<<目次へ 団通信1078号(12月21日)
小沢 年樹 | 痴漢冤罪事件で逆転無罪判決 ー西武新宿線事件速報 |
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弓仲 忠昭 | 妻への遺族厚生年金不支給処分を取り消す 妻の前年収入につき形式的判断を退け、実態を判断 ー東京地裁判決ー |
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足立 定夫 | 教育基本法「改正」問題に注目を | |
大脇 美保 | 京都における弁護士費用敗訴者負担制度導入反対の運動 | |
長谷川一裕 | 名古屋で市民集会 敗訴者負担制度導入反対 |
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井関 佳法 | 有事法制・イラク問題で自治体キャラバン | |
岩月 浩二 |
遅ればせながら名古屋弁護士会も 有事法制反対街頭宣伝を実施 |
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鈴木 康隆 | 「拉致」問題について |
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守川 幸男 | 「有事法制をめぐる三題」の補論 ー拉致問題での中西さんの批判にもこたえて |
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山本 真一 | 韓国大統領選挙に注目しましょう | |
上田 誠吉 | 高木右門さんのこと |
東京支部 小 沢 年 樹
【「初犯で実刑」から「逆転無罪」への衝撃】
さる一二月五日、東京高等裁判所(仙波厚裁判長)は、昨年一二月六日に懲役一年二月の実刑を言い渡した東京地裁の「西武新宿線痴漢事件」判決を破棄し、無罪判決を言い渡した。一〇二号大法廷を埋め尽くした支援者からは拍手が湧き起こり、傍聴席最前列中央の特別傍聴席に座った被告人の妻は、こみ上げる涙を抑えることができずに肩を震わせていた。弁護人席の前に腰掛けていた被告人(裁判長は、言渡し前に「そこに座ったまま聞いてください」とやさしく述べ、被告人を証言席に立たせなかった)は、静かに判決文の朗読に聞き入っていた。
判決言渡し直後は、マスコミの取材が被告人や家族、弁護団に殺到し、事件をとりあげるTVのニュースや特集が数日間つづいたため、ご覧になった団員も少なくないだろう。痴漢冤罪が社会問題の様相を呈する一方で、一連の否認裁判では全国的に有罪判決やその確定が相次いでいたため、久しぶりの劇的判決に注目が集まったと思われる。証拠提出したビデオの借用申入れや判決内容についての問い合わせに追われながら、「『逆転無罪』とは、これほどの影響力があるものか」と驚いた数日間だった。
【事件発生から一審判決まで】
二〇〇〇年一二月五日朝、西武新宿線の快速電車内で「被告人が露出した陰部を無理やり触らせられた」と申告する専門学校生が、高田馬場駅で被告人を駅事務所に突き出したことから事件ははじまった。前科が全くない一部上場企業のサラリーマンだった被告人は、警察に説明すればすぐに帰れると思っていたが、結局は約三か月間の身柄拘束を受けることとなる。逮捕直後から事務所の先輩団員、新人登録したばかりの後輩団員が弁護人となり、一貫して否認する被告人の態度に無実を確信して勾留理由開示公判にも臨み、起訴される可能性は少ないと考えていたが、担当副検事は強制わいせつで起訴を強行、被告人は会社退職に追い込まれた。
起訴後には、被告人の大学時代の友人が中心となった「守る会」が結成され、著名人にも呼びかけ人をお願いした「公正裁判を求める署名」は三万筆を超えた。国民救援会も重要痴漢冤罪事件のひとつと位置付け、裁判所前のビラ配り、各種集会への訴えなど、活発な支援活動が取り組まれた。裁判の審理上も、支援の人々(被告人の職業柄から、美術・映像の専門家が多かった)の協力を得た再現ビデオ・再現CGの証拠提出や、当日の電車に乗り合わせた被害者の友人による被害者供述と矛盾する証言など、無罪判決をかちとる条件はそろっているかに見えた。しかし、事件からほぼ一年後の判決(裁判官は三年前まで研修所刑裁教官だった)は、有罪実刑という予想外の厳しいものだった。この日から、被告人・家族と弁護団・支援者の必死のたたかいは第二ラウンドに入った。
【弁護団の大幅拡充と弁護方針再検討、あらたな立証の努力】
原審弁護団は実刑判決の現実を見据えて弁護団の大幅拡充を図り、痴漢冤罪事件の実績ある他事務所の団員や女性弁護士、さらに裁判官経験の長い三名の大先輩弁護士を弁護団に迎えた。私も自ら志願して、控訴審弁護団の末席を汚すこととなった。一審判決日は偶然に私の誕生日だが、保釈後に頻繁に事務所に来ていた被告人の人柄に接していたため、弁護人でなかった私も冤罪を確信しており、祝勝二次会にお邪魔して私の誕生宴会を兼ねてもらおうと勝手に計画していたのである。電話で裁判結果を聞いたときは、ショックで座り込んでしまったことを憶えている。控訴審は、私自身にとってもリベンジのたたかいだった。
まず弁護団は、判決検討と記録の洗い直しを通じて、弁護の重点を「犯罪不存在」から「犯人同定の否定」に転換した。たしかに犯行態様は異常で不自然きわまりないものだったが、証拠上はそれが絶対的に不可能とはいえず、「物理的・客観的不可能」を示すと見える各証拠は、「被告人の体格・着衣等の属性を前提とする不可能性」であって、厳密には「犯人同定」に関わる論点だったからである。
また、「犯人同定」に焦点をあてたあらたな証拠評価、各種の実写ビデオ・再現ビデオなど新証拠の作成に全力をあげた。今年三月には、大掛かりな電車セットを組み、数十名のボランティアを動員した乗降状況再現ビデオの一日撮影まで行われたが、私も花粉症に苦しみながらビデオ監督を勤めさせてもらった。「映画監督は一回やるとやめられない」というが、まさにそのとおり、の感を深くした。
さらに、控訴趣意書提出の直前には、被告人が逮捕直後に作成していた車内状況図面に、「真犯人」らしき人物が描かれていたことを「発見」した。被告人はスケッチやデザインの専門教育を受けており、当時の職業上も周囲の人物の服装などに特別の注意を向けていたため、たまたま残された貴重な記録だった。
こうして控訴審のあらたな立証は、もっぱら被告人供述の客観的信用性を裏付ける方向(間接的に被害者の犯人同定供述を弾劾する方向)で行われた。作成したビデオ類が全て証拠採用されたばかりでなく、逮捕直後の弁護人接見メモが証拠採用され、弁護人自身の証人尋問まで認められるという異例の審理経過となった。
そのうえ、結審弁論日の二週間前には、被告人供述の信用性に関わって原審が重視し、控訴審裁判所も最後までこだわっていた車内の吊り革をめぐる論点について、被告人と支援者の努力で全くあらたな情報が見つかった、と事務所に連絡が飛び込んだ。それから数日間、被告人と連絡しながら大急ぎでいくつもの証拠をつくり、弁論要旨を書き直した。結審当日の裁判所は、「この証拠は重要な論点に関わるので、今日は続行して証拠作成者の尋問を別期日に行いたいのですが…」と対応したが、直前の時期に被告人と一緒に証拠作成していたため、「被告人が作成者です。今すぐ被告人質問します」と主張して、打ち合わせなしでそのまま被告人に質問し、検察官の反対質問もなく無事結審した。
【「予想」された無罪判決】
控訴審の訴訟進行状況から、弁護団全員が結審段階で無罪判決を予想していた。私自身は、結審の日に無罪を確信した。すでにお気づきの方もいるとおり、控訴審判決は「事件」発生からちょうど二年目の同じ「一二月五日」である。実は、仙波裁判長が東京地裁時代、縮小認定―執行猶予判決を被告人の誕生日に指定したことがあるとの情報を得ており、無罪なら判決期日は事件当日か一審判決の「一二月六日」ではないかと、ひそかに期待していたのである。
判決内容についても、(1)犯罪事実の存在は認定しつつ、(2)犯人同定に関わる被害者供述について、重要な疑問をいくつか提起し(前記「真犯人」の存在も示唆している)、(3)犯行を否認する被告人供述(途中駅の乗降で自分と被害者は離れている)については、原判決があげた疑問点を全て覆してその信用性を認めるという、控訴審弁護団の主張・立証にほぼ沿った内容となった。一二月九日現在、判決文は入手されていないので、詳細な紹介と分析は別の機会に譲りたいが、同種の困難な痴漢冤罪事件と格闘する団員のみなさんに、少しでも有益な情報提供になれば、と願っている。
弁護士となってはじめての無罪判決だったが、すばらしい弁護団と支援者に恵まれ、無罪をかちとるため最後まで懸命にたたかい成長した被告人に出会ったことが、自分にとって最大の財産である。
東京支部 弓 仲 忠 昭
一 関東近県在住の中小企業(機械部品加工業)の社長の妻(六五歳、前記会社の監査役)が、夫の死亡(一九九四年)後に、社会保険庁長官を相手に、遺族厚生年金不支給処分の取消を求めた訴訟で、本年一一月五日、東京地裁(藤山雅行裁判長)は、妻の訴えを認め、不支給処分を取り消す判決を言い渡した。
二 妻が会社の監査役として、夫死亡の前年に厚生大臣が定める当時の受給の基準(遺族の前年の収入が年額六〇〇万円未満。尚、夫の死亡後間もなく、その基準は八五〇万円未満に引き上げられた。)を上回る六九〇万円の名目上の収入があったことを根拠に、地元の社会保険事務所長は、夫の死亡当時「死亡した者によって生計を維持したものとは認められない」として、遺族年金を支給しない処分をした。審査請求及び再審査請求がいずれも棄却された後に、妻から相談を受け、二〇〇〇年七月に提訴した。
三 厚生年金保険法で、遺族厚生年金を受給できる遺族は、「被保険者……の死亡の当時その者によって生計を維持したもの」(法五九条一項)と定められており、本件当時の法施行令三条の一〇は、「法五九条一項に規定する被保険者……の死亡の当時その者によって生計を維持していた配偶者(ら)は、当該被保険者……の死亡の当時その者と生計を同じくしていた者であって厚生大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外の者その他これに準ずる者として厚生大臣の定める者とする。」と規定していた。そして、本件当時の厚生大臣の定める金額は通達により年額六〇〇万円と定められていた。また、その解釈を定めた別の通達で、(1)「前年の収入が年額六〇〇万円以下である」者や(2)「定年退職等の事情により近い将来収入が年額六〇〇万円未満……となる」者も、生計維持要件の収入に関する認定要件をクリアするものとされていた。
四 本件では、妻は、ワンマン社長である夫の経営する同族会社(最盛期で従業員六〇名程度の規模)の監査役として登記され、役員報酬名目で夫の死亡前年には、妻名義の口座に年額六九〇万円の振り込みを会社より受けており、形式的には、通達による収入に関する認定要件に合致していなかった。
しかし、本判決は、会社の経営実態や妻の勤務実態を詳細に主張立証した原告の主張を容れ、妻は、会社の経理事務の手伝いをしていたのみで、その担当業務は、妻自身の裁量の余地のない「従業員の給与・賞与計算、夫に指示された資料の作成等の雑務に過ぎず、……他の従業員により代替可能な簡単な事務処理の範疇に属するもの」であったとし、妻に支払われていた当時の収入要件を超える六九〇万円の報酬につき、「原告の労務の提供の対価として相当と認められる額を超えて決定され、支払われていた」と評価した。そして、夫が妻を「名目上監査役に就任させて、高額の報酬を支払っていたのは、身近な親族を役員に就任させることで会社運営の円滑化を図るとともに、配偶者の報酬を高額に設定して自らの生計を豊かにすること、あるいは自らに対する報酬の一部を、配偶者の役員報酬に上乗せして……所得税額を軽減すること等を意図して行った一種の便法による」と強く推認されるとした上、原告の前年の「報酬六九〇万円のうち、原告の実際の労務の提供に対する対価と認められる額を超える部分は、(夫による当該会社の)経営権の掌握に由来する収入」であり、妻が夫の「存在なくして独立に得ることのできた収入であるとは認められない」とした。さらに、判決は、当時の妻の業務態様・勤務態様に照らせば、妻の「労務の提供と対価性を有すると認められる収入額は、同規模の会社従業員の収入額との比較において、六〇〇万円に達するとは到底認められず」、現に妻が夫との「日常生活費として支出していた年間三〇〇万円程度を上回るものではないと認められるから、原告(妻)の(夫)死亡前年の収入のうち、自らの労働の対価と実質的に認められる額は六〇〇万円に達していない」と判断した。判決は、右判断に基づき、「本件の場合には、原告(妻)の収入が形式的にみて厚生大臣の定める額を上回っていることのみをもって法五九条一項の要件を満たさないものとすることは……行政解釈又は解釈基準が同条の趣旨に反するものといわざるを得ず、(夫)の存在があってはじめて基準以上の収入を得られたことに照らして、原告(妻)は、被保険者である(夫)によって生計を維持していたものと認めるのが相当である。」と結論づけ、基準を形式的に適用して不支給処分を行った社会保険庁長官の判断は違法であると断じ、不支給処分を取り消した。
五 本判決は、生計維持要件につき、前記三項記載の通達による(1)の認定基準(前年の収入六〇〇万円未満)を形式的に解釈せず、ワンマン経営の中小企業の実態に即して柔軟に解釈して妻を救済したものである。現場の社会保険事務所の窓口では、遺族厚生年金の相談に訪れた遺族に対し、「前年の収入はいくらであったか。」を尋ね、基準(当時年額六〇〇万円。現在八五〇万円)以上の年収のあった遺族に対しては、「六〇〇万円以上の方は支給されません」と一律に裁定請求書の用紙すら交付しようとせず、窓口でシャットアウトしているのが実情であるところ、本判決は、その実務の運用の改善を迫るものとなったので、報告して参考に供する次第である。
また、本件では、前記三項記載の通達による(2)「定年退職等の事情により近い将来収入が年額六〇〇万円未満……となる」者としての受給資格をも主張したが、(1)の論点で、勝訴となったため、判断はされていない。(被告控訴につき未確定)
新潟支部 足 立 定 夫
きわめてヒステリックな文書が発表された。文科省中央教育審議会は、去る一一月一四日「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する中間報告を発表した。
報告は、「新しい時代の教育課題」なるものを設定し、教育基本法では対応できず、改正すべきと述べる。子どもの学習権を基礎に位置づけられてきた教育とは、かけ離れた、国家教育権的色彩を色濃くした内容である。
やたら目につくのが「世界的な大競争時代の人づくり」という表現である。同種用語は、報告書中一八カ所もみられ、国際競争力に勝ち続けたいという経済界の要請を、そっくり教育に持ち込んだものである。日本の子どもたちがおかれている深刻な状況を克服するためにも「過度に競争的な教育」の改善が、国連から勧告されたばかりなのに、逆に、これを国家的規模で押し進めようとするものである。
また個人の尊厳と対比した形で「公共」なる用語が、多数使用され「『公共』に関する国民共通の規範の再構築」なる提言がなされている。そして「『公共』に主体的に参画する意識や態度の涵養」「日本人のアイデンティティ(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)の視点」が強調されている。
報告書は「青少年の凶悪犯罪の増加や学力問題が懸念され、いじめ、不登校,中途退学、学級崩壊など深刻な危機に直面している」と指摘しつつ、その背景にある、激しい競争教育や過大学級の実情を無視し、逆に国家的規模で競争を煽り、国際的経済競争に勝ち続けるような人材を育成し、他方で一層激しくなるであろう、子どもたちの心の矛盾を、公共心・道徳の強化による秩序維持で乗り切ろうとしている。
しかも、それだけにとどまらず、有事法制下の国家総動員的な体制の基盤としての、積極的な人づくりが展望されていることを忘れてはならない。
子どもの学習・発達の権利を基礎におくのでなく、逆に経済や政治の都合で、競争や公共心を煽る政策は、到底日本の教育が抱える深刻な問題を解決することはできないし、子どもや父母や国民の願いに沿うものではない。また教育関係者からの強い批判がなされるであろう。しかしながら、昨今の政治風潮を考えると、反対の世論の広がりがないと、強引に押し進められる危険性は、強いと言わねばならない。
日弁連は、本年九月、教育基本法改正の動きに対して、これを批判する意見書を発表した。私は、この報告書を教育や子育て運動に関与する人達に配ったが、内容の難しさはともかく、力強い意見と受け取られている。団も、意見書を発表し、申入れや教育基本法改正に反対する全国ネットとの連携を強めてきた。
地方でも、教育や子育て関係運動が中心になりつつも広く一般市民を巻き込むような運動を、展開できないだろうか。教育基本法改正の動きを心配し、何かをしなければと思いながらも「判らない」「どうしたら良いのか」「教育や子育てにどんな影響があるのか」などという気持が強い。
新潟では、早速私が関係している市民団体の名前で、学習会を呼びかけた、学習会、アッピール(PTAなども対象にした)自治体陳情(「反対」でなく「慎重」でも多い方が良い)などの運動を構想している。
今回の「改正」は、明治、戦後に続く「大改革」と位置づけられており、また「改正」の動きは、法文上の改正にとどまらず、現実の教育の政策転換と一体になっており、直面している教育や子育て、そして日本の将来に大きな影響をあたえる危険性がある。
大胆な働きかけをすれば、市民の中に大きな運動のうねりを起こすことができるのでなかろうか。とくに従来の教育関係運動の範囲を超えて、市民的なレベルで運動をひろげるためにも、団員弁護士の役割は大きいと思う。
京都支部 大 脇 美 保
京都においては、二〇〇一年四月に「国民のための裁判をめざすネットワーク・京都」(結成当時自由法曹団京都支部等一八団体、現在二〇団体)〔略称「裁判ネット・京都」〕が結成され、結成当時、司法制度改革審議会の最終報告がでる以前から、弁護士費用敗訴者負担の署名にとりくんできました。
司法制度改革審議会の最終報告後、弁護士費用敗訴者負担の問題については、司法アクセス検討会で検討され、この一一月から本格的に審議されています。
裁判ネット・京都では、敗訴者負担制度導入反対全国連絡会の要請に応じて、本年四月ころから自由法曹団京都支部を中心に反対署名に取り組んできました。有事法制廃案の署名とともに取り組んだ団の事務所もおおく、現在までに署名総数は六一六一筆(国民救援会経由を含む)となっています。
また、本年一〇月二三日には裁判ネット・京都主催、消費者団体連絡会、NPO消費者契約ネットワーク京都の共催で、「弁護士費用敗訴者負担制度を考える集い」を行いました。集会では、まだまだわかりにくいこの問題について、寸劇(一般バージョン、離婚バージョン)を行いました。次に、日弁連でこの問題に取り組んでいる浅岡美恵弁護士から、最新の情勢報告をしてもらいました、次に、裁判の当事者からのリレー・トークを行いました。参加してくれたのは、学生障害者無年金訴訟、過労死家族の会、半鐘山と北白川を守る会、元関西電力争議団、元ココ山岡被害者の会、日榮全国弁護団、在留資格が問題になっている外国籍の方、それぞれの立場から訴えをしてもらいました。最後に、以下の集会アピールを採択して、集会は終了しました。
「私たちが取り組んできた「司法制度改革」の基本は、市民に開かれた、市民に利用しやすい司法、裁判制度の実現です。司法制度改革審議会の最終意見書においても、市民が容易に自らの権利・利益を確保し実現できるよう、そして、事前規制の廃止・緩和に伴って、弱い立場の人が不当な不利益を受けることのないよう、市民の間で起こる様々な紛争が解決される仕組みを求めています。
ところが、司法制度改革推進本部の司法アクセス検討会においては、弁護士費用敗訴者負担について、基本的に導入する方向で、本格的な検討が開始されようとしていると言われています。
もし、弁護士費用を一律に敗訴者に負担させるとしたら、私たちは、勝訴が確実な裁判だけしかできなくなるおそれがあります。そもそも、現実の紛争は、勝敗の予測が困難であるからこそ発生するものです。敗訴のリスクを考えれば、裁判は確実に減少するものと思われ、裁判に応ずることさえためらわれる可能性があります。
市民にとって、身近な問題で裁判が利用できなくなるばかりでなく、社会的に意義がある裁判がなくなってしまうおそれがあります。消費者問題、年金、労働、労災、住民運動などについて、裁判に訴えるという道が閉ざされてしまいます。
裁判所は、弱者の味方、基本的人権や民主主義の最後の砦でなければなりません。私たちは、弱者を裁判から閉め出す「弁護士費用敗訴者負担制度」の導入に反対し、市民に開かれた裁判を目指して運動を積み重ねることを宣言します。 二〇〇二年一〇月二三日 弁護士費用敗訴者負担制度を考える集い」
集会の参加者は八五名であり、特に、要請していたにもかかわらず、労働組合関係の参加が少なかったのが反省点です。しかし、先日、京都弁護士会の要請で労働組合に署名要請にいった担当者から、組合関係もこの問題については既に認識していて要請もスムーズであった旨きき、やはり、地道な要請活動が不可欠であると痛感しました。
今後も、取り組みを強化していきたいと思います。
愛知支部 長 谷 川 一 裕
「ますます裁判所が遠くなる!弁護士費用敗訴者負担制度反対市民集会」が、一一月二六日(火)午後六時半から、名古屋市女性会館で行われ、市民、弁護士等九五名が参加しました。
同市民集会は、市民のための司法改革を求める愛知の会が、県内の市民団体、労働組合等に呼びかけて実行委員会が結成され、同実行委員会の主催で開かれたものです。
集会では、まず、高橋利明弁護士(東京弁護士会。全国市民オンブズマン前代表幹事)が八〇分にわたり講演。高橋弁護士は、自らが関わってきた水害訴訟やオンブズマンによる行政の腐敗を追及する一連の行政訴訟の経験に基づきながら弁護士費用敗訴者負担制度を批判しました。高橋弁護士は、同制度は、法曹人口増員に伴う弁護士増員により弁護士が一層市民と結びつき、市民の権利の擁護のため大企業や行政を被告とした様々な裁判が増大することを恐れた財界等の意向を反映したものだと鋭く指摘しました。
講演の後、名古屋弁護士会長の成田清弁護士が連帯の挨拶。司法制度改革推進本部の討議の状況、日弁連の取り組み等を紹介し、「司法のユーザーであり弁護士費用を支払う側の市民の皆さんが声を上げることが大事だ」と訴えました。
その後は、各分野の代表がリレートークの形で敗訴者負担制度に反対する意見を述べました。メンバーは次の方々でした。
滝井幹夫(一級建築士)=欠陥住宅訴訟との関連で/南好孝(NTT配転無効訴訟原告)=労働裁判との関連で/籠橋隆明弁護士(日本環境法律家連盟事務局長)=環境訴訟との関連で/堀康司弁護士(医療事故相談センター嘱託)=医療過誤訴訟との関連で/吉里政治(愛知県商工団体連合会副会長)=商工ローン・サラ金訴訟との関連で/高橋信(高校教師・名古屋三菱女子勤労挺身隊訴訟を支援する会)=戦後補償裁判との関連で/新海聡弁護士(名古屋市民オンブズマン)=オンブズマンとの関連で
リレートークは、この制度が、広範な分野で市民の裁判を受ける権利を侵害し、政策形成訴訟を困難として民主主義の発展を妨げるとんでもない制度改悪であることを浮き彫りにしました。
その後の会場発言では、コンビニ裁判の原告が「生きるか死ぬかの状況でコンビニのフランチャイズ本部と裁判をやっている。こんな制度が出来たら、たたかえない」と発言、愛労連の見崎弘議長は、企業閉鎖、偽装倒産という困難な条件の中でたたかわれている裁判との関連で発言しました。
最後に、集会はアピールを採択して閉会しました。
参考までに、参加者の感想文の一部を紹介します。
・各分野の生活弱者がやむにやまれぬ思いで裁判に訴えながらも、思うに任せぬ判決に泣いています。この上敗訴者負担になったら、確実に勝てる裁判(そんなものは事実上無い)でなくては裁判にできないことになります。絶対に反対です。
・市民の権利を奪うやり方でなく、みんなが気楽に裁判を受けることができるようにしてこそ真の司法改革である。
・アメリカのような濫訴社会では抑止力となると思うが、日本ではメリットよりもデメリットが多いと思う。
・印紙代(訴訟費用)だけでも馬鹿にならないのに、資金力のある法人や一部の金持ちのためだけに民事裁判は存在することになる。
・欠陥住宅のこと、環境訴訟のこと、医療過誤のこと等々生活を守る闘いはどうしても勝ってほしいと思う。こんな分野が閉ざされるようなことは、何としても阻止したい。
参加者数はやや少なかったものの中身が充実した集会となりました。
市民のための司法改革を求める愛知の会では、同市民集会の内容をパンフレットにして広く普及すると共に署名運動に取り組んでいく方針です。
京都支部 井 関 佳 法
京都支部は、一一月二七、二八日、府下全ての自治体の首長と議長を対象に、有事法制三法案廃案とイラク攻撃反対の表明を求める自治体キャラバンに取り組みました。主催は有事法制反対京都共同センター、団と自治労連が準備して呼びかけて、一一名の団員と、労組、市民団体からも二五名が参加しました。
事前に要請書を送付し、当日は、団本部の第五意見書、告発集「有事法制はいらない パートII」の総論部分、国立市長の質問、回答、再質問を参考資料として持参しました。
各自治体とも、府から有事法制修正案と国民保護法制の輪郭を資料として提供を受けていました。関心度には自治体間にかなり差があるようでしたが、国から直接説明を受ける場が持てておらず、良く分からないという感想が共通して出されました。推進の立場で論争を吹っかけてくるようなところはなく、平和に対する強い思いを語られた自治体も幾つかありました。独自に国立市と連絡を取り合っている自治体や、提供資料を見て興味を示した自治体もあり、国立市長の質問には概して関心が高かったように思います。条件のあるところでは、国立市のような取組を追求してみてはどうでしょうか。国民保護法制の輪郭で府や市町村がどのように扱われているかにも関心が高く、この点では団本部の「有事法制はいらない パートII」の総論が参考になり、一緒にいった労組、平和団体のメンバーも強い関心を示していました。
今回のキャラバンは、臨時国会の会期末で来年の通常国会を控えた時期でもあり、全ての自治体にひざを突き合わせて意見を交換し合い、働きかけることができたという、大きな成果があったと思います。今後、第二次、第三次の要請行動を行ったり、基地を抱える自治体を対象に事前に質問事項を送付して時間を取って懇談するなど、更に取組を発展させたいと思っています。又、自治体決議を目標とする、地域ごとの議員と市民との交流会のようなものを持つなどして、草の根から府下の全ての自治体、議会に働きかけて有事法制廃案、イラク攻撃反対の決議を上げる取組にも力を入れたいと思います。
愛知支部 岩 月 浩 二
私は、生来、移り気で気まぐれのため、やってることが、定まりません。
五月だったか、名古屋弁護士会で有事法制反対の会長声明が出され、大阪弁護士会では「平和と人権部会」が作られているとMLで知り、名古屋も真似した方がいいと仲間内にメールをしました。余計なことに「部会が作られれば、実務は任せてください」とまで書きました。まさかトントン拍子に部会(正確には「平和と人権」チームになっています)が作られて責任者にされるとは思いもよりませんでした。気まぐれの至りです。
一一月三〇日、名古屋弁護士会は、名古屋の繁華街、栄で街頭宣伝をしました。街宣は、私の最も苦手とするところ、いつも避けており、街宣に加わったことは数えるほどしかありません。「実務はお任せ」どころか、さっぱり要領がわからず、手慣れたチーム員の方に「実務はお任せ」してしまいました。ごめんなさい。
街宣の日は、デートに絶好の小春日和。幟、横断幕、タスキ、腕章の街宣グッズが調い、定刻に街宣開始。弁護士会名の幟やタスキ、腕章がこんなにたくさんあったなんて初めて知った(忘れてた)。
約一時間の街宣活動に集まったメンバーは三十数名。四人の方が代わる代わる街宣カーの上で弁士をしてくれました。とてもわかりやすく話してくれたので、私にもよく理解できました。
ビラの受け取りは、まずまず。途中、客待ちのタクシーの運転手が車から出てきて、ビラを求めて行きました。そこで、私は他の客待ちタクシーの運転手にもビラを配りました。向こうから話しかけてきた三人の方がそろって中年以上の男性だったのは、私のせいでしょうか。共通していたのは、健全にもマスコミを全く信用していないことでした。私は「マスコミめ、国民を舐めんなよ」と励まされる思いでした。
弁護士会の街宣の前後も、地域の労働組合や、港湾労働組合等が次々と有事法制反対の街宣をしていました。という訳で、一時間のうちにほぼ二〇〇〇枚弱のビラをまくことができました。
そんなこんなで盛り上がり、参加者からは一回ではもったいないので、また近いうちにやろうと言われました。このため私の最も苦手とする街宣をまたやることになりそうです。ご協力いただいた会員や事務員各位にはお礼の言葉もありません。課題は、さらに多くの会員が集まってくれるように会内合意のいっそうの形成でしょう。
最後に、ビラのデザインは、新入団員の田巻紘子さんの手によるものでした。若い感覚でインパクトのあるわかりやすいものができたと思うので、自慢します。
繰り返しますが、私は移り気です。
でも、湾岸戦争以来、いつも平和憲法のそばにいます。
大阪支部 鈴 木 康 隆
「拉致」(らち)という難しい字が、昨年九月十七日の日朝首脳会談のあと、最もポピュラーなものになってしまいました。広辞苑を引くと「拉致」とは「むりに連れてゆくこと」とされています。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、これまで日本政府が「拉致」の問題を提起するたびごとに、頑なに「拉致」などという問題はない、と主張し続けてきたことは周知のとおりです。ところが、今回の首脳会談の席において、一転して、北朝鮮が国家として日本人を拉致したことを公式に認め、そして謝罪しました。このようなことは、国家として実に屈辱的なことであり、耐え難いことです。しかし、考えてみれば、これは、北朝鮮が「普通」の国になるためにはどうしても通らなければならない関門であったことも間違いありません。異常な食糧難と経済的な苦境に陥っている現在の北朝鮮としては、「普通の国」となって世界の国々、とりわけ隣国である日本とつきあわざるをえないところにまで追いつめられていたこと、そのことが、北朝鮮をして、このような道を選択させたことは明かです。
それにしても、拉致された被害者が、北朝鮮でどのような境遇におかれていたか。私は、今から約十四年前に「闇からの谺」という本を読んだことがあります。この本は、韓国の有名な女優崔銀姫(チェウニ)、その夫でこれも著名な映画監督の申相玉(シンサンオク)両氏が、一九七八年に北朝鮮に拉致され、八年の間北朝鮮で囚われの生活を余儀なくされた、その状況を克明に綴ったものです。ここで描かれている悲惨な生活状況は、まさにこのたび帰国した日本の被害者の生活でもあったと思われます。国家がこのような無法行為を行うとは、もはや言うべき言葉もありません。
しかし、それはそれとして、日本政府が、現在日本に帰国している被害者を北朝鮮へ戻さない、と決めてしまったことについては、やはり疑問を抱かざるを得ません。被害者をあのような無法なことをする北朝鮮に戻したら、北朝鮮は二度と日本へ戻すはずがない、そのとき一体誰が責任をとるのか、といったような議論のもとにこの決定がなされたとのことです。
しかし、これは一つには北朝鮮に対する信義をふみにじるものだといわざるをえません。相手が無法国家だから信義を踏みにじっても良い、何をしても許される、というのは全く思い上がった傲岸不遜な態度そのものです。このような態度は、あの戦争中の中国に対する日本の恫喝的な外交姿勢を思い起こさせます。相手が無法なことをした国家だというのは、被害者が日本へやってくる前からわかっていたことであり、そうであれば、日本へ戻す交渉の中で、再び朝鮮へは帰さない、とはっきり言うべきものです。北朝鮮は、今後は普通の国として行動すること、いいかえればお互いの約束は守ることを平壌宣言によって内外に表明しました。そうだとすれば、日本政府の態度は、まさに食言といわれても仕方ありません。「相手は食糧難であり、経済的に困っているから、そのうち折れてくる」などという議論が横行しています。しかし、これほど相手を侮辱した発言はありません。「普通の国」であれば、このような議論をしている国に対しては、草の根をかじってでも膝を屈することはありえないと思います。現に北朝鮮は、そのような対応を示しています。
つぎに、日本に来た拉致被害者が現在どんな心境でいるのか。市長やら国会議員やら、外務省の役人などが入れかわり立ちかわり被害者のところを訪れています。そして今や、援助法案も成立しました。これらのことは、そのこと自体はこれを非難すべきことではありません。しかしながら、被害者たちは、日本にいる家族にも会いたいと思っていたでしょうけれど、それ以上に今となっては、北朝鮮に残してきた子どもや夫などのことを考えていると思います。出発点はどうであれ、二四年の歳月の中に新しい家庭がつくられているのは厳然たる事実であり、被害者にとっては、それもまたかけがえないものであるはずです。このような思いは、いかに市長や国会議員が訪れ、いろいろと慰めたとしても、それによって癒されるものではありません。高価なパソコンが贈られた、など報じられていますが(そのこと自体わるいことではないとしても)被害者にしてみれば、ただとまどうばかりではないか、と思います。
北朝鮮はいまや「五人を北朝鮮に戻さなければ、交渉再開には応じられない」という態度をますます固くしています。こうして交渉の再開のメドすら立たない中で、五人の被害者が、北朝鮮の家族に会う機会はますます遠のいてしまっています。このこと自体すでに人権問題そのものといわなければなりません。私も、被害者の人たちが、もう北朝鮮には帰りたくない、と態度表明をしたのであれば、政府がそれを支持して、北朝鮮へは帰さない、という方針を出すことは当然ありうることだと思います。たしかに、被害者たちは、日本にふみとどまる、と表明していると報道されています。しかし、ときどきテレビで彼らの沈んでいるように思える様子をみると、果してほんとうにそうなのか、甚だ疑問を抱かざるをえません。
被害者の人たちを北朝鮮に帰すべきでない、と主張している人たちは、北朝鮮は独裁国家で、自由にものが言えない、本心を語ることはできない、それに比べて日本は自由で何でも言える、などといっています。それは、そのとおりかもしれません。しかしそれでも、わたしのような意見は毎日新聞の岸井成恪氏などが早くから述べているもののやはり少数意見であり、このような意見を述べることが、何となくはばかられる雰囲気がなしとしません。そうだとすれば、日本もそれほど自由だ、といって手放しで喜べるものでもありません。
私としては、被害者の人たちが、もう一度北朝鮮へ行って、家族とよく相談し、また家族を説得して、日本へ連れてくる、というのであればそのことこそ政府は全力をあげて支えるべきだと思います。相手の国が「普通の国」であることを表明した以上、被害者を日本に帰すことは、当然するべきことなのですから。(2002.12.9)
千葉支部 守 川 幸 男
第一 はじめに
私は、団通信一〇七四(一一月一一日)号で、拉致問題という、日本の家族の心情への配慮も必要で意見が分かれそうな問題について、あえて投稿した。それは有事立法との関連でぜひ皆さんの意見を聞きたいということと、問題提起して議論を促したい、という気持からだった。
私は意見の分かれる問題でも時々団通信に投稿し、思ったことは率直に言う。ただ、むしろ、両方の立場に配慮しすぎる、などと言われてきたのに、今回初めて名指しで批判されたので、引っ込みがつかなくなった。そこで以下、中西一裕さんの批判(一〇七五号)にこたえておきたい。ただ、彼とは友好な関係は続けたいし、何回もやり合うのは避けたいので、批判的な反論は最小限にとどめ論点整理的なものにする。
第二 拉致問題についての補論
1 拉致問題は複雑な問題ー単純で一面的な見方でなく、全面的な検討を
(1)私の指摘の表題は「拉致問題をめぐる一部マスコミ、世論の動きと支配層のねらいとの関係は?」となっており、問題関心は有事立法との関係である。決して国家の信義と政府間の約束を最優先させて五人を無条件で北朝鮮に戻せ、とだけ言っているわけではない。私と山本真一さんへの中西さんの批判は、まさにそう言っているように聞こえる。しかし私は「永住帰国や相互の自由往来の権利を確保しておくこと自体を重点に置くべきだと思うのだが…」とも問題提起している。しかもこの問題は、二四年も経て子どもたちもできており、オウムや統一協会や誘拐事件とは共通部分もあるが異なる部分もある。
私の意見は、問題提起の側面と、迷いつつの指摘の側面があり、そこを正確に見てほしいと思う。また、多少ニュアンスの違う山本さんの意見と一緒にして批判されている。
しかも、私が提起した諸問題をどうするのかはむずかしい問題であるが、これを避けていないだろうか。
(2)また、この問題を論ずるにあたっては、一致することと一致しないこととを区別する必要がある。
中西さんと私とは、北朝鮮が無法国家である点、五人を不用意に北朝鮮に戻せば再び日本に帰国できる保証はない点、日本の家族の強い思いに対する理解の点では一致するであろう。しかし、いったん戻したら帰って来られない、と決めつけるのは単純だろうと思う。今回の、北朝鮮が拉致を認めて謝罪する事態や格調高い平穣宣言を予測した人は少ない。北朝鮮のせっぱつまった国内事情や国際世論もあり、事態は流動的である。
当初、北朝鮮が日本の家族らが北朝鮮に来ることを提案したのに対し、まず五人を日本に帰国させよと要求した方針が正しかったことに異論はあるまい。しかし、北朝鮮に残された家族の立場や気持をどうするのかも重要である。なるべく早く家族が一緒になるべきだが、日本と北朝鮮のいずれに住むか、いずれ苦渋の選択が迫られるであろう。必ず日本で住むべきだと決めつけるわけにはいかない。
2 国家の信義や約束の重さ
ーあわせて今後への悪影響や「巻き返し」について
(1)政府が当初から北朝鮮に戻す約束を破るつもりだったことはないであろうし、その後、家族会や世論の動向を見て方針転換した事実も異論がない。ただ、その結果、家族が離れ離れの状態で長期固定化のおそれがある。また、小泉訪朝前に水面下で交渉を続けてきた田中均アジア大洋州局長は、双方から信頼を失って身動きが取れなくなっているのではなかろうか。外交が世論に迎合することが誤りということは十分あり得る。さらに、政府が先を見越した戦略、戦術、見通しを持っているとも思えない。
その後、北朝鮮が安全保障協議を再開しないと言い出している。拉致問題も重要だが、北東アジアの平和と安全、北朝鮮の核開発問題も重要である。平穣宣言の大きな意義が薄まりはしないだろうか。
これらの点が今後どのように進展するかは流動的であろうが、マスコミや世論の動向は、これらの重要な問題をそらす役割を果たしている。これへの批判も重要だと思う。
(2)支援組織の中には共産党を除名された兵本氏や歴史教科書の会のメンバーもいると聞いており、この問題をどのように扱おうとしているかも気になる。また、石原都知事が北朝鮮にいる子どもらに何かあったら戦争しろ、と叫んでいるが、北朝鮮が無法国家、テロ国家だからという理由をつけて、日本も無法をしてよいということにはならないし、戦争しろ、ということにもならない。この問題を悪用しようとする勢力がいることには警戒が必要だと思う。
さらに、ほかにもいると思われる多数の拉致被害者問題の解決への影響も心配だ。
(3)いずれにせよ、全体として、大きな巻き返しの動きを感じる。
3 信義と戦術の関係について
結局、だからこそ、正式な外交ルートを開いてその中で問題を解決することや、信義を重んじ正々堂々とした対応を取ることが、大局的にはよい結果をもたらすことが多いのではないだろうか。
戦争中でも外交交渉はやるし、裁判でも、「和解もまたたたかいだ」と言われる。外交交渉や和解交渉は、相手を信用しなくてもやるのだと思う。その場合、相手が過去に無法をやったからといって、その後謝罪をしたという変化を見ないのは誤りだし、相手が信義に反するやり方をした場合、こちらも信義を破ってもよいということにはならない。信義を破った相手をきびしく批判しつつも、こちらは信義を守ることが結局戦術的にも正しいことは多いと思う。弁護活動でも同じだ。
4 無法国家の国民に自由意思はないのか
中西さんが、五人の被害者が「北朝鮮国家の影響力の下で自由な意思決定ができるわけがない」と言い切っているのも気になる。独裁国家の国民は自由な意思決定ができないという論調や、朝日新聞や週刊金曜日など一部マスコミの動きを、北朝鮮に利用されているだけだと非難する動きとも共通するが、はたしてそうであろうか。じゃあ日本のマスコミや国民はどうなのだろうか、と言われそうだ。また、国際的な世論や道理の力はそんなに小さいものなのだろうか。国家と国民を区別する観点も重要である。
5 冷静で全面的な議論を
中西さんも含めて、批判や反論をし合う、というより、団通信や常幹などで、団や団員としてどう考えたらよいのかについて、冷静で全面的な議論を呼びかけたい。また、情勢全体との関係についての私の前回の疑問についても、ぜひ意見を寄せてほしい。
第3 あわせてあとの二題について
(1) 修正論議について
「武力攻撃」「おそれ」「予測」の三類型のうち、後二者の定義を国会答弁と同じ表現に変え、前二者と「予測」の二類型に分類し直しただけだが、「対処措置」では何か違いが出ると思っていたところ、(読めばすぐわかるのだが)全く違いがないことがわかった。
なお、もともと旧「おそれ」旧「予測」事態で自衛隊の武力行使までできるかという論点は以前からあったが、この修正によっても変化はない。もっとも「その推移に応じて」(実施する…措置)と修正するというのだから、類型に応じた違いはあろう。
また、「基本理念」や「対処基本方針」については、ごちゃごちゃ書いてあってわかりにくいし何やら違いのあるような条項だが、本質的な違いはない。
(2) 国民保護について
もともと有事三法案は、周辺事態法と連動して、「おそれ」「予測」の事態で日本がアメリカの戦争に協力、加担するものであって、本土決戦型の武力攻撃など想定できない、と批判されてきた。だから後者の部分は前者の方針を貫徹するための目くらましの側面がある。すると国民保護はまやかしで、だから、当初の法案には国民保護の条項はなかったのだろう。ところが、これでは通らないと考えたのか、今回、国民保護についても法制化を進めるという。これをどう見るか。
この「国民保護」の本質は、国民の(1)動員、(2)統制、(3)排除だと述べたが、さらに、その内容を検討すると、その恐ろしさがかえって浮きぼりになる。また、平時から職場、教育、マスコミ、秘密保護法制、有事訓練やそのための組織作りなどに重大な影響を与える。この二つの強調も大事だろうと思う。(一二月四日記)
東京支部 山 本 真 一
一二月一九日に韓国の大統領選挙があります。うまくすると自由法曹団の弁護士のような候補者が当選するかもしれません。この人が当選すると、日本と韓国の法律家との交流も前進するのではないか等と大きな夢を抱きはじめている今日このごろです。もちろんそれだけでなく朝鮮半島の平和や二一世紀の日本と韓国の関係にも大きな影響があると思います。「拉致問題」でもそうでしたが、ここでも私は祈るような気持ちで毎日の報道を見ています。
とにかく韓国の「民主化」は日本の私達が思っている以上に進んでいるようです。国を代表し「帝王」のような強大な権限を持つ大統領を、国民が直接、平和のうちに選挙で選ぶという行為自体が日本では考えられません。小泉首相は憲法改正の目玉として首相公選制を挙げましたが相変わらず口先だけのようです。本気で手をつけられる状況ではありません。まして日本では天皇制の是非にはほとんど手がつけられないことを考えれば、日本の「戦後民主主義」は、韓国の民衆に大きく水をあけられつつあるのではないかと恐れています。一方、東アジアの全ての民衆の平和的共存を考える場合に、平和を愛する日本の民衆と韓国の民衆の連帯がどれほど大きな力を発揮するかを考えると私達も狭い日本の中だけで考えないで、ひろく世界を見つめ、学ぶことが多いことにいよいよ気づかざるをえません。
ところで先の「拉致問題」に関する私と守川団員の投稿について、何人かの団員から反論をいただきました。団通信に載った中西一裕団員とほぼ同じ論旨の反論です。しかし私はその論旨にまったく賛成できません。
もちろん「拉致被害者の方々の現状回復」を早期に実現すべきことは当然のことです。
一日も早く拉致された方々とそのご家族が、日本と北朝鮮との間を自分の意思で自由に行き来できるようになってほしい。そうすれば自然と答えが出るはずです。二〇年以上も北朝鮮国民として成長した子どもさんたちが、突然日本に住むかどうかと問いかけられてもすぐに答えが出せると考えるほうが無理でしょう。「自由な意思決定」には、当然時間がかかります。ではこの自由な往来は不可能でしょうか。何といっても「拉致問題」は北朝鮮の最高責任者が明確に認め、謝罪した問題です。そして日本全国の国民が注目している問題です。「信義」を重んじた交渉を積み重ねれば、この自由な往来を早期に実現できない訳はないと思います。
たしかに現在の北朝鮮の国家体制は異常だと思います。しかし私達もまた、つい五七年前までおなじような国家体制の下にいたのではないでしょうか。今回の平壌宣言は北朝鮮としてもこの異常な国家体制から「普通の国」に変化しようという第一歩だったのではないでしょうか。すくなくとも私はそう思いますし、その方向の実現にむけて「市民の一員」として全力をあげたいと思っています。
ただこの件は現在進行中の外交交渉です。私達の知らない動きも当然あるのだろうと思います。ですからあまり感情的・近視眼的にならず、絶対こうだと独断することも正しくないのだろうと思います。大局を見据えて考え行動しなければなりません。そして一日も早い平壌宣言の実現と拉致問題の解決を願うばかりです。
ただひとつ付け加えたいのは、この交渉に関するアメリカの態度についてです。報道ではアメリカは今回の宣言を支持しているとされていますが、どうも本音は違うようです。
韓国では、国連軍(実際はアメリカ軍)が北朝鮮との間の鉄道や道路工事の進行を妨害する動きも出始めていると報道されています。この問題を担当しているケリー国務次官補も、日本外務省のアジア・太平洋局の担当者だけではアメリカの意思が十分政府首脳に届いていない恐れがあるとして、他の部局の長の同席を求めるとも報道されています。つまりアメリカの本音は、日本と北朝鮮が早期に正常化してはならない。少なくともアメリカがイラク問題を片づけて北朝鮮に関する方針を出すまでは動いてはならないということのように思われます。世界のことはアメリカが仕切るのだということのようです。小泉首相はそれに反対できない。そこで今回のように「五人は北朝鮮に返さない」という選択をしたように思えます。
今私達が最も注意し、力を注がなければならないのはこの点だと思います。アメリカの一方的なイラク攻撃を諦めさせ、ブッシュ・ドクトリンを放棄させなくては、最悪の事態も考えに入れなくてはならなくなりそうです。日本政府もまた正常化に動こうとしない。
平壌宣言は絵に描いた餅になってしまいそうです。そして拉致被害者の方々もまた長期にわたる家族の分断という悲劇をあじあわされることになるかもしれない。
このような事態にならないように、私たちはできることを始めなければならない。一日も早い国交の正常化、そして拉致被害者の方々とそのご家族の自由な往来を実現するために行動したいと心から思っています。そのためにも韓国大統領選挙は目がはなせないのです。
東京支部 上 田 誠 吉
高木右門さんが一〇月二四日になくなられた。心不全で、おとしは九三歳だったという。時にお元気にしておられるかな、などと思うこともあったが、ながらくお会いしなかったことが心残りである。
私は青年の頃にしばしば高木事務所を訪れていた。私は一九五〇年に弁護士になったが、その前後にしばしば高木さんを訪ねてお話をうかがうようになった。いろいろなつながりで、当時織田善雄さんが中心になって進めていた全国労働組合法規対策協議会という仕事があって、いつしかその仕事を手伝うようになったのだが、その関係で高木事務所に出入りするようになったのだとおもう。当時の高木事務所は新橋の表通りに面した焼けビルの三階だか四階にあって、新橋飯店の二・三軒新橋駅よりだった。暗い階段をのぼって行くと、事務所の扉にぶつかり、その奥に小部屋が二つあって、入り口に近い方には佐伯静治さんがおられ、奥の部屋に高木さんの机があった。当時の高木さんは労働法関係の論文が多く、そのみちで著名な方だった。民事訴訟法、民商法にくわしい方で、労働法講座といったような著作ではいつも名をつらねておられた。その方面で若い法曹の啓蒙にも意を用いておられたのだとおもう。
高木さんは東京弁護士会では、会派のひとつ、法曹緑会の有力者だった。この会派はリベラルな人が多く、青柳盛雄さんや小沢茂さんもそのメンバーで、とかく孤立しがちであった当時の左派弁護士たちの「庇護者」のような役割を果たしていた。いつだったか自由法曹団に退団届を出されたことがあったが、その頃、裁判所の前でお会いしたら、「わしを最高裁判事に推す動きがあるので、しばらく風当たりを避けるために退団届を出したが、そのなりゆきいかんではまた入団するから、よろしくたのむ」といわれた。高木さんは、最高裁の方は沙汰止みとなって、再度入団された。まことにひょうひょうとした処し方であった。
高木さんは、メーデー事件被告の高校教師が休職処分を受けたことを争う行政訴訟を担当してくれていた。
高木さんは早くに息子さんを亡くされたが、そのお弔いに杉並のお宅を訪ねた。葬列に加わっていた私は、森長英三郎さんに呼び出された。「鈴木忠五さんと正木ひろしさんの丸正事件がらみの刑事事件の弁護人になってくれ」と頼まれた。私は返すのを留保したが、後日に丁重にお断りした。メーデー事件に忙殺されていて、これを引き受けたら私自身が破綻する、と思ったからだが、しかしこの事件の断りは、今も心に重いものを残している。高木さんとの関わりでこんなことも想い出された。
私は高木さんにはながく励まされてきたようにおもわれて、感謝を捧げたい気持ちである。