<<目次へ 団通信1151号(1月1日)
坂本 修 | 知恵と力、心をあわせて、前進しよう | |
松井 繁明 | 新防衛計画大綱と国民保護法制 | |
永尾 廣久 | 司法支援センターへの積極的関与は不可欠 | |
萩尾 健太 | 成功した鉄建公団訴訟勝利一二・一全国集会 |
団長 坂 本 修
団員、そして事務局労働者のみなさん、あけましておめでとうございます。
〇五年の新春にあたって、改憲をめぐるせめぎあい≠ヘいよいよ正念場に入ってきているという思いをつよくしています。
昨年一一月、自民党の憲法調査会は「憲法改正大綱原案(たたき台)」を発表しました。自民党党内からも異論がでて、「白紙撤回」になりましたが、この案の内容は自民党改憲中枢の「本音」だと私は考えています。自民党が改憲によってつくりあげようとする「国柄」は「戦争をする国」であり、「弱肉強食の国」であり、そして国民を高度に支配・管理する「自由と民主主義と人権のない国」なのだとあらためて痛感します。もうひとつ重大なのは、これを機に、自民党は憲法改正推進本部を設置し、小泉首相(総裁)を本部長にして、全党あげて改憲にとりくむ体制を確立強化したことです。憲法九九条は国務大臣などに憲法擁護義務を負わせています。それなのに憲法原理を逆立ちさせ、憲法を「まるごと」改憲する策動のトップに首相がなるということのあまりのひどさに、怒りがわきます。
改憲の策動は、強引に進められていますが、その反面、昨年は、九条の会の発足、その各地での圧倒的成功が示すように、改憲反対の国民の運動が大小の波となって広がった年でした。
昨年、自由法曹団は、五月集会、八月の二泊三日の憲法問題合宿、そして、一〇月の団総会で全国の知恵と力をあつめて、憲法闘争に立ち上がりました。憲法問題の語り部≠ニして、幅広い共同の組織者として、各地で団員は活動しています。
憲法九条を高く掲げてのすでに原告約三〇〇〇人をこえるという各地でのイラク派兵違憲裁判でも、団員は大きな役割を果たしています。
改憲のたたかいと根をともにし、あるいは垣根を接して、教育基本法改悪反対など教育をめぐるたたかいをはじめとする多様な課題があります。敗訴者負担はよくたたかって廃案にしましたが、国民のための司法改革をめざして、なすべき多くのことをしなければなりません。
どの課題も複雑で、多くの未知の問題がたくさんあります。でも私たちは、一人で考え行動するのではありません。一六〇〇人余の団員の知恵と力をあわせれば、進むべき道を見きわめ、なすべきことをすることは必ずできると私は確信しています。
昨年一〇月の自由法曹団総会に、韓国の民主的弁護士の代表が参加してくれました。彼は、「北東アジアの未来は北東アジアの民衆が決める」と確信をこめて語っていました。「この国の未来は私たちできめたい」。これは、団員の共通の心でもあります。家族とともに健康を大事にして、平和で、人それぞれ幸福を追求できる国のために心をあわせて前進しようではありませんか。
今年もよろしくお願いします。
東京支部 松 井 繁 明
防衛政策の大転換
一二月一〇日に閣議決定された新防衛計画大綱(以下、「新大綱」という)は、従来のわが国の防衛政策を大転換させるものである。
新大綱は「我が国の安全保障の目標」として、第一に「我が国に直接脅威が及ぶことを防止し、脅威が及んだ場合はこれを排除するとともに、その被害を最小化する」ことを挙げている。
これは「専守防衛論」の立場に立ち、自らが力の空白となって周辺地域の不安定要因とならないよう必要最小限の基盤的防衛力をもつという「基盤的防衛力構想」を踏襲するものである。
しかし新大綱は「我が国を取り巻く安全保障環境」のなかで「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下する」との認識を示している。
そこで新大綱は第二の目標として「国際的な安全保障環境を改善し、我が国に脅威が及ばないようにすること」を挙げるのである。
「我が国を取り巻く安全保障環境」として「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態への対応は(中略)今日の国際社会にとって差し迫った課題となっている」という認識に、これは対応する。
しかし、ここにいう「国際的な安全保障環境」には地域的限定はまったくない。これでは、「国際的な安全環境」が危ういと判断すれば、これを「改善」するため自衛隊が武力を行使することになりかねない。防衛政策の大転換というゆえんである。
とはいえ、これほどの防衛政策の大転換が、憲法九条のもとで、たかが閣議決定の手続きでおこなわれることは、立憲主義をふみにじる暴挙といわなければならない。
国民保護法制との矛盾を露呈
たしかに、武力攻撃事態法を中核とする有事法制体系は「予測事態」をテコに、「専守防衛」を投げ捨てて、先制攻撃の可能性をふくむものとなっている。そうはいっても、それはわが国の周辺地域でのことである。有事法制が基本的には、わが国への武力攻撃への対応という古典的な構造の上になりたっているからである。
国民保護法制もその一環であり、そこでは自衛隊が地球上のどこにでも派遣されるようなことは想定されていない。
国民保護法制によって自治体や住民は多大な苦難を強いられる。わが国が武力攻撃を受ける危険が現実のものになっているなら、それもやむをえない、という考え方もあるだろう。しかし、たとえば中東諸国が「国際的な安全保障環境」を危うくしていると称して自衛隊が武力を行使し、その報復としてわが国内で自爆テロやサリン事件がおこなわれたとき、それでも国民は苦難を引き受けなければならないのだろうか。これは重大な矛盾である。
この矛盾を解消するため、武力攻撃法体制自体を再改訂する方向も考えられないわけではない。しかし当面は、矛盾は矛盾として残しながらも政府は、国民保護法制の現実化・徹底化をはかってゆくことになるだろう。国民保護法制の真のねらいは、国民意識の涵養など「平時の有事化」にこそあるからである。国民が国防政策の大転換までを理解しなくても、平時の有事化はそれなりに、かれらにとって「有益」ではあるからである。
福岡支部 永 尾 廣 久
司法支援センターの充実・発展を願う
私は日本司法支援センターについて積極論に立ち、その充実・発展を願っている。
それは、民事で法律扶助を飛躍的に発展させるために、刑事で被疑者の国選弁護制度を実現するために、また、全国津々浦々で充実したリーガルサービスを提供するシステムを確立するために大きな手がかりとなるセンターだし、また、そうする必要があると考えている。
たしかに、司法支援センターについて、現行の法律扶助協会や国選弁護にはない危険な要素があることを私も否定するつもりはない。でも、その危険を乗りこえて大きな意義があると考えている。
ただ、全国各地のセンターで少年付添人への援助などの自主的な活動が保障されることが必要だし、なにより財政的にきちんとした裏付が不可欠であると考えている。ともかく、司法支援センターが発足することが法律によって決まった以上、その危険性を観念的にあれこれ議論し、危険性があるから俺は契約しないとか高言して腕を組んで傍観視することは許されない。
弁護士会の関与
私は弁護士と弁護士会は司法支援センターに積極的に関与すべきだし、それが弁護士法七二条で弁護士が法律事務を独占していることから来る責務でもあると考えている。現に、各地の弁護士会で取り組みがすすんでいて、激務の予想される支部長を団員が引き受けようとしているところが少なくないことを積極的に評価したい。
米倉団員の消極論は、理事長が法務大臣の任命するポストであり、各地の支部長も理事長の選任によることから、センターの設立・運営のあり方はほぼ法務省の意向次第で決定していけると決めつけている。しかし、法務省に二万人の弁護士を敵にまわしてセンターを牛耳るほどの力があるとは、とても思えない。
米倉団員は、また、国選弁護人の業務方法書などに法務大臣の認可を要するとされていることから、弁護活動のあり方についても直接・間接に法務省が支配・統制することが可能となるという。しかし、この意見は国選弁護をやっている人の意見なのか、私にははなはだ疑問に思う。センターとの契約関係を維持したい弁護士がセンターに「自主的」に抑制し、迎合して、事実上、法務省の意向は容易に実現していくという意見に至っては、国選弁護の現場をふまえているとはとても思えない。
今の日本の刑事弁護の七割から八割は国選弁護によっている。引き受けてくれる弁護士の確保に全国どこでも苦労している。東京などの大都会では一部の弁護士が弁護士会に事件をもらいに行くというシステムで処理されている(これは、いわば既得権化しており、広く多くの会員が公平に分担しようというシステムの成立を困難ならしめている)が、地方会の多くでは、弁護士会や裁判所から割りあてられた事件をなんとかこなしているというのが実情だと思う。私の所属する福岡県弁護士会では、国選弁護人の登録率が八割をこえ、当番弁護士にも六割の会員が登録していて、名簿にしたがって配点しているから、会員の負担はかなり均等化している。それでも特別案件をふくめて、執行部は弁護人の確保に日々かなり苦労しているのが実情だ。
米倉団員は、支援法は法務省が国選弁護人を選別(あるいは忌避)することを可能にするという。果たして、そうだろうか。鹿児島で国選弁護人の不当な解任事件が起きたとき、弁護士会は直ちに抗議してたちあがった。今後も弁護士会としての取り組みは期待できると私は確信している。
多くの弁護士は国選弁護を真面目にやっており、法務省に迎合したり、その意にそうような弁護をしている弁護人はいないし、これからもいるとは思えない(といっても、弁護の質の向上は引き続き大きな課題である)。
また、渡辺団員は、支援法ではセンターとの契約弁護士に対する「懲戒措置」が含まれていることから、国選弁護人の弁護活動に法務省が介入・干渉してくる危険は歴然としているという。しかし、正当な弁護活動に法務省が干渉してきたことは、そんな規定のない今までもあったし、現にあっている。要は、個々の弁護士と弁護士会がそれに対して毅然とした姿勢でたたかう必要がますます高まるということではないのか。そのとき、支援法に盛りこまれた「弁護権の独立」規定は、そのたたかいの支えになると私は考えている。
ところで、米倉団員は国選弁護人候補者名簿を何らかの形で弁護士会が作成し、センターは弁護士会の意思に拘束されるという運用が必須であると提案している。果たして、東京でそれが可能なのだろうか、おたずねしたい。「東京は刑事弁護を引き受けない弁護士が圧倒的に多い」(渡辺脩団員の指摘)なかで、米倉団員の提起は果たして現実的なものなのだろうか。いったい、今の東京三会が国選弁護人候補者名簿を作成して、その順番にしたがって裁判所に選任させるという方式が可能なのか(もちろん、私も、ぜひそうあってほしいと願ってはいる)。
民事扶助で最大の問題は、対象事件が狭く限定されているということだ。予算不足のために扶助事件の受け付けが途中で打ち切られることもしばしばである。これを抜本的に解消するためには国の予算を大幅に拡大するしかない。お金を出させれば、国が多少なりとも口を出してくることは避けられない。それを実質的にくい止めるものとして、合議体(審査委員会)が存在する。これを活用していくしかないと私は考えている。
スタッフ弁護士
被疑者国選弁護が制度としてスタートしたとき、果たして弁護士が本当に担えるのか、私はそちらの方をよほど心配している。また、裁判員制度による裁判が始まったとき、重大事件を集中審理で担える体制が全国的に確立しているのだろうか。
弁護士会が運営にコミットできなかったときの「致命的事態への懸念」を米倉団員は強調している。しかし、今はその前に、やるべきことが多々ある。団事務所がスタッフ弁護士を養成し、送り出すこともその一つだ。今のうちから、各地で「たたかえる」スタッフ弁護士(候補者)を養成していかなければ、いざというときに間にあわなくなる。よそから「輸入」すればいいとか、誰かがやるだろうなどという安易な発想は許されない。
ちなみに、実は、福岡でもスタッフ弁護士に対する消極論が強い。ただし、これは国選弁護の登録率が八割を維持してきたなかで、スタッフ弁護士におまかせということで登録を辞退しようとする弁護士が続出しかねないのを恐れるという実務的な観点も強い。
ただし、センターの活動の大きな部分をスタッフ弁護士が担うようになったとき、弁護士会の意見よりセンターの意向が強く反映されてくるのではないか。それはセンターが発足して一〇年たったとき、大きなセンターになっていて大量のスタッフ弁護士が存在するとしたら、杞憂だということにはならないのではないかという意見(福岡の井上道夫団員)には傾聴すべきところがある。でも、私は、だからこそ今のうちからスタッフ弁護士の養成システムに団事務所が関わるべきだと考えている。
アクセスポイント
支援センターの最近の議論において、司法過疎対策とアクセスポイントの具体化があまり強調されなくなった気がする。しかし、司法を身近に、利用しやすくするためのアクセスポイントは重要である。それを既存の法務局の窓口や市役所の市民相談窓口で代替させていてはいけない。やはり、司法サービスというからには、権力に抗する事件であっても安心して弁護士に相談できる場を確保すべきである。
センター構想が財務省の抵抗にあって予算規模が縮小傾向にある。本当の敵は財務省ではないのか。しかし、それは充実した司法サービスを享受すべき国民を弁護士会がきちんと味方につけておく必要があるという問題でもある。
国家権力観の変容
米倉団員は「国家権力観の相対化・楽観化が進むという事態」を嘆き、日弁連で司法改革に関与している人間は「危機意識が欠落」しているという。果たして、そういう問題なのだろうか。私は日弁連副会長を一年間つとめて国家権力というものを不動の一枚岩のように見てはいけないと思うようになった。彼らにも内部に相当の軋轢と矛盾があり、そこに国民要求が反映される余地も少なくないことを何度も実感した。
また、私は三権分立の一つである司法については、弁護士であることから来る職務上の責務があり(今や存続が危なくなっているが、まだ弁護士法七二条によって法律事務独占が認められている)、弁護士会が関与するのは当然の責務である。したがって、司法改革は必然的に取り組むべき課題なのだ。このことを米倉団員は軽視しているのではないだろうか。
ただ、この国家権力について総合的にとらえるべきだという指摘については同感するところがあるので、さらに考えてみたい。
東京支部 萩 尾 健 太
1 翌日に鉄建公団訴訟最後の人証調べ期日を控えた一二月一日、日比谷野外音楽堂にて「国鉄労働者一〇四七名の解雇撤回 政府はILO条約を守れ!鉄建公団訴訟勝利一二・一全国集会」(主催・一二・一全国集会実行委員会)が開催された。
全国各地からの支援者が続々と上京し、集会前段の国土交通省、鉄建公団(現・鉄道運輸機構)前の座りこみ・要請行動に次々に参加した。鉄道運輸機構前は、七〇〇名以上の当事者、支援者が詰めかけ、最大の要請行動となった(私は翌日の原告本人尋問の準備で参加できなかったが残念である)。集まった人々は、そのまま日比谷野音に結集した。集会には四三〇〇人が会場を埋め尽くし、立ち見の参加者であふれんばかりだった。
私の地元の目黒区職労、世田谷区職労の旗もはためいていた。
集会は、総合司会の岡村稔氏(特殊法人労連学生支援機構労組)の開会あいさつではじまり、呼びかけ人代表の下山房雄氏(九州大学名誉教授)から主催者あいさつが述べられた。
「労働組合運動というものは民主主義社会において、正当な社会的行為であるはずなのに、国家により弾圧されるということは、民主主義が危ういということだ。だからこの一〇四七名の国家的不当労働行為は許されるものではない。一九六〇年後半からの労働組合の衰退により、労働者は労働委員会や訴訟に訴える道にいかざるを得なくなり、本来は組合が運動を支援しなければならないが、それもできなくなっている。そのような状況の中で、この鉄建公団訴訟原告団と全動労争議団の闘いが労働運動に勝利の一ページを加えることを強く望んでいる。国家権力と闘うことは困難ではあるが、四党合意以降、闘争団、争議団はゆるぎなく努力し、困難を乗り越えてきた。一八年にしてようやく一〇四七名の団結に発展している。これをさらに発展することで勝利することができる」という力のこもった発言に会場は力強い拍手で応えた。
次に壇上に国労闘争団員、全動労争議団員、千葉動労争議団員と家族が上り、司会者の岡村氏から、前日の一一月三〇日、国労闘争団のうち川端前旭川地本委員長などが新たに九名が鉄道運輸機構(旧鉄建公団)への提訴を行い、鉄道運輸機構訴訟に立ち上がったことが報告された。
全動労争議団の梅木副団長は「全動労争議団は先行する鉄建公団訴訟原告団と連携をはかり、鉄建公団訴訟に加わることが、解決への最善で最良の選択であると判断し、一二月中に提訴することを決定し、一一月三〇日に鉄道運輸機構訴訟を提訴した国労闘争団員と共同の記者会見を行った」と報告した。
鉄建公団訴訟原告団の酒井直昭団長が、壇上に上がった国労、全動労、動労千葉の被解雇者を代表するかたちで発言した。「二年半、全力で闘ってきたが、ようやく一〇四七名の陣形がととのってきた。長く、苦しかった闘いだったが、皆さんの支援を受けてさらに勝利に向かって闘う」と決意表明をした。
引き続き、呼びかけ人からの連帯・激励の挨拶が行われた。
経済学者の伊藤誠氏が「この闘争に支援者としてかかわることは、ほこりである。ぜひ、この運動に勝利して、世界の流れをかえていこうではありませんか」と激励した。
続いて、佐高信氏(評論家)が「「闘わない組合は組合ではありません。この間プロ野球の選手でさえストライキをやった。連合は古田に教えてもらわなければならない。今日私は激励しにきのたではなく皆さんがたに激励されにきた」と発言し、会場は大いに湧きあがった。
芹澤寿良氏(高知短期大学名誉教授)は「新たな訴訟に踏み切る建交労鉄道本部に敬意を表したい。しかし、まだまだ陣形は不十分。闘う組織が相互にささえあいながら、より一層大きな団結をつくっていかなければならない。ともに闘う決意を表明します」と述べた。
戸塚秀夫氏(東京大学名誉教授)は「私も七五歳になりますが、こういう暗く不愉快な世の中でこの世に別れを告げるとは予想もつきませんでした。暗い世の中になった理由のひとつは一九七〇年代以降、労働組合に対する弾圧がおこなわれている。これほどひどい弾圧が行われるとは思わなかった。もうひとつは理不尽な抑圧に対し、労働組合運動が必ずしも解決しない。わたくしは四党合意に賛成することはできない。そのような中でなんとしてもみなさん方が自分たちの権利を守ろうとしているのが大変うれしい。みなさんの闘いが私が生きている間に勝利することを心から願います」と述べた。
このようにそれぞれの方から国鉄闘争に賛同し、共に支えあい、勝利をするために、一層大きな闘いにしようという心強い激励・連帯のあいさつを受けた。
また、四国共闘の河村洋二さんから「鉄建公団訴訟の勝利なくして、労働運動の勝利もない」と連帯の言葉が述べられた。
さらに新潟の市議会議員の小林義昭さんから新潟地震復興活動の報告などがあった。
集会アピールを全動労争議団家族の渡部雅子さんが提案、確認後、国労高崎地方本部の中村宗一さんの集約と団結ガンバローで、最後は勝利に向かって参加者全員で力いっぱいのこぶしを突き上げて集会をしめ、デモにむかった
デモは鉄建公団訴訟原告団・争議団、支援者が延々と長い列をつくり、師走の街並みに鉄建公団訴訟勝利を力強く訴える声を響き渡らせた(これも私は尋問準備のため参加できなかった)。
一一月二六日には、国鉄闘争に関して国労・建交労の共催で二六〇〇名が参加する集会が開かれた。一二月一日の集会の主催者発表の四三〇〇名をプラスすれば六九〇〇名が国鉄闘争勝利のために決起したと言える。
二日は、これまで丸一日四回行ってきた証人尋問の最後の期日であった。前日の全国集会に参加した地方の支援者も参加して、八時三〇分から、東京地裁前で宣伝行動を行った。傍聴席の抽選は三〇〇名を超え、法廷の傍聴をのぞむ仲間が多かったので、証人が変わるたびに入れ替えを行いなった。その結果、多くの支援者・原告の家族に傍聴してもらうことが出来た。北海道から三名、九州から三名と原告の妻一名が証人に立った。一方、証人も多くの仲間に支えられ、最後まで具体的な事実に基づき証言した。
一二月二四日には進行協議を行い、三月七日には最終準備書面を提出し、結審ということになった。難波裁判長は、「本件を一番把握しているのはこの裁判体なので、早期に結審したい」と述べ、判決を書く気万万であった。
どのような判決になるか、予断を許さないが、弁護団は最終準備書面作成に総力を挙げ、勝利判決を勝ち取る決意でいる。
これまでも全国の多くの団員からご協力いただいたが、引き続き、ご支援、ご協力お願いいたします。