〇〇人が参加しました。
IADL(国際法律家協会)、キューバ、パレスチナ、スペイン等の挨拶が行われましたが、それ以外にコロンビア、パナマ、エルサルバドル、メキシコなどの代表の挨拶が感銘深いものでした。それらの国では、活動家が次々に虐殺され、まさに生命を賭した闘いが繰り広げられているとのことです。
団からは、私が、主として有事立法と平和憲法の危機について挨拶しました。団のみならず、強制加入団体である日弁連も有事立法に反対する行動に立ち上がっていることを報告すると、満場の拍手が返って来ました。
むすび
NLGは、アメリカの社会で左翼を公然と名乗る唯一の法律家団体であり、また、シングル・イッシューではなく、アメリカ社会の諸矛盾を総合的に取り組む点でも、アメリカ社会のさまざまな進歩的運動体の中で貴重な存在になりつつあります。一一月中間選挙で、上下両院とも共和党の圧勝に終わった背景に、民主党が、ブッシュ政権の戦争政策や社会保障の破壊、金持ち一辺倒の経済政策に殆ど反対しなかったことが指摘されています。そうした中で、NLGは、今少数者であることを恐れず、ますます、旗色を鮮明にしているとの印象を強く抱きました。NLGの課題はますます団の課題との共通性を強めており、相互の交流は、共通の課題に向けて強化されねばなりません。(完)
大阪支部 石 川 元 也
1、団総会の決議の補強のために
二〇〇二年一〇月二八日、自由法曹団総会は、「国民のための司法の実現を求める決議」を採択した。
その中で、刑事司法の分野にふれて、決議は次のように述べている。
「裁判員制度・刑事の分野では、身体拘束の是正や取調過程の可視化など『人質司法』を抜本的に改善することこそ不可欠であり、これとともに、裁判員制度における裁判員の人数比は、裁判官一名に対し九倍程度の比率とされなければならない。」と。
これには全く異論がないが、被告人の選択制を明記するよう補強意見をのべたが、それは、すでに団の意見書(二〇〇〇・九)で採用しているので、その趣旨は生かされている、文面上の修正はしない、とされた。
そこで、あらためて、なぜ選択制でなければ、裁判員制度が生かされえないか、日米の裁判の実態に即して、論証し、決議の補強をはかっておきたいと思う。
2、裁判員制度検討会の論議と日弁連・団の意見
1)検討会では、司法制度改革審意見書(〇一・六)の
? 対象事件は、法定刑の重い重大犯罪とする。
? 公訴事実に対する被告人の認否による区別は設けない。
? 被告人に辞退することを認めない。
との枠組みを動かすことは困難であり、?は法定合議事件とする。裁判員の数も裁判官三名(法定合議)に裁判員二名とするのが有力だと伝えられている。
2)日弁連の具体的制度設計要綱(〇二・七・三一)
裁判員制度の対象事件は
? 法定合議事件
? その他の事件で被告人が選択した事件とする
そして、具体的制度設計にあたっての日弁連の基本方針(〇二・八・二三)は、次の五項目に重点をおいてとりくむとしている。
ア)裁判員の数は裁判官の三倍以上とすること
イ)直接主義・口頭主義を徹底すること
ウ)評議・評決におけるルールを確立すること
エ)完全な証拠開示と十分な準備期間を確保すること
オ)身体拘束制度を抜本的に改革すること
3)自由法曹団の提言(〇二・九)
重大事件の他、全ての否認事件に導入する。
被告人の選択を認める選択制とする。
人数比(一対九)、直接主義・口頭主義の徹底、防禦権の保障、刑事司法の抜本的改革など、日弁連の制度設計をより強めるものとしている。
4)そして、いま裁判官と裁判員の人数比の問題こそ最大の重要課題だとする見解が強まっているようで、団の決議もその延長線にある。私もその重要性を認めるものであるが、そのためにも対象事件の選択制(請求制)の実現こそ重要だと訴えざるをえないのである。
3、裁判の実態に即した論議が不足していないか
1)日弁連も、「被告人の選択した事件」を対象事件にあげているので、一見大きな違いはないように見える。
しかし、日弁連は、法定合議事件については、選択制(辞退)を認めておらず、この点では、司法審と同じである。その他の事件で、被告人の選択制を提案しているが、真に、この実現をめざしているかについては、「望ましい」としており、絶対必要とまでいっていない。
2)私は、全事件について(自白事件でも)、被告人の選択制(請求制)を認めさせなければならないと思う。
司法審は、重大事件での辞退を認めない理由として、「個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入する制度であるから辞退を認めない」とし、日弁連は、「市民参加の裁判を提唱してきた日弁連としては、裁判員制度を積極的な意味をもつもの」と評価して辞退を認めないというのである。
これらでは、裁判員制度の導入によって刑事司法の改革を制度的にもはかるという観点がおちてしまっている。
3)これらの論議では、裁判の実態に対する分析を欠いていると思う。
? 対象事件として予定される数をどうみるか
法定合議事件は、司法統計によると、平成一二年の通常第一審(地裁)で、終局人員六八一九〇、法定合議四五七二(六・七%)、裁定合議七三五(一・一%)、単独六二八八三(九二・二%)となっている。
一方、全刑事における否認事件の割合は、平成一二年で総数で六・六%である。法定合議二八・六%、裁定合議四五・五%、単独四・六%となっている。
裁定合議事件の数は一・一%ではあるが、「社会的に重大な事件」として注目される事件であることはいうまでもないであろう。そしてそこでの否認の割合が四五・五%と高い数字を示していることに注目しなくてはなるまい。これら裁定合議事件の否認事件こそ、裁判員制度の審理にもっとも妥当するであろう。ところが、検討会では、これも対象事件からはずされようとしている。
全事件のうち六・六%の否認事件のうち、少なくとも半分の事件について、裁判員制度が選択されれば三・三%となり、それに量刑の点でも裁判員制度を選択するものもふくめれば四%に近くなるであろう。そうなれば、「選択制」とすると、対象事件が殆どなくなるとの批判はあたらないことになろう。
今日わが国の弁護人の多くは、争う事件では、「絶望的」といわれる刑事裁判官だけの裁判よりは裁判員制を選択するよう被告人にすすめるであろう。このことは十分に信頼してよいであろう。
? NLG元議長のピーター・アーリンダー弁護士(ウイリアム、ミッチェル・ロースクール教授)が紹介する次のような「アメリカの刑事司法の現状」が重要な参考となろう。
(表省略)
結局、全事件を通じても、陪審による裁判は三%にすぎないが、それが現に有効に機能しているのである。わが国でも、多くの弁護人が、争う事件での裁判員参加の裁判に信頼を寄せて、選択をすすめるであろうことの論拠となりえよう。
4、選択制のもとでなければ、日弁連の基本方針五項目の実現も難しいだろう
1)法定合議事件における自白と否認の割合
検討会に提出された司法統計によると、法定合議事件での自白事件は七〇%、否認事件は二八%前後とされている。
もし、日弁連や団の提案する「その他の事件の選択制」が採用されないとしたら、裁判員制のもとでの裁判の約七〇%をしめる事件は、自白事件で、量刑だけが争われることになる。
そのような事件について、前記の五項目について
〇 裁判員を三倍以上にする必要があるか
〇 証拠開示には全部応じているし、準備期間がそんなに必要とは思われない。
〇 身体拘束を解くより、早く判決すべきでないか
というような反論が予想されよう。
そうなると、圧倒的に多数の事件でのこうした運用が、争いのある事件でもっとも必要な五項目の完全実施の要求を減殺することにならないだろうか。それを憂えるものである。
2)自白事件の量刑についての裁判員の判断はどうだろうか。
各弁護士会がこれまで模擬陪審裁判の実験を重ねてきて、陪審裁判についての国民的理解を深めてきた。
しかし、量刑を中心とする事案についての国民参加の実験や論証は殆どないといってよいだろう。
もちろん、量刑についても健全な国民の判断は期待しうる場合もあろう。私自身の経験でも「介護疲れの老妻殺し」や「自殺志願の自宅放火事件」など、市民の判断の方が適正な量刑判断をしてくれるではないかと思う事件もあった。
このように、量刑を中心とする事件についても、選択制をいれる余地はあると思うが、法定合議事件の全事件にだけ裁判員制を採用(強制)することは果して妥当であろうか。
5、今からでも論議を起こそう
日弁連の要綱も決まってはいるが、その中の選択制の提案を現実のものとし、法定合議事件にも辞退を認めて、対象事件を明確にすることこそ刑事司法の改革の目標を実現するための最大の眼目であることを強調しておきたい。
沖縄支部 鈴 木 宣 幸
佐井孝和先生(大阪支部・二八期)の訃報に接し、あまりに突然のことで、言葉を失った。
私は現在沖縄において弁護士開業中であるが、もともと沖縄とは何のゆかりもなく、佐井先生が私を沖縄に連れてきた張本人である。
佐井先生は一九七六年、「沖縄は日本の矛盾の焦点」という金城睦(金城共同法律事務所代表)の言葉に動かされ、修習後沖縄での活動を決めた。以来三年間、公用地法違憲訴訟、刑特法裁判、CTSタンク建築禁止仮処分事件等、復帰まもない激動する沖縄において実質的に初めてのヤマトンチュ弁護士として極めて大きな足跡を残した。私が沖縄で弁護士活動を始めたのも、このような佐井先生の活躍される姿を見せられ(私は先生に誘われて修習時代沖縄に十日以上滞在した)、その熱い思いに打たれ、沖縄の人々の人情、自然の熱さにも圧倒されて沖縄行きを決めた(させられた?)のであった。
沖縄から大阪へと活動の場を移した以後も、先生にとって沖縄との縁が切れる事はなかった。嘉手納基地爆音訴訟が提訴され、あまりのマンモス訴訟に沖縄側が大変困っているのを見るや、大阪において有志を募って、沖縄弁護団を結成された。
以来沖縄弁護団のメンバーは爆音訴訟、基地関係訴訟、石垣白保環境関連訴訟と縦横無尽の動きを手弁当でして、沖縄の問題解決への大きな大きな力となった。
佐井先生自身も、亡くなられるまで、その一員として、最後まで沖縄問題の解決へ向けて御尽力されていた。今後ますますの活躍が期待されていただけに本当にたよりになる大黒柱を失った思いでいっぱいである。
佐井先生の仕事面での活躍とは別に、アフター5での思い出も数限りない。先生ほど酒をいつくしんだ人を知らない。私は沖縄で働き始めた頃は、先生のアパートに転がり込んで、朝から朝(文字通り)まで同居したが、そこで朝までよく泡盛を相手に飲み明かしたことを今でも鮮明に思い出す。
ピッツバーグ高校、京都大学理学部を経たという異色の経歴を武器に公私とも大いに人生を充実された佐井先生。別の世でも大いに生活を満喫され謳歌されていると思う。合掌。
東京支部 木 村 晋 介
1、カンボジアPKOと平和基本法の問題について、本誌一〇七二号に吉田団員の論稿が載った。初めての大久保賢一団員以外からの発言なので、私としては、その意味でうれしく受け止めさせて頂いた。せっかくのことなので、氏が発言の根拠としておられるPKO要員の死亡数などについてその出自をお問い合わせしたところ、お返事を頂戴した。しかし資料を入手し、目を通すには少々時間が必要なので、そうした部分には触れずに私なりの反論をしておきたい。
2、私が九年前の論争を振り返って、団内のUNTACの評価の誤りを指摘したのは「カンボジアへの自衛隊派遣が正しかったか否か」を論じるためではない。団通信九二一号の私の論稿を読んで頂いた方には極めて単純明快なように、?パリ和平協定がポルポト派を排除せずに結ばれたこと、?UNTACによる暫定統治がカンボジア人の民族自決を侵害していること、を理由として、当時団内でUNTACに対する強い非難が行われたのだが、これが九年を経た今、本当に正しかったといえるのですか、ということが私の提起した論点である。当時私たちが、UNTACの人権担当官であった佐藤安信弁護士とともに進めていた、カンボジアの法制度と法律家養成についてすら、「平和の構築がその国の人民によってしか達成できないという真理に対する敬意が感じられない」という批判があったほどである。
私は、UNTACはPKO活動が人権意識の普及も含めて、最も成功した部類に属すると考えているので、あえて九年を経た今、問いなおしを行っているのだ。団の調査団報告は、「自衛隊派遣を批判したい」という当面の国内的事情のために、不当に、且つ一面的に、UNTACの評価を行っていなかったか、ということが私の言いたいことである。この点について吉田氏が、「戦火のカンボジア」を読み直し、なお間違いがないというのであればそれはそれで結構なこと。だが、果たしてその考えがその後の経過も経て、「UNTACの介入がその後のポルポト排除、カンボジアの再興へとつながった」ーという歴史を知る普通の人からの批判に耐えうるのか、というのが私の問いかけの中心なのである。
3、氏は平和基本法提言について、同提言構想が果たした役割は歴史的にも明らかとされる。氏のいう役割というのは、どうやら旧「社会党の自衛隊合憲声明を引き出した」ということにあるようだ。そしてより深くは「改憲の土俵を提供し、日本国憲法の理念を捨て去り、その説得力を失わせることになった」ということにあるようだ。
(私は全く違う認識を持っているが)もし本当に氏の言う通りだとするならば、どうしてこの重大な時期に打ち出された日本共産党の自衛隊実質合憲論への転換が、国内で同じ批判にさらされないのだろうか、というのが私が提起した最初の疑問である。
大久保賢一氏によれば、日本共産党の最近の大会決定は、自衛隊実質的合憲論の立場ではない(団通信九・一号)のだそうだが、私には到底そうは思えない。
同大会決定は、有事の際には自衛隊を防衛出動させる、と明言しているのである。同党が憲法九条2項が最高法規たる憲法であるとの立場を堅持するなら、防衛出動命令は憲法違反の故に無効であり、その出動命令を出した日本共産党政府が公務員の憲法遵守義務に違反することになる。このことは、憲法九八条、九九条に照らして議論の余地はない。それが有効であると言う立場に立つことは、即ち、自衛隊は形式的には憲法九条2項に違反しているが、実質上何らかの理由で合憲であるという立場に移行したことを意味する。それは私が同党から転落者と批判された「憲法九条2項は個別的自衛権のために武力保有を禁ずるという限りでは、最高規範としての効力を失っている」とする発言と一体どこが違うのだろうかというのが私の第一の疑問なのである。
有事に「自衛隊にだけは抵抗を禁止したら、これはおよそ国民の支持は得られない」などと言ってみても(大久保氏)、何一つ疑問に答えたことにはならない。
そこで吉田氏に最後に質問したい。
なぜ、九年前の団の平和基本法提言に対する評価を「今日でも変更する必要はない」のだとすれば、なぜ日本共産党の自衛隊実質合憲論にも、同じ論議がなされないのでしょうか。団内の誰一人もがそのような議論をしないのは何故なのでしょうか。御返事をお待ちします。