<<目次へ 団通信1086号(3月11日)
則武 透 | 住民補助参加を認める最高裁決定下される ―岡山県吉永町産廃訴訟― |
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吉田 栄士 | 八王子市生活安全・安心条例問題 | |
島田 修一 | 「イラク攻撃に反対する法律家一二〇〇人アピール」報告 | |
井上 正信 | NLP施設誘致計画撤回させる | |
小口 克巳 | 医療事故を口実とした民医連攻撃への反撃を! | |
渡辺 脩 | 弾圧・えん罪事件と司法改革 | |
島田 修一 | 三月二〇日 日弁連緊急集会に是非ご参加を |
岡山支部 則 武 透
1、さる一月二四日、最高裁第三小法廷において、吉永町住民の補助参加を認める最高裁決定が下された(最高裁ホームページ「最近の最高裁」に掲載)。同決定は、産廃業者スリーエーが岡山県知事を被告として産廃処分場の不許可処分の取消を求めて岡山地裁に起こした取消訴訟に、被告岡山県知事を補助するために参加申立を行った吉永町民及び吉永町の補助参加を最高裁が認めたものである。三年前の団米子総会では、吉永町住民の闘いを支援する決議をいただいたこともあり、その御礼も兼ねて報告したい。
2、九四年一一月、岡山県東部の山間部の吉永町に産業廃棄物管理型処分場の建設計画が持ち上がった。建設予定地は吉永町民の多数の水道水源の上流に位置していた。九八年二月、産廃処分場の建設の可否を問う住民投票が実施され、約九八%の反対票が投じられるなど、住民運動は大きな盛り上がりを見せたが、その直後の同年三月、スリーエーは吉永町との事前協議を一方的に終了し、岡山県に設置許可申請を行った。しかし、住民運動の盛り上がりが強く影響し、同年五月、岡山県知事は不許可とする判断を下した。スリーエーは直ちに行政不服審査法による審査請求を厚生省に申し立てた。厚生省は異例の現地調査を実施した上で、九九年六月、岡山県知事の不許可決定を維持する裁決を下した。その後、スリーエーは、九九年八月、不許可処分を下した岡山県知事を被告として、岡山地裁に行政処分取消訴訟を提訴した。同年一二月に吉永町民三五二四名が補助参加申立、〇〇年四月には吉永町も参加申立を行った。スリーエーはこの住民や町の補助参加に異議を唱えたが、〇〇年一〇月、岡山地裁はほとんどの吉永町民(一部水系の異なる住民については却下)及び吉永町の参加を認める決定を下した。スリーエーは広島高裁に即時抗告を行ったが、〇一年二月、広島高裁は抗告棄却決定を下した。その後、さらにスリーエーが最高裁に許可抗告を行い、その判断が今回下されたわけである。
3、今回の最高裁決定の最大の意義は、産廃処分場建設予定地周辺住民の補助参加を認める理由として、廃棄物処理法を周辺住民の個別的利益保護の法律ととらえた点にある。決定の該当部分は「同項(廃棄物処理法一五条二項)は、管理型最終処分場について、その周辺に居住し、当該施設から有害な物質が排出された場合に直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。」としている。吉永町産廃訴訟のように、不許可決定を下した県知事を補助するために周辺住民が参加申立するケースはさほど多くはないと思われる。しかし、今回の最高裁決定の廃棄物処理法の解釈は、補助参加の問題にとどまらず、周辺住民が県知事の許可処分を争う取消訴訟での原告適格の門戸を広く開くものであり、今後の各種環境型訴訟に与える影響は大きい。奇しくも、今回の最高裁決定が下された直後の一月二七日には、原発の周辺住民に原告適格を認めた上で原告勝訴としたもんじゅ原発訴訟の控訴審判決が下された。環境型訴訟の客観訴訟化は時代の流れである。
4、現在、岡山地裁での本訴訟の方は証拠調べが終了し、今秋には判決が下される予定である。吉永町住民は、環境先進国ドイツへの訪問調査を行うなどして、産廃問題が産業構造の問題であることを深く自覚し、循環型社会を目指すべく様々な工夫を重ねており、その結果、岡山県内の自治体で唯一ゴミを減少させることにも成功している。吉永町の貴重な闘いを全国に広げるためにも、何としても本訴訟に勝利したい。
東京支部 吉 田 栄 士
1 はじめに
はじめは寝耳に水の話だった。一二月二日の事務所運営委員会で、どうも八王子で都の迷惑防止条例のようなものを出すようだ、五日の本会議に市長自ら提案するらしい、緊急に阻止のための運動を組まなければならないという提起がされた。すぐに条例案を取り寄せ、まずは対策会議を持とうということになり、共産党市議団や八王子労連、新婦人、民商、土建などに呼びかけをした。どこの事務所でも同じだが、一二月と言えば仕事のかきいれ時、この時期にこの問題、とにかくえらい迷惑な迷惑防止条例だ。こともあろうにこの条例の名称は「生活安全・安心条例」というそうだ。
2 条例の問題点
この条例は、駅頭などでの客引き、執拗なつきまとい勧誘行為などをやめさせて、安心して暮らせる街づくりのために制定するというのがその趣旨とのことだ。一見もっともなことだが、「つきまとい勧誘行為」についての明確な定義付けもなく、正当な表現活動などが規制される可能性もあり、また、市の安全施策に対する市民の協力義務、事業者などに防犯設備の設置を義務づけるなど市民相互監視体制作り、さらに警察との連携、協力、協議を強調し、市民生活への警察の介入を招きやすい内容となっている。この条例の制定については、ほとんど知られておらず、すばやい成立をもくろんでいたようだ。まずは、この内容を市民に知らせよう、そして成立を阻止しようということから運動を始めた。
3 運動
そうは言ってもすぐに五日、対策会議が開けたのは四日の夜だった。団支部の都条例問題に関する資料を取り寄せ、八王子条例案の学習をし、要請書をその場で作成、議員要請と記者会見を組み、議会傍聴態勢を整えた。運動体としては「八王子市迷惑防止条例を撤回する会」を作った。撤回する会は出来る限りの行動日程を組み、要請書を持って各会派を回り、団体を回り、駅頭宣伝、記者会見と精力的に動いた。反対の趣旨は朝日、読売に掲載された。この間、一六〇をこえる個人、団体からの要請書が市長、議長、各会派に提出され、配布した宣伝チラシは九〇〇〇枚にも及んだ。この運動については、当初から亜細亜大学の石埼学助教授も参加した。一二月は誰でも忙しい時期であるが、旺盛に活動は続けられた。
4 市議会
議会内部では、共産党と社民党、生活者ネットが反対質問を重ねたが、五日に提出された条例案は一〇日に総務委員会で可決され、二〇日の本会議で採択されることとなった。
5 弁護士アピール
事務所では全弁護士名での意見書や要請書を作成し、議員に配布したが、撤回する会からもっと多くの弁護士に反対運動を広げられないかという提起がされた。八王子市には当事務所のほか、集団事務所としては、西東京共同法律事務所がある。東京共同系の事務所である。とにかくここにも持ち込もう、ここを動かすと、社民やネットとの連携ができる。ということで、一三日に要請文を持って話にいった。この話には西東京も積極的に乗り、むしろ八王子で働いている弁護士アピールを作ったらどうかということになった。すでに本会議には一週間しかない。ともかく弁護士アピールを作成し、まずは事務所全員と西東京共同法律事務所全員が賛同し、それを広げることとなった。八王子市内の事務所に属する弁護士数は六〇名である。その弁護士に要請文を送付し、電話で名前を連ねることをお願いした。三分の一をこえる二二名の弁護士が名前を連ねた。その中には市長と親しい弁護士も入っている。この弁護士アピールは各議員に送付し、市役所前の宣伝行動でも配布した。これはなかなか影響力を持ったようだ。
6 条例成立
条例は果敢な反対活動にも拘わらず、二〇日の本会議で賛成二七、反対九で可決成立した。撤回する会としては、成立後も規則制定問題や表現活動には適用させないために、今後も活動を継続することを確認した。
共産党市議団の努力で、業務最終日である一二月二七日に、市長との面談を設けることができた。その準備で二六日に対策会議をしたが、簡潔な質問状を作成し、回答を求めていくのが効率的だろうということになり、緊急に質問状を作成した。
7 市長会見
二七日の午前一〇時一〇分から一一時まで、弁護士二名(吉田・斉藤園生)、石埼助教授、市議二名を含む一二名で市長と面会した。この会見を獲得したこと自体が運動の成果であった。質問項目の基本は、「この条例が労働運動や、表現活動などに保障された表現の自由を制約するものではないと理解してよいか」「市民の責務とされる市の実施する安全施策に協力する義務というのは法的義務であるのか」「つきまとい行為などに明確な定義規定がないのはなぜか」「事業者の行うべき防犯設備とは何をいうのか」など七項目である。
市長との会見は終始なごやかであったが、市長はつきまとい問題の深刻な現状を強調し、その規制は常識の範囲内であること、表現活動を規制するものではないことを述べた。他方、今回の反対活動は自分らの趣旨を曲解していると強調した。この会談ではこちらはなぜ反対しているのか、何が問題なのか、表現活動の重要性などを話したが、話し合いの経過の中で、我々の問題提起について一定の理解はしたようであった。質問状については、一月一五日までに文書で回答されるよう要望し会見は終了した。会見後すぐに、文書回答がくることを前提として、一月二八日に経過報告と今後の運動づくりのための拡大学習集会を持つことを決めた。
8 市長回答
市長からの文書回答は、市長名で期日を守って当方に届けられた。回答内容は「本条例は憲法で保障されている基本的人権の正当な行使を制約するものではないこと」「市民の責務については罰則規定はなく、努力義務等を規定し、協力を依頼するものであること」「事業者に求める犯罪防止設備とは、防犯カメラや二重施錠を想定していること」「規制行為の具体的運用については協議会の意見を聞き、協議会委員には学識経験者、市民なども予定していること」などであった。基本的人権の制約はしないとの文書回答を引き出したことはよかったが、防犯カメラなど監視体制強化という面が出されたことは警戒しなければならない。
9 拡大学習集会
一月二八日にこれまでの活動の報告と今後の対策のための集会を開いた。石埼さんの「警察国家化、市民監視体制と生活安全条例」の講演をメインにし、この間の活動経過を報告し、様々な質疑応答もなされた。最後に「正当な政治活動・表現活動は本条例の規制の対象ではなく、臆せず堂々と、従来通りの宣伝・表現活動を旺盛に行うこと」「正当な表現活動に不当な規制が加えられたら、直ちに反撃し、規制の強化、拡大に断固として反対すること」「本条例のめざす市民相互監視体制の導入、強化に反対すること」を確認事項とし、今後も継続的活動をすることを確認して集会は終わった。石埼さんの仲間の若手学者二名(和光大の清水さん、中大の高橋さん)も参加し、密度の濃い集会となった。
10 運動の成果と今後について
二週間という短い期間であったが、この条例の危険性を察知し、旺盛な運動が持てた。特に警察主導による市民相互の治安体制作りを打破していこうという確認をしたことは重要であった。今後の有事法制反対運動を補強する下地ができたこと、運動の底辺を広げることが可能になったこと、弁護士の連帯が今後の様々な問題で可能となったことなど成果は多かった。そして今後は引き続きこの条例の危険性を知らせ、この条例を表現活動には使わせないために運動を続けることとなった。
(東京支部二〇〇三年定期総会特別報告集「私たちが取り組んだ諸活動」より転載)
幹事長 島 田 修 一
1 執行
二月二〇日午後、日民協、国法協、青法協弁学合同部会、団の四団体は標記アピールをアメリカ大使館→外務省→内閣府(大臣官房)の順で執行した。参加者は庭山英雄(日民協前理事長)、澤藤統一郎(同事務局長)、新倉修(国法協事務局長)、芳澤弘明(同副会長)の各氏と団から坂事務局次長と島田。大使館前でNHKとテレビ朝日が執行状況を撮影する中で、九・一一以降館内立ち入り拒否という警備担当スーパーアドバイザーに三〇分近く抗議を繰り返すが、館員に必ず手渡すとの約束で門前執行。次の外務省は中東二課の若い事務官が一階ロビーで受け取るだけの応対。責任者がきちんと対応できないうしろめたさがあるのか。しかし最後の内閣府は請願の形をとったためか部屋に案内され、課長補佐ら二名と三〇分意見交換。当方の国連憲章違反の抗議に弁解なく、イラク民衆の生命の尊さにはうなずく場面も。「安保理の新決議が出たらどうか」と尋ねるので、どんな決議が出ようと武力行使は許されないとの道理ある説明に反論なし。執行後外国特派員協会へ。海外一五〇社、国内六〇社の巨大組織のためか記者会見の手続きが厳格で企画委員会で検討するとのこと。最後に司法記者クラブで記者会見。翌日の新聞報道は赤旗だけ。
アピールは前記四団体と民科法律部会および反核法律家協会の役員、国際法学者、日弁連会長経験者ら三四名が二月一二日現在の情勢下で発表し、わずか一週間で呼びかけ人を含め一二二〇名の賛同が寄せられた(最終集約数は一三〇六名、法と民主主義二・三月合併号に氏名表示)。平和問題ではかつてない数である。国内執行のほかに国連事務総長と安保理一五ケ国にも英文で執行した。
2 視点
アピールは冒頭で「我々はイラク攻撃に反対し、平和的手段によって大量破壊兵器の問題を解決することを支持する」との基本態度を表明したうえ、四つの視点を明確にした。一はアメリカ批判。先制攻撃は国際法上も一四四一号決議にも根拠はなく、憲章二条4項と五一条に違反する戦争犯罪であること。二は仮に大量破壊兵器があるとしても、安保理は平和的手段を十全に尽くして廃棄除去する責務があること。憲章の思想は「戦争が無辜の民衆にもっとも大きな被害をもたらすことを深く反省して、平和に対する脅威についても平和的解決を優先」させたからである。三は米軍の撤退要求。二〇万人を超える兵力を集結させれば謀略等で武力行使の危険が常にあり、その場合「民間人を含む大量殺戮と環境の重大な被害が必ず発生する」からである。アメリカは一九四五年以降軍事侵略を繰り返してきたが、攻撃前に撤退した例は一度もないことからジェノサイドを防ぐための即時撤退を求めたものである。四は日本政府批判。イージス艦派遣を始めとする政府の協力姿勢は戦争犯罪に加担するものだと厳しく批判するとともに、全世界の人々が享有する平和的生存権を今こそ活かすべき「創造的な行動」をとるべきことを要求した。
3 こうして日本の法律家の強いメッセージを内外に発信したところ、早速、北京の河内謙策団員からメール。中国の反戦署名運動リーダー「一二〇〇人ですか!中国の人にも伝えたい」。四団体と民科法律部会はその後も会合を重ね、三月一一日に国会内で?アメリカのイラク攻撃を国際法の観点から考える院内意見交換会?を開くことを決定。講師は松井芳郎名大教授。議員との意見交換を通じ、国会から反戦の発信を求める運動である。
なお、アピール文に対し団内から貴重な訂正意見が寄せられましたが、共同行動であることと時間の制約から意見を盛りこむことがかなわなかったことを深くお詫び申しあげます。
広島支部 井 上 正 信
一〇月三〇日、広島県沖美町長が米軍厚木基地の夜間発着訓練(NLP)施設を、同町大黒神島へ誘致することを町議会で表明。当日は早朝からNHKのトップニュースで報道され、広島に大きな衝撃が走りました。
夜間発着訓練は、戦闘機が滑走路を空母の飛行甲板と見立てて、着陸と離陸を繰り返すタッチアンドゴーを行うなど、通常の訓練と比べて騒音が大変激しく、住民に絶え難い苦痛を与えるとして、厚木でも三宅島でも、住民の大きな反対の声が上がりました。
昨年一〇月には、第三次厚木基地騒音訴訟で、横浜地裁が二七億円余の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡したばかりです。このような重大な問題を持つNLP基地を、基地交付金をえさに広島湾の入り口につくろうとしたことに、広島の人々の怒りが爆発したのでした。
広島では直ちに多くの団体が抗議行動に立ち上がり、県平和委員会も早速抗議文を政府に送付しました。
翌三一日には、「広島共同センター」として二二名が県知事に要請行動を行い、これをマスコミが大きく報道し、世論作りに貢献しました。
地元の沖美町でも、二月一日に漁協が理事会で誘致反対を決議。二日には町民有志が「沖美町の生活を守る会」を結成し、反対署名を集め始めました。
次の週の初めからさらに反対の声が高まり、沖美町議会も「誘致反対」を申し合わせました。共同センターも四日の江能四町訪問行動、五日の昼休みデモと立て続けに講義と宣伝行動を展開。ついに沖美町長の「白紙撤回」宣言を勝ち取ることができました。この間の主な取り組みと沖美町などの動きは下記の通りです。
今回の取り組みの特徴
*各団体の動きが速く、不安を抱えた地元住民を励まし立ち上がらせた。
*広島の底力が、直ちに大きな世論を形成した。
*渉外知事会が「NLP反対」を政府に申し入れていたことが、藤田広島県知事の「反対表明」の背景にある。これは全国のNLP反対運動や低空飛行訓練反対運動の成果でもある。
今後の取り組み
*日本での米軍のNLPがなくなったわけではなく、今後も岩国基地などで繰り返されるおそれがある。
*「米軍は無謀なNLP訓練や低空飛行訓練は自国でやれ!」という運動を大きく広げ、「日米軍事同盟打破・基地撤去」の運動に結びつける。
〈誘致表明から七日間の主な動き〉
一月三〇日
沖美町議会で谷本町長がNLP基地誘致の方針を表明
県知事が記者会見で「反対」を表明
日本共産党県委員会が県知事、防衛施設庁に申し入れ
平和三団体連名で、政府に要請文を送る
一月三一日
日本共産党市議団、沖美町役場を訪れ反対を申し入れ
「広島共同センター」二二名が県知事に要請行動
「県北連絡会」が藤原会長名で見解を出し、政府、県知事、沖美町に送付
全教広島が、県知事、政府、沖美町に要請文を送付
二月一日
沖美町の漁協が理事会で反対決議
二月二日
沖美町民有志が「沖美町の生活を守る会」を結成
二月三日
沖美町議会全員協議会で「誘致反対」を申し合わせ
周辺自治体も反対を申し入れる
二月四日
「広島共同センター」の代表一二名が、沖美、能美、大柿、江田島の各町を訪問し、抗議と要請を行う
二月五日
「昼休みデモ」でNLP基地移設反対を訴える
沖美町長が誘致撤回を表明、引責辞任
(広島県平和委員会「平和新聞」から転載)
東京支部 小 口 克 巳
事実を明らかにして再発防止策
医療機関では実際には多くの事故が発生している。全国に八二カ所ある特定機能病院の調査では、二〇〇〇年四月から二〇〇二年二月までの間に一万五〇〇三件の医療事故の報告があるという。また、社団法人日本医師会が会員医療機関に対して行ったアンケート調査では回答のあった六〇八の施設で一施設平均一三〇件の医療事故が報告されているとのことである。実際には、これを遙かに上回る隠れた事故があると考えられる。
民医連加盟の病院でも一定数の医療事故が起こっている。しかし、京都、川崎などの民医連の病院で発生した医療事故では事実を積極的に究明して再発防止策を講じている。これは患者本位の医療を目指すまっとうな態度である。
政治問題として
ところが、これを政争の道具としてとことん利用しようとしているのが公明党である。公明新聞では、全国で数ある医療事故の中でもっぱら民医連関係の病院についてとりあげ、共産党の選挙活動と結びつけて民医連、共産党攻撃を激化させようとしている。
二月二三日までに川崎で配布された公明議会ニュースでは次のような見出しが踊っている。
○「日本共産党・民医連系病院で 相次ぐ事件・事故・不祥事」
○「京都中央病院では、細菌検査の実施をしていないのに検査費 用を不正請求。しかも、この検査報告で『菌の検出なし』とされ た患者二四三人が死亡」
○「耳原病院では、院内の消毒不十分により、入院患者七一名に セラチア菌の院内感染が発生」
○「立川相互病院では、左足骨折の患者に対し右足に手術された 患者が、無理な再手術によって死亡」
そもそも民医連の病院でだけ医療事故が相次いでいるかのような印象を与えることを意図しているとしか考えられない。個別事例では意図的と思われる事実わい曲に満ちている。
京都中央病院の事例は虚偽報告と患者二四三名の死亡との因果関係があると読ませる表現となっている。この根拠は全くない。因果関係がないことは調査の結果はっきりする予定であるが、少なくとも「因果関係あり」とは到底言えない。調査結果が出る前にできるだけ言っておこうということだろう。根拠なしに言っている意図的と思われる名誉毀損である。
耳原病院総合病院での院内感染は三名である。三名というのは公明新聞にもでている。公明党としては知っていてわざと虚偽の情報を流布しているということになる。立川相互病院ではそもそも再手術をしていない。再手術の結果死亡という結果自体そもそも起こるはずもない。
選挙活動への憎悪
公明党の民医連攻撃は、来る一斉地方選での選挙活動にしっかりと照準を合わせているように思われる。民医連関係の日本共産党後援会員の足を止め、地域の信頼に水を差して選挙活動が恰も不当であるかのような印象を与えようとするものである。選挙活動に関する民医連攻撃には次のようなものがある。
○ 「選挙に熱中して本業手抜き」(小見出し)
○『民医連系病院は日本共産党の党勢拡大・集票機関」(小見出し)
○「民医連系病院は『病院』という本来の役割以上に日本共産党の集票マシンという性格が強く、医療行為は必ず党勢拡大活動に結びつけられているという、きわめて残念な状況があります。」
こうした表現は病院の業務として選挙活動をしたかのような表現で事実に反する虚偽のものである。しかも、「医療をないがしろにして選挙活動をしている」との文面で名誉毀損となる。
なりふり構わず名誉毀損
公明新聞はこうした攻撃を加速させている。川崎の他でも選挙が行われた地域等ではこうしたビラが盛んにまかれている。東京都文京区は民医連出身の共産党議員が多いところであるが文京区に民医連本部があるのはけしからんといわんばかりの内容になっている。こうしたなりふりかまわない名誉毀損は一斉地方選を前に全国一斉に火を噴くものと思われる。各地での対処が必要になるであろう。
違法行為への反撃 ―各地での準備をー
川崎協同病院では、全国の民医連の応援を受けて二月二二日、二三日の二日間にわたって川崎市内全域での一斉宣伝活動に取り組んだ。民医連が地域医療に献身的に取り組んで患者本位の医療を目指してきたこと、今回の医療事故については徹底して原因究明を進めて再出発をしていること、今後も献身的医療に取り組むこと、公明党を含む与党がたくらんでいる医療改悪に反対することなど攻勢的なしかも節度と品位ある内容のビラで三〇万枚を越える枚数をまききった。ところが、一方でこれに合わせて名誉毀損を内容とするビラが配られ、他方では民医連のビラまきを尾行してポストからのビラの抜き取りをするなど犯罪的な行動も生じている。
違法な名誉毀損には真実を知らせる宣伝活動で反撃しているが、他方で目に余る名誉毀損には法的手続での対応も必要になる場合もある。各地での反撃の準備を呼びかけたい。
東京支部 渡 辺 脩
私は、本年一月の辰野事件元被告団・家族会の新年会と二月の青梅事件三五周年記念集会講演で、これらの事件の裁判闘争と現在の司法改革問題との結びつきを語ってみた。いずれも、日本共産党員が主謀者とされたフレームアップ事件で、警察による現場・証拠物・自白のねつ造が暴露された。青梅事件は国鉄青梅線列車妨害等(一九五一年九月発生、一九六八年三月無罪)、辰野事件は警察署火炎瓶襲撃等(一九五二年四月発生、一九七二年一二月無罪)が公訴事実であった。これらの裁判闘争は昔話にすぎないのか。
一、現在、「司法制度改革推進法」に基づく具体的な法律案審議が進行中だが、その中でも、私は、「裁判員制度・刑事検討会」で論議されている「徹底した被告人の争点明示義務」こそ、刑事裁判の現場のたたかいにとって最大の障碍になるものと考えている。
被告・弁護人に認否・争点明確化の義務は本来的にない。
これに反し、その義務化は、第一回公判期日前の争点整理、それ以外の被告・弁護側の主張・立証の禁止(以上、「刑事司法制度改革」に関する「司法制度改革審議会」最終意見書)、不服従弁護人の懲戒等を含む流れになろう。これは、「予断排除の原則・起訴状一本主義」の公然たる廃止であり、弁護活動・防御活動の実質的禁止である。そういう問題として論議されるべきである。
二、もし、早期の争点整理が被告人の義務になっていたら、青梅・辰野両事件の無罪もなかったのである。警察による現場・証拠物・自白のねつ造がある以上、それをはじめから知っているのは警察当局だけであり、当然、警察・検察の証拠隠匿もからんでくる。
被告・弁護側は、はじめから検察官の主張・立証の全部を争わなければならない。争点を絞ったり整理したり出来ないのである。
さらに、青梅事件では、自白組と否認組の被告たちが分離されたため、統一公判実現の控訴審まで、拷問捜査の実態を被告・弁護側が十分に把握出来なかった。無罪の決め手になった証拠は上告審・差戻審まで検察官が隠匿していた。辰野事件でも、警察による現場・証拠物の発見は控訴審の途中であった。
昔の弾圧事件は、そのような捜査・起訴・裁判の実態を事実によって証明している。「争点整理」で片づく問題ではないのだ。
三、これに対し、「今の捜査は昔と違う」という議論がある。そういう議論は、どの時代にも、昔からあった話である。
最近の刑事裁判の実情から見ると、特に、「オウム関連事件」以降、警察の捜査・証拠収集と検察の起訴・公訴維持がひどく杜撰になり、平気で証拠の不足を雰囲気で補うということになっている。
たとえば、麻原裁判では、「地下鉄サリン事件」でも、犯行現場の遺留物押収手続きの記録が法廷に提出されず、鑑定資料との同一性を証明するドキュメントが皆無という状況がある。
とても、昔の「捜査」を笑っていられる状況ではないのである。
四、私たち麻原国選弁護団は、被告人の「謀議責任」に関する検察官の主張・立証を全部争い、「証拠裁判主義」の原則(刑訴法三一七条)を終始一貫主張してきたが、マスコミは、これを無視し、弁護団が「争点を明確にしない」ことを執拗に非難攻撃してきた。 異常なスピード審理でも話題になった「さいたま・保険金殺人事件」で、判決後のNHK・TV解説は、迅速審理の参考になったが争点整理は出来なかったと問題にした。「和歌山・カレー事件」の判決後に、朝日新聞社説は、弁護団が争点を明確にしたのはよかったと評価している。「争点整理」は出来る時と出来ない時があるのだ。その見極めをしない「争点整理」論は誤りである。
五、麻原裁判の場合、「オウム教団はテロ集団であるから、殺人の実行が明らかになれば十分で、その他は余計なことだ」というのが、検察・マスコミ論議の土俵であった。それに対し、弁護団は、「一万数千の信者の九九%以上が事件と無関係である以上、教団をテロ集団というのは実態に合わないし、宗教団体が何故これらの犯罪行為を生み出すに至ったのかを解明しない限り、真実は明らかにならない」と主張してきた。そこでは、土俵の設定自体に根本的な争いがあり、争点整理自体が不可能なのである。
刑事でも民事でも、訴訟は生き物で流動的に発展する性質を持っているから「争点」が動くことはいくらでもある。
大体、殺人事件で、動機・目的、謀議の経緯、犯行までの経過等に関する証言の信用性テストなしに、「殺した」とか「指示があった」という断片的な言葉だけで済むというのでは裁判にならない。
六、「争点」は、可能であれば、「整理」してもよいという仕組みでなければならない。現行刑訴規則一九四条の三・二号が、「準備手続」において、「事件の争点を整理」することが「できる」と規定して、義務づけていないのも、以上の理由による。
麻原国選弁護団は、今の「司法改革」が実現した場合の進行方向を実体験しているといえるだろう。その最先端の現場からいうと、「争点整理」の要求は最大の欺瞞である。その義務づけだけは絶対に許されないし、その他に、現場のたたかいの手掛かりを沢山作っておく必要がある。「争点整理」などというと、いかにももっともらしく聞こえるが、それは、訴訟の本質と構造に深くかかわる問題であり、被告・弁護人の争う権利を認めるのかどうかが焦点になる。
弾圧・えん罪事件の裁判闘争は、そのことを具体的に物語っているし、自由法曹団と国民救援会は、日弁連・人権擁護委員会とともに、その歴史的な材料を最も豊富に抱えている。
この「争点整理」という今日的な主題について、その材料を生かした「意見書」ぐらいは是非まとめてほしいものである。 以上
幹事長 島 田 修 一
アメリカの「正義」日本の「有事」イラク・北朝鮮を考える
対談者
姜尚中氏(東大社会情報研究所教授)
酒井啓子氏(アジア経済研究所主任研究員)
司会 新垣 勉団員
と き 三月二〇日(木)午後六時
ところ 弁護士会館二階講堂「クレオ」
主 催 日弁連 東弁 一弁 二弁
七日=査察報告、一四日=Xデイといわれる緊迫したなかでの取り組みです。また日弁連・東弁会長などによるイラク攻撃反対の声明が出た直後でもあります。
今、日本と世界が直面する状況と、その解決策を考え、日本国憲法を現実に今こそ活かす道を探る上で大変貴重な機会です。
東京を中心に全国から、私たち団員が先頭に立って参加を幅広く呼びかけ、イラク攻撃反対・有事法制反対の日本の弁護士の大きな声を内外に発信していこうではありませんか。