<<目次へ 団通信1085号(3月1日)
埼玉支部 鍜 治 伸 明
一 公害調停の意義
所沢周辺の住民らが、産廃業者の焼却停止などを求めて公害調停を申請したのは、九八年一二月。この公害調停は、申請から丸四年が経過し、本年一月二二日をもって、そのすべての手続きを終えた。
公害調停の相手方となったのは、四七の業者と埼玉県であり、調停申請当時、四七業者で合わせて六四もの焼却炉が所沢周辺で稼動していた。しかし、公害調停終了時には、焼却炉を操業している業者の数は七社、炉の数で言うと八炉になった(ダイオキシンで有名になってしまった「くぬぎ山」にあった焼却炉はゼロになった)。これら四七の焼却業者の中には、規制が強化される〇二年以降も焼却を継続する意思を表明し、かなりの設備投資をした業者も多数あったが、そのような業者もほとんどが焼却から撤退した。
もちろん、調停成立という形で焼却を止めた業者は少ないのだが、住民らが公害調停を軸として粘り強い運動を展開したことによって、数多くの焼却炉を倒すことができたということは間違いのないところである。所沢周辺における産廃問題の最大の特徴は、狭い地域に多数の産廃焼却炉が集中しているという点であった。このような多数の焼却炉を効率的に倒してゆくには、多くの住民が「焼却反対」の意思を明確にすることが必要だった。公害調停は、住民らが「焼却反対」の意思を明らかにする手段だった。所沢周辺の四〇〇〇人以上の住民が、公害調停という手段によって、「焼却反対」の意思をはっきりと表現することができた。このこと自体が、安易に焼却を進めてきた行政や業者に対して相当な衝撃を与えた。
また、公害調停を申請することによって、運動の核ができた。公害調停の運営を担う運動体として「さいたま西部ダイオキシン公害調停をすすめる会」が結成された。この「すすめる会」は、公害調停の進行を取り仕切るだけでなく、所沢周辺の様々なゴミ問題について、鋭く切り込んだ。「すすめる会」が行った自主調査の結果が、業者を焼却停止に追い込んだ例もあった。「すすめる会」は、裁判の運動も進めた。公害調停の相手方業者の中で特に悪質な業者に対しては、証拠保全、差止訴訟、差止仮処分、許可取消の行政訴訟、刑事告発など様々な法的手段をとった。これらの法的手段の相手方とされた業者は、すべて焼却停止に追い込まれた。そして、住民らは、このような法的手段の相手方となった業者については、他の業者も出席している公害調停の場で、そのひどい操業実体を徹底的に糾弾した。これが、他の業者に焼却を断念させる動機付けにもなっている。
二 今後の課題
公害調停は終了した。その結果、所沢周辺の焼却炉の密集状況は解消された。これによって、ダイオキシン等による健康被害の発生を未然に防止することができた。しかし、まだまだ、たくさんの課題が残されている。
まず、焼却炉が激減したといっても、まだ、完全になくなったわけではない。これらの焼却業者による焼却炉の操業継続を許したわけではないので、今後も焼却炉を倒す活動を続けなければならない。
また、焼却炉の数は減っても、この地域に運び込まれるゴミの量は一向に減らない。なぜならば、焼却を止めた産廃業者が、焼却以外の方法(例えば、破砕など)で、依然として中間処理業を続け、埼玉県もそれを容認しているからだ。破砕については、ゴミの焼却=ダイオキシン発生ほどのインパクトのある報道はなされていないが、破砕によって発生する粉じんの危険性は従前より指摘されているところである。このような破砕業者も、この地域から出て行ってもらわなければならない。
さらに、焼却を止めた業者がその後もゴミを受け入れ続け、その結果、ゴミの山が違法な状態のまま放置されてしまっているという事態が多数出現している(ちなみに、ゴミ山問題を最初に指摘したのも、公害調停の手続きの中である)。これについても、埼玉県の対策は後手に回り、未だ根本的な解決策が見出せない状況である。
今後も、公害調停で培ったノウハウをもとに、これらの課題に取り組んでいくつもりである。
東京支部 神 田 高
団のアフガン難民調査団でホテルが同室だった上山さんが、健筆を揮って、マスコミのイラク問題報道を批判している。民衆、特に女性や子どもたちに覆い被さる戦争被害の実相を無視し、事実をゆがめるマスコミの偏向報道に対する怒りは、全く同感である。作家の辺見庸が言う、“メディアの根腐れ”、大本営発表のごとき“翼賛的状況”(『世界』九月号の「私たちはどのような時代に生きているのか」)は、紙面を覆い尽くしている。
私も、北朝鮮問題での、アジアへの侵略戦争のことなどどこ吹く風のマスコミ報道について、『世界』に批判投稿したが(一二月号)、イラク査察追加報告で緊迫した二月一四、一五日の新聞報道(朝日)で「検証」してみたい。
二・一四朝日朝刊一面。「ミサイル射程違反報告へ」―“米英が、武力行使の根拠になる「重大な決議違反」と主張するのは必至”。三面。「米国指摘の“アルカイダ仲介役”組織。フセイン政権との関係は?」。因みに、この日の一面トップは、「海自、給油対象国拡大へ・対テロに限定」―朝日の見解は、この記事の末尾「テロ特措法の範囲を逸脱しないか、国会で論議を呼ぶ可能性がある」だけ。 二・一四夕刊一面。「イラク・米大統領“準備整えた”」。「日本、米の決議に協力」―朝日の 二・一五朝刊一面トップ。「イラク査察継続要望示唆・国連査察団」としながら、「ミサイル“一部違反”」の大見出し。国連査察団の「追加報告骨子」には、「イラクは査察に原則的に協力している。」「さらなる検証が必要で、イラクに引き続き、協力姿勢を望む。」としているのに。一面左上は、「米英決議案・日本、採択へ働きかけ。対米まず側面支援」―政府、与党見解を“報道”し、「攻撃支持の姿勢が『国際社会に向けて浮き彫りになった』」というだけ。その上で、驚くべきは「社説」である。「沈黙は健全な同盟ならず」という「社説」はアメリカのイラク攻撃自体及び日本政府のイラク攻撃支持には“自説”を全く述べない。朝日は「安保体制が呪縛となり、日本がいうべきことをいえない同盟は健全ではない」というが、国民の七割以上が反対と言っているのに、何もいえない「マスコミ」は健全なマスコミ、ジャーナリズムではない。同日の紙面からは、“イラク攻撃・支援是とすべし”との論旨しか伺えない。「沈黙」による巧みな詐欺である。因みに、井上ひさしらが呼びかけ、あの吉永小百合が賛同する、二月一四日の二万五千人のイラク攻撃反対の集会の“報道”は、三四面にほぼベタ記事で、皇太子の子どもの写真の脇に置かれている。二・一四朝刊三面の「もしも戦争になった時、どういう人々の上に爆弾が降るのか」の文字に目を奪われた。よく見ると、光文社の池澤夏樹の本の広告であった。笑い話である。
元国連大量破壊兵器査察官、スコット・リッターの『イラク戦争―ブッシュ政権が隠したい事実』(合同出版)を読んだ。湾岸戦争では米海兵隊員として特殊部隊任務を遂行し、除隊後、九一年から九八年までUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の凄腕の一員としてイラクで働いたそうだ。れっきとした共和党員。筑紫哲也の夜の番組にでていたのを見た方もおられると思う。
アメリカらが、イラクについて問題視する点―(1)核兵器の可能性(2)化学兵器の可能性、(3)生物兵器の可能性、(4)米国まで届く運搬手段の可能性、(5)フセインとアルカイダなどのテロリストとのつながり、について、逐一、実績・「記録に基づく事実」によって鋭く反駁している。(1)の核兵器については、「一九九八年、国連の査察プログラムが中断され、私がイラクを離れた時点では、核兵器のインフラと施設は一〇〇%廃棄されていました。」「イラクが核兵器製造に必要とする工業インフラは完全に廃棄されたと断言できます。」(2)(3)については、寿命による無害化と製造基盤の喪失をあげている。(4)については、屋外での実験が必要なので隠蔽は無理、技術的に無理と言い、(5)については、イスラム・ワッハーブ主義のビンラディンの抹殺を狙っていたフセインがアルカイダを支援するなど「笑い草です」と言う。その他、査察団引き上げをアメリカが仕組んで、九八年にイラク爆撃をしたという裏話など面白いが、「民主主義を外側から押しつけることなどできるわけがないのです。イラク自身が内部でその移行を成し遂げるべきです。」とのリッター氏の意見には、立派な識見が伺える。
最後に、リッター氏は、査察と外交努力の重要性を強調するが、ここで言いたいのは、マスコミは、アメリカのイラク攻撃の口実としている点について、リッター氏など事実を最も熟知している人物らに会い、“裏をとる”という機会は十分あったはずである(同本のインタビューは昨年八月になされている。出版は今年一月)。日本と世界の行く末にとって、決定的な局面を迎え、戦争遂行勢力の大本営情報を鵜呑みに、「検証」を怠り、「沈黙」を続け、迎合する者に、“ジャーナリズム、ジャーナリスト”の資格はない。彼らに対しては、「要請」というより、マスコミを叩く、いや、糺す民衆のネットワーク(包囲)運動こそ必要であろう。
そういえば思い出した。昨年暮れ頃の朝日夕刊コラムに、丸山真男の言葉をひいて、「最初に転向するのはジャーナリストだ。その中でも一番早く転向するのは記者だ。」と良いことを書いていた。
東京支部 田 中 隆
1 三つのキーワード
九月二〇日=ブッシュ・ドクトリン、一〇月八日=「国民保護法制」素案、一一月一四日=中央教育審議会・中間報告、一二月一八日=東京都安全まちづくり有識者懇談会・議事録。昨年秋から冬にかけて発表されたこの四つの文書はスケールも分野も違い、当然ながら書き手も違うのだが、共通して流れる「哲学」あるいは社会観がある。
共通のキーワードが三つあると考えている。
最初のキーワードは私たち(We)。ブッシュ・ドクトリンでは、冒頭に掲げられた「自由、民主主義、自由な企業活動」という「公理」を共有する私たち。生活安全条例では健全な市民社会に生きる私たち。「心のノート」では私からはじまって私たちの国までいきつくその私たち。つまり、私たち、私たちのまち、私たちの国そして私たちの世界。
しかし、この私たちにはすべての人が入れるわけではない。必ずそこからはみ出し、私たちを脅かすものがいる。だから第二のキーワードは敵(Enemy)。ブッシュ・ドクトリンではテロリストと同調者。「国民保護法制」では「いつどこから攻めてくるかわからない敵」。生活安全条例では不安をかきたてる不逞の輩。膨大な脱落者をはじめから予定しているのが教育改革。
だから私たちは常に不安の中にいることになり、そこから第三のキーワードの安全(Safety)が登場する。これがテロリストや異端者・脱落者や不逞の輩から守らなければならないもの。ときには、「快適」だの「秩序」だの「新しい公共」だのに言い換えられる。
だれが守るか。それは私たち(We)。ここでもう一度私たちが登場する。要するに、私たちの世界や社会の安全を、私たち共同の責任で、不逞の輩から守るというのが全部を貫くコンセプトである。
2 似て非なるもの
それぞれの文書の解題は、有事法制意見書や東京支部総会特別報告集、総会配布資料でスケッチを試みた(cf.有事法制第七意見書「有事法制・国民動員法制の社会」、報告集「有事法制と戦争・平和の対決」「教育基本法『改正』と有事法制」、レポート「生活安全条例をめぐって」いずれも有事法制メーリング・リスト=MLに掲載)。ブッシュ・ドクトリンへの全面的な解題・批判は松島暁さんが取り組んでいて、自らの全訳とともに四月刊行予定の「続・有事法制のすべて」で発表予定である。
「似て非なるもの」へのいくつかのコメント。
ブッシュ・ドクトリン。全編を貫く対決構図に掲げられているのは、アメリカ対「悪の枢軸国家」ではなく、グローバリゼーションの世界対それを破壊するテロリスト。そのテロリストに大量破壊兵器が流れるから先制攻撃で叩くと言っているのであって、「イラクという国から攻撃を受ける脅威」が理由ではない。非対称の戦争とは大国と小国の戦争ではなく、私たちの世界と犯罪者の間の戦争。
教育。戦争賛美と神の国を直接謳いあげた「つくる会」教科書と、私たちを私たちの国に誘導し国を愛する心に持っていく「心のノート」は似て非なるもの。前者は「鬼子」で後者こそ「嫡流」。
治安。「警察による安全」を突出させた迷惑防止条例と「私たちの共同責任での安全」を謳う生活安全条例も、前者が「鬼子」で後者が「嫡流」。これは有事法制のもとの社会を、治安維持法・国家総動員法型の直接強制社会と見るか、自主的でシステム的な協力社会と見るかにもかかわっている。
この対決構図には多様性をもった人々の共生の思想が皆無なばかりか、国家間の平和共存もなければ、政府の責任も権力と人権の緊張関係も問題にされない。近代社会が生み出した基本理念などははじめから範疇外に追いやって、「不安だから私たちの責任で安全を守ろう」と情緒的にくるから、「嫡流」の方が批判検討の軸足をつくりにくい。とりわけ、「○○条で権利や自由が侵害される」と解きがちな法律家にとっては、「鬼子」の方がはるかに叩きやすい。だが、悩ましくても、「嫡流」を直視して批判し切らねばならない。破壊されるのは、権利や自由というより、世界と社会なのだから。
3 荒廃と貧困、差別と亀裂の再統合
スケールも分野も書き手も違うこうした文書の「哲学」がどうしてこれほども照応するか。「九・一一で世界は変わった」だの、「ブッシュ・ドクトリンは九・一一の衝撃によるもの」だのと考えるとまったくわけがわからなくなる。生活安全条例の展開は九九年から、教育基本法「改正」の動きはもう数年は続いているのだから。
根源はもっと深いところ、グローバリゼーションとその追随・推進のための構造改革に行き着く。より正確にいえば、グローバリゼーションと構造改革によって世界と社会に生み出される矛盾=荒廃と貧困、差別と亀裂を、近代社会の基本理念を押し流した乱暴な手法で再統合しようというのがこの道筋。その再統合のための国家・軍事・教育・治安の共通の「哲学」であり、「キーワード」と考えた方がよほどはっきりする。
「あのときブッシュはなぜ戦争と叫んだのか」。抱き続けてきた問いのひとつだった(cf.「あのとき」自由法曹団通信一〇四八号)。いまではもうわかっている。あれは戦争屋ブッシュの衝動や思いつきではなく、グローバリゼーションを強行してきたアメリカのなかにすでにできあがっていたテロとの戦争の構図。おあつらえむきのように九・一一が発生し、「テロとの宣戦布告」に及んだ。それだけのことである。
石原都政をあらためて解析した小冊子「なんだったの石原都政」を発行した(東京支部発行。これも有事法制MLに掲載)。石原慎太郎という男のおそろしさは、ブッシュも登場せず、小泉も登場しない四年前から、同じことを絶叫し、強行し続けたところにある。四年経って、不幸にして日本が石原化し、世界が石原化したとでも言うべきか。
4 人間の希望
石原都政の四年間をにらみ続け、昨年一年間はいろんな文書を解析し、コメントし続けた。やればやるほど心が冷え、知性が奪われる恐怖にかられる毎日だった。この一、二年、古代史や中世史への造詣がやたら深くなったのは、歴史研究書でも読んでいないと思索のバランスがとれないからである。
理性や良識というものを足蹴にかけて踏みにじり、人間の心の最も浅い部分、薄っぺらな部分に訴えかけて不安や危機を煽り立て、「人間を信じてはいけない」とささやき続ける。それが世界と社会を覆うグローバリゼーションと構造改革の帰結なのだから、克服は容易な道ではない。
本当に人間というものはそんなに無残な存在か。現実に直面してそんなに薄っぺらな思考や行動しかできないのか。そうではないこともまた事実で確認できる。五〇年にわたって緊張のなかにあった韓国の国民が選んだのは、民衆の弁護士が掲げた対話の道だった。イラク戦争が迫るなか、一千万人の平和のウェーブが世界を包んだ。これらは周知のことだからここではくりかえさない。
一千以上ある生活安全条例を、防犯協会のリストを手がかりにインターネットで追い続けた。心が冷える条例が多いなかで、ただひとつ警察の影がまったくない異質の条例があった。「安全なまちづくり」に掲げられている理念は、「災害、犯罪及び事故から人々の安全の確保を図る暮らしを守るまちづくり」「バリアフリーのまちづくり」「環境との調和に配慮した自然と共生するまちづくり」の三つ。この安全の理念は、「不逞の輩からまちをまもる」という他の条例群とは明らかに違っている。どうしてこう考えたか。前文では、「被災地において広く芽生えた住民による自発的かつ自律的なまちづくりへの取組に、これからの新しいまちづくりの在り方を見出すことができた」とされている。
この条例は九九年に制定された「兵庫県まちづくり基本条例」。阪神・淡路大震災で深刻な被害と危機と不安を体験した兵庫県と被災者が見たものは、敵ではなく共生だった。
ここに人間の希望を見る。
【注・自由法曹団東京支部総会(〇二二一〜二二)の発言に補筆したもの。総会ではフリージャーナリストの斎藤貴男氏がグローバリゼーションのもとでの深刻な病理を語った。本発言は、翌日の全体会の有事法制・イラク・憲法・教育基本法・生活安全条例の諸発言のあとに行ったもの。】(二〇〇三年 二月二三日脱稿)
担当事務局次長 村 田 智 子
中央教育審議会は昨年一一月に、教育基本法「改正」についての中間報告を出した後、昨年一二月に各地で「一日中教審」を行いましたが、特に東京での「一日中教審は」ひどいものでした。全教や新婦人からの参加希望者は、報告者からはもちろん、傍聴者からもはずされてしまいました。このまま教育基本法「改正」が強行されるのはたまったものではありません。
この市民公聴会は、人々のありのままの意見を発表してもらうために、団が全教等に積極的に呼びかけて、行なうものです。
中教審の委員にも参加を呼びかけていますが、本物の委員が参加されない場合、なんと、団の島田幹事長が中教審委員役をつとめるという予定です。
団が呼びかけた公聴会です。多数の参加をお待ちしております。
日時 三月七日(金)一八時三〇分〜二〇時三〇分
場所 弁護士会館 講堂「クレオ」
主催 「教育基本法を考える市民公聴会」実行委員会
代表 弁護士 杉井静子
担当事務局次長 坂 勇 一 郎
市民問題委員会では、前回に引き続き(前回の内容については団通信一〇八〇号)建設下請けの請負代金確保問題について、勉強会を開催した。今回の委員会も建設政策研究所や全建総連の方々の参加を得て、現場の豊富な経験や直面する課題を語って頂くことができた。
まず冒頭、鶴見団員から具体的事例の報告を受けた。事例は、ホテル建設の一次下請けから内装工事を請け負った内装業者が、契約書を取り交わさないまま工事を実施したところ、一次下請けから直接の契約関係を否認され、工事代金の支払いを受けることができないというもの(相手方の主張では内装業者は五次下請けになるという)。なお、元請けは一次下請けの出した見積を四割もカットして発注していたことが、紛争となった後判明した。契約書の存しない状況で一次下請けとの契約関係をいかに立証するか、元請けの責任をいかに追及するか等、容易ならざる問題山積の事例である。
このような事例において元請け責任を問う立論は従来の法的枠組みからは必ずしも容易でなく、(1)安全配慮義務違反を理論構成すべき、(2)独占禁止法等経済法の理論を援用すべき、(3)入契法(公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律)を利用できないか、等、新しい理論構成を試みる視点が提起された(こうした観点からの参考文献としては、内田貴「契約の時代」岩波書店・同「契約の再生」弘文堂)。
現場においても、直接の契約相手が倒産したりペーパーカンパニーであり、直接の契約相手でない元請け責任を問う事例は多いとのことで、建設業者組合は、運動や交渉によりかなりの成果を上げてきている。これらの闘いは、(1)建設業法四一条を武器にした元請け責任の追及(元請けによる下請代金の立て替え払い)、(2)労働者概念の拡大による賃確法等の利用(手間請けへの拡大適用)、により行われてきた。業者組合の実践におけるこれからの課題は、(1)破産・民事再生に関連する事例への対処方法をさらに練り上げること、(2)民法等建設業法以外の法理論を解決に取り入れる検討を行うこと、とのことである。
この間の二回の勉強会を経て、弁護士が建設業者組合による現場の実践と成果を知ることの必要性と、弁護士においても従来の法的枠組みを乗り越える救済への取り組みを強化していくことの必要性を感じる。
今後この問題については、五月集会で分科会を持って現場の経験や現在の到達点についての報告を行い、さらにその後の蓄積を経て下請け救済のガイドブックに取りまとめていく予定である。
東京支部 萩 尾 健 太
4 民主的人事制度の変更
(1)民主的人事制度
大学の民主的人事制度については、教育公務員特例法では以下のように規定されている。
四条1項 教員の採用及び昇進は選考による
5項 教員の採用のための選考は、評議会の議に基づき学長の定める基準により、教授会の議に基づき学長が行う。
五条1項 教員は評議会の審査の結果によるのでなければ、その意に反して転任されることはない
五条2項 評議会及び学長は、事前の説明書交付
五条3項 審査を受ける者の意見陳述権
五条4項 参考人の出頭
六条1項 学長は、評議会の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職・降任されることはない
六条2項 五条2〜5項の準用
七条 教員の休職の期間は、・・・評議会の議に基づき学長が定める。
八条の2 教員の定年は、・・・評議会の議に基づき学長が定める。
九条 教員は、評議会の審査の結果によるのでなければ、懲戒処分を受けることはない
一〇条 教員の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、学長の申し出に基づいて、任命権者が行う。
一一条 教員の服務について・・・は、評議会の議に基づき学長が定める。
一二条 教員の勤務評定及び評定の結果に応じた措置は、教授会の議に基づき学長が行う。
このように、教育公務員特例法では、学問の自由保障のため、教員の身分が保障されており、その変更は民主的手続きを経て行われることとされている。
(2)身分保障の剥奪と無権利化
これが、国立大学法人化でどう変わるだろうか。
まず、教員は公務員ではなくなるのだから、教育公務特例法上の身分保障が無くなり、教員が、学長と同格の大学自治の担い手から、経営と分離された「労働者」となる。したがって、国立大学法人では、教員も教員以外の職員と同様な規制に服することとなる。反面、公務員に対する規制に服することもなくなるように思える。つまり、公務員の労働条件法定主義から、労働基準法等による最低基準法定、労使自治で就業規則等により労働条件規定となるように思える。ところが以下に述べるように、むしろ、国家に管理される体制となるのである。
(1)教員の任免等
「新しい『国立大学法人』像について」によれば、「教員の選考に際しては」「大学・学部等の運営の責任者たる学長及び学部長がより大きな役割を果たすべきである。」「その選考のための委員会に学内外の関連分野の教員等の参加を求めたり、学外の専門家による評価・推薦を求め参考にするなどの方法により、外部の意見を聴取」する、としている。これにより、大学の民主主義的自治による身分保障の原則が破壊される。さらに、「教員人事の流動性・多様性を高めるために」任期制を導入するとしている。これは、労働者の被用・離職の権利を保障するために労働基準法が一年以上の雇用期間の定めを禁止した趣旨に反するものである。
また、「教員の流動性を高める」という以上、任期後の解雇、配転、出向を当然予定しているものと考えられる。「職員に人事システムについても、教員の場合と同様、各大学が決定し、任命権は学長に属することとする」とされる。この考え方のもとで、大学によっては職員についても任期制を導入する動きがでている。
(2)給与
「職員の業績を反映したインセンティブを付与する給与」
「職務の性質を踏まえた個人の業績を評価する制度を設ける」
「年俸制の導入など、多様な給与体系」などと記載され、職場に競争原理が具体的に導入されることとなる。しかし、大学における研究教育は、本来、短期的に結果を出せる性格のものではない。にも関わらず、上記のような給与体系を強要することは、大学教職員を短期で成果の出せる研究ばかりに駆り立てることになり、学問自体を衰退させかねねない。しかも、文科省が(?)「各大学における適切な給与決定の参考とすることができるような給与モデルを作成することの必要性」も記載され、そうした給与体系が事実上押しつけられることとなる。
「外部資金を活用した大規模な研究プロジェクトを推進するため、競争的研究費を、当該プロジェクトを担当する任期付職員の人件費等に充当」するとしている。外部資金を活用した大規模な研究プロジェクトとは大企業と提携した研究プロジェクトであることが多いから、こうしたプロジェクトを担当する任期付職員に競争的研究費を充当することは、大学を大企業の下請化へ誘導することとなろう。
(3)服務・勤務時間
職員の服務、勤務時間等は各大学において決定するが、国民に対する説明責任を踏まえたものでなければならない、とされている。また、文科省が(?)「共通の指針を設けることの必要性」も指摘されている。結局は、各大学での自由および労使自治は制限されることとなる。
兼職・兼業に関する規制の緩和が強調され、「国立大学法人の業務や組織の一部を別法人にアウトソーシングする場合」との記載もあり、企業との一体化がしやすい制度となることが目指されているようである。さらに、教員について、不払い残業を合法化する裁量労働制の導入が提唱されている。
(4)人員管理=人員整理(極めて重大)
「○学内において、中・長期的な人事計画の策定と組織別の職員の配置等(人事管理を含む)についての調整を行うための仕組みを設けることが必要である。この場合、新しい運営組織のもとで、経営面からも十分な検討が行われ、調整が図られる必要がある。」と記載されている。これは、人員整理する、と言うことである。
この記載からすれば、国立大学の法人への移行期には必ず大量の人員整理が生じると考えるべきである。
「○また、国立大学評価委員会(仮称)における各大学の業績に対する評価に際しても、給与等の人件費総額が適切に管理されているかどうか、慎重かつ厳正な評価を行うことが必要である。」
この記載の意味するところは、非公務員化しても、国立大学評価委員会の評価に拘束され、実際上、国立大学法人の職員は労使自治で給与、人員は決められないということである。公務員としての身分は剥奪され、民間の労使自治がないという最悪の制度である。
5 国立大学法人化への対処
上記のように、国立大学法人化は、学問の自由保障のための大学自治の根幹を破壊し、教職員の雇用上の権利を奪う重大な問題を有するものである。そうである以上、先の侵略戦争に大学が協力したことの反省に立って憲法に明記された学問の自由の重要性と、それを保障する制度として大学の自治が不可欠であることを訴え、今日の不況の下、大学教職員と同じくリストラ攻撃にさらされている多くの労働者と連帯して、国立大学法人化は粉砕するしかない。
仮に、国立大学法人化を粉砕できなかった場合、法人への移行期には、前述のように人員整理が予想される。これについては、教員の身分保障を定めた教育公務員特例法五条、六条の潜脱を許さないこと、民法六二五条1項により同意無くして配転はなし得ないこと、新事業体への労働契約の承継を原則とする厚生労働省の労働契約承継法の「指針」の趣旨などを主張して抵抗すべきである。
それとともに、労使交渉を行い、就業規則、労働協約を労働者の権利を保障するものとして策定することが必要であろう。
団 事 務 局
有事法制阻止闘争本部のメンバーで、学習の友社から、表題のブックレットを緊急出版することになりました。
昨年三月、有事法制立法化が浮上するなかで、団はどこよりも早くブックレット「有事法制 だれのため? なんのため?」を出版し、学習の教材として広く普及・活用していただきました(四刷・一万三〇〇〇部)。
有事法制をめぐる情勢では、国際情勢とともに、政府は「国民保護法制」を誘い水としています。表題のブックレットは、「国民保護法制」の正体に迫り、その欺瞞性をあばくことに主眼をおいたものです。三月一五日発売予定。乞うご期待。