過去のページ―自由法曹団通信:1096号        

<<目次へ 団通信1096号(6月21日)



田中  隆 最後の国会行動に寄せて有事法制阻止闘争本部
志田なや子 日本はどこへ
岩月 浩二 「有事法制三法の成立を寿ぐ」
柳沢 尚武 堺市O―157食中毒事件と高裁判決
中野 直樹 全国法律関連労組連絡協議会との懇談の報告
後藤富士子 判決は実体的真実を認定するか?―「当事者主義」と「真実」
綴喜 秀光 秋田五月集会特集2
五月集会参加の感想
柴田 五郎 熊も木に登る
田上 尚志 行くのが当然!?
土居 由佳 自由法曹団員の活躍を肌で感じた三日間〜二〇〇三年秋田五月集会
桐岡亜紀子 五月集会に参加して
杉井 静子 自由法曹団女性部設立三五周年記念パネルディスカッションとレセプションへのお誘い



最後の国会行動に寄せて

有事法制阻止闘争本部
副本部長  田 中  隆

1 六月初頭の永田町
 六月六日午前、参議院本会議は有事法制関連三法案を採択した。「どこかの国から武力侵攻を受けることなど考えられない」と政府すら認めてきたこの国で、対米追随を本質とする海外侵攻型有事法制が強行された瞬間である。小泉首相の答弁は最後の最後まで「備えあれば憂いなし」、現実の政治から切り離された「言葉のあそび」を一歩も出なかった。これが「永田町」の水準であり、「政治ゲーム」でしか強行できなかった有事法制の「飾り文句」である。

2 いのちと人間の尊厳をかけて
 小泉首相が出席しての委員会・総括質疑が行われた六月五日、自由法曹団は最後の国会行動を展開した。前日から展開されてきた全国公害被害者総行動の実行委員会と共同し、「いのちと人間の尊厳をかけて 有事三法案の廃案を」を押し出した行動だった。
 公害総行動との共同もあって参加者は実に一四〇名、総行動からは八〇名余がバス二台を繰り出して参加された。自由法曹団側でも、兵庫・大阪・京都・愛知・神奈川・埼玉・東京から団員・事務局員等が国会につめかけ、優に五〇名は超えていた。テーブル席五〇の参議院議員会館第四会議室は完全に満杯で、弁護士・事務局員の参加者はすべて「立ち見」。入りきれない廊下にまであふれ出して他の会議室参加者が「なにごとか」と見にきたとか。これでも参議院議員会館で二番目に大きな会議室だから、議員会館でも珍しい行動だったようだ(百名入る最大の会議室に変えようと思ったが、先約があってとれなかった)。
 冒頭の小集会では、委員会理事でもある日本共産党の小泉親司参議院議員が激励を兼ねて国会報告。「武特理事ではただひとり反対で孤立無援だったが、今日はこれだけの応援を受けて心強い。四時からの総括質疑では『小泉対決』をやって最後までがんばる」との挨拶に実感がこもっていた。
 共同した両団体からのあいさつ。四位直毅自由法曹団有事法制阻止闘争本部本部長は、自らも参加している横田公害弁護団の活動にも触れ、「最大の環境破壊は戦争、北朝鮮を理由にするが有事法制で問題は解決しない」。太田映知全国公害患者の会事務局長は、「アメリカは京都議定書からも脱退した。そのアメリカに追随する有事法制は許せない」。いのちと人権、環境と平和というそれぞれが問い続けてきた課題が、結んでひとつであることをあらためて痛感したのは筆者だけではあるまい。
 小集会後、委員会四五名に一五班に分かれて要請するとともに、埼玉・神奈川・愛知・大阪・京都・兵庫の地元議員にも要請した。対応した民主党議員や秘書は、「大変申し訳ない」だの、「政党としては致し方なし」だの、「一〇〇%賛成しているわけではない」だのの反応に終始した。なかには「自分たちも憤慨している」と言った秘書もいたが、その「憤慨」などが採決にあらわれることはなかった。五月一三日の「修正合意」以来、「永田町」を覆っている無気力と逃避の姿勢はいまもって変わっていない。

3 汗ばむばかりの国会周辺で
 議員要請の終了後、参加者は参議院議員会館前に出て、街頭行動を展開。公害被害者が参加とあって、最後まで心配したのは実は天気だったが、汗ばむばかりの夏を思わせる快晴。公害被害者・被爆者や自由法曹団の弁護士が次々にリレートークを行った。
 筆者が到着した昼前から、この日の国会周辺は議員会館前に並んだいくつものグループの街頭行動で騒然。市民団体・宗教者や平和ネット(日教組・自治労など)、百万人署名実行委やJR総連などが、それぞれ街頭行動。国民運動実行委・運動センターは朝から議員要請や傍聴運動を展開し、昼休みの議面集会には一七〇名が参加してその後も議員要請。顔を出したら「自由法曹団からも」ということで、予定外の「ひと演説」を打つことにもなった。
 多彩な行動が展開されているなかで、短時間ではあったが自由法曹団と公害根絶の旗などを立てて街頭行動を行ったことも、有事法制阻止闘争の掉尾を飾るにふさわしいものだったと考えている。
 最終盤の闘争に、全国・全都からかけつけられた団員・事務局員の皆さん、不自由な身体を押して共同の行動に立っていただいた公害被害者の皆さん・支援の皆さんに、心からお礼を申し上げたい。

4 一年四か月の闘争を経て
 自由法曹団の国会要請もこの行動ではや十数度、発表した意見書だけでも一〇次まであるから、少なくともそれ以上の回数議員会館を歩いている。毎週のように要請行動等を組み上げて、またまた「裁判所にいるより国会にいる方が長い弁護士」になったのが、事態急変を受けたこの四月だった。
 今国会に登場するだろう「イラク支援立法」は有事法制阻止闘争本部が対応することになっているから、闘争本部の仕事はまだ終わらないが、昨日の国会行動と本日の抗議声明で一年四か月にわたった自由法曹団の三法案阻止闘争は「しめくくり」となる。
 私的な感慨だが、「報復戦争ヒステリー」のもとの昨年初頭に闘争本部を立ち上げたときは、ここまでのたたかいができるとは思ってもいなかった。この一年半は、戦争の道と平和の道の世界的な対決が鮮明になったときであり、この国でも多くの若者が非戦平和のたたかいにたったときだった。自由法曹団や闘争本部もそうした対決と触れ合いながら、法理論を駆使する闘争集団としてそれなりの役割を果たし得たと考えている。
 「そのうねりがあればこそ、有事三法案は『永田町の政治ゲーム』でしか強行することができなかった」というのが筆者の認識であり、決して「負け惜しみ」とは思っていない。
 この一年四か月ほんとうにご苦労さまでした。

(二〇〇三年 六月 六日脱稿)



日本はどこへ

東京支部  志 田 な や 子

はじめに
 六月六日、有事三法があっと言う間に参議院で可決された。国民の抵抗にあって、戦後五八年にもわたってつくることのできなかった有事法制制定の第一歩を踏み出した。拉致事件を発端とした連日のマスコミ報道でかもしだされた北朝鮮脅威論が背中をぐいと押したのだった。
 来日中の盧武鉉韓国大統領は、北朝鮮に対する感情について「韓国人にも警戒心や疑心があるが、日本人が北朝鮮に警戒心や疑心をもつことに対しても、韓国人は警戒心をもってしまう」と述べ、「核や拉致問題は不幸で難しい課題だが、日本がこれを解決する過程で示す忍耐心が、北東アジアをどう導くのかの試金石になる」と語る(『朝日新聞』六月八日)。来日前、同大統領は日本の植民地支配をめぐる韓国の批判が日本の強硬派を勢いづかせているとして、批判を控える姿勢を示した。正気を失っている日本に正論を言っても無駄と感じているのかもしれない。しかし、日本はアジアで断トツ最強の軍事力をもっている。憲法のタガがはずれた日本は、二〇〇〇万人以上のアジア諸国の人々を殺戮したアジア・太平洋戦争の悪夢をよみがえらせる。北朝鮮よりもっと恐ろしい。

日本と北朝鮮
 冷静に考えてみれば、北朝鮮が日本に戦争をしかけるおそれはほとんどない。国力があまりにも違いすぎるからだ。北朝鮮の財政規模はほぼ千葉県の船橋市くらいだと言われている。
 北朝鮮が核開発をしているようだが、核兵器保有に必要な核実験をしたという事実はないのだから、いまだもってはいない。ただし、アメリカはこれまで核保有国を攻撃したことがないから、核兵器をもっていると思ってもらいたいようである。
 これに対して、日本は短期間のうちに大量の核兵器を保有できる状況にある。福田康夫官房長官は、昨年五月に、核兵器の保有は憲法上は否定されないと語り、非核三原則の見直しに言及した。「日本は現在、使用済み核燃料を再処理して得た使用済み核燃料を国内に五・六トン、フランスとイギリスに三二・四トン保有している。…国際原子力機関(IAEA)の試算によると、核爆弾を製造するのに必要なプルトニウムは一発当たり五〜八キロ。日本国内だけでも、五〇〇発以上は十分につくることができる。…五月九日に小惑星探査機を打ち上げたM五ロケットは固体燃料を使用しており、『ICBM(大陸間弾道ミサイル)そのものだ』…日本のコンピューター技術をもってすれば、初歩的な核実験のシュミレーションも可能だ」という(『ニューズ・ウィーク』六月四日号)。
 拉致事件は北朝鮮の国家犯罪であり、絶対に許すことはできない。しかし、北朝鮮が行ったとされる国家犯罪はいずれも戦前に日本が行ったことである。朝鮮人強制連行、日本軍特務機関の中国におけるアヘン販売による資金獲得など。最高権力者である天皇は世襲制であり、スローガンも大東亜共栄圏、鬼畜米英、一億火の玉、本土決戦などと勇ましかった。アメリカの「悪の枢軸」北朝鮮に対する先制攻撃が許されるというなら、敗戦目前に天皇制維持という降伏条件を模索していた「日独伊枢軸」日本に対するアメリカの原子爆弾投下は正しいということになる。

北朝鮮とどう向きあうか
 最近、『K・T』という映画を見た。一九七三年に金大中氏(前韓国大統領)が日本滞在中に韓国KCIAに拉致された事件をえがいたものである。次のようなシーンがある。事件発生前に日本の警察がKCIAの不穏な動きについて韓国大使に抗議する。その抗議を聞いたKCIA要員がつぶやく。「日本は皇后を殺したんだぞ。凌辱したうえで。抗議する資格なんかあるか」。日清戦争後、朝鮮国王の后である閔妃を日本人が暗殺した。韓国や北朝鮮では忠臣蔵のように誰でも知っている話なのだそうだ(角田房子『閔妃暗殺』)。
 日本には韓国と北朝鮮を植民地支配したという異常な過去がある。だからこそ、正常な外交関係をきづき、国際ルールにもとづく解決をすることが望まれる。政府は有事法制をつくるのではなく、外交交渉に全力をつくして一刻も早く拉致事件を解決してほしいと思う。北朝鮮の現体制はいずれ崩壊する。ルーマニアのチャウシェスク独裁政権が崩壊したように。しかし、それまで解決を先のばしにできないのだから。

日本はどこへ
 日本に有事法制をつくらせ憲法を改悪させるために、日米合作で北朝鮮脅威なるものが異常に誇張されていると思う。北朝鮮の独裁体制のあれこれの事象についてライトがあてられてまばゆいばかりに映し出される一方、有事法制についてはほとんど報道されなかった。マスコミの冷静さを欠く一面的な報道で、視野は極端に狭められている。
 戦前、極端に視野の狭い軍部が天皇をぎゅうじって中国に戦争をしかけ、最後はヨーロッパ大陸を席巻したドイツの勝利に眩惑され、勝ち馬に乗るつもりでアジア・太平洋戦争に乗り出した。今も対米関係しか目に入らない政治家がアメリカという勝ち馬に乗るつもりで、有事法制をつくり、新法をつくってまで日本軍(自衛隊)を米軍のイラク占領に参加させようとしている。
 イラク戦争の口実とされた大量破壊兵器はいまだにみつかっていない。イギリスではブレア首相が戦争前に提出した報告書に偽りがあったのではないかと与野党から追及されて立ち往生している。解放軍として花束をもって歓迎されるとのアメリカのシナリオは崩れ、イラク民衆だけでなく、アラブ世界やイスラム教徒の対米感情は悪化の一途をたどっている。
 正邪を問わず勝ち馬に乗るという大日本帝国の行動を繰り返してはならない。アメリカ帝国も永遠ではないのだから。



「有事法制三法の成立を寿ぐ」

愛知支部  岩 月 浩 二

 めでたくも、有事三法がつつがなく成立したことを心より寿ぎ申し上げます。
 私たちが望みうべくもなかった「非国民」との栄誉ある称号を、まさか生前に受ける光栄が我が身に訪れようとは、何という幸運でしょうか。
 国民保護法制の大きな柱の一つは「社会秩序の維持」です。
 ありがたいことに、先見性ある先達は弁護士法一条にひそやかに「社会秩序の維持」を書き込むことに成功しています。さらに喜びに耐えないのは武力攻撃事態法の指定公共機関は政令で自由自在に指定できることです。弁護士会が「社会秩序の維持」を担うため、栄えある指定公共機関の栄誉を賜ることも夢ではありません。
 先達布施辰治のように、私たちにも畏れ多くも「非国民」として、弁護士資格をかけて戦争をさせないという崇高な使命が与えられるに至りました。
 誰が栄えある「非国民」になれるか、鼎の軽重が問われています。
 そろって、非国民度を競いましょう。
 だれが、ナンバーワンかな?

地下組織「非国民連盟」 会員番号5574より
(二〇〇三年六月六日記)



堺市O―157食中毒事件と高裁判決

東京支部  柳 沢 尚 武

 一九九六年(平成八年)七月、堺市の小学校でO―157による集団食中毒事件が発生した。堺市、大阪府、厚生省は調査を行い、八月七日、厚生省は中間報告を公表するとともに、厚生大臣(菅直人)は貝割れ大根が原因だとする記者会見を行った。
 この発表によって、その日のうちに全国の店頭から貝割れ大根は姿を消した。
 はたして給食に提供された貝割れ大根が原因だったのか、公表方法は正しく行われたのか、大いに疑問の残る調査と公表だった。
 この報告と公表をめぐって二つの裁判が提起された。実際に給食にかいわれ大根を納入した業者からの損害賠償事件(大阪地裁)、堺市の中毒事件とはまったく関係のない全国各地の貝割れ大根生産業者の損害賠償請求事件(東京地裁)である。
 私たち(小部正治、柳沢尚武、小木和男、君和田伸仁)が担当したのは、後者である。東京高裁が一審を覆して賠償を認めたことから(五月二一日)、報道機関は一斉に大きく報道した。高裁は、厚生大臣が記者会見で行った公表は、どう食中毒の拡大再発の防止を図る目的を達しようとしたのか、行政庁として判断及び意見を明示しておらず違法性があると判断した。

 行政が有する資料をどのように公表するか。マスコミも、情報公開とそれによって被害をうける者の調整をどうするか、高裁は問題を提起したと指摘する。
 この事件を担当しはじめたころ、何人かの弁護士に話をしたことがあるが、公表は当然だという意見が多く、なにかこの訴訟がエイズやその他の諸問題で資料を隠してきた厚生省の姿勢を助けるようなことにならないのか危惧するような意見もあった。
 たしかに厚生省に限らず、行政がその保持する資料を国民に開示する重要性は、今日的課題である。行政は資料を公開し、隠すべきではない。高裁判決もそのことを意識してか、傍論ではあるが、薬剤などの製造業者の利益を重視して情報を開示してこなかった厚生省を批判し、今回の公表は製造業者より消費者の利益を重視したもので歴史的意義を有するとまで言っている。
 しかし、薬害やエイズなどの問題と、O―157食中毒事件の原因食材の問題とは、決定的に異なると、私は思っている。もともと、厚生省のまとめた疫学調査の杜撰さや、恣意的な判断などについては、山ほど言いたいこともあるが、それをここに記載する余裕はない。その問題を置いて、公表問題に関して薬害やエイズと本件食品中毒とが決定的に異なるのは、枝葉を切っていえば、薬剤はそのもの自身がいわば毒物であるのに対し、他方貝割れ大根はそのものは無毒物であるということだ。貝割れ大根は、O―157菌を内部に有することはなく、それが付着してはじめて毒性をもつにいたるにすぎない。だから、食品による食中毒の拡大を防止する、と厚生省が述べる公表の目的のためには、O―157菌が貝割れ大根に、どこで付着したか、どのように付着したか、どう増殖したかなどが決定的に重要なのである。調査は、それを明らかにすることが必要であるし、公表は、食中毒拡大防止という目的からみて、そのような事実が明らかにされることが必要である。この問題をぬきにしては、貝割れ大根が原因食材であったと発表してみても、生産関係者、流通関係者、給食関係者、そして消費者など国民は、食品を扱うのに、どのように注意するのか、どのような行動を取るべきなのか、適切な行動の指針が得られない。堺市の集団食中毒の場合、原因食材は貝割れ大根だとされたが、問題はひとり貝割れ大根にあるのではない。O―157菌は、当時全国に蔓延していたのであり、貝割れ大根にかぎらず、野菜、牛乳、魚、肉類など…数えれば数限りない食品に付着する可能性をもっている。あらゆる食材食品の問題なのである。O―157菌がどのように食品に付着して人の口に入るかが問題の要点なのである。食品は、人の毎日の生活に不可欠のものであり、だから、国民は、食品にどのように付着したかを知ることによって、対策や行動をとることができるのであり、行政による公表は、それにふさわしい的確なものでなければならない。国民はそのような的確な情報を必要としているのである。
 本件の貝割れ大根に限ってみても、生産過程で付着したのか(事実は、当該貝割れ大根を生産した業者の生産現場および付近からは、O―157菌は発見されていない)、流通過程ではどうだったのか、給食の保管と調理はどうだったのか、ある食品が原因食材だと公表するには、そうした情報は不可欠である。それがなければ、国民は、必然的に、買わないという行動を選択してしまう。

 厚生省は、生産業者からO―157菌が検出されることを期待したが、出なかった。菌が見つからないことから疫学手法、それもかなり杜撰な調査の結果にたよって、無理な公表をした。そして、当時も、また今日に至るも、堺市の本件食中毒事件にかかわって、生産・流通・給食のどの現場からも、O―157菌はついに検出されていない。つまりは、貝割れ大根に菌が付着していたのかどうかの証拠はなく、ましてどこでどのように付着したのか、明らかにし得ていないのである。高裁は、厚生大臣が行った公表は、「一般消費者および食品関係者に『何について』注意を喚起し、これに基づき『どのような行動』を期待し、『食中毒の拡大再発の防止を図る』目的を達しようとしたのかについて、…行政庁として判断及び意見を明示したと認めることはできない。」「貝割れ大根を原因食材と断定するに至らなかったにもかかわらず、…中間報告の曖昧な内容をそのまま公表し、かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ」たとして、厚生大臣による公表を違法としたが、そのような意味で妥当だと思う。



全国法律関連労組連絡協議会との

懇談の報告

事務局長  中 野 直 樹

 五月一九日、全国法律関連労組連絡協議会から懇談の申し入れを受けた。五名が来所され、島田幹事長と私が応接した。この協議会は、法律事務所をはじめとした全国の法律・司法関連職場に働く労働者で組織された労働組合の共闘組織である。毎年、この時期に日弁連をはじめとした司法関連団体との懇談総行動を実施しており、団への申し入れもそのひとつである。
 毎年単位弁護士会の事務員研修の実施状況を調査の上知らせていただいているが、実施しているところがようやく一八カ所になったということである。
 今回の申し入れ事項をそのまま掲載して紹介する。

 民事執行、破産・再生等に関して、現在行われている裁判所の実務的な問題についての調査や、事務員を含めた支部単位での検討の機会を呼びかけてください。
 日弁連の検討している「パラリーガル制度」について、自由法曹団としてもぜひその問題点をご検討下さい。またその際にはぜひ事務員の意見も聞いてください。
 法律事務所の安易な解雇を許さないために、ルール作りや団支部・団員への啓蒙・宣伝に取り組んで下さい。事務所の維持・継続のための対策の研究を進めてください。
 事務員の賃金・労働条件や事務所の分散、閉鎖等の問題については、経営者としての責任を曖昧にせず、誠意をもって労働組合や労働者と話し合い解決するように団員へ呼びかけてください。
 当協議会との懇談について、引き続き「団通信」などに掲載してご紹介いただき、要請内容についての団支部・団員への啓蒙・宣伝に取り組んでください。
 引き続き当協議会との懇談を継続することを確認してください。



判決は実体的真実を認定するか?

―「当事者主義」と「真実」

東京支部  後 藤 富 士 子

1 事実認定の方法としての「当事者主義」
 刑事訴訟法第一条は、同法の目的として「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すること」と定めている。すなわち、裁判の目的に「事案の真相を明らかにする」ことが掲げられている。
 これに対し、民事訴訟法をみると、法の目的を定める条文はなく、「裁判所および当事者の責務」として、「裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない。」(第2条)と規定している。すなわち、民事訴訟において「事案の真相を明らかにする」ことは目的とされていないのである。
 このような差異がどこから来るのかを考えると、事実認定の方法論としての「当事者主義」という訴訟原理に対するリアクションなのではなかろうか。つまり、現実の手続が職権主義的であるにしても、民事訴訟は民間当事者間の紛争であり、国家の関与は秩序維持のためのサービスにすぎず、結論に国家は直接的利害関係をもたない(どちらでもいい)。これに対し、刑事訴訟は、秩序(治安)維持を直接的な目的としており、たとえ手続を当事者主義化しても、結論に国家が直接的利害関係を持っているので、「事案の真相」に拘るのであろう。
 しかし、それでは民事訴訟において「事案の真相究明」には無関心かといえば、そうでもないし、また、刑事訴訟において「事案の真相究明」が図られる合理的方法論が取られているかといえば、そうでもない。民事訴訟において、主観的偏見から免れようのない「事件の筋」などとは無縁に、要件事実に従って立証の有無を検討すれば導き出されるはずの結論を拒否して、あえて「事件の筋」に囚われた(としか考えられない)判決がなされることもある。また、刑事訴訟では、法自体が伝聞例外を広く認めていることもあり、元々、捜査側が描いた「完結した事案の真相」が崩れることがないようにできているうえ、仮に「当事者主義」の下に被告・弁護側が闘って検察官の提示した訴因の立証を弾劾しえたとしても、「事案の真相」に合わせて訴因を変更し、「真相」が解明されたとするのである。つまり、「当事者主義」ということが原理的に否定され、かつ、それに代わる「事実認定の方法」が法定されていないのに、生の「実体的真実」が認定されたかの如き擬制が生まれる。結局、民事も刑事も、裁判官がフリーハンドで決めた結論を「真実」とみなすことが強要されている。換言すると、日本の裁判官は、刑事も民事も「事案の真相を明らかにする」ことを自らの職務としているように装っているし、判決が認定した事実は「実体的真実」であるかのように擬制されている。
 ちなみに、事実認定の方法論としての「当事者主義」の意義について、ロン・L・フラーによれば、相対立する当事者が熱心に証拠を提出し弁論を行う構造のもとで初めて、全ての証拠調べと弁論が終るまでは裁判官が判断を下さないでいることが可能になり、早い段階で仮説を形成して仮説に一致するものに強い印象を受ける事態を防ぐことができるという。

2 弁護士報酬の「敗訴者負担」という不合理
 フラーの述べるところによれば、訴訟法で「当事者主義」が定められているだけで、事実認定方法論としての意義が発揮されるわけではない。このことは、弁護人の任務についての言及によって明らかになる。
 フラーによれば、弁護人の任務は依頼者を裁くことではなく、依頼者の立場から見たときにその事件はどのような様相を帯びているのかを、陪審と裁判官の前に提示することであり、例えて言えば、ダイヤモンドを光の下でゆっくりくるくる回して全体像を見せるのではなく、依頼者に最も有利に見える一面を固定してそこだけを際立たせればいい、という。そして、このように客観的・中立的ではない被告人の立場に立った主張をすることが、当事者主義を支える柱であるというのである。
 そうすると、現実の訴訟において、当事者として活動する弁護士の力量によって、判決の結論に差が出てくるのは当然のことであろう。ここでは判決が認定した「事実」は、実体的真実かもしれないが、そうでないかもしれない、という相対的なものである。しかし、それは、神ならぬ人間のすることゆえ、「絶対」ということは不可能であることを承認したうえで、利害をもつ当事者の自己責任と、最後まで判断を当事者双方の間に漂わせることによる判断者の公平確保によって、これ以上に制度として合理的なものはないという社会的納得に基づいている。アメリカで刑事再審が緩やかに認められるのも、確定判決に対する権威主義がないからであろう。
 かように、当事者主義訴訟においては、実際の裁判の結論は担当した弁護士の訴訟活動によって勝敗が変わり得るものであり、担当した陪審や裁判官によっても結論が変わり得るのである。そうであれば、弁護士報酬を「敗訴者」に負担させることは不合理ではなかろうか。

〔2003.6.5〕



秋田五月集会特集2

五月集会参加の感想

岐阜支部  綴 喜 秀 光

 五月二五日、二六日に秋田で五月集会が開かれ、五月二四日には関連行事として新人学習会が開かれ、これに参加いたしました。
 新人学習会には飛行機の運航時間の都合で遅れての参加となり、北海道支部の佐藤博文団員の「弁護士は労働事件にどう立ち向かうか」を途中から聞きましたが、なかでも、北海道の僻地の薬局での不当労働行為事件で、労働者が主体的にがんばって解決に至った話などが印象的でした。
 五月二四日には、新人学習会のほかにプレ企画「これからの自由法曹団を考える」や、事務局員交流会が開かれていましたが、その日の夕食や懇親会はそれぞれ別に行われました。新人の懇親会では、久しぶりにあった仲間と話もはずんだのですが、新人同士はその後に部屋でいろいろな話をすることもできたので、夕食や懇親会は他の企画の参加者と一緒でもよかったのではないかとも思いました(会場の都合があったのかもしれませんが)。
 特に、「これからの自由法曹団を考える」の参加者と新人とで意見交換をするような機会があってもよかったのではとも思います。
 二五日は全体会と分科会が午後からだったので、早起きして男鹿半島や角館にまで足を伸ばす元気な人たちもいましたが、なまけものの私は昼近くまで寝て、昼ご飯はコンビニでカップラーメンを買って食べておりました。
 二五日の午後からは全体会と分科会が開かれ、私は不公平取引の是正分科会に参加しました。
 この分科会では、建設業者の倒産が増える中、下請け業者の請負代金や労働者の賃金をどのように確保するかについての報告がなされ、難しい問題ではあるけれども、いろいろな努力がなされていることがわかりました。また、コンビニ問題で、フランチャイジーがいかにひどい状況にあるか、どうやって救済することが可能かにつき報告がなされ、やはり難しい問題であるが、少しずつ勝訴判決も出始めていることを聞きました。
 二六日も分科会と全体会が開かれ、この日はヤミ金・商工ローン・消費者金融分科会に参加しました。そのなかでも、埼玉弁護士会で本格的な弁護団を組み、ヤミ金業者のデータを集積して事務の効率化をはかったり、過払い金返還請求も積極的に行っていることなどには感心させられました。
 このような分科会に参加することによって、各地でのすぐれた取り組みを知ることができ、大変勉強になりました。
 また、夜には各地の同期の弁護士と、半年ほど弁護士として仕事をした感想や、それぞれが取り扱った事件の話、失敗談、職場での不満などの話ができたことは、大変有意義でした。
 二泊三日で秋田に行きながら、秋田での観光を全くしなかったのは悔やまれますが、温泉にゆっくりつかって心身共にリフレッシュし、分科会や同期の弁護士との会話で有意義な話を聞くことができ、充実した三日間でした。
 私は、普段は特に団員らしいこともしていないのですが、このような機会があることだけでも、団に入っているメリットはあるなあと感じました。



熊も木に登る

東京支部  柴 田 五 郎

 秋田での集会の後、一泊旅行に参加した。白神山麓の十二湖のほとりで、白神岳ガイドハウス「白神山荘」の主、西口暁男氏の話を聞いた。
 ブナの新芽は、山の尾根を麓から頂に向かって毎日少しずつ登っていくので、新芽の尾根走りということ。熊もこの新芽を追って、毎日少しずつ尾根を登っていくこと。
 新芽が若葉になり、さらに葉が茂ってかたくなる夏には、熊の食べ物が少なくなること、秋に木の実が熟れるまで、ジット待っていること。
 数年に一度必ずくる凶作を前にして、熊は本能的にこれを察して、秋早くに栗の木に登り、その上の方に木の枝で巣みたいな囲い(?)を作り、その中にまだ青い栗の実を採って貯蔵すること。
 小熊は、親熊について春から秋までの一シーズンを過ごすことにより、これらの生活の知恵・習慣を身につけること。
 このようにして昔は、人間と熊は住み分けていたので、お互いの生活圏を侵すことは少なかったこと、たまにバッティングしそうになっても、熊のほうが遠慮して(?)近づかなかったこと。
 最近は人間が山に食べ物を捨てるので、その味と簡単に採れることに馴れてしまった熊が、山に登らずに逆に里に下るようになったこと、人間に出会っても逃げるどころか、時には危害を加えるようになったこと。
 それもこれも、人間が自然界を荒らし回ったことに原因がありそうなこと。「熊と出会ったら木に登れば安全」という俗説があるが、どうも違うらしいこと。
などなど、楽しく有意義な話だった。
(団のニュースに、山の便りを時々投稿して頂けないか、打診中である)



行くのが当然!?

福岡支部  田 上 尚 志

 去年の岡山集会でのこと、「来年の五月集会は、秋田で行います」との案内を聞いたとき、正直、困ったことになったと思った。その時の気持ちを正直に言えば、あまり行きたくなかった。理由は単純である。遠いのだ。私の住む大牟田市は、福岡県の南の果て、熊本県との県境にある。おまけに私の家は、大牟田市のそのまた南の果て。あと二〇〇メートルで熊本県だ。家から福岡空港まで行くだけで二時間だし、それから羽田空港に飛んで、飛行機を乗り換えて秋田空港までだって?。それから会場までバス移動。いったいどれだけ時間がかかるのか?。あまり旅行が好きではない(出不精もいいところの)私にとって、秋田に行くということは自分の理解と想像を超えていた。
 そんなわけで、時々、事務所などで「秋田って、本当に行かなきゃいけないのですか?」と聞いてみたりした。すると、先輩弁護士も事務員さんも、変な顔をする。その顔はまさに「行くのが当然」と言わんばかりだった。
 こんな私ではあるが、さすがに日付が五月二四日になると、観念して旅支度を始めた。その日の早朝には、同行する事務員さんとにっこり笑顔で挨拶を交わし、大牟田駅前からバスに乗り込んで、いざ秋田へ。
 さて、集会に参加してみると、それはすばらしい経験となった。中でも印象深かったのは、プレ企画での沼田敏明団員の講演である。沼田敏明団員の関わった秋田での生活保護の裁判(加藤訴訟)のことは、全国ネットにのって九州でも報道された。私は当時学生だったがその報道を聞いた日のことは今でもよく覚えている。重度障害者の加藤さん夫婦が将来の付添費用のために保護費から必死に貯めた貯金を収入として認定して保護費を減額した、その生活保護行政のあり方に、私は激しい怒りを覚えた。その日の記憶が蘇ってきた。
 それと同時に、自分が弁護士になれて本当に良かったという実感が湧いてきた。残念ではあるが、わが国には加藤さんのように絶対に助けなければならない人がまだまだ大勢いる。そして、そのような人達を助けることができる職業は、弁護士だけである。会場で回覧された勝訴の時の加藤さんの写真は本当に嬉しそうで、私も苦しんでいる人に笑顔を取り戻す仕事をしてみたいと思った。
 この他、プレ企画での佐藤博文団員の労働事件に関する講演、参加した分科会((5)不公正取引の是正、(13)ヤミ金・商工ローン・消費者金融)もそれぞれに素晴らしく、充実した三日間となった。
 というわけで、今の私はなぜ集会に参加しなければならないのか、よく分かった。今後は、できる限り参加していきたいと思う。あと数ヶ月で五六期修習生も実務につき、新団員として参加してくるだろう。その時、「団の集会にはどうしても行かなければならないのですか」と聞かれたら、私はきっとこう答えるだろう。「行くのが当然です」と。



自由法曹団員の活躍を肌で感じた三日間

〜二〇〇三年秋田五月集会

兵庫県支部  土 居 由 佳

1 はじめに
 五五期は、新入団員の数がここ数年の中で最も多いということで、二〇〇二年一〇月集会も盛況だったと聞いている。しかし、私にとって、自由法曹団の全国集会に参加するのはこの五月集会が初めてだった。姫路総合法律事務所からは、弁護士三名、事務局員二名が参加し、正直言って、三日間の休暇をいただいたような気分で、楽しみで仕方がなかった。
 五月集会に参加して、全国の先輩、同期の仲間の活躍を肌で感じ、新鮮な気持ちで姫路に帰ることができた。

2 プレ企画(新人学習会)・分科会
 沼田弁護士の「秋田で生活保護裁判をたたかって」及び、佐藤弁護士の「弁護士は労働事件にどう立ち向かうか」では地方の弁護士が地元で発生した人権問題に積極的に関わり、依頼者と共に闘って大きな成果を上げるに至るまでを臨場感をもってご講演いただいた。
 また、リストラ分科会では、裁判所の労働事件に対する考え方の変化について危機感を持つ意見が多数を占め、既に数件の労働事件に取り組んでいることもあって、非常に勉強になった。公害・環境分科会では、画期的な成果を上げた事件についての報告を受けて、気の遠くなるような努力と、創意工夫をしていく才覚に圧倒され、同時に勇気を奮い起こされた。

3 同期との交流
 姫路に就職すると、普段から同期と交流を持つことは難しい。今回の参加で、新人ならではの悩みを共有することができたし、自分では到底及ばないほど、多くの大規模な事件で活躍している同期の団員の存在に勇気づけられた。

4 おわりに
 姫路で就職し、七ヶ月が経過した時点での参加だったが、債務整理を中心とする日常業務に追われ、全国弁護団に参加することができない状況にある。都市部の団員は、同期も含めて、積極的に全国の大規模訴訟で中心的な活躍をしている。その報告に接することで刺激を受け、勇気を与えられる一方、自分は何をしているのだろうという焦りのようなものを感じていた。
 しかし、五月集会で、比較的小規模な支部の団員の活躍に触れ、その地方で発生した人権問題について、真っ先に「おかしい」という声を上げるべきなのは、その地方で活動をしている弁護士であること、その運命的なめぐり合わせに真摯に立ち向かうことで、一地方の弁護士であっても全国に大きな意義を与える結果を得ることができることを、先輩方の経験を通じて再認識することができた。姫路では、自由法曹団員は当事務所の弁護士のみである。必然的に、姫路の団的な性格の事件は、当事務所がすべて対応することになる。
 姫路を離れて全国弁護団の活動に参加することは、様々な理由で困難を伴うが、いざ姫路で人権問題が発生したとき、率先して取り組むべきなのも当事務所である。そのとき、迅速かつ適切に対応できるよう、今後も、問題意識を持ちながら業務に励むことを通じて、日々研鑽を積んでいきたい。今回、五月集会に参加して、本当によかった。ありがとうございました。



五月集会に参加して

久留米第一法律事務所
事務局員  桐 岡 亜 紀 子

 私は、事務所に入ってからまだ七ヶ月余りで、この五月集会に参加させていただいたこともあり、三日間のほとんどが新鮮で興味深いことばかりでした。
 初めて行った秋田で、少し怖いなまはげさんの太鼓の迫力に感動したり、毎日忙しい中では、なかなかゆっくりと話ができない先生方と交流ができたのも、立場は違うけれども先生方を身近に感じることができて、とても心強く思いました。
 一日目の事務員の会議では、それぞれの事務所で頑張っている皆さんの話を聞いて、事件に主体的に取り組んでいくことの大切さを学びました。そして、皆さんの話を聞きながら、以前、父が言った「自分の状態が良いときには医者や弁護士に何かを話しにいったりしない」という言葉を思い出しました。
 確かに、病院へ行くときはどこか身体的に悪いのではないか、と感じたときで、法律の専門家に意見を求めたいときには、弁護士に相談をしに行きます。そのどちらの場合にも共通しているのは、話をする人の心の中には、何らかの不安が存在している、ということだと私は思います。
 そして、そんな不安を抱えて、法律事務所へ相談に行くことは人生の中でそう多いことではなく、私たちにとっては毎日の仕事でも相談者にとっては重大な事柄なのだ、ということを再認識しました。
 これから、新しいことをたくさん勉強して、ひとつひとつの事件に対して自分なりの取り組み方を追求したいと思います。そして、何よりも毎日自分自身が楽しく仕事をしていきたいです。



自由法曹団女性部設立三五周年記念

パネルディスカッションと

レセプションへのお誘い

自由法曹団女性部長  杉 井 静 子

 自由法曹団女性部は一九六八年に、自由法曹団のなかの女性弁護士の部会として設立されました。当時はまだ女性弁護士が少なくそれぞれが悩みを抱えながら弁護士活動をしていた時機でした。女性弁護士同士がお互いに交流し励まし合うことと、結婚退職制などで職場を辞めざるを得ない働く女性、何の保障もなく離婚に追いやられる家庭の主婦などの立場に立って、女性の権利を守る運動や裁判に積極的に関与していきたいという目的から生まれました。設立三五年を迎えた今年、これを記念して次のとおりパネルディスカッション及びレセプションを開催しますので女性部員のみならず男性団員のみなさまにも是非ご参加くださいますよう、お誘い申し上げます。

 第一部 パネルディスカッション
 第二部 レセプション