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宇賀神 直 新年のあいさつ
島田 修一 二〇〇三年を迎えて
井上 正実 「えひめ丸事件」和解への道
柴田 五郎 「フリーカメラマン瀬川浩さん」は労働者である
四位 直毅 「往くべきは平和の道」を確信して
ー有事法制をぜひとも廃案にー
高橋  勲 「司法民主化」その運動の前進と団の課題
坂 勇一郎 一・二九司法アクセス検討会を敗訴者負担反対の声で包囲しよう
山崎  徹 憲法調査会「中間報告」について
本木  進 足立区議会「つくる会」勢力の教育介入問題陳情・継続審査に
鶴見 祐策 斉藤一好著「一海軍士官の太平洋戦争」を読んで
松井 繁明 書評 平山知子著『若きちひろへの旅』上・下(新日本出版社刊)
ー人生の苦難に立ち向かうちひろ像ー
島田 修一 全国からご参加をお願いします!
「教育基本法」改悪阻止・全国活動者会議のお知らせ



新年のあいさつ


団長  宇 賀 神   直

 団員のみなさん、二〇〇三年、明けましておめでとうございます。
 昨年は有事法制阻止、正念場に入った司法改革、教育基本法の改悪などの教育問題、憲法問題、リストラ・合理化阻止など労働者の権利を護る闘い、いろんな裁判闘争、国際交流の強化、我が団の後継者問題などなど、山ほどある多くの課題に取り組んできました。そして団創立八〇周年記念の「自由法曹団物語―世紀をこえて」もめでたく出版されました。今年も昨年の課題を引き継いで旺盛に元気よくそれぞれの課題に取り組み成果を上げたいと思います。
 有事法制三法案は昨年六月に国会通過かという政府の方針という厳しい情勢の中で急速に宣伝活動を展開し、世論を喚起するなど反対運動を進め、継続審議に持ち込み、臨時国会も殆ど審議なしで、今年の通常国会に引き継がれるという到達点に立って新年を迎えました。廃案に追い込むまで闘いを高めたい。それが新年の大きな決意のひとつです。国連のイラク査察が進められていますが、アメリカはイラク攻撃の準備を強化して日本や各国に協力を押し付けています。イラク攻撃は国際法、国連憲章、国連決議に反する全く不法なものです。一昨年来のアフガン攻撃で無数の民衆が殺されていますが、イラク攻撃はこれの何倍もの民衆が殺され、傷つけられ、地獄の沙汰に陥ります。だから、絶対にイラク攻撃は止めさせなければなりません。自衛隊の軍艦の派遣は特措法の枠を超えて拡大されイラク攻撃に使われる状態にあります。さらにイージス艦までインド洋に派遣しました。これに対しアメリカは感謝を述べています。これに反対することがイラク攻撃に反対する私たちの義務です。
 これらの多くの課題をやり遂げるためにも団の後継者問題はきわめて重要です。新年の独自の重要な課題として運動を進めたいものです。
 昨年九月に小泉総理が北朝鮮を訪問しキム総書記と会談して日朝国交正常化の基本方向が確認されました。しかし、五人の拉致被害者の一時帰国について永住帰国と政府が決めたことで正常化交渉に障碍が起きました。日朝国交正常化は北アジアの平和と安全のために欠かせないものです。だから、交渉の障碍を作り出すのは避けなければならないのに一時帰国を永住帰国と決めてしまったのは外交のやり方としては拙いと思う。何のために小泉首相は北朝鮮に出かけて行き、キム総書記と会談し正常化の共同宣言を発表したのか。拉致の被害者と家族のこと、核問題や従来の北朝鮮の無法なやり方がある、だから、永住帰国は当然との意見もある。が、そんな相手だからこそ、感情に流されずに冷静にジグザク階段を一歩、一歩登るような道理と事実に基くねばり強い交渉が大切なわけです。こちらから話合いを閉ざすことをしてはならないのです。今後、機会を探り交渉の扉が開かれるよう、強く期待したい。
 団員の皆さん、今年も元気よくやりましょう。




二〇〇三年を迎えて


幹事長  島 田 修 一

 明けましておめでとうございます。団員のみなさん、事務局のみなさん、この正月休みでは昨年のたたかいの疲れを癒され、今年へ向けての英気を養われたことでしょう。
 実際、たたかいの手綱を一時も緩ますことが許されない緊張関係が続いた一年でした。団員有志によるアフガン調査に始まった有事法制阻止闘争は、平和と戦争という国家と市民の対抗関係が正面から激突したたたかいでしたが、“国家に戦争させない”“市民は国家から戦争に駆り出されない”との日本国憲法の理念とそれを支える全国の平和運動の力でひとまずその成立を阻止することができました。司法改革をめぐる激しい攻防においても、新仲裁制度において労働契約と消費者契約の特則を設けさせることができましたし、アメリカのイラク攻撃を食い止めたのも国連憲章体制の崩壊は許さないとする国際世論の力によるものでした。
 しかし、それでも情勢が厳しい局面にあることに変わりはありません。政府与党は、イラクの民衆を大量殺戮するアメリカの軍事攻撃を支援するためイージス艦を強行派遣しましたし、有事法案の通常国会成立を図る態勢を固めてきています。敗訴者負担制度も今春に山場を迎えます。そればかりではありません。昨年一〇月の団総会以降、唯一の発議権を有する国会が憲法改正へ向けた中間報告を発表して“憲法改正が大勢”の世論づくりに乗り出し、中教審の教育基本法全面「改正」を求める中間報告は、“たくましい日本人”“伝統”“愛国心”をキーワードとした大国意識の植え付けと戦争に向かっての人づくりにも踏み出してきました(これに?神の国?が加わるとあの時代と変わらなくなってしまう)。また解雇自由を企業の掌中に委ね、労働者の権利闘争も抑圧する労働基準法改悪案を通常国会に提出しようとしています。
 有事、司法、「基本」法。今年はこれらが一斉に出てくる情勢です。新自由主義と新国家主義との対決の正念場を迎えたと思います。しかし、この二つのイデオロギーの相互関係も明らかとなってきました(後者が前者を補完)。この国と社会さらには人間をどこに導こうとしているのか。戦争する国、祖国を愛する日本人、国や社会に尽くす心、和を尊しとする社会、脱落者は自己責任などなど、これらを明らかにすることの意味はきわめて大きいのではないでしょうか。四月の全国地方選そして早い時期の衆議院解散という重大な政治戦においても、国家像・社会像・人間像が焦点となるのではないでしょうか。団本部は直ちに活動を再開します。二月一日には教育基本法改悪反対の全国活動者会議も開きます。今年も民衆とともに総力をあげたたたかいを前進させましょう。




「えひめ丸事件」和解への道


四国総支部  井 上 正 実

 一昨年の二月一〇日正午ころ、テレビで「県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖で米原潜グリーンビルに衝突され沈没」「米沿岸警備隊がえひめ丸に乗船していた生徒・教師・船員を捜索中」とのテロップが流れた。夕方近くになって、潜水艦のハッチから顔を覗かせている乗組員の顔や海上で漂うイカダの様子が映像で映し出された。生徒や教師の家族は学校に駆け寄り、テレビで映し出される息子や夫の消息に喰い入っていた。生徒の顔写真が映像で流れ、救出された生徒の氏名が発表され、狂喜の如く飛び上がって喜ぶ母親の姿。苛立った様子を隠そうともしない安否不明の生徒の父親。そこには既に事故直後から生と死を分かつ言いようもない溝が漂っていた。
 私の事務所に最初に相談を持ち込んだのは、救助された生徒の親たちであった。しかし、“いなか弁護士”の私だけで世界の憲兵を自認する米海軍を相手に交渉すら出来るはずもなく、直ちに団本部に連絡をし、「被害者とその家族の受入体制」を確立してくれる申出を行ない、三月二八日の常幹の席で弁護団結成を訴えた。
 私は当初から(1)正当な補償 (2)事故原因の究明と再発防止 (3)関係者の被害者に対する謝罪という三つの観点から事件に取組むことを訴えていったが、その後の行政の様々な圧力のもとで、私の事務所を訪れていた救出生徒の親たちは我々弁護団から離脱することとなった。しかし、愛媛県が船体補償の交渉を依頼している弁護士に依頼することを潔しとしない寺田裕介君(生徒)の遺族と古谷利道さん(船員)の遺族だけは、最後まで我々の弁護団に足を踏み留めてくれ、米海軍に対する三つの課題について闘いを挑むことが出来た。
 寺田裕介君の母眞澄さんの高知における五月集会での訴えは、集会に参加した多くの団員の涙を誘い、様々な援助の申出と多大な激励が寄せられた。全国の団員からは自薦他薦を問わず弁護団に参画させて欲しいとの嬉しい便りも寄せられ、その中から特に大阪の池田直樹団員には弁護団に参画してもらい、彼の存在は弁護団にとって不可欠のものとなった。豊田誠団員はかつてのスモン訴訟でその政治的力量を知り尽くしていた関係で、ハンセン病訴訟で忙殺中にもかかわらず「えひめ丸被害者弁護団」の団長を強引に引受けてもらうことに成功した。
 我々の運動は決して平坦ではなかった。私の方から東京の弁護団員に、連日に亘って二〜三回ものファックス報告を送り続ける時期もあった。金銭賠償は難航を極め、ルイジアナ州に事務所を持つ海事法に詳しいドッドソン弁護士を弁護団の一員に迎え入れ、彼の援護のもとで金銭補償交渉に臨んでいった。さらにワドルの来日謝罪には、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド元議長のピーター・アーリンダーの助力を請うところが多かった。
 米海軍の事故原因の説明会を一〇月二三日に実現させ、一二月一五日にワドル元艦長の宇和島への謝罪訪問も終えて、全面的な和解への道を大きく切り開くこととなった。「えひめ丸被害者弁護団」に結集してくれた豊田誠、木村晋介、篠原義仁、神原元、藤原真由美、小口克巳、大熊政一、佐伯剛、小賀坂徹、鈴木亜英、富永由紀子、鈴木麗加、池田直樹その他の多くの団員の諸兄には、言葉で表しようがないほどの献身的なご協力を戴き、ここにえひめ丸事件の和解での全面的解決を見る運びとなったことに、深くお礼を申し上げたいと思います。併せて、サポーターとして事件を支えてくれた「えひめ丸の被害者を励ます会」「励ます会IN東京」の皆様にも厚くお礼を申し上げます。




「フリーカメラマン瀬川浩さん」は
労働者である


東京支部 柴 田 五 郎

 二〇〇二年七月一一日東京高裁(裁判長石垣君雄、裁判官大和陽一郎、同蓮井俊治)において、フリーカメラマン瀬川浩さんの労災請求事件(新宿労働基準監督署の労働者でないことを理由とする不支給決定の取消を求める訴訟)について、事故発生以来一六年ぶりに彼の労働者性を認める判決があった。事件は新宿労基署に差し戻しとなり、五カ月後の二〇〇二年一二月業務起因性も認められて、遺族補償が支給された。
 瀬川さんは、一九八五年二月株式会社青銅プロとの間で次のような契約を締結した。
 (1)映画「北の仏」の制作に撮影技師として従事する。
 (2)期間は八五年一〇月から八六年五月までの間、東北地方のロケ  三回、延べ五〇日間
 (3)報酬一二〇万円(いわゆる一本契約)
 そして瀬川さんは一九八六年二月、厳寒期東北地方での徹夜を含む連日のロケに参加中、宿泊先の旅館で倒れ、脳梗塞で亡くなった。そこで遺族は、労災保険を請求した。
 ご承知のように労働者性の判断基準としては、八五(昭和六〇)年に労働基準法研究会が「判断基準」(以下旧判断基準と言う)を、次いで九六(平成八)年に建設・芸能関係者に関する判断基準(以下新判断基準と言う)を公表し、これらが事実上の行政解釈基準の役割を果たして来た。
 これらの判断基準は、一方においては「労働者」とは「使用される者=指揮監督下の労働に従事する者」で「賃金を支払われる者」(この二つを合わせて使用従属性)を言うと、正しい原則・総論を打ち立てながら、他方においては具体的な判断基準として(1)仕事の依頼に対する諾否の自由(2)指揮監督の有無(3)時間的場所的拘束性(4)報酬の労務対償性の四点を、補強要素として?事業性の有無?専属性の有無等を掲げ、実際の適用・例示においては、労働者性を否定する方向に重点を置いたものであった。
 本件で労働基準監督署に労災を申請した頃(八八年当時)は、旧判断基準しかなく、限界事例とし挙げられているのは傭車運転手と在宅勤務者(事務労働)のみで、芸能関係者はそもそも問題外とされていた。本件の再審査請求段階に公表された新基準になって、やっと芸能関係者も労働者の仲間入りをさせてもらえるようにはなったが、それでも撮影技師(チーフカメラマン)は、労働者ではない事例とされていた。
 行政の最終審たる労働保険審査会が、右判断基準に盲従するのはある意味ではやむを得ないとしても、一審の東京地裁までもがこの行政解釈基準に追随して、「撮影技師は相当の裁量性を有する」とか、「監督と技師は同格である」とかの労働省側の主張を入れて、労働者性を否定した。今回の高裁判決は事実認定は一審のそれを殆ど援用しながら、労働者性の判断においては原則に従い「映画に関しての最終的な決定権限は片桐監督にあった。瀬川と片桐監督の間には指揮監督関係がある」として、労働者性を認めた。いわば芸能関係者の「映画監督は撮影技師よりも偉い、映画の制作は、制作会社(その意を受けた進行係)の指揮監督下にある映画監督の指揮命令下に行われる」との常識に合致した判断と言えよう。
 瀬川事件の経過は次の通りである。
  八六年 二月  事故発生
  八八年 二月 新宿労働基準監督署宛 労災申請
  八九年 八月  不支給決定
      一〇月 労災保険審査官宛 審査請求
  九四年一一月  棄却決定
  九五年 一月 労働保険審査会宛 再審査請求
  九八年 六月  棄却決定
  九八年 九月 東京地裁提訴
  〇一年 一月 請求棄却、東京高裁宛控訴
  〇二年 七月 東京高裁判決、原判決取消、不支給決定取消
  〇二年一二月  新宿労基署遺族労災補償支給決定
七 弁護団体制
 当初は、成否の難しい事案であること、弱小事務所であること、小生の気の弱さなどから、私一人でシコシコやっていた。
 新宿労働基準監督署で敗れた段階で、同じ事務所の新進気鋭の米倉勉団員の参加を得て、第二回戦、第三回戦(審査請求と再審査請求)に臨んだが、結論は同じだった。ここに及んで(行政訴訟をするに当たっては)、渋谷共同事務所だけでは持ちきれなくなり、当事者と支援組織(芸能労災連)に弁護団の拡充をお願いした。当初は労災事件のベテランと言われている某氏にまで「見込み薄いよ」と断られるなどしたが、ようやくにして東京事務所の水口洋介・小林譲二両弁護士のご参加を得る事が出来、その後は右両弁護士を中心にして行政訴訟が闘われた。〇一年一月、東京地裁で請求棄却。私などは殆ど諦めに近い心境の下で控訴、結果は思いもかけない勝訴であった。
八 勝因
 第一は、もとより要求の社会的正当性と本人及び支援者の不屈の闘いである。
 第二は、新宿労基署の不支給決定の後参加した米倉弁護士、三連敗の後参加して闘いを再構築し主導した水口、小林両弁護士などの若手・中堅弁護士の力である(皆さん、敗訴した時は新たに若手・中堅・ベテランの弁護士を募集(?)し、新たな力を注入して弁護団を拡充しましょう)。
 第三は副次的なものではあるが、非正規労働者の増加という情勢の変化の影響も多少あったかもしれない。
 とにかくやってみるもの、やり続けてみるものである。




「往くべきは平和の道」を確信して
ー有事法制をぜひとも廃案にー


有事法制阻止闘争本部本部長  四 位 直 毅

 新年 おめでとうございます。
 ことしは有事法制阻止の正念場、です。
 元気で楽しく悔いなくやりましょう!

 この表題は、団の意見書第一集の表題をあてました。アフガン調査から帰国した田中隆さん(副本部長)が調査結果の思いをもこめて命名したものです。
 二〇〇二年は、この道の正しさと大切さを実感する日々でした。
 アフガン、パレスチナ、イラク、北朝鮮などをめぐる刻々の動きと緊張。有事法制・「国民保護」の実相とイージス艦派遣の強行。「公」を個人に優先させて戦争肯定の人間づくりをめざす教育基本法改悪の企て等々。
 だがしかし、人びとを戦争にかりたて直面させるうごきがつよまればつよまるほど、これに抗して平和を!の声をあげ行動にたちあがる人びとが続く、その力が有事法制をあいつぎ継続審議にさせ、イラク問題での国連安保理1441決議に結実するーいわば歴史の弁証法が(ブッシュやルペン、小泉や石原の登場を許すジグザグをふくむとはいえ)基本的には歴史の発展方向にそって、リアルタイムで絵を描くように、この国でも世界でも展開されています。
 さて。ことし、です。
 国会解散とその時期、イラクをめぐる動向などとのかねあいがあるものの、基本的にはなるべく早期に有事法制の成立強行をはかる構えが、日米両国政府とこれに与する人びとのうごきにみてとれます。
 それだけに、私たちはなおさら先手必勝で、年頭早々から廃案実現の旗を高くかかげて、意気高く大きく打って出るべきではないでしょうか。
 早期成立強行必至とみられた昨年はじめの状況から通常国会と臨時国会でのあいつぐ継続審議へと移行した経緯からみても、私たちのたたかいと状況次第では廃案実現の可能性がある、と私はみます。
 では、どうたたかうか。
 第一、「修正案」によっても「予測事態」の段階からアメリカの戦争にこの国と国民が総ぐるみでくみこまれていく基本的しくみにかわりありません。「国民保護」とは戦争への「国民動員」であることも、ますますあきらかです。
 これらのことを、一日でも早く一人でも多くの人びとにわかりやすく知らせきることがたたかいのカギ、です。
 第二、憲法、教育基本法、労働法制などなどを改悪するうごきと有事法制とは深く結びついています。このことを事実にもとづき、わかりやすく訴えることです。
 第三、自治体に住民の「福祉の増進」を守るべき地方自治の本旨を貫かせるか否か、マスコミ・マスメディアに歴史の真実を報道する立場を貫かせるか否かも、戦争か平和かのゆくえに深くかかわるものです。
 第四、緊急法制は必要だと考える人とも「この法案には反対」の一点で団結し共同する方向をつよめることです。
 最後に。「往くべきは平和の道」は単なる理想ではなく、現実の紛争解決と戦争阻止のためにも有効であることを、なかみ豊かにあきらかにすることです。
 平和も幸福も与えられるものではなく、私たちの不断の努力でかちとるものです。
 ことし私たちは、有事法制を阻止して、二一世紀を平和の世紀とするための一歩をしるそうではありませんか。




「司法民主化」その運動の前進と団の課題


千葉支部  高 橋  勲

はじめに
 自由法曹団本部に「司法民主化推進本部」という組織があります。その本部長に豊田誠さんにかわって就任せよという?大それた? 話が、篠原前幹事長からあったのは、二〇〇二年五月集会の直前だったと思います。私はその頃、二〇〇一年度の日弁連副会長の任期を終え、ほっとしていた時期であり、また、何よりも私自身その器でないことをよく知っていたのでお断りしていました。
 しかし、その後もこの話は消えず、ついに一〇月の団本部総会の後に開かれた推進本部の会議に引っぱり出され、引きうけることになってしまいました。
 こうなったからには、全国の団員の皆様のご協力とご指導をお願いするしかありません。
 あまり気負わず(気楽にという意味ではありません)、団がこの間確立した方針の実践という立場で、何とか任を全うしたいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。

今日の司法制度改革をめぐる情勢
 二〇〇二年団総会議案書が分析しているとおり、司法制度改革推進本部や各検討会を中心とする立法作業はいよいよ本格化してきています。そして、その動向は国民のための司法の実現を目ざす立場からみて、決して予断を許さないものとなっています。
 とりわけ推進本部事務局の官僚主義や秘密主義、さらには各省庁の権益確保・拡大などの動きも顕著にみられ、十分に警戒しなければなりません。
 団は、二〇〇二年総会の議案書の中で、団の今次司法改革についての「基本認識」として、「新自由主義、規制緩和路線に基づく財界・政府の目論む途か、中央集権的裁判統制をやめさせ、憲法・民主主義及び基本的人権に忠実な裁判と裁判制度を実現するのか」と規定しました。そして、司法制度改革審議会最終意見についても、それを金科玉条的にとらえるのではなく、(1)立法促進課題、(2)立法反対運動課題、(3)あいまいな内容、手つかずの内容の改善と変革の課題とに整理し、運動として前進させる観点をあらためて指摘しています。
 このことを全団員の共通認識とすることが今極めて大切だと思います。
 なぜならば、団のこの間の議論のなかで整理され確認されてきたとおり、「司法民主化の課題は、敗訴者負担など改悪阻止闘争の側面を持ちつつ、広範な分野で政府・財界の狙いを打ち砕き、官僚の抵抗を排除しながら、積極的に立法を求めていくという、団としても経験を有しないたたかい」(団議案書一二頁)だからです。
 私は、こうした情勢認識に立って、団らしい運動の前進にむけて、今こそ全ての団員が各々の立場で、各々の部署で、各々の地域で汗を流すことが、全体としての司法の民主化を一歩でも二歩でも進めることにつながることを訴えたいと思います。

自由法曹団の役割
 司法制度改革を「国民のための、国民の手による司法改革」として成功させるうえで団と団員の役割が大きいことは言うまでもありません。
 どこで力をつくすか。その第一は何といっても、司法民主化にむけての国民運動の構築と世論の結集です。
 司法審意見書は「法曹一元」を提唱するには至りませんでした。しかし、一部であっても、「裁判員制度」という訴訟手続への国民参加の道を開いたのです。これを重視し、これを契機に「陪審制」や全ての裁判に対する国民参加の道を切りひらく展望をもって国民的な運動を盛り上げようではありませんか。
 あわせて、「人質司法」といわれた刑事司法の具体的な改革を求める運動を大きくする契機にしようではありませんか。
 労働裁判、行政訴訟検討会の動きも、注視しましょう。今日の労働裁判が、労働者の権利救済に資するものとなっていないこと、その改革が急がれること、そして「労働参審制」の導入の可能性も展望しながら、労働運動の側へ、もっと大胆な行動提起もしようではありませんか。
 行政訴訟の改革もいわば「攻め」の課題としてとらえたらおもしろい。
 「裁判官制度改革」の課題。これも、大衆的裁判闘争の豊かな経験をもつ団にとって、その発言には重みがあるはずです。
 などなど、今次司法改革を、国民の側からもう一度とらえ直し要求を実現する国民運動の観点でとらえ直してみたいものです。
 そして、団は、何ものをもおそれず、国民の立場で、原則的に行動するという良き伝統をもっています。「立法に反対すべき課題」の率直な提起と国民運動の掘りおこしです。
 弁護士費用の敗訴者負担制度の導入は、国民の裁判をうける権利の保障の立場から、断固として阻止しなければなりません。日弁連がこの点で明確に反対の態度を決定し、阻止にむけた国民運動を呼びかけていることは、昨年度の日弁連執行部の一員であった私としても、とてもうれしいことです。
 その他、この間浮上した裁判迅速化法案、新仲裁法、他士業への法曹資格導入など、なかには審議会意見書の恣意的拡大解釈と思われる動きなども含めて、その批判・反対運動を、国民運動として展開させなければなりません。
 その中での団の役割の大きさは改めて言うまでもありません。
 もとより、こうした必要な国民運動の飛躍的な前進のために、立法推進課題についても、反対すべき課題についても、空白克服課題に関しても、国民の立場に徹した理論的解明作業が不可欠であることは言うまでもありません。
 この間団が発表した多くの「意見書」が、検討作業にあるいは国民運動に理論的確信を拡めるうえで、貴重な役割を果たしていることは疑いのない事実です。
 これからも、この分野のとりくみの強化は引き続き重要です。
 そして、もう一つ。日弁連や弁護士会の司法改革の正しい前進にむけてのとりくみの発展に、団や団員としての力を尽くすことをあげておきたいと考えます。
 日弁連・弁護士会が、今日、国民のための司法改革実現にむけた重要な役割を担っていることは間違いありません。
 もとより、日弁連が強制加入団体であり、会内合意の形成との関係も含めて、団の見解と違いが生じることは、いわば当然とも言えます。そのことを前提として、一致点を大切にし、弁護士会の提起する様々な国民運動課題についての企画の方向と成功にむけて、日弁連で、また全国各地で、各々の立場でとりくみを強めていくことが極めて大切だと思うのです。

団の体制など
 二〇〇二全国総会後の司法民主化推進本部で、以下の新しい本部体制を確認し、一一月常幹で承認されました。
  本部長 高橋勲(新)
  副本部長 四位直毅 坂本修 鈴木亜英 (再)
       篠原義仁(新)
  事務局長 中野直樹(新)
  担当事務局次長 斉藤園生 坂 勇一郎 馬屋原 潔

(私の感想) 「重量級」の副本部長四人のもとで本部長がはじき飛ばされる危険があります。事務局長、次長は本部事務局との兼任。
 一日も早く、本部メンーバの実質的な拡大と強化がはかられなければなりません。「よし、やってやる」と思われる方々、そして全国の皆さんから、積極的な本部メンバーへの登録のご連絡が入ること切に期待しています。




一・二九司法アクセス検討会を
敗訴者負担反対の声で包囲しよう


担当事務局次長 坂  勇 一 郎

一、 一一月二八日、司法制度改革推進本部アクセス検討会で、弁護士報酬の敗訴者負担制度の本格的議論が始まった。この日は約四〇分、このテーマについてのフリートーキングが行われた。
 冒頭、事務局より二〇〇〇年六月一三日の司法制度改革審議会における日弁連の意見が紹介された。この日弁連の意見の中には、敗訴者負担制度が訴訟提起を支援する作用を果たす側面がある旨の記載があり、事務局は上記の段階では日弁連が敗訴者負担制度に反対していなかったことを、印象づけようとした。この間の日弁連の反対運動への取り組みに鑑みれば、事務局の取り上げ方は恣意的というほかない。
二、 フリートーキングの中で導入積極論者からは、概要次のような導入理由が述べられた。曰く、(1)弁護士報酬を相手方から回収できないために、訴訟を回避する人がたくさんいる。(2)勝訴しても弁護士報酬を支払わなければならないため、権利が目減りする。(3)敗訴した方が弁護士報酬を負担するとした方が公平である。(4)濫訴を防止する必要がある。(5)司法制度改革審議会の最終意見書で導入は決められており、議論はその枠の中でしかできない。(6)反対意見はオルガナイズされた意見であり、他方賛成意見は明確に出されにくい。
 導入反対の立場からは、(1)この問題は社会的弱者の痛みを感じながら考えていかなくてはならない、(2)ヒアリングを行うべきである、(3)日本では濫訴を防止しなくてはならないような状況にはない、等この間の積み重ねの成果ともいうべき意見が出された。
 この間の運動の進展の中で論争点はより鮮明になってきているところ、一一月二八日の検討会の全体的印象としては、導入積極論の意見が優勢といわざるを得ない。次回一月二九日の検討会では具体的事実や実情に基づいた論陣を説得的に張る必要があるし、これを支える運動を強めることが重要である。
三、 団も参加している「弁護士報酬の敗訴者負担制度に反対する全国連絡会」は、推進本部司法アクセス検討会に対して反対の声を示すため、次回検討会(一月二九日)当日後記のとおり反対の意思を示す行動を提起した。団も一二月の常任幹事会で同行動への積極的参加を確認した(同行動には、仙台・大阪等全国各地からの参加も予定されている)。
 次回検討会は議論の方向性を左右する重要な検討会となると思われるところ、是非ともこの行動に参加するとともに、周囲の市民団体や民主団体に広く参加の輪を広げることを呼びかける。


敗訴者負担に反対するデモ行進と国会内集会
日時 二〇〇三年一月二九日(水)
       午前一一時四五分 集合(集合場所は未定)
       正午 デモ行進開始(午後一時一五分ころ推進本部前通過予定)
       午後二時〜三時 国会内集会




憲法調査会「中間報告」について


担当事務局次長  山 崎  徹

 国会に憲法調査会が設置されたのが二○○○年一月である。それから三年が経過しようとしている。調査会の調査期間は概ね五年程度を目途とするとされているから、時の経過でいえば、その折り返し地点を迎えていることは間違いない。この間、衆議院憲法調査会では、主として、「日本国憲法の制定経緯」「二一世紀の日本のあるべき姿」をテーマに、順次、参考人を呼んで意見を聞き、調査会の委員と質疑応答をすることを行い、さらに二○○二年からは、四つの小委員会に分かれて、同様の質疑応答を行ってきた。
 こうしたテーマ設定や調査方法自体、これまでも、調査会の設置目的に照らして問題であることが指摘されてきた。調査会の設置目的は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」ことであるが、とりわけ、「二一世紀の日本のあるべき姿」のテーマについては、現実の日本国憲法の運用実態を調査、検証することなしに、各人が思い描く二一世紀の国家像について論じ、それに憲法をどうあわせるかを議論する傾向があった。テーマ設定自体に改憲へのムード作りが意図されていたのである。
 調査会の法に定められた設置目的からすれば、調査会がなすべきことは、まず、憲法の運用実態について調査し、憲法の内容を実現するのに必要な法律が十分整備されているかを検討することであった。そしてそれが不十分であればその原因を解明し、憲法を現実の政治にどう生かすかを議論すべきであった。
 ところで、昨年一一月一日、衆議院憲法調査会が、A四版で七○六頁に及ぶ大部の「中間報告」を発表した。調査会の議論の仕方を反映して、改憲に関する「発言集」とも言えるような代物である。
 中間報告の最大の特徴は、これまで議論してきた「テーマ」や「質疑のやりとり」を無視して、憲法の各章ないし各条文ごとに論点を設定し、そこに委員や参考人の発言の一部を羅列していることである。要するに、後から調査会事務局が設定した論点ごとに、「・・・に積極的な意見」「・・・に否定的な意見」「その他の意見」に仕分けをし、調査会の議事録から、それに関する発言部分を断片的に取り出して記載しているのである。たんに論点にあてはめて発言の一部を羅列していくだけなので、改憲側の委員が多数を占める調査会の構成上、必然的に改憲意見の分量が多くなっている。
 そして、このように参考人や委員の発言を再構成したものであるがゆえに、発言の趣旨と違う整理のされ方がなされている部分が数多く見られるし、実際の「質疑のやりとり」において、どの「質問」とどの「回答」が対応しているのかさえ分からない構成になっている。なかには、実際の質疑の質問部分の発言だけが載っており、回答部分の発言が記載されていないこともある。
 要は、発言の良し悪しには関係なく、後から設定した論点に関係しそうな発言を片っ端から並べているだけなのだ。例えば、「武力は不可欠であるという国際認識に立つ立場からの発言」という項目では、委員の発言として、「地域紛争の多発、日本の置かれている地域環境等にかんがみれば、冷戦が終結し平和になったから現状のままでよいとする意見に与することはできない」(石破・自民)「日本が武力を保持しない限り平和は維持されるという考え方は妥当ではない」(高市・自民)「平和を唱えるだけでは平和を実現することはできないのであり、国民の権利及び財産を守るために戦うことも平和の一つであることを認識すべきである」(小林・民主)といった類の発言が、発言内容を吟味されることもなくアトランダムに載せられている。
 調査会の中山会長は、中間報告を作成したのは調査会の事務局であり、だから、内容は議事録の要点を整理する程度で「公正中立」なのだという言い方もする。しかし、その「公正中立」を装いながら、結果として言いっぱなしの改憲意見の分量を増やしているのである。
 もうひとつ特徴を言えば、地方公聴会の意見陳述者の発言が著しく軽視されているということであろう。中間報告では、右の論点整理の前提として、招致された参考人の発言内容を十数行で紹介することにページを割いているが、地方公聴会での意見陳述者の発言内容は、一〜二行に要約して記載されているだけである。また、これまで、地方公聴会は六カ所で実施されているが(仙台・神戸・名古屋・沖縄・札幌・福岡)、そのいずれの場合も、多数の意見陳述者が憲法の積極的な意義を評価し、改憲をもとめる意見は少数であった。改憲に関する国会内の議論状況と国会外のそれとの「ギャップ」が明らかになったことが地方公聴会の結果として最も注目すべきことであった。しかし、そのことはこの中間報告からは窺い知れないのである。
 このような中間報告を発表することについて、調査会は、共産党や社民党の委員の反対を押し切り多数決で決めた。そのねらいは、ふたつあると思われる。
 ひとつは、「公正中立」を装いながら、調査会の今後の方向性を明確にするということである。改憲側としては、これからは最終報告に向け、条文ごとに改正の必要の有無を検討していきたいところである。中間報告を憲法の各章、各条文ごとの論点整理とし、それを梃子として、もともと問題のあった運営をさらに改憲の方向に舵取りをしようというのである。
 ふたつめは、憲法調査会の存在を国民にアピールするということである。右のような中間報告を作れば、少なくとも「今の憲法にはいろいろ問題があるのではないか」という雰囲気を国民に伝えることができる。委員の多数は改憲側の発言をしているから、中間報告がたんなる「発言集」にすぎなくても、そこから改憲ムードを醸し出すことができる。もともと、憲法調査会自体、改憲勢力からは、そこで何かを決めるということよりも、国民のなかに改憲ムードを作る役割を期待されている存在である。中間報告も当然にその一環と言うことになろう。
 そして、このような中間報告について、マスコミは概ね迎合的に報道をしている。「全体を読めば、焦点の九条や基本的人権などの項目について、国会内で改正意見が大勢を占めている実態は明白だ」(読売)「憲法九条をめぐる環境はこの一○年間余で大きく変わった。」「改憲=タカ派、護憲=ハト派という単純な図式は崩れた」(毎日)「今後は平成一七年ごろをめどにとりまとめる最終報告書で、憲法改正の方向性をどれだけ具体的に打ち出せるかが焦点となる。」(産経)などは一一月二日付けの各紙の論調である。野党についても、内部ではいろんな意見があるものと思われるが、共産党と社民党を除いては、改憲勢力を後押しする状況にあり、民主党は「創憲」、公明党は「加憲」の立場を標榜し、憲法改正に反対する立場をとらない。
 こうした状況のもとで、調査会は、いよいよ条文ごとの検討に入っていくであろう。そこでは、九条「改正」議論とともに、「新自由主義的改革」や「ナショナリズム」を反映させるための人権条項・統治機構の「改正」議論が展開されることになる。通常国会に出される教育基本法の「改正」問題はその先取りである。私たちが手をこまねいていれば、二年後には憲法改正を具体的に方向付ける「最終報告」が出てくるのは必至である。
 私たちとしては、「有事法制」や「教育基本法の見直し」を許さない闘いと同時に、憲法九条など明文改憲をめざす策動がこのように進んでいる実状をひろく国民に知らせることが必要であるし、また、これまで以上に草の根からの憲法運動を強めることは当然として、団の委員会や団員を中心とする弁護団から、その得意分野に関して「中間報告」に対するカウンターレポートを出し、事実をもって現実の憲法実態を明らかにする運動を行うなど、憲法調査会を意識しこれに対峙するような運動の工夫も必要であろう。




足立区議会「つくる会」勢力の
教育介入問題陳情・継続審査に


北千住法律事務所事務局  本 木  進

一、陳情提出発覚の経過と結末
 一一月二〇日足立区議会に「足立区の教育を考える瑞穂会」(会長 小林武雄)の提出した陳情は、議会で教育内容への介入を求めるものであり、明らかに教育基本法に違反するものである。同陳情は、一二月一二日同区議会文教委員会で継続審査となった。本年三月の議会で同陳情が継続審査となれば、四月には区議会の改選があり廃案となる。全国的には、あまり見られない陳情であったが、緒戦で「つくる会」勢力の策動を阻止した。
 なお、この陳情が区議会に提出されているのを知ったのは、一二月六日に「教科書ネット21」(俵義文氏)のメーリングリストにより知らされたもの。
二、教育介入問題陳情阻止対策会議
 一二月六日、都教組足立支部と緊急協議する。
 一二月九日、(1)「よりよい教科書制度を求める足立の会」(2)「平和憲法を守る足立の会」の二つの「足立の会」が呼びかけて対策会議を開く。一五名が参加し、区議会への要請行動と朝ビラ配布を行なうことを決定。
三、区議会等への要請行動
 一二月一日午後〇時三〇分に区役所に、都教組足立支部、新婦人足立支部、千住平和ネット、村田智子弁護士等七団体一一名が参加し、足立区議会六会派、区議会議長、教育委員会に要請した。区議会議長は自ら議長室に招きいれ、「私は農家の出身だから」と気さくに要請を受け入れ「今回の陳情は教育の場に強制しない」と言明。
四、早朝宣伝と文教委員会傍聴
 一二月一二日午前七時三〇分より足立区役所の最寄り駅である梅島駅で六団体一九名が参加し、「あってはならないはず 区議会の教育内容への介入」と題したビラを配り、教員、弁護士、婦人等がハンドマイクで訴えた。用意した五百枚のビラは約四〇分でなくなってしまった。
 同日午前一〇時から足立区議会文教委員会が開催された。都教組足立支部の浜野書記長他二名が、委員会傍聴をした。
五、文教委員会で「教育介入陳情」継続審査に
 文教委員での陳情の扱いは「全会一致で継続審査となり、『この陳情は問題だ』というのはどの会派にも浸透していて、誰も採決しろとはいわなかった」との共産党小野実区議の報告である。
六、「教育基本法を守る足立の会」(仮称)設立へ
 いま、都教組足立支部を中心に「教育基本法を守る足立の会」(仮称)設立準備会を一二月二一日夜に開催し、この一月には正式発足の見込みである。
 有事法制を許さず、教育基本法の改悪阻止を車の両輪にして、諸行動を強化していきたい。




斉藤一好著「一海軍士官の太平洋戦争」を読んで


東京支部  鶴 見 祐 策

 何年か前、自由法曹団東京支部の総会で斉藤先生から「戦争体験」を拝聴した記憶がある。若い団員や事務局が熱心に耳を傾けた。私も半分は戦争世代だが、多くのことを教えられた。先生の貴重な経験を知る人達からの要望もあったのだろう。その斉藤先生が出版された本を弁護士会の書店で見つけて手から離す間もなく読み終えた。
 著者は海軍兵学校六九期生。卒業後に乗務の「長門」艦上で日米開戦を聞き衝撃を受けた。戦略的に劣勢の対米戦はあり得ないと信じていたからという。ミッドウエイの後、駆逐艦「雪風」に乗務し、ガダルカナルでは敵中に孤立した陸軍部隊の救出に向かう。この撤退作戦は奇跡的に成功するが、この凄惨を極めた体験は今でも脳裏から離れない。弁護士として公害裁判に参加して被害者の姿をみるにつけ「飢餓とマラリヤに打ちひしがれた兵士たちの姿が二重写しとなって眼前に髣髴する」と著者は語っている。さらに将来の教訓として、ひとたび日本が戦争に巻き込まれれば、この国全体の「餓島」化は必至と言われる。全く同感である(なお私見を言えば、この無謀な作戦を進めた陸軍参謀は、ノモンハンの前歴があり、無数の兵士を死地に送りながら、軍の中枢に留まり続け、戦後は何ら責任を問われることなく、臆面もなく戦記物を出版して自己顕示をほしいままにし、最後は参議院議員にまでなった。今もはびこる戦争賛美の先駆けといえる)。
 ダンピール海峡、コロンバンガラ沖の海戦を経て本土に帰還。潜水学校で履修して当時世界最大の潜水艦イ四〇〇(排水量六五六〇トン、全長一二二メートル、水上攻撃機三機を搭載)の水雷長先任将校として乗務し、四五年七月、南太平洋に向けて出航した。途中でポツダム宣言を傍受し「民主主義的傾向の復活強化」など、それまで聞いたこともない文字が躍っているのに衝撃を受けたという。八月一六日、司令部から「帰還せよ」との命令が届き、北上するうちに米軍に拿捕。乗船してきた米将校と挨拶を交すが、「敵の顔を見るのは、この時がはじめてだった」という感慨は興味深い。約一ヶ月の捕虜生活は実に得難い経験だった。ロースクール出身の兵士との交流もあった。彼が滔々と論ずる「基本的人権」は全く耳新しい言葉であった。この体験が戦後弁護士を目指す一つの動機となった。
 斉藤先生が「太平洋戦争をかえりみて」と記述されている部分は最も味読に値する。陸軍の独走は通説だが、それに劣らぬ「日本海軍の責任」に焦点を合わせ「生産の不十分さと現在の日本」に言及されている。靖国問題や昭和天皇の責任に触れておられる。一つ一つ首肯させられる。兵学校時代の回想も教えられる点が多い。
 戦争の危険が現実のものになりかねない。身近な歴史から学ぼうとせず、戦争の実相をゆがめ、むしろ美化しようとする者が跋扈し始めているように思われる。それだけに今この本は、より多くの人に広く読まれるべきだと思う。【出版「高文研」頒価一八〇〇円税別】




書評 平山知子著『若きちひろへの旅』上・下
(新日本出版社刊)
ー人生の苦難に立ち向かうちひろ像ー


東京支部  松 井 繁 明

 いわさきちひろの絵を一度も見たことがない、という人は少ないだろう。大胆な省略とパステルカラーで描かれた子どもらの像は、私たちに子どもらの可愛らしさ、いじらしさ、一途さなどを訴えかけて、心をなごませる。生前、私がお会いしたちひろさんも、穏やかな眼と控えめな人柄が印象的な女性だった。
 だが、そのちひろの前半生が、これほどの苦難と波乱にみちたものだったとは、あまり知られていないのではないだろうか。誤った結婚とその悲劇的な結末。そして「満州」(中国東北部)では生命の危険にも直面している。そして、敗戦ー。もともと豊かな才能にめぐまれ、勇気と行動力の持ち主であったちひろにとっても、それは存在そのものをおしつぶすような重圧であったろう。それを乗り越えて、ちひろは新しい人生をきりひらいてゆく。これが本書の見所のひとつである。
 つぎに、ちひろのその新しい人生と、平山知子さんのご両親、菊池邦作・弘子の人生とが奇(く)しくも交錯するのである。これが本書にドラマティックな感動を加えている。
 敗戦の翌年の一九四六年一月一三日、長野県・松本市で、菊池夫妻も尽力して、再建されたばかりの日本共産党の演説会が開かれた。弁士のひとりに故林百郎団員の名前もみられる。この演説会に、ちひろが参加していたのである。そのことは、幼かった知子の、記憶の断片とも一致するという。
 これがきっかけとなって、ちひろと菊池夫妻との交流がはじまり、ちひろの日本共産党への入党につながってゆく。ところがこの交流は、ちひろが松本を去って行方がわからなくなったことで、わずか三ヶ月で、断ち切られる。しかし一九五〇年頃、菊池母子は東京でちひろとの再会をはたす。この経過は、本書で読んでいただくとして、まったくの偶然でありながら、人生の必然でもあったように映る。ちひろにとって二度目の夫である松本善明団員が、本書の主要な登場人物のひとりであることはいうまでもない。善明・ちひろ夫妻の新婚当時の状況も微笑ましく描かれているが、善明像にはやや書込み不足の憾みが残る。
 本書は、ちひろの伝記として先行した飯沢匡(ただす)氏、滝いく子氏らの著作をふまえながらも、新しい資料の発掘、その深い読み込み、関係者への直接のインタビューと足で歩く確認などによって、事実を確定し、それらと著者の推測・想像を明確に区別する、手堅い手法が採られている。良質な推理小説を読むような快さがある。一読をお薦めする次第である。なお、ちひろの絵に過度によりかからず、松本の清涼を伝えている本書の装幀(井川啓)には好感が持てる(定価、上・下合計三、三〇〇円)。




全国からご参加をお願いします!
「教育基本法」改悪阻止・全国活動者会議のお知らせ


幹事長  島 田 修 一

 一〇月の総会以降、(1)憲法調査会中間報告、(2)中教審の教育基本法改正中間報告、(3)労働基準法改正審議会答申、が相次いで出されたことはご承知のとおりです。一一月と一二月の常幹では早速それらの問題点について論議するとともに、(1)についてはカウンターレポートを検討作業中、(2)は意見書を作成して文科省に執行、(3)も団長声明と厚労省交渉を進めるなどの対抗措置を講じてきました。しかし今年の通常国会においては、有事法、司法改革に加えて(2)と(3)が重大な局面を迎える情勢となっています。
 新自由主義と新国家主義という支配層の国家戦略は、これら問題を有機的に結合させつつその策動を進めていますが、一二月常幹と教育改革対策本部での討議の結果、教育基本法「改正」は「全国活動者会議」を開いて団の意思統一を図る必要があることを確認しました。中教審「中間報告」は、この国の教育のあり方の根本法である教基法を全面的に改正し、大競争時代に勝ち抜くための「たくましい人間」および「伝統を尊重し国を愛する心」という人間像を打ちだしましたが、これは、強い日本=軍事大国の人的資源を作りだそうとするものにほかなりません。自民党が早速、同党が組織する全国教育改革推進本部会議を中心にこの三月、全国の都道府県議会に対して「教育基本法の改正を求める請願」運動を行なうことを決定したことも彼らの強い決意を示しています。
 支配層は「憲法は幹、教基法は根」として教基法改正を改憲の露払いと位置づけていますが、教基法改悪は、“学校教育に何をもたらすか”“市民社会をどのように変化させようとするのか”“有事法制とのかかわりは何か”等々、国家・社会・人間、つまりこの国のあり方と精神生活に決定的な変容を迫ろうとするものであります。団においても、あらゆる角度から分析して教基法改悪がもたらす問題点を明らかにすることが喫緊の課題となっています。
 そこで、この問題について全国活動者会議を行ないますので、各地からのご参加をお願いいたします。
(日時・場所などのお問い合わせは団本部まで)