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松島 暁 二〇〇四年総会 沖縄で開催
庄司 捷彦 日韓交流の先駆け「弁護士布施辰治」
森 正 特別寄稿 故・布施辰治弁護士への韓国政府叙勲の報に接して
米倉 勉 刑事司法の行方と団内外の議論状況について




二〇〇四年総会 沖縄で開催

事務局長  松 島   暁

一 一〇月二四日〜二五日、沖縄県国頭郡恩納村のリザンシーパークホテル谷茶ベイで、自由法曹団の二〇〇四年総会が開催されました。参加者は、四八〇名(団員二六五名、事務局員一一八名、その他九七名)でした。台風二三号が沖縄を離れ次の二四号が来襲する合間を縫っての絶妙の開催でした。

 ブッシュ・ドクトリンの実践として無法なイラク戦争が開始され、小泉政権はこれをいち早く支持、イラクへの地上部隊の派兵を強行しました。他方、自民党による「憲法改正のポイント」や公明党の「論点整理」、民主党の「中間報告」など、各政党は憲法の全面「改正」を競いあっています。

 このように戦争と平和をめぐった緊張状態の中で、団総会が開かれました。開催地沖縄は、米軍基地をめぐって米軍と日本政府の軍事政策と民衆の平和のたたかいが真っ向から対峙している地でもありました。この沖縄で、団総会が開催された意味は極めて大きいと思われます。

二 総会は、新垣勉(沖縄支部)、篠原俊一(大阪支部)、吉田健一(東京支部)の各団員が議長団となって進められました。

 坂本修団長の開会の挨拶、地元沖縄支部の芳澤弘明支部長の歓迎の挨拶に引き続き、来賓の韓国民弁・沈弁護士、沖縄弁護士会・与世田兼稔会長、全労連・熊谷金道議長、国民救援会・瑞慶覧淳事務局長の各氏から来賓の挨拶をいただき、革新共闘の糸数慶子参議院議員からは連帯のメッセージをいただきました。

 来賓の一人、沈弁護士からは、自由法曹団に多くを学び、そのことが民弁に新しい刺激を与えていることが紹介され、高い理想により支えられた実践的な相互交流に向けた連帯のアピールがなされました。

三 本年度の古稀団員一五名の表彰と出席された三名の団員に表彰状と記念品が贈られました。

 小泉幸雄団員からは、パスポートをなくしたエピソードも交えその人柄のにじみ出る愉快な話がなされ、杉山彬団員からは、戦争体験者としてなんとしても九条を守らなければならないとの決意が語られ、鶴見祐策団員からは、戦後に初めて知りえた驚きの数々が紹介されました。

四 島田幹事長からの議案提案は、改憲阻止に集中しての提案がなされました。

 その要旨は、改憲勢力がイラクと改憲を戦略的に結びつける策動に出ており、アメリカの先制攻撃戦略にともない、後方支援から前線行動へ焦点を移動使用とする動きの危険性が指摘されました。

 イラク戦争は、国連憲章に明らかに違反するもので、ヨーロッパやASEANから鋭い批判を受けており、根底に平和を願う民衆の力が存在していること、武力によらない世界、対話による解決が、世界の本流であり、九条擁護、イラク加担反対が国民世論の多数であり、団及び団員が平和への多数派の結集のための組織者となることが提案されました。

 引き続き予算・決算の提案、会計監査報告(村田次長・監査報告書代読)、選挙管理委員会からの報告がなされました。

五 本年度は分散会を設けず、全体会のみの総会となりました。一日目、二日目の両日にわたり、次の三〇名の団員から発言がなされました。(発言者名・所属支部・発言テーマ 敬称略)

 加藤健次(東京)

  『国公法弾圧事件の現状と課題─刑事司法「改革」の問題にも  触れながら』

 今村核(東京)『拘禁二法再提出のうごき、共謀罪など』

 草場裕之(宮城)

  『学校警察相互連絡制度の広がりと少年法改悪・補導法制化の  動き』

 佐藤博文(北海道)

  『イラク派兵差止・北海道訴訟(箕輪訴訟)の意義と九条改悪  反対の道民的とりくみについて』

 田中隆(東京)『国民保護法と自治体をめぐる攻防』

 毛利正道(長野県)

  『非戦つうしんを五〇号・半年間・二〇〇〇人に発行して─マ  スメディアの問題性とオルタナティブ・メディア研究の重要   性』

 西晃(大阪)

  『いわゆる解釈改憲最悪論の位置付けと団の総会議案書の立場』

 山田秀樹(岐阜)『「九条の会・おおがき」のとりくみ』

 神田高(東京)

  『改憲策動と対抗する「草の根の運動」としての「九条の会」  運動の役割と三鷹市における「九条の会」設立と広がりについ  て』

 近藤忠孝(京都)

  『憲法学習会講師活動を通じての教訓と改憲阻止の展望につい  て』

 西田美樹(東京)『もっと やさしい言葉で憲法を語ろう』

 金城睦(沖縄)

  『「平和への結集」の重要性と参議院選沖縄地方区の勝利と団  の果たすべき役割』

 大山勇一(東京)

  『韓国における若手団員の平和運動と憲法アピール行動の呼び  かけ』

 瑞慶山茂(千葉)

  『アメリカの世界戦略と日米安保条約、基地撤去のたたかい、  日米地位協定』

 大久保賢一(埼玉)

  『テロとのたたかいの意味と「スーパー基本権」としての安全』

 岩佐英夫(京都)

  『イラク国際戦犯、民衆法廷の意義と検事団参加・協力のお願  い』

 松井繁明(東京)

  『憲法改悪阻止闘争と教育問題をめぐる闘いとの関連について』

 黒岩哲彦(東京)『教育基本法の改悪の動きの現状と運動』

 藤木邦顕(大阪)『大阪における教育基本法問題の動き』

 佐々木亮(東京)

  『労働契約法制検討プロジェクトチームより 労働契約法制に  ついて』

 滝沢香(東京)『野村證券女性差別事件の和解成立について』

 増本一彦(神奈川)

  『消費税増税反対の運動を年金改悪、憲法改悪反対運動との結  合にも配慮を』

 後藤富和(福岡)

  『有明海異変と「よみがえれ!有明海訴訟」仮処分決定』

 坂勇一郎(東京)『敗訴者負担問題の現状と課題』

 佐々木新一(埼玉)

  『司法改革と地方弁護士会 弁護士会と団員の役割』

 高崎暢(北海道)

  『司法改革の方針についての補充と提案 司法改革の現場で感  じることを中心に』

 中野直樹(東京)

  『司法支援センターの制度づくりにどうかかわるか』

 四位直毅(東京)

  『拘禁二法と代用監獄について 最新の日弁連の方針』

 平井哲史(東京)『団のこれからを担う世代の獲得について』

 庄司捷彦(宮城)

  『日韓交流を深めるための一つの端緒「布施辰治建国勲章授与」  に関連して』

 松島暁(東京)

  『事務局次長の役割の重要性と各支部・各事務所への訴え』

六 二日間の討論をふまえ、総会議案、予算・決算それぞれが承認され、以下の決議が採択されました。

 (1) 憲法改悪を阻止し平和な国づくりを求める決議

 (2) 文部科学省及び与党(中間報告)による教育基本法の

  改悪を許さない決議

 (3) 憲法違反の国公法による言論弾圧に反対し、憲法と

  国際人権規約にのっとった審理及び判決を求める決議

 (4) 「弁護士報酬の敗訴者負担」制度の導入に反対する決議

 (5) 普天間基地の撤去を求め、海上基地建設に反対する決議

七 選挙管理委員会から、団長は無投票で、幹事は信任投票で選出された旨の報告がなされました。

 総会の場を一時中断して拡大幹事会を開催し、常任幹事を選出し、規約に基づき、新入団員二六名の入団の承認、幹事長、事務局長、事務局次長を選任した。

 新役員は次の通りです。

 団長    坂本 修(東京支部 再任)

 幹事長   吉田健一(東京支部 新任)

 事務局長  松島 暁(東京支部 再任)

 事務局次長 大崎潤一(東京支部 再任)

 同     斎田 求(埼玉支部 再任)

 同     瀬野俊之(東京支部 再任)

 同     飯田美弥子(東京支部 新任)

 同     泉澤 章(東京支部 新任)

 同     今村幸次郎(東京支部 新任)

八 退任した役員は次の通りで、退任の挨拶があった。

 幹事長   島田修一(東京支部)

 事務局次長 坂勇一郎(東京支部)

 同     杉島幸生(大阪支部)

 同     平井哲史(東京支部)

 同     村田智子(東京支部)

 同     渡辺登代美(神奈川支部)

九 閉会にあたって二〇〇五年五月集会(五月二二日〜二三日、二一日にプレ企画の予定)へのお誘いの発言が山形支部の三浦元支部長からなされ、最後に、沖縄支部の伊志嶺善三副支部長からの挨拶をもって総会を閉じました。

十 総会前日の二三日に、プレ企画『沖・韓・日シンポジウム基地被害の現状と基地撤去実現の課題ー東北アジアの平和構築に向けてー』が、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開催され、一七一名が参加しました。

 第一部が、「東北アジアにおける平和をめぐる状況と課題」のテーマで、新崎盛暉前沖縄大学学長、金承教弁護士、松島暁(団)が、報告を行い、第二部「基地撤去闘争・訴訟の現状と課題」では、新崎前学長、李正姫弁護士、籠橋隆明(団)が報告を、基地弁護団からは、普天間基地訴訟を加藤裕(沖縄)、嘉手納爆音訴訟を高木吉朗(大阪)、横田基地訴訟を吉田栄士(東京)の各団員から発言がありました。最後に、共同アピールを採択して閉幕しました。

 日米同盟とそれに基づく米軍基地をめぐるシンポジウムが基地の集中する沖縄で開催されたことの意味は大きく、同時に、日韓の民衆の弁護団が共同の討論の場をえたことは今後の日韓連帯にとっても意義深いものでした。

十一 総会当日の午前中、新人企画として、海上基地反対で座り込みを続ける現地辺野古と沖縄戦を体験する石川ガマ(壕)を訪ねるツアーが企画され、四五名の新人弁護士及び沈、李、金の各弁護士が参加しました。途中、バスが砂浜で「座礁」するというアクシデントに見舞われましたが、無事、終了いたしました。

十二 最後になりますが、多くの団員の皆さんの参加によって無事総会を終えることができましたことにお礼を申上げるとともに、準備不足等によりご迷惑をおかけしたことを、執行部として深くお詫び申上げます。


日韓交流の先駆け「弁護士布施辰治」

宮城県支部  庄 司 捷 彦

 誰もが驚かれたのではないでしょうか。一〇月一三日の朝刊を見て。そこには「弁護士布施辰治に韓国建国勲章授与」の見出しがありました。私の地元『河北新報』には四段抜きの大見出し。

 「自由法曹団物語」の読者諸兄にはすでにお馴染みの筈だが、弁護士布施辰治は自由法曹団創立メンバーの一人。朝鮮民族は辰治の生涯をどのように評価しているのか、韓国でどのような人々が辰治への名誉の授与を推奨していたのか等については、森正さんの別稿にお任せします。森さんは名古屋市立女子短期大学教授の時代から「弁護士布施辰治」を研究されてきた方であり、辰治の生涯を芝居台本にまでまとめられました。そして現在辰治の評伝に取り組まれていると仄聞しております。森さんほどの「辰治の語り部」はおられないと思います。

 それにしても、〇四年秋の団総会でのプレシンポが「日韓交流」をテーマにしているとは何たる偶然でしょうか。数年前、韓国「民弁」との交流に参加した際、弁護士布施辰治について尋ねたことがありました。しかし、知る人は居られませんでした。韓国の現代史の激流の中で、戦前朝鮮の歴史は十分に顧みられてはいないのか、或いは、今尚、保安法の存在する韓国では、戦前の治安維持法から完全に自由ではないからなのか、などと推測していたのですが……。

 私の手元に「日韓併合史」と題する写真集があります。その中に「朝鮮人のために行動した日本人」として、柳宗悦と布施辰治の二人の写真が大きく掲げられています。この本は在日朝鮮人の編集にかかるものではありますが、そして、この二人以外にも、例えば柳宗悦をして朝鮮の陶器・膳などの民芸品へ眼を向けさせた浅川巧などの群像に触れられていないなどの限界もありますが、しかし、辰治の朝鮮半島での足跡を正当に評価している数少ない書籍です。

 辰治が半島に残した足跡については、今後の日韓交流の中で新しい光が当てられることになるでしょう。彼が援助した農民闘争の地(宮三面)は何処にあるのか、彼が遺骨を保護し、埋葬の手助けをした金子文子(大逆事件被告朴烈の妻であり、獄中で自死した)の墓は何処なのか。私はこれらの地を旅してみたいと強く思っています。歴史のより深いところでの日韓交流がこれから始まろうとしているのかもしれません。

 日本評論社会長大石進さんは、辰治の長女大石乃文子さんの長男で辰治の孫に当たります。授与式には彼が出席する予定とのこと。それにしても、昨年九月、仙台で「辰治没後五〇年」を記念する集会を開催したこと、そこで団の長老竹澤哲夫さんや大石進さん、森正さん各氏の講演をいただいたことで、なんとか地元としての面目を保つことが出来たとの思いを強くしているところです。

 今年九月二五日、盛岡で「小繋会」の総会があり、竹澤さんが記念講演を行いました。ここにも弁護士布施辰治を語り継ぐ人々がいます。

 地元石巻としても、顕彰運動に新たな課題が提起されたことになります。

 先ず、辰治顕彰碑の存在をもっと市民の中に普及すること、そのためには案内標識の設置、訴訟記録や遺品等の常設展示場の確保等が急務です。韓国からの熱いエールに応えて、これらの活動に取り組むことになります。顕彰会の再建とともに。

 今、憲法改悪、有事法と、戦前の弾圧体制が復活しようとしています。それと真正面から戦いながら、先達達の治安維持法下での果敢な闘いに学ぶことが求められているのではないでしょうか。若い団員諸兄が、岩波新書「ある弁護士の生涯」などを端緒として、戦前の弁護士群像を知ることも大切なことだと思うのです。

(二〇〇四・一〇・一三)


特別寄稿

故・布施辰治弁護士への韓国政府叙勲の報に接して

名古屋市立大学名誉教授  森   正

 一〇月一二日午後、毎日新聞ソウル支局からの電話で、布施辰治弁護士(一八八〇〜一九五三年)への建国勲章授与の決定を知った。私は「本当ですね」と、くり返し確かめた。三年前だったか、金大中政権のころに同じような電話を中日新聞から受け、翌日の同紙に大きく報道されたのだが、そのあと訂正記事が出たことを鮮明に記憶していたからである。また、韓国の布施先生記念事業会から毎年「決定」の報を受け、その都度「肩すかし」を喰らっていたからである。

 韓国での布施辰治顕彰運動は、一九九九年にはじまっている。運動の中心は、市民運動家の鄭S泳さんである。鄭さんらは二〇〇〇年、ソウルで「布施先生記念国際学術大会」(於、韓国国会議員会館)を主催、私は布施の孫である大石進さん(日本評論社会長)とともに招かれ、日本と朝鮮半島で朝鮮民族の人権擁護に尽力し、日本の植民地支配を批判しつづけた布施の事績について話した。

 ところで私はすでにその時点で、鄭S泳さんからの手紙で、布施辰治関係の学術交流、韓日合作の布施顕彰映画の製作、布施記念碑の建立、布施への叙勲、などを運動の課題としていることを知っていた。そして、当時の私は、叙勲についてだけはどうにもピンとこなかったというか、素直に受けとめられなかった。率直にいって、私のなかには複雑な感情が渦巻いていた。国家というものへの本来的な不信感、その国家による人間評価たる叙勲制度への不信感、「布施辰治に勲章は似合うのか」との素朴な疑問・・・、などである。

 しかし、叙勲申請に必要なあれこれの資料を送れとの鄭さんからの要請に応えるなかで、鄭さんらの運動について、私は次の二点をふまえて考えるべきだろうと思いはじめた。@これは韓国人・朝鮮人および韓国政府の問題であり、A韓国政府に布施の事績を認めさせようとする運動の意味を理解すべきだ、と。

 推察するに、鄭さんたちは、布施辰治から受けた大恩にたいしては、民間(人)だけでなく政府もまた感謝の意を表すべきであり、それが朝鮮民族の伝統にそった礼儀である、と考えたのだろう。同時に、今後の韓日友好のためにはそれが必要である、と考えたのだろう。

 いま思い出すのであるが、前記の国際学術大会で大石進さんは講演の冒頭で次のように述べている。「侵略された民族の国で、侵略した民族に属する一人の人間について、このような会合がもたれるということは、世界史的な出来事なのかも知れません。感動に胸が震えます」と。加えて、今回の叙勲である。

 叙勲に難色を示してきたのは、韓国外務省だと聞いている。韓国世論のなかにも消極的反応があったようだ。もちろん、布施辰治が日本人だからである。そういう状況下で、韓国政府=廬武鉉政権はまさに重大な決断をしたといえよう。布施は植民地支配に反対し朝鮮半島の独立運動を支援した、というのが叙勲の主たる理由である。決断にあたってどのような政治判断が働いていようとも、苛烈な植民地支配を断行した国の人間に被害国家が勲章を授与したわけであるから、これはまさに歴史的な出来事であり、その事実が意味するものはきわめて重く深い。

 わが日本では「韓流・ヨン様」ブームで、中年女性を中心に韓国への関心を強め、観光客が韓国へどっと押しかけているようだ。それはそれで悪いことではないと思いたい。しかし、恥ずかしいことに、ほとんどの日本人には自分の国と国民が犯した大罪についての認識はない。たとえ話だが、日韓文化交流に大いに寄与したと叙勲好きの小泉首相がヨン様に勲章を授与したなら、これぞ快挙とばかりに拍手喝采だろうが、今回の布施辰治の受章については「それなんのこと?」なのではないだろうか。日本と朝鮮半島のあいだの過去に無知・無関心のままの、あるいは過去の歴史的事実から逃避した交流が、日韓の真の友情と連帯を育むとはとても考えられないのである。

 遡って、朝鮮民族によせた布施辰治の精神の軌跡をみたとき、少青年期の「同情」に端を発し、壮年期には「友情・連帯」へと発展・深化している。それは朝鮮半島への植民地支配が激化していくのに対応していた。そして布施は、文字通り身体を張って被抑圧異民族の人権を守っている。その間には身の危険を感じたこともあっただろう。勇気と気骨のある弁護士である。

 今回の受章で、布施辰治の事績に光があてられたことは喜ばしいことである。同じく光があてられるべきは、布施が植民地台湾の民衆のために闘った事績である。布施がとりくんだ台湾二林蔗糖組合騒擾事件の記念集会が今春あり、大石進さんが台湾に招かれている。台湾でも布施顕彰がはじまっているといえよう。

 最後に記しておきたいが、ひとり布施辰治だけが植民地民衆のために闘ったわけではない。少なからぬ弁護士たち(その多くが自由法曹団所属)が、高い志で闘っている。ここでは山崎今朝弥と古屋貞雄の名前だけをあげておきたい。

【注記】朝鮮民族への布施辰治の深甚な思いを示すものとして、「朝鮮建国憲法草案私稿」(一九四六年四月)があることに注目していただきたい。ただ、布施の思いをふまえたうえであえていえば、日本人が独立朝鮮の憲法案を公表するというのは、信じられない驚くべき行為であった。まさに布施だけが許容される行為だった。布施は朝鮮民族から「我らの弁護士ポシ・ジンチ(布施辰治)」と慕われ、時には神様扱いされたという。


刑事司法の行方と団内外の議論状況について

東京支部  米 倉  勉

1、議論の二極分化ー危機感の低下

 刑事司法改革三法が成立して既に半年が過ぎた。この間に、司法支援センター(以下「センター」という)の設立に向けて日弁連と法務省の「共同作業」が進められ、各地の単位会においては「支部長」の確保や支部事務所の「奪取」が獲得目標として鼓舞・激励されている状況にある。

 この間の自由法曹団内ないし弁護士会・日弁連におけるさまざまな論者の議論を概観していて不安に感じるのは、これらの新法の持つ問題点・危険性に対する危機意識の持ち方の二極分化である。

 論者の一方は、新法の持つ危険性・反動性・反国民性を強く指摘し、法律廃止運動まで提言される。ところが他方では、特に日弁連の司法改革関連部門に関与する論者を中心に、およそこのような危険性・問題性が存在しないかのような議論が目につき、その危機意識の低さないし欠落が顕著に感じられる。従来ならば、これらの論者の多くは、その中間で、進みつつある事態の危険性を危惧しつつ、現実的な対応の必要との狭間で、悩みながら所論が展開されていたように思う。ところが、そうした議論が両極に分解し、あたかも何の問題もないかのような議論が目立ってきたのである。このような変化自体が、重大な事態であると思う。

2、センターが国選弁護人推薦権を持つことの問題と、これを巡る議論状況

 このような議論状況が顕著に現れた例の一つが、二〇〇四年五月集会の司法問題分科会であった。団は既に、極めて正当にも、総合法律支援法(以下「支援法」という)の危険性を指摘しこれに反対する団長声明を発表していた。ところがこの声明に、何人もの有力団員が強く反発した。その矛先は、声明の「国選弁護人の選出は実質的には弁護士会の自治が担ってきた」という記載部分に向けられた。確かに、弁護士会が日常的に国選弁護人推薦事務を担えているのは一部の地域だけであり、特に小規模会では、少なくとも通常事件では裁判所(書記官)が個別に弁護人を直接選任しているのが現状であろう。とはいえ、特別な案件では弁護士会に推薦依頼があるのが実務の獲得水準であるが、これも制度上の権利ではないし、全ての場合には当てはまらないから、確かに上記記載はやや勇み足であろう。しかしこの法律によって、今後は国選弁護人の推薦事務を法務省が監督するセンターが独占することになることの重大な問題性を批判することは当然のことであり、上記「勇み足」とは些かの関係もない。裁判所による直接選任と、法務省がその選任手続に法律上の推薦権を通じて介入することは別次元のことである。これを「どれだけの違いが本質的にあるのか」とする永尾団員の意見(団通信一一四〇号)は、私には理解できない。事案の内容に応じて、法務省が国選弁護人を選別(あるいは忌避)することを可能にする支援法は、国選弁護人制度として到底容認できないものであり、団の声明は全く正当である。

 声明の一部不正確な表現を手掛かりに、支援法の重大な危険性を指摘して反対する重要な声明を、あたかも全面的に否定するかのような意見がいくつも述べられ、さしたる反論もなされない状況は、要するに支援法の問題性・危険性に対する、論者の危機感の薄弱さに起因する。

 そして、何故このように危機感が乏しくなったのかは、法務省ないし法務官僚という国家権力と対峙し、日弁連ないし弁護士会が緊張関係を持ちつつ「共同作業」を行うという場面での、彼我の本質的な違いについての認識の変容であろう。それは単なる力量の問題ではなく、治者と被治者の本来的差異であるはずであり、国家権力観の問題である。

3、司法支援センター設立への関与を巡ってー国家権力観の脆弱化

 センターの設立への関与のあり方をめぐる議論、さらに「支部長」や支部事務所を巡る論点も、同様の問題である。

 日弁連は、その法案が公表されて以降、いくつかの修正要求(その意義は否定しない)を除けば、基本的にこれに賛同し、反対の立場をとらなかった。そして支援法成立後は、法務省との共同作業を進め、センターの設立過程及び設立後の運営におけるイニシアティブの確保を獲得目標として行動してきた。しかしそこでは、この法律の持つ本質的な問題性、危険性についての留保ないし指摘はほとんど見られず、会員に対する上記獲得目標の啓蒙だけが目立つ。

 しかし、例えば「支部長」のポスト確保に関して言えば、法律上センターの役員は、法務大臣が任命する理事長及び監事二名と、理事長が任命する理事三人以内(及び非常勤理事一名)が規定されるのみである。その余の役員・職員の選任手続については特段の規定はない。支部については、「必要な地に、事務所を置くことができる」との規定があるが、「支部長」に関わる規定はなく、理事長が選任する職員の一部に過ぎない。選任の適正について、弁護士会が関与しうる手続的な担保はない。

 要するに、支援法においては、センターの設立・運営のあり方は、ほぼ法務省の意向次第で決定していけるのであり、日弁連等の関与による適正化・民主化の努力は、事実上のものでしかない。今後の運営を、事実上弁護士会の影響力の下で適正に実施していける可能性は勿論あるが、その制度的保障はなく、むしろ規定上は、ほぼ法務省の意思どおりに運営できる。支部長の人事にしても、最初は弁護士会の推薦が尊重されることであろうが、その後の継続的な保証はなく、法務官僚や検事、あるいは判検事の退官者が送り込まれることも想定される。

 そして、このセンターが、国選弁護人の推薦(候補の「指名」)を法律上の権限として行使するのであり、「業務方法書」「法律事務取扱規程」「国選弁護人の事務に関する契約約款」の各規定は、いずれも法務大臣の認可を要するとされるから、国選弁護人の弁護活動のあり方についても、直接・間接に支配・統制することが可能となる。いくら弁護活動の独立性が条文上保障されていても、センターとの契約締結と継続がセンターの意思如何にかかり、業務の方法、法律事務の処理に関する取扱が、おそらく懲戒手続に至るまでセンターの上記諸規定に従って法務大臣の監督下にあれば、契約関係を維持したい各弁護士の「自主的」な抑制、迎合を含めて、事実上法務省の意向は容易に実現していくことになろう。上記永尾意見は「センターは法務省がストレートに支配する機関とも思えない」というのであるが、上記のとおり、そうは思えない。

 私は、悲嘆に沈みたくてこのような悲観的な方向の想定をしているのではない。「弁護士会が運営にコミットできる肉付けを勝ち取る」(中野直樹団員の団通信一一四二号論考)ことが望ましいとして、それができなかったときの致命的事態への懸念を払拭できないのである。日弁連が支援法に本質的な批判的評価を向けず、センターの設立にも積極的・主体的に関与していった末に、それが自分たちのイニシアティブを確保できない運営になったからといって急に制度批判をしても、相手にされないであろうし、そのときの日弁連は、既に批判的見地を持ち得ない立場に至っているであろう。希望的予測の下、肯定的なコミットをしたことで、後戻りのできない段階で致命的な反国民的事態を招いたときの責任を、日弁連は、あるいは団は、どうとり得るかということでもある。そのような責任を負う理由は、この法律には、このような希望的予測を行うに足りる、制度的保証は全くないことがはっきりしているからである。我々は、法律上の権利が規定されている場合ですら、その権利の実現に悪戦苦闘してきた。ならば、法律上の保障や担保が全くないことについて、どうしてその実現が楽観できるのであろうか。それでも悪法の実施に反対せず、むしろ賛成し、希望的予測に基づく積極コミット方針をとれば、それが失敗したとき、法律家として責任はないであろうか。

 私は、今のところ、「支援法の持つ本質的な危険性を認識しつつ、弁護士会が運営にコミットできる肉付けを勝ち取る」(同上)という基本方針に、積極的な対案は持ち合わせない。それしかないようにも思う。

 但し、支援法の中で、妥協の余地がない決定的な欠点である、国選弁護人の指名権をセンターが独占的に有するという規定は、削除させる必要がある。それができるまでは、少なくとも明文の合意により、国選弁護人候補者名簿は何らかの形で弁護士会が作成し、センターは弁護士会の意思に拘束されるという運用が必須である。そのためには、これが実現されない限り、弁護士会はセンターへの協力拒否を辞さないという位の覚悟が必要であると思うが、現状の共通認識は、到底そのような水準にはない。

 弁護士会がセンターの運営にコミットしていくという方針は、中野団員の指摘するように、「懐疑に足をとどめていると、官側が自分たちの都合に合わせた『調査』と内装づくりしか行わないであろう。」(同上)という判断の下、上記のような懸念を経た上での選択だろうと思うが、団の内外には、その選択の前提に織り込まれるべき「懐疑」や危機感があまりにも乏しくはないだろうか。そうした状況は、弁護士会がセンターの運営にコミットするという最前線のさまざまな場面で、マイナスに働くであろう。

 このような危機感の乏しさは、国家権力の行使に関わるセンターの設置運営について、国家権力を体現する法務官僚と「共同作業」を行うということについての、本質的限界、危険性についてどのような認識を持つかに関わっているように思う。後述する国家権力観の問題である。

4、国民の司法参加の意味ー裁判員制度の評価

 成立した裁判員制度についても、総体的評価をしておく必要がある。

 裁判員制度は、刑事訴訟法改正を含め、公判前、公判手続きを通じた大規模な手続改正の総体であるから、その中には積極面と消極面があることは当然である。その積極面については、今後少しでも生かしていく努力をし、消極面については今後の運用の中で改善を図ることもまた当然である。当該法制度が存在する限り、実務法律家として運用上の努力をすることは言うまでもない。

 しかしその前に、総体としてのこの制度の評価をきちんとしておくべきことは、そのための前提として必要である。積極的要素があるのだから批判ばかりするなという見解は誤りである。

 ここでその検討作業をすること自体は、本稿の目的ではない。ここでは、その前提として、この評価に当たって、裁判員制度の導入の目的として強調されてきた「国民の司法参加」という概念の含意について、指摘しておきたい。

 国民の司法参加というだけでは、それが何のために必要か自明ではない。私は、国民の司法参加には、異なる二つの要素が含まれていると考えている。一つは、国家刑罰権の行使に関し、刑事司法の過程で国民が直接に関与することでこれを監視し、誤った刑罰権の行使を抑制するというチェック機能である。すなわち人権保障的契機であり、陪審制の真骨頂もこの点にある。

 他方国民の司法参加のもう一つの要素は、国民が国家刑罰権行使の過程に、処罰する側の一員として主体的に関与し、国家権力の行使に与するという権力的な契機である。

 国民の司法参加の意義は、権力行使の一部を担うことに目的があるのではない。国民にそのような義務はないし必要もない。私は、上記のチェック機能すなわち人権保障的契機にこそ、国民の司法参加の意義があると考える。しかし、司法参加の制度には、この二つの側面があるのであるから、実際に作られた裁判員制度が、そのうちのどちらの要素を発揮しうるかという観点が、制度の評価にあたって重視されるべきではないかと思う。

 五月集会でも、私はこのような趣旨の発言をしたところ、会場から反論を得た。国民の司法参加の趣旨にはその両面があるべきであって、チェック機能のみが目的ではないという。この問題に造詣の深い団員からの意見であり、しかるべき含意があるのだろうと思い、その後も考え続けてきたが、私はこの意見にはやはり賛同できない。刑罰権行使という国家権力の最も端的な行使の過程に、国家の機関(公務員)としてではなく、個人としての国民が国民として、その主体として関わるという事態は、国家権力行使の責任の所在を曖昧化する。国民は本来的に「被治者」であり、権力行使の客体である。だからこそ人権主体として、憲法上の保障が必要である。これが立憲主義の意味であろう。国民を権力行使の主体に組み入れることは、現実に存在する基本的な緊張関係、権力関係を隠蔽し、国民の地位を変質させ、国家権力観を曖昧にさせる危険がある。ここにも、国家権力と主権者である国民の相対化、国家権力観の変質が読みとれる。この見解の差は、実は重大な意味を持っているように思われる。

 なお、私の言いたかったことは、実はその先にあった。成立した裁判員制度は、争いのない事件も対象にすること、重大事件だけが対象となること、量刑をも評議の対象とすること、裁判員の関与を名目に弁護人に争点整理義務が課され、立証制限等の防御権の剥奪による「訴訟促進」が極度に進められること等、処罰・治安維持過程に国民を関与させ、素朴な処罰感情だけを引き出しかねないという意味でも、権力的契機の方がより強く働き、逆に人権保障的契機は発揮されにくい制度設計になっている。裁判員制度が、世論一般に予想以上に不評な理由は、制度のこのような傾向を、国民が敏感に感じているからであろうと思う。

 だから、この欠点を十分に共通認識にしてかからなければ、制度の積極面を計算に入れても、我々のこれからの運用上の取り組みが致命的な不十分さを帯びることになる。私は、今議論すべきは、こうした正確な評価であると思う。

 なお私は、少なくとも、弁護人側の争点整理義務と立証制限等、被告人の防御権を剥奪する諸規定については、何らかの形で廃止を要求していかなければならないと思う。

5、国家権力観の変容の中で

 司法改革問題だけではなく、国家権力観の変容、その相対化の現象は、憲法改正論から、監視カメラの容認と生活安全条例の問題、治安悪化の強調と防犯政策の要求、刑罰の重罪化、被害者の主体的刑事手続参加の問題など、市民の中で、様々なところで確実に進行しているように思える。

 しかし他方で、国家権力の横暴・暴虐さはむしろ顕著になっている。立川における反戦ビラ事件、社会保険庁職員の政治活動への弾圧事件、都立高校における君が代斉唱を巡る一連の人権侵害事件、さらにはイラク特措法による自衛隊派遣と、これに引き続く多国籍軍参加(!)の暴挙など、一昔前ならば考えられないような驚くべき事態の連続である。刑事司法改革を巡る上記の一連の事態も、その一環である。

 このような恐るべき事態が続出している最中に、逆に国家権力観の相対化・楽観化が進むという事態は、不思議であると同時に、「だからこそ起きている事態」という意味で、当然のことなのであろうと思う。これらは、通底する状況なのである。

 憲法を、「国家権力を抑制する規範であるとだけ考える必要はない、国民の義務や愛国心も織り込むべきだ」旨述べた国会議員がいた。このような憲法の本質的理解を疑わせる発言も、論外の暴論として黙殺していてはいけない。団の内部にさえ、国家権力観の変容、危機意識の希薄化が窺えるのである。この事態は、憲法改悪に繋がっているように思う。