<<目次へ 団通信1103号(9月1日)
中野 直樹 | みんな 集まろう この秋は、福岡総会へ | |
稲村 晴夫 | 福岡総会へ来んしゃい | |
安部 千春 | 解雇撤回と闘う2 | |
根本 孔衛 | 歴史認識の克服と忘却―訪韓のあとで | |
笹山 尚人 | 憲法調査会を斬る!力作パンフレット「センセイ、本気ですか?」をご活用ください | |
鶴見 祐策 | 写真集ドキュメント「大気汚染の日々」購読の薦め |
事務局長 中 野 直 樹
地震、風水害、冷害、この夏は自然災害が日本列島をおそい、不況に苦しめられている地域と住民をむち打っています。欧州では異常高温が猛威をふるい、多数の死者、山火事の被害をもたらしています。アメリカ北部からカナダにかけ大停電が発生しました。経済効率とグローバル化が私たちの生存を脅かす事態を進行させていることを予感させます。
そして、この一一月には総選挙が必至の情勢です。その政治の秋に、自由法曹団は福岡で総会を迎えます。
一 戦争と平和をめぐって
五月一日、ブッシュ大統領が戦闘終結宣言を行ったイラクでは、全土で戦闘行為が続き、占領する米軍兵の死者数が六〇名を超え、イラク民間人の犠牲者数も数千人にのぼっています。八月には国連事務所が爆破され、二〇数名の職員が命を落とす惨事も発生しました。他方、米英国では、イラクの大量破壊兵器をめぐる情報操作疑惑が追及され、イラク攻撃の正当性を認めない国際世論が強く形成されています。
わが国では、小泉政権が民主党を取り込んで、有事法制三法成立を強行しました。昨年一月に開始した団の有事法制阻止闘争は世界の反戦運動とも結びついた壮大なたたかいを展開しました。福岡総会では、一区切りとなったこれまでの取り組みを総括し、引き続き、法制のさらなる具体化と発動を許さないたたかいのかまえを構築する討議を行いたい。
これと深くかかわるのが朝鮮半島情勢です。歴史的な日朝平壌宣言が締結されて一年、残念ながら拉致問題もからみその後の対話が進行していません。北朝鮮の核開発宣言という逆行する事態も生じています。八月末ようやく六カ国協議が開始しました。団は、秋田五月集会のイラク・北朝鮮問題分科会で集中的な討議を行い、さらに八月二三日に北朝鮮問題で全国会議を開きました。北東アジアで絶対に戦争を起こさせないという決意をもって、平和的解決の道筋を考えていきたい。これも総会の重要なテーマです。
二 憲法と教育・労働の権利をめぐって
憲法調査会が来年五年の終期を迎えます。小泉首相は二〇〇五年一一月と期限を切って自民党の改憲案をまとめることを指示したと報道されました。民主党と自由党との合流という事態も加え、明文改憲策動が重大な段階に入ろうとしています。
この憲法と魂を同じくする教育基本法改悪の動きに対しては、すばやい反撃に立ち上がり、この通常国会における法案提出を阻止しました。団は、戦争をする国の施策を遂行する人づくりとしての本質の点から有事法制のたたかいと結びつけ、グローバル化と規制緩和のなかで益々加速する経済競争に打ち勝つ少数のエリート養成のねらいの観点から労働者のたたかいとの結合をめざしています。
労働法制改悪阻止のたたかいは半年間、たいへん集中して、激しくたたかい、解雇自由化法案から規制立法への転換をはかる大きな成果を得ました。有期雇用、裁量労働制などでこれまでの歯止めを大きく崩されてしまいましたが、二つのナショナルセンターの要求の一致と野党共闘というたたかいの基盤がこれまでにない拡がりとなりました。
各分野のたたかいの到達を憲法闘争に結びつける道筋について討議しましょう。
三 国民の権利を実現する司法とその担い手づくり
司法の分野では、裁判員・刑事司法、労働裁判、行政裁判、そして弁護士報酬敗訴者負担問題が八月の意見募集を経て、法案化にむけた最終の検討会審議に入ります。中間とりまとめには、全体として官と財界の意向が色濃く出ていますが、これまでのたたかいの成果も一定反映しています。
検討会で一歩でも二歩でも私たちの要求を実現するために最後の奮闘が必要です。
全国で七二校の法科大学院の開設申請がなされました。総定員数六〇〇〇名、〇六年に新司法試験が実施され、三〇〇〇人の修習生時代に突入していきます。この到来をひかえ、団は、人権と民主主義擁護を志向する法律家をめざす人たちをつくる課題にも力を注がなくてはなりません。団の組織強化のあり方、団員の事務所のあり方についても集中した討議が求められています。
四 二七年ぶりの福岡総会
団福岡支部は七七年の四〇名から一〇六名へと大きく成長しています。積極的な事務所展開をし、数々の人権裁判、環境裁判等で輝かしい成果をあげてきています。その活動の姿と心意気にも触れる企画も考えています。
福岡支部の団員とともに皆さんのご参集を呼びかけます。
福岡支部支部長 稲 村 晴 夫
今年の総会は久しぶりに福岡にて開催されることになりました。
前回の福岡での総会は「遠い・きたない・まずい」ということで不評であったようです。そこで今回は「近い・きれい・おいしい」をめざし、福岡市の博多湾を臨むホテルを会場にしました。
このホテルの隣は現在パリーグの首位を走っている我が福岡ダイエーホークスの本拠地であるドーム球場があり、朝夕は潮風に吹かれながら海浜を散歩することもできます。高層ホテルですので、海に沈む夕陽を楽しむこともできるとのこと。たまには奥さんとロマンチックな雰囲気を楽しみたい方には自信をもってお勧めします。
福岡と言えば玄界灘でとれる新鮮な魚貝類も自慢です。福岡に在住している知り合いの団員や同期の法曹に「おいしい魚を食べたい」と声をかけてみてはどうでしょうか。福岡の団員はきっと皆さんを歓迎してくれることうけあいです。私としては、福岡の団員が全国から参加された皆さんとの交流を通じて、刺激を受け、さらにパワーアップすることを心密かに期待しているのです。
我が国の政治・経済・社会の動きは、良しきにつけ、悪しきにつけ、ますます私達自由法曹団と団員の活動の強化を求めていると思います。
団を語り、自らの生き方を再確認し、全国の仲間との団結と親睦を深め、明日への英気を養うために。
そんな福岡総会へ全国の皆さん、多数参加して下さい。
福岡支部 安 部 千 春
1 田中実子さんが相談に来られた。
「私は建築関係の会社に勤務していましたが、不当解雇されました。裁判をしてください」
「解雇の理由は何ですか」
「常務と不倫したというのが理由です。社風に合わないとも言っていました」
「それで不倫をしたのですか」
「していません。仮に不倫していたとしても私だけを首にするのは不公平じゃないですか」
「それはそうですね。相手が不倫をしたという根拠は何でしょうか」
「私と常務とがお客さんとの焼き肉パーティのお肉をスーパーに買いに行ったのをみた人がいて、私たちが何のために買い物に行ったのかを知らなくて、仲良く買い物をしていたと社長に言いつけたと思われます」
「そんなことだけでは解雇は出来ないでしょう。とりあえず内容証明を出して相手を呼び出しましょう。ところであなたは会社に戻る気がありますか」
「私は解雇される理由はないから裁判をしたいのであってこんな会社にいつまでも勤めるつもりはありません」
「そこが問題なのです。相手に馬鹿な弁護士が付けば解雇は有効だとして裁判になり、時間もかかって未払い給料ももらえるでしょう。しかし有能な弁護士が付けば解雇を撤回し、戻ってこいと言いますよ。戻って来させて、それからあなたを辞めるまで陰湿にいじめればいいわけですから」
2 内容証明を出すと相手方の会社の部長を名乗る男がやってきた。彼は実子さんがいかに不良社員であったかを言い続けた。
私は「それでその証拠はあるの」と尋ねた。すると困ったような顔をして「みんなが言っていることです」と答えた。
「そんなことを言っても無断欠勤をしたというならいつしたのか、出勤簿を出さなければ話にならない。もういいから裁判をするからかえって下さい」
3 直ちに仮処分の申請をした。
すると相手方には弁護士も付かず理由書と題した答弁書を出し、その中で具体的な日時も特定せず解雇の理由を書いていた。
一回目の審尋で裁判官は相手方に「解雇の理由が特定されていませんので、このままでは仮処分の決定を出す予定にしていますがどうされます」と尋ねた。
相手はあわてて「弁護士に相談していますのでちょっと待ってください」と答えた。
裁判官は「二週間待ちますのでそれまでに弁護士をつけてください。連絡がなければ判断を示します」と言い放った。
4 二週間以内に相手方に弁護士がつき、正式な答弁書を出してきた。しかしここでも解雇の理由の特定がなされていなかった。そこで私は二回目の審尋で解雇をするなら、田中さんのいついかなる行為が就業規則の何条に該当するのか具体的に特定しなければ反論のしようがない。解雇の理由の主張、立証責任は会社側にあるのだからこんな答弁書では直ちに仮処分認容の決定を出すべきであると激しく追及した。
裁判官は「安部弁護士のいうとおりです。三週間以内に解雇理由を特定してください」と言い放った。すると二週間後に相手の弁護士から「田中さんの解雇の意思表示を取り消し、平成一五年四月二七日(月)から会社に出勤されるように通知します」というファックスが私に来た。
5 田中さんと相談する。
「先生の言っていたとおりになりました」
「どうします、戻ります?」
「今さら戻れません。何とか会社をやっつける方法はないのでしょうか」
「解雇をしたことが不法行為であるとして慰謝料請求をするしかないでしょう。またあなたの上司がいろいろとあなたの悪口を書いて陳述書を書いていますから、これも名誉毀損として慰謝料の裁判をしましょう。請求金額は慰謝料三〇〇万円と仮処分の着手金と費用二五万円と本件の弁護料三〇万円にしましょう」
6 直ちに提訴をする。
一回目の裁判で裁判官(仮処分と同一人)は突然「双方ともいろいろと主張と証拠もあるでしょうが正式な裁判に入る前に和解をしてはどうですか。金額はけんか両成敗ではないですが、ちょうど半分の慰謝料一五〇万円、弁護料一五万円の一六五万円でどうでしょうか」と言いだした。
私は「金額的には不満はありませんが、本人が裁判をしたのはお金が欲しいからではなく、自分には解雇される理由がない、解雇が不当だったことをはっきりさせたいという思いからですから、和解はしたくないと考えると思います」と答えた。
田中さんと相談する。
「私としては個人的には判決を取りたい。必ず勝つでしょう。しかし、せっかく和解を勧めてくれる裁判官に悪い。もちろん裁判官は私たちが和解を拒否してもそんなこととは関係なく判決を出してくれるでしょうが」
「私も判決を取りたい。けれども先生に任せます」
「私に任せると言われると私は判決を取りたいけれども和解にするしかないけどそれでもいいですか」
「はい。先生に任せます」
ということで和解した。
神奈川支部 根 本 孔 衛
今回の韓国訪問は、私に、一九六六年五月初めて米軍占領下の沖縄に渡航した時のことを想い起こさせた。戦禍の跡がなお残っており漸く立ち直りに向っていた那覇の貧しい街並みと高層ビルディングが建ち並び近代都市の様相をみせている今のソウルとその外貌は大いに異ってはいるが、そこで生きている人々の有様から、そのような印象を与えられた。市場の騒々しさから、自動車の交通状態のせわしさまで、韓国社会が現在激動の中にあることを示しているのであろう。
私たちが、お会いした民弁(民主社会のための弁護士集団)の林鐘仁さんはじめ懇談の席に出席された皆さん、参与連帯の洪日杓さんなど、とにかく若く溌剌とした話しぶりであった。皆さんはいずれも三〇代から四〇代初めではないだろうか。洪さんの名刺にある肩書きは、チーフ・コーディネーターとあるが、この市民運動の組織を動かしている一人であろう。今の韓国社会の索引車の役割を担っている層として、三八六世代があげられているが、私たちは間違いなく、その人々と会い懇談したことになる。因みに三八六とは、六〇年代に生まれ、民主化闘争が燃え上がった八〇年代に学生生活を送った、年齢が三十代の世代を指している。私たちが会ったのは弁護士、社会運動家であったが、この世代は政治家、公務員でも中堅であり、日本を超えているといわれているIT革命を推進している企業家達もそうであるという。林弁護士は来年春に予定されている国会議員選挙に立候補されるとのことであった。これらの人々が、金大中氏を大統領に当選させて、二〇〇〇年六月の南北共同宣言とそれにもとづく北朝鮮包容(太陽)政策に踏み切らせたのである。また昨年一二月の大統領選挙でその政策の継承を公約した盧武鉉氏を当選させたのである。
盧武鉉氏の当選は、選挙戦の当初から楽観視できる状態ではなかったという。むしろ実業家など韓国のこれまでの支配層に支えられていたハンナラ党の李会昌氏の方が優勢を伝えられていた。そのような形勢を逆転し 盧大統領が実現したのは、韓国でのインターネットの普及であり、それが選挙運動に活かされたからである、といわれている。インターネットを利用するのは、若年層が圧倒的に多いのであるから、その意味ではこの選挙は若年層の高年者に対する勝利であった。
それとともにもう一つ、この〇二年六月におきた米軍装甲車による二人の女子中学生轢殺事件であったという。その被疑者に対する裁判を韓国の裁判所でおこないたいとの韓国側からの強い要望にもかかわらず、米軍の手によっておこなわれたこの裁判の結果は、いずれの被疑者についても無罪の判決であった。私たちもその現場を視察し、この問題に取り組んでいる青年から説明をしてもらった。
事故現場はかなりの曲がりをもった急坂ではあるが、普通の自動車が行き違うことのできる道路であった。今後の安全のための道路工事が進行中であったこともあり、断定はできないが運転者と監視者の過失責任は免れないように思えた。この裁判の結果とその後の米軍の対応の中で韓国民から米国批判と反米運動が急速にひろがったことは、日本でも報道されていた。この問題について米国に対する抗議行動が現在でも続けられている。ソウルの中心地にある教保ビルの近くの歩道上に手にローソクをもった人々が集まり演説などをしているのを見た。二、三〇人の小集会ではあったが、このような行動が毎日続けられてきているということは、韓国の人々の反米感情が一通りのものではないことを物語っている、といえよう。
一方、今年の三・一独立運動記念日に、ソウル市内で二つの集会が開かれ、一方は米軍の引き続いての駐留を要望し、他方はその撤退を求めていた。それぞれの参集者の数は前者の方が圧倒的に多かったことを日本の新聞は伝えていた。今度お会いした人に、その訳けを尋ねてみたところ、一方は、在郷軍人会などが組織的な動員をしているから、というのがその答えであった。韓国内では色々な面で新旧二つの考え方が混りあい、それぞれの勢力がせめぎ合っているのが現在の状態であるように思われた。
韓国は、日本の敗戦による植民地統治の終焉以来、反日が高唱され、他方では冷戦による南北分断によって反共が国是となり、それらによって国家としての統合と団結がはかられてきた。朴正煕大統領以来の軍事独裁による経済開発の強行、強権的政治による弾圧にも忍耐を重ね、到底容認できるものではない筈の「日帝」の政治的後継者たちの政権と手を結ぶことになった日韓条約を受け入れてきたことに対する韓国の民衆の心の中はどのようなものであったろうか。思うに、それは、日本の侵略に協力を強いられたことによる戦争の傷痕、日本の敗北による解放後の混乱と困窮状態から抜け出す間もなく始まった朝鮮戦争による全面的な破壊、さらに続いた三八度休戦ラインの向こう側との軍事的、政治的緊張の継続のなせる業ではなかったのだろうか。それはまた、韓国のこれまでの米国への依存と屈従の基礎になってきていたものと思われる。
韓国民の永年の苦闘の成果である経済的躍進と民主化の達成が、今日平和的民族統一の展望を切り開き、また今なお軍事面経済面での米国への依存関係が残っているにもかかわらず、若い世代の自信に溢れた自主的な言動となって現われているのであろう。それは、解放直後からはじまった「反日」と反共のマイナス・イメージを希薄化し、周辺諸国との共存共栄を目指してきているのであり、いわば韓国民の歴史認識の深まりと前進を示すものである。
これに対して有事三立法とイラク派兵に見られる日本の軍国化を引っ張っている「新防衛」族をどう見たらよいのであろうか。私には、彼らが米国流の経営学的手法による政治計算をなぞり、その情勢認識と方策でアメリカにいる彼らの先達に追従するのみに思える。後藤田正晴氏や野中広務氏は同じく保守ではあるが彼らとの相違は敗戦の歴史が身体に滲み通っているか否かの点にあると思う。古い人々は去り、新しい人は危なっかしい限りである。亡国への道を進まなければよいが。「過去に対して眼を閉ざす者は、現在に対しても盲目となります。」とは、ヴァイゼツカー、ドイツ元大統領の敗戦四〇周年での発言であった。私は、戦後の日本国民の歴史認識は、憲法の前文と九条に結集されていると思う。「新防衛」族は、これを乗り越えなければいけないというが、それは歴史認識の忘却であり、滅失にすぎない。民弁の林弁護士は、私たちとの会談の中で、これからアメリカについて勉強します、といっていた。そのような発言は、「反日」、反共、米国依存といった韓国の過去の歴史認識の限界を克服し、新しい世界への展望を見出そうとする決意の現れではないのかと思う。願わくば、日本の若者たちが、九条の条文を守るというだけではなく、より積極的に、専制と隷従、圧迫と偏挟を地上から永遠に除去に向って進んでいくことを、日本と自らの課題として奪闘することの決意を固めてもらいたいものである。韓国の現状は、それが単なる希望ではなく、現実の可能性を指示しているように思えた。
東京支部 笹 山 尚 人
1、いつも他団体の紹介ですいません。青年法律家協会弁護士学者合同部会が作成した、パンフレット「センセイ、本気ですか?〜憲法調査会の発言を点検する」が完成しました。青法協会員でもあるあなたには、もう届いていますよね。憲法調査会が発足してから、昨年の臨時国会までの衆議院、憲法調査会の委員の問題発言(例えば、葉梨信行議員の、「激増する少年犯罪を見るとき、現行憲法が日本人の心の中の深い部分にマイナスに作用した面がある」など)をピックアップし、それを広く市民に読んで貰おうと言うことで作ったパンフレットです。朝日新聞が取り上げてくれたこともあって、発表以来、市民からの注文が殺到。うれしい悲鳴の状況で、執筆者の一人として、うれしい限りです。
2、あれは、今年の二月のことでした。青法協では、月に二回、執行部会議というのがあります。団で言う次長クラスが集まって青法協のもろもろの課題を討議するのですが、その席で、当時の弁学事務局長であった尾林団員が、言いました。「憲法調査会を検証する市民向けパンフを作らない?」と。憲法調査会の全体について、憲法調査会が発足した一四七国会から全ての議事録を読み込んだ上で、市民にわかりやすいパンフレットを作ろうというのです。
尾林団員をよく知る彼の同期の人や、三多摩地域の人は、私が司法試験に合格したころ、よく言ってくれたものでした。「尾林の目を見てはいけないよ。何か仕事を思いついては、それを押しつける名人だから。」と。しかし、私はこのとき彼の目を見てしまいました。ああ、思えば、それが、悪夢の始まりでした。
3、尾林団員の発案は、青法協弁学の憲法委員会が具体化を引き取ることになりました。つまりは、鈴木敦士団員(憲法委員会事務局長)と、私と、同期の大山団員が、やるということです。
憲法委員会の三人のメンバーは、話し合いをしました。この壮大な提案を本当にやるのか。熱烈な議論が巻き起こりました。
何しろ、大変なのは目に見えていました。憲法調査会の議事録と一言で言いますが、何千頁、何万頁とあるはずです。それに、青法協では、衆議院が発表した憲法調査会中間報告についての批判の意見書、「許すな!改憲への地ならし!衆議院憲法調査会中間報告批判」を今年の初旬に発表していました。あれとて、七〇〇頁に及ぶ中間報告を読み通し、原稿を起案し、皆の原稿を検討しあうという作業を二ヶ月たらずのスケジュールでヒイヒイ言いながらやっとの思いで完成させたのです。もういいではないか。そういう気分が私たちを包んでいました。
しかし、あの作業をした私たちに、物足りなさが残っていたのも事実でした。中間報告を読んでみて、私たちはつくづくあきれたものでした。改憲派の議員たちは、憲法調査会を、改憲へのアリバイ作りの機会としているだけではなく、憲法を巡る放談会にして好き勝手、言いたい放題を言っています。何の裏付けもないこと、論理性のかけらもないこと、憲法の価値を知る者なら、恥ずかしくて絶対に口に出来ないことが、臆面もなく堂々と言われている。憲法に対するこれほどの侮辱を、憲法によって主権者とされている国民が、自らへの辱めと受けとめずにいていいのか。
中間報告批判の意見書は、その怒りから生まれたものでしたが、不十分さは否めませんでした。一つには、中間報告という枠を前提にして作成したため、憲法調査会の全体を見て分析したものではないこと。その意味では、あの中間報告には掲載されていない、問題発言や改憲へのアリバイ作りの姿勢を、まだまだ告発しきれてはいません。また今一つには、批判意見書は、中間報告に対応して、分厚いものになっており、市民が読み通すには困難なものになっていました。
激論の末、やるしかないという結論に私たちは達しました。
4、ただやり方としては、絞り込むことにしました。参議院まではとても手が回らないし、衆議院の憲法調査会の委員と言っても膨大な人数がいます。たった三人で、この全てを回しきることはできません。五五期の杉尾団員の協力も得て、また、青法協の学者会員にも分担をお願いして、憲法調査会の幹事や、現職閣僚、長い期間委員を務める者二〇数名を厳選して、その人たちの発言議事録は全て読み込んだ上で、わかりやすいパンフレットを作るということにしました。
5、五月某夜。この日が悪夢の頂点でした。
私たちは、担当議員と原稿を分担したものの、これまでの経験から、集まって一気に書き上げなければ未来永劫原稿が仕上がらないことを知っていました。だから、起案集中日を決めていたのです。午後七時すぎに三々五々に青法協本部に集まってきたメンバーは、それぞれの原稿起案に必死に取り組みました。そして、夜も更けた午前一時ころ。私たちは、有名ファミレス「デ○―ズ」に移動しました。「ここのコーヒーは午前二時にいれかえる、その時間に飲むとうまいんだ。」などとうそぶく、元気な学者会員を中心に、原稿の検討会議が始まりました。眠い。疲れた。つらさに耐えながら、議論すること四時間半。午前五時半、やっと会議が終了しました。
私と大山団員は、なんとしても風呂に入りたかったので、新宿のカプセルホテルに行って風呂に入り、三時間あまり仮眠をとりました。カプセルが一杯だったため、仮眠場に行って眠ったのですが、そのときの光景を私は忘れません。だだっ広いスペースに、一〇〇名はいようかという男性たちが、いびきの大合唱状態で眠っているのです。この人たちは一体なぜここにいるのだろう?東京とは、なんと異様な街なのでしょう!そういえば、鈴木団員は、朝一番に千葉地裁と言っていました。大丈夫だったんだろうか・・・?
6、レイアウトも頭の痛いところでした。そもそも市民パンフレットなのだから、市民にとって読み易いものでなければいけません。
ここは、大山団員の独壇場でした。彼が、似顔絵をさしいれ、選挙区も表示した、レイアウト案を考え出し、それを基に作業は一挙に進み、印刷会社との打ち合わせも迅速に進みました。最終的な完成品は、とてもわかりやすいものになったと私は思いましたが、完成品を見た事務局員から、これは面白いがまだ市民が読むにはわかりにくいと指摘されました。市民向けパンフレットの難しさをつくづく痛感させられました。
7、会議の結果を受けて修正した原稿が集まり、原稿を討議し、再度原典にあたって議事録を確認するなどの作業、完成原稿に対する執行部会議や常任委員の意見などを反映させる作業、誤字脱字のレベルに至るまでの最終作業。この段階での細かい詰めは、鈴木団員の努力にすっかりおんぶにだっこ、でした。鈴木団員の熱意と努力には、頭が下がるというほかありません。
七月二五日、「センセイ、本気ですか?」はついに完成、発表の運びに至りました。感無量です。ううう(涙)。
8、このパンフレットが完成した今、本当に取り組んで良かったと思います。
発表後の市民の反響の大きさもあります。しかし、私がこう思うきっかけとして大きかったのは、社団法人経済同友会憲法問題調査会の意見書「憲法問題調査会意見書」を読んだことです。この意見書は、憲法の平和主義の条項の改憲について触れており、この意見書をまとめたメンバーの一人は、憲法九条が大企業の海外での経済活動にとって障害になることを指摘しています。つまりは、財界の意図がはっきりと示されているのです。憲法調査会は、この意向を受け、これからはより精緻に、理論武装をきちんとした形で、「調査」を行い、より国民に受け入れやすい形で、最終報告をまとめてくるでしょう(先日の根本団員の傍聴報告も、この文脈で理解できるものと私は読みました)。その際に、国民の側には真実を、彼らの本音を見据える慧眼が必要です。その意味で、私たち自身や、私たちとつながりのある民主的団体の人たちが、このパンフレットを読んでいることは、こちら側の理論武装として大きいと思うのです。
団員のみなさん。みなさん自身にこのパンフレットを読んでいただきたいのと同時に、みなさんのつながりのある民主団体、市民、労働組合に、学習会で活用したり、売って歩いたりして、このパンフレットを普及して欲しいのです。そして、広く、戦争をする国へ、民主主義のない国へと導こうとする改憲策動を許さない世論を巻き起こしたいのです。
定価は一部二〇〇円ですが、一〇〇部以上注文の場合は、一部あたり一五〇円になります。よろしくご活用ください。
東京支部 鶴 見 祐 策
東京大気汚染公害裁判を主題とした写真集が出版された。ご自身も患者原告である写真家の増田文雄さんが第一次訴訟の提起から判決まで六年半にわたる闘いの克明な記録である。政府関係機関、自動車メーカー、東京都、そして裁判所に向けて行われた各種の集会やデモでは、いつもカメラを手にした著者の姿を目撃していた。そうして撮影された一万二千ものカットから選び抜かれた瞬間が全編につづられている。カメラはまず被害者に向けられている。気管支喘息など呼吸器疾患の苦痛は筆舌には尽くしがたいが、黒白の陰影で浮き出された数々の映像には思わず眼を凝らさざるを得ない迫力をもっている。そこに患者や家族の証言が重なって強い説得力を生み出している。自動車排気ガスによる環境汚染の根絶と被害者救済の制度的保障の早期実現の必要を強く訴えかけている。大気汚染の経過や解説が付され啓蒙書としても役立つ。
この裁判には、多くの団員が関わっており、高裁段階と地裁の第二次から第五次の訴訟が現在進められているが、昨年の判決でこの公害の闘いが報道され人々に知られるようになったとはいうものの問題の深刻さに比して自動車メーカー等に対する責任追及の世論は未だ不十分といわねばならない。この写真集が社会的な関心を深める媒体となることを願わずにいられない。
一枚だけ人物のない写真がある。立ち枯れた木々が象徴的である。
皆さんの購読をお薦めする。(定価一六〇〇円+税 希望者は合同出版社に注文してください。電話〇三(三二九四)三五〇六)