<<目次へ 団通信1135号(7月21日)
村田 智子 | 子どもを立ち直らせるものは何なのか 〜学校と警察の連絡制度について思うこと |
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守川 幸男 | 二歳の女児の交通事故死亡事件 千葉地裁判決の報告―男女平均賃金、慰謝料四二〇〇万円など― |
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大久保賢一 | 憲法特別論集を読んで | |
渡辺 脩 | 永尾日弁連副会長の意見を批判する | |
大前 治 | 郡山総一郎さん、「イラクの現在、そして日本の未来」を語る ―憲法改悪に反対する大阪法律家懇談会(準備会)が集会を開催 |
東京支部 村 田 智 子
根底にある「子ども観」
今年六月一一日付けの団通信(一一三一号)で長澤彰団員が紹介されたように、学校と警察が子どもの情報について相互に連絡しようという動きが全国的に広がっている。新聞報道等によれば、現時点ですでに二〇以上の都道府県でこのような連絡制度ができているらしい。このような制度については、今、団本部、東京支部で緊急プロジェクトチームが組まれ、多方面からの検討が始まっている。
私は、今年の五月集会の教育の分科会で宮城の草場裕之団員からのご報告を聴いたのがご縁で、このプロジェクトチームに加わっている。そして、「子どもの権利からの視点で連携制度を検討するように」という宿題をこなす過程で、連絡制度の基盤にある「子ども観」に、違和感と、悲しみを覚えた。
この制度の基盤にある「子ども観」というのは、子どもを「可塑性に富み、人格を備えた存在」としてみるのではなく、子どもを「社会に有益な人材」、「問題児あるいはその予備軍」、「どちらでもないその他大勢」と見る子ども観であり、言ってみれば子どもを「道具」としてみる子ども観である。
どうして私がこのような子ども観に違和感と悲しみを覚えるのか。これをきちんと説明するためには、私の十代の頃に遡らなければならない。個人的な話、それも二〇年以上前の話を持ち出すことをお許しいただきたい。
「あなたは一生幸せにはなれない」
これは、私が、中学の卒業式授与の際に、担任の教師から言われた言葉である。当時、私は、不登校(当時の言葉では登校拒否)をしていた。元気に中学校に通っていたのに、中学校二年生の頃から部活動の人間関係でつまづき、二年生の三学期頃からほとんど学校に通えなくなった。中三のときには、二〇日程度しか登校していない。一九八一から八二年にかけてのことであるが、当時は、不登校は「病気」以外の何ものでもなかった。そのような生徒は卒業させないというのが多くの中学校の方針であり、私の通っていた中学校でも、私を卒業させるかどうかでかなり話し合いがもたれたらしい。幸運なことに、私は卒業を許可され、定時制高校への進学も決まった。
それでも、私は卒業式にさえ出られず、校長室での卒業証書授与となった。その際に担任の教師から言われた言葉が、「あなたは一生幸せにはなれない」ということであった。教師は怒りに満ちていた。何度も級友が迎えに行くのに、なぜ学校に来られないのか。そんな勝手な、人間関係をなんとも思わない人間が幸せになれるはずがない。あなたは卒業後、定時制高校に通うことになっているらしいが、通えるわけがない。定時制高校には、もっと厳しい環境で生きている生徒さんがたくさんくる。やっていけるものか。ましてや、大人になって働いたりはできないと思う。心の底から反省しなさい・・・・。
私は、悔しかったけれど、反論はできなかった。教師の言っていることは、「論理的」には合っているからである。些細なことで躓いて学校に行けなかった子どもが、もっと厳しい世の中でやっていけるわけはない、というのはある意味では正論であった。それに、卒業させてもらえるだけでも有難いと思わなくてはいけない。
このときの担任は、私が中一のときの担任でもあった。中一のときは、私が比較的優等生であったこともあり、大変かわいがってもらった記憶があった。その分、担任の失望と怒りは強かったのだと思う。
二人の教師との出会い
しかし、私は、その後、定時制高校に4年間通いとおし、友人を得、幸せになった。それはなぜだったのだろうか。
中学の担任の教師の言葉を聞いて悔い改めたからか。これはまったく違う。私は、今でも、不登校をしたことを後悔したことなど一度も無い。髪の毛が真っ白になってしまった父親や、激しい非難を浴びた母親には悪いと思ったし、毎日遊びにきてくれた友人には感謝している。でも、後悔はしていない。ましてや、中学の担任に対して「あなたの言うとおりでした。反省しました。」などと言う気はまったくない。
では、強くなって別人のように生まれ変わったからか。これも違う。残念ながら、私は変わっていない。今でも、ショックを受けて「心の扉を閉ざしてしまいたい」と思うことがある。ただ大人になったので日々の生活の中での小さな楽しみも多いし、他の人に対してずけずけ言えるようになったので紛れているだけである(もちろん、これはちっともいいことではない)。
私が元気になったのは、定時制高校で出会った二人の教師の影響が大きい。
一人は、高校の四年間ずっと私たちのクラスを担任をしてくださった渡辺先生である。渡辺先生は、頼りがいがあるけれども飄々とした先生で、私は一度もプレッシャーを感じたことはなかった。母の話によると、高一のとき、保護者面談で私の母が渡辺先生に会って話をしたとき、「あの子は登校拒否をしていたんです」という母に対し、「ほう?」と一言で答え、さらに「あの子は感受性が強すぎるんです」と訴えた母に対して、「定時制に来るお子さんは、今までの人生の中でいろいろと感じたりしているお子さんが多いので、皆、感受性は強いですよ。智子さんはたいしたことないですよ」とニッコリ笑って答えたらしい。でも、本当は、渡辺先生は、入試の際に、高校側が私を受け入れるかどうか迷った際に、「どのようなことがあったにせよ、入りたいと思う人にはチャンスをあげたほうがいいですよ」と主張して、進んで受け入れてくれた人なのである。そのことを先生の口から聞かされたのは、私の結婚式のときであった。そのとき、私はもう司法試験に合格していたこともあり、先生としては「まぁ、もうそろそろ話してもいいだろう」と判断されたのであろう。
もう一人は、家庭科の阿部先生であった。昔風の、厳しい女性教師であった。阿部先生は、私が入試の際に面接を担当してくださった。「あなた、ちゃんと高校に通えるの」という阿部先生の問いに対して泣き出してしまった私に対して、言葉では厳しかったが、私のことを一生懸命に理解しようとする姿勢が、幼い私にさえよく分かった。入学後も、二人で話す機会があると、「あなたは病気なのかもしれないから、ちゃんとお医者様にかからなければね」等とおっしゃったが、先生の目の奥は心からの心配と優しさにあふれており、私は少しも不快でなかった。
この二人の先生と、個性豊かで優しい友人たちのお陰で、私は無事に高校を卒業し、すっかり元気になった。
「世間」の人たちの中には、私が不登校のときや定時制高校に行っているときには軽んじ、大学に合格すると手のひらを返したようにほめそやす人も多かった。それは私にはつらいことであった。不登校時代はともかく、定時制高校まで馬鹿にされるのは、事実にも反しているし、悔しかった。でも、先生方と、友人たちは、いつも変わらぬ信頼で、支えてくれた。
子どもを立ち直らせるのは何なのか
自分の経験をすべての子どもに当てはめることはできない。ましてや、今は時代も違う。でも、これだけは言える。
子どもを立ち直らせるのは、表面的な叱責や、非難ではない。ましてやレッテル貼りなどではない。その子をその子のままで受け入れ、信頼する心なのではないかと思う。
学校に対して、いかなる場合にでも警察と連絡を取るな、とは言わない。でも、警察に連絡を取る前に、その子のことを考えて欲しい。その子は、今は本当に情けなく思えるような子かもしれない。でも、一人の人間として傷つき、若くてまだ可能性を秘めている子どもの一人なのである。虞犯になる手前の行為についてさえ、警察と学校とで連絡を取らなければならなくなる、そういう方向で学校に圧力がかけられるなど、もってのほかである。
私も、今は一〇歳の娘の母親であり、娘のことに関しては、友人関係も含めて、ついつい心配性になる。「うちの子が被害者になったら」ということばかり考える傾向もあり(「加害者になったら」という考えることはあまりない)、「少年事件の厳罰化」などにもうなずきたくなることもある。
私自身も、よく自戒し、娘のことはもちろん、本当に子どもたちのことを考えていくようにしたいと思う。そんな今日この頃である。
以上
千葉支部 守 川 幸 男
1 はじめに
かなり前になるが、岩田研二郎団員が「ある『本人訴訟』と司法 『交通死』(二木雄策著、岩波新書)」として、この裁判を援助した経験を報告した(団通信一九九七年一二月一一日号、八九七号)。当時、そこで紹介されていた「交通死」の本を読んだ。一九歳の大学二年生のお嬢さんを交通事故でなくした神戸大学経済学部教授の二木氏が、岩田団員の援助を得ながら、控訴審まで本人訴訟で闘った記録だ。同じような事件が来たらやってみたいと思っていたところ、二〇〇二年四月二〇日に発生した交通死亡事故の相談が来た。二木教授や、のちに「クルマ社会と子どもたち」の著書のある杉田聡帯広大学教授の協力も得て、両親と事故を目撃した四歳の兄を原告とし、加害者本人と保険会社を被告として裁判を行った。
本年五月一四日に千葉地裁(小濱浩庸裁判官)で判決があり、自賠責保険金二三八九万円強を除いて約四八〇〇万円の支払いを命ずる判決があった。
2 現場を「子どもたちの遊び場」「生活道路」と強調し、親の監督義務違反に基づく過失相殺の主張を否定
本件事件現場は、一般車両の通行がほとんどない住宅地内にあり、ここを前方確認することなく約一五キロメートルの速度で右折した加害車両が、三輪車にまたがっていた被害者を轢過した。この加害者は同じ住宅街の行き止まりの地点付近に住んでいた。
杉田教授は現地を訪れ、鑑定意見書を作成してくれた。
裁判官も、検証の正式手続ではないが、事実上現場を見た。そのうえで、くり返し「子どもたちの遊び場」「生活道路」と強調した。
3 男女の平均賃金で逸失利益を算出
本件被害者が年少者の場合であったことから、将来の就労可能性の幅に男女差は存在しないとして、男女雇用機会均等法、労働基準法、男女共同参画社会基本法も引用して、男女平均賃金をもって基礎収入とするのが相当とした。
最近の裁判例で、この考え方はかなり定着してきているのであろうか。
なお、生活費控除は三〇%を主張したが、未就労の男子年少者との権衡等の事情も考慮して四五%控除された。
4 中間利息控除率は五%で、三%の主張は認めず
二木教授に詳細な意見書を書いてもらったが、判決は、低金利の現状については認めつつ、破産法、会社更生法、民事再生法における将来の請求権の現価評価の規定も引用し、法的安定及び統一的処理の見地から、一律に法定利率により中間利息を控除することが相当であるとした。
5 慰謝料は合計四二〇〇万円
―目撃した兄のPTSDは否定しつつ慰謝料二〇〇万円
被害者本人の慰謝料三〇〇〇万円、両親の慰謝料各五〇〇万円、事故を目撃した兄の慰謝料を二〇〇万円、合計四二〇〇万円を認めた。同種事案の中でもかなりの高額である。
加害者の過失の重大性などを強調したことと、両親のがんばりが功を奏したものと思われる。
6 事故から自賠責保険受給までの遅延損害金も認める
損害賠償金については、不法行為時から遅延損害金を支払うべきものであるが、自賠責保険金の支払いは、通常は事故から数か月後となる。この間の遅延損害金を認めた最高裁判例もあり(最高裁第三小法廷、平成一一年一〇月二六日判決)、本件では、さらにその支払日の翌日からの遅延損害金も請求した。判決はこれも全て認めた。
7 被告による控訴
被告は控訴した。そこで原告としても、中間利息の利率等その主張が認められなかった点もあり、定期金賠償方式への切り替えも検討することにして、附帯控訴する予定である。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
「なぜ憲法九条を護らなければならないのか、どのようにして護るのか」の特別論集を遅ればせながら通読した。改めて団員の熟慮と感性に感動を覚えている。勉強になるし、励ましを受けている。まだ読んでない団員がいるとすれば、ぜひ目を通していただきたい。少しだけ、感想を述べてみる(ただし、憲法改定の動きの背景事情などは除く)。
「街を行く人たちは、自分の国が向かおうとしている方向が怖くないのだろうか。私は怖い。日本は今、世界の平和を壊す方向に力を注いでいる。どうしたらいいんだろう。」(神奈川・渡辺登代美)、「生活保守主義といわれようと何といわれようと、私は、今の予測可能な日々をこよなく愛する。私は自分の幸せと自分の愛するもののために戦争に反対する。普段、憲法や九条を意識することのない私でも、軍隊に反対し、戦争に反対し、少しでも(戦争の)可能性が遠ざかるように努力していきたいと思う。それは、九条があってもなくても、変わることはない。」(神奈川・杉本朗。杉本さん、ギミー・シェルターの意味を教えてください)。ぼくは、この二人の感性に共感している。なぜなら、自分自身がなぜ戦争と軍隊に反対するかということを自分自身の固有の関心から出発しているからである。「私は怖い。」、「九条があってもなくても戦争の可能性が遠ざかるようにしたい。」というのは、この日本社会の一員として、また一個人として、「皮膚感覚」(杉本朗)を伴って現在と未来を見ているのではないだろうか。
この自らの問題として改憲問題を考えるという傾向は、二人だけにとどまらない。「憲法九条と私」(大阪・西晃)、「私が戦争に反対する理由」(大阪・城塚健之)、「『わがこと』として非戦憲法花開く日本・世界のクリエイト!」(長野・毛利正道)などは表題そのものがそうなっているし、個人的体験として「軍国少年の死生観」を語る静岡県支部の田代博之団員や、「私は共産党員ではない。私のバックボーンはキリスト教であり、聖書であり、・・・」という東京の村田智子団員にも、一人称による九条へのアプローチがある。
この「皮膚感覚」に裏打ちされた一人称の言説は、地方の一人事務所で「平和憲法を死なせてはならない」と活動する新潟の工藤和雄団員、「インディペンデント(無党派層)の人々と対話し、学習を重ねること、そのために私たちの目線は常に草の根に向けられるべきであり・・・互いに学びあうことによって共通点を探り、一致点を確認し、それを拡大していかなくてはならないと思います。」(神奈川・増本一彦)との発言や、「『革新懇』運動にも力を」(山梨・関本立美)、「地域から憲法決戦を見る」(東京・高木一彦。久しぶりの高木節うれしいね。)などに継承され、九条の価値を「戦争体験から語る、宗教から語る、歴史から語る、政治から語る、教育から語る、思想や哲学から語る、文学から語る、訴訟から語る、労働者や市民の立場から語る」憲法九条広報委員会構想(東京・瀬野俊之)へと結実する。瀬野論稿のサブタイトルは「知恵の糾合と拡散」である。正鵠を射たサブタイトルだと思う(瀬野さんの言葉には、詩も含めて、不思議な説得力がある)。
かくいうぼくも、憲法九条問題を一人称で語ることから始めたいと思う。九条の問題を「いかに分かりやすい言葉で国民に語りかけるかが問われている。」という滋賀の玉木昌美団員、「国民の問題意識に答える工夫を」(埼玉・山崎徹)、「新しい担い手を」(埼玉・斎田求)などの問題意識に答えるためには、この時代に、一人の人間として、なぜ自分が九条の改定に反対するのかについての信条から始めなければならないと思うからである。人々が、世代も、現実の生活も、したがって発想も行動様式も、違うのは当たり前である。しかしながら、戦争も軍隊もないほうがいいと考えている人のほうが圧倒的に多いだろうから、いかなる「改憲イデオロギー」(東京・神田高)がはびこり、「騙しのテクニック」(大阪・上山勤)が駆使されたとしても、人々は自らの幸福を求めて虚偽と欺瞞を乗り越えるであろう。だからこそ、まず問いかけるべきは、自分はなぜ憲法九条の改定に反対するかの確認である。ぼくは、人間は、軍事力に頼らなくとも、共同体の形成はできると思うし、そのために努力したいと思う。人間が感情と欲望の存在であるということなど、誰かに言われなくたって自分の姿を見れば十分に承知している。けれどもそれと、国家や正義の名の下に、相互に殺戮し合うことを容認することとは、別の問題だと考えている。資本の野放図な活動の確保のための戦争と人間性一般の問題とを混同してはならないと思う。自分に感情や欲望があるからといって、戦争に反対していけない理由はない。
いわんや、世論調査で自衛隊と米軍駐留を認める回答のほうが多いから、個別的自衛権だけを認め、集団的自衛権の行使に歯止めをかけるために九条を変えようなどという発想(東京・木村晋介)はぼくにはない。瀬野団員が自由法曹団の進む方向として「憲法九条を擁護するとは、九条の文言一切の変更を許さないということである。」としていることに賛成である。集団的自衛権の行使というよりも、アメリカと共同して軍事力で他国を支配しようとしている支配層にとって、現行九条と国防軍を合憲化した憲法とどちらが都合がいいか明瞭ではないか。今でも落城の危機が迫っているというのに「本丸を守るために外堀を埋めよう。」というのだろうか。この主張が誰を利することになるのか。三歳児でも分かることではないか。問われているのは、集団的自衛権の行使だけではなく、国際紛争解決のために武力の威嚇と行使をしないということと、戦力を持たない、交戦権を否認するということに同意するかどうかなのである。
最後に自戒を込めて確認しておく。現代日本の政府も、もちろんアメリカ政府も、その正統性は国民の多数派の支持にある。その意味で、権力は国民の信託を受けて成り立っているのである。だから政府を批判することは、その背景にある政権支持者(積極的か消極的かは問わない)との有形・無形の摩擦や衝突は不可避なのである。「帝国市民」(城塚健之)として同時代を生きる人たちと、何が違い何を共有できるのか、その事の解析のないままには、人々との共感も共同も成立しないであろう。とりわけ、国家の安全保障と国民の安全が意図的に混乱させられ、安全がスーパー基本権であるなどという言説がはびこっている時代には、国家と個人の人権のありようについてだけでなく、他国の民衆とのかかわりについての深い洞察が必要となるであろう。「憲法改悪阻止の運動の大道に敵はない」(東京・大崎潤一)と思いたいけれど、「憲法改悪阻止の運動にも大道はない。」とも思うのである。それはともかくとして、ここでは「改憲が迫っていると浮き足立つことも、何か新機軸を打ち出さなければと右往左往することもありません。私たちの運動は、現にこれまで五〇年以上にわたって改憲を拒んできたのです。その運動をまた明日から始めることではないでしようか。」という大崎団員の結論を援用しておくことにしよう。(2004.7.11記)
東京支部 渡 辺 脩
一、福岡支部の永尾廣久さんが、「自由法曹団通信」の本年六月二一日号に、「五月集会雑感」と題して、次のように書いている。
「実は、団の司法改革問題分科会に、私は、あまり参加したくはなかった。例の『一条の会』ばりの観念的なそもそも論が青法協と同じく、団内にも横行するようになっているので、消耗感があったからだ。それでも、日弁連副会長になったこともあるので、現実を無視した観念論がこれ以上横行するのをやめさせる義務があると思って参加した。…果たして、国選弁護を担っているのは弁護士自治だと言えるのだろうか…あたかも日弁連執行部について、彼岸にいる『階級敵』のようにとらえて、ことさら反対論を言い立てる団員がいる。悲しいことだ。」
この永尾意見は、冷厳な現実を知らず、また、見聞しているはずの歴史的事実を無視しているという点で、大いに誤っている。
二、私は、本年三月二一日、青法協の第一二回人権研究交流集会・刑事司法改革分科会にパネラーとして招ばれ、日弁連の調査室嘱託で刑事弁護センター事務局次長の桜井光政弁護士(個人参加の形だが日弁連代表として招ばれた)と討論したことがある(静岡大学・渕野貴生助教授も参加)。
この分科会では、討論の前に、否認の殺人事件(被害者一人)を題材とする改悪刑訴法適用の裁判劇が上演された。
それは、公判期日前準備手続で立証計画を具体的に提示できなかった弁護人が、その準備手続後に、被告人から、公訴事実の成否にかかわる新たな事実を打ち明けられ、第一回公判で、それに関する証拠調べを改めて請求したが、裁判長は、「整理手続の段階で請求できなかった」ことに「やむをを得ない事由」があったとは認められないとして却下し(新法三一六条の一七・三二)、事件をめぐる諸々の人間関係なども証拠調べなしで結審する(情状の諸要因もゼロ)という流れであった。その結果、裁判官たちの意見が有期の懲役刑だったのに対し、「人が一人死んでいるのに、それでよいのか」という裁判員の強い意見で無期懲役を宣告することになった。ありそうな事例で、リアリティは十分である。
問題点は多種多様だったが、私は、第一回公判期日前の弁護側の争点整理・立証計画提出の義務づけに焦点をしぼって議論した。
生きた刑事訴訟の実体からいうと、検察側の立証をチェックした後でなければ弁護側の立証計画は立たないのが当たり前であり、争点整理はできる場合も、できない場合もあるから、第1回公判期日前に、それらを一様に被告・弁護側に義務づける新規定は、被告人・弁護人の争う権利を根底から奪うものであって、私は、違憲・無効であると考えている。これは今回の改悪の最大ポイントである。
この問題について、桜井弁護士は、「いや、劇の例は、やむを得ない事由があると解釈できるから問題はない」というのである。「裁判長が否定しているのだから、あんたが、そう解釈しても、問題は何も解決しない」と迫ると、桜井弁護士が、今度は、「あれは、弁護人が無能だった」と言い出す始末。被告人・弁護人の防御権がいかに法的に保障されるべきかを論議している時である。弁護人の能力は無関係なのだ。日頃は温厚な私もさすがに怒った。聴衆も皆、呆れたり怒っていたりしたと、後で聴いた。
こんな議論では、「日弁連は権力の手先」とみられても当然ではないのか。これは、冷厳な事実である。永尾日弁連副会長としては、この日弁連代表発言の惨状をどう説明するのか。
三、私は、「国選弁護は弁護士自治が担っていると言えるだろうか」という点にも、「これが日弁連副会長の意見か」と驚いた。
かって、「弁護人抜き裁判特例法案」を廃案に追い込んだ時、全国弁護士会の総力を結集した運動の中で、日弁連は、「正すべきは正す」ことを含めて、「国民の支持を得ることのできる弁護士自治」を確立し、その「弁護士自治」に基づいて、いかなる困難があっても必ず国選弁護人を確保することを廣く国民に公約してきたのである(一九七八年「弁護士自治の問題に関する答申書」)。
在野法曹の立場に徹する「弁護士自治」のもとでこそ、困難な事件の国選弁護人を適切に選出・確保し、環境を整えながら必要な援助を与えることができるのであり、弁護活動に何らかの問題が発生した場合でも、弁護権への干渉を避けつつ、自律的な調整ができるのだ。この路線は、日弁連が歩んできた歴史的な事実である。
こういう保障のない体制のもとでは、真に争うべきを争うという弁護活動は抑圧される危険が大きい。ここでのキーワードは在野性であり、今の日弁連には、これが欠けていると思う。
私は、「麻原裁判」の判決後、東京三会の理事者たちに、麻原弁護団への支援を深く感謝するととともに、「今後の公的弁護は官製弁護人になり、本当には争えないから、特例案件については、私選弁護人の支援を組織的に用意すべきだ」との意見を述べておいた。
例えば、和歌山「カレー事件」で、記録謄写の費用と労力を私選弁護団が全部負担するだけでも、その困難は言語に絶するはずだ。
以上のような問題のとらえ方のどこが「観念的」であるのか、永尾さんに聴いてみたい。でなければ、私の議論を認めるべきだ。
四、私は、前記の「弁護士自治の問題に関する答申書」の起草者の一人として、「国民の支持を得ることのできる弁護士自治」との考え方を根本的に受け容れようとしない見解を強く批判してきたが、「一条の会」の底流にも、その誤った考え方が根強いと見ているので、そうであれば、私は思想的立場が異なるということになる。
しかし、現実の刑事司法の実態について言えば、捜査・起訴・裁判の全行程を通して、「一条の会」の現状批判は正しいのであり、権力の動向については、私も、同意見の点が多い。
「国民とともに」という日弁連の姿勢は当然の基本である。
だが、人権保障体系の強化こそ、国民に支持を求めるべき最大の課題であるのに、日弁連は、肝腎な中身を完全に取り違えて、人権の抑圧体制に手を貸している。それは新法の中身から一目瞭然だ。
「一条の会」ばりの議論が「団内に横行する」のは当然である。
永尾さんは、団員としても、日弁連副会長としても、「何故そうなるのか」自体をよく考えるべきではないのか。
私は、基礎的な事実関係を切り捨てて有罪の結論だけを切り取り、証拠を無視した「麻原裁判」の捜査・起訴・裁判の実態を具体的事実に基づいて分析した(本年二月三五館発行「麻原を死刑にして、それで済むのか!」)。また、弁護側の主張・立証を切り捨てるシステムの法制化こそ新法の正体であり、必要な弁護側立証を切り捨でる以上、刑事司法に裁判員の「健全な社会常識」を反映させること(日弁連意見)も「絶対にあり得ない」と書いた(「法律新聞」本年四月二三日号)。この事態は、今や通常の刑事事件に広がっているのだ。これらの私の議論は、すべて事実に基づく現場からの問題提起である。私は、今、その問題を中心に、「これから『人権の虐殺』が進むだろう。違憲・無効の悪法廃止を提唱し、現場で徹底的に揉むべきだ」と訴えている。若い人たちの健闘を祈る。
大阪支部 大 前 治
六月二四日、大阪にて「憲法改悪反対六・二四市民のつどい」が開催されました。主催は、四月に発足した「憲法改悪に反対する大阪法律家懇談会(準備会)」です。
この集会は、大阪の法律家が、既存の法律家団体の枠を超えて、市民とともに新たな運動を広げる第一歩でした。雨のなか、約四〇〇名の参加者が、大阪市中央区の会場に集いました。
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武村二三夫弁護士が開会あいさつ
集会の冒頭で、武村二三夫弁護士が開会あいさつをしました。武村弁護士は、憲法の危機的状況を述べたうえ、「私たちは、法律家として、絶対に憲法九条を変えてはならないと声をあげる責任がある。」と述べたうえ、「護憲勢力の力を結集して、改憲阻止、イラク撤兵を実現したい。われわれも法律家として何ができるか考え、行動したい。今は『準備会』だが、われわれ法律家の会が結成されたことを、まず知っていただきたい。そして、多くの市民の方と行動をともにして、広げていきたい。」と決意を語りました。
郡山総一郎さんの講演〜イラクの人との心の交流を語る
続いて、集会のメイン企画、「カメラマン 郡山総一郎さんが語る〜イラクの現在、そして日本の未来〜」と題した講演会が始まりました。郡山さんは、約四〇〇名が集まった会場を前にして、「多くの人がいるので、人質になった後の取材のときより緊張してます」と会場を湧かせたあと、今年の四月にイラク入りしたことを話し始めました。
舞台スクリーンで写真を示しながら、「こんな風に笑いながらアイスクリームを食べているのが本当のイラク人の姿なんです。」と話す郡山さん。イラクの人たちと、あたたかい触れあいをしてきたことが伝わります。だからこそ、アメリカ軍の攻撃の犠牲になった遺体の写真からは、無念さが伝わってきます。
「僕にとっての自己責任は、世界で見てきたことを伝えること。僕は、この仕事を続けていきたい。」と語る郡山さんの口調は穏やかでしたが、熱い気持ちが込められていました。
その後、成見暁子弁護士の司会で、パネルディスカッションが行われました。郡山さんは、自分が自衛隊に入隊した理由は、「公務員になるようにいわれたが、そのとき自分がなれる公務員は自衛隊しかなかったから。」などの秘話も紹介し、「自衛隊に入って思ったことは、国民を守ることを一番に考えている所ではないなぁということ。」と語りました。
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幸長裕美弁護士が読み上げた「集会宣言」に、大きな拍手が
集会の最後には、幸長裕美弁護士が、「私たちは、ここに、憲法の求める『不断の努力』に立ち上がることを決意する」という集会宣言を読み上げ、会場から大きな拍手が湧き起こりました。
閉会あいさつをした梅田章二弁護士も、「たくさんの人にきていただき、ありがとうございました。憲法をめぐる状況は予断を許しませんが、ご一緒に、大きな運動を広げていきましょう。」と、集会参加者と思いを一つにできたことに感謝の気持ちを表しました。
多忙ななか、遠く大阪まで来ていただき貴重な話をしていただいた郡山さん、参加された市民の皆さん、開催に協力いただいた皆様に、心から感謝します。
(参考)「憲法改悪に反対する大阪法律家懇談会(準備会)」
呼びかけ人弁護士 = 梅田章二、大川一夫、在間秀和、武村二三夫、藤木邦顕、鎌田幸夫、篠原俊一、杉島幸生、愛須勝也、大前 治