<<目次へ 団通信1147号(11月21日)
坂 勇一郎 | 退任のご挨拶に代えて | |
渡辺 登代美 | 大丈夫、生きてます! | |
平井 哲史 | 実録 本部次長職 〜退任の辞に代えて〜 | |
村田 智子 | 自由法曹団の皆様へ | |
坂 勇一郎 | 敗訴者負担法案を巡る情勢 〜到達点・国会情勢と今後の取り組み |
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永尾 廣久 | 在野性と多様性 「永尾団員の意見は間違っている」は正しいか? | |
柴田 五郎 | いわさきちひろ著「ラブレター」を読む | |
川人 博 | 本の紹介 『北朝鮮の人権ー世界人権宣言に照らしてー』 |
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石井 逸郎 | 向陽会シンポジウム「日本国憲法と弁護士会」のご案内 |
東京支部 坂 勇 一 郎
沖縄総会の帰途、事務所の有志と沖縄を巡りました。佐喜真美術館とひめゆり平和祈念資料館が大変印象的でした。
佐喜真美術館は、丸木位里・丸木俊両氏の絵を所蔵している美術館。当日は休館日だったのですが、ちょうど修学旅行の生徒たちのための開館したときだったとのことで、中に入れてもらえました。会館の中には、丸木位里・丸木俊両氏が子どもたちに囲まれている様子や創作に取り組んでいる写真が展示され、両氏の作品が展示されています。一番奥の部屋には「沖縄戦の図」が壁一面にかけられています。印象的であったのは、この「沖縄戦の図」をはじめとして描かれていた人々の表情です。そこに描かれているのは、叫ぶでもなく泣くでもなく、強く耐え静かに訴える人々の表情であると思います。丸木位里・丸木俊両氏の思いが、静かに伝わってくるような気がしました。
ひめゆり平和祈念資料館には、沖縄戦の歴史とともに、ひめゆり学徒の一人一人の写真、生存者の手記等が展示されています。印象に残ったのは、最後の部屋である「平和の広場」です。この部屋には、学徒のその後が展示されています。生存した学徒の多くは、教師になったとのこと。教師になった学徒はどのような思いで教壇に立っていたのか。映画「ひめゆりの塔」が製作されたとき、どのような思いであったか。資料館の展示は、沖縄戦の展示もさることながら、このひめゆり学徒のその後についての展示がもっとも印象的でした。
自由法曹団は、これまで一年をかけて改憲問題への「理論武装」を行ってきたと思います。これからの一年は、モードを転換する時期ではないでしょうか。「理論」から「感性」へ視点を広げることが重要と思います。
神奈川支部 渡 辺 登 代 美
次長をやってわかったこと。
その一。次長をやっても死なない。
憲法夏合宿では、ホテルの会議室の冷房がきつくて、だけど担当次長が逃げ出すわけにもいかなくて、お昼ご飯も晩ご飯もほとんど食べられなかったほど、死にかけてた。だけど団本部では、阿部さんが冷房を切ってくれたり、森脇さんがショールでくるんでくれたりして、みんなで私を生き延びさせてくれた。本部の専従は次長に優しいから大丈夫。
その二。次長はおもしろい。
川崎にいたのでは、きっとできなかったこと、たぶん知り合えなかっただろう人、おそらく行くこともなかっただろうところにめぐり逢えた。中央選挙管理委員会なんてところに行ったことのある団員は、何人いるだろうか。警察問題委員会を担当し、しかもたまたま国政選挙がなければ、私はその存在すら知らずに終わっただろう。例えば田中隆団員や坂本修団長など、総会や五月集会の壇上で発言するのを、雲の上の人だと思って見上げていた名物団員(ごめんなさい)の隣にすわって一緒にお酒を飲むことだってできちゃう(坂本団長とはウーロン茶だけど)。次長でなかったら、韓国に行く決心はつかなかっただろうし、民弁の人と直接話をするようなことは絶対になかっただろうし、ましてやハングルを読もう、なんて考えもしなかっただろう。国会要請だって東京の人が行くものだと思っていたし、救援会、全労連、憲法会議などの中央本部も関係のない世界だと思ってた。中野前事務局長からは、しょっちゅう「川崎のおのぼりさん」と呼ばれていたし。
その三。次長は若くなくてもいい。
同時期の執行部はとてもいい人がそろった。期と見かけこそ若いが、後れて弁護士になった私は、他の次長より一回り近くおばさんだった。だけど私に年を感じさせず、松島事務局長はじめ、島田幹事長も他の次長も、みんな私を同等にこき使ってくれた。ありがたや、ありがたや。
というわけで、退任のメッセージ。
次長をやっても死なないし、それどころかとってもおもしろいし、しかも若くなくてもいいんだから、老若男女の団員の皆さん、チャンスがあったら是非次長になりましょう。せっかく団員であるのに次長をやらないのでは、自由法曹団のほんとうの醍醐味が味わえない。私は次長をやらせてもらって、本当に良かったと思う。人生が変わったと思う。特に集合事務所の団員の皆さん、事務所全体で支えて、是非次長を出して下さい。
最後はやっぱり、川崎合同に感謝して。本部中毒になってしまったので、簡単に足を洗えそうにありません。この通信を読むすべての皆さん、二年間、有難うございました。そして、これからも宜しくお願いします。
東京支部 平 井 哲 史
二年間お騒がせいたしました。本来ならば二年間を振り返っての感想が中心になるかと思いますが、今後も同じようなことが起こりうるとの想定のもとに体験記風にしてみました。パート1とパート2は「プロジェクトX」風に読んでみてください。
パート1 着任
二〇〇二年七月か八月ころ、もしかしたら九月だったかもしれない。法廷の帰りに事務所のK弁護士から「今度の総会で入れ替わる団本部の次長が足りない。やってくれないか。」と言われた。当時、弁護士一年目で自由法曹団が何をするところかほとんど理解していなかった。「どんなことするんですか?」と聞いてみた。すると、「月二回の会議と常任幹事会と、それとまぁいろいろだよ。」という答えが返ってきた。さすがに弁護士になったばかりで「役付き」になることに多少の抵抗感があった。「ほかにいるんじゃないですか?」と聞いてみた。「君ならできる。」「大変じゃないとは言わないけどまぁ大丈夫だよ。」という答えが返ってきた。「大丈夫」と言われたのでは断ることもないと思った。「じゃあ、いいっすよ。」と軽く受けた。言葉の末尾が「大丈夫」と言うのと「大変」と言うのとでは大きな違いがあるのだということを深く考えていなかった。
約二週間後、当時事務所運営の責任者であったS弁護士から「ちょっとちょっと」と呼ばれて休憩スペースに行った。「実は、団本部の次長に事務所として君を送り出すことになった。受けてくれるか」と切り出された。今度は二つ返事だった。こうして二年間の「お勤め」が内定した。・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、弁護士になったばかりで、事件処理のペースなど皆目検討もつかない「お荷物」の状態であった(今もさして変わりないが)。しかも、六月末に子どもが生まれ、事務所まで往復三時間弱かかる配偶者の実家近くに引っ越すことが予定されていた。それにもかかわらず配偶者に事前の相談もなく次長を引き受けたことは、当然のことながら後に猛烈な「口撃」を受けた。O弁護士からも「●●の沙汰だな」と冷やかされもした。しかし、なってしまったものはしょうがない。「二年間我慢してくれ」と配偶者に頼み込み、次長生活がスタートした。
パート2 活動
なってすぐに、事務局会議と常幹の他に次長は各担当委員会をもち、その運営にあたるということを知らされた。担当は労働問題委員会とHP委員会となった。労働問題委員会は、杉島次長、渡辺次長が共同担当となった。
すぐに動きは起きた。その年の一二月、厚生労働大臣の諮問機関である同省労働政策審議会は労基法と派遣法の一大改悪案を建議した。急遽坂本団長の鶴の一声で緊急対策会議がもたれ、闘争本部を設置することになった。本部長には幹事長を据えるという異例の人事だった。年末から年始にかけて志村現労働問題委員会委員長(再任)を中心に意見書がまとめられ、労働組合の新年旗開きの際に配って歩き、反対運動を起こすことを呼びかけた。厚生労働省に「建議」に基づく法案化をやめるよう三度にわたり要請に行き、裁判所や法務省にも問題点を指摘する第二意見書を送った。全労連、全労協、そして連合も立ち上がった。翌年二月には三回の厚生労働省前抗議・要請行動がもたれ、島田修一幹事長(当時)、伊藤幹郎団員、志村新団員が招かれて宣伝カーにのぼった。そして、二月一二日、労組三団体の行動が切れ目なく続き、労働者の怒りのシュプレヒコールが一日中霞ヶ関に響き渡るなか、まず「金で首切り」を許す「金銭補償解決」制度が法案化見送りとなった。三月に労基法と派遣法の「改正」案が上程されると舞台は国会に移った。いっせい地方選明けの五月から論戦が始まったが、坂本団長自ら筆をとり、論戦に利用できる意見書をまとめ、それ以前に発表していた意見書とともに衆参の厚生労働委員全員に配って歩いた。そして、自民党や保守党の一部からも異論が出る中で、解雇は原則自由とする当初の条文案の修正がはかられ、労基法一八条の2に結実した。その他の問題点は克服できなかったものの団と労働者の怒りが国会を動かした。この年は、こうした闘争課題を抱えながらの五月集会準備となった。
その後、秋の総会前に委員会人事をリニューアルし、志村新委員長、今村幸次郎事務局長の体制となった。この体制のもと、動産譲渡担保・債権譲渡に関する法制、労災保険民営化問題、「今後の労働契約法制のあり方に関する研究会」の動き等々に対し、折に触れて意見書を発表してきた。二年目は、労働問題は闘争課題を抱えなかったが、将来問題委員会(鈴木亜英委員長、中野直樹事務局長)が新設され、これも担当に加わった。
パート3 振り返ってみて
次長職をまともにやれば、事務所の仕事は控えざるを得ないようです。月に一回の常幹、この前後の事務局会議のほか各委員会の会議、時宜に応じた調査・意見書起案の手配・執行、各種集会参加etcと定期的にスケジュールが組まれているのとそうでないものとが入り混じっています。課題によっては、緊急行動が組まれたりして組んでいたスケジュールに「横入り」してきたりします。このことを事務所が理解し負担を軽減してもらえるかは、なる側にとっては大きな問題であるということが他の次長の話を聞いて分かりました。この点で自分の場合、活動費用は原則として全て事務所もちであり、志村弁護士が労働問題委員会の委員長となったことをはじめ影に日向に事務所からのサポートを受けました。紙面を借りて感謝したいと思います。また、口うるさく文句を言いながらも度重なる離婚の危機を乗り越えてきた配偶者にも厚く感謝したいと思います。さらに、原稿の期限を守らないことをはじめ、いろいろと事務手続きでご迷惑をおかけした本部専従事務局にもこの際お礼を申し上げます。
振り返ってみると、この二年間は、弁護士業務の勉強は疎かになったかもしれません。しかし、大変充実をしていました。事務所の中だけではなかなか外に目がいかないのですが、全国的な諸課題を見ることができ、視野と人脈は確実に広がりました。生活面では遅くなる日が続き、紙面に表現できない苦労もありましたが、思い切ってやってみてよかったと思います。「まぁ大丈夫だよ」と言ったK弁護士の言葉は現実になりました。
「次長なんてとても無理」とか「向いてない」ということはありません。やればできるし、やることで自分も成長するかと思います。各事務所でも「かわいい子には旅をさせろ」の気持ちでぜひ気持ちよく送り出してほしいと思います。
東京支部 村 田 智 子
次長になってから二年間、長いようで、あっという間でした。大騒ぎをしては助けてもらう、ということの連続で、自分でも「何で私はこんなに次から次へと突っ込んでいくのだろうか」とあきれるほどでしたので、周りの方々はどんなにあきれておられたかと思います。
今までのこと、とっても感謝しています。本当は具体的なエピソードなどにも触れて、もっとちゃんとお礼を申し上げたいですし、それが礼儀というものであると思っているのですが、ごめんなさい、今はできません。私の中の何かが、「しみじみと二年間のことを振り返る」ことにストップをかけているのです。
ですので、こんな短い挨拶だけしか書けませんが、大目に見ていただければ幸いです。
私は、今後も、教育基本法改悪阻止対策本部で活動を続けます。来年は、教育基本法改悪法案が出ると言われています。中学校の教科書採択の年でもあり、「つくる会」教科書採択を阻止しなければなりません。よくも悪くも「教育の年」になります。いろいろとお願いすることがまだまだあるかと思います。
相変わらず、うるさいと思いますが、今しばらくお付き合いください。
東京支部 坂 勇 一 郎
1 一〇月一四日の小泉首相答弁
一〇月一四日開催の参議院本会議で、千葉景子議員(民主)が敗訴者負担問題について質問し、小泉首相は次のとおり答弁した。
「弁護士報酬の敗訴者負担についてでございますが、この法案は、弁護士報酬の費用を回収できるという期待に応えることを通じて、裁判を利用しやすいものとすることを目的とするものであります。他方、ご指摘のとおり、訴訟に持ち込まれる前の契約書の条項のなかに、敗訴者負担条項が組み込まれることにより、経済的に弱い立場の側にとって裁判利用を思いとどまらせる効果を懸念する向きもあると承知しております。本来の目的が十分に発揮される制度及び運用となるよう、各党各会派間でさらによく議論していただきたいと考えております」
首相答弁は、法案が裁判を利用しやすいものとすることを目的としていることを明言した点、契約書への敗訴者負担条項の普及により弱者の裁判利用を抑制する懸念があることを指摘した点からみて、きわめて重要な成果である。
2 衆議院調査局法務調査室の「法務参考資料」
この間、衆議院調査局法務調査室において、今年四月敗訴者負担法案に関する「法務参考資料」が作成されていることが明らかとなっている。
同資料では論点に関するコメントも行われており、コメントのなかでは労働契約や消費者契約等に敗訴者負担合意が労働者消費者の知らないうちに契約に盛り込まれる懸念のあること、労働者や消費者はこうした条項を拒絶できないこと、そのような条項により労働者・消費者・中小業者等が泣き寝入りを強いられることになりかねないこと、こうした弊害は除去されないこと、等法案に関する問題点が網羅的に整理して記載されている。
この資料は法務委員会委員等に配付されている資料であり、この資料に沿った審理が行われれば、現法案がそのまま国会を通過するということにはならないはずである。
3 国会情勢
水面下では法案の修正に向けた動きが行われているようであるが、会期が限られている今国会で、弊害がない形での修正にまで詰めきるには時間が足りないという見方が強まっている。しかし、なんらの修正もなく法案が通過することは許さない情勢となっている。
司法制度改革推進本部の設置期間は本年一一月末までとされているところ、法案がさらに継続審議となったときには、法務省が法案を引き継ぐこととなる。
4 今後の取り組み(法案の反対と「立法措置」を求めて)
日弁連は、法案の修正を求めている。修正の内容は、格差のある当事者間の契約上の敗訴者負担合意を無効とする立法措置を求めるものである。敗訴者負担に反対する全国連絡会等の市民団体も、法案の廃案とともに、契約上の敗訴者負担条項を剥こうとする立法措置を求める国会要請をこの間行っている。敗訴者負担問題は、法案反対のみならず、立法措置を求める運動へと展開してきている。
この「立法措置」に関して特に論点となっているのは、事前合意を無効とすることの是非である。特に中小企業の契約において事前合意を無効としてよいか、私的自治が妥当する領域であり当事者間の合意の効力を否定するのは妥当でないのではないかということが主張されている。商工ローン・フランチャイズ・下請け契約等、中小企業の契約に敗訴者負担合意が持ち込まれたときには、中小業者は権利の救済を裁判所に求めることが困難となる。また、中小業者は企業活動の重要なインフラである裁判制度の利用が制限されることになり、中小企業の活動の自由はかえって制限されることになってしまう。
これまで運動をともにしてきた消費者団体・労働団体・公害環境団体はもちろんのこと、中小企業団体や業者団体を含めさらに運動を広げていく必要がある。
福岡支部 永 尾 廣 久
在野性とは何か?
辞書をひいてみた。在野とは、「田野にいるの意で、官職に就かないで民間にいること」(広辞苑)となっている。字義的には、そんなに狭い言葉だったのかと、実は驚いてしまった。
ある学者は、在野性とは国民の人権擁護・公益弁護活動に積極的に取り組むという日本の弁護士の特徴を支える理念的基盤であると指摘している(広渡清吾教授)。たしかに、これまで在野性は日弁連の理念的基盤であった。しかし、同時に、「その活動の実質に即していうならば、重要なことは基本的人権の擁護・社会正義という普遍的価値の実現であった」(同)ということである。
私は、先の団通信一一四二号で「在野性の保持をあまりに強調しすぎるのはいかがなものか、と思うようになった」と述べたが、これは、団員が「官職に就くこと」にも積極的意義があることを強調する趣旨であって、「団が在野性を希薄にしていい」などとは言っていない。私は団活動の広がりのなかで、もっと多くの団員が「官職に就く」ことをぜひ自分の問題として考えてほしいと述べたかったわけである。
私が「在野性は日弁連を特徴づけるキーワードたりうるだろうか」と疑問を呈したことを、白石団員は「日弁連は在朝勢力の一員という位置づけになる」ときめつけた。いまどき「在朝勢力」という日ごろ耳慣れない言葉が使われたこと自体が私には「驚き」だった。「要は、在野性という言葉が多様性を切り捨てる論理になってはいけないということだ」と私が言ったことに何らふれることなく、白石団員は、私の提起は「団や日弁連を骨抜きにする」とか「大政翼賛的に変質させる」などと決めつけたあげく、キッパリ「間違っている」と断言している。
団員の活動分野がかつてなく広がっている現実をふまえて、さまざまな意見が団内にうまれているにもかかわらず、白石団員は私の意見を「間違っている」と一刀両断している。このような態度は団員の活動に多様性を許さないということではないだろうか。
私は、団員が今ほど多様な分野で活躍することを求められている時代はないと考えている。法科大学院で教えている団員も三桁になろうとしていると聞くが、本当に大変喜ばしいことだ。白石団員が「在野性」を堅持して「官職に就」かないのはよしとしても、若手団員は自らの活動分野を狭く限定してほしくない。
これ以上、抽象的に反論してもあまり生産的でも建設的でもないので、私は前回述べた弁護士任官と公安委員会の二つにしぼって、具体的に改めて提起したい。
弁護士任官
いま、弁護士任官において、少し前までとは異なり、思想・信条による差別を許さない状況がつくられている。これは画期的な成果だと私は確信している。先の通信でも紹介したとおり、各地で自由法曹団員と団事務所の弁護士が裁判官になっている。私は、裁判官になった元団員から次々に団員を裁判官として送り出してほしいと直接強い要請を受けたこともある。だから、私も福岡県弁護士会の会長になってから、弁護士任官をすすめようとそれなりに会内を行脚してまわった。ところが、申し訳ないことに九州から弁護士任官者はまだ一人しか出していない。団員ないし団事務所での反応がいまひとつなのが残念でならない。
弁護士任官については、日弁連が開催した二〇〇二年一一月の司法シンポをまとめた『弁護士任官のすすめ』という本(日本評論社)が出版されている。
公然たる自由法曹団員である田川和幸団員が一九九三年に裁判官になられたのについて、当時は奇蹟だと言われていた。しかし、何度も言うように、いまは時代が変わった。
キャリア裁判官のなかでもエリートだと自他ともに認める中山隆夫裁判官(最高裁の前総務局長。二六期。私と同期でもある)は、日弁連のシンポに参加(最高裁の事務総局トップが参加するのは史上初で、画期的なことと言われた)して、次のように述べた。
「これまではキャリア制は比較的うまく機能してきたと、私たちは自負してきました。ところが、そういった制度ができて五〇年経って、率直に言って、かなりの制度疲労が出てきているというふうに思っています。・・・結局、同質のものがあまりにも集まりすぎる、あるいは、正解志向で自分でなかなか考えない、こういうようになっていますと、裁判所全体でいろんな議論をしてもモノトーンになってくる。発想力とか、あるいは実行力というものが大胆さを欠いてくる。そういう中で、私どもとしては、昭和六〇年代からですけれども、やはりこれは外部の血、特に弁護士任官というものを進めていかなければならないと真剣に考えたわけであります」(一三五頁)。
官僚統制がききすぎて裁判所内部が萎縮してしまっていることを反省していることを最高裁の幹部が公衆の面前で大胆に告白したのである。私もシンポ会場にいたが、まさに耳を疑う発言だった。同時に、裁判所の荒廃がそこまで来ているのかと、暗澹たる気持ちになった。この現状は変えなければいけない。
団員が何人か裁判官になったところで裁判所は変わらない。そんな冷ややかな見方がある。しかし、そうではないと私は考えている。ながく法曹一元をめざしてきた日弁連は、判事補制度の廃止を提唱している。その実現のためには毎年一〇〇人もの大勢の弁護士が裁判官になって支えなければいけない。今そのことが現実的な課題として求められている。その先頭に団員と団事務所は立つべきだ。
弁護士になって一〇年以上の経験をもつ四〇代前後の団員には、裁判官という「官職に就くこと」をぜひ一度前向きに考えてほしいと思う。
公安委員会
日弁連は、警察制度の改革が必要であるとして一九八九年の人権擁護大会での提言以来、一九九四年と二〇〇二年の二回、シンポジウムを企画し成功させた。その内容が本にまとめられている。『検証・日本の警察』と『だいじょうぶ?日本の警察』(いずれも日本評論社)である。白石団員は、これらのシンポを知らず、本も読んでいないのではないだろうか。いずれのシンポジウムも委員長は団員であった(一九九四年は山口の坂元洋太郎団員、二〇〇二年は福岡の渡辺和也団員)。
一九九四年のシンポでは、「現在の公安委員会制度の実体は本来の趣旨とは全くかけはなれたものになっている」との認識のもと、「運用を改善し、制度を改革する必要がある」として、いくつか提起しているものの、あまり具体的ではなかった。しかし、二〇〇二年のシンポ(郡山市で開かれ、私は日弁連副会長として参加した)においては、公安委員会の実情について相当詳細に紹介したうえ、かなり具体的な改革提言がなされた。それは、一九九四年の本では公安委員会にふれたのが八頁ほどでしかなかったのが、二〇〇二年のシンポをまとめた本では二一頁になっていることにも示されている。「警察の民主的コントロールはいかにあるべきか」という観点から相当つっこんだ検討と提言がなされた。もちろん、これは警察内部で重大な不祥事が相次いで発覚し、国民が憤激したことを背景にしている。
日弁連は公安委員会制度の抜本的改革を提言しているわけであるが、現に公安委員会の委員になっている弁護士にアンケートした結果も紹介されている。それによると、「公安委員会に必ず一人は弁護士が委員として選任されること、その推薦は一本釣りではなく、弁護士会に求めること」「いかなる組織も人を得なければ機能しない」「公安委員会や警察について、弁護士は知らなさ過ぎると思う。公安委員や警察署協議会委員に弁護士を増やすことが第一である」などの声があがっている。
公安委員会の委員の人選にあたっては、「弁護士会の推薦による」と回答しているところもあるが、「実際はすべての都道府県で、警察本部が候補者を推薦しているのではないかと言われている」とされている。私もそのとおりだと思う。しかし、長野県でサリン事件の被害者である河野義行さんが公安委員に就任した実例もある。だから、今の日本の状況で、弁護士会推薦で団員がなれる可能性は絶無だと決めつけるべきではないと私は思う。私が、先に「なれるものなら自由法曹団員が公安委員になるのもいいし・・・」と書いたのは、このような認識と改革提言等を前提とするものであった。
ちなみに、白石団員が「警察権力の中枢そのものといっていい公安委員会」としているのは誤解だろう。「平和で独立した民主日本」が実現していない現段階でも、警察の民主化(民主的コントロール)は必要なのである。
実は、団員が公安委員になれる可能性は今のところ抽象的なものでしかないのだから、その点についての反論はやめた方がいいというアドバイスを受けたのだが、渡辺和也団員の意見も聞いて(渡辺団員は「今の状況にあわせた柔軟な対応が求められている。まだそんな頭の固い団員がいるのか・・・」と嘆いていた)、きちんと反論することにした。
東京支部 柴 田 五 郎
私は、ちひろさんご夫妻に仲人をお願いし、ちひろ美術館の設立に係わり、美術館の顧問の末席をけがすなど、ちひろさんとは因縁浅からぬ者であるが、しかし未だに絵本の見方を知らない。
本書に絵本の見方が書いてある。曰く「まず表紙の絵を見る(この点は私も当たりである)。次いで背文字のところを通って裏表紙を眺めながら開く」とある。
しかし私は自己流を通している。例えば本書の場合、まず手に取って表紙を見る。ちひろさんの聡明かつ慈愛に満ちた眼差しがあり、画板を抱え鉛筆を握りしめた両手・あのちひろさんの絵を紡ぎ出した両手が、添えてある。ジット見る、いつまでも見る。私はそれだけで満足である。
とは言うものの、読者諸氏の為に少しく中身に立ち入ろう。
机の上の印刷物の山に関する記述が面白い。ちひろさんはこの山を三つに分類する。第一は大事な問題に対する協力や回答を求めるもの、出席しようか一言書いて欠席しようか考えているうちに、締め切り日が過ぎてしまう。第二は慈善事業の寄付を求めるもの、無視してもいいのだけれど、誰が無視したか先方には明らかになると思えば、そうもいかない。第三は税務署からの書類、これをうっかり捨てたり無視したりすると、すぐに督促状・最終通告書となる。やむなく意を決して現金書留で送ったりする。二度払いしてしまったこともあるとのこと。
有名画家の一面をのぞく気がして、かつ一部我々と共通のところもあって面白い。
ちひろさんが融資を受けようとして(多分自宅建築のためか?)銀行員の訪問を受け、返済能力を証明(?)するために最近作の童話の絵本を見せたところ、彼は無造作にパラパラとページを繰っただけだった。ちひろさんは思わず座り直して(立ち上がって?)前記の「絵本の見方を教えてさしあげた」とのこと。ちひろさんの面目躍如と言ったところか・・・。
他に、子どもたちや平和への思い・独身時代のこと・紀行文・エッセイ・対談など、ちひろさんを偲ぶにふさわしい文章や思いもかけない文章に満ちているが、中でも必読は第一章「愛するとき」と題された善明さんに対する想いを綴った部分である。これが本書の題名の由来であろう。
我らが先輩松本善明団員は、実に果報者である。
講談社一五〇〇円
東京支部 川 人 博
このたび、『北朝鮮の人権ー世界人権宣言に照らしてー』(ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編)を小川晴久氏(東京大学名誉教授)と川人博の共訳で連合出版より出版しました。
本書は、国連人権委員会などで活躍してきたミネソタ大学のデビッド・ワイスブロット教授が中心となって、国際人権法の視点から、北朝鮮の人権状況を解明した歴史的文書です。一九八八年に出版されたものですが、豊富な証言・文献にもとづく緻密な分析は、北朝鮮独裁体制を体系的に解明したものとして、その後の北朝鮮をめぐる国際人権活動に大きな影響を与え、いまも必須の英語文献として活用されています。
各章の冒頭に世界人権宣言の各条項が記載され、つぎに北朝鮮の関連法が紹介され、さらに、実際の姿はどうかを証言などで吟味していくという手法をとっています。その論旨の明快さは、国際人権法の学習にも適しています。附篇には、北朝鮮内の階級区分を示した五一成分分類表(本書が初めて世界に明らかにした)をはじめ貴重な資料が埋め尽くされています。
ワイスブロット教授は、日本の弁護士がこれまで様々に御世話になってきた法学者です。団通信一一一二号(二〇〇三年一二月一日号)で、鈴木亜英弁護士が、ロースクール視察で訪米の際に同教授から様々に有益なレクチャーを受けたことが詳しく報告されています。同報告の中で同教授がグアンタナモ囚人の弁護活動を学生のサポートを得ておこなっていると紹介されていますが、本書の出版にあたってもワイスブロット教授は、ミネソタ大学の学生とともに作業をおこなっています(今回、私も講師を務めている大学のゼミ生と読書会をしながら訳出の一部を担当した)。同教授が、人権法を司法試験科目に入れるべきことを主張するなど法曹養成制度にも貴重な提言をしていることが鈴木弁護士から報告されています。
今回の日本語訳出版にあたり、同教授から日本の読者あての序文を寄せていただきました。この序文は、最後につぎの言葉でまとめられています。
「本書は、北朝鮮による恐怖と抑圧の下で半世紀以上生きている人々のために公正で人間らしい社会を達成することに向けての長い旅の一里塚と見なされるであろう」
今回の訳本出版にあたっては、一九八八年以降明らかになった事実や北朝鮮内の変化などを訳者の責任で、引用文献を明確にして詳しく補充しました。また、現行の北朝鮮憲法・刑法全文を訳者附篇として掲載しました。人権の視点から北朝鮮を論じたものとして、学術研究の面でも実践活動の面でも他に類のない貴重な文献とすることができたと自負しております。
ご関心のある方は、最寄の大きな書店、弁護士会館内書店で、または出版社(電話〇三・三二九三・八七二二/FAX〇三・三二九二・八七八七)あてお求めください。もし英文で読んでみたい方は、川人法律事務所(電話〇三・三八一三・六九〇一 FAX六九〇二)にご相談ください。
また、関連出版物として、『拉致と強制収容所ー北朝鮮の人権侵害』(朝日新聞社 北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会編 二〇〇四年六月刊)があります。朝日新聞を講読している方は、最寄りの新聞販売店を通じても購入することができます。
拉致・北朝鮮人権、そして、日朝関係がますます重大な局面に入ろうとしている中で、団員諸氏の思考と実践の参考にしていただきたいと願っています。
(連合出版 三九四頁 二八〇〇円+税 二〇〇四年一〇月刊)
東京支部 石 井 逸 郎
私が所属する第二東京弁護士会向陽会において、恒例の秋の研修企画について、今回は、杉原泰雄先生(一橋大学名誉教授)をお招きして、以下のような憲法問題に関するシンポジウムを企画いたしました。今日の改憲策動を打ち破る上で、社会的にも権威のある日弁連、各単位弁護士会の動向が決定的に重要であることは論を待ちません。中でも、約二五〇〇名の会員を要する規模の大きい当会の動向はより重要であり、弁護士会内での憲法に関する議論を強めたいとの思いからです。
ブッシュ大統領再選直後に全会員に案内したせいでしょうか、会員からはかつてない反応が来ています。第2期ブッシュ政権のわが国に対する改憲圧力の一層の強まりに対する懸念が、広まっているのではないでしょうか。
杉原先生は、今日、立憲主義の基礎概念(国家、国民主権等)に混乱が生じているとし、このことを指摘するとともに、主権者と最も身近なところで向き合う弁護士会の役割の重要性を訴えたいとのことです。
関心のある方は、どなたでも結構ですので、ご参加下さい。とりわけ、第二東京弁護士会所属の団員の先生には、是非、ご参加いただきたいと思います。
記
シンポジウム 「日本国憲法と弁護士会」
講師 杉原泰雄先生(一橋大学名誉教授)
日時 平成一六年一一月二九日(月)午後四時開始
場所 弁護士会館一〇階一〇〇三号室
問い合わせ先 ウェール法律事務所
(電話〇三・三五一一・六〇三一 担当石井)
以 上