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井之脇寿一 私的・護憲のための活動
杉本  朗 リッスン・ホワット・ザ・マン・セド
後藤富士子 施設法から処遇法へ―監獄法改正と代用監獄問題
中野 直樹 総合法律支援法についての理解の到達
石井 逸郎 佐世保小六女児事件・長崎家裁審判を読んで思うこと
永尾 廣久 大川真郎前日弁連事務総長の話を聞いて
山内 康雄 八鹿高校事件三〇周年記念行事のご案内
広田 次男 八ッ場ダム弁護団へのお誘い
宇賀神 直 本の推薦
「いのちの手紙ー障害者虐待はどう裁かれたか」




私的・護憲のための活動

南九州支部   井之脇 寿 一

1 「九条の会」の活動とメディアの報道

 九月一九日付しんぶん赤旗は、一面トップ九段組みで、「『九条の会』が初の地方講演、憲法守ろう 集った『良心』、会場内外 参加者あふれる」との見出しで大阪中之島中央公会堂で開かれた講演会の様子を報じていた。記事によると講演者は、井上ひさし、小田実、澤地久枝の三氏で、会場には開会の三時間前から列ができて一五〇〇人の参加者であふれ、入りきれなかった人たち二二〇〇人は特設の屋外マイクをとおして、三氏の講演を聴いた、とのことであった。
 翌二〇日の同紙は、三氏の講演要旨を写真とともに全面で報じていた。護憲の側にいるつもりの小生にとって、力強く、勇気づけられる報道であった。しかし、一九日付の朝日、南日本の各紙は、講演会の模様を記事にしなかった。テレビでどうだったかについては知らない。私の価値観では、一面トップの扱いはともかく、せめてベタ記事でも報道すべきであったと思うのだが、今のメディアにそこまで期待するのはないものねだり、というものだろうか。
 「九条の会」は六月一〇日に立ち上り、同日加藤周一氏外八名の呼びかけ人が記者会見もしたはずであるのに、一般のメディアで報じられることはほとんどなかった。日本の知性と良心を代表する人たちの呼びかけに対して、この扱いであったことは記憶されてよい。

2 「九条の会」のポスターを貼ろう

 さてここから私的・護憲のための活動である。七月末、赤旗紙に九条の会のポスターを一枚一〇〇円で頒布しているとのお知らせがあり、早速一〇枚注文した。一枚を事務所の入口のドアに貼り、一枚は台紙をつけてビニールで包み、自宅入口の生垣に吊るした。
 ポスターは緑を基調とし、「憲法九条、いまこそ旬」とあって、井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の各氏の写真入りである。皆さんいい顔である。残り八枚のうち一枚は労働弁護団所属の弁護士に、一枚は法律家団体には所属していないものの、日民協会員以上の活動をしている弁護士に、事務所に貼るようにと半ば強制的に配布、また付き合いのある国鉄労働組合の鹿児島・宮崎の各支部と市電・市バスの組合に各一枚を贈呈し、掲示板への貼付を依頼した。
 さらに一枚ずつを事務所の職員と護憲運動に関っているその友人にあげた。もちろん、玄関の外側に貼るためである。
 以上が私のささやかな護憲のための活動の一である。ついでに言うと九条の会が発行した九氏の講演を録取したビデオテープ一五〇〇円も購入した。しかし活用はこれからである。

3 年賀状・暑中見舞に権力批判のメッセージを

 今年の暑中見舞に、「軍隊は持たない、戦争をしないと定めた憲法九条が危うくなっています。やがて戦争反対を声にするだけで非国民と言われる時代が到来しないか心配です。加藤周一氏外八名の日本の知性を代表する人たちが九条の会を立ちあげたことでやや胸をなでおろしています」とのメッセージを添えた。これが活動の二である。せっかく五〇円も出して発信するのだから、紋切り型ではもったいなく、年賀状にもその年に相応したコメントを必ずつけるようにしており、この三〇年余欠かしたことがない。

4 半藤一利「昭和史」のすすめ

 そして三つ目は、まだ実行していない。今ぼくは半藤一利「昭和史」平凡社を読んでいる。朝日新聞八月二二日付書評によれば一五万部売れたとのことである。
 同著は、一九四五年までの政治家や軍の中枢がいかにして戦争に突入し、国を滅ぼしていったかを、登場人物の会話を再現しながら、躍動感あふれる文体で解説してみせている。文中には「のほほんとしたことを言ってい」るとか、あるいは「バカ」とか日常的な会話の用語が存分に出てきておもしろいこと請け合いである。この本には、遠山茂樹、今井清一、藤原彰「昭和史」、井上清「日本の歴史上、中、下」(いずれも岩波新書)にはない読みやすさ、解りやすさがある。同著は、この戦争で日本人三一〇万人が死んだことをあげ、「何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語があるのみ」と記している。戦争反対、平和憲法を守れの常套句をはるかに超える説得力がある。「九条の会」の井上ひさし氏も帯で本書を推薦していたことを付け加えておきたい。
 戦争はしていけないし、させてもいけないのである。だが九条が危ない、ではどうすればよいか、という問いかけを活字ばなれが著しいといわれる若い人たちにこの本をすすめることによってしたいと考えている。できれば遠山「昭和史」の併読もすすめられたら一層よい。

5 護憲をどう伝達するか

 雑誌「世界」の一〇月号に、斎藤駿という人の「ハトはハトでも伝書鳩−護憲運動の軌道修正」と題する一文が載っていた。そこでの売り文句は「護憲か改憲か迷っている人をいかに味方につけるか。憲法九条を守るためのしなやかな知恵」となっている。
 団員に九条の大切さを講釈する必要は全くない。大切なことは、自分の隣人に語りかけることなのだろうと思う。ぼくの「九条の会」のポスター貼りも、暑中見舞もそして「昭和史」のすすめもそのような観点からなされる、実にささやかな護憲のための活動(行動というべきか)なのである。
 「九条の会」のアピールの終わりの部分を引用させていただく。「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます」。そう、百の議論も大切だが、「一人ひとりができる、あらゆる努力」がいま求められている。
 最後に蛇足をひとつ。表題の「私的」は、「してき」と読むのであって、当世の若者風に「ワタクシテキ」と読むのではない。これまた余計なことだが、「的」は中国語では、助詞の「の」に相当する。



リッスン・ホワット・ザ・マン・セド

神奈川支部  杉 本  朗

 神奈川県では、青法協神奈川支部、自由法曹団神奈川支部、神奈川労働弁護団そして社会文化法律センター神奈川支部の四団体が共同で、声明をあげたり、集会を行ったりするという伝統があります。ちょっと前になりますが、その四団体共同で、郡山総一郎さんを神奈川へお呼びしました。
 ことの起こりは、五月一四日に行われた、青法協の創立五〇周年記念レセプションでした。懇親会の会場に、半袖で眼鏡姿のあんちゃんがいて、誰かなぁと思っていたら、郡山さんでした。私の友人で仲間内では「じじい」と呼ばれている弁護士が郡山さんを連れてきたのか郡山さんのアテンドでついてきたのかはわかりませんが、「じじい」達と一緒に壇上に上がった郡山さんの話を聞いて、その肩肘のはらない、自分の言いたいことがストレートに伝わってくる話し方に、「あれ、こいついい奴じゃん」と思いました。壇上で郡山さんが「呼んでくれればどこでも行きます」と言ってたし、降壇してから、城北の田場くんと郡山さんと一緒に話をしたときも、郡山さんは「どこでも行きますよ」と言うし、田場くんは「神奈川で呼んで下さいよ」と言うので、ちょっとその気になりました。あとから「じじい」に「神奈川に呼んでも大丈夫かな」メールで連絡したときも「いいんじゃない?」というような答だったので、私はその気になって、青法協の支部委員会でそんな話をしました。ちょうど同じころ、川崎合同の神原くんからも、郡山さんを神奈川へ呼んではどうか、という提案があり、みんなも面白がって、じゃあひとつ四団体共同で郡山さんを呼んでみようかという話になりました。
 講演会は六月二一日でしたが、何とこの日は台風が関東地方を襲うというとんでもない天気になってしまいました。私でも、青法協神奈川支部の議長をしていなければ、さっさと仕事を切り上げて自宅へ帰ってしまうであろうような(あるいはそもそも仕事をキャンセルして自宅にずっといるであろうような)天気でした。郡山さんはこの日体調が悪く、定刻まではバックステージの応接セットでずっと寝ていました。そこまで無理してもらって来たのに、観衆がほとんどいなかったらどうしようと思ったのですが、おおよそ一〇〇人ほどの人たちが、悪天候をついて、会場に来てくれました。
 講演会は、神原くんがインタビューアー、郡山さんがインタビューイーという形式で行われました。最初はまるっきりのインタビューで、その後、郡山さんが撮ってきた写真をスクリーンに映しながら説明するという風に進行しました。インタビューも面白かったのですが、やはり面白かったのは写真を映しながらの郡山さんの説明でした。身柄を拘束されたときに撮っていた写真は彼らに取られてしまってないのですが、それ以前に撮った写真、アフガニスタンの写真、タイのHIVの施設にいる子供たちの写真…を説明する郡山さんは、表現としては不適切かもしれませんが「嬉々として」いました。「僕はこの人たちの写真を撮ってしまったのだから、この人たちに責任がある」という郡山さんの言葉には、ちょっと感動しました。いっそのこと、時間の全部を、郡山さんの写真説明に使ってしまってもよかったくらいです。
 後日、講演会に来てくれた弁護士会の事務局員や、法律事務所の事務員さんなどから、直接感想を聞かされたのですが、みんな「郡山さんてあんな気さくな人だとは思わなかった」「写真の説明がよかった」といった感想でした。
 本当は、郡山さんたちに対し「自己責任」の追及をしていた人たちにこそ、聴いて欲しかった講演会でした。「話せば分かる」というのはある意味ではオプティミスティックに過ぎるのかもしれません。でも、ちょっとあいつの言うことを聞いてみようぜ、というノリで意見の違う人たちを誘うことが、何かを変えるきっかけになるんじゃないか、ということを改めて思わせる講演会でした。



施設法から処遇法へ

―監獄法改正と代用監獄問題

東京支部  後 藤 富 士 子

1 「代用監獄問題」再考

 所謂「代用監獄問題」とは、未決勾留―とりわけ被疑者段階の勾留場所を警察留置場として、身柄拘束を自白採取に利用する制度的病理である。
 刑訴法では、勾留の目的は、逃亡や罪証隠滅を防ぎ、公正な裁判を担保することにあり(同法六〇条1項)、勾留場所は「監獄」と定められている(同法六四条1項)。しかるに、監獄法一条3項により、警察留置場を監獄に代用することができるとされていることを根拠に、起訴前の被疑者の殆どが代用監獄たる警察留置場に勾留されているのが実情である。そして、代用監獄制度の問題の核心が「身柄拘束を自白採取に利用する」ことにあるとして、「捜査と留置の分離」が改革命題とされた。
 ところで、留置場の現状をみると、全国の警察留置場の数は一二九七箇所(平成一四年一二月末日現在)、平成一五年の被留置者延べ人数五二七万三九二三人(一日平均約一万四四四九人)で、平成六年の二倍以上に達している。また、適正収容率が七〇%であるのに対し、全国平均で八三・六%、大都市と周辺では一〇〇%を超えるところもあり、過剰収容状態となっている。警察留置場担当職員は全国で約一万人で、被収容者一・五人に職員一人の割合である。拘置所の比率が被収容者四〜五人に職員一人であるのに比べ充実している。さらに予算となると、平成一四年度、警察庁二六七五億三八〇〇万円、都道府県警察合計三兆四二九七億二四〇〇万円(内人件費二兆七八一六億七六〇〇万円)であるのに対し、法務省矯正局の平成一六年度予算は二一二一億〇九四二万円である。このような実情をみると、拘禁二法案反対運動盛んな頃に比べても遥かに代用監獄は肥大化しており、これを「廃止」することができると考えるのは余程現実感覚の乏しい人だけかもしれない。
 このような現実を直視すると、「代用監獄問題」に対する改革命題を再考する必要に迫られる。すなわち、勾留場所を警察留置場にしながらも「身柄拘束を自白採取に利用する」ことを止めさせる方策を考えることである。換言すると、「代用監獄廃止」を、「捜査と留置の分離」というハードの面で捉えることよりも、「取調からの解放」というソフトの面で捉える発想の転換である。

2 「取調受忍義務」と勾留場所

 捜査機関が行う被疑者取調(刑訴法一九八条)が強制処分ではなく任意捜査であることに争いはない。問題は、同条1項但し書の「被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み又は出頭後、何時でも退去できる」ということにある。すなわち、反対解釈として逮捕・勾留されている被疑者は出頭を拒んだり、退去したりできないことから、実質的に取調受忍義務を導く解釈論である。
 この但し書の解釈をめぐって想定されているのは、同じ警察署内の留置場と取調室間の移動であり、取調のために留置場から取調室に強制的に出頭させたり取調中は取調室から退去することを許さないと解するのである。そう解しても、取調そのものが直ちに強制捜査になるわけではなく、供述を拒否する自由を奪うことになるものでもないという(最大判平成11.3.24/民集53-3-514)。
 仮に、この解釈論に従ったとしても、勾留場所が拘置所だとしたら、どうなるだろうか? この場合でも、捜査機関は被疑者に出頭を求めて取調を行うことができるが、問題は、監獄官吏に警察署への押送義務を負わせることができるか疑問があるので、司法警察職員の場合には、拘置所に出向いて取り調べなければならないことである。現に、受刑者に対する取調は監獄に出向いている(弘文堂「条解刑事訴訟法第3版」三三六頁)。拘置所に司法警察職員が出向いて取調をする場合、拘置所から見れば、取調は接見と同じ外部交通の一種である。そして、司法警察職員は、身柄についても施設についても権限をもたないから、取調室へ被疑者を強制的に出頭させることができるはずはないし、拘置所職員が被疑者を取調室へ強制連行できるはずもない。拘置所においては、少なくとも司法警察職員の取調について、出頭拒否や自由な退去が可能になるのである。換言すると、取調室への出頭・滞留が強制されるのは、代用監獄だからできることなのであろう。

3 施設法から処遇法へ

 前述したことを踏まえると、被逮捕者・被勾留者がどこに身柄拘束されているかを問わず、刑訴法で定められた被疑者・被告人の法的地位に則って、その処遇について定める法律が制定されるべきことが理解される。そうすることによって、代用監獄問題を克服することが可能になるし、それ以外に出口はないように思われる。
 ところで、現行監獄法は施設法である。そして、監獄法改正の法案が拘禁二法案として構想されたことは、施設法の枠を脱却できなかったことを意味している。
 一方、日弁連の「拘禁二法案反対運動」は、監獄改革への熱意の欠如と未決拘禁制度改悪阻止の燃えるような情熱が裏腹になって成立しえたものであった。それゆえに、二法案が廃案になったことを以って終息したのである。これを顧みれば、確かに留置施設法は阻止できたが、監獄改革は手付かずで、「代用監獄廃止」に至っては、もはや物理的に廃止することが不可能と思われるくらい肥大化するのに全く無抵抗であった。
 このような総括に立って、今回の監獄法改正にあたっては、身柄拘束の場所によって別個の施設法を作るのではなく、刑法・刑訴法上のすべての身柄拘束について、その法的地位にふさわしい処遇を定める処遇法の制定を目指すべきである。監獄法改正の基本理念が「施設法から処遇法へ」であったことを、改めて銘記すべきであろう。

(二〇〇四・九・六)



総合法律支援法についての理解の到達

司法民主化推進本部事務局長  中 野 直 樹

 七月七日、団では、日弁連で活動している団員を招いて制度構想浮上の経過、法案骨格作りをめぐる攻防、今後の支援センターづくりに向けた動きと当面の焦点などについて説明を受け、意見交換した。

 この構想は当初から政官レベルの折衝でスタートし、「トップダウンの意思決定」「効率・スリム化」という行政の「トレンド」が前面に出てきた。これに対し、日弁連が昨年夏に、基本賛成の方針のもとに政治折衝の過程に身を投じたことにより、独立行政法人の組織原則を一部修正させ、審査委員会の設置、民事扶助に自主的事業の道を残したこと、契約弁護士の職務の独立性規定をもうけることができたことは認識できた。

 そのうえで、やはり支援法自体のもつ本質的な危険性(権力介入の道、弁護士会の主体的な位置づけがない等)があることも再認識した。
(1)法律には骨組しか書いてなく、今後の政官の思惑・かけひきによる肉付け、色づけの幅が大きい。
(2)理事会などの民主的な意思決定機関がないなかで、権力から距離をおいた人権擁護機関としての機能を十全に果たせる機構としてつくりあげることができるか。
(3)契約弁護士との基本契約の「解除」を通じて、「弁護活動の適正評価」が問われる。ここの評価基準がどのようになっていくか。
(4)国選弁護人の推薦について弁護士会の主体的な位置づけがなされていない。特別案件の弁護人の選任について、弁護士会の主体的な関与がどうなるか。

 この危険性を押さえ込んでいくためにも、取りくまなければならない焦眉の課題として指摘されたことを私なりに整理すると次のとおりである。
(1)来年の夏までが肉付けの勝負
 司法書士会が、支部運営への参画を期して政治攻勢をかけている。
 法務省準備室(日弁連からも二人がスタッフとして参加)が各単位弁護士会ごとに実情と要求調査に入る。これに対し、積極的に地域の要求を汲み上げてぶつけていく必要がある。
(2)総務省の本音は、理事長・支部長に権限を集中させて、意思決定過程をトップダウンにすること。それを阻み、運用において弁護士会が運営にコミットできる肉付けを勝ち取る必要がある。そのためにも、支部長に、団員を含めて、権力との関係にきちんとしたスタンスをもち、要求の組み上げと構想力と民主的な討議を組織することのできる力量ある人を配置していくことが肝要である。
(3)支援センターのスタッフ弁護士(フルタイム・非常勤)は全国で一〇〇名〜三〇〇名との案が出ているそうである。スタッフ弁護士は、「経営」問題というより、「効率化」(数をこなす)の圧力のもとで事件活動を行うことになる。困難な刑事事件などについてはスタッフ弁護士だけに任せるのではなく、非スタッフ弁護士も共同受任して相互研鑽をするとともに、この「効率化」に抗した適正手続き、充実した審理を求めていくたたかいも必要となる。
 支援センターは〇六年四月にスタートする。今年内に各都道府県に準備室がつくられる。

 懐疑に足をとどめていると、官側が自分たちの都合に合わせた「調査」と内装づくりしか行わないであろう。全国に、切実な悩みの渦中にある団員が多いと思う。団本部としても本格的な実践的討議が必要であろうと思う。



佐世保小六女児事件・長崎家裁審判を読んで思うこと

東京支部  石 井 逸 郎

 今日、世界中のほとんどの国が、三権分立(行政、立法、司法)を根幹とする立憲民主主義という統治システムを採用している。わが国もしかりである。そして、「司法」、すなわち裁判所が、各種事件の終局的な解決機関としての役割を果たすことになっている。
 しかしながら、それは所詮、フィクションである。そういう約束事にしておいて、紛争・事件の長期化を防ぎ、社会の混乱を防ごうとしているに過ぎない。現実には、全ての紛争・事件の本質的な解決を行う能力など、裁判所は持ち合わせてはいないし、現代社会において、日々、新しい、しかも複雑で多様な事件が発生し続けていることを考えると、なおさらである。
 九月一五日の、佐世保小六女児事件の長崎家庭裁判所佐世保支部の審判を、翌日の朝刊で読んだとき、上記のようなことを考えた。
 裁判所はこの間、この事件について、精一杯調査し、分析したと思いたいが、失礼ながら、その内容は説得力に乏しく、大いに「不満が残った」(九月一七日付け日経新聞社説)からだ。
 この審判は、専ら女児の「人格特性」を問題にし、「聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理し易い特性」をもっているとか、「社会性、共感性の発達」「情緒的な分化」等が未熟であり、「怒りを適切に処理する」能力が欠けている等と特徴づける一方、殺害動機は、調査・分析過程を何一つ示すことなく、女児の「居場所」であるホームページに、被害者となった怜美ちゃんが「女児への否定的な感情を表現したとみられる文章を掲載した。」ことに、女児が「侵入ととらえて怒りを覚えて攻撃性を高め」「確定的殺意を抱くに至」ったと決め付けるに過ぎなかった。
 女児にそのような「人格特性」があったのはそうなのかもしれない。しかしながらそのような女児が、怜美ちゃんに対して、極めて計画的に、しかもナイフで頚動脈を切りつけるという残忍な殺害行為に及ぶほどの、激しい怒りや憎悪の形成過程の説明としては、全く不十分であるばかりか、およそ納得のできる合理的なものではない。すなわち、「『犯罪動機の解明』は不十分」であり「同じ事件を抑止するために誰が何をすれば良いか、についても得られるところは少な」いと言わざるを得なかったのである(前記日経新聞社説)。
 あるいは、この事件に際し、各種報道では、女児は、親に中学受験を進められ、大好きなバスケをやめさせられたあたりからおかしな言動が増えたといったクラスメイトの声も紹介されているし、「AERA」では重松清が、佐世保という狭い地域で、小学生たちと親たちが中高一貫校に入れるかどうかでちょっとした競争を繰り広げている様子をルポしているが、今回の審判では、こうした女児の「学校」における状況やそれを取り巻く地域社会の状況等は一切捨象され、幼少期からの親子関係の分析のみを通じて女児の「人格特性」を分析するという、いささか観念論的な、短絡的なスタイルとなっている。しかし、事件の被害者・怜美ちゃんは、クラスメイトなのであり、女児が生活する時間は、家庭よりも、「学校」の方が長いくらいであること、あるいはご存知のとおり、この事件の前年には、同じ佐世保で、中学一年生の男の子が児童殺傷事件を起こしていたこと等にも鑑みると、「学校」や「学校」をめぐる地域社会の状況の分析は、事件の解明にとって不可欠の要素であったことは明らかと言うべきであるが、裁判所の調査官が、「学校」に足を運び、あるいは担任等から聴取する等して、「学校」の様子をどれだけ仔細に調査・分析したのかは、公表された審判の内容では全く不明である。少なくとも公表された内容からは、こうした社会的な視点は欠落していたとしか思えず、そうとすると今回の審判は、私に言わせれば、テレビのコメンテーターか、評論家程度の分析でしかないのであるから、前記日経新聞をはじめ、多くの方々が、審判の内容に不満をもち、落胆したのは、至極当然であった。
 ところで、神戸の中学生が残忍な児童殺傷事件を犯したのは平成九年五月である。この事件は、「学校」玄関前に被害児童の首を置くという余りに残忍なスタイルで世間を震撼させた。そして、平成一〇年一月には、栃木の黒磯で、バタフライナイフを忍ばせた中学生が、教師を殺害した。当時、多くの小学生・中学生が、「学校」へ通うカバンにナイフを忍ばせている、とのデータに接して、大人は驚愕した。いずれもキーワードは、今回と同様、「学校」である。「学校」を舞台とした事件であった。にも関わらず、当時から、子どもたちの「学校」に対する思いがどのようなものであったのかとか、「学校」や「学校」をめぐる状況と事件との関連について、家裁の審判で論じられることは少なかったように思う。むしろ多くが、加害児童の「人格特性」の分析に終始した。
 果たして、女児がナイフで切りつけようとしたのは、怜美ちゃんそのものだったのだろうか。あるいは、女児が切り裂きたいと思っていたのは、怜美ちゃんだけだったのだろうか。確か、「バトルロワイヤル」のストーリーに基づき、怜美ちゃんの次にもクラスメイトの誰かを切り裂こうと考えていたのではなかったか。むしろ、怜美ちゃんは、女児が切り裂こうとした何か別の「闇」の象徴に過ぎなかったという可能性は考えられないだろうか。そもそもナイフを手にする子どもたちは、どういう思いでナイフを手にするのだろうか。何かから身を守ろうとしてなのか、あるいは何かを切り裂きたいのか。
 今回の審判でも、女児の本当の思いは、何も解明されていない。
 私がここで言いたいのは、現在の家庭裁判所には、こうした困難な事件を分析し、解明する能力や体制は、ない、ということなのだ。特段、児童心理学や教育学を習得したわけでもなければ、人生経験も乏しく、単に司法研修所で法律を学んだに過ぎない裁判官が、裁判所という箱の中で、書面を読んでいるだけで、こうした事件の分析などできるはずもないことは明らかである。今回の審判の公表は、私には、裁判所の、「私たちにはこの程度の分析しかできません。」との率直な表明であるようにも思えた。少なくとも、今回の審判の基礎となった調査の過程・内容が公表されない以上、裁判所が、どれほど多角的に、どれほど真剣に調査・分析を行ったのか、そしてその調査・分析過程は妥当だったのか、そのことを検証することは不可能である。
 家庭裁判所に、こうした子どもの困難な事件を解明し処理する能力がないとなると、別の機関を設けるか、あるいは、家庭裁判所において、こうした事件を審理する際、加害児童の精神能力の点にとどまらず、事件の全体像についてより多角的総合的に審理すべく、外部より、専門家(教育学者、児童心理学者等々)や教師、地域の住民等にも入ってもらう形でのある種の参審制的な、半公開的な方法を模索するなど、制度の抜本的な改革を講じる必要があるのではないだろうか。あわせて、少年事件とその後の処置の相当性についての教育学的、児童心理学的検討を可能とすべく、少年法上非公開とされている少年事件の記録の扱いも、調査・分析過程も含めて公開を可とすることも考える必要があるのではないだろうか。
 「学校」を舞台に、どうして、こういう凄惨な事件が起きるのか。このことを緊急に、しかも真剣に分析し解明すること、少なくともその体制を整えることなしには、怜美ちゃんをはじめとする被害者たちの魂が、うかばれることなどないのではなかろうか。



大川真郎前日弁連事務総長の話を聞いて

福岡支部  永 尾 廣 久

福岡支部の特別例会

 八月二七日、前日弁連事務総長の大川真郎団員を招いて特別例会が開かれ、福岡の団員二〇人ほどが参加した。
 オフレコの裏話をぜひしてほしいという注文を受けて、大川団員が二時間にわたって「漫談」調でオフレコ話をしてくれた。したがって、残念ながらここで内容は紹介できない。そこで、以下は大川団員の話を聞いての私の個人的感想として読んでいただきたい。
 大川団員は、私が九州から日弁連副会長になったときに本林会長の指名により事務総長になり、この三月までの二年間、東京に常駐して日弁連事務総長の重責を担って、見事に遂行した。身近にいて、その誠実な人柄とあわせて司法改革に取り組む熱意と抜群の実務処理能力そして見識の高さには何度も感嘆させられた。

自由法曹団と司法改革の関わり

 この七月に開かれた日弁連司法改革推進本部の夏期合宿において、日経新聞の藤川論説委員が、司法改革の影の立役者は自由法曹団だと講演のなかで力説したという話が出た。
 私も、まさにそのことを実感している。今度の司法改革については、方針面においても、また実行部隊の中核という人的面においても、自由法曹団がソッポを向いていたら今日の成果は獲得できなかったと思う。

権力との関わり

 先の渡辺脩団員の私への批判のなかに「権力の手先」という言葉があったので、私も少し考えてみた。いま団員は権力といかに関わっているか、ということだ。
 身近な団員で、民主党から国会議員になった人がいる(熊本の松本信夫団員)。彼は代議士になったが、今後も、団員としての自覚をもって活躍してくれると期待している。代議士は、昔も今も、権力とは至近の位置にいる。
 大川団員は、最高裁の裁判官任命指名諮問委員会の委員の一人だ。
 先ごろ、裁判官の再任拒否が六人出た。これまで二人の再任拒否が出て大問題となったが、それは思想信条を理由としてしか考えられないからだった。今回は、私の知る限り問題となっていない。私は、福岡で裁判官評価アンケートに関わっているが、多くの弁護士がこんな人は裁判官にふさわしくないと思っている人物が何人も裁判官を続けている現実がある。だから、全国で六人くらいの再任拒否が出ても、弁護士は誰も驚かない。それが現実だ。しかし、考えてみれば、これも有無を言わさない「権力の行使」であることは間違いない。
 同じく大川団員は、公然たる自由法曹団員が裁判官になる手続にも関与している。私の知る限り、東京・横浜・名古屋そして広島の団員もしくは団事務所の弁護士がこのところ、たて続けに裁判官になった。自由法曹団が裁判所を乗っとろうとしているのではないかと心配する向きも裁判所内にはあったという。現に、福岡では、団員が任官しようとして拒否された実例がある。しかし、それは無用な心配だと大川団員は最高裁を説得したという。むしろ、私は、「裁判所を乗っとる」くらいの気構えで、もっと団員や団事務所からどんどん裁判官になっていってよいと思う。
 こんな状況をふまえると、「権力の手先」論は今や自由法曹団の全体としての活動の前進を阻害する意味しかないと私は思う。

在野性

 私も、かつては在野性を絶対に忘れてはいけないキーワードと考えていた。しかし今、自由法曹団員が国会議員になり、裁判官になっていこうというときに、在野性の保持をあまりに強調しすぎるのはいかがなものか、と思うようになった。ましてや、日弁連という団体は、果たして在野性をその団体を特徴づけるキーワードたりうるのだろうか、と考え直している。
 日弁連は、今回の司法制度改革推進本部に次長ほか何人かの常勤弁護士を派遣した。検討会をはじめとする各種審議会に弁護士を派遣することは日常業務のひとつである。そのような状況が現実にあるなかで、官と対比させる意味で「在野性」を強調して何が得られるのだろうか。企業内法務として活動している弁護士をふくむ強制加入団体としての日弁連として共通(最大公約数)のキーワードは社会正義そして平和の実現と基本的人権の擁護ということなのではないだろうか・・・。
 日弁連が立法過程で自己の意見を反映させようと思う限り、官や権力と深く関わりを持とうとするのは当然のことである。できあがった法律について、その問題点をあげつらって批判し、「悪法反対」の取り組みをすすめるだけで日弁連が足りるという考えに私はいまや組みしない。私は、なれるものなら自由法曹団員が公安委員になるのもいいし、むしろ、それを目ざすべきではないかとも考えている。国家権力の枢要部を占めている警察を「コントロールできる」公安委員会に団員が入っていくことは推奨すべきことであって、それを「権力の手先」とか「在野性を喪う」などといって白眼視すべきことではないと思う。ただ、在野性というのは、「常に多くの国民や大衆の視点を忘れないというようなふわっとした心構えのようなものだ」(藤尾順司団員の言葉)という指摘には同感だ。要は、在野性という言葉が多様性を切り捨ての論理になってはいけないということなのだろう。

権力のビジョンと一枚岩

 大川団員は、司法改革の方向について、政財官に統一司令部のようなものがあって、そこでビジョンを描いて統制をきかせているという見方があるが、それは事実に反していると強調した。基本的には私も同感だ。ただ、霞ヶ関界隈には、たしかに大小さまざまなセミナーが毎日のように開催され、そこで、おおまかな政財官という支配層の意思統一が形成されていっているように思われる。自民党議員の朝食セミナーや昼食付きセミナーに参加し、大勢のビジネスマンたちが加わっているのを見ながら、私はそう感じた。
 とはいっても、権力機構は決して一枚岩ではないとの大川団員の指摘はまさしくそのとおりだとも思う。やはり機構を支える一人一人の人間の個性が意外に大きな影響力をもつ。たとえば、裁判員の人数についても、裁判官三人、裁判員六人そして裁判官一人に裁判員三人という人数比は、支配層が一枚岩でまとまっていたなら、とても実現できなかっただろう。
 これについては、裁判員制度は国民参加に名をかりた刑事司法の改悪、もっと言えば戦時司法への過程にすぎないという見方からすれば、こんな見方はとるに足らないと言うだろう。しかし、私は、自分の体験からして、そのような見方には組みしない。中野直樹前事務局長が、裁判員制度の導入があれば刑事裁判は良くなるとの単純化した信念をもつ会員が日弁連執行部にいると批判している。私は、そのような考えをとっていないし、そのようなことを言ったこともないから、私に対する批判ではないだろう。それでも、中野団員の指摘するニュアンスにはひっかかるものがある。それは、裁判員制度によって多くの国民が司法に参加したとき、現行の刑事裁判に対する強い批判が起きてくるのではないかという期待をまったく無視していることにある。結局、制度を生かすも殺すも運用次第であり、それを運用するのは、国民と弁護士なのである。改悪された刑事訴訟法を改善していくたたかいは、それが改悪だと認識した国民とともにすすめなければ、成果はあげられないのではないだろうか・・・。

全国の団支部で・・・

 私は、二年ものあいだ権力中枢と身近に接する位置にいた大川団員を全国の団支部が招いて話を聞いてみることを強くすすめたい。司法改革の到達点と課題、日弁連とはいかなる団体なのか。さらに具体的に認識できる絶好の機会となると確信している。



八鹿高校事件三〇周年記念行事のご案内

兵庫県支部 山 内 康 雄

 今年一一月で八鹿高校事件の三〇周年を迎えます。これを記念して地元では、後記のとおり、記念行事を行いますので、当時ご支援ご協力いただいた団員や団事務局員など関係者の方々にご案内させていただきます。
 八鹿高校事件そのものの内容については、「自由法曹団物語・世紀をこえて」の下巻・第五章一四五頁以下、「勇気の川原ー八鹿高校事件」をご参照ください。事件発祥の地八鹿町は、今年養父町など養父郡全四町が合併して「養父市」となり、現在新しい市議会議員選挙がたたかわれています。現地は三〇年で大きく様変わりしていますが、この事件での活動や経験は、なお現代的意義を有していると考えます。部落問題の本体である「部落差別」そのものは大きく解消の方向に進んでいるというのに、食肉偽装事件の「ハンナングループ」等の犯行に見られるように、当時暴力と利権を思いのままにした運動団体を背景としたえせ同和利権構造は、現在もなお政官を巻き込んで大きな社会問題となっています。犯罪被害者救援の弁護団活動の嚆矢となった刑事裁判を中心とするたたかいは、警察との関係や距離の置き方などを中心に、現在の犯罪被害者支援活動のあり方にも問題を投げかけています。
 自由法曹団兵庫県支部では、全国の団員や関係者の皆様に、集会へのご参加を心から呼びかけます。参加ご希望の方は、支部事務局までお問い合わせください。

八鹿高校事件三〇周年記念行事日程
日 時 二〇〇四年一一月二一日(日)
会 場 「但馬長寿の郷」
       (兵庫県養父市八鹿町国木五九四−一〇)
内 容 【午前一〇時〜】現地調査
       【午後一時三〇分〜】三〇周年記念集会/土井大介氏
       記念講演/山内康雄・弁護団基調報告/原告団・家族会報告など
       【午後五時三〇分〜】レセプション(家族会を交えて)



八ッ場ダム弁護団へのお誘い

福島支部  広 田 次 男

1 反対の理由

 「八ッ場」と書いてヤンバと読む。群馬県北西部を流れる吾妻川に計画されているこのダムの建設計画反対理由は極めて多岐である。
 第一に、当初の予算二一一〇億が今年度になり四六〇〇億円に増額された。しかし、現時に於いて付帯工事など一切を含めると、総経費は八八〇〇億と試算され、やがては九〇〇〇億から一兆円という金額に「成長」すると思われる。当初は小さな予算から出発し、追加工事の連発で膨張を続ける「小さく生んで大きく育てる」公共事業の典型である。
 第二に、計画立案が一九五二年(昭和二七年)で、その基礎データは一九四七年(昭和二二年)のキャサリーン台風の際の数値である。昭和二二年の日本は敗戦直後であり、山も川も今とは様相を異にした。世間は移ろい変わっても「今時までたっても止まらない」公共事業の一つである。
 第三に、治水上も全く不要と思われる計画であるが、国交省は二〇〇年確率、即ち「二〇〇年に一度の大雨には役に立つ」と言い張っている。旧建設省の河川防砂規準は「二〇〇年に一度の大雨」の計算式グラフを解説している。その規準の一四Pは「実際の雨がこのグラフに一致することは極めて稀である」と記載している。
 第四に、昭和四五年六月一〇日、衆議院地方行政委員会に於いて、当時の文化庁文化財保護部長は、建設予定地について「ダムの基礎地盤としてはきわめて不安定である」、「大型ダムの建設場所としてきわめて不安な状況」、「ダムを建設する場所としては非常に不安定な地形」との答弁を繰り返している。
 現在の建設予定地は約六〇〇m上流となったが、地形、地質に変化はない。
 第五に、建設予定地付近の吾妻川は強酸性であり、一日当たり六〇トンもの中和剤が注入されている。この中和剤の大半が八ッ場ダムに流入し、堆砂として蓄積されることになる。
 以上は反対理由のホンの「上澄み」である。その他、浅間山噴火、文化財保護、自然環境、水質、地質、治水、利水、などなど、反対理由を並べたてるだけで紙数が尽きてしまう。事実、反対理由を述べる書籍が複数出版されている。

2 反対運動

 建設予定地の反対運動は計画立案と同時に発足した。即ち、一九五二年以来半世紀以上の歴史を有する。
 東京、千葉など下流域の反対運動も営々と続けられてきた。本年二月、これらの伝統的グループと市民オンブズマングループとの合同会議が持たれ、以後会合が重ねられた。
 その結果、本年九月一〇日、八ッ場ダム建設により財政負担が発生する一都五県の住民が一斉に監査請求をなした。請求人の数は約五三〇〇人に及んだ。
 その二日後、東京新宿住友ビルで約四五〇人が参加して監査請求報告集会が開かれ、田中康夫長野県知事が「脱ダム社会への道」と題する講演で最後を締めた。

3 今後の予定

 第一に意見陳述である。九月一〇日の監査請求提出の際、広大な傍聴席・パワーポイントの使用などの申入がなされている。「傍聴席に見せる意見陳述」を展開して運動飛躍の契機にしたい。
 第二に住民訴訟である。今回の監査請求は、国交省に正面からケンカを売っている。如何に道理が通っていても各都県監査委員が認容するとは考えられない。今後は一都五県、六カ所の地裁に於いて、明治以来のこの国の治水政策の是非を廻る論争から始まる訴訟が展開されることになる。反対運動はこの訴訟を基軸に様々な集会、イベントを組み合わせて進行することになる。
 第三に、既に予定された集会として一二月五日午後一時三〇分から東京渋谷ヤマハビルに於いて(提訴されているであろう)住民訴訟報告などを行う集会を予定している。
 この集会には全国の反ダムの運動を展開してきた人々を結集し、反ダムの全国的連帯の契機としたい。単に国内だけでなく、国際的にも反ダムの世論は拡がっている。この集会が国際的にも反ダムの市民運動が連携できる契機になればと思っている。

4 弁護団へのお誘い

 以上のような反対運動を予定しているので、当然ながら弁護士は絶対的不足の状況にあり、一人でも多くの参加が熱望されている。
 展望は全くない。しかしながら、弁護士として実に「やりがいのある仕事」になることは明白である。残念ながら当面弁護団経費などを支弁できない。
 次回の弁護団会議は一〇月一一日午後一時三〇分から、東京共同法律事務所にて予定されている。
【連絡先 広田法律事務所 電話〇二四六・二四・二三四〇】



本の推薦

「いのちの手紙ー障害者虐待はどう裁かれたか」

大阪支部  宇 賀 神  直

 サン・グル―プ裁判出版委員会の編集による本が出された。サン・グル―プ事件と言うと、滋賀県内の肩パット生産の会社を経営している社長が二〇数名の知的障害者を雇用して働かせ、一〇年以上の長い期間、様々の虐待などを加えたことでマスコミにも取り上げられたので広く世間に知られた事件です。
 サン・グル―プ事件は和田という社長の虐待から被害者を助け出すことから出発したのですが、和田が従業員である障害者の年金を横領しそれを被害者などが告訴・告発して和田が逮捕・起訴され、有罪判決「懲役一年六月」と進み、更に年金裁判、行政機関の責任を追及する国家賠償訴訟と運動が展開されていくのです。そして「障害のある人へのあたたかい心と正義にあふれた画期的判決」を勝ち取ったのです。この運動はサン・グル―プ被害者の会、サン・グル―プ被害者弁護団、サン・グル―プ被害者を支える会を柱とした多くの人々により進められたのですが、「いのちの手紙―障害者虐待はどう裁かれたか」の本は、この運動の記録であり、弁護士や支える会など運動に関った人が書いています。知的障害者をめぐる裁判、行政機関の責任を追及するという難しい問題にもかかわらず分かり易い文章で運動の様子が綴られており、そして運動の初期からそれが盛り上がっていく過程が描かれていて、読み進んでいく中で感性に響くものがあります。
 本の表題になった「いのちの手紙」というのは虐待を受けている女子が労働基準監督署に助けを求めた手書きの手紙ですが、労働基準監督署は放置したままでした。この手紙は運動の発展にも裁判の勝利にも貢献する感動をよぶものになっています。この手紙は裁判の中で弁護団の努力で監督署から法廷に出されたものです。手紙の前半部分を紹介します。「(略)朝夕がめっきり寒くなりました。労働基準局のみなさん方、元気でおすごしでしょうか。少しおたずねしたいですけれども、普通の一般の会社の社長さんで暴力をしたり人のいやがらせを言うたり人に傷つけることをしたり言ったりしていますか。仕事のないときにグランドを裸足で歩かせたりするような社長さんいられますか。それがききたいです。社長さんの悪いくせです。お客さんがくると(ねこ)をかぶっているような様子です。従業員にあたりちらけています。どのようにあたりちらけていると思ったら、ひかけているほうきをとりはずしてほうきの枝でたたいたり現在自分のてもとで持っている道具でたたいたり、人のおしりを足でけとばしたりしていることは毎日ようです。それは本当です。」後半部分は是非この本を自ら購入して読んで下さい。大月書店発行一五〇〇円。青木佳史弁護士に申し込んで下さい。
【FAX 〇六・六六三三・〇四九四 きづがわ共同法律事務所】