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<<目次へ 団通信1084号(2月21日)



高木 一彦 国労八王子機関区分会昇進差別事件
都労委勝利命令
山崎国満 高石市の合併問題について思う
伊藤 幹郎 緒戦の勝利、追撃戦で止めを!
足立 定夫 団の教育問題の取り組みを新しい段階に
笹田 参三 教育基本法問題を考える
村田 智子 二月一日教育基本法改悪阻止全国会議のご報告
萩尾 健太 国立大学法人化の教育公務員特例法への影響(上)
広田 次男 写真撮影隊始末記
菊池  紘 平山知子さんの「若きちひろへの旅」の勝手な読み方
佐々木猛也 平成不況の贈り物
四国八十八カ寺遍路の旅
小口 克巳 えひめ丸事件報告(1)
―えひめ丸事件の解決―




国労八王子機関区分会昇進差別事件
都労委勝利命令


東京支部  高 木 一 彦

 本事件の代理人仲間である中野事務局長からの依頼で、本文章を書くことにした。ただ、近日中に労働弁護団の「労働者の権利」にも本件の報告が掲載される予定なので、事件の内容その他はそちらをご覧いただきたい。ここでは、事件をめぐる全国的な状況だけを報告しておく。
 八七年の国鉄分割民営化後、JR各社で国労組合員に対する厳しい昇進差別が行われた。これを放置しておいたのでは、JR発足後に入社した社員は国労に加入せず、近い将来国労運動が瓦解するとの懸念の下で、九一年前後、全国の地労委に昇進差別の救済が申し立てられた。東日本旅客会社関係で、秋田・岩手・福島・仙台・神奈川と東京で四陣の計九件が各地労委に申し立てられ、貨物会社では大阪・静岡・富山と本件の四件が申し立てられた。貨物では大阪で二〇〇〇年に勝利命令を得ているが、旅客関係では神奈川・秋田で勝利したものの、岩手・福島で敗北し(いずれも中労委に舞台を移している)、いよいよ天王山である東京での命令が出るという場面で、一足先に貨物で都労委の命令が出たわけである。全国の地労委で結論が真っ二つに分かれた「大量観察方式」の適用について、本件で、都労委が、国労昇進差別事件についての初めての判断を示したということになる。全動労事件判決をはじめとするさまざまな逆流にもかかわらず、都労委が従来通りの判断枠組みを譲らなかったと言う意味で、命令の持つ意味は大きい。一六年前、国鉄分割民営化反対闘争の渦中で、地元の国労組合員を前に、「闘う者が馬鹿を見ない、もっとうまく立ち回ればよかったと後悔しないですむ時代を僕たちが作る」と大見得を切った、その肩の荷が、ほんの少しだが軽くなったような気がしている。
 弁護士になって二年目に担当した、三鷹に本社のあったサンスイ電気の工場閉鎖事件では、工場占拠のままの膠着状態に弁護士として何ひとつアドバイスが出来ず、新たに応援に来られた代々木法律事務所(当時)の石野弁護士の「異議を留めて配転に応ずる」という戦術に驚嘆した。五年目だかに町田のタクシー会社で自交総連傘下の組合が一時金要求で全面ストに入ったところ、会社側に分裂を仕掛けられ、当時都労委の労働者委員をしておられた都職労の森さんに「分裂が入ったら闘いは収束させなければ」と言われた。
 正しいことを掲げていればいいのではない。負けを認めなければ勝ったことになるわけでもない。どう勝つのか、もっといえば、どう負けるのか。サンスイでも沖電気でも職場には半数しか戻れなかった。どのような解決の水準であるかは、時々の力関係で決せられるとしても、一番大切なのはその退却戦ともいうべき議論を通じて、闘う部隊の団結をどう維持し、どう発展させるかにあったとしみじみ思う。
 私が国労が好きなのは、活動家だけの集団ではなく、根性は座っていても普通の労働者、普通のおじさんたちの組合だからである。闘いが前進しているときの団結はある意味では容易い。退却のさなかにどう部隊をまとめ、次の闘いに立ち上がれるようにするのか。「敢えて遅れたるにあらず、馬進まざるなり」、退却戦で最も困難なしんがりを務めた武将の言葉だという。どんな闘いの時にも弱音を吐かなかった国労の幹部活動家が、北海道に闘う争議団へのオルグに出かけ、玄関に入れてもらえなかった話をした時のつらそうな顔が気にかかる。
 非力な私であるが、闘う人々に寄り添い、できることはやり続けたいと思う。





高石市の合併問題について思う


山崎国満

 いま全国的に市町村の合併の動きがありますが、私の住んでいる高石市でも、昨年の三、四月頃から堺市との合併問題が急浮上し、既に行政レベルで「研究協議会」が設置され、昨年一〇月にはその調査研究の結果報告書が各家庭に配布され、昨年の九月議会ではその是非を問う住民投票条例が可決され、この一二月議会では「堺市との合併推進決議」が与党会派によって提出されるところまで来ました。

 この合併は「平成の大合併」とよばれ、主に小規模の市町村や堺市など政令指定都市などをめざす大都市での動きが急でありますが、何よりの問題は、それが各自治体の自主的な判断ではなく、政府主導で上から強制的に進められているということです。平成一七年三月までに合併することを条件に、合併した自治体には地方交付税を向こう一〇年間は合併前と同じように保障する(交付税の算定替えの特例)、合併した自治体には合併後の事業のために特別に起債をすることを認め、その七〇パーセントを交付税で措置する(合併特例債の特例)など、いわゆるアメとムチによって、約三三〇〇ある全国の市町村を一〇〇〇程度に減らそうとしているのです。

 いうまでもなく、市町村が合併するということは、それまでの市町村が消えてなくなるということです。それまでの役場や職員は出張所という形で一定残るかもしれませんが、いずれにしろ出先機関と言うことで、基本的な政策決定や住民サービスは合併した本庁の方で行われることになります。それまで住民が直接選んでいた市長も議会もなくなり、住民自治からすれば住民の声は届きにくくなります。住民サービスや公共料金の点でも各自治体間に格差があるのが通常で、その点がどうなるのかも住民にとっては大問題です。

 その意味で、市町村の合併は、市町村の存立にかかわる最重要課題で、その是非を住民投票の形で問うことは地方自治のあり方からして当然のことです。
 しかし、大切なことは、住民に対して合併に関するあらゆる情報が提供されることが必要で、高石市の場合は合併に誘導する一方的な情報しか与えられていないように思えてなりません。先の各家庭に配られた報告書を見ても、住民にとって一番知りたいこと、必要なことが全く記載されていないのです。
 まず第一は、堺市と合併して政令指定都市になるということですが、その財政シュミレーションが全くなされていません。政令指定都市になればバラ色というイメージがあるかもしれませんが、実は全国のどの政令市を見ても、権限(仕事)が増える割には財政的な権限の委譲がなく、例えば大阪市の場合、政令市になることにより逆に年間五五〇億円も財政赤字をかかえ、私たちが納める税金等一般会計のなかからその穴埋めをしているのが実情なのです。
 また第二に、住民にとって一番関心事である住民サービスや公共料金等負担がどうなるのか、先の研究報告書では、それは「法定協議会」で議論すべき事として一切その見通しを出していません。高石市の場合、これまで臨海工業地帯の豊かな税収を背景に他の市と比べて高い行政水準を確保してきたのですが、堺市と比べて人口や面積で一〇分の一にも満たない高石市が合併してそれがどうなるのか。高石市では広報等で「サービスは高い方に、負担は少ない方に」としていますが、当の堺市長は「すべてを高い方には合わせられない」と新聞で述べており、どちらが本当か答えは自ずと明らかだと思うのです。
 そして第三に、研究報告書では、合併しなかった場合の単独の財政シュミレーションが出されており、それによれば高石市は建設事業費を最低限に抑えても毎年十数億円の赤字、堺市は一定の建設事業費を支出しても財政収支はトントンということになっていますが、当の堺市当局の資料によれば、このまま行けば毎年百数十億円もの赤字になるということで、一体どちらが本当か耳を疑いたくなる思いがします。

 それにしてもなぜ高石市は合併をしなければならないのか。高石市は全国でも数少ない地方交付税の不交付団体ですから、少なくとも交付税の算定替えの特例は理由にはなりません。高石市は、合併の理由として財政難をあげ、それを固定資産税を中心とする市税収入の減少に求めていますが、ほんの数年前まで府下で一、二位の財政力を誇っていた高石市がなぜこのような事態に至ってしまったのか。私は高石駅前再開発の住民訴訟の代理人をしていますが、バブルが崩壊し税収減が顕著になったにもかかわらず、駅前再開発など特定の公共事業を一気に拡大させてきたことがその根本的原因だと思います。
 高石市の財政難といっても、高石市は府下でも数少ない地方交付税の不交付団体ですし、経常収支比率が一〇〇を越えるようになったといっても、そのような自治体は府下で一〇もあります。市税収入が落ち込んだと言っても、市民一人あたりの市税収入は府下で三位、財政力指数は府下で三位、市民一人あたり府下一位の目的基金残高もあります。このような状況の中で合併が避けられないのなら、府下の三分の一の自治体が合併をしなければならなくなってしまいます。

 いま大事なことは、市民の立場、市民の目線からこの合併の問題をとらえ、高石市に十分な情報の提供と市民的な討論の場を求め、将来の高石のまちつくりのあり方について真剣に考えなければならない時期に来ていると思います。

(弁護士法人 阪南合同法律事務所ニュースより転載)





緒戦の勝利、追撃戦で止めを!


神奈川支部  伊 藤 幹 郎

 二月一三日一二時半、私は厚生労働省前の集会で全労連の宣伝カーの上にいた。自由法曹団を代表しての訴えである。与えられた時間五分で要旨以下のことを話した。
 三三年間労働弁護士として数百件の解雇事件に携わり、裁判闘争を起こし、勝訴し、運動の力で職場復帰を果たしたケースも多い。その体験からして今回の労基法改悪ほど、反労働者的で闘う労働者を馬鹿にした、かつ法案としても滅茶苦茶なものはないと思う。
 その理由の第一は、現在の労基法は使用者に解雇する権限があるとの明文の規定はない。解雇するには三〇日前の予告か、三〇日分の平均賃金を支払えとなっているだけである。そのため解釈として解雇は自由と解されたが、解雇された労働者の長年にわたる裁判闘争の中で、解雇には正当な理由を必要とするとの判例が確立した。これは良心的な裁判官と闘う労働者の血と汗と涙によって勝ちとられたものである。
 そうだとすれば、この確立した判例を労基法に条文化するとすれば「解雇には正当な理由を必要とする」「正当な理由のない解雇は無効とする」でなければならない。
 それをわざわざ使用者に解雇する権限があることを明記した上で、但し書きで、正当な理由のない解雇は無効とするという。使用者が労働者に対し労基法のこの条文を見せてこの通り使用者は解雇する権限があるのだと述べ、さらに反発する労働者に対して裁判を起こして勝っても金さえ払えば退職させることができるんだと言えば、それでも闘う労働者がいるだろうか。
 これでは解雇自由、解雇やり放題、解雇やり得法案ではないか。
 第二に、今回の改悪案では裁判所が審理を尽くしてこの解雇は無効であると判断し、それが確定した場合でも、使用者の申立てで同じ裁判所が金銭の支払いを条件にその不当解雇を認めるというのである。
 これでは金さえ払えば不当解雇を容認する法案ではないか。こんな馬鹿げた、滅茶苦茶な法律はない。
 しかもこの金銭補償の額は厚労省でその労働者の平均賃金の何日分と決めてしまうというのであるから、二重に悪質である。ある意味では裁判官の独立を侵すことになるのではないか。
 だから何としてもこのような改悪は許してはならない。改正するのであれば、ただ「解雇するには正当な理由を必要」とする文言だけでよい。あとは何もいらない。
 そのために労働者が立ち上がり、改悪阻止の声を集中することが何よりも大切である。自由法曹団も最後まで皆さんとともに闘います、頑張りましょう、と結んだ。なお、その日一時から開かれる予定であった労働政策審議会は二時からとなった。

 私が五時過ぎに事務所に戻ったら、平井事務局次長からFAXが入っていた。中を見たら坂口厚労大臣名の「労働基準法の一部を改正する法律案要綱」があった。その「労働契約の終了」の「解雇」のところは次のようになっていた。
 「使用者は、この法律又は他の法律の規定によりその使用する労働者の解雇に関する権利が制限されている場合を除き、労働者を解雇することができること。ただし、その解雇が、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とするものとすること。」
 その他に何の記載もなかった。一瞬、これは何だと思った。金銭補償すれば労働契約を終了させることができるという条項は一体どこにいったのか。念のため平井次長に電話して確かめたところ、この通りですとの返事であった。
 私はこれは運動の大きな成果だと思った。この間、全労連や全労協はもとより連合も反対の意思表示をし、日本労働弁護団も自由法曹団も直ちに反対の声明を出した。労働組合は厚労省と労働政策審議会宛FAXで抗議文を送りつけたり、あちこちで反対集会を開きはじめた。この日以前の二月一〇日の労働政策審議会の日にも全労連は厚労省前で抗議集会を開いた。自由法曹団も参加し、島田幹事長(闘争本部長)が訴えを行った。
 何よりも自由法曹団はいち早く八頁に及ぶ「解雇立法の法案化に反対する意見書」を作成した。この説得力のある意見書は二月七日頃までには厚労省、法務省、司法制度改革推進本部労働検討会等関係機関に持参したり、郵送された。日本労働弁護団も一月二三日総評会館で「解雇緩和法案」に反対する緊急集会を開き、アピールを発した。
 このような労働団体、労組の反対運動(全労連では、三八〇〇の団体FAXを厚労省、審議会に送ったとのこと)と、二つの法律家団体の取り組みが、この緒戦の勝利をもたらしたものと思う。

 私は、かつて総評弁護団時代に労組法一部改悪反対運動の中心にいて労働者とともに闘って改悪阻止に成功したことがある。
 その時の教訓からして、悪法反対運動は、まず官庁や国会のある東京でどれだけ燃え上がるかにかかる。火をつけるのは改悪の本質を体験的に見抜ける者、今回の場合は解雇撤回闘争を経験している弁護士である。火をつける熱意のある者が二人以上になれば運動はできるし、要求に道理があれば必ず広がる。
 自由法曹団は真先に改悪阻止闘争本部を設置し、島田幹事長が本部長に就任した。私はこれだと思った。そのため私は神奈川からこの本部会議に毎回参加した。そこには火つけ役として最適の坂本修団員がいた。そこで私も意見を述べ、自分にできることはした。また団も構成団体となっている「労働法制中央連絡会」の事務局会議に二月一三日初めて参加し、意見を述べたりした。
 坂本団員はこの闘いは勝てると述べておられる。私もそう思う。
 だからこの緒戦の勝利におごることなく、もう一頑張りすれば、私たちが目指す、本文を削除し、但し書きのみとする修正を勝ち取ることができる。
 そのためには、さらに首都圏の運動を盛り上げ、政党を動かし、各地での運動を起こすことだと思う。
 闘いの武器は、二月末にでき上がるブックレット(学習の友社)と団員の体験である。首につながることだから訴えれば、労働者は必ず理解できるし立ち上がる。
 今こそ各地にある眠れる労働法制連絡会を起こして、団員は確信をもって労働者、労働組合の中に飛び込んでいこうではないか。





団の教育問題の取り組みを新しい段階に


新潟支部  足 立 定 夫

 団の教育関係の活動は、これまで、いつも、東京の団員に任されてきた。
 たまに地方から出席しても、寂しい会議がつづいてきた。そんななかでも、教育改革国民会議や中教審の教育基本法改悪の動きには、いち早く意見書等を発表し、積極的役割を果たしてきたと思う。
 二月一日には、「教育基本法全国活動者会議」が開催された。いつもの如く東京の担当委員の外、数名の寂しい会議を予想したが、意外にも、団本部の会議室はいっぱいだった。教育問題の活動者会議(五月集会の分科会等は別として)で、これだけの団員が集まったのは、記憶がない。これだけでも成功というべきであろう。
 日頃教育関係の運動で、あまり顔をあわさない団員の方も、多く参加しておられ、率直な感謝の気持と同時に教育基本法をめぐる深刻な政治状況を感じた。他方、日頃から、子どもをめぐる人権課題に、熱心に取り組んでおられる方々がもっと出席されても良かったのではと感じた。子どもたちの人権を根こそぎにしようとする策動に対しては、絶対許せないという、団員の意識的な取り組みが必要なのではなかろうか。
 日頃から、子育てや教育運動に関わっておられる方々は、日本の教育が大きく改悪されるのではないかと心配し、何かしなくてはという気持がいっぱいでないでしょうか。団員が中心になって、具体的な目標や運動を提起すれば、必ず、多くの人たちの共感が得られると思います。
 新潟では、二・三月議会に向けて県内全自治体一斉陳情(教育基本法改正問題に対して慎重な対応を求める陳情)と教育基本法改正問題の県民公聴会を企画しています。改正問題の簡単なパンフ作りの作業もしています。地方での活動は、手さぐり状態ですが、活動者会議を契機に、互いに情報を交換しながら、各地の運動を盛り上げて行きたいものです。
 中教審の中間報告は、日本の子どもたちがおかれている深刻な状況を何一つかえようとせず、エリート養成と公共心・愛国心の強調など、国家教育権ともいうべき極端な方向を示していますが、関係各分野からは、強い批判がなされており、また改正に賛成できない公明党の状況や、義務教育費の国庫負担を地方に肩代わりさせようとする矛盾など、幾つかの重要な矛盾があります。粘り強く、幅広い運動がくまれるなら、教育基本法改悪を阻止することは十分可能だと思います。
 団の教育基本法改正問題ブックレットが早くできて、皆で活用できることを願っています。





教育基本法問題を考える


岐阜支部  笹 田 参 三

 春の訪れを感ずるこの頃となりました。しかし、西濃地方(岐阜県美濃地方のうち、その西部の大垣市を中心とした四〇万人を擁する地域)では、まだ冬の様相を呈しています。冬の気配の強い岐阜支部から投稿します。冬の気配は、政治と教育に著しいところです。
 私は、教育と子どもに関心があり、その関係で、西濃教育オンブズマンという自主運動に関わっています。「この会は、日本国憲法、教育基本法、子どもの権利条約の精神を、この西濃地域の教育の中に生かすことを目的とします。そのために、教育にかかわるすべての人たち(子ども、父母・住民、教職員)の権利・人権の侵害救済と確立をめざして、さらには、学校参加の実現をめざして、活動します。」を設立の趣旨として、一九九九年二月に設立された、会員数約五〇名、中心の活動家層が約一〇名程度のかわいい組織です。
 その組織で活動して、西濃地方の教育及び子どもの状況が分かって来ました。教員の組織特に小中学校の組織率が低いこと、校長などの管理職の管理が徹底していること、子どもに対する競争主義が徹底していることを指摘することができます。
 例えば、小中学校での全教の組合員は、ゼロもしくは一名程度で、影響力を殆ど持っていません。その結果、校長が威張り散らしています。西濃地方に赴任することを教員が嫌っているとのことです。一例を挙げると、管理主義の典型的な小学校では、教員に対して「教員の心得」が配布され、あらゆる行動に対して規制が加えられています。笑い話ですが、校長と話をするときの姿勢(直立不動)まで決められているとのことです。子どもに対する競争主義も進んでいます。前記小学校では、一年生で算数などの小テストを頻繁に行い、返される答案に二種類の数字が記載されます。成績を示す点数、次に一から順番の数字。その数字は、テスト提出の順番を示している。早く出すことを競わせています。
 オンブズマンに相談したお母さんの訴えでは、その子どもさんは、テストの答案を家に持ち帰ることができず、途中で捨てていたとのことでした。更に、活発な子どもさんであったことから、もう一人の同じような子どもと一緒に、担任の先生のすぐ横に席が作られていた。不登校になる直前での訴えでした。このような管理主義は、教育基本法の改正によって今後どうなるのでしょうか。
 今回の教育基本法改正は、新自由主義的契機と新国家主義的契機があるとされています。西濃地方で進行している極端な管理主義と競争主義は、教育基本法改正によって、その根拠を正当化され、かつ徹底して進められる可能性が高い。西濃地方における教育基本法改正に対する反対運動としては、この不条理な教育とこどもの現状を告発し、その是正を求める運動と不可分なものとなる。
 大垣市での三〇人学級を要求する運動が参考となります。全国的には、少人数学級を実現する動きが進んでいますが、岐阜県ではまだ実例がありません。そこで、埼玉県志木市の二五人程度学級の視察を踏まえて、教育困難な小学校一、二年生についての三〇人学級、子どもの医療費無料化拡大を要求して、大垣市議会への請願署名を求めたところ、二、三ヶ月で一万人をこえる署名が集まりました。人口一五万人の大垣市でのお母さんパワーの爆発です。この運動に励まされながら教育基本法改正への反対運動を進めていきたい。同時に、新自由主義的契機と新国家主義的契機によって進められているその他の分野の悪法反対運動との協力協同が必要となっています。
 子ども人権ネットワーク岐阜(岐阜市内で組織されている、子どもの人権を守る自主組織)が呼びかけ人となって、「しのびよる危ない国家を考える三・二一市民集会」なる長ったらしい市民集会が、二〇〇三年三月二一日に岐阜市で予定されている。主催者の予定としても二〇〇名程度の小規模の集会ですが、いくつかの特徴を挙げることができる。第一に、多数の悪法、有事法制・教育基本法改正・住基ネット・弁護士費用敗訴者負担などを主たるテーマとして、それを「危ない国家」としてくくって運動化しようとしていること、第二に、悪法の内容を連続した勉強会として位置付け、それぞれの関連付けをしようとしていることを指摘することができる。
 この集会は、現在勧められている悪法を全体としてとらえようとしており、現在の情勢の特徴に対応してものとなっている。この集会の成功を是非とも成し遂げたい。二月一二日に開催された自由法曹団岐阜支部幹事会で、その市民集会成功への協力を決議しました。岐阜支部では、教育基本法改正反対、有事法制反対、弁護士費用敗訴者負担反対めざして、今後の運動を進める決意です。





二月一日教育基本法改悪阻止
全国会議のご報告


担当事務局次長  村 田 智 子

1 もう本当に大盛況!
 二月一日、教育基本法「改正」に反対する全国会議が開かれた。当初は、「内輪だけしか集まらないのではないか」「狭義の『教育問題』に終始して雑駁な議論になってしまうのではないか」などの数々の不安があったが、蓋を空けてみると、全国各地から二九名の参加者であった。諸課題がたくさんあって皆多忙な中で、本当に感謝すべきことであった。

2 当日の議事について
 まず、執行部から島田幹事長が、「教育に対する統制が進んでいる。その上で更に教育基本法改正がなされようとしている狙いを掘り下げて欲しい」旨の問題提起があった。
 次に、全教の長谷川副委員長から、中教審の審議等について詳細な話があった。中教審で十分なヒアリングなどがなされていないまま、文部科学省の思惑に沿って事が着々と進められている状況が伝わってきた。
 それから、教育改革対策本部の黒岩事務局長から、問題提起がなされた。現状の説明の中で印象的だったのは、東京の荒川区などでいち早く学校選択の自由化が実施された結果、子どもたちや親、教師が翻弄され、子どもたちの学力は「ふたこぶらくだ(成績の良い子と悪い子に二分される)」といわれていることや、改正推進派である心理療法士の河合隼雄氏が「義務教育については週三日だけでもよい。あとはサービスとしての教育でよい」という見解を述べていることであった。その上で「とにかく大騒ぎすることが必要」「消極的な態度をとっている公明党への働きかけ」などが提起された。
 続く各地の報告では、新潟の足立団員が「子どもの権利条約新潟の会」の取り組み(集会や、疑問点をまとめたレジメ、地方議会に提出する意見書案の作成など)について報告し、大阪の渡辺和恵団員は子どもの権利、とりわけ子どもの意見表明権という視点からみた「改正」の問題点を指摘し、岐阜の笹田団員が岐阜での「危ない国家を考える」集会の取り組み(敗訴者負担、有事法制、教育基本法改正などについて取り上げる)を紹介し、愛知の福井団員が支部での勉強会などについて報告した。東京の大森顕団員から都教組の集会で紹介された「心のノート」の問題点について報告、京都の村山晃団員からは弁護士が果たすべき役割についての問題提起があった。
 その後の討論では、非常に実りの多い議論がなされた。ここにすべては書けないが、出色だったのは、「『愛国心を教えることのどこが悪いのか』という疑問に対してどう答えるか」という議論であった。「その場合に対象となる『国』というものの実態を見たら分かるのではないか」「愛さない自由だってあるということが重要」「いくら愛していても悪いところは指摘するのが当然ではないか」等、何人もの団員から、説得力のある回答が提示された。
 それから、「そうはいってもどうやって皆にその危険性を伝えるのか。どうしたらよいのか。」という切実な提起もなされた。国民のほとんどが教育基本法を知らず、既に教育基本法がないがしろにされており、しかもマスコミも動かないという状況の中で、この問題を訴えていく大変さが浮き彫りにされた。
 当面の課題としては、分かりやすいブックレットの作成、各地での実態に即した議会対策を検討することが確認された。

 これは個人的な感想であるが、終わった後、議事録をまとめながら、「やはり団員はすごいのだ」としみじみ実感した。この会議では、普段はそれほど接点がないと思われる、子どもの権利の問題に関わっている団員、教組の弁護団などで活躍している団員、平和問題に取り組んでいる団員が、ともに議論し、お互いの意見に真摯に耳を傾け、問題意識を共有していた。どの問題に取り組んでいても、一生懸命取り組んでいる団員は、今の日本に「新国家主義と新自由主義」という共通の問題があることを感じているからであろう。

 さて、ここからは「です、ます」調でいきますが、今後の運動の提起です。その後の対策本部などでも話し合っていることを、紹介します。
・ 街頭宣伝などで、教育基本法「改正」について話してください。例えば、有事法制の街頭宣伝の機会を利用してはどうでしょうか。ところで、話す場合、「愛国心を押しつけるな」など、新国家主義についての問題点はアピールしやすいのですが、新自由主義についてはどういうふうに言えばいいのか、結構難しいと思います。私自身、迷っています。例えば、「これ以上、学力低下を招く改正反対」なんていうのはどうでしょうか。「何より少人数学級を」もいいな、などと考えています。いいのがあったら教えてください。
・ 議員さんと懇談してください。三月、あるいは五月に、改正推進派から、「改正を求める請願」が都道府県議会に出されると思われます。そのときにどうするのか、議員さんと話をしておいたほうがいざとなったときによいのではと思います。対策本部レベルでも、国会議員との懇談を企画中です。
・ ブックレットの作成について、今月中を目処に案を出しますので意見をお寄せください。分かりやすいものを目指しています。

5 どうぞよろしく
 対策本部も、名前を変えます。今までは「教育改革対策本部」でしたが、「教育基本法改悪阻止対策会議」に変わります。メーリングリストも検討しています。他団体と共同での街頭宣伝も春頃には実施されそうです。諸課題が山積みですが、対策本部もがんばっています。ちょっとだけでも結構ですので、この問題にも力と知恵を貸していただければと思います。楽しくできればいいなぁと思っています。




国立大学法人化の
教育公務員特例法への影響(上)


東京支部  萩 尾 健 太

1 教育公務員特例法の適用を排除する国立大学法人化
 文部科学省の「国立大学行政法人化に関する調査検討会議」は二〇〇二年三月二六日、その調査検討の報告書「新しい『国立大学法人』像について」を発表した。二〇〇三年通常国会に提出が予定されている国立大学法人法案は、この報告書をもとに策定されるものと思われる。
 この報告書によれば、国立大学法人法案は、国立大学について、基本理念、運営組織、人事制度、評価制度、財務会計制度、共同利用期間に関する大幅な変更をともなう法案となると思われる。
 その規定事項は、現行の学校教育法及び教育公務員特例法の規定事項を変更するものとなる。
 既に、国立大学を除いて公立・私立大学については、学校教育法改定一五条が文部省からの統制を定めた。国立大学については、国立大学法人法案で規定することとなろう。教育公務員特例法も、国立大学法人法案の策定に伴い、国立大学を基本的には対象から外し、国立学校・公立大学・公立学校の教員・教育長等のみを対象とするとの大幅な改定がなされるものと考えられる。まず、国立大学法人の非公務員化に伴い、第三条の国立学校の学長、教員等が国家公務員であるとの規定が適用されないことは言うまでもない。
 その結果、教育公務員特例法の諸制度は法的には国立大学法人には全く適用されないことになる。
 しかし、以下に述べるように教育公務員特例法は、憲法二〇条が保障する大学自治の根幹をなす諸制度を定めたものであって、その適用がなくなることは、実質的改憲とも言うべき重大な事態である。

2 教育公務員特例法の意義
 教育公務員特例法の「第二章 任免、分限、懲戒及び服務・第1節大学の学長、教員及び部局長」の規定は、大学の自治の中核をなす教授会の自治の諸制度を規定したものであった。
 その内容は、教授会、評議会を中心とする自由主義的・民主主義的組織運営と民主主義的人事制度に大別される(しかし、この二者は本来分けられない性格を持っており、同一の条文で規定されている。なぜなら大学は教員一人一人が運営者である自治団体だからである。そのもとで、学長と教員は法文上対等なのである)。
 自由主義的組織運営とは国家からの自由・独立であり、民主主義的組織運営とは、前記の点と表裏の関係にある構成員による民主的大学運営である。そのように自由で民主的な大学における人事制度が教育公務員特例法の特徴であり、大学自治の実質であった。

3 自由主義的・民主主義的組織運営の変更
(1)自由主義的・民主主義的組織運営
 大学の自由主義的・民主主義的組織運営については、以下のように規定されている。
四条1項 学長及び部局長の採用は選考による
  2項 学長の採用のための選考は・・・・評議会が行う。
  3項 学部長の採用のための選考は、評議会の議に基づき、学長が行う
五条1項 学長は評議会の審査の結果によるのでなければ、その意 に反して転任されることはない
六条   学長は、評議会の審査の結果によるのでなければ、その 意に反して転任されることはない
七条   学長の休職の期間は、・・・評議会の議に基づき学長が     定める。
八条   学長の任期は、・・・評議会の議に基づき学長が定める。
九条   学長は、評議会の審査の結果によるのでなければ、懲戒 処分を受けることはない
一〇条  学長の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、 学長の申し出に基づいて、任命権者が行う。
(2)大学自治への介入と民主主義の破壊
 これが「新しい『国立大学法人』像について」によれば、以下のように変わると考えられる。役員として、学長、副学長、監事がおかれる。監事は、国立大学法人の業務を監査し、監査の結果に基づき、必要があると認めるときは、学長または文部科学大臣に意見を提出する。監事の内一名は学外者とされる。監事以外の役員(学長、副学長)やスタッフにも学外者を登用する。ここで言う学外者とは、国立大学法人化に伴い「経営面での権限拡大」が強調されている以上、経営の専門家(財界人等)が想定されるだろう。また監事以外の役員には「大学運営に高い見識を有する事務職員」(=文部官僚)も積極的に登用するとされている。また、同じ観点から、主に経営面に関する重要事項や方針を審議する運営協議会を新設し「そこに相当程度の人数の学外有識者の参画を得る」。従来の評議会の権限は、主に教学面に関する重要事項や方針の審議に限定される。
 学長の任命は以下のように変えられる。「学長は教育研究に高い識見を有すると同時に、法人運営の責任者としての優れた経営能力を有しているものが選任される必要がある。」そのもとで、前述の運営協議会の代表と、教員らの評議会の代表から構成される学長選考委員会で学長候補者を選考し、文科大臣が任命することとなる。
 学長の解任は、法人の長として学長が不適任とされる場合には、文科大臣が解任できることとなる。学部では、教授会の審議事項を教育研究に関する重要事項に精選、学部長や補佐体制の権限を大幅強化して、トップダウンによる意思決定を強化する。
 学部長等は、従来の選挙制が廃止ないし弱められ、学長が任免することとなる。
 このように、民主主義的で外部からの干渉を排した制度から、文科省や財界が大学運営に容易に干渉でき、教職員はトップダウンでそれに従う制度へと変えられることになるのである。




写真撮影隊始末記


福島支部  広 田 次 男


 一月一七日最高裁第二小法廷、一月二四日同第三小法廷は相次いで都道府県議会議員全国軟式野球大会への参加費を公費負担とするのは違法である旨の判決をだした。

何してはりまんねん議員さん
話は五年前まで遡る。九八年に大阪で開催された全国市民オンブズマン第五回大会に於るメインテーマは、地方議会であった。都道府県議会の議員が行政と癒着し、行政監視機能を喪失している「役立たづ」振りを明らかにしようとの狙いであり、大会コピーは「なにしてはりまんねん、議員さん」であった。大会準備の調査過程では例えば「群馬県会の海外視察先は南極」といった笑える話が山をなした。その中でも「これはヒドイ」とされたのが、全国野球大会であった。
 昭和二四年以来、全国の都道府県議員が国体開催地に集まって軟式野球を行い、大会期間中は毎晩ドンチャン騒ぎ、大勢の職員を随行させての大名旅行という伝統が半世紀近く続いていたのである。経費は勿論税金で、当時は議会が情報公開の対象外であったため、正確な把握ではないが総額三億円と推定された。

名指しでなく顔指しで
 主催者である全国議長会に中止を申入れたが「野球大会は重要な公務であるから公費による参加は当然」との回答であった。では「公務による参加であるならば、参加者名を明らかにせよ」と申入れたが「氏名公表はできない」との回答であった。各県に於いても同様の申入れに対して同様の回答がなされていた。
 その年の野球大会は第五〇回記念大会であり、神奈川国体の開催にあわせて保土ヶ谷市民球場で開会式が行われる予定であった。同球場の入口は長いスロープの一カ所のみであった。このスロープの両側に「全国市民オンブズマン」の桃太郎旗を林立させ、全国からカメラ・ビデオ持参のオンブズマンで、スロープの両側を埋め尽くす。開会式のために入場せんとする議員は、顔を隠したりなどの無様な恰好をするに違いないし、試合開始後はヨタヨタと走ったりするだろうから、それらをビデオ撮影して珍プレー賞を選考して全国にバラ撒こう。
 即ち、氏名を公表しないのなら「名指しでなく顔指しにしてやる」という写真撮影隊構想は大阪大会に於いて全員一致で採択され、私がその隊長に選任された。

水中カメラ
 この構想はプレッシャーとなるように、わざと議員側にも伝わるように発表し、マスコミの受けもよく、ワイドショーからも取材申込がある程であった。大会の数日前から大雨が続いていたが、大会前夜には全国から雨を衝いて、集結地である川崎合同法律事務所に撮影隊は集結した。特に福島からの部隊は「どんな雨でも撮影する」との意気込みのもと、水中カメラを持参したがなんと主催者は、雨を理由に大会を中止してしまった。
 当夜の川崎の雨はパラつく程度で、全国からの撮影隊は「公務ならこれ位の雨で中止なんてするな」と毒づきながら、川崎合同の振舞酒に虚しく酔い痴れる以外になかった。

平民ですから
 「余力のある所は直ちに住民訴訟を」との呼びかけをなし、全国八地裁での住民訴訟が始まり、撮影隊は、野球訴訟弁護団に改組された。全国共通に苦労したのは、参加議員名の把握であった。私の地元福島では、やむなく(出訴期間制限)のため知事を被告として提訴したが、やがて偶然参加議員名が判明したので、新たに議員を被告とする提訴をなし、知事を被告とする事件には取り下げ書を提出した。
 ところが被告代理人である県の顧問弁護士は、この取り下げに同意せず結局請求放棄により知事を被告とする訴訟は終結した。私は勿論、裁判長も「なぜ取り下げに同意できないのか」県の顧問弁護士に質問したが、答は曖昧なままであった。
 ところが、九九年九月県議会に於いて、請求放棄を勝訴とみなして金三六〇万円の弁護報酬が認められたのである。知事を被告とする事件独自の弁論は二回しか行われておらず、提出された書面は実質B4版六枚であり、その字数は、二二七四文字であり、文字数で三六〇万円を除すると一文字あて金一五八三円であった。
 私は、この弁護料につき監査請求を申し立てた。当該の顧問弁護士は、翌年の県弁会長候補であったが、私からの監査請求を理由に会長への立候補中止を表明した。その後大先輩の某弁護士より電話をいただいた。「会長候補を降りた事により、禊は済んだ。これ以上は追及しないのが武士の情だ(住民訴訟はするな) 。君も花も実もある武士になりたまえ(手打しろ)」誠に懇切なお話ではあったが「私は平民ですから武士の情けと言われましても・・」と、丁重にお断り申し上げた。この訴訟は、一審は敗訴したが、仙台高裁では約三割の返済を命ずる判決を勝ち取った。

始末は終わっていない
 一月二五日・二六日両日、仙台に於いて開かれた全国市民オンブズマン北海道・東北ブロックに於いて、「最高裁判決を受けて、不当利得の時効の未成立分については、参加議員に返還を求めるよう議会議長に申入をすべし」との方針が決められた。
 都道府県議員の野球大会は九八年以降中止されたままであるが、市町村レベルに於いては、依然として華々しく行われている。
 「役立たづ」議員は同時に「恥知らず」という症状をも併せ有しているのが通常である。そしてこの両症状は県議会であろうと市町村議会であろうと共通のようである。
 県会議員の野球大会が違法とされたら、市町村議会の野球大会は当然中止と考えるは我々平民だけらしい。福島では今だに町村議員野球大会訴訟が係続中である。
 撮影隊の最後の「始末」は未だ先のようである。




平山知子さんの「若きちひろへの旅」の
勝手な読み方


東京支部  菊 池   紘

 何年か前、菊地一二団員を相手に、特急「あずさ」で松本の裁判所に毎月通った。列車を待つ間に入った駅近くの書店で変形本「ちひろの信州」を買った。ちひろが描いた爺ケ岳と鹿島槍ヶ岳のスケッチのページをめくると、開拓の原野で働くちひろの両親とその掘っ建て小屋のスケッチ(いずれも一九五〇年)が並んでいた。そして「ちひろの両親は、一九四五年の秋、満州からの引き揚げ者と共に松川村に開拓に入りました。・・・・・」と解説されている。社会的にもめぐまれ、日本で初めて白馬岳に登った女性のひとりとされる母文江と父正勝は、なぜ開拓村に入ったのだろうか。私は疑問を持った。
 今回手にした平山知子さんの「若きちひろへの旅」は、ちひろの両親についても丁寧に跡づけ、戦争協力に奔走した父、大陸の花嫁をたくさん送り出した母について「そのあまりにもむごい結果は、少しずつ二人にも分かってきていたのだと思う」とまとめている。
 満蒙開拓団へ三万三〇〇〇人を送り出し日本一を誇った長野県は、その半数がふたたび日本の土を踏むことはなかったという。
 「若きちひろへの旅」には、女学校時代から東京へ出て画家として出発する頃までのちひろの軌跡が、戦争による時代の激変と周囲の人々とのつながりのなかに書き込まれている。
 ちひろの転機には平山さんの両親と一人の自由法曹団員が登場する。ちひろは一九四六年一月に松本市公会堂で開かれた戦後初めての日本共産党演説会を聴きに行く。そこでは菊池邦作(平山さんの父)が「共産党は恐ろしいか」という演題で話し、自由法曹団・林百郎が「憲法改正について」演説している。林百郎は天皇制について批判したが、やじがとんだり、怒鳴ったりという状況だったという。この演説会を機にちひろは、飯沢匡が「菊池サロン」と書いている平山さんの家に出入りするようになり、その中で自らの生きる方向を決めていくことになる。
 悲劇に終わった最初の結婚、満州の機動歩兵連隊での厳しい生活と心優しい隊長との交流、四五年八月一五日のちひろ、松本市公会堂での日本共産党演説会、松本善明との出会いなどを縦系とすると、ちひろの明日への活力となった、こころのふるさと安曇野をはじめ信州の自然のすばらしさが、横系としてくり返し書き込まれている。
 「ちひろだって、疲れることも、スランプを感ずることもあったはずだ。そんなときの慰めは、かわいい猛の存在と善明との対話、そして何より、信州の大自然だったと思う」と平山さんは書く。
 夏山、冬山それぞれの美しさを求め、猛が生まれてからも、善明と三人で連れだっては、出かけていたという。神戸原からの爺と鹿島槍、有明山、燕山荘からの燕岳、燕からの槍ヶ岳などのちひろのスケッチは平山さんの指摘を裏付けている。そしてこれらのスケッチは、たまたま私が昨年歩いた五竜、鹿島槍、爺の縦走と、そして中房温泉から燕へ登り、その山頂から飽かずに槍の穂先を眺め続けた経験と重なり合う。たとえば、「むせかえるような山の緑や、野山に咲く花に見とれ、冬枯れた木々にも生命を感じ、雪の中から芽を出す草の息吹に、ちひろは感動し、明日への活力を取り戻していった」といった文章に私はうれしくなってしまう。私たちは子どもが小さいときは毎年の夏を(安曇野や白馬ではなかったが)八ヶ岳の麓で家族で数日を過ごすのを常としていたから。そして正月には家族で信州のスキー場で遊ぶこととしていたから。
 この本の正しい読み方については松井繁明さんが団通信一〇七九(一月一日)号に書いている。
 この雑文は、ハルピンで生まれ三歳で生命からがら日本へ逃げ帰ってきた私の、そして岩手と長野の山野を時々歩き回ってきた私の、勝手で乱暴な読み方の雑ぱくな感想。

(新日本出版社 上一七〇〇円、下一六〇〇円)





平成不況の贈り物
四国八十八カ寺遍路の旅


広島支部  佐 々 木 猛 也

 一四四〇キロあると言われる四国遍路の道。草木が萌え始め万象が輝き始めた三月下旬から四月初め、一番寺竺和山霊山寺から二三番医王山薬王寺までの発心の道場徳島県を、四月下旬から五月初めまで修行の道場高知県を、そして七月下旬から八月初めまでの酷暑の夏を、頭から水をかぶりながら、菩提の道場愛媛県、涅槃の道場香川県を、ただひたすらに歩き続け、原爆記念日の八月六日、八八番医王山大窪寺を打ち終えました。
 自由業には区切りがなく、弁護士一年生と同じ仕事を日々続けている。人生の節目の齢六〇を越えた同級生たちは定年退職という儀礼通過をして毎日サンデーの日々を楽んでいる。他方、同じ年回りの人たちが次々とあの世に旅立って行く。思い切って仕事を離れ、家庭を離れ、都市の喧噪から離れて無為の中に身を置き、来し方、行く先を見つめ、身に染み付いている煩悩を拭うべく四国回国を発願、というのが動機でした。
 毎日平均三五キロを、多いときは四二キロを、日の明けぬ早朝から、時には星を眺めながらの夜道を、平凡で単純な一歩一歩を積み重ねた三八日間でした。
 川を渡り、谷を渡り、鬱蒼とした深い山を登り、そして下り、鳥の声、虫の音を聞き、花を愛で、四国の天地と呼吸を共にしながら、自然の中の小さな自分を感じながら、心優しい四国の人たちのお接待に胸打たれながら、己との対話を重ねた一人遊びの長旅でした。
 無音の山中で、吐く息に耳を傾け、命の声を聴くひとときもありました。
 信仰心のない者でありながら、朗々と読み上げられる般若心経に声を合わせ、死者の霊を慰め、己の愚かさ、罪深さを感じ、心の洗濯、心の掃除をと、ひたすら心を清め、静めたはずなのに、日常の生活に舞い戻ると俗なる心が広がり、元の木阿弥。仕事に追われると、気短で怒りっぽい更年期症状が再発し、到底涅槃の境地にはなれないと分かっただけが成果かもしれません。
 弁護士業も不況のゆえに行えた四国巡礼は、平成不況の何よりの贈り物でした。

(佐々木猛也法律事務所ニュースから転載)

追記
 事務所が発行するささやかなニュースを受け取った団事務局は、この記事を目ざとく見つけ、一〇〇〇字ないし一五〇〇字程度の記事にして投稿されたいと、「恐縮ですが」と断ったうえ依頼してきた。
 団員が司法改革問題や有事法制反対に力を注いでいたあのとき、四国の道端で寝そべり、顔を這う蟻たちとの長い語らいの時を過ごした気ままさを、確かに、確かに、自覚する私は、「お願い」文書に躊躇したのです。
 この世に生を受けた人間として、そして団員として(これは付け足し)、これからをどう生きるか、己自身を問うべく始めた(半分以上冗談。仕事から、実は、逃げ出したのです)歩き遍路の旅の日々は、仕事に追われる今、幻の時になりました。今、忙しさ故に書き改める余裕などなく、事務所ニュースで依頼者に公表した以上、転載に同意するほかなかったのです。これで、一〇〇〇字を越え、責任を果たしました。それにしても、空海は偉大でした。




えひめ丸事件報告(1)
―えひめ丸事件の解決―


東京支部  小 口 克 巳

 本年一月三一日、えひめ丸被害者遺族二家族は、アメリカ大使館においてアメリカ海軍との間の合意を成立させ書面の交換を行った。これで、えひめ丸事件のつぐないを求める交渉は決着をみた。

被害者の求めたもの
 アメリカ海軍との交渉に関わった遺族、寺田さん夫妻と古谷さん親子そしてえひめ丸弁護団としては事故発生後、事故についての真相と発生原因究明と責任の所在の明確化そして再発防止策の確立と確実な履行を特別に重視して取り組み、金銭補償もこれらを踏まえた上でなければあり得ないとして精力的に交渉を重ねてきた。こうした悲惨な事故が二度と起こることのないようにするためにはこの事故の解決のあり方が決定的に重要であると考えたからである。

真相究明の進展
 アメリカ海軍内の手続である査問会議が直ちに開催され事故調査が行われたが、疑問の残るものであり私たちは真相究明のためにさらなる資料提出と事情を把握している責任のあるものによる説明と当方の疑問に誠意を持って答える場をつくることを要求してきた。
 アメリカ海軍は、グリーンビル側は全面的な責任を認めておりまた査問会議の結果を公表したことで十分との見解を示し、真相究明を査問会議の限度にとどめようとしてきた。
 ねばり強い交渉の結果アメリカ海軍に数多くの資料を開示させるとともに、開示された資料に基づく新たな疑問を社会的に明らかにし、ついに昨年一〇月に説明会を開催させるに至った。決して十分とは言えないもののアメリカ海軍が今まで受け入れなかった水準を切り開いたわけでである。

事故の再発防止
 事故発生の要因として、民間人に原子力潜水艦の存在価値をアピールするための体験航海のため多くの民間人が乗り込み乗組員のチームワークによる安全確保が大きく阻害されていたことなどから体験航海のあり方に根本問題があることが改めて明らかになった。私たちとしては抜本的には体験航海の取りやめ少なくともその根本的見直しを求めアメリカ海軍に申し入れているし、また独立性を持つアメリカの調査機関(NTSB)に意見をまとめて申し入れる予定である。

謝罪の実現
 昨年一二月ワドル元艦長の謝罪のための来日が実現した。事故発生に責任がある者の謝罪はこのような事例でなかなか実現しないが宇和島水産高校に直接出向いての謝罪、生還した生徒達への謝罪、寺田夫妻との面談など本来ならば当たり前の謝罪が実現した意味は大きい。えひめ丸引き上げをアメリカ海軍に多大の費用を負担させて実行させたことも遺族の悲願の実現であった。
 賠償についての合意はこうした真相究明等の過程をふまえて到達したものである。その内容も裁判をして認定されるであろう内容の補償が裁判外で合意されたわけで、遺族の方々に負担をかけないで解決に至ることができた。

今回の解決への感謝
 えひめ丸事件では多くの国民が遺族と悲しみと怒りを共有し国民的共感と運動の中で真相究明、責任の所在の明確化、再発防止策の交渉、正当な賠償の交渉がすすんだ。全国の団員、その事務局員など多くの支援を頂いた。
 他方、アメリカ海軍に遠慮して後ろ向きに終始した行政当局の姿勢はまさに国辱ものであった。猛省を求めたい。
 本件では、豊田弁護団団長を先頭に、全国の団員とナショナルロイヤーズギルド共同の取り組みということで日米の進歩的弁護士が連携してたたかった。このことも付記しておきたい。
 とりあえずは、解決の概要をお知らせしてこの場を借りてご支援に心から感謝するという弁護団の気持ちをお伝えしたい。ありがとうございました。