<<目次へ 団通信1121号(3月1日)
井上 洋子 | 英インデペンデント紙からみたイラクへの自衛隊派遣 | |
都築 眞 | 2月5日ピース・キャンドルナイトに参加して | |
森口 尚子 | 2・5キャンドルパレードに参加して | |
渡辺 ゆき | ピース・キャンドルナイトがくれたもの | |
田中 宏 | 二・五に関して | |
瀬野 俊之 | 「なにをなすべきか」ではなく | |
森脇 圭子 | 感謝を込めて | |
井出由美子 | ピースキャンドルナイトに共感の声、続く! | |
堀田 千尋 | チラシのイメージを超えた夜 | |
幸地 洋子 | イラクの空に | |
石川あゆみ | 感想 | |
参加者から寄せられた声!2・5スタッフに届いた携帯メール | ||
原野早知子 | 参加者約一〇〇人でピーストワイライトデモ | |
神田 高 | メディア寸評ー大江健三郎と加藤周一 | |
鶴見 祐策 | Jネットフアンクラブ横浜「現職裁判官おおいに語る」購読の薦め |
大阪支部 井 上 洋 子
1 二〇〇四年二月九日の英インデペンデント紙第一面は、「日本軍、この六〇年間で初めて戦闘地域に入る。」という見出しで、サマワに到着した日の丸付き軍事トラックとそこから手を振る日本兵の写真を紹介していました。
英国紙は日頃は日本のニュースは商経済分野を除きほとんど報道しません。しかし、二〇〇三年一二月イラク派兵が決まった以後は、カタールとクゥエートへの派兵、サマワへの派兵を報道し、「日本の憲法は平和主義で自衛権しか認めていない。」「国民の五割はイラクへの海外派兵に反対している。」「自民党は憲法改正をめざしている。」と、日本の背景事情に関する報道が散見されます。
テレビではチャンネル4が一月に「日本の戦争」という二時間ドキュメンタリーを報道しました。これは第二次世界大戦に突入し破局を迎えるまでの日本の動きを軍事行動を中心にまとめたものです。日本の行動の無計画さ、残虐さ、全体主義、そして多くの死と破壊による悲劇が描かれていました。
2 さらに二月一八日のインデペンデント紙には「日本は平和主義のマントを捨てて再び軍事国家主義の旗を掲げた。」という見出しの記事が出ていました。(東京駐在のDavid McNeill記者によるもの)これは写真、記事本文として日本の状況、囲み記事として自衛隊装備の紹介の三部から成っています。
写真は二月一五日に出航した海上自衛艦「村雨」とそれを日章旗を振って見送る人々の姿でした。日の丸ではなく日章旗の復活を写しているのが刺激的です。
本文では、(1)国旗掲揚と国歌斉唱に反対する教師にインタビューし、かれらが少数派になりつつあること。しかし彼らは極右に脅されながらも「私たちが反対しないで誰が生徒と教育を守れるのか」と運動を続けていること。一月に二二八名の教師が東京都に対して思想信条の自由の侵害を理由として訴訟を提起したこと。(2)小泉首相が中国や韓国の怒りを無視して軍国者の象徴たる靖国神社を再構築しようとしていること。(3)国家主義がここ数年台頭し、それが北朝鮮拉致事件で加速化されたこと、教育に愛国主義的視点が導入されようとし、憲法改正の動きもある、という一橋大学の政治学者の加藤氏の分析を紹介しています。また、(4)イラク派兵は憲法九条違反であるが、護憲派の社民党と共産党は一一月総選挙で議席を減らし、第二党の民主党は憲法改正を支持していること。(5)日本にとっての真の脅威は北朝鮮と中国問題での石原都知事の言動がそれを象徴していること。などをあげて軍事国家主義が台頭する背景がそろいつつあることを報道しています。
自衛隊の装備の紹介部分では、日本を「眠れる巨人」と評しています。それによれば、「二三万八〇〇〇人の兵士、二〇三機のF15戦闘機、三二機のF2戦闘機、一隻一億二〇〇〇万円のイージス艦が四隻等米国に次いで最新鋭で多量の兵器を有している。自衛隊員は実戦経験はないものの規律よく、訓練が行き届いている。しかも給料がよく、イラク駐在兵は一日二万四〇〇〇円の給料、万一死亡の場合には遺族は九〇〇〇万円から一億円の金を受け取る。核兵器は持っていないが、小沢一郎氏によれば数ヶ月のうちに開発可能といわれている。」と日本が脅威であることを報道しています。
その中でも私が驚いたのはF15戦闘機の保有が米国から許されているのはサウジアラビアとイスラエルと日本の三国しかないということです。この三国が米国の利権の前線基地であることがよくわかります。
3 インデペンデント紙は家永三郎氏が亡くなったときにJames Kirkup氏の手になる死亡記事を紙面の三分の一のスペースを取って載せ、教科書検閲と闘い続けた信念の歴史学者として高く評価していました。私はこの記事で家永氏がノーベル平和賞候補の一人であったことを知りました。家永教科書裁判の最高裁判決は当時のBBCニュースでもトップの報道でしたから、イギリスでは日本の軍国主義化に対する懸念、関心があるようです。多くのイギリス兵が中国、東南アジアで日本軍と実際に闘い、捕虜となったという背景があるのだと思います。
イギリスから日本がどんなふうに見えているか参考になればと思い、一部をご紹介しました。
関西合同法律事務所事務局 都 築 眞
二月五日夜、「自衛隊はアメリカのイラク占領に手をかすな!」「自衛隊のイラク派兵を撤回せよ!」「イラクに軍服はいらない!」「家族に自衛隊員を帰せ!」・・・・全国各地からろうそく、ペンライト、ちょうちん、ランタンなどを持ち寄り、赤・青・黄の灯がゆれる一万人の平和の光の波で、防衛庁を包み込んだピース・キャンドルナイト。
思い思いのパフォーマンスで反戦平和とイラクに自衛隊派兵反対の訴えを、時よりの強い風にろうそくが消えないようにかばいながら、こころ一つになって行進をしました。
このピース・キャンドルナイトに関西合同法律事務所から弁護士一名、事務局二名参加をしました。
防衛庁の正門前では、ろうそくやペンライトなどを高く掲げ「自衛隊は侵略者に加担をするな!」など満身の怒りを込めてシュプレヒコールを繰り返し、マスコミがどんな宣伝をしようと、派兵をくい止めたい、イラクにいった自衛隊員は一日も早く一人残らず引き上げさせたい、この国を「戦争をする国」にさせないという思いで、「撤兵」の声を力強くあげ、歩いてきました。
翌日の一般の新聞には意図的に報道されなかったことが、腹立たしく思っています。
我が事務所では、事務所が中心となり地域の民主団体や労働組合などで「有事法制に反対する北区の会」を作り、街頭宣伝・署名、集会、デモなど取り組んで多くの署名を集約しています。
いまも、毎週水曜日には街頭宣伝・署名を行っており、劇的なドラマも生まれています。
自衛隊のイラク派兵の既成事実化がどんどん進もうとも、私たちの子ども達が大きくなったとき、日本が「戦争をする国」「徴兵制の国」にならないよう、また、憲法九条を持つ日本が、外国の軍事占領に加わる事は絶対に許されないし、米英国による占領支配をやめさせ、国連中心のイラク復興の声をさらに大きく高くあげていかなければと思いを新たにしました。
この力を、三月二〇日の「イラク戦争、占領に反対する世界同時行動」に繋げて行きたいと思っています。
関西合同法律事務所事務局 森 口 尚 子
いつにも増して、寒さが厳しく風が吹き荒れた二〇〇四年二月五日。強風で何度も消えてしまいそうになるキャンドルの灯をかばいながらのパレードとなりました。一人での参加や老夫婦、学生など参加者も様々でしたが、それぞれの強い思いを抱きながら、キャンドルを灯し、その灯で防衛庁を取り囲み、大声でイラク派兵反対を伝えてきました。みんなの心が一つになったパレードだったと思います。
明治公園から防衛庁までの道のりの途中、慶応付属病院の前を通るコースであったのですが、病院前は治療中の患者さんを考慮して声や音は出さずに、行進しましょうということになりました。これは今後取り入れるべき配慮ではないでしょうか。
各メディアにはキャンドルパレードのことはほとんど取り上げられることなく終わってしまいましたが、五〇〇〇人の参加者が一万人に膨れ上がったことや、パレードの最中手を振って応援してくれた方々がいたこと、それらがイラク派兵反対への私達の思いを支えてくれたと思います。自衛隊は派兵されてしまいましたが、今からでも遅くない、派兵反対の声を強くしていかねばと改めて感じることができたパレードでした。
都民中央法律事務所事務局 渡 辺 ゆ き
二・五の準備に私が俄然熱を入れ出したのは、去年末、仮チラシを作った時期でした。それまでは、仕事や他のことで頭がいっぱいだったのに、気がついたらびっくりする位、この運動にはまっていました。それもこれも、今まであまり活発に活動してこなかった反動と、今回の企画(キャンドルとゴスペル)の成せる業でしょう。
それから何と言っても、言い出しっぺの瀬野さんの存在は大きい。きっと瀬野さんの胸中には、一二月に亡くなった同僚小山弁護士への思いや、草の根からの運動をおこして護憲の声を高めなくちゃという気持ちがあったのでしょう。何度も飲んでは「俺はやっちゃるき!」(平塚生まれなのに、なぜか酔うと土佐弁が‥)という雄叫びをくりかえし聞いているうちに、私もやらなくちゃ、という思いが芽生えたのです。
思いに火がついたら、燃え広がるのはあっという間でした。こうなったら、今までにないすてきな集会にしよう、ただの派兵反対を声高に叫ぶだけでないもの、皆が自分で工夫してアピールできるようにとアイディアを出しました。キャンドルピースコール、一晩限りのゴスペルユニット等はそこから生まれました。いろいろ苦労はあったけれど、やり残した事は一つもなく、すがすがしい気持ちで二・五の朝を迎えました。
その結晶が、当日集まった一つひとつの灯・光なんだと思います。ステージから見ても、まるで宝箱のようで、あの場で歌えて私は幸せでした。パレードは歩けなくて残念でしたが、後で写真を見ると、皆上気した顔で大切に灯を持って写っています。普段の集会ではめったに見られない光景でしょう。また、当日が迫るにつれ、準備で当事務所へやってくる新宿地域や弁護士の皆さんの顔が、いたずらっ子のように、本当にいきいきしてきたのがとても印象的でした。私もその一員となれた事が、とても嬉しく、また誇りに思っています。ありがとうございました。
都民中央法律事務所事務局 田 中 宏
業務中に買い物をし、実験をした四週間。集会の主役である韓国式キャンドルの担当は、プレッシャーがあった。火が消えてしまったらどうしよう。日々消えないようにするにはどうしたらよいか考えた。ローソクや紙コップを買い揃え研究した。安全性を考慮して普通の風であれば持って歩いても消えないように設定した。
二・五当日、昼から強い風が出てきた。何度神に訴えたことか。風よやめ!天までもわれわれに味方しないのか!安全性を重視した口径の広い紙コップ。高さがない分、風には弱かった。防風効果を考えればもう少し高さのある紙コップが欲しかった。
強風で火が消え、参加した人々には何度も火をつけなければならなくなってしまって、迷惑をかけたことをお詫びしたい。もう少し何とかできなかったのだろうかと今になってから思う。今回最大の後悔である。非常に残念だった。
しかし、当日は強風に何度もローソクの火を消されが、参加した人々の心にともった平和の火は、強風ごときには消されない。確実にメラメラと燃えているはずである・・・と思いたい。
連絡先事務所ということで、運動の中心にいたからこそ得られる情報、苦労や喜び、面白さがあった。参加できないから電話だけでもとかけてきた人、個人参加希望の人、マスコミからの問い合わせ。忙しいなかで対応するのは大変だったが、確実に自分の活力、集会への希望になっていった。運動の広がりを肌で感じることができる場であった。
最後に、事務局員になってまだ一年足らずの若造がこんなことを言うのもおこがましいが、集会が成功したのは、事務所の協力があったからに他ならない。事務局は準備に追われ業務は麻痺した。しかし、誰からも不平の声は聞こえなかった。これがなければ二・五はありえなかった。都民中央法律事務所に就職してよかった。
みんなが参加してみたくなる面白そうな企画にまた挑戦したい。
東京支部 瀬 野 俊 之
社会的運動は、個々人の思想の体現、その集合です。「任務意識」に基づく行動の集合であってはならないと思うんです。
非戦の誓い、戦争放棄の誓いは、思想そのものです。個々人の、その思想は、論理的であったり、情緒的であったり、戦争に対する生理的な嫌悪であったり、あるいは原体験に基づくものであったりします。個性にもとづく思想が社会に向けて現象し、他者と共振するとき、その思想は個性を超えて運動に転化します。
わたしが問題にする「任務意識」とは、さまざまな要因で生じる「事なかれ主義」と結びついた任務意識です。
この「任務意識」から生まれた、あるいは「任務意識」に基づいて提起される運動は、他と共振しない、共鳴しないと思うんです。任務を完遂しようとすれば、結果を求めることになりますから、他から批判を受けない「安心できる」結果(無難な数字)を求め、動員型の運動になりがちです。動員を要請された側は、度重なる動員要請に疲れてしまって、任務というより、義務感が先に立つようになります。狭い社会内での自己保身の意識も働くでしょう。集会やデモに参加しなければ、自己が属する団体内で気まずくなってしまうという。これでは,「事なかれ主義」が共振しているにすぎません。
自己の思想を他者に向かって表現することは、ひとつの欲求です。これがまず先にあって、これをやり遂げようとする場合には、やることが山ほど出てきます(田中隆さんの労作・「2,5」の実務報告を見れば分かります)。しかしこれは楽しい。任務はあとからついてくるものでしょう。
いま私たちは、「改憲」という逆流の中にいます。坂本修さん流に言えば、「黒い濁流」ということになるのでしょうか。逆流を、生命継承のため、満身創痍で駆け上る鮭は美しい。その生き方はあこがれでもあります。
しかし世の中、少しレンズを引いて見てみると、「逆流」は見えにくい。金の流れ(経済)や情報の流れ(マスコミ)など、「改憲」の流れとは質の違う流れが、少なくとも人の脳の中では相殺し合い、静寂な湖面を形成しているかのようです。湖面には悩めるあめんぼうが多数棲息しています。わたしもその一人です。だから、自分に問いかけるんです。「おまえが、今、本当にやりたいことは何なんだ」と。
団本部専従事務局 森 脇 圭 子
みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。遠くから駆けつけてくださった団員・事務局のみなさん、STAFFとして無理をきいてくださった東京支部の団員のみなさんや法律事務所の事務局員のみなさん、当日は行けないけれどとメールで励ましてくれたみなさん、本当にありがとうございました。それから、インターネットやメールをみて集まってくれたという見知らぬみなさん、制服姿で駆けつけてくれた高校生のみなさんにもありがとうをいいたいと思います。なにより、この、とんでもない発想(と当初は思っていた)の企画に私を巻き込んでくれた都民中央の瀬野さんはじめ、都民中央事務所の事務局のみなさんや新宿地域のみなさんにも、心からお礼を言いたいと思います。だって、こんなに楽しかったことは本当に久しぶりでしたから。
二・五当日、明治公園に隣接する日本青年館のレストランで、田中隆さん、専従の薄井さん、東京支部専従の岡本さんと昼を食べた後、ふっと、まだただ明るくてだだっ広いだけの明治公園に一人で行ってみた。風が強くて、昼休みのサラリーマン、OLらしき人たちがおしゃべりしながら公園を突っ切るのを見ながら、何となくジョン・レノンのイマジンを口ずさみながら、想像してみた。夜になってあちこちからキャンドルを手にしたたくさんの人たちがここに集まってくる。公園が浮かび上がるようなオレンジの灯火。みんながイラク派兵に反対と声をあげる。オレンジの光が川のようなうねりになって防衛庁に向かって歩き出す。数時間後、想像は現実になった。嬉しかったなあ。
「人は僕を想像家というかもしれない。でもそれは僕だけじゃない。いつか君も僕たちの仲間になってくれれば、世界は変わるだろう。」(IMAGINE/JOHN LENNON)
例えば、ある朝のニュースを想像してみる。
『連日キャンドルを手にした自衛隊のイラク派兵反対を訴える市民が、防衛庁、国会、首相官邸などに集まっているのは昨夜もお伝えしたとおりですが、小泉首相はついに何らかの決断をしたようです。このあと官邸より生中継でお伝えします…』
今、2・5が終わって、ちょっと、「祭りの後の寂しさ」気分。この準備で、ずっと読めなかった全国各地からの事務所ニュースに目を通してみた。
時々、ライブ友達にもなってくれる横浜法律事務所の杉本朗さんの文章が目にとまった。杉本さんの記事の文末に紹介されていた道浦母登子さんの詠ったもの。
〈世界より私が大事〉簡潔にただ率直に本音を言えば
そうだ、二・五は自分のために取り組んだんだなと思った。そうせずにはいられなかったから。今、ここにいる自分は何かをしたいと思っているのだと感じた。誰かや何かのためにしなくちゃいけないというのとは違う。こんな嫌な時代に生まれちゃったけど、今じゃなくちゃ出来ないこともあるかもしれない。幸せなことに、私には一緒にいろんなことに巻き込んでくれる仲間もいる。諦めると後悔するなと思った。
だから感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
東京平和委員会副会長 井 出 由 美 子
「2・5」は、ほんとうにたくさんの人に勇気と感動を与えました。二月五日の翌週、地元新宿では、区内のさまざまな民主運動に参加している人たちが集まっての会議がありました。多くの人が発言しましたが、どの人も「2・5」について話しました。職場で実行委員会をつくって参加者を募ったという病院の看護婦さん。労働組合の役員。業者の方。大学生などなど。
私が一番印象に残ったのは、車いすで参加した人の喜びを紹介してくれた発言。「車いすの彼は、平和への想いから、どうしても二月五日に参加したかった。いつも自分は、集会に参加しても、皆の足手まといになってしまうという思いから、『どうぞ、お先に』と言ってしまう。だけど、2・5では、車いすを最初から最後まで押してくれた若者がいた。最後までパレードをみんなと一緒に歩くことができた、本当にうれしかった。彼はそう言って心から喜んでくれた」と語ってくれました。みんなが自発的に参加した集会とパレード。ろうそくの火は風に何度も吹き消されたけれど、隣の人から火をもらい、また別の人に火をあげて、命の灯をつなげたパレード。だから、参加者みんなが優しくなれたのだと思います。
「2・5」は、本当に寒い夜でした。冷たい風が明治公園を吹き抜けました。そんな夜であったにもかかわらず、一万人もの人が参加したのは、「防衛庁へ平和の灯を」「ピースキャンドルナイト」という企画自体の魅力ももちろんありますが、都民中央法律事務所のみなさんをはじめ自由法曹団のみなさんが、楽しそうに、真剣に訴えた、そして行動した、その結果だろうと思います。
この行動は、都民中央法律事務所の瀬野さんが提起したものでした。誰かが「三〇〇人くらいは集めよう」と言ったのですが、瀬野さんが「なに言ってんのかなあ、八千人から一万人の規模でやろう」と無茶なことを言ったのです。これが年末。年が明けてみたら、瀬野さんが「明治公園を押さえた、明治公園なら一万人でしょ」と言ったのには本当にびっくりしました。「(創価)学会通り、通るから。」これにもびっくり。このころから自由法曹団のみなさんが精力的に動き始め、一月八日の実行委員会を経て、全都の平和団体、個人、労働組合へと、あっという間に広がっていきました。
私がふだん接する自由法曹団の弁護士さんは、平和を論理で訴え、人権問題などを学習会やシンポジウムで説明するという大切な役割を担った人たちです。だけれども、「2・5」では、違った面を見せてもらいました。体を動かし、集会の段取りやデモの申請に奔走し、三〇〇〇個ものキャンドルをつくり、シュプレヒコールのテープをつくるなどなど、大きな集会を仕切った弁護士さんの姿は新鮮でした。警察へのデモ申請では、何度もコースの変更を迫られても、イラク派兵の鍵を握る、公明党本部と創価学会の建物が二〇近くもある外苑東通りは譲れないと最後までがんばったと聞きました。信濃町周辺の創価学会の前では、シュプレヒコールがひときわ元気でした。
自由法曹団のみなさんは弁護士さん特有の難しい顔をしていなかったでしょう(怒らないでくださいね。「自由法曹団の弁護士はそんなこといわれたって怒らない、かえって喜ぶよ」というのは瀬野さんの弁)。パレードの最後は、私たち地元新宿と赤い腕章をした自由法曹団のみなさん。底冷えのする寒空の中、出発までに長時間待たされたのに、みなさん笑顔でした。子どもたちが、アイデアを出し合ってつくった「遊び」を楽しんでいるような、そんな表情が印象的でした。
二月一日、沖縄で開催された日本平和大会。この日、五つの行動提起がありましたが、「2・5」がそのうちの一つに入っていました。新宿から草の根で始まった運動が、全国の人の共感を呼び、「2・5」の成功に全力で取り組むことが確認されたことに大きな感銘を受けました。平和委員会がさまざまな団体と一緒になって、自由法曹団のみなさんと「2・5」の行動に取り組めたことに感謝しています。ありがとうございました。
デザイナー 堀 田 千 尋
二〇〇三年一二月、都民中央法律事務所の瀬野さんと渡辺さんからメールが届いた。イラク戦争反対、イラク派兵反対を訴える激しいインパクトを感じた。それで私はチラシのデザインを担当することになった。
実行委員会にも参加して、私なりにイメージをふくらませた。都会の夜に平和のキャンドルが掲げられた集会とパレード。その雰囲気をイメージできるような、楽しみにできるような、そんな感じ。
印刷は、この行動に賛同し、共感できる仲間に頼んだ。
当日は一万人の平和の灯が集まり、素晴らしい夜になった。チラシのイメージを超えた。
この感動は忘れない。日常の毎日の中で「平和になるためにできることってなんだろう」って考えていきたい。
アピールもしていきたい。微力でも、自分なりに意志表示していくことで変わる社会、未来があるんだと。
あきらめない。しつこく「武器は持たない、戦争はしない。憲法九条を守れ!」と声をあげていこう(当日は友達四人で赤い手作りポンチョにpieceの文字を入れて参加しました。これからも活用していきたい)。
幸 地 洋 子
二・五防衛庁を平和の灯で取り囲もう!お疲れ様でした。そして一万人を超える参加者で大成功にこころを熱くしています。車の手配では大変お世話をおかけし、ありがとうございました。
私は、いま透析二四年目を生きています。また新たな合併症の段階に入ったのかなぁと覚悟しつつ、そのような状況の中でも仲間のみなさんの力を借りながら、その時、自分にできることを自分らしくやっていきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。
ところで、車に乗っていての感動は、明治公園から最終地点までの沿道からの参加者でした。二〜三人あるいは五〜六人と、仕事を終えて駆けつけた、またご近所の方でしょうか、それらしき人の姿をいたるところで見ました。曙橋あたりでは、おおくぼ戸山診療所のスタッフの顔、武田栄子ちゃんから「静かだよ、だめでしょ」と、声がかかり、車の中にマイクのセットが乗せられていることを運転している方が話され、意を決して、貴重な初めての体験をしました。 市谷の町に、防衛庁に、イラクの空に届けとマイクをにぎり心から呼びかけました。ただ乗っていた自分、そのことに思いも至らない自分、どんなところでも工夫していくことの大切なこと。さすが栄子ちゃん、また一つ自分自身の中の「なにか」を教えられました。
童心社労組 石 川 あ ゆ み
二月五日当日、キャンドル班として働くことになり、今村総長の指示にしたがい、JR千駄ヶ谷駅側の入り口でキャンドルを配ることになった。友人三人とおそろいの赤いポンチョを着て。参加者は開始時間三〇分前からそろりそろりと集まり、六時三〇分過ぎには、キャンドルを手渡す手も忙しく、小走りになるほどになった。「個人参加なんですけれど、どこでもいいですか」とか、「個人ですけれど、いいんですか」と気さくに声をかけられた。参加者が、それぞれの想いを込めて、キャンドルを持参してくれたことに感激した。キャンドルを手渡そうとすると、「作ってきましたから」「もってます」と得意気に語る表情はとても生き生きしていて励まされた。「戦争はイヤ」など、言葉や絵が入ったすてきなキャンドルが多かった。いろいろなキャンドルを見て楽しくなった。みんなのハートは本物だって、うれしくなった。
パレードに出て、外国の人から日本語で「がんばれ」と励まされ、こちらから「サンキュー」でこたえた。戦争反対は世界共通だ。アメリカは侵略をやめろ!ブッシュは世界をかえせ!そうそう、中央舞台にも上がって、NO、BUSHって叫んだ。何人参加したんだろう、って気にしながら歩いた。
解散地点で聞いた一万人。よかった、本当によかった。はじめて生で聴いたゴスペル。ゴスペルを聴きながら配ったキャンドル。また、やりたいと思う。
◆明治公園、本当に沢山の人が集まっていたね。ビラを渡すときも、次から次へと人が来て、本当に驚いた。みんなの思いに、沢山の人が共感して、足を運んでくれたんだなと思います。
◆今日はありがとね。あんなにパレードに参加する人達がいてびっくりした。きっと海の向こうまでPEACE CALLは届いてると思うな。それじゃまたリハでね。お疲れさまでした〜。
◆五〇〇〇人の前でソロデビューしちゃった!(一夜限りのユニット、ゴスペルシンガー12の仲間より)
◆昨日の集会はご苦労様でした。ステージ?で歌ってるのが見えました。それと歌のおねえさん?役ご苦労様でした。一万人参加はすごかったね。
◆いい集会でした。よく集まりましたね。日本の民主主義と平和を希求する勢力の力は、まだまだ大丈夫です。坂本先生のあいさつは、メディアの一角で仕事をする一人として、あってはならないことなのですが、不覚ながら涙が出てしまいました。
◆新宿から発信したこのとりくみが、全国に広がった。本来呼びかける立場にある私のメールにもいろんなところから参加の呼びかけがあった。これまではなかったこと。
◆足の弱い方が、曙橋から一生懸命ついてきた。うれしかった。
◆警備をしていたが、普通のおじさんがよってきて、行進を見ながら自分の戦争体験を一所懸命に語っていた
◆会場に入ったときに聞こえたゴスペルはすごくよかった。ロマンチックで。今までにない演出。キャンドルととてもよく合っていた。
◆パレードでは音楽を流したりしたかった。舞台がないのがかえっていい。手作りでお金をかけてない感じがしたから。こういう行動を待っていた!
◆初めてこういう集会に参加した。感動した。うるうるしてしまった。特に最後のところで〜。
◆会場でやっていたラップ調の「NO WAR!」は乗りやすい。ああいうのすごくいい。あのままパレードでもやりたかった。
この特集は「二〇〇四年 二・五特集号東京支部ニュース?362」から、一部抜粋転載させていただきました。
自由法曹団のホームページに、ピースキャンドルナイトの動画をUPしました。ぜひご覧ください。
大阪支部 原 野 早 知 子
二月一三日夕方、大阪市天王寺区の上汐公園から、上本町を経由して鶴橋まで、手に手にプラカード、明かり、横断幕などを持って、ピーストワイライトデモを行いました。
大阪法律事務所では、これまで何度かイラク派兵反対の街頭宣伝を上本町で行ってきたのですが「街頭宣伝だけではなく、デモもやってみよう!」とのことで企画をしました。更に、事務所の所員だけでなく、地域の労働者や市民のみなさんにも参加をよびかけました。
出発地の上汐公園には約四〇名が集合。プラカードやペンライトを準備し、大阪法律事務所の所員が熊とカンガルーの着ぐるみを身につけ、先頭に立って出発。道々、「政府は派兵命令を撤回せよ!」「自衛隊はブッシュの手先になるな!」などと元気にシュプレヒコール。沿道の建物からも何事かとカーテンを開けて見る人もあり、市民の関心を引いていました。途中から、仕事を終えた労働者のみなさんが合流してくださり、解散地点では、約一〇〇人の参加のデモになっていました。
自衛隊のイラク派兵がいよいよ本格的になりつつある今、引き続き無法な派兵を許さないため、市民の運動がなにより重要です。今回のデモもささやかな取組ではありましたが、「平和のために何か行動をしたい」という労働者・市民のみなさんが積極的に参加してくださいました。
日本全国の法律事務所でこのような活動の呼びかけを行い、イラク派兵反対の声を燎原の火のように広げていきましょう。
東京支部 神 田 高
1 沖縄の平和大会からの帰路、大江健三郎のファンタジー『二百年の子供』を読み終えた。
父の郷里のシイの木にあるタイムマシンに乗った三兄妹が、一二〇年前の江戸末期に行き、農民の抵抗運動、「逃散」の指導者である童子と出会うが、童子は獄死してしまう。今度は八〇年後の未来へ向かうがそこは思っていたほど明るい世の中ではなかった。利発な弟は、今を生きることの「むいみ」さを自問するが、鬱病から回復しつつある父は、自分の生きてきた時代をふり返って話す。“政治の世界や、実業界や、マスコミで権力を握る連中は、「新しい人」(国家に仕える国民)を作ろうとする。この国の戦争のときも、今もまた”“私らの大切な仕事は、未来を作るということだ。私らはいまを生きているようでも、いまに溶け込んでいる未来を生きている。”“もう残っている(自分の)いまは短いが、そこにふくまれる未来を見ようと思い立ってね。”
六〇年安保当時にはやった子供たちのデモごっこを真似する大人達のシーンで終わる重厚な前作『憂い顔の童子』と比べるとスッポリ抜け出た感じがした。
2 『軍縮問題資料2月号』で加藤周一と寺島実郎が“迷走する日本”について対談している。
知識人のあり方について寺島が問題提起している。“イラク戦争とか、九・一一テロが起こった時、広い意味での知識人、知という世界に責任をもって生きている人間というのは、「機会は急にあり」ってやつで、突然襲い掛かってきた出来事に、瞬間技のように自分の蓄積してきた知力をもって、瞬発力を持って立ち向かわなければいけないことって人生の間にあるのですね。”“ところが、(日本の知識人は)この瞬間にこそ自分の存在をかけて発言しなきゃいけない瞬間に、すすっと腰を引くんですよね。”
日本の知的基盤の脆弱さの指摘を受けて、加藤周一は“知的活動を先へ進める、ある方角へ進めていく力は、知的能力じゃない。感情的な、一種の直感と結びついた感情的なものだと思う。”加藤は、目の前で子供が殺されたら怒る能力がなければならない、それは、人間の本質、人間の尊厳の問題だと言う。“人間の尊厳を守ることは場合によっては、犠牲を伴うかもしれないけれで、それでも守るということがあって、その先には知的世界が展開するわけです。知的世界を展開させる原動力が弱まった。だから今は、知的な退廃がそれに伴って起こっているのだと思う”“アフガンやイラクの子どもたちの顔写真集も大事です。知的操作の出発点ですから”(私も、アフガン難民の少女たちの写真を使って派兵反対のポスターを作らせてもらった)。
大江健三郎の奮闘や、日本ペンクラブの派兵反対アピールなどは心強いが、“知識人”の一翼の弁護士集団が呼びかけ二・五集会を成功させた意義は大きい。寒風の下、防衛庁包囲パレードの上空に冴える満月の光は、未来の“新しい子供たち”をも照らしだしているように思われた。
東京支部 鶴 見 祐 策
「司法反動」が問われてから久しい。裁判官の官僚統制がどのように行われているか、それが、どのような経絡で裁判の現場に到達するのか、その実態とメカニズムに関心を抱かざるを得ない。青法協から脱退を肯んじない裁判官、最高裁の判例に逆らった裁判官たちが、事務総局に棲む一群の官僚によって差別されてきた。その実態は、ここ数年の出版物や当事者の発言のおかげで、ようやく日の目を見るようになったように思われる。特定の裁判官に対する誰の目にも不当と見える扱いは、それが理不尽であればあるほど、大きな効果的をあげるものである。裁判官の多くは、自らの職責に誇りを持ち、良心と独立を自負していることであろう。しかし、自分が差別の対象になることは誰でも避けたい。だから傍目から不当と思っても、自分からは発言しないのだと思われる。それが全体を覆う沈滞の原因である。
裁判官ネットワークが結成され、まだ少ないけれども裁判官が、さまざまな場面で発言するようになったのは、その意味では大きな前進というべきだろう。「国民に開かれた裁判所」という観点からも高く評価できる。これをバックアップする市民の運動がある。「Jネットフアンクラブ」というのだそうだ。これも特筆に値するだろう。
国民救援会で活躍された武山哲夫さんが、横浜で開かれた集まりでの現職裁判官の講演をパンフにしている。この講演は、謙虚な姿勢を保ちながらも、「保守的でタカ派的傾向が大手を振るっていた」「裁判所の冬の時代」を回顧しながら、現在につながる問題点について、かなり率直に語っておられ、たいへん興味深いものがある。焦点の司法問題に団員が取組む際に参考となる文献なので紹介したいと思う。
(問合せ先・「J−ネットフアンクラブ横浜」
〒240-0044横浜市保土ヶ谷区仏向町一六五六ー五 武山哲夫方
TEL・FAX〇四五・三三五・〇九〇三/頒価一〇〇円)