<<目次へ 団通信1124号(4月1日)
島田 修一 | 滋賀五月集会特集号(1) 滋賀・五月集会への参加を呼びかけます |
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吉原 稔 | 琵琶湖・湖北で開かれる五月集会にお越し下さい | |
瀬野 俊之 | 戦争法反対のリーフレット見つめよう、この国のいま想像してみよう、この国のゆくえ完成しました。普及をお願いします | |
城塚 健之 | 「遠大な計画」 | |
鶴見 祐策 | 裁判所法一部改正案(速記官補の削除)に対する付帯決議に関連して |
幹事長 島 田 修 一
一 昨年一〇月の福岡総会において、私たちは、「この国の右傾化と憲法破壊のテンポが著しく加速」している局面に「どう立ち向うか」を最大のテーマに討論を深め、反動攻勢に対抗する国民戦線を構築していく運動に精力的に取り組むことを確認しました。しかし、総会直後の総選挙において自民党と民主党の「二大政党」の足掛かりを作った支配勢力は、ミサイル防衛システムの導入決定に続き、戦後日本が築いてきた平和主義と立憲主義を破壊する自衛隊のイラク出兵を遂に強行し、北朝鮮に対する経済制裁法を成立させ、三月九日には有事関連七法案等を国会に提出してきました。この国を戦争国家につくりかえ、米国の先制攻撃戦略への全面参戦体制を今国会中に作りあげようとしています。
また、雇用破壊や賃下げ、社会保障削減などの新自由主義改革、国家と企業に有為な人材育成をめざす教育基本法改悪、「裁く側の都合」を最優先し、「裁かれる側の防御権」を現状より大きく後退させる裁判員法案・刑訴法「改正」法案等々、この国の構造を大転換させる枠組みをも今国会で作りあげようとしています。さらに、自民党は〇五年一一月に「改正」案を発表して〇七年には国民投票という明文改憲の政治日程をいよいよ明らかにし、民主と公明も「改正」の検討に着手、財界と一部マスコミも後押しするように、支配勢力による九条「改正」が公然かつ本格的に打ち出され、そのための国民投票法案まで今国会に提出しようとしています。
このように、日本は、戦争・平和・民主主義・経済・くらしのすべての分野で戦後最大の歴史の分かれ目にあり、七月には今後の進路を「大きく左右」する参院選の政治戦を控えるなど、私たちはきわめて重大な情勢の最中に五月集会を迎えます。
二 他方、米国中心の新たな世界秩序か、それとも国連憲章による平和秩序かの「戦争か平和かの流れが激突」したこの一年の到達点は、スペイン親米政権の選挙惨敗に象徴されるように、未曾有に広がった反戦世論の前に米国が国際社会から孤立に追い込まれていることにあります。違法な軍事占領に対するイラク国民の抵抗は続き、占領支配と復興支援は両立しないことも明らかとなりました。今日の国際社会の潮流は、一極支配を目論む米国から脱却し、平和と協力の「枠組み」作りが追求されていることにあります。朝鮮半島の非核化と対話による平和的解決を確認し、六月までに次回協議を開くことを確認した二月の六者会談の進展も、「潮流」が東北アジアにも接近してきていることを示しています。この世界のうねりが渦巻く中での五月集会でもあります。
三 今年の五月集会は、小林正弥教授(千葉大・公共哲学)の特別講演『非戦・平和と憲法九条』と一〇分科会での討議を予定しています。前日には新人学習会、事務局員交流会、プレ企画「法科大学院と自由法曹団」を開きます。緊迫した対決状況が続くもとで、福岡総会以降の運動の広がりと課題を持ち寄り、すべての地域で根太い運動をどのように作り出していくか、を中心とした集会にしたいと思います。団員と事務局の皆さんのふるっての参加を期待いたします。
滋賀支部 吉 原 稔
今年の五月集会は、滋賀の湖北地方(米原町・長浜市)で開かれます。滋賀は日本の真ん中、琵琶湖を取り巻く盆地の湖北地方で、五月の陽光と湖北の穏やかな風景の中で行われます。
昨年の五月集会は、イラク攻撃の直後の集会でしたが、今年の集会は、自衛隊のイラク派兵とイスラエルの攻撃、司法改革法案の国会提出、有事戦争法案の上程審議の最中での集会です。憲法九条を守り、日本を戦争国家にしない闘い、教育基本法改悪など、多岐にわたる団の取り組むべき課題が論議されます。
地元長浜市長・宮腰健氏の娘さんが、千葉支部の宮腰直子団員でもあり、来賓挨拶に来られます。
滋賀支部一同、準備万端を期して参加をお待ちしています。
担当事務局次長 瀬 野 俊 之
表面カラー、裏面二色刷のリーフレット(A3四つ折り)が完成します。写真や図を使って、戦争法案の中身をわかりやすく解説することを心がけました。
戦争法案の正体は、どこまでも米軍について行く、「米軍の、米軍のための、米軍による」法案です。
「国民保護法案」は、有事関連一〇案件のうち一つにすぎないにもかかわらず、今回提出された法案は「国民保護法案」であると、解説・紹介しているのが、マスコミの大勢です。
国民を保護することを目的とする「国民保護法案」は、まやかしであり、その実態は、米軍が遂行する戦争への「総動員法」です。
米軍支援法制をはじめとする戦争法案の実態をばくろし、国民を保護する法案であるとのキャンペーンを打ち破ることが焦眉の課題になっています。
平和のワードクイズものせました。
価格は一部二〇円です。一〇〇〇部以上注文していただく場合には、一部一五円です。
各支部には注文票を送りますので、ご注文ください。注文書のFAXの依頼は団本部までご連絡ください。
大阪支部 城 塚 健 之
一 ショート・ショートで著名な星新一氏に「遠大な計画」という作品がある(新潮文庫「妖精配給会社」所収)。あるとき、各家庭に万能保育器が無料で送付される。赤ちゃんを優しくあやし、子守唄を歌い、お行儀が悪いときにはほどよい痛さでおしりをひっぱたくという、完璧な育児をしてくれる機械である。人間を規格化すると批判する人もいたが、みんなよい子に育った。そんな子どもたちが大人になったころ、いっせいにCMが現れた。『この品を、お買いなさい。ほかのマークの品を買っては、いけませんよ』それは育児器の声と同じだった。両親よりも説得力のある、なつかしい声。「だれもが無条件でその指示に従ったことはいうまでもなかった。」
二 進研ゼミでおなじみのベネッセコーポレーションが東京都三鷹市の保育所業務を請け負っている。請負金額は行政の当初予測したコストよりもさらに低い金額だという。
それは聞いていたが、司法試験予備校大手の東京リーガルマインドが学童保育に進出を始めたという情報には驚いた。子会社のプロケアと共同でセールスのファックスを各自治体に送りつけているのだ。それによれば、現行の学童保育は「単純に子どもを遊ばせている」もので「多様なサービスが行われていない」が、ここに任せれば、(1)勉強もさせる、(2)生活習慣も身につけさせる、(3)体も鍛える、(4)道徳面も教える、というのである。まさに至れり尽くせり。pro-careの名にふさわしい。これなら親も要らないかも(?)。
東京リーガルマインドが株式会社方式で大学を立ち上げたことはよく知られているが、それだけではなかったのだ。ロースクールにより、一人の学生を対象に商売のできる期間が拡大して利益追求の機会が増えたはずだが、それでは飽き足らないのだろう。
このほか、家庭教師、ベビーシッター、病院内保育ルームで実績を積んできたと自負する日本デイケアセンターも同様に学童保育に進出しようとしている。同社のセールス用のペーパーには、「直接の指導員の雇用ではないため、毎年のベースアップがない」などとある。これは魅力的だ。さらにありがたいことに、自分でも食事の用意ができるようなカリキュラムとして、「レトルトカレーの暖め方、インスタント食品の扱い方、カップラーメンの作り方等」まで教えてくれるという。
三 それにしても保育や学童保育に株式会社が進出して儲かるのか。安い労働力が存分に活用されるのだろうが、それだけでは大して儲からないような気がする。
しかし、そこで提供されるのは従来の保育や学童保育だけではない。いろんな付加価値のついた商品(サービス)を売るのだ。日本デイケアセンターは、公設民営であればパソコン教室や英語教室も開けるなどとセールスしている。なにしろ、少子化の中で子ども向けの商売は激戦地になっている。
でも、ねらいはそれだけではないだろう。もっと「遠大な計画」を考えているのではないか。ベネッセとしては、保育所を出て学校に行ってもさまざまな通信教育等を購入してほしいはず。東京リーガルマインドにしても、学童保育に通う子どもたちは一〇年もすれば大学に入るわけであり、ダブルスクールの大事なお客さんだ。早い段階からエリート予備軍とアザーズ(その他大勢)予備軍を仕分けをして、それにみあったコースを用意しておく必要もあるだろう。「遠大な囲い込み」である。広告費を考えれば少々赤字だって構わないはず。星新一氏がご存命なら、きっと驚かれるのではないか。
ちなみに、最近は司法試験だけではなく、公務員などもみんなダブルスクールに通っていて、そこでは、労働組合なんて入らなくても給料は同じだからやめといたら、などと指導されているそうだ。
四 地方自治法二四四の二が改正され、新たに設けられた指定管理者制度は、公の施設の管理に純然たる株式会社が参入することを可能にした。今後、児童館や図書館などにどんどん株式会社が参入してくる可能性がある。たとえば、絵本会社は、図書館で読み聞かせを兼ねてそこで絵本を販売するという商売を考えているらしい。公民館だって生涯教育ビジネスの舞台となりうる。
他方、施設丸ごとを株式会社に委ねるのではなく、業務委託という形で株式会社が参入する従前の形態もある。保育所や学童保育はこちらの形態が多いかもしれない。
はてしない公務の市場化。ちなみに、テッサ・モーリス=スズキ氏は「自由を耐え忍ぶーグローバル化時代の人間性」(「世界」二〇〇四年一月号から連載)において、グローバル化の中で、日常生活のあらゆる領域に消費者主義が浸透し、さらには市場が「国家によって整備された社会基盤の領域」を植民地化し、こうした市場の安全を保障するために(ジョージ・オーウェル「一九八四年」のような全知全能のビッグブラザーによる中央集権型ではなく)分散型の監視ネットワークが必要となると論じられている。
五 公務の市場化を推進するイデオロギーであるパブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP)の中核をなす考え方は、バリュー・フォー・マネー(Value For Money)。「価格に見合った高品質のサービス提供」ということである。これはけっこう国民受けする議論であり、しばしば公務員組合や住民運動がスローガンとして掲げる、営利企業に委ねたらサービスが低下する、という単純な批判だけではたたかえない。
しかし、それは、国民の購買力に応じたサービスを提供するにすぎない。お金持ちはお客様だが、貧乏人はそうではないのである。すなわち、これは国民の階層分裂を前提とし、かつこれを拡大するものである。残念ながら、市場原理主義に対抗するための「遠大な計画」がなかなか見えてこないのであるが、少なくともこうした階層分裂のもたらす中流層以下への人権保障の低下に対する批判がいろんな領域で展開されるべきだと考えている。
大阪の長岡麻寿惠団員が、「学童保育研究」四号(二〇〇三年一一月)というマイナーな(?)雑誌で、「アメリカの保育事情からみえてくるもの」というレポートを書かれている。そこでは、これでもかというほどのお寒い保育現場の実態が紹介されている。また、労働市場の末端の労働者を活用しているため、ファーストフード店並に保育者が入れ替わり、「ケンタッキー・フライド・チャイルドケア」という言葉もあるらしい。日本がこういう社会に向かってひた走るのを許すかどうかが問われている。
東京支部 鶴 見 祐 策
1 法廷速記の生命線
裁判記録の正確で客観的な記録は、裁判の公開とあわせて裁判の公正を確保するための不可欠な条件であることは、裁判実務にたずさわる者なら誰でも知っていることである。自由法曹団の作風でもある大衆的裁判闘争も、それに依拠している。これまで法廷供述の逐語録を裁判所速記官が担ってきたといってよい。
速記官による速記録は、書記官調書(録音反訳も含めて)との本質的な違いは、裁判官といえども記載の内容を変えさせることはできない点にある。裁判官の心証や思惑とは独立した客観性が保障されているところに真の値打ちがある。いまでは、速記官の努力と負担でリアルタイムの文字化まで可能となっている。「裁判の公正」「国民のための司法」の観点から望ましい進歩である。
2 最高裁当局の抵抗勢力
ところが、最高裁事務総局は、ひたすらこれを嫌悪してやまない。むしろ「裁判の省力化」で点数を稼ぎたい官僚的発想から裁判記録の作成と保存には一貫して消極的な姿勢を露わにしている。つい最近まで速記官が自費で輸入した米国製のタイプの法廷内への持込を禁止し目を光らせてきた。コンピューターソフトによる漢字変換の接続も公式には認めようとしない。迅速な調書の作成を妨害しているのは、自らの面子と保身に執着する司法行政の当局側というほかない。彼らは、数年前、速記官の定数予算を他に流用するため、速記官の養成中止を強行した。そのため全国の速記官は、いまや半数に減らされて、速記官不在の本庁も現実のものとなった。これでは、対立の厳しい刑事事件はもとより、労働、公害、行政、医療、薬害など、客観的で正確な記録が必要な事件にはとても対応できない。
3 裁判所法改正案の狙いと「付帯決議」
しかし、当局は、お構いなしである。そして「速記官補」を廃止する法案を今国会に提出した。「速記官」ではないが、将来の制度廃止を視野にいれてのことは言うまでもない。
三月一二日、衆議院法務委員会が開かれた。小林千代美委員(民主党)が最高裁を追及した。現状を正確にとらえた的確な質問であった。当局の説明は、総じて質問にまともに向き合わず、個人的な見解などで問題をそらす類いの聞き苦しいものであった。
その結果、「訴訟関係者等からの逐語録に対する需要に応えられる態勢を整備するとともに、裁判所速記官が将来的に不安定な状況に置かれることのないよう十分に配慮すべきである」との付帯決議が採択されたのである。
4 養成停止の口実の破綻
傍聴で感じたことは、最高裁が速記官養成停止の口実(タイプの安定的供給の不能、応募者不足)が成り立たなくなったことを当局も認めざるを得なくなった点である。答弁では、それに一切触れず、ひたすら速記官の「健康管理」の懸念に逃げ込もうとしていた。しかし彼らは、旧態依然の官製支給のタイプに比べて米国社のタイプは打圧負荷が少なく疲労度は格段に軽微なこと、それに文字化のソフトを組み合わせれば、手書きによる反訳の労力と無縁となることは、よくわかっているはずである。その意味でも彼らの口実は完全に破綻したのである。
それにしても、速記録を必要としているのは、当事者であり、裁判に関わる国民なのである。このいわば、ユーザーとしての我々の声をもっと大きくして部内の「労務管理」の論議にすり替えようとする当局の姑息な態度を許さない必要を痛感させられた。
5 「音声入力」の試みとその狙い
最近、最高裁当局は、企業とタイアップして音声入力の宣伝を始めている。プロモーションビデオを作って裁判所部内や弁護士会などに働きかけている。速記官が開発した電子速記に対抗する必要に迫られたからであろう。
しかし、それを見た限りでは、多彩の人々が登場して錯綜する法廷供述の文字化に役立つとは到底思われない。げんに仔細に検証すると音声と文字を重ねた映像では明らかな食い違いが散見できる。機械的な反応なのに何故このようなことが起こるのであろうか。最高裁にビデオではなく実物を見せてほしいと文書で申し入れたが、いまだに返事がない。企業向けの莫大な資金投入も避けられないであろう。かつて失敗した例があると聞いている。
壮大な無駄を懸念するほかない。