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吉原  稔 滋賀県豊郷小学校問題で新校舎建設代金支出差止の判決
田場 暁生 暴力の連鎖を止めよう!
伊藤 和子 アフガニスタン国際民衆法廷でブッシュに「有罪」判決
船尾  徹 「構造改革」とたたかう労働裁判 その2
(日本航空 勤務基準不利益変更裁判から)上
笹山 尚人 オランダモデルに学ぶ日本の労働運動の課題
〜オランダFNVを訪ねて
菅野 昭夫 愛国者法(九月一一日事件後のアメリカ合衆国における治安立法、治安政策)(2)
神田  高 メディア寸評ー日米同盟の呪縛
島田 修一 日比谷野音集会に娘と参加
島田 令子 野音集会に参加した感想
小池振一郎 書評『日弁連副会長の日刊メルマガ』(永尾廣久著花伝社)を読んで司法改革・裁判員制度を思う
藤原真由美 日弁連と韓国弁護士協会が共同で取り組む
東北アジア平和シンポのご案内




滋賀県豊郷小学校問題で

新校舎建設代金支出差止の判決

滋賀支部  吉 原  稔

 昨年一二月二二日、大津地方裁判所は豊郷小学校新校舎建設工事について、建築中の工事代金の支出差止を命じる判決を言い渡した。これは工事契約が旧設計と新設計の間に同一性がなく、契約の変更では対応できず、新設計について予算の契約締結及びその議決がなく、地方自治法二三二条の三の支出負担行為のない公金支出であるから違法としたものであり、全国初の判例である。

 豊郷小学校は、昭和一二年に米国から帰化した宣教師メレル・ヴォーリズが設計し、近江商人の丸紅専務古川鉄治郎が寄付した立派な文化的価値のある小学校で、これを町長大野和三郎が解体新築をしようとしたため、一昨年二月には講堂の、一二月には現校舎の各解体禁止の仮処分が出たが、現校舎については、一二月一九日に解体禁止の仮処分が出た翌日に町長が解体工事に着手したため大問題となり、町長リコール成立、再選挙、大野町長再選となった。

 町長は現校舎の保存を決定しながら教室として使わず、プレハブ校舎をつくって生徒を移し、運動場の反対側に新校舎を建設し、現在七割程完了している(本年三月完成予定。新幹線の西側、米原駅より五分程したところに見える)。
 そこで、現校舎を教育施設として利用すべきで、新校舎の建設は無駄であり、地方自治法二条四項、地方財政法四条(経済的合理性の原則)に違反するとして工事禁止、建設代金支払差止を提訴した。

 本訴の特徴は、建築工事契約そのものの違法性を主張立証したことである。というのは、法二四二条の二に基づく差止請求は、当該財務会計行為に先行する原因行為に違法事由が存する場合であっても、右原因行為を前提としてされた当該行為自体が財務会計法規上の義務に違反する違法なものであるときに限って認められる(最高裁平成四年一二月一五日第三小法廷判決民集四六巻九号二七五三頁、「一日校長退職金事件」)との判例や、最高裁昭和六二年五月一九日第三小法廷判決で「山林売買契約に随意契約でした違法があっても、売買契約自体は違法無効ではなく、町は契約の相手方に債務を履行すべき義務を負うから差止は不適法」とする判決があり、本訴と同じ構成の裁判所がアーカス橋事件(歩道上に歩道橋をつくるのは無駄とし、公金支出差止を求めた事件)で「工事請負契約締結に至る過程に違法があっても工事請負契約は違法とは限らない」としたのである。

 そこで、本件では現校舎を解体した跡に二階建の新校舎を建設すべく予算を議決し、契約を締結し、議決を得ていた(旧設計)のを、それを次年度への繰越明許費として専決処分し、位置も構造も違う三階建の校舎を運動場の東側に建てることにしたが(新設計)、これは旧設計と新設計との間に、位置、構造、間取り等に違いがあるから契約の同一性はなく、「設計変更による契約の変更では対応できないから、新設計により現に行っている工事は、支出負担行為(旧設計による契約とは別途の予算議決による契約の締結及びその議決)がなく、地方自治法二三二条の三に違反すると主張したが、裁判所はこれを採用した。最高裁判例に抵触しない判断によって実質的に無駄な公共工事の差止をしたものである。「工事請負契約自体の違法」、「契約の同一性」、「設計変更による契約変更の限界」についての初判例である。京都の地下鉄工事のように「小さく生んで大きく育てる式のゼネコン工事の公共事業の差止」への影響は大きい。

 この事件は私の他、当支部の近藤公人団員、京都支部の中島晃団員が担当した。



暴力の連鎖を止めよう!

東京支部  田 場 暁 生

 二〇〇三年一二月一三、一四日、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)第二回・第三回公判が、東京・九段会館で開かれました。本民衆法廷は、ブッシュ大統領を被告人に据え、「侵略の罪」「戦争犯罪(民間人攻撃、劣化ウラン弾の使用等)」「人道に対する罪」を訴因とし、その行為の国際法上の責任を明らかにするものです。私は、修習生のときから検事団に加わり、多くの団員と共に活動してきました。そして、弁護士登録直後の昨年一〇月、本法廷の第八次調査団の一員として、アフガニスタンに証拠収集(証拠固め)の旅に出、空爆の被害者の遺族の聞き取り、攻撃を受けた民間施設の実況検分、国連関係者等からのデータ収集などを行ってきました。地雷処理NGOの現地スタッフ四人の命を一瞬にして奪った爆撃の跡、ICRC(国際赤十字)倉庫に落とされた直径七メートル以上、深さ二メートル弱もの爆弾跡は、攻撃のすさまじさを物語っていました。特に、被害者の遺族のお話は、「新婚四五日目で二人が初めてベッドで共に寝た日に、家に爆弾を落とされ、顔が吹っ飛び、肝臓が飛び出していた。」などなど、すさまじいものがあり、涙を禁じ得ませんでした。ただ、その被害者のご遺族は、「世界中で二度と私のような被害者が出ないで欲しい」「アメリカは許せないが、爆撃を行った人間に復讐したいとは思わない」と言っていました。アメリカ軍は、地上の北部同盟や元タリバン兵からの情報だけを元に、裏も取らずに爆撃していたことが多かったこともわかりました。米軍報道官は、それを問われ「Going My Way」と言ったそうです…。私達は、この法廷を単なる糾弾集会にするつもりはありませんでした。そこで、アミカスキュリエ(法廷助言者)によって、ブッシュ側の主張・反論を述べる機会を十分に設けました。アフガニスタン攻撃に関するブッシュ・アメリカの主張が、相当の支持を得ていることも否定できない状況下において、ブッシュ・アメリカの言い分に正面から向き合い、それに的確に反論してこそ、世界に向けて新たな非戦の誓いをアピールできると考えたからです。また、アミカスの存在により(大久保賢一団員の老獪な演説もあり)、結果的にも本法廷の正当性を高められたと思っています〔なお判決では、ブッシュ大統領の有罪を勝ち取りました(一部無罪ではありますが…)。判決の詳細は、三月の第四回法廷で出ます〕。
 地雷処理NGOに対し日本の企業が機器を提供し、それが現地でとても役に立ち、喜ばれていることなどを目の当たりにし、非軍事的な国際貢献の途こそが市民の信頼を得ることを、実感しました。しかし、イラク派兵に続き、黙って手をこまねいていれば平和憲法の改正が確実ともいえる情勢です。そんな中、今年二〇〇四年は、平和を創る上で極めて重要な年になるでしょう。何が出来るのか、どうすれば流れを変えられるのか(今までの平和運動はどこに問題があり、どう変えていかなければいかないのか)、考え、行動していきたいと思っています。



アフガニスタン国際民衆法廷で

ブッシュに「有罪」判決

東京支部  伊 藤 和 子

1 アフガニスタン国際民衆法廷とは

 一二月一三、一四日、米大統領ジョージ・ブッシュの戦争犯罪を問う「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」(ICTA)の法廷が開催された。
 アメリカの「報復戦争」は罪なき大量の人々を殺戮する明らかな戦争犯罪だった。しかし、国際機関も、メディアもこの戦争責任をほとんど調査・告発しなかった。国際的な司法機関はどこも米軍の戦争犯罪を訴追・審理していない。そこで民衆サイドで法廷を開き、裁くというのが今回の取り組みである。

2 法廷風景

 二日間、朝から夕方まで開かれた法廷にはのべ一六〇〇名程の市民が傍聴に訪れ、熱心に耳を傾けていた。法廷の判事は、水島朝穂教授、新倉修教授、ピーター・アーリンダー氏と、イギリス、インドの法律家の計五名。ブッシュを訴追する検事団の主力は若手弁護士。団員では、上山勤団員、萩尾健太団員、神原元団員、土井香苗団員、成見暁子団員、田場暁生団員、久保木亮介団員、私。さらに多くの若手弁護士が活躍した。一〇月には若手検事団がアフガニスタンに調査に行き、その成果も法廷で披露された。法廷の公正さを保つため、ブッシュの法的主張を代弁するアミカス・キュリエを設け、大久保賢一団員らがブッシュ戦略を代弁する論陣を張った。法廷で証言に立ったのは、アフガン空爆の犠牲者たち。そして九・一一テロの被害者や、アメリカの反戦活動家、そして民間人なのにテロリストと疑われ拘束されてキューバ・グアンタナモ基地で非人道的取扱いを受けたパキスタン人の代理人が次々と証言に立った。

3 劣化ウラン弾の立証

 私は検事団の一員として、劣化ウラン兵器の立証にあたった。実は、当初私はアフガンで劣化ウランが使用されたのかも半信半疑だった。しかし、専門家の全面的な協力を得て劣化ウランの調査を始め、調査のためにハンブルグで開催された国際会議に出席し、私は劣化ウランの使用が人類そのものに対する犯罪だと知った。アフガンでも、劣化ウランの影響で、貧しい村々の人々が静かに命を落としていた。「これはサイレント・ジェノサイドだ」ーハンブルグで会ったアフガン人が私に訴えかけた。イラクの劣化ウラン汚染はさらに深刻だ。時、まさに政府による自衛隊派遣が差し迫る今回の法廷で、劣化ウラン弾の真実を白日のもと明らかにしようと努めた。
 法廷では、物理学者の矢ケ崎克馬教授(琉球大学)が、劣化ウランの体内被曝のおそろしさを科学的に明らかにし、アフガンでの五〇〇トンの劣化ウラン汚染は広島型原爆一万発分のウラニウム汚染に相当する、と結論づけた。
 アメリカの核研究所に勤務した経歴を持つ科学者であるローレン・モレさんも証言に立ち、(1)一九四三年のマンハッタン計画当時から既にアメリカは劣化ウランの致死性が極めて高いことを認識していた事実(グローブス・メモhttp://www.mindfully.org/Nucs/Groves-Memo-Manhattan30oct43.htm)、(2)一九七四年から一九九八年まで、生物実験などを繰り返して劣化ウランの毒性を研究してきた事実(http://www.gulflink.osd.mil/du_ii/du_ii_tabl1.htm)、(3)一九九一年、米ロスアラモス核研究所が、関係機関・職員・軍関係者に対し、「今後劣化ウランに関する報告書を作成するにあたっては、米国が有効な兵器である劣化ウラン兵器を使いつづける必要があることを念頭において作成するように」という警告を発した事実(「ロスアラモス・メモ」)を米軍内部資料に基づいて明らかにした。
 さらに、劣化ウラン弾使用は、アメリカが開発しようとしている第四世代型核兵器(ブッシュは昨年末、この新世代型核兵器開発の予算をついに獲得した)開発のための人体実験であることも証言で明らかにされた。
 さらに、湾岸戦争後の米軍のイラク・クエート劣化ウラン弾処理責任者を勤め、一九九四〜九五年にはペンタゴンの劣化ウランプロジェクトの責任者だった、ダグ・ロッキー氏のビデオ尋問を上映。
 彼は、「米国は猛毒であることを百も承知で使っている。劣化ウランのせいで帰還兵の一万人が死に、二〇万人以上が身体障害者になった。自衛隊も同じ目に遭わせたいのか?」と警告した。
 さらに、イラク人医師から提供された、劣化ウランで白血病や癌で苦しむ子どもたち、先天性異常出産の赤ちゃんの夥しい写真の一部を示した。その結果、劣化ウランがいかなるものか、明らかにすることが出来たのではないかと思う。

4 判決

 法廷の最後に出された判決は、基本的に全ての訴因についてブッシュ有罪であった。劣化ウランに関しては、戦争犯罪、アフガン民衆への人道に対する罪だけでなく、地球環境に対する罪、米国兵士にへの人道に対する罪がいずれも有罪となった。
 三月一三日に判決公判が開催され、クラスター爆弾、劣化ウラン弾使用禁止勧告も出される予定である。この判決が公正で平和な世界を築く第一歩となれば、と思う。

5 劣化ウラン廃絶キャンペーン・東京立ち上げ

 判決をどう生かすか、それがこれからの課題である。特に劣化ウランに関しては、緊急に真実を多くの人に伝えなければ、と思う。
 そこで、ハンブルグ会議で一緒に活動した、日本国際ボランティアセンターの佐藤真紀氏、映画「ヒバクシャ」監督の鎌仲ひとみ氏、矢ケ崎教授らとともに、劣化ウランについて伝え、その廃絶を目指し、被害救済にも役割を果そうと、「劣化ウラン廃絶キャンペーン東京」立ち上げることとなった。まず、私たちの知識をまとめたパンフレットを一月中に緊急発行する予定で、イラクの子どもたちに「戦車に近づかないで」と知らせる現地語のリーフレットも準備中である。全く手弁当でスタートしているこの企画に、一口三〇〇〇円からの募金を募っている。是非ご協力いただければ幸いである。

募金先:みずほ銀行四谷支店(普)8077381 
劣化ウラン廃絶キャンペーン東京 弁護士 田部知江子



「構造改革」とたたかう労働裁判 その2

(日本航空 勤務基準不利益変更裁判から)上

東京支部  船 尾  徹

 九三年一一月、日本航空は、「構造改革」を推進するため、安全運航を支える乗員の勤務基準についての労使協定(乗務時間・勤務時間の上限規制など多くの勤務基準)を破棄し、欧米主要航空各社の労使合意のもとで運航している国際的な勤務基準よりも緩和した基準へと、就業規則改定によって一方的に切り下げ、「国際コスト競争力の強化」をめざす「ダンピング競争」の先陣を突っ走ることになった。こうしてサンフランシスコー成田などの太平洋路線(長距離運航路線)が、交代乗員なしの長時間運航乗務が行われることになった。
 以下には、一審の東京地裁判決(九九年一一月二五日)に続いて乗員が完勝した勤務基準不利益変更訴訟の高裁判決(〇三年一二月一一日言渡)を報告する。論点は多岐に及んでいるが紙幅の都合で注目すべき論点(特に、大きな時差帯をかかえる長距離運航乗務のうえ、出勤時間が二四時間のうちどの時間帯からも始まるなど他に類例をみない変則的勤務を伴う長時間運航乗務にかかわる勤務基準の改定をめぐる争点に対する判決の判断部分)にしぼって紹介する。

1 「規制緩和」とたたかう視点

 この訴訟の主要な基本的論点は、改定前の乗務時間九時間・勤務時間一三時間という上限規制を一一時間・一五時間へとそれぞれ二時間緩和することの「合理性」如何にあった。乗務時間一一時間への変更は、国(運輸省・現国土交通省)がその規制を緩和した「行政基準」を超えるものではなく、その枠内での緩和・変更であった。こうして「規制緩和」された国の基準の枠内での就業規則による変更の合理性を検討するにあたって、いかなる視点から検討すべきなのか。その提起如何がこの訴訟の帰趨を決するものであった。以下は、乗員側がこの訴訟で提起した基本的視点である。

(1)安全運航確保の視点からの検討

 改定勤務基準の合理性を検討するにあたっては、安全運航を支える勤務基準を確立するうえで、五二〇名の命を奪った「御巣鷹山事故」をはじめとして不幸にして起こしてしまった航空機事故という「負の遺産」が発している「メッセージ」から真摯に学びとること、疲労等を要因とする航空機事故につながる事象の連鎖の防止と安全運航確保の視点から改定勤務基準の合理性を検証することが必要であること、それは使用者と乗員とでその立場が異なっていようと、航空機輸送業務にたずさわる者に共通に求められているものであり、この勤務基準の合理性を審査する裁判官にも求められているものである。そのような合理性検討作業がどんなに困難があろうとも、訴訟関係者がそれぞれの立場から安全運航確保の観点に照らして改定内容の合理性を検証しなければならないことを強調した。それは訴訟関係者にとどまらず、航空機による運航サービスを受ける利用者・国民が求めている問題意識に適う視点からの提起でもあった。

(2)科学的研究に基づく勧告・提言に照らしての検討

 そこで、勤務と休養のスケジュールの作成にとって重要な、疲労、睡眠、サーカディアンリズム等の人間の睡眠生理学などの科学的研究・調査等に基づいて、交代乗員なしでの乗務時間九時間を超える長距離運航乗務のもたらす問題状況を明らかにすること、科学的研究を無視・軽視した勤務基準の改定が行われたことによって、運航時間帯、時差等による影響等を考慮していない、国際的にみてもきわめて特異な、突出した勤務基準となっていること、それらの科学的研究に基づく勧告・提言の内容に照らして、改定勤務基準のもとで強行されている長距離運航乗務の実態の合理性の検討・批判を行うことが重要であると提起した。
 この検討論争は科学者・研究者の協力が必要であった。一審での敗訴判決後、日本航空は、この航空機運航乗務にかかわる分野の研究で、かってNASAに所属し国際的に最も権威があるとされていた研究者を抱え込むことに、いちはやく成功した(おそらく多額の資金が提供されたのであろう)。実は、一審判決は彼らの研究・提言に依拠していた。彼らは一審判決を批判する宣誓供述書を繰り返し提出してきた。乗員側は彼らがかつて発表した研究報告に基づいて応酬した。ドイツ、イギリスの科学者・研究者が乗員組合に協力の手をさしのべてきた。

(3)「公正な競争」の土台ともいうべき「国際基準」からの検討

 グローバリゼーションの進行のもとで、「国際コスト競争力」の強化をめざすため、「規制緩和」と「構造改革」を推進し、世界にさきがけてひとり突出して経済的競争に優位に立とうとする日本航空の乗務時間・勤務時間制限に関する勤務基準のダンピングを、航空会社としての「叡智の所産」と評価すべきではなく、すべての市民の願いともいうべき安全な航空機運航を支える世界の乗員が乗務する公正な勤務基準を「破壊する元凶」と評価すべきものであることを明らかにすることに全力を注いだ。
 わが国も批准している国際民間航空条約(ICAO条約)は、「世界を通じて国際民間航空の安全な且つ整然たる発達を確保すること」「不合理な競争によって生ずる経済的浪費を防止すること」など、「国際民間航空機関の目的」を規定している。安全運航にかかわる乗務時間・勤務時間制限について、日本航空が公正な世界基準からひとり突出して経済的競争に優位に立とうということは、世界の諸国民の要求に違反すること、世界九五ヶ国の約一〇万人のパイロットで組織されている国際的な最大組織IFALPAは、改定勤務基準のもとで生じている乗員の疲労は、航空業界に深刻な危機をもたらしているとして、「飛行時間・勤務時間制限の規定は、経済的競争によって影響されてはならない」「飛行時間・勤務時間制限の規定は、全世界的強調の結果、制定されねばならない」との「特別声明」を採択し、運航の安全を維持しながら、「対等の競争が行われる『平らな土俵』を創造すること」を願って、日本の裁判所に数次におよぶ要請を行い、合理性の検討・批判を迫っていった。また、海外の乗員組合の協力を得ることによって、改定勤務基準が欧米主要航空会社のそれと比し、きわめて異常に突出して劣悪な勤務基準となっている事実を豊かに証明することも可能となった。
 こうして日本航空の乗員のたたかいと世界のパイロットの「憂慮と警告」の声とが合流した国際的な運動と関心のもとで訴訟が進行していった。

(4)長時間運航乗務の実態に照らしての検討

 乗務時間九時間を超えても交代乗員の搭乗しない長時間運航乗務のもとで、抗しがたい「睡魔」を克服し、「目が覚めていて、頭が冴えている」と思いこんでいるものの、無意識のうちに「睡魔」が忍び寄り、眠気のなかに落ち込む。眠らないまでも判断力、注意力、感情等の人間としての生理的諸能力のすべてが劣化した状態のもとで乗務している具体的な実態を、訴訟という公の場で、率直且つリアルに明らかにすることによって、合理性の検討・批判をした。
 長時間乗務に伴う疲労によるミス、エラーを訴訟の場でさらすことは、ひとりひとりの乗員に、「ある種の決断」を突きつけるものであった。
 しかし、乗員たちは、乗客・利用者に安心して安全運航のためのサービスを提供し、乗員として人間らしく生き働くことのできる公正なルールを求めて、その乗務実態をリアルに語るだけでなく、原告として立ち上がった。第二陣の訴訟の原告を含めて約九〇〇名の乗員が原告となり、乗員組合のみならず、先任航空機関士組合、機長組合がこぞって反対の声をあげるに至った。この訴訟は職場の労働者の世論・要求を代表するものとなっていった。こうして改定勤務基準の合理性の検討には、管理職の乗員までもが赤裸々に語る長時間運航乗務の過酷で安全マージンが切り下げられている問題状況を、直視することが不可欠であることを迫っていった。

2 「内容の合理性」と「変更の合理性」

 原審の東京地裁判決は、就業規則の変更後の内容が、「安全運航に支障を来すようなものであれば」、「労働条件の基準に合理的な制限が設けられているとはいえず、変更内容自体の合理性が否定される」。「運航乗務員の生命、身体の安全に対する危険が許容限度を超えて存在する以上、不利益性が著しく大きいから、たとえ、変更の必要性が高度であっても、法的規範性を是認することができるだけの合理性」はないとした。秋北バス最高裁判決以来の判断手法となっていた、変更による不利益性と変更の必要性を基軸にした比較考量(利害調整)による総合的判断による「変更の合理性」を検討する手法を採用せず、変更の必要性がどれほど高度であれ、安全運航の観点から変更後の「内容自体の合理性」をストレートに検討対象にしたものであり、画期的判決であった(労働法律旬報参照)。
 西谷敏教授も、「乗務員や乗客などの安全性の問題は、本来、利害調整や取引になじむものではなく、賃金や退職金の引き下げのように、乗務員が多少がまんすればよいといった問題ではない」、「安全性の問題は、ある種の『絶対性』をもつ」ことに着目して「変更後の就業規則の内容的合理性を審査」した東京地裁判決を支持した。
 ところが高裁判決は、「内容自体の不合理性」は、改定勤務基準の内容が「航空法令等に違反しているなど明らかに運航の安全性を害するものであればともかく」、「関係法令を遵守している本件においては、運航の安全性という観点から、変更後の規程内容自体の合理性の審査を優先させるべき理由はない」、「労使間の交渉によって調整が図られるべき労働条件をめぐる紛争」であるとして、原審の如く、安全運航の観点から「内容自体の合理性」を判断することはしなかった。
 本判決は、安全性についての直截な判断をすることを回避し、秋北バス最高裁判決以来の判断枠組に回帰したものといえる(もっとも、秋北バス最高裁判決そのものに「内容の合理性」を検討すべき論理を内包しているのであるが、その詳細は省略する)。【つづく】



オランダモデルに学ぶ日本の労働運動の課題

〜オランダFNVを訪ねて

東京支部  笹 山 尚 人

 これからはきっと、まとまって休みを取って、ヨーロッパを訪ねるなどできなくなるだろう。その前に、一度、ヨーロッパに行きたいね、と妻の長尾詩子団員と話し合った結果、私たちは一一月二二日から二九日までの期間、東京学習会議というところが主催した「マルクスゆかりの地とヨーロッパの労働運動を訪ねる旅」という旅行に参加した。
 この旅行のメインイベントとして、オランダ労働組合連合(FNV)を訪問するというのがある。青法協では、来年三月二〇日、二一日で人権研究交流集会を開催するが、私が担当する非正規雇用問題分科会で、ここでの訪問を紹介できるということも旅行参加の跡付けの理由となった。ここでは、FNVの訪問記を紹介し、考えたことを若干述べたい。

1、オランダモデル

 FNVは、日本でも何かと紹介されている「オランダモデル」創出の当事者の一人である。先に「オランダモデル」について触れておく。
 「オランダ病」とも称される深刻な不況、失業状態が蔓延する中、オランダでは一九八一年、FNVを含む労働組合連合と、資本家層とが、政府の仲介によってある合意を取り結ぶ。「ワッセナー合意」と呼ばれるそれは、大要、以下の内容を持っている。(1)今後数年間、賃上げをしない。(2)時短を実現し、週四〇時間労働を三八時間労働にする。(3)政府は、インフレ抑制と減税、社会保障の充実に努力する、といった内容である。このことがいわゆる「ワークシェアリング」を実現して雇用を創出し、一時は一〇%以上あった失業率が九九年には三%台まで減少し、経済も飛躍的に回復したというのである。経済力の回復という意味からも、雇用の創出という意味からも、日本の労資双方から注目されている実践である。今回私も、日本で広がる非正規雇用問題に対処するために、なにがしかのヒントを得られないかと思ったことが訪問の動機となった。

2、FNVの方のお話

 FNVではパートタイマーの問題に詳しいアドバイザーという方が話しをし、私たちの質問に答えてくれた。彼の話しの要点を紹介する。
 「FNVは、各産業ごとの労働組合の連合体で、オランダの総労働人口七〇〇万人のうち、一二〇万人あまりを組織している。近時の悩みは、組合員の高齢化で、若い人や女性を中心に組合員数を増やそうと考えている。ほかに、約三〇万人を組織するキリスト労働組合連合(?)があり、そのほかにも少数の労働組合がある。
 重要なのは、資本家層や、政府と、労働組合側が話し合う場が二つあることである。いずれも、戦後の経済復興を迅速に遂げるために、一九四〇年代の後半には、その話し合いの場がセッティングされた。一つは、労働組合代表と資本家代表が話し合う場であり、もう一つは、労資の代表に政府が加わって話し合う場である。この話し合いの場は、三、四週間に一回の割合で開催される。
 労働協約も、産業別ごとに、各労働組合の代表とが、資本家層と締結する。いわゆる拡張的効力があるので、FNVの組織率がこのように低くても、実際上は、八〇%くらいの労働者には影響力を持っている。
 一九八一年のワッセナー合意は、経済を回復させるために話し合いの蓄積の結果、締結されたものである。この合意の実行によって、経済が回復し、人々は雇用不安に脅えることがないようになった。
 近時は、オランダ経済が再び暗転している。このため、ワッセナー合意の第二弾と言うべき合意を既に交わしたところだ。政府は、社会保障の改悪を提案していたが、この合意を取り交わしたことで当面二年間は賃上げがないかわり、社会保障の改悪の程度を緩やかにすることになった。この合意にあたっては、FNVでも、激烈な議論が巻き起こった。最終的には、FNVとしては、初めて、全組合員による投票を行うことで意思決定した。六〇%の組合員の賛成で、今回合意を取り結ぶことになった。やはり不況の状態では、雇用不安の解消というのが一番の要求になる。」
 この話しに対し、熱心な質問がたくさん出たが、私が聞いたのは、オランダモデルを導入すると、非正規雇用の人に対する処遇の劣悪化が起こるのではないか(賃上げがされないとすればもともと低賃金の非正規雇用に対する打撃は大きいのではないかと考えたので)ということと、そのための解消の努力、その結果いかんを教えて欲しいということである。答えは以下のとおり。「確かにその通りだ。オランダでは、長い間、男性が外で働き、妻は家で家事子育てをし働かないということが当たり前だった。女性解放が進み、女性が働くようにはなっても、子どもを預ける先がないといった理由で女性がパートタイマーにならざるを得ないという状態が長らく続き、男女比という意味では、それが今でも基本的には変わっていない。男性のパートタイマーは一三%程度だが、女性は、今でも三人に二人がパートタイマーだ。だから、ワッセナー合意以前は、パートタイマーの労働は価値の低い労働と見られていた。FNVも、むしろ、撲滅させるべき対象と考えていた。ワッセナー合意に前後して、パートタイマーの労働条件の底上げが大問題になり、例によって労資間、政府も交えた話し合いの席で、長い間の交渉が行われて、ついに一九九六年、「差別禁止法」が制定され、賃金(時給)や社会保障、年休といった面で、パートタイマーであることを理由とした差別は禁止されるに至った。従って、基本的には、差別は解消されたといってよいが、しかし、それは現在でも完全に一掃されたわけではなく、形を変えて残存している。」

3、考えたことや感想

 二時間の懇談は瞬く間にすぎた。FNVがパートタイマーを撲滅したいとまで考えていたのに、それがどうして底上げ要求をするようになったのか。そのような変化を遂げる過程に何が起こったのか。FNVとして、どんな努力をしたのか。形を変えて残っている差別とは何か。聞きたいことが、十分に聞けずに終わってしまって、誠に残念だった。
 しかし、わかったこともたくさんあった。オランダモデルを語るとき、労働側で語られるときは、ワークシェアリングで雇用創出ができるという紹介の仕方がある。しかし、実際に行って話を聞いた感じでは、ワークシェアリングと雇用創出は、どちらかというと時短を勝ち取った結果として生まれたものであって、ワッセナー合意の主眼は、経済力の回復にあったと感じた。説明した彼は、常に、「経済を回復させるための協力」という言い方をしていた。そして、そのためのFNVが行ったメインの努力は、根詰めて話し合うということのようである。
 そうすると、労働力総人口の七分の一程度しか組織していないナショナルセンターが、圧力団体として交渉できる、その力の源泉が問題である。妻の長尾団員と夕食を食べながら議論をしたが、いま分かっている情報で判断すれば、それはやはり産業別労働組合であろうという結論に到達した。
 結論としては、日本に単純にオランダモデルを導入することは、危険のほうがより多いと考えられる。経営者にとっては、企業への貢献度の大きい労働者とそうでない労働者を区別せずに一般に労働時間に制限を設けるワークシェアリングは、貢献度の大きい労働者の労働を奪うものであって好ましくない。労働者の賃金について、賃金体系が複雑で、能力や業績が反映する制度となっている日本では、賃金を時間給概念で把握しにくい。つまりは、同一労働同一賃金を確立しにくい。このような日本では、労働組合が労働者の生活保障を要求する圧力団体として機能しなければ、オランダモデルは、賃上げを押さえるだけのものになってしまい、社会保障や時短の実現に寄与しない。この意味で、日本の労働組合は、残念ながら圧力団体としては機能しない。企業別労組中心で、オランダモデルで一番あおりを受ける非正規労働者について、労組組織率がわずかに一八%で(二〇〇二年、厚生労働省・平成一三年パートタイム労働者総合実態調査より)、労働組合自身に非正規労働者に対する区別意識があるのでは話にならない。
 日本では、やはり地道に、地域労働組合や、一般労働組合の取り組みを通じるか、企業別労働組合を変えていくかして、非正規労働者を含めて労働組合の組織率をあげ、産業別労働組合を展望するしかないように思った。幸い、連合も全労連もその問題意識を持って取り組みを始めている。この取り組みをする際、FNVが八〇年代から払ってきた均等待遇実現の取り組みは、とても学ぶ価値があると思う。
 FNVというところの印象は、日本での連合に近い気がした。立派なビルを構え、大きな会議室を持っている。配られたコーヒーカップにはFNVのロゴが。いただいたコーヒーは、ヨーロッパに来て初めておいしいと感じたものだった(ヨーロッパはコーヒーのメッカだと思っていたが、この日まで飲んだコーヒーはいずれもまずかったのである)。FNV、要するにお金のある立派な組合なのだ。恐るべし。しかし、若者や女性をいれたいとか、変わらなければいけないとがんばっている話に、とても好感が持てた。私としては、満足した訪問になった。
 FNVがおこなった均等待遇までの努力が核心だということがわかったことが、私にとっては大きな成果だった。今後も、広がる非正規労働者の労働条件の向上のために、尽くせる力を尽くしたい。



愛国者法(九月一一日事件後のアメリカ合衆国における治安立法、治安政策)(2)

北陸支部  菅 野 昭 夫

〈アメリカ憲法を蹂躙する愛国者法〉

 この愛国者法は、アメリカ憲法を以下の点で蹂躙するものである。

三権分立の否定

 愛国者法の制定の前後に、政府は一一の大統領令、一〇の行政規則などを制定した。いずれも、政府が議会の制定した法律を実施するために、前者は大統領の、後者は行政機関の権限で制定する法令である。しかし、その内容は、愛国者法よりもさらに厳しく権利を制約しており、憲法上の行政権の権限を超えて、立法権を侵害するものとなっている。
 例えば、二〇〇〇年九月二〇日付行政規則は、移民帰化局(INS)に対し、犯罪の嫌疑なしに全ての移民を「合理的と考えられる期間」(実質的には無期限)勾留する権限を付与した。しかし、その後制定された愛国者法は、前述のとおり、「テロリスト」の疑いのある移民(司法長官が合理的根拠に基づく容疑を抱くことが必要)を犯罪の嫌疑なく勾留する期間を、議会の修正により七日間に限定した。愛国者法制定後に、司法省は、行政規則の改正によって当然両者の矛盾を解消し、愛国者法の期間的限定に従うものと期待されたが、何らの修正も行わなかった。そのため、愛国者法の限定を超えて、移民がINSによって長期間勾留されるケースが続発している。
 また、九月一一日事件後、行政規則によって、移民事件裁判官の司法省からの独立は画餅に帰してしまった。移民事件裁判官は組織上司法省に所属するとはいえ、INSはその決定に従う義務を有していた。ところが、九月一一日事件後の行政規則は、移民事件において検察官の役割を担うINSの地区部長に、上訴審の結論が出るまで裁判官の釈放命令を執行停止する権限を付与した。また、司法省は、その指定する全事件の審理を、非公開とする権限を付与された。
 三権分立を損なうも甚だしいのは、二〇〇一年一一月の大統領令であり、同法令は、起訴されたテロリストを軍事裁判所で審理する制度を創設した。アメリカ憲法によれば、連邦最高裁より下位の裁判所を創設する権限は、議会のみが有している。それにもかかわらず、この大統領令は、この議会の憲法上の権限を無視し、どの被告人を軍事裁判所で審理するか、軍隊の誰が裁判官、検察官、弁護人となるのか、有罪となったときの死刑を含む刑罰の程度、上訴のルールなどは全て大統領が定めるものと規定しているのである。この大統領が定めたルールによると、裁判官、検察官、弁護人は全て国防省によって任命される。被告人が自費で民間人を弁護人に選任することはできるが、その弁護人は、国防省により適格性を認められなければ、裁判長が非公開と決定した審理には立ち会えない。また、証拠法則に関しても、伝聞証拠や任意性のない自白の使用も、必要であるかぎりは許容され、そのような証拠で死刑を科すことさえ可能である。上訴は、国防長官または大統領に対してのみ許容される。

権利の章典の蹂躙(人身の自由の侵害)

 周知のように、アメリカ憲法は、権利の章典(Bill of Rights)と呼ばれる修正条項を有していて、人身の自由、不当な捜索差押からの自由、適正手続きなどが保障されている。しかしながら、これらの権利は悉く蹂躙されている。
 まず、九月一一日事件後、「テロリスト」対策としてなされた、逮捕勾留者は、二〇〇一年一〇月二六日にブッシュ大統領が明らかにした数によれば、約一〇〇〇人に達している。政府は二〇〇一年一一月(その段階では一二〇〇人)以後逮捕勾留者の人数を一切発表しなくなったが、二〇〇二年二月末の段階では延べ二〇〇〇人に達したと推定されている。その内訳は、九月一一日事件やテロ行為と実質的な関連性のある容疑で直截に逮捕された者はごくわずかである一方、大部分はオーバーステイなどの軽微な移民法違反や交通違反または軽罪の容疑のみで逮捕されており、後記のように全く犯罪の容疑がなくて逮捕勾留されているものさえいる。また、移民を対象にした新法によって多くのアラブ系移民が勾留されている。こうした軽罪や移民法違反を積極的に活用して長期間身柄拘束することは、ブッシュ政権の公然とした方針である。アシュクロフト司法長官は、九月一一日事件後間もなくの記者会見で、「テロリストの諸君に警告する。もし君達がビザの期限を一日でもオーバーステイするなら、我々は君達を逮捕する。地方の条例に違反しても我々は君達を逮捕するし、できる限り長期間勾留する。我々はあらゆる法令を駆使して治安を守る」と語っている。
 しかし、これらの逮捕勾留による人権侵害があまりにも顕著であるため、マスメデイアでさえ報道するようになっている。それらの記事や憲法的権利センター(CCR)が九月一一日事件から一年を経過した時点で発表した「市民的自由の現状」と題する報告書によると、上記逮捕勾留の特徴は以下のとおりである。

(1)被拘禁者はその理由も告げられずに身柄拘束される。のみならず、政府が情報を明らかにした七一八件のうち、三一八件は逮捕から法定の四八時間を越えて裁判官の審理のために送致されている。そのうち三六件は二七日をこえて、一三件は四〇日を超えて、九件は五〇日をこえてようやく送致され審理が開かれた。しかし、ときには、何の理由も告げられず、司法審査もなしに数ヶ月間勾留されているケースもある。
(2)多くの被拘禁者は、それまでは身柄拘束などありえなかった軽微な出入国法令違反で逮捕されている。そして、彼らは国外追放処分が発せられて初めて容疑事実を知らされる。国外追放処分後も何週間、何ヶ月も勾留は続き、国外追放の時期に関する適正手続きは無視される。
(3)被拘禁者はしばしば適正手続き条項やミランダ・ルールに違反した強圧的で強制的な尋問を受ける。彼らに弁護人選任権は告知されず、弁護士へのアクセスは無視される。他方、親族から依頼された弁護士は、面会しようとしても、拘置場所をつきとめるのに多大の困難を伴い、数ヶ月を要するケースさえある。当局が情報を開示しないばかりか、拘置場所が意図的に転々と変わるためである。
(4)被拘禁者は、逮捕と同時にIDカードと現金、装飾品を含む一切の所持品を没収される。法的根拠も司法審査も補償もなしに行われるこの没収も、憲法に違反する。
(5)被拘禁者は、証拠の確かさによってではなく、特定の人種・宗教によって選別されている。レイシャル・プロファイリング(検問や犯罪捜査に当たって人種によって犯人を推定すること)は、九月一一日事件前は法執行機関の中でも表向きはタブーとされてきたが、事件後は当然視されるようになった。九月一一日事件後、FBIは全米各地の警察に対し、「九月一一日事件を起こしたハイジャック犯に共感をおぼえるか」「テロ活動の応用できる訓練を受けたことがあるか」「テロに関係する犯罪を知っているか」などの質問を一定年齢以上の全てのイスラム教徒の外国人に発するようにとの協力依頼を行い、全米でこの質問が実施された。これも、アラブ系移民を対象としたレイシャル・プロファイリングが公然と行われている一例である。
(6)被拘禁者の中には、何ら犯罪の容疑がないのにもかかわらず、重要証人(マティリアル・ウィットネス)であるとの理由で長期間勾留されている者が(政府はその数を明かにしないが)十数人以上いることが指摘されている。重要証人の逮捕勾留は古い法令に基づいているが、その制度は長く使われず、わずかに一九九五年のオクラホマ市の連邦政府ビル爆破事件以降ごくわずかの者に対して限定的に使用されただけだったが、今回は重要な武器として使用されるようになった。愛国者法に上院でただ一人反対したラス・ファインゴールド上院議員は格調高い反対演説を行っているが、その中で、二人のハイジャッカーと似たアルバダ・アル・ハツミという名前のサン・アントニオ市住人の放射線科医師が、学会に出席するためサン・ディエゴ行のフライトを予約して空港に赴いたところ、重要証人として逮捕され一三日間勾留された後、「彼の容疑は晴れた」という一片の説明のみで釈放された例を挙げている。なお、このケースでも、彼の弁護人は彼との面会を実現するのに六日間を要している。

権利の章典の蹂躙(思想信条、言論、集会結社の自由の侵害)

 愛国者法は、書籍の購入者が何を買ったかを書店に回答させ、図書館の利用者が何を借りたかを図書館の運営者に明らかにさせる権限を政府に付与した。また、前述のように、FBIがアラブ系移民に対しその政治的思想を問う尋問を、全米で一斉に行っているが、このような思想信条に対する介入は、アメリカ国民に対してもなされている。例えば、サンフランシスコ居住の市民は、ヘルスクラブで、アフガニスタン戦争に対する疑問を声高に話した後に、FBIから執拗な尋問を受けた。その三日後に、ノース・カロライナ州のある学生が、反米的なポスターを見せびらかしているとの理由で、FBIの訪問を受け、彼女の経歴、タリバンについての見解、軍に在籍している彼女の母親のことなどについて尋問された。これらは、テロリストについての前述の無限定な犯罪構成要件とあいまって、言論、思想信条の自由に、抑止的影響を与えずにはおかない。 
 さらに、愛国者法が制定されて以来、集団示威行動に対するFBI等の規制と介入が格段に強化された。二〇〇三年NLGミネアポリス大会は、このテーマで分科会を設けたが、そこで、全米各地のイラク戦争反対のデモに対する弾圧の模様が報告されていた。それによると、例えば、シカゴ市において一万五〇〇〇人が参加した反対集会とデモ行進などが行われたが、行進態様が警察の指示に従わなかったことなどを理由に約六〇〇人が逮捕された(逮捕者の一人は警察官の妻であった)。リーガル・オヴザーヴァーとして現場で活動していたNLGの弁護士までも逮捕された。NLGのシカゴ支部は、集団的に弁護を担当したが、身柄拘束の適否を審査する法廷には一日に一三〇人もが審理され、そのうち大多数が、勾留の根拠となる容疑事実に乏しいとの理由で、釈放を命じられた。オークランド市では、二〇〇三年四月に行われた反戦デモの際に、市警察がゴム弾や木製弾(直接人体に発砲すると死傷の危険性があると警告されている)を一斉射撃したために、デモ隊に頭骸骨骨折などの被害が生じ、NLGが訴訟を提起した。すると、法執行機関は、報復として逮捕者のうち二五人を起訴したが、そのうちの二人は、警察の違法行為を観察記録していたNLGのリーガル・オヴザーヴァーであった。NLGオークランド支部は、ACLUと共同で刑事弁護と民事賠償を闘っている。これら各地の反戦デモ弾圧は、FBI、INS、州警察、群警察などの共同作戦として行われている。二〇〇三年一一月二四日のニューヨーク・タイムズは、FBIが、反戦デモ参加者について、どんな疑わしいことも仔細に報告するようにとの指示を、地方の警察に文書でおこなったことを報道している。このFBIの指示について、エドワード・ケネディ上院議員は、「行き過ぎもはなはだしい。自国に自由が無い状態にして、どうしてわれわれの自由をテロから守れるというのか」とABCテレビで語った。このように、愛国者法は表現の自由、政治活動の自由をも蹂躙している。



メディア寸評ー日米同盟の呪縛

東京支部  神 田  高

 一月一一日のNHK日曜討論で、イラク派兵、北朝鮮問題が論じられていた(川口外相、森本敏・拓大教授VS寺島実郎、山内昌之・東大教授)。さすがに、イラク派兵では政府側に分が悪かったが、最後に日本外交のあり方について、森本は「これからの(日本の)外交力には軍事力が必要だ」と言って終えていた。森本は、防衛庁、外務省を経た政府サイドの論客だが、その本音を『中央公論』一月号の座談会“何のための派遣かー首相は国民に説明をつくせ”で語っている(その他、朝日コラムニストの船橋洋一、山口二郎・北大教授)。座談会の企画は、“イラク派兵”に表れた余りに杜撰な政府、小泉内閣(というより歴代自民党及び亜流政権)の「防衛」=軍事政策への体制側の苛立ちを反映しているようだ。全体の論旨は、うしろの方から読んだ方が理解しやすい。
 端的にことの本質に切り込んだのは船橋である(彼は朝日でアメリカ総局長もしているが、アメリカの世界的な軍事戦略の策定に関わる政府サイドのシンクタンクのメンバーにもなっていた)。彼は、「戦争の大義」のなさを一応問題にするが、イラクへの自衛隊派兵は否定しない。「何のため自衛隊派遣なのか、国民に対しはっきり言うべきだ。」と問題提起し、自答している。「同盟維持のためだ。米国が難しい状況にあるとき、同盟国として何ができるかは真剣に考えるべきテーマだ。」と言い放つ。そして、「陸上自衛隊はだすべきでなく、航空自衛隊を出すべきだ。イラク全土に対して、クウェートからC一三〇輸送機を飛ばせば、かなりの人道支援になる」(!)。わかっているようで、軍事オンチなのだろう(政府宛てに「イラク派兵やめよ」の要望書を出した元防衛庁教育訓練局長の新潟県加茂市長の小池氏は「航空自衛隊の航空機の派遣を計画しておられるというバクダッド空港にいたっては、ゲリラ戦の中心部にあたります。航空機に鉄板を貼ったくらいでミサイルやロケットの攻撃を防げるものではありません」『世界』一月号)。
 森本も政府の「説明責任」の不履行をあげつらうが、説明すればこと足れりなどという生やさしい問題でないこともわかっているようだ。森本は、「日米同盟のもとでの日米協力のあり方が、テキサス州クロフォードでの日米会談(〇三年五月)以降、著しく変質している。会談後の記者会見で、小泉首相は、世界の平和と安定のため日米同盟の役割を強化させると説明している。従来の日米同盟は、安保条約第六条にいう極東の範囲に止められていた。インド洋にイージス艦を派遣したときから、日米同盟の適用範囲を広げてしまっている。」とのべている。補足すると、ソ連崩壊後の世界的軍事戦略の再検討を経て発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」の路線をふまえて、アジアについて「安保再定義」のかけ声の下でだされた九六年の日米首脳間の「日米安保共同宣言」では、安保条約六条の実質改定といえる「アジア太平洋地域」への安保の拡大がなされた。この「改定」に日本の国会の承認は一切ない。〇三年五月の首脳会談で、小泉はイラク戦争を支持し、自衛隊派兵をふくむ協力を表明したが、その際ブッシュは「日米同盟は地球的規模のもので共通の利益に基づいている」とのべ、日本政府は「今日の日米同盟が真にグローバルな世界の中の日米同盟であることを確認し、この同盟を強化することで一致した」と成果を誇っている。太平洋から世界へ、いわば、「安保再々定義」である。これらの事態は、行政の長が「説明」すれば済むという話では全くあるまい。国家主権にかかわる根本問題について、国権の最高機関である国会の権限を奪ったという大問題のはずである。
 山口は、「日米安保が、日本の安全保障と無関係なところで、米国の軍事行動を支える枠組みに変わってしまう」「日本には自国の軍隊をハンドリングする政治的な力はない」と事態を率直に語っている。これに対し、船橋、森本にはこうした問題意識は皆無といってよい。「自衛隊を本格的に動かす時代なった」そのための国民への「説明」(=思想動員)が必要だと両人は言う。森本は、近い将来の米国のグローバルな前方展開戦略の変化を予測し、「防衛力」=自衛隊を「海外へ機能発揮」(!?)していくべきで、そのための恒久法制定と改憲が必要だという。
 座談会で、憲法が出てくるのは最後の「改憲」のところだけである。憲法九条、平和主義の持つ意味の検討は皆無である。アメリカの軍事戦略とそれに従属した「日米同盟」の中で、「日本」(?)がいかに軍事力を発揮していくかに終始している。森本は、「テロと大量破壊兵器が結びつく可能性をどう断ち切るかが国際社会の最大課題」だというが、アフガニスタンで対ソ連戦にビンラディンを利用育成したのはアメリカだし、対イラン政策のためにレーガン政権以来潤沢な兵器購入資金を供与し、軍事情報を与え、生物化学兵器の原料まで供給してきたのはアメリカである。ラムズフェルド国防長官がそのためバクダッド訪問をしたことも有名である(酒井啓子『イラクとアメリカ』、ウォルフレン『ブッシュ』)。米政権が石油資本、軍需産業と深い結びつきを持っているのも公知の事実だし、アメリカが世界の平和の使者などではないことは誰でも知っている。“日米同盟”の呪縛で見るべきことも見(え)ないオピニオンリーダーには辟易する。日本の“国益”のためにも、“日米同盟の総決算”がそろそろ必要である。
 なお、「日米安保の在り方を根底から問いかける問題意識もない『国益論』で、この国を米国の世界戦略を丸呑みで支持する国に導くメディアの知的怠惰には驚くばかりである」とする寺島論文(『論座』一月号)は示唆的であった。



日比谷野音集会に娘と参加

東京支部  島 田 修 一

 昨年の一二・一〇イラク派兵阻止日比谷野音集会に娘と参加しました。懇親会の席でどなたかが原稿依頼してくださったとのことで、参加した長女から感想文が届きましたので、団通信に掲載させてください。



野音集会に参加した感想

島 田 令 子

〈時間を間違えたかな……〉
 静まりかえる夜の日比谷公園を足早に横切りながら不安になった。人はまばらに歩いているが、集会が行われているようなざわめきも感じない。だが野音の入口へ出た瞬間、そんな不安は一掃された。拡声器から聞こえるエコーがかったアジテーションの声。色とりどりの旗と圧倒される人いきれ。目の前には、映像でのみ知る、一九六〇年代にいるような異質な光景が広がっていた。
 一二月一〇日。自衛隊イラク派遣反対の集会及びデモに参加した。自らの意志でデモに参加するのは二回目だったが、ほとんど期待はしていなかった。どうせまた、顔にペインティングした若者が歌ったり踊ったりするようなイベントだろう。しらけた声を合わせながらデモるのだろう。前回参加した、芝公園でのデモのときと同じようにー。
 いざ野音の中へ突入し、押すな押すなでようやく中段ほどに位置を取る。周りは慣れているのか、みんな暖かそうなジャンパーにリュック姿で、ひらひらのスカートにロングブーツといういでたちの私は、きっと絵の中から浮いていたに違いない。壇上では入れ替わり立ち替わり演説が行われている。「そうだ!」の掛け声のタイミングもつかめず、居心地はたいそう悪かったが、自衛隊をイラクへ派遣させてはいけないという思いは一緒だと感じた。演説をした女子高校生をはじめ、こんなにもたくさんの人が自分にできることは何かを真剣に考えている。
 「がんばろう」の合唱を合図に、いよいよデモへ繰り出す時間が来た。日比谷公園から旧電通通りへ出て、勤める会社を横目に見ながら夜の銀座を行進する。最初は周囲の目が気になってシュプレヒコールもろくに上げられなかったが、デモ隊の熱気に押され、「憲法九条を守れぇ」「自衛隊のイラク派遣を許すな!」といつのまにか大声に変わっていた。自分の小さな声が、少しでも周囲の人々に届けばいいと思った。
 今回のデモに参加して驚いたのは、日本にもまだ大勢の「熱い」人がいたということだ。政府の方針に異議を唱えないおとなしい国民だと言われているが、意思表示をはっきりと示せる人たちもいる。世界情勢に無頓着で無気力・シラケていると称される世代に属する私は、この熱い数千人の大人たちに感銘を受けずにはいられなかった。無力でもきっと何かが変わるのではないか、そんな一筋の希望を日本にも持てる気がした。
 「訪米阻止!のシュプレヒコールを私が叫んだとて、それに何ができるのか」二〇歳の高野悦子は日記でこういっている。最終的にはそこに陥るかもしれない。彼女の年齢から八年も過ぎてしまったが、遅ればせながらまず叫ぶこと、そこから始めたい。



書 評

『日弁連副会長の日刊メルマガ』

(永尾廣久著花伝社)を読んで

司法改革・裁判員制度を思う

東京支部  小 池 振 一 郎

日弁連の奥の院への誘い

 著者は、二〇〇一年度福岡県弁護士会会長を経て、二〇〇二年度日弁連副会長になった。その副会長一年間の貴重な体験を本書にまとめたものである。「日弁連執行部がどのような活動をしているのか、一般会員にはあまり知られていないと思うし、日弁連の実体を広く知ってもらうことには意味があると考えて」(あとがき)本書をものした意図は十分に成功している。
 本書は、日弁連執行部の昼夜を分かたぬ活動ぶりを紹介している。実際私も、日弁連司法改革実現本部委員のはしくれとして接しているだけに、いつも頭が下がる思いである。
 たとえば、毎週一回朝九時から司法改革の各分野について日弁連執行部と検討会メンバーが窓口会議を開いている。今年度はさらに裁判員制度戦略会議が朝八時から日弁連正副会長、事務総次長、嘱託弁護士に、関連委員会委員が加わって開かれている。私も参加しているが、当初隔週一回のペースだったのに、最近は毎週のように開かれている。また、国会議員の勉強会が朝八時から始まり、私も行刑改革会議や裁判員制度、人権擁護法案等の問題で何度か議員会館に足を運んだが、そこにも担当副会長が時々同席する。
 かくして、日弁連副会長は「東京『常駐』が避けられない状況」(「」内は本書からの引用。以下、同様)になりつつあるようだ。本書は、その「日弁連の奥の院ともいうべき日弁連副会長室へ」の誘いである。

説得と交渉

 著者は、「政権党である自民党も内部を見ると決して『一枚岩』ではない」という。私も、自民党本部で開かれた朝八時からの朝食会(自民党司法制度調査会裁判員制度小委員会)に参加したり、その報告を聞いて、そう思った。彼らは彼らなりに一所懸命議論している。そこには国民の声がそれなりに反映され、様々な議論となっている。そこにいかに説得的な理論を持ち込むか。この会には最高裁や法務省の幹部クラスがいつも参加している。
 そこで著者は、「司法改革についてはいろんな勢力の様々な思惑がからみあい、日々せめぎあいが進行中」であり、「たたかいの武器は事実をふまえた理論と粘り強い交渉しかない」ことに気づく。
 もちろんその交渉力を高めるためには国民運動の発展が重要だ。全国各地で弁護士会主催の裁判員ドラマ上映会が開かれた。私自身、弁護士会や弁政連主催の上映会で、パネラーや司会、説明員として、東京のほか、横浜、川崎、岡山、富山、福岡、鹿児島、岐阜と行脚した。また、裁判員制度だけでなく司法改革の様々なテーマで、日弁連主催のシンポジウムがよく開かれる。その成果がパンフレットなどにまとめられ、検討会委員や国会議員を説得する材料に使われる。日弁連とマスコミとの懇談会も継続的に行われている。今や、週一回定例の記者会見が開かれているようだ。
 こうした運動やマスコミ対策を背景にして、政治家や官僚に対しても「道理で納得」させるべく交渉する。その結果、日弁連の意向がそれなりに通ることも結構あるのだ。「懸命にたたかえば成果があがるし、油断すると負ける。あきらめず、国民の支持を得れば、思わぬ展望も切り拓ける」というのが率直な実感にちがいない。
 司法改革が司法の分野における日本の近代化という側面を多分に有するからだろう。裁判員制度は司法における国民主権をようやく実現するものである。法教育をはじめ、その日本文化に与える影響は測り知れない。裁判員制度の実現が、官僚司法を打破するターニングポイントになりうるし、そうしなければならない。そのために、裁判官の数や裁判員の数をはじめ、最高裁と熾烈なたたかいの最中にある。今のこの時期には、日本の刑事裁判の『絶望的な』(平野龍一教授が二十年前の論文で指摘した)実態をマスコミに訴え、キャリア裁判官だけに任せてはおけないという世論作りを展開しなければ、容易に突破できないかもしれない。マスコミ対策でも、法曹三者は熾烈なたたかいをしているのだ。

前に出るしかない 

 たたかいはダイナミックに展開する。日弁連は、最高裁や官僚と切り結んで「前にうって出るしかない」。「権力の土俵で相撲をとっても負けるばかりで勝てるはずがないという悲観論」は無責任だろう。「市民に開かれた司法をめざして日夜大変な綱引き、せめぎあいがなされているとき、さっさと自分から土俵をおりて不戦敗になるわけにはいかない」のである。様々な部面でたとえ日弁連の意向があまり通らなかったとしても、次なるたたかいの橋頭堡を築くために少しでも勝ち取っておくことが今とりわけ大切だと思う。
 裁判員制度について、刑事訴訟法の抜本的改革が前提であってそれができないなら検討会から日弁連委員を引き上げるべきだという勇ましい意見に対して、著者は、「今まさに最高裁・法務省と精一杯の綱引きをやっているわけで、たたかわずして最悪の制度を押しつけられたと泣き言をいうのではまずい。刑訴法の抜本的改革を含めて前向きに取り組みたい」という。まさに、現実的な感覚といえよう。本書には、日弁連執行部の日常が本林会長や大川事務総長などの実名入り(副会長はあだ名)で淡々とユーモアをまじえて描かれている。著者自身の副会長としての仕事ぶりも実に正直に、何のてらいもなく、書かれており、著者の人間性が現れている。司法改革を、日弁連を語るためには、必読文献である。
 司法改革は「政治そのものだ」という著者に、次作は、司法改革と日弁連活動にしぼった、政界・官界工作の裏話、「官僚のしぶとさ」をみたという「政治」の裏表の書き下ろしを期待したい。



日弁連と韓国弁護士協会が共同で取り組む

東北アジア平和シンポのご案内

東京支部  藤 原 真 由 美

 「二一世紀を真に平和と人権の世紀とすることを願う私たちは、アジアの法律家との交流をいっそう深め、アジアの市民・NGOとの協力関係を強める中で、ことに東北アジアにおいて国際社会の原則が貫かれるよう、力を尽くす必要がある」ーこれは、昨年松山で開催された日弁連人権大会での会長挨拶の一節。有事法制反対を貫く日弁連は、今、超大国アメリカの力による支配ではない、国際法に則った「法の支配」を求めて、韓国弁護士協会と共催という画期的なシンポジウムを企画、準備しています。
 シンポの内容は下記のとおりです。基調講演者のアニファさんは国連のNGO担当の要職にあり、武力によらない平和な国際社会創りにはNGOの力が不可欠で、国連にNGOの声を届けるネットワークが必要だと訴えて、全世界を駆け回っている方です。
 シンポの準備段階から、ピースボートや創価学会など多様なNGOが積極的に加わり、国連広報センターも後援団体に加わるなど、関心は着々と高まりつつあります。東北アジア地域で、国連NGO同士が顔をあわせること自体初めてのこと。団員のみなさん、この画期的なシンポに参加し、これからの平和構築にむけたアイディアを大いに語り合いませんか?

          

一、日時  二月七日(土)一時〜五時半
二、場所  日弁連会館二階 クレオ
三、タイトル 「東北アジアにおける国連NGOの役割と、市民による平和構築を考える」
四、内容
 1 基調講演
 ・李 鍾元(立教大学法学部教授)
  ー平和をめぐる世界と東北アジアの現状と課題ー
 ・アニファ・メゾウイ(国連経社理事会NGO部長)
  ー国連NGOはどうやって平和を創っていけるかー
 2 パネルディスカッション
 ・韓国弁護士協会役員
 ・吉岡達也(ピースボート)
 ・君島東彦(北海学園大学教授)
 ・韓国・参与連帯        他