<<目次へ 団通信1141号(9月21日)
松島 暁 | 二〇〇四沖縄総会の案内 その2 なぜ沖縄でシンポジウムを開くか 〜総会プレ企画(二三日)沖・韓・日シンポへのお誘い |
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瀬野 俊之 | 非戦の販売戦略 | |
内山 新吾 | 「アホ」の称号を授与された、あたらしい憲法学習会のはなし | |
大久保賢一 | 憲法改定問題と弁護士会の役割 | |
井深 真澄 | 八月の改憲阻止合宿に参加して |
事務局長 松 島 暁
1 総会前日の一〇月二三日(土)に総会プレ企画として『沖・韓・日シンポジウム 基地被害の現状と基地撤去実現の課題 東アジアの平和構築に向けて』が開かれます。
先日、パネラーの一人、新崎盛暉・沖縄大教授と打合せをもちました。その時の新崎教授の話の中にこんな話がありました。
一九五二年四月二八日、当時、新崎教授は都立小山台高校の二年生でした。その日の朝、校長先生が朝礼で、「今日はアメリカの日本占領が終る日です。皆さんで万歳を三唱しましょう」と・・・・。新崎さんは沖縄二世、「それまでは自分は生粋の『日本人だ』と思ってきた。沖縄を切捨てた独立に万歳はできない。このことがなければ、沖縄に関心を持つことはなかっただろう」というお話が印象的でした。
2 シンポジウムの第一部は、「東アジアにおける平和をめぐる状況と課題」がテーマです。新崎教授からは『アメリカの東アジア戦略と日米同盟の中の沖縄』という報告がされます。沖縄の戦後と現在はアメリカのアジア戦略を抜きには語れませんし、昭和天皇が占領中にアメリカに沖縄の長期占領を依頼するなど(沖縄メッセージ)、日米同盟(談合)の象徴が沖縄でしょう。したがって本シンポは「沖・韓・日」シンポであって「日韓」シンポではありません。日(ヤマト)側が日米同盟=冷戦のダーティーな部分(基地)を沖縄に押しつけることにより、日本からは基地の暴力(被害)は見えにくくなるため、沖縄における暴力(被害)が増大していったにもかかわらず、そのことに気付かず冷戦の果実(経済成長)だけを享受した日本、この悪循環を断ち切るというコンセプトです。
韓国の民弁からは『韓米同盟下の韓国民主化闘争の現状と課題』という報告を予定しています。南北分断という歴史をもつ韓国においてはアメリカとの関係はより直接的です。冷戦の被害を直接受けたのも韓国でしょう。韓米同盟は日米同盟以上の「国是」であるなか、韓国の民主化闘争はどこまで来たのか、課題は何なのかを問います。「民主的」政権=盧武鉉政権は韓米同盟のもとイラクに派兵を決断しました。韓国でもイラク派兵違憲訴訟が起きていますが、韓国最高裁判所は合憲の判断を下しました。
そして日本では日米同盟をより強固なものとするため集団的自衛権の制約=九条の制約を取払うことを目指し改憲が現実の政治日程となっています。日本側からの報告は『日米同盟(対米追従)下における改憲策動の現段階』です。
以上、第一部の柱は、アメリカの東アジア戦略であり韓米・日米「同盟」です。アメリカの世界戦略とどう向きあうか抜きに東アジアの平和を語ることはできないでしょう。
3 第二部は「基地撤去闘争・訴訟の現状と課題」がテーマです。民衆運動の切り口から平和を考えます。
新崎教授の『第三次沖縄闘争の到達点と課題』は、一九九五年の少女暴行事件以降の沖縄の民衆のたたかいを概観します。一人の少女の犠牲の上に、大田知事による代理署名拒否、普天間基地返還、象のオリのたたかいをへて、現在、辺野古を舞台に座り込みとボーリング調査の強行とが対峙しています。そんな中、普天間基地所属のヘリコプターが沖国大に墜落するという事故が起きました。宜野湾市民大会には三万人の人々が集りました。九五年以降の民衆運動の流れの中に今日のたたかいが位置づけられています。
沖縄のたたかいの特徴は、隣国韓国に波及したことです。韓国の運動のスローガンの一つに「沖縄に学べ」というものがあります。韓国民弁からの『梅香里射爆場における撤去闘争の成果と問題点』という報告は、民衆運動が国境を越え東アジアの規模で展開し始めたこと、日本ばかりか沖縄の運動すら乗りこえて展開している状況を明らかにするでしょう。日本側からは横田・嘉手納・普天間等の基地爆音訴訟の報告が予定されています。
4 第三部は「日韓沖民衆連帯の到達点と将来」は第一部、第二部をふまえ、今後、東アジアの民衆の交流と共同行動を模索するものです。この間、京都・東京支部単位での韓国民弁との交流、若手団員の訪韓と共同行動など様々な動きが出ています。民衆の連帯・共同行動のバージョンアップをめざします。
5 団総会(プレ企画)は、辺野古のたたかい普天間ヘリ事故のたたかいのちょうど高揚した時期に開かれます。ぜひ『沖・韓・日シンポジウム 基地被害の現状と基地撤去実現の課題 東アジアの平和構築に向けて』にご参加ください。
尚、このシンポは新人学習会を兼ねています。新人弁護士を迎える予定の各事務所におかれましては、本企画への新人弁護士の参加の呼びかけと手配をお願いいたします。
◆日時 一〇月二三日(土)午後一時〜
◆場所 沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)
◆プログラム
第一部 東アジアにおける平和をめぐる状況と課題
・アメリカの東アジア戦略と日米同盟の中の沖縄
・韓米同盟下の韓国民主化闘争の現状と課題
・日米同盟(対米追従)下における改憲策動の現段階
第二部 基地撤去闘争(訴訟)の現状と課題
・第三次沖縄闘争の到達点と課題
・梅香里射爆場における撤去闘争の成果と問題点
・辺野古基地建設と環境破壊
・日本の基地闘争(横田、上瀬谷等々)
第三部 日韓沖民衆連帯の到達点と将来
東京支部 瀬 野 俊 之
憲法九条は、売れ筋の「平和の商品」だと考えている。この商品を売り尽くすことに自由法曹団は社運をかけるべきだ。憲法九条という商品を国民の過半数に受け入れてもらうための販売戦略が必要だ。憲法九条の価値を、誰に、どのように語るか。
書店に行くと、女性ファッション誌の多様さに驚く。読者を年齢別に細分化し、ターゲットをしぼっている。九条の販売戦略をたてる上でもこのことは配慮するべきだ。国民の各階層、年齢層への語り口は千差万別であっていい。九条の価値は「非戦」である。その本質はひとつでも、現象のしかたは多様であっていいし、またそうでなければならないと思う。企業から委託を受けた主婦たちが膝をつき合わせて商品開発に知恵を絞る。主婦の要求する商品を主婦が開発するのである。
販売戦略を立てるためには、消費者の意識調査が必要だ。その意味で先日行われた憲法合宿でわが国の国民意識の実態を最初の論点にしたことはよかったと思う。ただ、今後、実践との結びつきを意識した掘り下げた議論が必要だろう。企画・販売会議の開催である。団員ばかりでなく、高校の社会科の先生など外部からも参加してもらったらいいと思う。各団員が憲法学習会で用いた「レジュメ」を持ち寄っての品評会もおもしろい。
憲法合宿で、世代間ギャップが論点になった。これについては、どうもしっくりしない。世代間ギャップの存在がなぜ問題なのか。改憲反対闘争を進めていく上で、具体的にどのような障害が生じているのか。世代間のギャップは存在する。肝心なところでの相互理解を進めることは大切だが、それ以上の課題ではない。私は、団内に、社会に存在する世代間ギャップがそのまま投影されていることこそが重要なのだと思う。そうだからこそ、社会に向かっての多様な表現が可能となるのだ。世代を越えた、のっぺらぼうな理論・語り口は、普遍性を有するようだが、私にとっては魅力はない。
憲法合宿で、報告者から、これからは弁護士が知識人としての役割を果たすべきだとの問題提起があった。私は、弁護士が「層」として知識人に入るのかどうかについて関心がない。考えているのは、知識人もしくはそれに類する人々の語り口には限界があるということだ。知識人の役割を軽視しているのでは、決してない。左翼知識人及び弁護士、とりわけ戦争体験のない世代の非戦を訴える語り口は、私も含めて、限界があるし、どこか「説教」調だ。憲法合宿最終日に事務局からの発言があった。「弁護士は話が下手」なのだという。この発言は真摯に受け止めるべきだ。私たちのもっとも身近な理解者、アドバイザーは事務局である。何をどうするかも含めて、事務局に意見を求めるのは有意義だ。「こうすればいいのに」と普段から考えている事務局は多いと思う。すぐには答えはかえってこないかもしれない。言葉を選んでの発言になるだろう。しかし事務局の率直な意見は必ず参考になる。そして事務局とともに行動するのである。
憲法合宿で、報告者から、将来、「九条の会」とは別に、政党・労働組合による改憲阻止共闘会議をつくるべきだという問題提起があった。しかし違和感がある。改憲反対闘争の戦線をイメージする場合、政治戦線を頂点とした三角形構造はなじまないと思う。「九条の会」をはじめとする多様な憲法擁護の団体と個人が社会の中に末広がりに存在し、これをとりまとめて具体的な課題を提起する場も複数存在していい。
私の戦線のイメージは、三角形ではなく、台形構造である。別の表現をすれば、改憲反対闘争は「おでん」であるべきだ。「非戦」という統一の味に味付けられながらも、大根、ちくわ、たまご等の具が個性を輝かせている。その個性は最後まで保たれるべきだと思う。理由はあれこれである。しかし、一言でいえば、国民の価値観の多様化と情報の多様化の二点が、安保闘争時とは決定的に異なるからである。
「非戦」はさまざまな視点から語られることが大切だ。歴史、宗教、哲学、経済、教育、文学、労働運動、あるいは訴訟。そして戦争体験。音楽、絵画、ファッションなどあらゆるパフォーマンスが求められる。個性ある無数の「九条の会」が形成され、豊かな活動と交流が発展することを期待している。
討議で生まれる確信は実践で得た自信に勝るものではない。「九条の会」を重層的統一戦線(渡辺教授)として発展させるためにも、運動の主体が改憲反対闘争に自信を持てるような生き生きとした取り組みを考える必要があるだろう。
「戦争を放棄するのか」「戦争に行くのか」を全国民に問うたたかいである。
私は、全然負ける気がしない。英知を結集しよう。
山口支部 内 山 新 吾
1 突き動かされるものと不純な動機と
私のように、あまり「動いて」いない団員のところにも、憲法学習会講師の依頼がドッと来るようになりました(せめて、口ぐらいは動かせ、ということなのでしょう)。とくに、この二週間は、大きいもの小さいもの、単発のもの継続的なもの、あわせて四回も集中しました。
講師依頼は、基本的に受けることにしています。なぜか。何といっても、私自身、いま戦争が「身近」になってきているという不安、どうにかしなければいけないという思いが、かつてなく強いこと、それがベースにあります。加えて、やや不純な動機もあります。一つは、「罪ほろぼし」の気分。ふだんまともに「活動」していないことへの、負い目。メーリング・リストなどを通じて、すごくがんばっている人をみると、学びたいと感じつつも、逆に落ち込むことすらあります。だから、せめて「受け身」ながら、要請があれば、断らないことにしているのです。二つめは、「現実逃避」。「味方」であり続けるには骨の折れる依頼者と、ひどいけれど「敵」とは思えぬ相手方、というパターンの市民事件に忙殺され、準備書面の提出期限は守れず・・・という日常の仕事からしばし逃げてしまいたいという気持ちがあります。三つめは、多少のスケベ心。これから紹介する学習会のようなケースがこれにあたります。このように、三つ(くらい)の不純な動機が、平和への思いを行動にかりたててきたのですが、ここにきて、参加者から元気をもらえるのがうれしくて、講師に、はまりつつあるのが現状です。
前置きが長くなりましたが、最近講師を担当した憲法学習会のうち、これまで経験した学習会(主に、民主団体、労働組合主催のもの)と比べて、格段に「手ごたえ」があり、楽しかったものを紹介します。
2 きっかけになった、その前の学習会
今年六月に、愚妻の友人の紹介で、市内の子育て支援ボランティアの人の自宅で、数名の若い母親を対象に、憲法の学習会をやりました。九条「改正」問題を中心に話しました。
そのときの参加者の一人の話によると、話を聞く前は、「なにい? 憲法九条?何を始めるんじゃー!?」という感じだったそうです。
私も、少し不安でした。参加予定者が、いつもとちがって、およそ「運動」などと縁のない人ばかりでしたから。
ところが、すごい反応でした。参加者は、「子どもたちのために、平和を求める私たちの思いが、なぜ小泉さんに伝わらないの?」「政府はどうしてアメリカのいいなりになるの?」と涙ながらに訴えました。自分の祖父母から聞いたという戦争体験を紹介してくれる人もいました。学習会の途中、子どもたちが「乱入」してきて、コーヒーの中にせんべいを入れてかきまわす、というひとこまもありましたが、本当に熱心に耳を傾け、そして、自分の思いを語ってくれました。
その学習会に参加した人が中心となって、別の子育てサークルをまき込んで企画されたのが、今回の学習会でした。
3 あたらしい学習会の風景
場所は、市内の市民活動支援センターの「井戸端会議室」。私は、このセンターの建物に入るのは、初めてでした。さすがに、託児の態勢はバッチリでした。広報もゆきとどいていました(もっとも、スペースの関係で、二〇名までと限られていました。でも、いいあんばいの人数です)。参加者は、全員女性で、若い母親が主でした。
「講義」の内容は、九条「改正」問題を中心にしたもので、とりたてて特徴のあるものではありません。冒頭に、弁護士として関わった事件で、「命が大切にされていない社会」を反映したものとして、一六才少年の母親バット殺人事件、高校教師の過労死事件、じん肺訴訟などを紹介。そして、最近の米軍ヘリ墜落事故(「人の命よりメダルの方が重い」と思っている首相の話を含む)などにふれたあと、憲法とは何か、九条「改正」のねらいは何か、の二点にポイントを絞って話し、まとめとして、九条は理想でもあるけど、すごく現実的だぞ、平和を願う人なら誰だって平和のたね・九条を育てていけるし、「改正」をくいとめる力になれるぞ、という話をした次第です。それなりに、特徴があるとすれば、私自身の思い、怒り、素朴な疑問、思考方法などを(おやじギャグをちりばめつつ)さらけ出して、この問題を考えるヒントを提供するようにしたこと、資料は、写真入りの新聞記事などわかりやすいものを選択したことくらいでしょうか。「戦争のつくりかた」「茶色の朝」などの本も紹介・引用しました。
講義の途中、みんなが少し疲れてきたころあいを見はからって、大原穣子さんのCDから九条の「大阪弁」と「広島弁」を聞いてもらいました。終盤では、笠木透の名曲「あの日の授業(あたらしい憲法のはなし)」も流す予定だったのですが、これは、CDをうっかり忘れてしまいました。なお、コントを披露する時間はありませんでした。
時間オーバーで二時間たっぷりの話でしたが、驚いたことに、眠った人はいませんでした。すごいな、と思いました(同じ話をしても、「既製」の学習会だと、絶対に居眠りする人がいます。運動に疲れているから、仕方ないのですが)。
話のあとで、参加者全員が感想を出しあいました。「噂の内山弁護士の話が聞けてよかった」というヨイショ発言は別として、すごく元気の出る、ヒントのたくさんつまった感想ばかりでした(少々、長くなりますが、あとで紹介します)。
おわりに、主催者から、立派な(「どうしようもない」と同義らしい)ボランティアに捧げられる、という、「アホ」の称号をもらいました。くそ忙しいのに、レジュメつくって、資料つくって、力をこめて話した、その心意気が何となく伝わったのかもしれません。
それにしても、憲法学習会の講師が「ボランティア」だなんで、思ったことなかったなあ(「任務」とばかり思っていたんだ、きっと)。そういえば、愚妻は、以前から、「そんなの「仕事」とはいえないわ」と言ってたっけ。
ともあれ、こうして、私は、(名実ともに)「アホの弁護士」になったのです。
4 元気の出る感想集
当日出された感想を紹介します。
・私が前回の学習会のときにそうだったように、今日も、「何?憲法?何するのー?」と思いながら来た人が多いと思う。でも、すごくよかった、と思ったんじゃないかな。私は(九条をめぐる問題は)少しずつでもきっとよい方向に変わっていく、と信じている。私の息子(小学生)は、「戦うより、昼寝が好き♪」と歌っている。この子が二〇才を過ぎても、同じ歌が歌える世の中であってほしい。今後、さらに、たくさんの人に話を聞いてもらいたい。
・(九条改正問題は)いま、私の気になること、五本の指に入ることなので、話が聞けてよかった。どうして「改正」の動きがあるのか、わかった。
・(有事法制などが次々にできて)こわいな、と思うが、しばらくたつと忘れてしまう。気の合う二〜三人の間では「おかしいよね」と話ができても、「外」に出ると、必ずしも日常のレベルで気軽には話せない。そういうとき、どんな風に話せばいいのか、のヒントが、今日の話の中にあった。
・子どもを持つ親として、平和はとても大事なこと。それをまわりの人にも伝えていかなくては。
・今日の話を子どもたちにどう伝えていくか、が課題だと思う。小学生向けにも、ぜひ話をしてほしい。絵本なども使って。
・今日の話を、何回かに分けて、語りあいながら、ぜひやってほしい。
・普段は、(憲法のことを)考えることはない。でも、私の息子は、そういうことに興味があって議論好き。これまで私は、そんな息子についていけなかったが、話の内容がわかる程度にはなりたい。
・日本の軍事費が上がっていることを知って、ショックを受けた。主婦は、自分の家の金のことはわかるが、国の金のことはわからない。知らされていないし・・・。だから、政府から「金がないので」消費税を上げるとか、年金がどうのこうの・・・と言われると、信じてしまう。
・九条のことを、「理想だ夢だ」と言って、攻撃する人がいるけれど、私は、「理想と夢を食って生きて、何が悪い!」と言いたい。
・私は五〇代だが、これまで一度も飢えたことはない。戦争体験はない。子どもはもう二〇代後半になっている。私たちは、幸せな時代に生きられた、と思う。それも、これまで九条を変えなかった自民党のおかげじゃないか、と思う。そんな豊かな社会をわざわざ(九条を改正して)変えようというのは、信じられない。九条を守っていくのは、自分たちなんだ、と思う。[注:この人は、熱心な自民党支持者のようです]
・人まかせ、ではいけないと思った。無関心のおそろしさがわかった。普段は、子育てと家事でバタバタしていて、新聞も読めないが・・・。憲法は、中学生のとき「公民」の授業で習ったと思うが、暗記することしか教えられなかった。今、考えると、そのことがくやしい。もっと、きちんと教えてくれていたら、と思う。今日の話は、学校の先生方にも聞いてもらいたい。そして、生徒たちにわかりやすい話をしてもらいたい。
・黙っていることは、(戦争への動きを)認めたことになる、と思う。九条の理念を共有する仲間が増えれば、必ず、今の動きを変えられると思う。小さい動きから始めよう。
5 感想番外編
お開きのあと、参加者との間で、こんなやりとりもありました。
「次は、コントもやって下さいね」「いいですよ。いま冬ソナバージョンを作成中なんです」「ぜひ、ぜひ・・・最新の「通販生活」にヨン様変装セットが紹介されているの、知ってますか? それを使ってみては?」「ほおー」「でも早くやらないとダメですよ。冬ソナのブームは終わっちゃいますよ」・・・。
いやはや。でも、いいでしょう、「井戸端会議」なんだから。
6 深刻な番外編
会場を出たあと、参加者からグチがこぼれました。「夫が連日、朝八時から午前二時三時ころまで働かされて、過労死しそうなんです・・・。残業代は、給料より多いくらいだけれど、それでもまともに支払われていないと思うんです・・・。工場内は、暑いのに、飲物も出ない。毎日、水筒のほかに飲物代として一〇〇〇円渡しているんです・・・。」
ひどい話です。さっそく、アドバイスをしました。
7 蛇足
このような元気の出る学習会の機会をもてたのは、ひとえに、愚妻のおかげである。彼女は、「無党派」で、そして、自他ともに認める「無能な主婦」なのだが、なぜか(それゆえに?)、友達づくり(署名集め)の天才。彼女の周囲には「有能な主婦」がたくさんつながっている。「有能な主婦」いっぱいの学習会のあと、彼女は、私に、つぶやいた。「結婚相手をまちがった、と思うでしょ。」私は、そうかな、とも思うし、そうでもないかな、とも思う。
いずれにしても、この場を借りて、厚く御礼申し上げる。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
有事法制・自衛隊イラク派遣問題と弁護士会のスタンス
日弁連やいくつかの弁護士会は、有事法制や自衛隊のイラク派遣について、憲法に違反するとして反対の態度表明をすると同時に、パレードや市民集会の形でも活動してきた。この弁護士会の行動について、「政治的であり、弁護士会の目的の範囲を超える。」との正面からの批判は、国家秘密法問題のときのような訴訟という形では顕在化していないが、「弁護士会は強制加入団体であるから、政治的対立を含む案件については慎重であるべきだし、政治的中立性を確保すべきだ。」という意見が根強く存在している。
確かに、有事法制やイラクへの自衛隊派遣は、政治的対立(政府・国会多数派対反政府・国会少数派の対立)がある問題である。しかしながら、政治的対立があるからといって、弁護士会が何らかの態度表明をしてはいけないのだろうか。私はそうは思わないし、これらの行動は弁護士会として当然であると考える人たちのほうが多いであろう。なぜなら、これらの問題は、政治的問題というにとどまらず、優れて憲法規範にかかわる問題だからである。国民主権国家における政治が国家の最高規範である憲法の範囲内で展開されなければならないことは、立憲主義の要請からして当然のことである。
政治的問題であるとの側面があるからといって、憲法規範を軽視あるいは無視する国家機関の行為に対して沈黙することは、憲法規範を前提とする「社会秩序の維持」(弁護士法一条2項)を職責とする弁護士およびその集合体としての弁護士会としてとってはならないことであろう。この点について、高中正彦(「弁護士法概説」第二版二九ページ)は、「『社会秩序の維持』とは、憲法が規定する議会制民主主義体制のもとにおける社会秩序を守ることをいい、・・・」としているが、議会制民主主義体制にのみこだわる必要はなく、国家の最高規範である憲法が予定する国家体制および社会秩序と理解すべきであろう。すなわち、弁護士法は、弁護士および弁護士会に対し、立憲主義の立場に立ち、国家権力の行使者たちの行動を監視し、批判することを義務付けているといえよう。
更にいえば、立憲主義とは「権利保障と権力分立によって国家権力を制約しようとする原理」(「憲法辞典」・樋口陽一執筆)とされている。国家権力を制約しなければならない理由は、権利保障すなわち「基本的人権の擁護と社会正義の実現」(弁護士法一条1項)であるといえよう。であるとすれば、立憲主義に基づく国会・政府などの国家機関の行為に対する批判は、まさに「弁護士の使命」である。従って、有事法制や自衛隊のイラク派遣に、立憲主義の立場から反対の論陣を張り、それを社会に広げる活動をすることは、「基本的人権の擁護と社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設・改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿う活動」(国家秘密法に対する日弁連の活動が目的の範囲外であるとして争われた事件についての東京高裁平成四年一二月二一日判決・最高裁でも維持されている)として、弁護士会の目的の範囲にあるといえよう。
憲法改定問題と弁護士会
以上述べたことは、憲法規範に照らして政府・国会などの政治部門の国家機関の行為に対する弁護士会としての批判が可能であるということであって、その論理が、憲法改定問題についても、ストレートに当てはまるかどうかは別問題である。論点のひとつは、立憲主義の根拠を提供している憲法規範そのものが改定されようとしている場合に、立憲主義に違反するという論立てが成り立つのだろうかという問題である。二つ目は、憲法改正手続きには、国民投票が必要であり、ここでは国家意思の形成に国民が直接登場するということである。
国民主権国家における憲法制定権力者である国民の権限は法的に無制約であり、憲法制定権力に由来する憲法改正権力も無制約であるとの見解をとれば、それは優れて政治的且つ現実的問題であって、およそ法規範の問題ではないことになる。そして、憲法改定問題は、法律制度の改善(創設・廃止等)ではなく、弁護士あるいは弁護士会がとやかくいうべき問題ではないということになるであろう。この説に立てば、国家の基本法が改定されようとしているのに、法律家である弁護士が個人の立場はともかくとして、弁護士会の一員として賛否の見解を述べ、それを弁護士会の意思として形成しようとすることは、弁護士会の目的を超えることとなるのである。このような「弁護士会は、国家基本法の改定について、弁護士会としての意見を述べることができない。」ことに帰着する自虐的且つ悲劇的な見解をとることができるであろうか。
基本的人権の擁護と社会正義の実現という観点に照らして、憲法改定の内容や方法について、適切な意見を述べることは、弁護士会としての重要な職責ではないのだろうか。もちろん、「憲法改正の限界」について統一的見解を確定するということは、日弁連の職責ではないであろう。しかしながら、各政党の改憲案や現実に国会によって発議され、国民投票にかけられることになる具体的憲法改正案について、また、国民投票のあり方について、基本的人権・国民主権・平和主義・国際主義などの観点から会としての意見を述べることを禁止される理由はないであろう。
日本国憲法は、「人間は生まれながらにして自由であり、平等である。」とする自然権の思想を淵源として、人間の尊厳・個人の尊重・男女の本質的平等などを基本的価値とし、この価値観と民主主義の原理とを不可分に結合している法体系である。そして、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をおき、武力の行使と戦力と交戦権を放棄し、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認している。この現行憲法の理念(憲法改正権を制約する価値・「憲法の中の憲法」)に照らし、新たに提案される憲法改定案が、どのような意味を持つことになるのかについて検討し、一定の見解を述べ、必要な行動をとることは、事柄の性質上政治的であることを避けられないとしても、「憲法改正の限界」、「憲法改正権力の限界」という法規範の問題であることを無視してはならないであろう。弁護士会は強制加入団体であるとしても、憲法改正問題は政治的問題にとどまらないということを自覚し、現代日本における最高規範のあり方について、憲法の歴史的背景や現在の国際情勢を踏まえ、とりわけ、人間としての個人と国家権力(国権のもっとも野蛮な発現形態としての戦争を含む)のかかわりを念頭におきながら、在野の法律家団体としての思考と行動が求められているといえよう。
もちろんこういったからといって、九条の改定について、ストレートに回答を提供するものではないし、現行憲法が規範化している非軍事平和思想を憲法改正権の範囲外にあるとの論証が成り立つわけでもない(何とか論証したいとの気持ちは持ち合わせているが)。
しかしながら、憲法改定問題について、弁護士会が消極的でなければならないという主張に対する反論という意味では一定の役割を果たすのではないだろうか。皆さんの批判と意見を熱望するしだいである。(二〇〇四・九・二)
埼玉中央法律事務所 井 深 真 澄
この春から埼玉中央法律事務所で事務員として勤務しております、井深といいます。自由法曹団の集会へは、五月集会に引き続き二回目の参加となります。今回の集会のテーマは、「改憲阻止」。今、一番考えなければならない問題です。戦争はテレビの中だけの出来事、そんな時代が目の前で変わろうとしています。私も考えなければならないとは思いつつも、日々の雑事に追われていると、時間に流されて日常の中にどんどんと埋もれていってしまいます。そんな埋もれかけた、私の問題意識や社会への批判意識を、とても良い意味で刺激させてもらった三日間でした。
私は戦争を知らない世代です。私がはじめて戦争というものに触れたのは、マンガ「はだしのゲン」。原爆によって焼けただれた人間の描写を見て、もう絶対にこんなのは嫌だ、と思ったのです。私は、あんなふうに誰かを殺したくもないし、殺されたくもありません。だから今までは本当に素朴に、戦争は嫌だ、と考えていただけでした。しかし、三日間を通してもっと自分自身に理論武装が必要だなあ、と実感しました。改憲勢力が依拠するイデオロギーを打破し、わたしのように素朴に戦争は嫌だと思っている人々を改憲反対の側に引きつけておけるような理論。それをもっと、自分のものにしようと思いました。例えば、国際貢献や人道支援といった言葉に若者は弱いという話も出ましたが、そういった一見正しそうに思える理論をきっちりと打破していかなければ改憲勢力には勝てないと思います。どなたかが「イラクは改憲勢力のアキレス腱」とおっしゃっていましたが、その言葉にははっとさせられました。国際貢献、人道支援。そういったきれいな言葉を並べ立ててアメリカはイラクに入って行き、虐殺を繰り返した。アメリカに追従しての国際貢献などはあり得ないのだということを、イラクははっきりと示しているのです。目の前にある危機を改憲阻止と結び付けて語る、という大事なことを教えてもらいました。