<<目次へ 団通信1138号(8月21日)
担当事務局次長 渡 辺 登 代 美
六月一〇日、自民党の憲法調査会、憲法改正プロジェクトチームが「論点整理」をまとめた。それを追いかけて自民党は、国民向けパンフレット「憲法改正のポイントー憲法改正に向けての主な論点ー」を作った。まずは、表紙(目次)を紹介。
自民党がつくる憲法は、「国民しあわせ憲法」です
1 美しい日本語で書かれた前文に
2 「現実の平和」を創造し、非常事態に備える
3 新しい時代に即した「新しい人権」を
4 「公共」とは、お互いを尊重し合うなかまのこと
5 緊張感をもって切磋琢磨する、統治機構のしくみ
6 現実に即した憲法の規定に
資料1 憲法改正に国民の八割が支持
資料2 制定後五八年間一度も改正されたことのない日本国憲法
「論点整理」の中で、自民党は、憲法はこれまでのように権力制限規範だと考えるだけでなく、「国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民が協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール」であるということをアピールし、憲法が国民の行為規範として機能し、国民の精神(ものの考え方)に与える影響についても考慮に入れて議論を続けていく必要がある、としている。非常に傲慢な表現である。国家権力が憲法に規制されないように憲法を骨抜きにし、自分たちが思う方向に国民の頭の中も変えていくぞ、といっている。でもこれは、公開されているとはいえさすがに一般大衆向けのものではない。
そこで登場するのが前記のパンフ「憲法改正のポイント」。
「自民党がつくる憲法は、『国民しあわせ憲法』です」。新憲法は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三原則をますます維持・発展させ、国民の誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」をめざすものである。また、科学技術の進歩や少子・高齢化の進展など、新たな課題に的確に対応すると同時に、家族や共同体を「公共」の基本をなすものとして位置づける。歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(「国柄」)などを大切にし、日本国、日本人のアイデンティティを憲法の中に見いだし、憲法を通じて国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるような憲法にしたい。この新しい憲法を一言で表わすとすれば、国民の国民による「国民しあわせ憲法」ということだ。
家族を、そして日本という国を大切にして、誰もが誇りにし、国際社会から尊敬される新しい憲法を自分たちでつくるのだから、国民の国民による「国民しあわせ憲法」なのだという。こんなことでだまされちゃうの?
パンフは全面、憲法改正の必要性をこれでもか、これでもかと訴えている。前文、九条はいうまでもなく、新しい人権、犯罪被害者の権利、生命倫理、国会と内閣の関係、憲法裁判所、道州制、はては裁判官の報酬や私学助成までも総動員である。
一番すごいな、と思ったのが4の「公共」に関する部分。見出しは次のように続く。
他人を尊重することからはじまる「公共」
家族は、一番身近な「小さな公共」
国家は、みんなで支える「大きな公共」
各人が他人を思いやり、相互に尊重しあえば、個人の関係からできる「公共」というネットワークができる。個人のネットワークの中で一番身近で小さなものは家族。児童・老親虐待の問題が深刻化して家族の在り方が問われている今日、家族間の責務というものを考えていかなければならない。そして個人のネットワークの一番大きな形態は国家。国家とは、ひとりひとりの国民の「他者の権利・自由を尊重しなければならない」という「責務」が集まってできたもの、自分の愛する家族や隣人とかの権利・自由の集合体である。自分のことばかり考えないで、国家や地域社会のことも考えること、すなわち国家の構成員としての国民の責務を憲法上位置づける必要がある、と展開する。
その後「かつて日本人が諸外国から親切で礼儀正しいと言われ尊敬されたのは、道徳教育が行き渡り、『修身、斉家、治国、平天下』(大学)という考え方があったからです。」と続く。「今の若い者は・・・」「このごろの先生は・・・」などとのたもうおじさんたちの共感を呼ぶのだろう。逆に、反発勢力は完全に見くびられている。
締めくくりは、「今後は、『他人への思いやりの心』を育てて行くことが何よりも大切なことと考えます。」。でも、ちょっと待って。家族の間に責務を決めて憲法で縛ることが「しあわせ」なの?自分の愛する隣人や国家に対してであれば、責務なんか決めなくても思いやりをもって接することができるはずでしょ。何か、おかしくない?
資料1の説明は、「最近の世論調査の結果でも、憲法改正について、国民と国会議員(衆議院議員)の八割以上が憲法改正を支持しています。この事実は、現在、憲法改正する環境が整ってきており、多くの国民がそれを望んでいるということです。」、資料2は、「諸外国においては、常に自国の憲法を見直し、その時代時代に合ったものにしようとする努力を重ね、主要各国は憲法改正を行っています。制定後五八年間、ただの一度も改正されたことがない憲法は、世界中を見渡してみても、日本だけで、極めて異例なことなのです。」。日本の国民は怠慢で憲法改正をしてこなかったが、そろそろ真面目にやらんか、というところか。
この国は、ここまできてしまっているんだ。自衛隊を軍隊として位置づけること、集団的自衛権を行使できるようにすること、そんなことはわかっていたから驚かない。確かに自民党も、今はまだ完全に自信をもっているわけではなかろう。しかし、このパンフの内容は国民の中に受け入れられ、またこの考え方を浸透させていくことが可能である、と踏んでいるからこそやったこと。甘く見るなよ、と言いたいところなのだが、見渡せば。今後ますます、たいして問題意識をもってこなかった人たちに対して、あえて旗色鮮明にして接していかなければならない。関心がなくて、もしくは意識はありながらも、集会に一度も行ったことのない人、署名を一度もやったことのない人、すなわち一〇年前の自分を、どうやったら動かせるか、一〇年前、何があったら自分は動く気になっただろうか、を考えてみよう。
活動家でない家族をお持ちの団員の皆さん、どうやったら、どう言ったら、夫が、妻が、子どもたちや両親が、自分の行動に共感してくれるか、家庭円満のためにも、こんな視点で考えてみませんか。
注)一〇年前、渡辺は専業主婦一五周年で、この業界に飛び込み、このようになってしまった。
東京支部 中 野 直 樹
司法分科会では、裁判員・刑事司法、総合法律支援法案、労働審判制度、敗訴者負担問題がテーマとなった。
一 労働審判制
団では、五月一二日に、司法民主化推進本部と労働問題委員会の合同で、学習会をもった。全労連幹部にも参加してもらった。最高裁はこの一一月までに規則をつくり、各地裁本庁に労働担当裁判官の配置の検討を始めているとのこと。労働審判員は、全国で労使双方から各五〇〇人選任する。連合から全労連に、正式に、推薦母体となることについての協議の申し入れがあった。予想では五対二の割合で、そうなると全労連は約一四〇名の人材を確保することが必要となる。地方では、両ナショナルセンター間の対立感情が激しいとことがあり、この推薦をスムーズにはかれるかどうかがまずはポイントとなる。そして研修組織を立ち上げ、ここでの研修方法と水準の確保をどうするかも大きな課題である。三回限りの審理方式についてもこれからの煮詰めである。
労働参審制を展望する団は、労働者の権利救済制度としての啓蒙、審理方式の検討、労働運動としても活かしていく活動にがんばりが求められている。
二 裁判員法・刑事訴訟法改正
永尾廣久団員が「五月集会雑感」として書かれた一文に対し、渡辺脩団員が七月二一日号で、この意見を批判する論考を寄せられた。永尾団員の文中に「例の『一条の会』ばりの観念的なそもそも論が青法協と同じく、団内にも横行するようになっている」との事実認識が述べられ、渡辺団員の批判意見のなかに「『一条の会』ばりの議論が『団内に横行する』のは当然である」との表現がある。私は、この「事実認定」と「評価」には違和感を覚えるし、表現としても情緒的すぎ、適切でない。
前号にも書いたが、今次司法改革をめぐっては団員間には、一八〇度異なる意見の相異も存在し、裁判員制度についても原理的な評価の分かれがある。これは当初からのことである。しかし、団は、対立関係をコンクリートして足を止めるのではなく、一致できるところを模索し、実践をする姿勢をとり、努力をしてきた。永尾団員が指摘するような「横行」はない。
団は、三月二四日付けで、団長声明「重大な決意をもって、裁判員法案・刑事訴訟法『改正』法案の抜本修正を求める」を発表し、法務委員会委員要請を行った。その後声明は団通信にはさんで全団員に届けた。この声明は、二月一二日付けで作成した「裁判員・刑事司法手続き(骨格案)に対する意見書」をベースに、三月一三日の常任幹事会での討議と三月一六日の全国会議での討議を経て確定した。かねがね残念なことと思ってきていることだが、団の常幹会議には、司法分野で日弁連で活動する団員の参加がほとんどなく、そのもっておられる情報と意見の反映が薄くなってしまう実態にある。しかし、今回は、全国会議に、日弁連で活動する団員が相当数参加され、激する応酬もあったが、一定の調整も行われて声明完成に至った。
団声明の根幹は、二つの法案を一体としてみて、「裁く側の都合」を最優先し、「裁かれる側の防御権」を現状よりも後退させること、裁判の公開と監視、批判による国民の司法参加を抑圧する仕掛けがあることを看過できない、とするところにある。これは「観念的な論」ではなく、かつて団員と団が苦闘してきた刑事弁護活動の経験と実践を踏まえたものである。
この課題での中心となっている日弁連執行部のなかには、裁判員制度は国民主権の実現であるとの理念を誇大視し、刑事司法手続きの改善がなくとも(いや改悪があろうとも)、裁判員制度の導入があれば刑事裁判はよくなるとの単純化した信念をもって、議員等を説得していた会員もいるやにきく。これこそ観念的で、誤導する路線である。団声明は、意図したわけではないが、この路線を批判したものでもある。
裁判員法は二〇〇九年から、改正された刑事訴訟法は明年九月から施行される予定である。新制度のもとで、改悪された部分を押さえ込み、勝ち取った部分を活用するための弁護・訴訟活動について実践的な意見交換と討議をしていく段階となった。これを、重要課題噴出の団で、どのような体制をつくって行っていけるのか。悩ましいことに、まだ私には描けていない。
三 総合法律支援法案
五月集会後、全会一致で成立した。分科会で、もっとも意見の出されたテーマであった。この構想は首相官邸からトップダウンで打ち出され、審議会や検討会でほとんど検討がなされず、しかも百数十億円の財政がからむことから、いきなり政官レベルの折衝課題となった。
「独立行政法人」形式は、国立大学などの「改革」で使われた手法で、大学の自治の点から厳しく批判がなされている。法務省からリーガルサービスセンター構想が突如打ち上げられたとき、弁護士会内でも、弁護士の職務の独立性と弁護士会自治の点から批判的な意見が強かったと思う。それが、扶助協会が早い段階で賛成を打ち出し、日弁連も昨年八月ころに基本賛成、修正要求の方針となった。スリムと効率化をキーワードとする「行革」のなかで相当な国家予算を獲得するためにはこの法人形式しかないとの「現実」の見極めを行ったことは推察されたが、一転してこの「法人」形式が「安全安心」な装置であるというような評価が流れ出した気がする。ここは不透明であった。
予想されたとおり、法案は、権力介入の仕掛けをもち、弁護士会の主体的な位置づけがないなど、団としてはとうてい賛成できるものではなかった。団の委員会ではあえて見解を出さないで推移したが、五月集会の特別報告集に、私が法案のみを読んで感じた「危うさ」をまとめて投稿し、四月常幹での討議も経て、衆院法務委員会の採決前日になり、「法案に反対する」団長声明を出して、政党と法務委員会理事あてに送信した。
法案審議としてはほとんど意味のなさない時期に作成したこの声明が、予期しなかった波紋を生んだ。(もう一回続く)
東京支部 神 田 高
私が住む東京三鷹市で、「三鷹9条の会」(仮称)を立ち上げることになった。一一月二〇日に市の公会堂で一般市民向け講演会を開催し、このときに全市的な「9条の会」をつくるとともに、これに向けて、市内の各地域(七〜八地域)で「(地域)9条の会」をつくっていこうと話し合っている。七月二四日の全国「9条の会」発足記念講演会後は、講師要請が殺到するだろうと見越して、事前に大好きな大江健三郎さんへの講師要請をしておいたが、諸都合でダメとのことなので、現在ふさわしい講師をお願いしているところである。幸いに三鷹市は文化人も多いので、幅広い方に「三鷹9条の会」の呼びかけ人になってもらおうと取り組んでいる。参加は個人加盟。三鷹は、平和運動や革新懇の活動も活発で、私も三鷹革新懇の一五周年記念の集いで、元NHKアナウンサーの酒井さんと対談をしたことがあるが、「9条の会」は革新懇運動より幅が広い。先の参議院選挙では、投票者の四割以上が民主党に投票している。管直人のお膝元でとなりの武蔵野市と並んで最も民主党の影響力の強い地域である。広大な無党派層を含め、どれだけ幅広い人々に参加してもらえるかが運動の成否のカギとなる。
実は、この取り組みをするきっかけとなったのは、参議院選終盤で“改憲問題”がほとんどマスコミで隠蔽され、有権者に意識されていないと感じて、有志で急遽地域の「9条の会」を立ち上げ、駅頭で全国「9条の会」のアピールをチラシにして配布し、ハンドマイクで各党の動きやアメリカの改憲への圧力に警鐘をならす宣伝活動をおこなったことであった。これには、地域の団事務所の拠点の武蔵野法律事務所の協力も得ておこなった。「勉強しているのと、街頭に出て宣伝活動するのと違う。やっぱり外に出ないとね。」との感想も出された。この宣伝活動に参加したメンバーを中心に、「せっかくだから三鷹市でも「9条の会」をつくろうよ」と相成った次第である。
さらに、実は、宣伝活動をやった人と私が結びついたきっかけの一つに、私が住んでいる三鷹市内の井の頭地域で二年間取り組んできた「井の頭アピール」活動がある。団のアフガン空爆調査団でパキスタンから帰国したあと、療養中で多少時間ができたので、空爆反対、有事法制、イラク戦争反対のアピールを七回も出すことになったが、この取り組みで財産ができた。七回も続けると顧客もできて、中にはビラ配りを手伝ってくれる人も出てきた。もちろん、呑み友達となった。憲法学の名誉教授の方ともオシャベリ友達となって、アピール運動をしなければできなかった地域の人との平和の人脈ができた。息子が通う保育園の園長も「保育園で9条の会をつくりたいのだけれど。」と話していた。ふりかえってみて、これが「草の根」なのかなあと思う。「改憲問題」と課題はとても大きく見えるが、やることはソウ変わらない気もする。
八月末には、団本部主催の改憲問題の徹底討論合宿が行われる。団が「9条の会」(名称にはこだわらないが)をはじめ、国民の「草の根」での憲法擁護の闘いで、どれだけの力量が発揮できるかー運動の組織化とそれを支える理論ー正念場である。団としての取り組みの基本方向が合宿をふまえて打ち出されることを期待して。
福岡支部 角 銅 立 身
第1、記事
1、第五五五号(平成一三年一〇月二六日発行)の内容(以下第一記事)は、H氏(h町内会長、建設業者)が、「町を被告として、五〇〇万円の支払などを求める損害賠償請求訴訟を、平成一三年八月一七日に福岡地方裁判所I支部に提起した。」「S、Y、Aの三議員を相手にして、一審判決で敗訴した「損害賠償請求事件」とほぼ同じ内容のものです。議員の中では、「どんなことでも、やたらと訴訟を起こせばよいというものではない、恥ずかしい」と失笑や批判の声が広がっています。
2、第五六四号(平成一四年一月二五日発行)の内容(以下第二記事)は「清水議員は一二月議会で敬老会の欠席者に支給する『お茶の葉』の納入(約三〇〇〇袋、一業者、約一〇〇〇袋)、更に、年末に生活保護者の一部に支給される毛布(約二〇〇枚)の納入に、御茶屋さんでも衣料品店でもない葬祭屋が引き受け、納品していることを取上げました。」
平成葬祭は、平成一二年九月一日から、奥さんの名義に変更されています。執行部は、「行政の不公正」を認め、早急に善処することを約束しました。
3、第五六七号(平成一四年二月一五日発行)の内容(以下第三記事)は、「H氏が今度は清水議員に筋違いの攻撃」との見出し及び「常に真実を報告するのが「ふれあい」の生命」との小見出しのもと、「ふれあい」五五五号に掲載されている内容が、H氏の名誉を毀損したとして清水議員に、「三〇〇万円の慰藉料を支払え」と福岡地方裁判所I支部に訴えを起こしました。代理人には、筑豊合同法律事務所・登野城安俊弁護士、角銅法律事務所・角銅立身弁護士が合同であたることになりました。
4、第五七七号(平成一四年五月二四日発行)の内容(以下第四記事)は、「損害賠償請求事件H氏が三連敗」との見出しのもと、平成一三年五月一五日福岡地方裁判所I支部で行われ、「原告の請求を棄却する」との判決が出され、H氏が町や議員らを訴えた一連の損害賠償請求事件のうち、控訴審を含む三件の判決が行われ、H氏は全て敗訴したことになります」との記事が掲載されている。
第二、争点に対する判断
1、争点1(名誉毀損の成否)について
最高裁昭和四一年六月二三日判決・民集二〇巻五号一一一八頁と最高裁平成九年九月九日判決・民集五一巻八号三八〇四頁の各要旨を引用して、違法性阻却と故意又は過失の否定される事実を摘示。
(1)、第1記事について
原告が指摘する「虚勢か、嫌がらせか」との部分及び「賠償がとりにくいと気が付いて町を訴えた」との部分は、何れも、原告がI町の町会議員らを相手に訴訟を提起したものの、原告が敗訴したという事実及び、原告がその後事実上同一の紛争につき、I町を相手として訴訟を提起したという事実を前提に、I町を相手とする新たな提訴をもって、「虚勢か、嫌がらせか」と論評し、あるいはそのような提訴をしたのは、「町を相手にした国家賠償法に基づく賠償でないと、仮に勝訴したとしても賠償がとりにくい(取れない)と気が付いたからではないか」と推論したものと解するのが相当である(なお、記事の文面上は、第三者たる「議員」の意見表明という形式をとってはいるものの、これに何ら留保が付されることなく、編集者ないし執筆者の責任において引用・紹介されていること、その前後の文脈からすると、上記「第三者」のみならず当該記事に関与した編集者ないし執筆者自身の論評・推論でもあると解すべきである)。
したがって、原告の社会的評価を低下させる部分は何れも意見ないし論評の表明というべきであるから、これに関する上記基準に照らして判断すると、原告個人の訴えとはいえ、I町という地方公共団体を一方当事者とする訴訟に関するものであるから、公共の利害に関する事実に係るものであり、訴訟の経過を住民に報告するという専ら公的な目的を図るためになされたと認められる。そして、意見ないし論評の前提としている上記事実が認められることは上記前提事実のとおりであるから、真実であることの証明があったというべきである。また、その内容に照らし、意見ないし論評としての域を逸脱したものであるとはいえない。
(2) 第二記事について
同記事は、原告が代表をしていた平成葬祭が納入業者となったことについて、町執行部が脅迫を受けた結果、あるいは利益を供与した結果かという疑惑を指摘するものであるが、その内容・文脈に照らすと、原告自信が脅迫しあるいは利益供与を受け、又はこれに関したことを暗に示すものといえるから、原告の社会的評価を低下させるものである。
同記事は、I町では、かっての一括入札による弊害を解消すべく、分離発注を原則とし、専門業者ないし専門店を指名する方式が採られていたのに、平成一二、三年ころの敬老会の欠席者に対する茶の支給や、生活保護者の一部に対する毛布の支給に関して、茶や毛布を専門的に取扱っているわけではない、平成葬祭が指名を受けて納品したという事実を前提に、平成葬祭に対する指名が、従前採用されていた分離発注の原則にそぐわないとの判断のもと、そのような腑に落ちない事態が生じたのは、「脅迫を受けた」ためか、「利益供与」として行われたためか、と推論し、あるいは「私利私欲のためのもの」「軽蔑すべき行為」であると論評したものと解するのが相当である。
したがって、原告の社会的評価を低下させる部分は何れも意見ないし論評の表明というべきであるから、これに関する上記基準に照らして判断すると、I町という地方公共団体が行う入札に疑問を呈するものであるから、公共の利害に関する事実に係るものであり、その疑問自体及び被告が町議会においてその疑問を示して町執行部を追及したことを住民に報告するという専ら公益的な目的を図るためになされたと認められる。そして、意見ないし論評の前提としている上記事実が認められることは上記前提事実のとおりであるから、真実であることの証明があったというべきである。また、その内容に照らし、意見ないし論評としての域を逸脱したものであるとはいえない。
また、町執行部が認めた不公平性の内容は限定されており、「町執行部は『行政の不公正』を求め早急に善処することを約束しました」という記載は、前後関係からは誤解を招く感がないではないが、内容が虚偽とまでは評しえないし、平成葬祭の代表の変更も原告自身が届け出て公にしていることであって、必ずしも違法な個人情報の開示とはいえない。
(3) 第三記事について
原告は、同記事が、読者をして、原告が不当な訴訟を次々と提訴する恥知らずの人物であると疑わせるに足る内容であり、原告の社会的評価を低下させるものであると主張するが、同記事の本文は、原告が慰藉料を求める訴えを起こし、これに対して、応訴の準備がすすめられているという訴訟の経過とともに、訴状の内容を紹介するにとどまり、この限度においては原告の社会的評価を低下させるような内容とは到底いえない。かろうじて、「筋違いの攻撃」である旨述べたものと受け止められる恐れがあるものの、訴状の内容の具体的部分を取り上げた上で具体的理由を示して「筋違いの攻撃」と結論付けたなどというのであれば格別、上記のような訴訟の経過及び訴状の内容という偏りのない内容の記事を踏まえた上で、被告側の立場から、これを単に「筋違いの攻撃」と論評したというだけでは、原告の社会的評価を低下させるものというには足りない。
また、これを日本共産党に対する攻撃とした点も、本件での被告の主張にあるとおり、被告や日本共産党では、「振れ合い」の発行責任は日本共産党嘉飯地区委員会にあると考えているのであるから、それを虚偽として責任を問われることにはならない。
(4) 第四記事について
原告は、同記事が、読者をして、恥知らずな理由なき訴えをする悪質な訴訟マニアででもあるかのごとく思わせる内容であり、原告の社会的評価を低下させるものであると主張するが、同記事は、原告がI町を相手に国家賠償を求めた訴えに対する判決が言い渡され、原告が敗訴したこと、それ以前に判決がなされたものも合わせると、三件全てにおいて敗訴したことになることを述べたにとどまるのであって、それ以上に、訴えの内容に踏み込んでその当否を述べたり、原告の人格を論評したりするものではないから、原告の社会的評価を低下させるものとはいえない。
2、結論
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
福岡地方裁判所I支部 | 裁判長裁判官 | 有吉一郎 |
裁判官 | 平島正道 | |
裁判官 | 田中幸大 |
第三 I町での勝訴報告集会(六月二〇日)では、副議長や議員らも含め、約五〇人の参加者に仁比聰平弁護士(自由法曹団員)への参議院当選の為のお願いをした。なお、H氏は公認ではないものの、特定宗派の会員で、四月の選挙で町会議員に当選。
以上
担当事務局次長 坂 勇 一 郎
今年三月一九日閣議決定された「規制改革・民間開放推進三カ年計画」では、借家制度の抜本的見直しとして、(1)定期借家制度の見直し及び(2)正当事由のあり方の見直しが掲げられた。同計画は、総合規制改革会議の議論を経てとりまとめられたものである。総合規制改革会議の議論の中では、「日本の正当事由制度というのは、万国に冠たる強力な解約制限」、「先進国を自負するのであれば、こんな制度を残しておいて、土地利用について先進国並みだということにはとてもならない」「必要性が高いかどうかということを裁判官が決められるものか」「早々に撤廃してほしい、通常の自由契約ができるようにしてほしい」等と、正当事由制度に対する敵意が委員の中から強く表明されていた(第一三回アクションプラン実行WG)。
自民党は「定期借家権等特別委員会」において、借家制度の抜本的見直しを検討している。今年初め、自民党は定期借家制度の見直しを内容とする法案を通常国会に提出する方針と報道されたが、参院選挙で後が切られた先の通常国会には、結局法案提出は行われなかった。しかし、自民党は議員立法として法案を提出する方針をもって動いており、早ければ秋の臨時国会にも法案提出される情勢にある。
住宅不動産業界が中心となり学者等も集めて組織されている定期借家推進協議会が今年二月に発表した意見書では、(1)定期借家制度の見直しについては、書面による説明義務の廃止、居住用建物の借家権について定期借家権への切り替えを認めること、居住用定期借家権における借主からの解約権の特約による排除、(2)正当事由の見直しについては、家主側の自己使用の必要、老朽化による建て替え、高度利用等を正当事由とすること、右の事由がない場合にも家賃数ヶ月分を支払えば家主側の更新拒絶を認めること、を提言している。正当事由制度を実質的に廃止する内容というべきである。
もちろん定期借家推進協議会等経済界の中の推進勢力の掲げる見直しがそのまま法案化されるとは限らない。しかし、この間経済界が中心となって上記見直しへの動きを作り上げてきていること、政府の総合規制改革会議の議論状況も推進派の意見のみが強く打ち出され、借家人側の意見は全く反映される機会も与えられていないこと、そもそも定期借家制度自体借地借家法改正法案が廃案になった直後に議員立法により提出され短時間のうちに可決されるというクーデター的導入が行われたことに鑑みれば、事態は決して楽観し得ない。
こうした情勢を受けて、全国借地借家人組合連合会の呼びかけにより、借地借家法改悪反対全国連絡会の再開への動きが始まった。七月二〇日再開のための関係団体による会議がもたれ、八月二四日には第二回の会合が予定されている。
団内でも借地借家法改悪問題について、改めて議論を整理し情勢を分析するとともに、今後の取り組みについて検討を行いたい。次回、市民問題委員会でこの問題について議論を行う予定であるので、是非多数のご参加を得たい。
記
大阪支部 宇 賀 神 直
この度、篠原義仁さん「元幹事長・川崎合同法律事務所」がそんな題の付いた本を著しました。篠原さんは大衆的裁判闘争の先頭に立ち、常に新たな地平を切り拓いてきましたが、その蓄積の山の上から、熱い思いを込めて過ぎし日々を回想し、これからの闘いの展望にも思いを馳せて、この本を世間に出したと思います。本の中身は、第一部・公害問題と向き合って、第二部・税金裁判・オンズマン活動に参加して、第三部・労働裁判を闘って、の三部からなっていますが、殆どが篠原さんの講演録で彼の話声が聞こえてくるようであり、今この場で篠原さんの話を聞いているようです。読み終わってみると、民衆のために闘う弁護士の心意気とその力を担っている篠原義仁団員を再認識しました。
篠原さんは、法科の学生、司法修習生、若い弁護士に読んで欲しいと書いていますが、私もそのように思います。出来たら篠原さんを講師に呼んで解説して頂くとよいと思う。それには是非ともこの本を買って下さい。一冊二〇〇〇円のところを一六〇〇円にしますとのことですので早めに注文して下さい。「注文先・川崎合同法律事務所篠原義仁あて・FAX 〇四四・二一一・〇一二三」
今 科 子
自由法曹団の皆様、こんにちは。私は、五月集会・総会の時にお手伝いをさせて頂いてます、今科子といいます。私の本職は、沖縄言葉指導と役者をしてます。今年の総会が沖縄で開催されると聞きましたので、沖縄に行く前に皆様にぜひ見てもらいたい映画がありますので紹介したいと思います(私も一シーンだけ出演してます)。
『風音』(第二八回モントリオール世界映画祭正式招待、アジアフォーカス・福岡映画祭2004正式招待決定)
沖縄の芥川賞作家・目取間俊さんが、自らの小説『風音』『内海』をベースに、初めて書き下ろした『風音』。沖縄の風土に根づく人々の暮らしや、様々な生き物たちの気配に溢れた自然を力強いタッチで切り取り、幻想的で濃密な物語世界を創り上げ、ベルリン国際映画祭他数々の映画賞を受賞した世界的監督・東陽一さんが、これまでの日本映画にも沖縄映画にもない、まったく新しいジャンルの映画を生み出しました。
【物語】
舞台は、夏の沖縄。強い海風が吹くと、不思議な音がきこえる「風音」の島。
浜辺の切り立った崖の中腹にある風葬場に、頭蓋骨が置かれている。銃弾が貫通したこめかみの穴を風が通り抜けるとき、音が鳴るらしい。人々から「泣き御頭(なきうんかみ)」と呼ばれ、島の守り神として鎮座していた。
ある夏の日、少年たちが「泣き御頭」に小さないたずらをする。その日から「風音」が止み、島のおだやかな日常にさざ波が立ち・・・。島に生きる者、それぞれの記憶が重なり合いながら、「風音」の謎が明らかになる。魂を運ぶと言い伝えられる蝶の群れ、頭蓋骨を守る大きなカニ、浜辺で蠢くヤドカリ、テラピア、ハブ、海、空、米軍ヘリ、戦争。
いまオキナワからきこえる。ぼくたちの島のまだ終わらない物語。
映画の登場人物には、ロケ地の沖縄北部・本部町で監督に見出された清吉おじー役・上間宗男さん(地元の海人=うみんちゅ)、耳切おじー役・治谷文夫さん(地元の画家)。オーディションで選ばれた島育ちの少年たち。沖縄芝居のベテラン、吉田妙子さんと北村三郎さん。そして、本土からやってくる老婦人役の加藤治子さん、夫婦役の光石研さんとつみきみほさんまでもが、オキナワの原風景の中に溶け込んでます。
音楽は、ジプシー音楽とバッハの「アリア」。この音楽が、沖縄に対する先入観を心地よく裏切り、脚本の幻想的なイメージをふくらませる。この映画のエネルギーは、きびしい歴史を生き抜いてきた最強ジプシーバンド「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」の楽曲から生まれる。この映画のセンチメントは、バッハの「アリア」が流れるシーンにある。「動の音」と「静の音」が、寄せては返す波のように、物語は最終章へと運んでいきます。
沖縄で先行上映しまして、動員数一万人に達成!で、大ヒット作品に!
東京でも七月三一日より、渋谷ユーロスペース・テアトル新宿にて夏休みロードショーで上映してます。チケットは、特別鑑賞券一四〇〇円です。チケット希望の方は、劇場窓口・チケットぴあ・都内各プレイガイド、若しくは、FAX・〇三・三三二四・七二二九(今科子)まで宜しくお願いします。
観光ではない沖縄、本当の沖縄を感じとって欲しいと思いますので、ぜひ、沖縄に行く前に皆様に観て頂きたい作品です。