過去のページ―自由法曹団通信:1128号        

<<目次へ 団通信1128号(5月11日)



田中  隆 神を恐れぬ法案の神を恐れぬ国会審議
今村幸次郎 憲法「改正」をめぐる論議に関連して
−どうする「この国のかたち」−
根本 孔衛 米国の中南米に対する覇権と人権問題
四位 直毅 「家永三郎の残したもの引き継ぐもの」
−いま、家永の思想と行動と生き方を生かすとき−
松井 繁明 大原穣子著「おくにことばで憲法を」




神を恐れぬ法案の神を恐れぬ国会審議

東京支部  田 中  隆

1 四〇万字の戦争法制(有事七法案・条約三案件)

 あらかじめお断りしておくが、筆者は徹底した無神論者かつ相対論者で、「神」を基準に考える思考回路は持っていない。「神を恐れぬ」のルーツは、戦争法制(有事七法案・条約三案件)が提出された四月一三日の衆議院本会議の、首藤信彦議員(民主)の代表質問の締めくくり。「一つ一つの審議に国会会期全体を使ってもおかしくない案件を、一括して提出した政府の行為は、まさに神を恐れぬ行為と言わざるを得ない」というのが要旨である。
 提出された戦争法制は法文だけでも四〇万字、対照表等を含めると一千頁余で六〇万字という膨大なもの、しかも全貌が明らかになったのは三月九日の国会提出の直前だった。平和・有事法対策本部の第二意見書「13の疑問」では「国民や国会議員への愚弄」としておいたが、永田町では「神への冒涜」に昇格したようである。
 付託を受けた武力攻撃事態対処特別委員会(武特)では粛々と審議が続けられ、四月二八日をもって「ひと区切り」となった。一三日から二八日までで審議は一〇日間、「土日を除いてほぼ毎日」という二年前の有事三法審議を上回るテンポであり、質問者は延べ五二名に及んでいる(本会議代表質問を含め)。
 「ひと区切り」となったのは、民主党が「衆議院通過の条件」とした「緊急事態基本法制の骨子」についての調整を連休中にやってしまうため。委員会審議が再開される五月一〇日には事態が急変し、流動化するだろう。

2 こんなことでいいのだろうか・・武特の審議から

 危機管理のあり方や「有事社会」の生み出し方といった壮大な政治論から、それぞれの法案の解釈や運用まで、審議が「戦争・危機管理問題アラカルト」の観を呈しているのが最大の特徴。武力攻撃事態の概念や周辺事態と併存を軸にそれなりに本質に迫っていった二年前の三法案審議とは大きく様変わりしている。多方面の質問がランダムで登場するから速記録を読み込むのは二年前よりよほど骨が折れるのだが、詳細な質問通告がなかったら閣僚もまともに答弁できないことが速記録の行間からうかがえる。「こんなことで本当にこの法案で危機対応ができるの」というのが、速記録を読んでの最初の感想である。
 二年前との違いの最大の原因は、有事三法の「修正合意」に転じた民主党が、かつては自らが指弾した「周辺事態との併存」や「米日軍事一体化=集団的自衛権」の問題に踏み込まないため。民主党主流の質問は国民動員法制=「国民保護法案」に集中し、各論的に叩くのが眼目。一方で「自治体をサポートして早く計画を」「民間協力と実地訓練こそ重要」など「後方社会」の構築を助長し、他方では緊急事態基本法の与党との協議・調整・合意の促進をはかるのが、民主党主流のスタンスということになる。
 それでも委員会審議のなかで、数多くの論点・問題点が浮上してきている。特徴的な答弁の要旨を列挙。
* すべての自治体に二佐・三佐の幹部自衛官を派遣する。行くだけではなく、有効な対策を樹立するに足る人を出す(四月二三日 石破防衛庁長官)。
* テロの犯行声明や作戦・兵器などの報道について、自粛の要請をすることは十分あり得る。公表されると敵を利するだけだから(四月二一日 麻生総務相)。
* 一般船舶に不審者が紛れ込んで密輸的に武器等を運んでいる場合も臨検の対象。不審者が抵抗すれば射撃も。告示しているから船舶側でもわかっているはず(四月二二日 石破長官)。
* 人道法の文化財破壊罪は登録されたものが対象。国内文化財では登録されたものはないから国外犯が想定対象。武力攻撃事態に限らず、海外での自衛隊活動にも適用(四月二三日 井上防災相)
* 無防備地帯には軍事行動を行わない宣言が必要で、実効性をもたせられるのは政府だけ。自治体には権限がない(四月二八日 林外務省条約局長=政府委員)。
* 交通通信管制法ではすべての空港が対象となる。軍事利用否定の成田空港なども、必要不可欠となれば活用する(四月二八日 増田内閣官房審議会=政府委員)。
 総じて、共産・社民の議員や一部の民主議員が法案に踏み込むことによって論点を抉り出し、自民議員が「尻馬型」質問をしてあけすけな答弁を引き出すという構図が目立っている。
 あけすけなアメリカへの「信頼」が語られているのも審議の特徴。
* 絶対的と言ったらちょっと言いすぎかもしれないが、米国に信頼関係があるから同盟関係がある(四月一四日 川口外相)
* (ブッシュ・ドクトリンには)先制的な行動ということはあるが、国際法違反のいわゆる先制攻撃を米国がやるとは我々は考えてない。(ACSAで提供しても)米国が先制攻撃をするとは考えていない(四月二二日 海老原外務省北米局長)
* 劣化ウラン弾が人体に影響を与えるとは認識していない(四月二七日 石破長官)
 要するに、ブッシュ政権を絶対的に信頼し、先制攻撃も許容し、劣化ウラン弾の被害など存在しないというもの。ここまでくると、「追随」を通り越してほとんど「盲従」と評するしかない。
 これらの審議のチェック・検討は、対策本部の第三意見書「こんなことでいいのだろうか ― 衆議院での審議から」のためのもので、実は本稿はこの意見書の「前宣版」。「この国の政府と議会は本当にこんなことでいいのか」というのは、一〇日間の審議を追った率直な感慨でもある。

3 二〇〇四年四月・・審議が行われていたとき

 「神を恐れぬ国会審議」と題したのは、答弁のことではない。
 戦争法制の審議入りが合意されたのは四月八日のこと、全土が戦場化したイラクで航空自衛隊が武装米兵の輸送にあたっていたことが発表された日であり、深更に至って「三青年が拘束された」という衝撃的なアルジャジーラ報道が行われたその日だった。四月一三日とは三青年の安否がまだわかっていない段階、NGOや若手弁護士が救出のために不眠不休の努力を続けていたさなかだった。幸いにして拘束された五人の青年は解放されたが、ファルージャでは虐殺に他ならない米軍の攻撃が続けられ、サマワの自衛隊駐屯地に打ち込まれる迫撃砲弾は日を追って照準が確かになっていった。
 これが戦争法制の審議が粛々と進んでいた〇四年四月だった。
 イラクで現に民衆の殺戮が続けられ、NGOやジャーナリストの生命が脅かされ、派遣されている自衛隊員にも現実の危険が迫っているなかで、政府や議会は米軍の虐殺の停止を求めることも、自衛隊の撤兵を検討することもなかった。現実に奪われている生命を一顧だにせず粛々と続けられたのが、「国民の保護のため」と称する戦争法制の審議だった。アジアの民衆やこの国の青年の生命より優先されたもの・・それこそ「絶対の米国への信頼」すなわち日米軍事同盟だった。
 この法案の帰趨がどうなろうと、この〇四年四月のことは記憶にとどめておきたい。神を恐れぬ法案の神を冒涜した国会審議は、いつかこの国に鉄火の洗礼をもたらすことになる・・無神論者の筆者ですら、その恐怖を禁じ得ないのである。

(二〇〇四年 五月 二日脱稿)



憲法「改正」をめぐる論議に関連して

−どうする「この国のかたち」−

東京支部  今 村 幸 次 郎

 憲法「改正」が現実的な政治日程にのぼってきている。「改憲」勢力の合言葉は、「この国のかたちを変える」、「新しい日本をつくる」ということである。
 では、彼らは、「この国」をどのような「かたち」にしようとしているのか。その答えは、自民党憲法調査会憲法改正プロジェクトチームの議論にはっきり現れている(同プロジェクトチームの議事録は自民党のホームページにアップされている。同党は結党五〇周年となる来年一一月に憲法「改正」案を公表する予定であり、本年六月までに「改正」案の論点整理を終えるとしている)。

 「いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公ということがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして、地域社会、国家というものを考えない日本人になってきていることを非常に憂いている。夫婦別姓がでてくような日本になったことは大変情けない(中略)。私は徴兵制というところまでは申し上げないが、少なくとも、国防の義務とか奉仕活動の義務を若い人たちに義務付けられるような国にしていかなければいけない」
 「戦後、日本民族弱体化政策、バラバラにして二度と一致結束して立ち上がることのできないようなことを主眼においた憲法の影響が今でてきているのではないか。それを払拭するべく、公共のため、国のために奉仕もするし、国を守るために義務、責任を負うんだということをはっきり書いてもらいたい」
 二〇〇四年三月一一日に開催された同プロジェクトチームの第九回会合における議論の一部である。この日の議題は、「国民の権利及び義務について」であったが、「基本的人権の尊重」をうたう現行憲法を評価する方向での発言は全くなく、現在の閉塞状況の原因をすべて今の憲法に押し付ける現行憲法「敵視」論が声高に叫ばれている。そして、そこに描かれている「国のかたち」は、「戦争をする国」、「権利より義務が重視される国」である。

 「現行憲法前文は詫び証文のようなもので、これでは困る。」
「(憲法前文は)『一七条憲法』や『五箇条の御誓文』のような日本の文化、伝統、国柄がにじみ出るものにすべき。健全な愛国心など」「一九二〇〜一九四〇年を反省する余り、日本人の心は傷んでいる。(前文は)これを克服するようなものにすべきである。自国の軍隊が外に出たら悪いことをするという国民は不幸だ。土井たか子症候群だ。まともな国民はまともに行けるんですとすべき」
 同プロジェクトチームにおける「憲法前文」に関する議論である。
ほとんど「放言」といいたくなるような発言のオンパレードであるが、これらは単なる「超保守派」の「たわごと」として片付けられない。
 彼らは、この国を「戦争する国」「弱肉強食の国(民主主義と人権のない国)」に変えるという明確な、そして、強い意志をもって、今回の憲法「改正」に臨んでいるのである。国会においては、「改憲」の自民、「創憲」の民主、「加憲」の公明が圧倒的多数を占めており、「護憲」の社民・共産の衆議院での議席は一五しかない。世論調査でも「改憲賛成」が五割を超えたと報じられている(九条については、「変える方がよい」が三一%、「変えない方がよい」が六〇%とのことである)。

 私たちの「憲法を守る運動」は、このような状況の中で行われる。私たちは、彼我の力関係、国民の意識状況を冷静に分析する必要がある。しかしながら、状況を悲観ばかりしている必要はない。
 この国には、心から平和を求める人々がたくさんいるし、不当な差別を許さず権利を守る不屈の闘いに立ち上がる多くの人々がいる。これらの人々が手を携えて一緒に闘えば必ず状況は変わる。
 怒涛のような「改憲」の流れを変える「鍵」は、私たち自身の「この国のかたち」を明確に示すことであろう。
 平和の中で人間らしく希望をもって生きられる国。現行憲法はこのような「国」を約束しているのだから。



米国の中南米に対する覇権と人権問題

神奈川支部  根 本 孔 衛

一、ピーター・アーリンダさんからの提言

 米国のナショナル・ローヤーズ・ギルドの元議長のピーター・アーリンダさんから自由法曹団国際問題委員会の菅野昭夫さん宛に一月五日にFAXが送られてきた。それは、日本の法律家に米国の南アメリカへの介入の事実を知ってもらいたい、ついてはホアン・ホセ・ランデイネス博士に日本に行ってもらうから、今コロンビアでおきている事態について討論の場をもってもらいたい、という依頼であった。国際問題委員会の討議の中でこれを五月研究集会の一部として開催する案もあった。しかし準備期間の問題もあるが、何よりもこちらの事情として、今これを取り上げることの意義と焦点も定まっていないのではないかということがあった。やったとしてもどれだけの人びとが参加してくれるかの不安もあって見送り、暫くは準備作業をしてみよう、ということになった。この小文はその作業の一部である。

二、今コロンビアでおこっていることと私たちの立場

 手持ちの資料の中でコロンビアについて現状の情報をさがしたところ、〇三年一一月三〇日の読売新聞に、日本の自動車部品メーカーの現地法人の副社長が二年九ヶ月にわたり拉致され殺害されていたことが判明した、という記事があった。誘拐拘束したのは、左翼ゲリラ組織・コロンビア革命軍(FARC)だとある。二七〇〇万ドルの身代金を要求してき、六〇〇万ドルと要求額が下がったが、交渉がまとまらず殺害された、と言うのである。この背景説明として「一九六〇年代以降に生まれた左翼ゲリラ組織は貧困層の支持を基盤に社会主義革命を目指していた。しかし、冷戦が終わり、社会主義政権の凋落が決定的となった九〇年代以降、資金源確保のため、麻薬取締と誘拐に乗り出した。」とある。この組織のほかに民族解放軍(ELN)というのがあり、別の記事によると右翼の武装勢力もある、と言われている。中南米では、政府の軍隊と革命勢力との間で、これら両翼の間でも戦闘がおこなわれている。また警察、諜報謀略機関による拉致、監禁、拷問等がおこなわれ、それに大農園、企業などの自警組織が絡んで人びとが殺害され傷つけられ、財産の破壊、名誉毀損が多く起きていることが知られている。ランディネスさんの報告と問題提起は、これらのことと関係があるのではないか、と思われる。それらの社会基盤はどうなのか全く見当がつかないことも、その受入に惑ったことの理由の一つであった。
 ピーターの文面は、私たちのこのような戸惑いを見透かすかのように、日本が米国追随政策を続けていくならば、今コロンビアでおこっているような問題に日本も直面することになる、とある。この指摘は、直接的には日本政府のイラク派兵がひきおこす結果を言っているのであろう。冷戦終結後日本資本の海外進出意欲が目立ってきている。また日本のアジア地域の投資額は、既に米国のそれを超えている現実がある。日本の支配者層が有事法制=戦争法体系の整備を急いでいるのは、アジアにおける米軍のプレゼンスに依拠する日米同盟関係を強化することのほかに、自らの軍事力を強化し、その行使の範囲を広げていこうとする意図があるのではないか。ピーターの我われに対するメッセージは、米国がこれまでラテンアメリカでやってきた覇権的支配とそれに伴ったひどい人権侵害のアジア版の出現の注意であり、このような覇権政策がさらに西に進んで太平洋を越えて東半球に及んだことの告知であろう。日本が米国に従属し、それに追随することによるその片棒かつぎは、そこに人権侵害をひきおこしその責任をとわれることになり、また国内でも米国内でおこった九・一一事件と類似のことがおこり、その反動である「愛国法」体制によるすさまじい人権抑圧が日本で行われるであろうことに注目せよ、という警告ではないだろうか。

三、モンロー宣言と米国の中南米覇権

 私は、今度のアフガニスタン侵攻とイラク戦争は、米国伝来のモンロー主義が現代にまで延長された姿である、と見る。モンロー大統領の宣言(一八二三年)は、米国はヨーロッパの問題にかかわらず、また欧州勢力の米州介入を許さない、とするものであるが、それは単に米国の孤立主義、非干渉主義を表明したにすぎないものではなかった。その裏側においては、米国の米州での行動の自由、いいかえればそこを米国の裏庭として支配することの宣言であった。その実行としてメキシコ領テキサスを奪取した(一八三六年)。さらにメキシコ戦争で勝利してカリフォルニア、ニューメキシコを割譲させ(一八四八年)、ペリーが浦賀にきた一八五三年にはアリゾナを購入した。彼らは、この西へ向かっての行進を「大陸をおおって拡大していくのはわが国民の明白な運命(マニフェスト・デステイニー)である。」と唱えた。この時東部一三州に始まった米国の大陸を西へ向っての前進は、こうして太平洋岸に至る後の四八州の全域に及んだ。この前進は米大陸よりあふれ出て海を越え、一八九八年にはキューバの独立運動に介入して米西戦争をおこして勝利し、プエルトルコ、グアム、フィリピンを割譲させ、キューバの覇権をにぎった。なおこの年にはハワイを併合している。
 米国の米州大陸を南に下がっていく勢力の拡大も、西進劣らなかった。米国は、パナマ運河を一九一四年に開通させると、その両岸を保護領化した。メキシコの鉱山業にはじまり、中米諸国には、ユナイテッド・フルーツ社をはじめ米国のアグリ・ビジネスが進出し、砂糖、バナナ、コーヒー、ココアなどを自ら大農場で生産経営し、あるいはスペインの統治以来の大地主制と結びついて先住民などの低賃金労働を利用し、その生産流通を掌握した。南米大陸においても、米国資本の銅、石油等天然資源産業の掌握をはじめ産業、金融の全面にわたる支配がなされた。その結果は、農民、労働者ことに原住民の生活の破綻であり、その一方では米資本と結託した少数の富者の繁栄であり、その結果としておこる不安定な社会状態の中で多くの独裁政権の出現であった。この矛盾はラテンアメリカ全地にわたる様ざまな形での反帝国主義・反封建制に対する人民闘争となって噴出したのである。一九五九年に成就したキューバ革命は、その頂点に位置づけられる。

四、米国の米州の介入の様相

 このキューバに対して、米国の亡命キューバ人を使ってのヒロン海岸侵攻とそれが撃退された事件(一九六一年四月)は、世界の人びとによく知られているところである。そのほか、中南諸国における人民のたたかいに対して、米国がその利権と支配体制維持のために介入してきた事例はかぎりなく多い。その内いくつかの事例をあげてみよう。
 ニカラグアのサンデイニスタは、一九七七年に永年恐怖政治をおこなってきたソモサ政権を打倒したが、米国は治安部隊と称する勢力を使ってこれに介入した。革命政権が樹立された後も、レーガン政府はホンジュラス、コスタリカとの国境地帯でそれらをコントラと呼ばれる部隊として再建し、CIAの指令と指示のもとにこれらが国内へ進攻を企てた。国際司法裁判所が一九八六年六月二七日に米国のこれらの行為に対して武力不行使原則に違反する違法な内政干渉と判決したことは、よく知られているところである。
 グアテマラでは独裁者ウビコの政権が倒され(一九四四年)、人民の政権ができ、その政府によって大土地所有制を解体する農地改革がおこなわれた。これは同国の可耕地の半分を持っていたユナイテッド・フルーツ社の利害とまっこうから対立するものであった。米国政府のCIAは、隣国ホンジュラスで亡命者を使って反革命軍を組織し、それが五四年六月に侵攻して改革政府を倒して政権を奪取した。しかし、グアテマラの政情はおさまらず、反乱とクーデターが繰りかえされた。政権側は強圧策を持ってのぞみ、また左右両翼のゲリラ闘争が激化し、内戦状態となった。その間に民衆虐殺、暴行が横行し、ことに左翼ゲリラ支持とみられた先住民の村の焼き討ちは惨害をひきおこした。このような被害の救済に奔走した先住民出身のリゴベルタ・メンチュウに対して、ノーベル財団は九二年平和賞を与えた。
 エルサルバドルは、中米で国土の面積が最も少なく、人口密度が最も高く、コーヒーを主要な生産物としている共和国である。概ね親米政権であったが政情は安定せず、左右両翼からクーデターによる政権交代が繰り返された。米国政府は、時の政権の親米度に応じて軍事援助を与え、あるいは停止することによって、そのコントロールをしよう、としてきた。
 一九七〇年代に農民組合、労働組合、教会の聖書研究会などが結集して「民衆組織」といわれるものが出現し、八〇年代に入るとこれらは、政治組織として革命的民主戦線(FOR)が、軍事面では、ファブランド・マルティ民族解放戦線(FMLN)に統一され、闘争が激化し内戦となり、この状態は九一年八月に国連が仲介に入り翌年一月の和平合意まで続いた。
 このような内戦状態の中で多数の殺害、残虐行為がおこなわれ、人口五〇〇万人のこの国で死者七万人、内外への難民が一〇万人に達したといわれている。その被害者の大多数は女性や子ども、老人であった。被害は農民、市民に同情的と目された教会にも及び政府公安軍等による聖職者の殺害もおこった。
 米国は、親米政府に軍事援助を行い、対ゲリラ専門の特殊部隊の養成訓練をほどこし、これをエルサルバドルに送り込んでこのような人権侵害に手を汚している。
 米国の介入は中米諸国にこのようにその息がかかった者を使うばかりではなく、直接的な軍事侵攻によってもおこなわれている。
 カリブ海に浮ぶ小国グレナダに一九七九年人民革命政権が樹立されると、米国は八三年一〇月カリブ六ケ国の軍隊を率いて侵攻し、この政府を転覆した。
 米国の支配のもとにあったパナマでは、その自主性を確立するための反米運動が盛んになった。米国の諜報機関はこれを抑えるためにマヌエル・ノリエガを援助して一九八三年頃パナマの事実上の支配者にした。しかし、彼が国民の声に押されて独自路線を取り始めると、米国は彼を有害な存在として経済封鎖をして国民経済を破壊させた。それでもノリエガ政権が倒れないと軍事クーデタを企て、さらに八九年一二月二万五千人の米軍を侵攻させた。ノリエガは投降したが、米国に送られて麻薬密売ということで裁判にかけられた。しかし米国は、ノリエガとの「蜜月」時代の八三年頃から彼の麻薬関係を知っていながら、その支援を続けていたのである。
 米国のラテン・アメリカに対する覇権維持の活動は、もとより中米、カリブ海域にとどまらず南米大陸に及んでいた。その中で最もよく知られているのが、南米のABC大国の一つチリに対する介入である。七〇年ラテン・アメリカではじめて選挙によって左翼政権が成立した。アジェンデ大統領は、反帝国主義、反寡頭制、平和革命をかかげ、議会による民主的手続による社会主義の実現を目指した。この政策は、米国の利害と衝突し、それが実現すれば米国の米州支配全体をゆるがすものであった。米国は、チリに対する経済援助や融資を停止したばかりか、CIAを通じて八〇〇万ドルを超える金額を投じて国内反対勢力に援助し、同政権の「不安定化」工作を進めていた。その中でピノチェトらによるクーデタが起こり、軍事政権ができ、その手によって弾圧がおこなわれた。そこで数多くの殺害、行方不明者、拷問等がなされたことは、ピノチェトの退任後に対して国の内外で彼の人道に対する罪による逮捕、裁判の可否をめぐっての動きについての報道によって世界にひろく知られるところとなった。
 六六年ボリビアにおけるゲリラ活動の中で捕らわれ殺害されたチェ・ゲバラの生涯に見られるとおり、南米の社会的矛盾の根は深く、その政情は不安定状態が続いている。最近も、ベネズエラ、ペルー等においての動揺が報道されている。ピーターが提起してきたコロンビアの状況とそこでの人権問題もその一環であろう。

五、米国の国際関係における「正義」と「人権」

 米国においては、「米国の裏庭」であるラテンアメリカでおこっている、これらの人権問題についての関心は必ずしも高くはない。 前述のエルサルバドルの軍事政権下での八〇年一二月二日に、軍の掃討作戦で追われた人びとに食糧や衣料を配っていた米国人修道女四人が兵士によって強姦され殺害される事件がおきた。この事実の報道は米国内で大きな反響を呼びおこし、米国政府は軍事援助を停止するに至ったが、その一ヶ月半後の八一年一月に援助を再開した。
 米国政府は、これらの暴虐行為の原因の糾明とその抑止に努めるどころか、むしろこれを隠蔽するのに懸命である。米州の平和と正義、その連帯と統一のためとして設立され(一九四〇年)、現実には米国のラテン・アメリカ支配の機関として、機能している米州機構(OAS)の一環として、米州人権条約が一九六九年に結ばれた。その実施機関として米州人権裁判所が設立され、コスタリカの首都サンホセにおかれている。米国は、米州機構の主導国であるのにもかかわらず、米州人権条約には参加していないのである。二〇〇〇年一〇月にこの裁判所を訪れた私は、そこの広報担当者にその理由を尋ねてみた。その答とあげられた理由の一つは、米国はこの種の条約については各州の承認が必要であるという手続上の問題でひっかかっていることがあり、ほかの理由はラテンアメリカにおける米国の介入行為が人権侵犯としてここに訴えられ裁かれることを避けたいという事情である、という説明であった。二〇〇二年七月に発効した国際刑事裁判所(ICC)設立規程に、米国は自らが参加しないばかりか、援助関係などでその影響力が及ぶ諸国に対して圧力をかけ、それへの不参加の約束を取り付け、ICCに対する妨害工作をしている。これは米国がその武力行使その他の介入がひきおこす人権侵害、国際犯罪がICCで裁かれることになるのを嫌悪し、その機能発揮を恐れていることを示すものである。それは米州人権裁判所不参加とパラレルである。反面、米国がこれまで米州においておこなってきたような介入と人権侵害を地球的規模においてひろげていこう、とすることの現れである。

六、米国がひきおこすアジアの人権状態と日本の責任

 米国の西進政策は、第二次世界大戦後フィリピンから進んでヴェトナムの内戦への介入となったが、そのヴェトナム戦争における失敗によって、いったんは挫折したかに見えた。冷戦後この企てが再び取り上げられ、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争となった。これらの介入は、米国の伝統的な西進衝動の最近の表れとして評価することができるであろう。これを推進しているのが、冷戦終結後顕著になってきた米国流のグローバリゼーションである。米州でみられてきた支配体制をアジア地域に推し進め、全地球規模の米国の「裏庭化」を広げようというのが、ネオ・コン勢力をはじめとする米国の支配者層の構えである。
 日本が、このような米国のアジア進出の最大の軍事拠点となっていることはいうまでもない。日本の支配者たちは、米国のこのようなアジア支配を容認し、それに協力することによって分け前にあずかり、「繁栄」をはかろう、としている。その確認が一九九六年四月の日米共同安全保障宣言である。その実施方法として新ガイドラインが日米共同で設定され、周辺事態法以下の戦争法制の整備が現に進行している。
 ピーターの警告は、米国が現にとっている政策をこのままにしておけば、アジア地域においても、現に米国覇権下の米州にみられているような暴虐と人権侵害が日本の協力によって現出しよう、というのであろう。私たちは、このような現実を既にアメリカ占領下のアフガニスタンで、イラクの状況の中で見ている。日本の協力でアジアでも中南米の現状のような事態が招来されるのではないかという危惧とその結果についての私たちの責任を考えると全く気が重い。ラテンアメリカで現におきている事態についても、前者の轍をふむ愚を繰りかえさない、ということで、もっと注目しなければならない、と思う。アジアで何が起ころうとしているのかを見通す上でも、私たちのラテンアメリカの現状認識は、情勢が必要として迫っている程度にはるかに及ばないのではないか。この際ピーターの提言を真剣に考えてみる必要があるように思われる。



「家永三郎の残したもの引き継ぐもの」

−いま、家永の思想と行動と生き方を生かすとき−

東京支部  四 位 直 毅

 GWに表題の本を読んだ(日本評論社刊・大田堯・尾山宏・永原慶二編・二四〇ページ)。

1 初耳

 私は、教科書裁判三二年の大半に参加してきたが、その私にも初耳の話題が少なくなかった。
 たとえば、二〇〇一年一月、英国出身の欧州議会議員が家永さんをノーベル平和賞候補に推薦したことが報じられた。同賞の推薦には厳重な推薦資格が定められているが、短期間で内外の推薦が二〇〇をこえた。その後、九・一一の発生により、急遽、受賞者は国連とアナン事務総長に決まった。選考委員会が、アメリカの単独行動主義を警戒して国連中心の解決を重視したため、という。
 今の小・中音楽教科書には、モーツアルト・シューマン・シューベルトの曲が一曲も入っていないことも、初耳だった。小学校三社、中学校二社と、音楽の教科書は、今やほとんど国定教科書に近くなっている、という。
 戦争法案反対のたたかいで団とも共同の機会が増えているピースボートの船旅は、歴史教科書の「侵略」「進出」問題がきっかけではじまったということも、この本ではじめて知ることができた。いってみれば、家永さんを先頭とする教科書をめぐるたたかいのさなかで、ピースボートによる新たなとりくみが生まれたことになる。

2 家永の思想と行動

 家永さんの思想の系譜は、 新カント学派の価値の哲学と田辺元、さらには聖徳太子・親鸞から、植木枝盛・美濃部達吉へと連なる。
 これらを通じて家永さんは、「国家権力の有限性」についての確固たる認識と「価値としての自由」から「実践性としての自由」をみずからの思想と行動の核心として確立した。この「国家権力の有限性」は、後に、教育行政は教育の自律性を尊重して教育内容に介入することなく、教育の外的条件整備に努めるべきだとする教育基本法一〇条への強い共感へとつながる。
 また、これらの思想が、憲法・教育基本法の原点である個人の尊重につながることはいうまでもない。
 戦前、一五年戦争の凶暴なあしどりに協力こそしないまでもこれに抗して戦争を阻止するまでに至らなかったみずからのあり方にたいする真摯な反省にもとづき、家永さんは、困難をかえりみず、戦後の逆流に抗して、三二年の長期にわたる教科書裁判をたたかいぬいた。
 自己の思想と行動をこのように一貫させることは、言うはやすく行なうは難いこと、である。家永さんは身をもって、みずからの思想を社会の進歩の方向に重ねて実践した。
 彼の愛読書である美濃部の「憲法提要」には「いかなる迫害があろうとも、私の学説を変革修正することは出来ない。」という美濃部の発言記事が貼られていた、という。

3 教科書裁判と杉本判決がきりひらいた可能性

 編者の一人である尾山宏団員は、この裁判の金字塔といわれる杉本判決が、思想・信条・信教等の内面的価値の不可侵性と多様性を認めたことを高く評価し、このことによりきりひらかれた可能性として、次の諸点をあげている。
(1)意見や考えの多様性の下でこそ社会の進歩の可能性がある。
(2)意見や考えの異なる者同士の討論や対話の場が地域に形成されることは、地域社会の再生と民主化につながる。
(3)市民の対話や討論、連帯や協働の輪は、ネーションステーツの壁をこえて国際的連帯へとひろがる可能性を秘めている。
(4)いま日本に広がりつつある狭隘なナショナリズムを克服していくうえでも重要な意味をもつ。
 これらの指摘は、私たちが追求しつつある、行くべきは平和の道や、憲法・教育基本法の改悪阻止・全面実施のとりくみを進める上で、きわめて示唆に富むものではないか、と私には思われる。
 尾山さんは、次のことばで、稿を結んでいる。
 「家永の思想に特殊性があるとしても、不合理、理不尽、不正義のことに遭遇したとき、それに抗して立ち上がり、それと格闘してそれを克服することが、そしてそのような行為を重ねていくことが、人間が生きることの意味であることを、家永は教科書裁判の提起という行為を通じて、私たちに教えている。私たちは、家永のそのような生き方におおいに学ぶべきであろう。」

4 こんな顔ぶれがこんなテーマで

 この本は二部構成で、四〇名が執筆している。大江志乃夫、小林直樹、大田堯、堀尾輝久、永原慶二、直木孝次郎,池明観、安仁屋政昭などの諸分野の研究者、三宅晶子「心のノート」、大森典子・川上詩朗「戦後補償裁判」、後藤徹「日の丸・君が代」、西川重則(キリスト者)「靖国訴訟と教科書裁判」、佐藤満喜子・教科書採択、野平晋作・ピースボートの船旅、高校生のとりくみ、新井章「教科書裁判と司法」、森川文人「憲法フエステイバル」など。
 ぜひ、この機会に団員各位の一読をおすすめしたい。



大原穣子著「おくにことばで憲法を」

東京支部  松 井 繁 明

 タイトルからも判るように、これは日本国憲法を各地の方言に「記した」ものだ。このような本の受けとめ方は、憲法者の言語経歴によって異なるだろう。評者は東京生まれで、子ども時代から青年期までを神奈川県で送り、その後ながく東京に住んでいる。子ども時代に関東の「べえべえ言葉」を話していたのを懐かしく想い出しはするが、基本的には共通語しか話せない。この本の紹介者としてふさわしいのか、疑問がないわけではない。
 それはともかく、わずか四〇ページのこの本でまず、多様な方言をたのしむことができる。憲法前文と九条がとりあげられている。前文は大阪弁訳があるだけだが、九条については、青森、岩手、愛知、京都、大阪、広島、福岡、長崎そして沖縄と、多様である。
 九条1項冒頭の「日本国民は」が青森、津軽地方の言葉では、「ワダシダヂ、日本の国民(こぐみん)、オジサ、オバサ、オドサマ、オガサマ、アンサマ、アネサマ、ワラシコ、オボコ」となる。すべての老若男女がすべて「日本国民」であることが、一読してわかる。
 関東の人間が聴くと関西弁は一様に聞こえる。大阪弁と京都弁は少し違うようだが、どこが違うのかわからない。「せやさかい、戦争はやりまへんいうて、みっつの約束ごとをきめましたんや」(大阪市内のことば)。これに対応する京都市内のことばでは、「そやさかい、よそさんの国と仲ようして、これからはどないなことがあってもいくさはせえしまへんいうて、みっつの約束ごとをきめましたんや」(傍点、いずれも引用者)となる。やはり微妙に違うようですね。
 これまでの引用でもわかるように、遂語訳ではなく、かなり冗舌な「意訳」になっている。しかしよく読むと、じつに正確な作者の憲法解釈が下敷きになっていることがわかる。
 「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」の区別について、岩手・水沢地方のことばは、いう。「昔だったらス、気に食わねぇ国があれば『戦争するど!』って語れば、すぐ戦争おっぱじめでも構わねぇごどになってたのだ。んだども俺らだぢ日本国民は、そいづを認(みど)めねぇごどにしたのっす。 それがらまだ、ほがの国がいっこうに聞ぐ耳持たねぇがらって、腹あ立でで、「何ぃ言ってけつかる!言うごと聞がねぇば大砲の弾でも、ベゴの糞でもぶっ込むど!」って、脅しかげるごども、国ど国どうしが、意見が合わねぇがらって、「えーい!やっつけでしまえ!」って言って、鉄砲の弾だの、大砲だのをぶっ放すごども、もうハァやらねぇごどど決めたのでがす」。
 これは、「『国権の発動たる戦争』とは、戦時国際法の適用をうける国際法上の正規の戦争を意味し、国家主権の発動としての宣戦布告を伴って実施された戦力の行使がこれにあたるとする。また、『武力の行使』は、宣戦布告を伴わず戦時国際法の適用をうけない事実上の戦争を意味し、歴史上存在した満州事変(一九三一年)や支那事変(一九三七年)がこれにあたると解する」という、憲法学会の通説(辻村みよこ「憲法」第二版一〇五ページ)と一致する。
 いろいろな方言をたのしみながら、この本は遂に、共通語で書かれた憲法前文のよさを完成させてくれる。力づよく、豊かで、論理が正確で、そして格調が高いことに気づくだろう。冒頭におかれた大原さんの文章『世界に輝け憲法九条』もよい。
 「わたしが生まれたころ、パレットから赤やピンクや緑といった美しい色が、段々と姿を消していくかのような、そんな時代でした」。 「(戦争が終わって)パレットにはまだ美しい色がたくさんよみがえってきました」。
 ー戦争と平和を表現して間然とするところがない。そしてこの本のイラストには、カラフルないわさきちひろの絵が多用されている。ちひろと大原さんの色彩を通じて平和を願う心が共振しているようだ。
 さいごにこの本には、CD(というものらしい)がついている。これを聴けば「おくにことば」の良さがもっとよくわかるはずだが、この書評は聴かないで書いている。聴けば、本の文章のほうが、レコードのジャケットに書かれた「解説」のようになってしまうのが嫌だったから。というのは言いわけで、評者にはCDの再生装置もなく、あっても使い方がわからないからにすぎない。