<<目次へ 団通信1129号(5月21日)
田中 隆 | 「子法」の「修正」で「母法」の構造を変える −民主党・「修正案」の正体 |
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玉木 昌美 | 甲良町「解同」幹部の土地転がし疑惑事件、住民監査請求で契約は合意解除に | |
神田 高 | メディア寸評−ジャーナリズム批判の視点 |
東京支部 田 中 隆
一 「修正案」の提出
五月一四日、民主党は衆議院武力攻撃事態等対処特別委員会(武特)に「修正」案を提出し、平岡秀夫議員が趣旨説明を行った。
「修正案」は、国民動員法制(「国民保護法」案)の各論部分の「修正」に加えて、新たに第一一章、第一九五条・一九六条を追加して、第一九五条で武力攻撃事態法の「改正」(二五条から三三条の追加など)、第一九六条で安全保障会議設置法の「改正」(目的と諮問事項の追加)をやってしまおうというもの。各論「修正」は現在武特に係属している法案への「修正」だが、一九五・一九六条は〇三年六月六日に成立した事態法・設置法の「改正」であり、本来なら「改正」法案を提出しなければならない性格のもの。それを衆院審議「打ち切り段階」での「修正」でやってしまおうとするのが、「修正案の正体」ということになる。
「民主党は、緊急事態基本法の要綱の合意を衆議院通過の条件にした」と言われていたこともあって、案文を見るまでは「構造的な変更は次期国会以降に持ち越し」と考えていた。だが、この「修正案」が可決されれば武力攻撃事態法等の構造・性格が大きく変わり、事実上、「今国会で緊急事態基本法ができてしまう」という結果になる。
二 「修正案」の内容
1 武力攻撃事態法・安全保障会議設置法「改正」
(1)武力攻撃事態法
「緊急対処事態その他の緊急事態」を事態法に取り込み、「定義規定」「基本理念」「国・自治体・指定地方公共機関の責務」「国民の協力」を規定し、「緊急対処事態対策本部」は事態法上の機関とする。「緊急対処事態」の対処基本方針についての国会承認を規定する。
(2)安全保障会議設置法
対象に「緊急対処事態」を加え、「対処方針」「対処に関する重要事項」を諮問事項とする。
以上要するに、国民動員法制に盛り込まれた「緊急対処事態」を、武力攻撃事態法上の「事態」に「昇格」させ、武力攻撃事態・予測事態と並立させるとともに、国会の事後承認を要求したもの。民主党の「緊急事態基本法」(骨子)はなんども書き改められているが、最終のものと思われる「一六.五.一一」のものからは「危機管理庁」(日本版FEMA)が除かれている。これが「与党と民主党の合意」を反映したものと考えられ、この最後の「骨子」は武力攻撃事態法「改正」要綱にすべて盛り込まれている。民主党は「別法」の基本法制定ではなく、「武力攻撃事態法の改正」のかたちで、「民主党結党以来の党是である緊急事態法の制定をはたす」とするものと考えられる。
なお、「緊急対処事態」を武力攻撃事態法に昇格させると、国民動員法制の第八章(緊急対処事態)の規定と重複を起こすが、第八章には手が加えられていない。国民動員法制は武力攻撃事態等についても事態法と重複規定をおいているから、「手をつける必要なし」とされたのだろう。
2 国民動員法制の各論「修正」
「修正」項目は以下のとおり。
(1) 放送事業者である指定公共機関の「放送の自律の保障」の挿入(第7条(2))
(2)武力攻撃事態等・緊急対処事態における「現地対策本部」(第二四条(2)〜(7)、第一八二条(2))
(3)指定公共機関、指定地方公共機関の「業務計画」作成における労働者の理解と協力(第三六条(4))
(4)「訓練」において、災害対策基本法による防災訓練との有機的な連携への配慮(第四二条)
(5)国民保護に関する「計画」「訓練費用」の政令で定めるものを国庫負担(第一六八条(1))
いずれも部分的な「微修正」であって、構造にはいささかも影響しない。
三 民主党「修正」の意味するもの
国民動員法制の各論「修正」はこの間の審議のいくつかの論点を拾い上げたもの。「現地対策本部」否定論の論拠は「中央コントロールの必要」だが、「トップダウン」が確保できれば問題にはならず、「計画・訓練の国費負担」も「財政難の自治体引き込み」の「呼び水」として機能するから、与党としても異論のないところだろう。
武力攻撃事態法・安全保障会議設置法「改正」も、最大論点だった「日本版FEMA」がはずれて、「国民動員法制に入れておいた『緊急対処事態』が昇格して、国会(事後)承認が加えられるだけ」というものだから、政府・与党の受容は織り込み済み。「ソ連軍侵攻・本土決戦」を想定した有事立法研究=自衛隊法「改正」から出発した「大時代的有事法制」が、「非対称の戦争」・海外侵攻型有事法制に整理されていく過程の一場面ということにもなる。
この「改正」によって、「国防法」だった武力攻撃事態法は「危機管理法」の色彩を強め、安全保障会議は「国防上の機関」から「危機管理上の機関」に変質することになる。民主党が当初加えようとしていた「大規模災害等」は法文には登場せず、「防災訓練との連携」や附則におかれる「国民保護協議会と防災会議の一体的運営の検討」に反映されている(武力攻撃事態法の目的に加えられる「緊急対処事態その他の緊急事態」の「その他」に対応する規定はない)。
法制上の問題は、第一意見書「戦争の道を歩んではならない」で論じた「危機の混同の誤り」にほぼ尽きており、「危機は峻別すべし」との対策本部の見地からすれば、およそ評価に値する「改正」ではない。政治的には、この間進行している「軍事と治安の融合」「警察の有事化」をいっそう加速し、「防災訓練との連携」「防災会議との一体的運営」で「災害対策の軍事化」も引き起こすだろう。警察法制・「生活安全条例」や災害法制等も含めた複合的な研究・検討が必要になるだろう。
四 五月の永田町と神を恐れぬ終末
「修正案」の提出を受けた永田町は、「年金不払い政局」だの「サマワでの本格的銃撃戦」だの「突然の訪朝発表」だのと、なにかとかまびすしい。延長が不可能な通常国会の会期はあと一箇月、ほとんど「綱渡り的な議会運営」が続き、選挙を控えた参議院では継続審議でつなぐという芸当もできない。
「頭のなかは選挙でいっぱい。法案どころではない」「地元に『不払い』の『おわび行脚』を繰り返している」等々が、五月一四日の国会要請で民主党秘書が語ったまことに正直な述懐。「本日衆議院で修正案が・・」「エーッ!」というのも、「密室」を旨とする民主党ならではの光景である。
それにしても、その永田町の衆議院審議終了段階で、「子法」の国民動員法制の「修正」で、「理念法」「プログラム法」としてきた「母法」の武力攻撃事態法を変えてしまおうとする思考と手法には想像を絶するものがある。こんな手法がまかり通るなら、「改正」が繰り返されている地教行組法あたりの「改正審議」の最終盤に、「教育基本法『改正』条項を『修正案』ですべり込ませる」ことすら可能になる。
「神を恐れぬ法案の神を恐れぬ国会審議の末の、神を恐れぬ修正」とでも評せようか。
(二〇〇四年 五月一六日脱稿)
滋賀支部 玉 木 昌 美
滋賀県の甲良町では、かねてから長寺地区同和対策促進協議会が要望していた長寺センター建替えの用地について、「解同」幹部の土地転がし疑惑が問題となり、西澤伸明氏ら三名が二〇〇四年(平成一六年)二月二〇日、住民監査請求を行った。
当該土地は、長寺地区同和対策促進協議会(以下「長寺同促」という)に「解同」長寺支部長の立場で委員に入っていたA氏が平成一三年一〇月一九日、家族二人の名義で購入し、平成一五年一〇月七日、これを甲良町に転売していた。
西澤氏らが問題としたのは、第一に、その土地の購入については、平成一四年三月二二日の本会議で、六反、三〇〇〇万円の議決があっただけであり、その後、当該土地がセンター建替え用地から児童公園用地の移転先に変更になり、さらに町は建設予定地を不明とするなど目的が上記協議会の意向で変更になり、また、規模も六反から三反に変更になったにもかかわらず、議会に諮ることはなかったことである。このように、目的や規模の変更にもかかわらず、何らの議決がないことを問題にした。第二に、土地転がし疑惑である。「解同」幹部のA氏は、当該土地を一六九五万六〇〇〇円で甲良町に売却する契約を締結し、半金の八四五万六〇〇〇円を受領した。関係筋の情報によれば、A氏が当該土地を三八〇万円あるいは三八〇万円+α(裏金)で購入している模様である。そうであるとすると、この転売で実に巨額の利得をしたことになる。A氏や家族はそもそも農業をしておらず、農業委員会がその家族の農地取得を許可したことにも疑義があった。他人からの小作をするということで辻褄あわせをした可能性があったが、農業委員会の議事録を見ても、本当に農業をするのか疑問が出されており、実際にA氏が転売前に農業をしていた形跡がないだけに疑問があった。また、A氏はこの建替え問題に深く関わってきた人物であるだけに疑惑は深まった。こうして、この売買が特定の者の利益を確保するためになされたものであることが濃厚となった。議会では、反あたりの金額が五〇〇万円から五五〇万円に増額するという説明がなされ、さらに契約は六〇〇万円に増額されたが、そもそもセンター建設の中心人物の上記利得は町民の納得が得られるものではなかった。
二〇〇四年三月一二日に、西澤氏と私が監査委員に対して意見陳述を行い、解決するには利得がないように再度契約すればよいとし、必要な調査を行ったうえで適正な判断がなされるように要請した。尚、意見陳述の冒頭、職員が請求書の写しをA氏らに手渡していた守秘義務違反事件を問題にした。当該職員はその場でその事実を認めたものの、謝罪については留保した。
四月二〇日、監査結果が出されたが、それは、「合議には至りませんでした。」とする異例の結論であった。滋賀県内では例がないという。大野善士雄監査委員は、「改築計画において、町行政や町議会よりも、『長寺同促』や『解同』長寺支部の意向が優先され、決定権があるように判断した。本件土地取得にしても、前述の団体の意向によって進められている。」「買収土地に建設しないで、その土地に児童遊園地を移設することが決定された経緯があるが、これは目的外使用で用途変更になる。当初の予算議決から、取得面積、単価、事業内容・目的等が変更になるのであれば、議会の再議決が必要と解する。」「本件土地の所有者が、二年前に前所有者から購入した価格と、町が買収した価格にかなりの差額が生じていることは、転売利益を誘導したと疑われても仕方のないことである。」とされた。請求人の主張を真正面から捉えた的確な判断である。圧力に屈しない勇気ある判断として評価できる。
この監査結果を踏まえ、訴訟の準備をしていたところ、四月二三日、甲良町とA氏との契約は合意解除され、契約内金は甲良町に支払われた。翌日付文書でその連絡を受けた。これにより、訴訟をするまでもなく、西澤氏ら三名の請求の目的は達成された。新聞報道によれば、地権者A氏から「疑惑の目で見られるのが耐えられぬ。」と申し出があったとされているが、町側としても、「解同」幹部のA氏の土地転がしに協力したと受け取られる恐れを否定できず、西澤氏らの追及の前に疑惑を払拭する必要に迫られたこと、また、合併問題もあり、この件で訴訟を抱えたくないという判断から合意解除に至ったと考えられる。
今回の闘いの意義は、「解同」優先のでたらめな町政のあり方にストップをかけ、巨額の税金を「解同」幹部に利得させず、町の貴重な財産を守ったことにある。訴訟をするまでもなく、監査請求の目的を達成する大きな成果をあげたといえる。西澤氏らも長寺センターの建設は必要と考えているが、今回疑惑の土地への改築を断念させ、誰もがその建替えを喜ぶことができる一歩を進めたことも、長寺地区の人はもとより、町民から喜ばれることになろう。全国的にみても、教訓的な闘いであったといえる。
東京支部 神 田 高
1 雑誌『創』四月号に、「新聞ジャーナリズムの危機」を論じた座談会が掲載されていた。有事法制や「二大政党論」で結果的にジリジリと読売の土俵に引き寄せられていき、政府のコントロールの網に巻き込まれていく状況がのべられているが、私が具体的に問題の核心をついていると思ったのは、フリーのジャーナリストの魚住昭の発言だった。魚住は、「記者クラブ制度下での記者の感性の劣化」を問題にしている。
「記者の質というか感じる力が、二〇年間共同通信にいて、どんどん落ちていく。記者クラブ制度の中で、官庁の情報を処理していくのに習熟していけばいくほど、各記者の考える力が落ちていく。僕自身もそうだったし、まわりもそうだった」「まっとうな人間が持っている感覚、例えば“イラクに爆弾が落ちたら、そのイラクの爆弾を自分の問題として考える”という感覚が果てしなくすり減っていく構造が、今のジャーナリズムにはあって、それが紙面に露骨に現れてくるから人は新聞を読まなくなる。」「同時に、世の中で起きていることをきちんとした目で捉える記事がなくなりつつあるから、政府も容易にメディアコントロールできる」。魚住は、記者クラブ取材は、「官僚の目線を自分のものとして身につけていく過程だった」し、記者の「感性の劣化」、普通の人間ならもつはずの視点の欠落の集積が、例えば毎日の論説の「転向」を生み出すという。加藤周一が、日本の知的基盤の後退が人間的な感情、「怒る能力」の喪失に根ざしていることを指摘しているのも(『軍縮問題資料』二月号)、同じことを言っているのだろう。
2 その例証が、『論座』四月号に出ていた。一つは、毎日の中堅女性記者の「社民党よ、独自の憲法案を打ち出せ」である。政治部の野党担当だそうだ。その動機は、「国会議員の圧倒的多数が改憲に向けた議論を始めている今、衆参わずか一一人となった社民党」の起死回生をかけて「積極策に出」て、「あえて改憲論議の土俵に乗るべき」だと言うのである。もっと露骨に「組織防衛の観点から」「政権入り」(!?)しても堪えうる「憲法観を固め」よと叱咤するのである。テロやゲリラに対処するため九条を書き換えよというあたり、憲法の素養があるのか疑うが(仮にテロが国内でおきても、F一五を発進させよとかイージス艦を出航させよなどとならないことは中学生でも分かるだろう)、「政権入り」して間違った路線をとってしまった政党の生き残りのために「憲法」を道具にするなど邪道中の邪道である。憲法は権力をしばるものである。彼女にとっては、「国会内」が「世界」なのだろう。
他方、「平和構築のための民主主義支援」の活動をしているジャーナリストの論文「戦争放棄の理念を武器に非軍事面で国際貢献を」は自ら世界に出ていった中での憲法体験を論じていて説得力があった。憲法九条を知らなかったマケドニア国連大使に英文憲法をわたすと「世界中の国がこういう憲法を持てば、軍隊はいらなくなる」と感嘆されたことから、国際会議に出席するたびに、日本国憲法の英訳コピーを持ち歩いているのだそうだ。彼は、「日本人の責務は、憲法九条のもとでこそ建てられる平和戦略を創出することだ。テロリストが生まれる経済的・社会的土壌にメスを入れ、その原因を除去する平和的なノウハウを国際社会に提供し実践する」、その役割を国際社会に向けてもっとアピールすべきだという。現実世界を見た極めてまっとうな意見である。彼と彼女の「世界」にどれだけ大きさと広がりの違いがあることだろう。
3 同じ趣旨のことは、辺見庸が最近の『抵抗論』の中の「マスメディアはなぜ戦争を支えるのか」(『新聞労連』一月号が元になった対談)でも言っている。明珍さんを相手にかなり辛辣な言いようをしているが、鋭くメディアの現場を抉っている。「記者よりも市民のほうがよほど問題意識があるね。」と辺見は言うが、一番後に「顔のない群体から意識をしっかり離脱した、少数の例外的な新聞労働者たちの苦闘に期待し、応援したい」としめくくっている。
『DAYS JAPAN』を創刊した広河隆一は、巻頭言で同誌創刊の理由に「アフガン、イラク戦争でのメディアの敗北」を言っているが、メディアを取り戻すためにどうするか。あきらめるのはまだ早い。闘いはこれからだ。