<<目次へ 団通信1143号(10月11日)
後藤富士子 | 起訴前勾留の廃止ー刑訴法の中に在る「ダイヨーカンゴク」 | |
渡辺脩 | ||
尾林芳匡 | 書籍紹介「Q&A自治体アウトソーシング 指定管理者制度と地方独立行政法人の仕組みと問題点」 | |
中野直樹 | 一一月五日 どうかわる刑事裁判、どうたたかう刑事弁護 |
東京支部 後 藤 富 士 子
1 被疑者勾留と被告人勾留の異同
刑訴法六〇条一項は、裁判所が被告人を勾留できる要件について、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」で、(1)定まった住居を有しないとき、(2)罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき、(3)逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき、の一つに該当することと定めている。
これに対し、起訴前の被疑者の勾留については、同法二〇七条一項により被告人の勾留についての規定が準用されるので、勾留の要件は被告人の場合と同じであるが、検察官の勾留請求を受けた裁判官は、「速やかに勾留状を発しなければならない。但し、勾留の理由がないと認めるときは、勾留状を発しないで、直ちに被疑者の釈放を命じなければならない。」とされている(同条二項)。
さらに、公訴提起から第一回公判期日までの被告人勾留については、同法二八〇条に定められており、勾留要件の判断は、裁判官の職権事項とされ、「勾留状を発しないときは、直ちにその釈放を命じなければならない。」とされている(同条二項)。ちなみに、起訴後の勾留については、検察官の「勾留請求」は認められていない。検察官が勾留請求しないで起訴する場合に起訴状に「逮捕中求令状」と付記するのも、裁判官に職権発動を促すにすぎないと解されている。
かように、未決勾留をみると、勾留目的は起訴前と起訴後と同じなのに、起訴前の場合には、「検察官の勾留請求」という行為が介在するために、勾留要件の判断の仕方について原則と例外が逆転している。そして、裁判官が勾留の理由がないと認める場合には、起訴後であれば、明文規定どおり「釈放命令」を出すのに対し、起訴前では、明文規定に代えて、実務では、「勾留請求却下」の裁判がなされ、検察官は準抗告の申立をすることができる(同法四二九条一項二号)。すなわち、被疑者勾留については、勾留状が裁判官の命令状でありながら、あたかも逮捕状と同じ様に、検察官に対する許可状というべき運用になっている。
しかしながら、逮捕状が「許可状」とされるのは、前提として「逮捕権者」が存在しているからである。刑訴法一九九条一項は、「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、・・裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、・・逮捕することができる。」としたうえで、同条二項で、逮捕状の請求権者を「検察官又は司法警察員(警察官たる司法警察員については、国家公安委員会又は都道府県公安委員会が指定する警部以上の者に限る。)」としている。これに対し、勾留状の請求については、そもそも検察官に勾留権限がないことから、「請求権者」の明文規定がない。したがって、起訴前といえども、検察官の「勾留請求」は、裁判官の職権発動を促す行為にすぎないのではなかろうか。ちなみに、刑訴規則では、「逮捕状の請求書」(同一四二条)と「勾留の請求書」(同一四七条)と文言を使い分けているが、それは令状請求権の有無の反映と見るべきであろう。
2 起訴前勾留のいかがわしさ
国際人権(自由権)規約九条3項は、「刑事上の罪に問われて逮捕または抑留された者は、裁判官または司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れていかれるもの」と規定している。一方、日本国憲法三三条・三五条が定める令状を発する「司法官憲」には検察官が含まれず、裁判官(裁判所)だけが令状を発する権限を有している。したがって、身柄を拘束された被疑者は、「速やかに裁判官の面前に引致される」ことが求められている。
ところで、刑訴法二〇七条の被疑者勾留についてみると、逮捕された被疑者が裁判官の面前に引致されるのは、検察官が起訴しないで勾留請求する場合である。同法二〇四条二〇五条の規定によると、検察官は、逮捕された被疑者について、(1)起訴、(2)勾留請求、(3)釈放のいずれかの手続をしなければならないが、勾留請求しないで起訴すれば、刑訴法二八〇条によって、被告人の身柄の管理も裁判所に移るのに対し、起訴しないで勾留請求する場合には、事件も身柄も裁判所の管理下に移らない。これでは、「速やかに裁判官の面前に引致される」ことにはならない。しかも、起訴前の勾留期間は最長二五日間であるから、逮捕されてから最長四週間、裁判所に身柄が移らない状態が生じるのである。そして、起訴しないで勾留請求するのは、結局のところ、起訴するための証拠収集活動=取調を目的とする以外に説明ができない。こうした実態が、被疑者勾留について、裁判官の「身柄拘束命令」というよりも、検察官に対する「取調許可」のように錯覚させるのであろう。
しかしながら、被疑者に対して許される強制処分は逮捕・勾留という身柄拘束であって、取調は強制できないものである(刑訴法一九七条・一九八条)。また、勾留は、起訴の前後を問わず、裁判所・裁判官の命令であり、その目的も逃亡や罪証隠滅を防止することにある。したがって、取調を目的にした起訴前勾留は、国際人権法に反するだけでなく、刑訴法の体系からしても著しい矛盾である。このような欺瞞的な起訴前勾留制度が半世紀余りに亘って疑問をもたれなかったことは、驚くべきことではなかろうか。
3 刑訴法マターとしての「ダイヨーカンゴク」
これまで「代用監獄」問題は、監獄法の問題として論じられ、そこで定式化された命題は「捜査と身柄の分離」ということである。すなわち、勾留場所として警察留置場を用いないようにすることであり、これが「代用監獄廃止」ということであった。
しかしながら、問題の病巣が「身柄を取調に利用する」ことにある以上、最長四週間もの起訴前勾留を法律上許しておいて、この病巣を克服することはできないと思われる。
一九九八年一一月に発表された国際人権(自由権)規約委員会の第四回日本政府報告書に対する最終見解は、起訴前勾留において規約九条、一〇条、一四条で定められた被疑者の権利が保障されていないと指摘し、起訴前勾留制度を直ちに改革するよう勧告した。
これを受けて、日弁連は「公判前手続の改革案」として一〇項目を挙げているが、「(1)代用監獄を廃止する」というだけで、「起訴前勾留の廃止」に言及していない。被疑者勾留に関する刑訴法の規定に手をつけず、(2)起訴前保釈、(3)被疑者国選弁護人、(4)弁護人の取調立会い、(5)取調の時間や期間について法令化、(6)接見指定制度の改善、(7)取調の可視化、(8)人身保護手続の刑事手続での利用、(9)警察における人権侵害について独立した調査・救済機関の設立、(10)検察官手持ち証拠の全面開示・・を図っても、根本的な解決にはならないだけでなく、それ自体の実現も困難ではなかろうか。むしろ、起訴前勾留が廃止されれば、問題は全て「起訴後」の手続に還元される一方、取調を強要されることもなくなるはずである。
こうしてみると、「代用監獄」問題は、未決勾留の「場所」の問題というよりも、「身柄を利用して自白を採取する」ことを許している起訴前勾留に内在しているということができる。換言すると、「ダイヨーカンゴク」は、本質的に現行刑訴法の中に在るのである。 そして、「判事補」が法曹一元の鬼子であるように、起訴前勾留は、未決拘禁制度の鬼子として正体を現すのである。
(二〇〇四・九・二二)
東京支部 渡 辺 脩
永尾廣久さんさんが、団通信本年九月一一日号の「五月集会雑感についての弁明」で、私宛に、「もっと分かりやすい言葉で」ものを言うように、と注文している。よく言われる注文であり、私の議論の前提が通じていないのかと思う。本年八月二一日・九月一日号では、中野直樹さんも、私見に触れていた。以下、前稿よりも一段と前提問題をはっきり述べてみなければなるまいと思う。
一、歴史的な経過
本年八月末の日弁連・刑事法制委夏期合宿(麻原裁判で数年欠席が続いた)でも指摘したことだが、日弁連には、一九七四年三月一六日付「『刑事訴訟規則改正問題』に関する意見書」(理事会決議、「司法制度調査会議決書・第2集)がある。起案者は私である。
最近開かれた「心神喪失者等医療観察法」施行に伴う刑事訴訟規則制定諮問委員会の冒頭で、最高裁は、三〇年間、この日弁連意見書のために、会議を開催出来なかったので、再開出来たのは「記念すべきこと」と挨拶した旨、私は聞いた(前記刑事法制委伊賀興一事務局長・現副委員長報告)。この意見書は、最高裁側には強烈なインパクトを残してきたのだが、日弁連では埋もれていた。
この七四年意見書は、個別の「改正事項」についても詳細な分析と批判を展開しているが、総合的には、次のように述べている。
1、「『改正事項』は、『審理の遅延を防止するための諸方策』を中心とするものであって、『公判期日の指定および変更』に関する『合理化』と『訴訟関係人』の訴訟行為に対する制限・禁止を主な内容としている。」
意見書は、さらに、その動向が一九五〇年の「刑訴規則改正」以来続いている経過をも具体的に分析している。
2、しかし、司法統計によると、「訴訟遅延」の実態はなく、不当な勾留の長期化や代用監獄における自白の強要など、「刑事訴訟の実態において裁判の公正を歪めている根本原因を全く無視し、正しい刑事訴訟のあり方とは逆の方向において訴訟促進方策を強化しようとしている。」
したがって、捜査段階における実質的な当事者主義の強化(弁護人の取調立会権)などの提案も皆無である。
3、一九五〇年以降、「『訴訟促進』方策における焦点は『集中審理方式』であった。それは争点中心主義による訴訟手続の『合理化』と訴訟当事者による事前準備の徹底化を軸としながら、実質的な職権の強化と訴訟活動の制約を内容とするものであった。」
これは、まさに今回の刑訴法「改正」の内容そのものではないのか。その具体的な内容は条文作りの段階で明白になっていた。
それを「『新法の中身から一目瞭然だ』と言われても…何のことやら理解できない」(永尾弁明)と言うのでは、刑事訴訟と刑事弁護の問題を何も理解していないことになるのではないか。
この七四年意見書は、総体的に、今回の刑訴法「改正」に関する団本部の意見書と重なり合う点が多いのではないかと思う。
二、刑訴法大改悪
七四年意見書当時の改悪は「公判期日の指定」を中心にすえていたのに対し、今回の改悪は、第一回公判期日前における弁護側の「争点整理」と「立証計画」を義務付けて、失権効(三一六条の三二)を規定するところまで一気に踏み込んでいる。仮に、検察官手持証拠を全部開示した(全部開示は本来当然)としても、実質的な証拠のチェックは、検察側証人の尋問段階に進まないと、分からない問題がほとんどである。とくに、フレームアップの場合、証拠の開示だけでは見破れないものも多い。したがって、失権効は、本質的に要証事実と弁護側立証を切り捨てる強権的な方策であり、弁護人に「奴隷的弁護」を強いる規定であって、戦後の刑事司法における最悪の規定である。弁護人席に座るだけの弁護人であれば、実質的な「弁護人抜き裁判」の実現である。訴訟は「生き物」であり、流動性を本質とし、生成発展する。その手続を第一回公判前に規制してしまう規定は、刑事訴訟の本質を破壊するものである。
こうして、被告・弁護人の争う権利が充分に保障されない法廷で、「裁判員」の「健全な社会的常識」だけを期待するのは、空論も甚だしい。そうなると、健全でない市民感情や被害感情が働き、誤判と重罰化の増大を導く危険は避けがたい。
もともと、「裁判員」のために、「争点整理が必要」という議論は明白な嘘であり大規模のデマ宣伝に他ならない。
(1)刑事裁判は、「裁判員」のためにあるわけではなく、「疑わしきは被告人の利益に」という基本原則が最優先である。(2)「裁判員」のための分かりやすい説明方法はいくらでも可能であって、「争点整理」という形をとる必要はない。(3)「争点」は、整理出来る事件も、出来ない事件もあり、整理出来ない段階や情況の下で、その整理を強行しても、真の「争点整理」にはならない。(4)「裁判員」のための「争点整理」であれば、失権効まで定める必要はない。
私は、この最悪の規定に抵抗の姿勢を示さなかった日弁連が「権力の手先」とよばれても仕方がないという認識を強く抱いている。
したがって、これを「飛躍」と評する永尾弁明との間には一致点があり得ないのだ。一致点を求めるとすれば、永尾さんに考え直してもらうしかない。永尾さんは、この問題について、シンポジュームの「その場にいない私には回答のしようもない」というのではなく、「その場に」は関係なしに、自分の見解を述べるべきである。そうでなければ、反論にも批判にもならない。
以上の通りであるから、七四年意見書の当時の「改正事項」と今回の「改正法」は、基本的なねらいは同一のものであるが、内容において「改悪」の程度が極度に深まったといえる。
要するに、裁判所の職権を強化して、弁護活動を制約するという刑事訴訟手続に関する権力側の年来の基本方向は戦後史の中でも一貫しているのである。
新しくなったのは、一連の「オウム関連事件」以後、それを絶好の機会として、「刑事司法改革」という新しい装いが登場し、その装いのもとで、刑事訴訟手続に関する権力側の年来の目的が抵抗なしに通ってしまったという状況である。
そして、最も変わったのは、日弁連の方針である。
日弁連は、七四年意見書で三〇年前に強硬に反対した刑事訴訟手続改悪と同じ基本方向を貫徹させ、内容面ではもっとひどくなった改悪に三〇年後の今日賛成したのである。国民の眼からみると、この逆転の変針は、「変節」という他ないであろう。私は、本年四月、私の論稿を掲載した新聞の編集長から、印象深い礼状を頂戴した。
「…一時代前ならば、もっと大きな問題視する声が出され、もっと大きな議論の輪が広がり、さらにいうならば弁護士会こそが一丸となって抵抗運動の中心にいただろう事態が予想外の静けさの中で進んでいくことには、そら恐ろしいものを感じます。どうぞ、今後とも本紙をご活用頂ければと思います。」
三、法律支援組織
私は、総合的な「司法支援センター」は必要な制度であると考えているが、「法律扶助協会」の事業拡大の一環として、本来、日弁連が担い手になるべきものであると主張している。
したがって、今回の「法律支援」の制度について、日弁連は、法務省が獲得した予算ともども、これを日弁連に取り戻す方針と政策を策定する必要がある。
国選弁護人について、永尾さんは、「選任」者が裁判所から法務省に変わるだけで、どこに問題があるのかと言う。
しかし、国選弁護人の「選任」者は、今までも、総合法律支援法でも、あくまで裁判所であり、その点は変わっていないのである。
大きく変わるのは、国選弁護関係事務の管理・監督が弁護士会から法務省に移る点である。支援センターの「法律事務取扱規定」は、法務省令で定める事項を記載し、法務大臣の認可を受けなければならないことになるが、その中には、契約弁護士に対する「懲戒措置」も含まれるのである(三五条)。国選弁護人の弁護活動に法務省が介入・干渉してくる危険は歴然としている。
これは、本質的な問題点であり、中野さんが説明しているように、団本部の反対意見は全く正しい。
永尾さんは、見当違いの国選弁護人の「選任」をいうだけで、なぜ、このような根本問題を無視・回避するのか。もし、法務・検察側が国選弁護人を「選任」する手続になったら、それこそ大事件ではないか。問題なしという永尾弁明は暴論であろう。
以上の通りであるから、今、弁護権に対する法務省の介入・干渉の危険を実質的に排除して、弁護活動の独立を守り抜くために、支援センターを弁護士会主導で運営していく方針と計画と体制が非常に重要な弁護士会の課題になっている。弁護士会が、その課題に正しく対応出来るかどうかは、これからの努力と活動に懸かっているのだから、五月集会で、各地から出た意見も当然で正しいのだ。 その課題を実現していくためにも、団本部の根本的な反対意見は不可欠であり、「弁護権擁護」を国民的要求に高めて行くべきだ。 その立脚点を見失い、そういう課題に対する真剣な取組みを考えない弁護士会のもとでは、この支援センターとの契約を結ぶこと自体が非常な危険を伴っているのだ。
今のところ、私は、東京で、その契約を結ぶつもりは全くない。
私も、国選弁護人の選任の実情が永尾さん指摘の通りであろうと思うから、その点では異論があるわけではない。
しかし、それは、改善されるべき現状と課題であって、「弁護士自治」と「国選弁護」は無関係だという永尾さんの議論の前提になったり、土台になったりする問題ではない。
永尾さんが肝腎な「弁護士自治の問題に関する答申書」にも全く触れていないのは、一体、どういうことか。
以上の通りであるから、中野さんが紹介した団内論争について言えば、もともと、両方とも必要になっているのである。中野さんは、悩んだり迷ったりすることなく、突き進んでもらいたい。(つづく)
東京支部 尾 林 芳 匡
地方自治体は激動の中にある。二〇〇三年に相次いで成立した指定管理者制度に関する地方自治法改正と地方独立行政法人法を中心とする最近の一連の法制は、これまでの地方自治体の様相を劇的に変化させつつある。たとえば公の施設は特定の営利企業の収益の舞台とされることになった。地方自治体が住民の意思を直接反映させて住民の福祉・教育にきめ細かく対応するのではなく、ごくひと握りの企業に収益の道具を提供するという変質である。また地方自治体の主権者であるはずの住民の立場は単なる顧客の地位とされ、公務をになってきた自治体労働者の働き方は著しく不安定なものになりつつある。
こうした変化は経済界から「官製市場改革元年」と礼賛され、各シンクタンクは競い合って「パブリックビジネス研究会」などを立ち上げて情報やノウハウの供給を始めている。ところがこうした動きの全体について包括的に批判的検討を加えた書籍は乏しかった。このため全国の自治体で怒濤のように進行する自治体の変質について、住民運動・労働運動あるいは地方議員が批判的な論陣をはることは困難で、自治体アウトソーシングがあたかも時代の流れであるかのように批判もされず無抵抗に進行する例も少なくなかった。
すでに自治労連弁護団が「自治体アウトソーシング百科二〇〇四」などでこうした動きについてトータルな問題提起を試みてきたが、そのメンバーが中心となって「自治体アウトソーシング研究会」を発足させ、この研究会で編集・執筆したのが本書である。「百科」の内容をふまえつつ全面的に書き直し、Q&A形式、「ですます」調で、図表も取り入れ、読みやすい本になっている。
主な内容は次の通りである。
1 自治体はねらわれている(「新自由主義的構造改革」のめざす国家・社会像/推進の起点となった行政改革会議最終報告)
2 指定管理者制度―その仕組みと問題点(指定管理者とはどんな制度ですか?/「公の施設」とはどんな施設ですか?)
3 地方独立行政法人―その仕組みと問題点(地方独立行政法人とはどういう組織ですか?/地方独立行政法人制度の仕組みはどうなっていますか?)
4 公営企業法全部適用、構造改革特区法、任期付公務員制度、労働者派遣、有償ボランティアーその仕組みと問題点(地方公営企業法とはどんな制度ですか?/地方公営企業法の全部適用とは何を意味するのですか?)
5 個別分野でのアウトソーシングの実態と課題(保育所ではどんな手法でアウトソーシングがおきていますか?/社会福祉事業ではどんな手法でアウトソーシングがおきていますか?
弁護士が自治体アウトソーシングをめぐる新しい法律についての相談等に対応する上でも必携の書と言えるし、自治体職員はもちろん、住民運動や労働運動に携わっている方や地方議員の方にとっても読みやすく活用しやすいものになっている。すでにいくつかの法律事務所では本書を労働組合や地方議員に大量に普及し、まさに現に進行する問題にすぐに役立つ時宜にかなった資料であると喜ばれている。
書店やインターネット書店の他、自治体研究社・自治労連・後記執筆者にご連絡いただければ入手できるので、ぜひご一読いただきたい。また本書を文字通り全国の自治体に普及し、自治体の変質に対抗する運動の力にしていくために、団員のみなさんのご協力をぜひお願いしたい。
執筆には尾林の他に船尾徹、小部正治(以上東京)、鈴木幸子(埼玉)、渥美雅康(愛知)、中尾誠(京都)、城塚健之(大阪)の各団員が参加している。
【著者・自治体アウトソーシング研究会/出版社・自治体研究社/発行年月・二〇〇四年八月/本体価格・一八〇〇円 (税込一八九〇円)
司法民主化推進本部事務局長 中 野 直 樹
改正刑事訴訟法は〇五年九月から施行されます。最高裁は改正された訴訟法に対応する刑事訴訟規則の改正の大枠を年内につくるとのこと。東京地裁でたたかわれている国公法違反弾圧事件(堀越事件)では、裁判官が、試験的に、公判前整理手続きを先取り運用し、二九通の書証の証拠開示命令、開示される証拠の「目的外使用禁止」条件付加という訴訟指揮を行ったとの報告がきています。すでに現場での攻防が始まっています。
自由法曹団では、公判前整理手続きと公判審理のあり方・相互関係、証拠開示と証拠の目的外使用禁止などについて、過去の経験蓄積、改正法の研究、現にたたかっている刑事弁護の立場から、実践的な研究をする機会をもうけます。
当日は、日弁連で裁判員・刑事司法分野の担当をしている団員にも参加していだく予定です。
刑事弁護の実績を積んできておられる皆さん、厳しい弁護活動に直面しておられる皆さん、そして刑事弁護に関心をお持ちの若手の皆さん、多くの皆さんの参加を呼びかけます。