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則武  透 吉永町産廃訴訟の勝利報告
松村 文夫 十一年操業産廃焼却炉の操業禁止判決
島田 修一 リレールポ憲法調査会(2)
憲法調査会傍聴記―公務員の労働基本権・雇用における男女平等
神田  高 メディア寸評〜イラク戦争報道批判
萩尾 健太 鉄建公団訴訟は何を求めるか、その現状と展望
宇賀神 直 書籍紹介 沈黙の海―水俣病弁護団長のたたかい(千場 茂勝 著)



吉永町産廃訴訟の勝利報告

岡山支部  則 武  透

、本年三月一一日号の団通信でも経過報告した吉永町産廃訴訟(岡山県知事を被告とする産廃不許可処分取消訴訟)が、今秋に予定されていた岡山地裁判決を待たずに、原告の産廃業者スリーエーの訴訟取下という劇的な幕切れに終わった。

、本年四月一一日、スリーエーが産廃建設計画の白紙撤回、行政訴訟の取り下げ、処分場予定地の吉永町への寄付を提案、これを受けて、同月一八日、岡山県知事立ち会いの下でスリーエーと吉永町及び住民との会談が実施され、同月二二日の訴訟取り下げとなった。この取下により、吉永町民の一一年に及ぶ産廃阻止の闘いは完全勝利に終わった。圧倒的多数で勝ち取った住民投票、岡山県知事の不許可決定、厚生大臣の不許可裁決、住民の補助参加を認める最高裁決定と、何度も不可能を可能にしてきた吉永町の闘いが、有終の美を飾ったわけである。

、全国の産廃問題に取り組む多くの団員にも弁護団に加入していただき、九九年の団米子総会では支援の決議も上げていただいたことを深く感謝したい。なお、今年一一月には感謝の意味を込めて、地元吉永町でゴミ弁連総会が開催される。お手伝いいただいた多くの団員にも是非ご参加頂き、共に勝利の美酒を交わしたい。



十一年操業産廃焼却炉の操業禁止判決

長野県支部  松 村 文 夫

 産廃用焼却炉に対して、建設計画中、あるいは操業直後に建設・操業の禁止を命ずる仮処分決定あるいは判決は、最近多く出るようになりました。しかし、十一年間も操業してきた焼却炉に対して、去る四月二二日長野地裁飯田支部は、操業を禁止する判決を言い渡しました。
 このような長期にわたって操業してきた焼却炉に対する操業禁止を命ずる判決は、おそらく初めてではないかと思います。
 この裁判で苦労したのは、次の二点でした。
 第一点は、ダイオキシンの排出濃度が基準以上であることを証明するものがないということ、第二点は、健康被害がどの程度発生していなければならないのかということでした。
 この二点とも、建設計画中であれば「おそれ」程度で足りますが、十一年も操業しているとなれば、現実に起っていることを立証しなければ裁判所も認容しないだろうと思うものの、うまく立証する手段が乏しく苦労しました。
 第一点については、業者は、県あるいは自社の測定により基準未満であったという測定結果を出して来ました。
 住民側は、産廃施設内に入れませんので測定できません。周辺の高台から機会あるごとに朝から晩までビデオでとり続けて、届出をはるかに超える量を焼却し、ものすごい黒煙を排出している状況を立証しました。
 判決では、県などの測定値が基準未満であったことをもって安全とは言えないと判示しました。
 第二点については、住民のアンケートによって、「風邪をひきやすい」等々の有訴率が高く、しかも、焼却炉から遠くても排煙が流れ込むことの多い地域ほど高いことを立証しました。
 判決では「健康被害ないしその兆候が生じている」、「本件施設の操業が継続することにより今後その侵害の程度が深刻化することが予測できる」と判示しました。
 長年操業中の焼却炉を裁判によって差止する道を開くことができたと開拓者精神でつき進んでみるものだと喜んでいます。



リレールポ憲法調査会(2)

憲法調査会傍聴記―公務員の労働基本権・

雇用における男女平等

東京支部  島 田 修 一

 三月一三日、衆院調査会の基本的人権小委員会は、(1)公務員の労働基本権、(2)雇用における男女平等、のテーマについて「調査」を行った。「教育を受ける権利」(二月一三日)に続く調査である。(1)の参考人は菅野和夫東大教授、(2)は藤井龍子元労働省女性局長で、各三〇分の公述の後、議員との質疑に入った。

 菅野氏は、公務員に対する団交権等の労働基本権を全面否定した改正国公法(四八年)の憲法適合性に関する最高裁大法廷判決の変遷(基本権の制限は必要最小限に止めるべきで、制限した場合は代償措置が必要とした六〇年代の東京中郵事件・都教組事件、公務員の地位の特殊性、議会制民主主義、財政民主主義の観点から限定解釈は不適切として憲法上の権利性を否定した七〇年代の全農林警職法事件・岩手県教組事件・名古屋中郵事件)の結果、現在では公務員に対する労働基本権の付与は立法政策の問題とされていること、しかし五〇年ぶりの今回の公務員制度改革は、能力・業績主義を中心とした人事制度の改革を伴うわりには労働基本権と労使関係制度が先送りにされていること、これは政労使の対話の要請および労使関係の再検討という最近のILO勧告を受けとめていないこと、したがって労働基本権を制限する場合は十分な代償措置を講じることが必要であること、以上の意見表明をされた。
 藤井氏は、雇用における女性の地位について、労基法四条(男女同一賃金)、労働省婦人少年局・都道府県婦人少年室の設置、女性差別撤廃条約批准、男女雇用機会均等法、育児休業法、パートタイム労働法、介護休業法、労基法改正による男女平等、男女共同社会参画法、へと戦後の憲法が女性労働者の地位向上に果たしてきた役割を指摘され、しかしそれでも現状は採用・昇進差別は依然として解消されていないから、行政指導に代わる差別解消の強制措置、賃金格差の解消、再就職を希望する女性のための年齢制限撤廃等の良好な職場を紹介する環境整備等の救済措置の拡充を提言された。

 これに対する主な質疑は次のとおり。
・野田毅(自民)「二人の話には憲法に不備があるとの指摘がなく、むしろ憲法を前提としていた。憲法に不備があるかどうか聞かせて欲しい」
 菅野「労使関係についての憲法の規定は理念と政策目標を掲げた抽象的な規定だが、体系的であり柔軟かつ弾力的である。立法政策を進めるうえで障害となるものではない」
 藤井「憲法に不備があるか否か答える力はない」
・太田昭宏(公明)「二七条は勤労義務の内容を規定していない。公務員も雇用の流動性が必要ではないか」
 菅野「二七条は労働市場への国の政策を求めた規定。公務員の流動性は必要だと思う」
 藤井「流動性は積極的に求めるべきだ」
・武山百合子(自由)「公務員の基本権はもっとつっこんで規定したほうが良いのではないか」
 菅野「二八条は民間労働者には明確だが公務員にはむつかしい存在。財政民主主義・議会制民主主義とどのように調和させるか。憲法に設けることは逆に硬直的となる」
 藤井「考えたことない」
・春名眞章(共産)「今回の公務員改革は大臣の権限を拡大し、人事院の機能を縮小している。憲法違反ではないか。ILO勧告は
 “現行の規制は再考すべし”と指摘している。男女差別は人間の尊厳に対する侵害だ。罰則が必要ではないか」
 菅野「国民が公務員に何を望んでいるか。政策的に議論して決めるべきだ。ILO勧告は日本政府への問題提起だ」
 藤井「罰金まで必要とは思わないが、事業主の差別意識を解消させるためにも救済措置の拡充は必要」
・金子哲夫(社民)「公務員の労働基本権は憲法上の権利として認めるべきではないか。雇用形態の多様化が賃金格差を生み出している、パート賃金も上げるべきではないか」
 菅野「交渉制度の改革があって然るべきだ」
 藤井「女性労働者の三分の一がパートで一般との賃金格差がある。パートの労働条件の向上を図るべきだ」
・井上喜一(保守)「公務員の労働基本権は認めるのか。男女共同参画社会の原点は何か」
 菅野「人事院勧告制度は機能を果たしてきた」
 藤井「男女共同参画社会とは、男女を問わず個人の能力適正を生かした社会」
・平林鴻三(自民)「救済措置の拡充と言うが、私的自治に委ねるべきで行政は介入すべきではないのではないか」
 藤井「均等法で差別禁止となったが救済措置は不十分だ。調停だけでなく、権利侵害事案については第三者機関が命令を出せるようにすべきだ」

 現在、内閣官房行政改革推進事務局が法改正へ向けて作業を進めている公務員制度改革は、労働基本権の制約を維持したまま大臣の人事管理権を大幅に強化し、かつ基本権制約の代償機関である人事院の権限を縮小する方向性を打ち出している。これに対し〇二年一一月、ILOは全面一律否定の国公法はILO八七号、九八号に「違反」していると厳しい勧告をした。「歴史的かつ画期的」な勧告である(詳細は日本労働弁護団『労働者の権利』〇三年一月号参照)。八七号と九八号は公務員にも団交権と争議権を保障したもので日本政府はこれらを批准しているから、早急に基本権を付与すべき義務がある。しかし、代償措置を強調するだけで基本権を憲法上の権利として認めようとされず、かつ公務員にも流動性を肯定された菅野氏。他方女性労働者の救済措置拡充を訴える元高級官僚。いずれも驚いたが、憲法改正を否定ないし「考えたこともない」の態度に改憲派の思惑が外れたことは確かである。しかし、そもそも何を「調査」しようとしたのか。与党議員は自分の質問が終われば退席して、後の議論を聞かない。憲法に「不備」の答弁を引き出そうというそれだけの質問。ILO勧告を無視し続ける政府に対する厳しい批判もなければ、男女平等が未だに実現されない実態とその原因を究める姿勢もない。日本の議会のお粗末さを見た無駄な三時間であった。



メディア寸評〜イラク戦争報道批判

東京支部  神 田  高

 イラク戦争開始後、たまたま息子の予防接種で訪れた病院の待合室で久しぶりに「サンデー毎日」を手にした。マスコミ他誌に比べてアメリカ批判の論調がハッキリしていたので、その後も読んでみた。
 目を引いたのは、四月二〇日号の辺見庸の連載「反時代のパンセ」だった。みなさんも唖然としたであろう、四月一日朝日朝刊一面の“従軍取材自問の日々”の記事を取り上げ、手厳しい批判をしている。“(米海兵隊の迫撃砲の)最後の一発が命中した。兵隊たちは「ヤアア!」と喜び合った。私はその輪の中で、歓声を上げていたのだ。”―“歓声”で始まる記事を送稿した「おそらく経験の浅い相当若い記者」について、辺見は「疑いもなくこの記者は素直で良心的である。言葉のもっとも悪い意味でナイーブにすぎ、哀しいほど不勉強でもある」という。
 同日号で、ベトナム戦争時に従軍カメラマンとして前線取材した石川文洋は、「四年間従軍した中で、部隊の作戦が成功したからといって喜んだことは一度もない」という。この落差は何か。
 石川は、米軍によるイラク民間人射殺事件に言及して、「アメリカ兵にとってイラク人は敵です。その恐怖感は当事者でなければ分からない。兵士もまた犠牲者だ」、「自分が兵士なら民間人を殺すだろう。それが戦争だ」という。この経験を踏まえ、「戦争報道に、客観的報道、中立な報道というものはない」と断じる。
 ところが、朝日従軍記者は、“私は中立であるべきジャーナリスト”という。石川は、NHKなどで戦場を知らない人が「戦況」解説をしているというが、戦争を知らずに「中立」気取りしている記者ほど無邪気で恐ろしいものはない。同記者は最後に一番肝心なことをこう述べているー“今回の戦争をどう考えるべきなのか。米国にもイラクにも問題がある、ということまでしか私には言えない”。そうであれば、たとえ“一生に一度あるかないか”のチャンスを得たのだとしても、従軍報道はすべきでなかった。
 一面トップに“イラク全土制圧”の記事を掲げた四月一〇日夕刊に、朝日は、申し訳程度に“問われ続ける「大義」”という記事を掲げたが、肝心の侵略開始前後に「大義」をかかげて反戦を訴えることを貫いたかは疑問である。直前の社説は“フセインはイラクから去れ”であった(三月九日朝刊)。悪しき「中立主義」は一人従軍記者だけのものではなかったのである。
 その背景の一つには、終始、イラクの大量破壊兵器保有(とその脅威除去のための政権打倒)というアメリカサイドの宣伝に乗り、その検証を自ら怠っていたことがあると思われる(三月一五日社説等)。しかし、四月一〇日以降も侵略の最大の口実となった「大量破壊兵器」は発見されていない。それどころか、実は、既に「パウエル国務長官が安保理で披瀝した“証拠物件”は、かえってアメリカが決定的な証拠は持っていないとの心証を安保理理事国に広げていた」はずであった。それは、「大量破壊兵器の廃棄とかテロへの対抗ではなく、フセイン政権の打倒が当初から目標だったからだ。イラクの体制転覆を実現すること、これがこの戦争の実態」(「世界」五月号。藤原帰一)だったのである。
 メディア関係の雑誌「創」五月号は、“私にとっての戦争反対!〜表現者・ジャーナリストとしてどう関わるか”の意欲的な特集を組んでいる。その中で、元共同通信編集主幹の原壽雄は、「戦争報道は、アメリカ主導の発表で検証不可能な発表ジャーナリズムとなっている。その自覚が必要だ」とし、ジャーナリストは「イラク戦争は米英に正義のないことを徹底的に追及すべきである」と述べているが、朝日からは、今のところ戦争報道の自己「検証」と自己批判はなされていない。
 「サンデー毎日」五月四・一一日合併号で、フォトジャーナリストの広河隆一は、「“戦争”とすらいえない一方的な攻撃で、戦火にさらされる人たちの声を伝えることこそ、ジャーナリストの使命だ。そうした想像力も危惧もなく、しかも米軍の管理下で報ずべきことが伝えられないような状況に甘んじるなら、報道に携わるべきじゃない。」という。一言つけ加えれば、先ほどの従軍記者には、「報ずべきことが伝えられない」という自覚すらなかったのかも知れない。そうだとすれば、“ジャーナリズムの崩壊”というしかない。
 広河は、「情報を受け取る市民サイドで、一連の戦争報道の流れを検証してみること」が大事とし、ジャーナリストの側は「意識的に“これをやる”というテーマを打ち出し、読者と一緒に主題を掘り下げていく、そういう時期にきている」という。
 本稿も、その流れの一端となることを願うが、メディア、ジャーナリズムがその名誉を回復できるチャンスは、目の前にある。“有事法制”阻止の課題がそれである。



鉄建公団訴訟は何を求めるか、

その現状と展望

東京支部  萩 尾 健 太

 一九九〇年四月一日の国鉄清算事業団(現鉄建公団)から解雇された国労闘争団員らのうち二八三名が二〇〇三年一月二八日に鉄建公団を相手とする裁判(鉄建公団訴訟)を起こしてから一年以上が経過した。裁判は本年四月二八日で第六回口頭弁論を迎え、順調に進行している。この時点で、鉄建公団訴訟の目的、現状、展望について確認しておきたい。

 鉄建公団訴訟がもとめるものは、以下の二点である。
 (1)一九九〇年の解雇の無効=鉄建公団(旧国鉄清算事業団)への地位確認
未払い賃金の支払い
 (2)一九九〇年の解雇は不法行為=鉄建公団の慰謝料一〇〇〇万円
鉄建公団の謝罪文交付
鉄建公団からJRへの採用要請

 ではなぜこれらを求めるべきなのだろうか。
 国鉄分割民営化のそもそもに遡って考える必要がある。
 国鉄分割民営化には三つの狙いがあった。(1)公共交通解体・地方の足を奪い儲かる部分を財界が分捕り、安全軽視の鉄道作り (2)九万人もの労働者切り捨て (3)戦後労働運動に大きな役割を果たしてきた国鉄の労働運動潰しである。
 労働者の雇用と権利、住民の交通権を守ることを方針として運動してきた国労・全動労・動労千葉などがこれに反対することは当然であった。これらの労働組合に対して、変質を迫る支配介入、こうした組合にいてはJRに採用されないとして脱退を強要する黄犬(類似)契約の提示、そして、実際にこれらの組合員をJRに採用しない、などの不当労働行為が、公然と全国各地で行われた。
 その実行犯は国鉄当局であった。従って、国鉄当局は、JRと共同不法行為者=「共犯者」だったのである。鉄建公団訴訟はこの国鉄当局の責任を追及するものである。すでにJRの責任を追及する裁判は最高裁に継続しているが、それが困難だから鉄建公団を訴えるわけではない。JR・国鉄がグルになって労働者を一六年も苦しめた以上、一方の責任を追及して終わる闘いではないのである。

 ではなぜこれらを求めることができるのだろうか。
 そもそも、七〇〇〇人もの国鉄労働者が、国鉄を引き継いだ清算事業団に送られたのは、国鉄・JRの組合差別が原因だった。そうである以上、清算事業団が再就職斡旋機関を標榜するなら、組合差別の責任をとって労働者たちをJRが採用するよう要請すべきであった。このことは、当時相次いで出された地労委命令で清算事業団にとっても明らかだった。
 ところが、清算事業団は地労委命令を守らせないどころか、まともな就職斡旋・職業教育の努力をせず、結局、一九九〇年四月一日、再就職措置の期限が切れたとして一〇四七名を解雇したのである。
 これは、清算事業団に課された労働者らをJRに採用させる法的義務に違反し、解雇無効ないし解雇権濫用である。
 こうして二度の解雇を受けた労働者らは、「不適格者」とのレッテル張りで、多大な精神的苦痛を負いながら、闘争団を結成してたたかい続けてきた。
 その損害の回復には、未払い賃金に加えて少なくとも慰謝料一〇〇〇万円は支払わせる必要がある。さらに、清算事業団を引き継いだ鉄建公団が謝罪し、責任を持って一〇四七名をJRに採用を要請することが必要である。
 そこに、上記の請求をなし得る根拠があるのである。

 こうした主張に対して、鉄建公団は以下のように反論をしている。
 (1)清算事業団から改組した鉄建公団に再就職促進業務は無いから、再就職対策職員の地位はあり得ない。
 (2)再就職促進法は三年が限度であり、期限切れ解雇は避けられなかった。その間十分就職斡旋したのに、拒否した原告らが悪い。
 (3)不法行為の時効は三年。一〇数年経ってから何を言っても無駄。

 それに対する闘争団員らの再反論は、以下の通りである。
 (1)鉄建公団での労働者の地位は、横浜人活裁判で認められた。
 (2)附則の経過措置の規定や、自社両党間の再就職措置二年延長の密約があり、解雇は避けられた。三年期限に固執するなら、三年以内にJRに労働者らを就職させるべきだった。ところが、自学自習の名の下に労働者に何もさせない屈辱を負わせ、新聞切り抜きなどで低賃金の民間企業を紹介し、公的部門への採用は差別した。条件不明確、他会社に出向させられる広域採用など、十分な就職斡旋とはいえない。
 (3)・JRに採用させる義務を履行していない現在まで続く継続的不作為なので、時効はまだ始まらない。
・公労委で国鉄の責任は認められず、労働委員会ではJRの責任とされたが、地裁ではJRの責任を否定され、結局、責任があるのはJRか、国鉄か分からなかったから、時効進行しない。
・国家機関たる鉄建公団が、ひどい「就職斡旋」をしながら、時効を主張することは権利濫用。
・共同不法行為者の片方を訴えれば、時効中断するはず。
 このように、闘争団員らが法律論で鉄建公団側を押していたとき、鉄建公団が持ち出してきたのが、全動労村上事件判決であった。
 (4)全動労村上判決にもあるように国労に非違行為があったから採用差別ではない、JRに採用させる義務はなかった、と鉄建公団側は述べた。それに対して、闘争団員らは以下のように反論した。
 (5)だれの非違行為か具体的にせず、ストやワッペン着用など、組合の方針を問題にするのは、それこそ不当労働行為である。労働委員会で積み上げた不当労働行為の事実は否定できないはず。
 こうして、遂に鉄建公団訴訟は、清算事業団当時の状況とともに、国鉄時代に具体的な不当労働行為が有ったか無かったかの立証の段階に入っていくこととなった。
 ここで注目すべきは、最高裁にかかっている不当労働行為訴訟と、鉄建公団訴訟が連動していることである。不当労働行為訴訟で労働者の権利を侵害する結論がでれば、それが鉄建公団訴訟に跳ね返る。逆に、鉄建公団訴訟で国鉄・清算事業団の不当労働行為を認めさせれば、それは不当労働行為訴訟にもよい影響を及ぼす。このことからも、不当労働行為訴訟と鉄建公団訴訟は、一体のものとしてともに取り組まれるべき訴訟だといえるのである。

 今後の運動と共同の力
 いまのところ、裁判官は闘争団員らに好意的に見える。しかし、裁判だけに頼っていられないことはこれまで国鉄闘争が何度も辛酸をなめてきたことからも明らかである。
 裁判で勝利判決を目指すとともに、地域から、全国からの運動を作り、政治的にも包囲していく必要がある。そのためには、党派を超え、ナショナルセンターの違いを超えた運動が威力を発揮することは、首切り自由反対実行委員会などこれまでの争議の経験からも明らかである。
 そうした取り組みが雑音をはねのけながら開始されている。
 国鉄分割民営化当時以来、自由法曹団の多くの団員が国労、全動労、ローカル線廃止反対や安全問題の弁護団に参加し、国鉄闘争に取り組んだ。今再び、多くの団員が立ち上がり、最高裁の訴訟やこの鉄建公団訴訟、さらには地域からの闘いに取り組まれるよう、お願いしたい。



書籍紹介

沈黙の海―水俣病弁護団長のたたかい

(千場 茂勝 著)

大阪支部  宇 賀 神  直

熊本支部の千場茂勝団員が「沈黙の海―水俣病弁護団のたたかい」と言う著作を出しました。
 水俣病に関する本はたくさん出されていますが、「沈黙の海」は水俣病を掘り起こして運動を組織して行った千場弁護士の苦労が綴られており、読み応えがあります。水俣病との出会い、提訴まえでの道のり、次々とたちはだかる主張・立証の壁、やっとの思いで手にした勝訴判決、患者切り捨て政策とのたたかい、司法判断をふみにじる国を相手に、和解による問題解決に向けて、国を動かすたたかい、水俣病の教訓と九章に分けて、時には胸が熱くなる場面があり、また鋭い論文に出会うという内容です。
 千場弁護士の水俣病裁判二八年間の弁護活動、とその思いが文章に込められています。団員の皆さんにお勧めします。

【中央公論社・一九〇〇円】