<<目次へ 団通信1159号(3月21日)
渡辺 登代美 | 『九条の会』をきく県民のつどい」イン神奈川 | |
梅田 和尊 | 九条の会 〜市民に広がる九条の輪〜 | |
藤木 邦顕 | 大阪イラク訴訟でイラク人原告を尋問 | |
高崎 暢 | 速報 NTT奥村過労死訴訟全面勝訴!ーもうひとつの「NTTリストラ訴訟」ー | |
山田 博 | トナミ運輸内部告発事件に勝利判決 | |
富永 由紀子 | 都立府中病院部長医師の過労自殺に公務災害認定 | |
秋元 理匡 | 藤田運輸偽装閉鎖事件報告 | |
大前 治 | 日本レストランシステム事件 遠隔地配転・異職種出向は無効、慰謝料支払も命じる勝訴 | |
鶴見 祐策 | 裁判所速記官制度の現状と展望 |
神奈川支部 渡 辺 登 代 美
二月二五日、神奈川県で「『九条の会』をきく県民のつどい」を行なった。県民ホールと、大桟橋ホールのふたつの会場には五〇〇〇人以上が集まる大盛況だった。会場に入れなくて、怒って帰った人を考えると、六〇〇〇人近くは集まっただろう。
当初、実行委員会で二五〇〇人の県民ホールを会場に決めたとき、「無謀すぎる」というのが統一見解。でもその無謀を失敗させてはいけない、という危機感からいろいろな人が集まってくれ、途中から、「県民ホールだけでは足りないのではないか、第二会場も用意した方がいいのではないか。」ということになった。年末に、すでに決定していた小田実、加藤周一両氏に加え、大江健三郎氏の参加が決まると、「県民ホールだけでは危ない論」が現実味を帯びてきた。
第二会場として大桟橋ホールを押さえたが、いす席は八〇〇しかなく、あとは立ち見。 第一会場と大型スクリーンでつないで同時中継ができる体制を整えた。
「人が集まりそうだ」という前うわさはあったものの、そんな大集会を成功させた経験のない神奈川では半信半疑。通常一〇〇〜二〇〇、どんなにがんばっても四〇〇がやっとというのがこれまでの実績だったのだ。当日まで、「第一会場がいっぱいにならなかったらどうしよう」という不安を拭い去ることができなかった。
ところがふたを開けてみれば。
開場六時、開演六時三〇分の予定だったところ、五時半にはすでに行列は二五〇〇人を超えていた。
私(川崎合同)は第二会場の会場係。第二会場があふれるなんて誰も考えていなかったものだから、会場整理などの要員はほとんど第一会場に張り付き、大桟橋の建物の入口からホールまでの案内に人を配置すると、残ったのは責任者の小賀坂さん(馬車道)と私だけ。さすがに無理だろうということで、警備担当の藤田、三嶋、穂積(以上川崎合同)、井上(横浜)などの団員に、会場整理も兼務してもらうことに。
六時を過ぎたころから、早くも第一会場をあきらめた人、はじめから第二会場をめざしていた人たちが続々と押しかけてくる。いす席はみるみるうちにいっぱいになり、すわれない人たちがいす席の周りにあふれ出す。第一会場はすでに満杯となり、そちらからピストン輸送のバスで続々と人々が到着する。
そんなところへ、前日急遽参加を決めた井上ひさしさんが、六時半から第二会場で話をするという情報が。そんな予定は全くなかったので、いす席の前に座れる空間を作り、すでにお客さんを入れてしまっている。これではいけない、と警備担当が全員井上さんの警護にまわる。さあ、大変。これで会場整理係は小賀坂さんと私しかいなくなった。
誘導者がいないのだから、当然のように、聴衆は無秩序にそこここに座り込み、たちまち通路も確保できない状態となる。その上、マイクの音量が小さく、前でしゃべっているおじさんが「井上ひさし」だなんて、後ろの人にはわからない。「音量を上げろ」(あれで一杯だったの)、「第一会場の音を流せ」という苦情が殺到。しかも会場内は人があふれているから、室温は異常に高いし、空気も悪い。よく暴動が起きないものだ、と思うほど。
「入口で止めなければ、会場の混乱が避けられない。」そう判断した小賀坂と受付責任者の福田(神奈川総合)が、押し寄せる人波に逆らって二〇〇メートルくらいある建物入口までの通路を駆け抜ける。これで受付にも弁護士は阪田(横浜合同)しかいなくなった。
会場の警備員から「これ以上は危険です。もう入れないで下さい。」と言われ、私も建物入口に走る。
「申し訳ありません。入場を制限させて頂きます。」と、ただひたすら丁寧に頭を下げている小賀坂、福田。そこへ、第一会場からのバスが。また大量の人が降りてくる。とっさに私はドアの前で通せんぼ。
「ごめんなさい。もうこれ以上は入れません。」
あたりまえだけど、罵声の嵐。「第一会場からこっちへ行けと言われてバスに乗せられてきたのに、入れないとはどういうことだ。」「あっちでさんざん並ばせて、こっちへも入れないのか。」 「入れないなら、下で会場の案内をしてるのをまずやめさせろ。」「二五〇〇人の会場にチケット何枚売ったんだ。無責任なことするな。」(だって、チケットなんて、普通落とした枚数の三〜四割しか来ないと思うじゃない。後で聞いたら、第一会場で並んでいた人たちは、列の後ろからバスに乗ってしまったそうで、第二会場に入れなかった人たちは一番長く並んでいた人たちだったそうだ。そりゃぁ、怒るわ。ほんとうにごめんなさい。)
怒られても、全くそのとおりだからなんにも言えない。すったもんだしている間に、群集はなだれをうって別のドアから会場へ殺到してしまった。ああ、さっきだってあんなにいっぱいだったのに、またあれだけの人が行ってしまったらパニック状態だぁ。
案の定、殺到した人たちは、結局会場に入りきれずに続々と出てくる始末。受付は大混乱だっただろうなぁ。「ごめんなさい、ごめんなさい。」とただひたすらあやまり続ける。チケットの返金を求める人もおり、受付から阪田までが建物入口へ。
ようやく第一会場と連絡がとれ、ピストン輸送のバスを止めてもらう。混乱が一応収束したときには、七時を過ぎていた。各担当部門の責任者の携帯連絡網を作っていたのだが、責任者が電話をしていたのでは現場での指示や対応ができず、他方、現場対応している責任者は電話に出られず、なかなか連絡がとりあえなかったことも、混乱に拍車をかけたかもしれない。
何とか曇り空。雪や雨でなくて本当によかった。
翌日、神奈川新聞は社会面に大江健三郎さんの写真入りで三段記事。他は一切無視していたところ、抗議を受けて翌々日の朝日にベタ記事が。
中心になって奮闘した篠原さん、小賀坂さん、本当にご苦労さまでした。個人参加の実行委員会方式の実践とか、ほんとは私におちゃらけ書かせるより、彼らが真面目に報告を書いた方がいいと思うのだけれど。まぁそれは、今後の運動に譲りましょうか。
東京支部 梅 田 和 尊
ご存知のとおり、憲法九条を改正して、集団的自衛権の行使を認め、日本を戦争ができる国にするとの自民党の憲法改悪の動きに対し、世界に誇れる九条を護ろうという活動が全国各地で広がっています。旬報法律事務所もまた、大江健三郎氏らによって結成された「九条の会」に賛同し、九条の意義を広めていこうと昨年九月二一日、「『九条の会』に賛同する旬報法律事務所の会」を発足させました。そして、その活動として、本年二月五日、新橋の航空会館において、「なぜ今、憲法九条『改正』なのか」と題して「旬報九条の会」発足記念セミナーを開催しました。「九条の会」事務局長である小森陽一東京大学教授から、九条「改正」の問題点について一時間ほど講演を頂きましたが、定員一二〇名の会場に一四〇名を超える参加者が集まりました。
講演の中で、小森教授は、二つの質問を参加者にされました。一つは、「日本国憲法はこの国の最高法規であるか」、もう一つは、「その最高法規である日本国憲法は、私たち国民が守らなければならない諸法規の最高法規であるか」という質問です。前者の質問に対しては、参加者全員が挙手し全員が正解でした。しかし、後者の質問に対しては、参加者の半分が挙手し、その半分くらいの方は不正解でした。憲法は国民が守るのではなく、国家が遵守しなければならない法であるということです。
小森教授の「憲法は基本的人権を保障するために国家権力に縛りをかけるもの」との指摘は、法律家であれば誰もが知っている当然の知識であっても、市民の方々には、憲法のこの基本的な考え方を知らない人がまだまだたくさんいるのだと実感しました(かく言う私も某司法試験予備校で学ぶまで知りませんでしたが…)。
しかし、ある参加者の方が、「小森先生と聞きタダだしと思って来てみたがオジサンばかりで驚いた。正直、友人の間ではいきなり『九条』といってもあまり響かないと思う。しかし私が拝聴しても『なるほど』と思えた話を少しでもまわりの人に伝えていけたらと思う。」という感想を寄せて下さいましたように、「旬報九条の会」のこれからの役割は、市民の方々が憲法の本来の意義や考え方を知り、そのことを市民の方々が周りの人に更に広め伝えていく、そんな市民の方々の行動をこれからも積極的に支援していくことだと考えています。
大阪支部 藤 木 邦 顕
二月二五日、大阪イラク訴訟でイラク人原告ハッサン・アル・ハッサン・アボッド氏の原告本人尋問が行われました。大阪イラク訴訟では二人のイラク人原告が第四陣訴訟の原告として参加していますが、そのうちの一人ハッサン氏が二月一八日夕刻にようやく関西空港に到着し、二五日の証拠調べ期日において在廷の原告本人として尋問実施にいたりました。同氏は、イラクの子どもを救う会などで活動してきた西谷文和氏のルートで名乗りをあげてくれた人物ですが、二〇〇〇年から二〇〇三年六月まで日本に留学し、岐阜大学で英語教育の修士号も取得した縁もありました。フセイン政権崩壊後に帰国して中日新聞の特約特派員としてイラク各地の状況をレポートし、掲載された記事も多数あります。
同氏の尋問は上山勤弁護士と私が担当し、直前の土・日をまるまる使って打ち合わせをした戦争下でのイラクの市民の生活や被害について証言してもらいました。尋問時間は通訳時間を入れて二時間ですので、かなり急いだものとなりましたが、彼の実家のあるバビロンというバグダッドから一〇〇キロほど離れた町でも、米軍の戦車に近づいて射殺された若者がいたり、小児ガンで七人のこどものうち四人を亡くした家族がいること、米軍はイラク市民を守るつもりはさらさらなく、金曜日の礼拝に人が集まることを知っていても検問などはせず爆弾の爆発があってから戦車を従えてやってくること、米軍やイラク国家警察は令状もなく突然家の中に踏み込んできて市民を逮捕し、アブグレイブに連れて行くことなどを実体験に基づいて明らかにしました。
彼の証言の中で興味深かったのは、二〇〇三年一一月にティクリート近郊で日本人外交官二人が銃撃され運転手共々死亡した事件がありましたが、その現場にいち早くかけつけて取材をしようとしたときのことです。現場と聞いてきた地点の路傍に物売りの小屋のような店があり、その主人はきっと事件を目撃しているであろうと思って聞き込みすると、何も知らない、何も起こっていないと言う。警察で改めて現場を確かめると間違いなくその店の前だとのことで再度確かめに行ったところ、ようやく重い口を開いてくれたといういきさつです。彼によれば住民は見知らぬ人には警戒心が強く、特に日本人が巻き込まれた事件については話したがために後でどうなるかわからないと思い、真実を取材するのが大変困難になっているとのことです。
彼は、英語に強く占領軍や外国メディアなどの通訳の募集に応じれば就職難のイラクでもやっていくことができるがそれは望まない、イラクには病人やけが人や老人、女性、子ども達と何の救いもなくただ耐えているという人々がいる、日本はイラクでは産業の発達した国であると尊敬を受けてきたので、軍隊ではなく人々の生活を支えるために力を貸してほしいと訴えてました。三月二三日までの短期滞在予定のため、時間的に限られていますが、日本各地で訴えることとしています。
北海道支部 高 崎 暢
一、はじめに
三月九日、札幌地裁民事第二部は、元NTT職員の故奥村喜勝さんの死亡原因が、長期の宿泊を伴う研修に参加したことによる精神的、身体的ストレスであったことを認め、東日本電信電話株式会社(以下、「NTT東日本」という)に対し、約六六三〇万円の損害賠償を命じる判決を出した。
二、NTT奥村過労死訴訟とは
故奥村さんは、NTT東日本北海道支店旭川営業支店の従業員で、二〇〇二年六月九日、急性心筋虚血で亡くなった。五八歳の時である。故奥村さんの死亡は、NTTの「複合的違法リストラ」の犠牲者であった。
故奥村さんは、職場定期健康診断で心臓の異常が発見され、平成五年七月、陳旧性心筋梗塞(合併症として高脂血症)と診断された。それ以降、NTT東日本は、故奥村さんを、会社が定める健康管理規定の「要注意(C)」と認定した。「要注意(C)」は、「原則として、残業をさせない、宿泊出張はさせない」ということである。
そうした故奥村さんに、「複合的違法リストラ」が襲いかかり、NTTに残るか地域子会社に行くか、その選択を迫ったのである。
故奥村さんは、「NTTの違法は許せない」という信念と良心で、NTTに残こる道を選んだ。しかし、医師から「行動は救急車の行ける範囲に」と制限され、かつ病弱の妻を抱える故奥村さんにとっては、「どこに転勤させられるかわからない不安」は人一倍強かった。選択の時期が迫るにつれ、故奥村さんは、眠られない、寝てまで寝言を言う、そして、起きていても、「そうか」「やっぱりな」「そうしないとだめか」「俺が我慢すれば良いのか」と、自分に言い聞かせるような独り言を口にするようになった。肉体的にも精神的にも極限状態であった。そのストレスが、精神と肉体を蝕んでいた。
NTTは、思い通りにならなかった者(残留を選択した者)へ、札幌、東京における宿泊を伴う二か月間の研修を命じた。研修は、四人部屋での宿泊、無味乾燥な内容で、精神的にも肉体的にも種々のストレスが加わっていき、故奥村さんの死亡を招いた。
このように、NTTが強行した「複合的違法リストラ」は、退職と賃下げ、見せしめの遠距離配転を強いただけでなく、人間の生命まで奪ってしまった。
その責任を問うのがNTT奥村過労死訴訟である。それゆえに、「もう一つのリストラ訴訟」と呼ぶ所以である。
原告は、残された妻と一人息子である。
三、本判決の意義
急ぎとりまとめた本判決の意義を以下述べる。
第一は、本判決が、NTT東日本が故奥村さんを宿泊を伴う長期研修に参加させたことが過失であると認定したことである。判決は、「被告は、比較的安定していた喜勝(故奥村さんのこと)の生体リズム及び生活リズムに大きな変化を招来し、これを崩しかねない本件研修への参加を止めさせるべきであったというべきであり、それにもかかわらず、被告は喜勝を本件研修にさせた過失がある」と明確に指摘している。
第二は、故奥村さんに、心筋梗塞等の基礎疾患が存在していたが、判決は、「本件研修に参加したことで、その精神的、身体的ストレスが同人の冠状動脈硬化を自然的経過を超えて進行させ、その結果、突発的な不整脈等が発生し、急性心筋虚血により死亡するに至ったものと推認するのが相当である」として、故奥村さんの業務と死亡との間の因果関係を認めたことである。
第三に、精神的、身体的ストレスの過重の基準が当該労働者をもとにして判断されていることである。すなわち、判決は、「要注意(C)」の指定をし、例外事由としてのやむを得ぬ理由があるかどうか・・・は、喜勝のその後の治療経過や症状の推移、現状等を十分検討した上で時間外労働や宿泊出張の可否が決定されるべきであった」「喜勝を本件研修に参加させることにより、同人が急性心筋梗塞等の急性心疾患を発症する可能性が高いことを少なくとも認識することが可能であったというべきである」とも指摘している。 第四に、損害額を算定するにあたって、故奥村さんの基礎疾患その他の事情を過失相殺することなく原告の請求額を認めたことである(金額が違ったのは五%を前提にしたライプニッツ係数(原告は三%で請求)を用いたこと、慰謝料を金二八〇〇万円(二〇〇万円減額)とした、この二点だけである)。
第五に、本件では、長時間労働、不規則労働等による心疾患の過労死事案ではなく、故奥村さんの発症に関し、むしろ労働の質が問われた事案であったが、判決がその点を避けることなく真っ正面からとらえて判断をしたということである。
さいごに、本判決が、「(故奥村さんが)その選択に際しては前記のとおり深刻に迷っており、精神的ストレスを感じていたことが窺える」と指摘したことである。これは、NTTの「リストラ」が、従業員に非人間的な選択を強いた事実を認定するものである。
四、地元紙の社説
三月一二日、北海道新聞の社説は、「乱暴な配転への警告だ」という見出しで本判決を取り上げた。「働く者にとって心強い司法判断となった。」という文章で始まり、「今判決が労働の『内容』や『質』に焦点を当てて判断したのは画期的といえるだろう。『過労死』の範囲を拡大し、勤労者を救済するうえで大きな力になるよう期待したい。NTTは、この判決を真摯に受け止めるべきだ。控訴などはすべきではない。」と評価し、他の企業経営者に対し、これを機に、個々の従業員の健康管理をきめ細かくするよう注文し、労働行政にも触れ、「過労死の認定はこれまで、司法判断の後塵を拝してきた。(略)こうした監督官庁の消極的な姿勢が過労死を防止できない要因の一つになっていることを知るべきだ。」と結んでいる。
更に、社説は、「今判決で感じるのは、NTTの健康管理への配慮不足だ。会社側は、(判決の)指摘をかみしめ反省すべきである。」「今回の判決は、働く人に犠牲を強いるリストラに対して、厳しい警告になっていることも肝に銘じるべきだ。」「企業の礎は人である。従業員の健康を無視したリストラであってはならない。」と、配置転換や人員の削減が一種の流行現象になっている企業経営者の安易なリストラに警告を発している。
五、まとめ
原告弁護団は、本判決を文字通り画期的であると評価した。この社会から過労死をなくす戦いを一層前進させたいと決意を新たにしている。
そして、NTTの無法なリストラ攻撃に厳然と立ち向かっている、「NTTリストラ訴訟」に勝利するまで、ともにたたかう決意である。
北陸支部(富山) 山 田 博
富山地裁は、二月二三日、大手運輸業界のヤミカルテルを新聞社、国会、公正取引委員会などに内部告発し、その後三〇年にわたり会社から報復として個室に隔離されたり、雑務しか仕事を与えられず、低賃金に据え置かれてきたトナミ運輸社員串岡弘昭氏(五八歳)を救済する勝利判決を言渡した。
判決は、原告の内部告発が、内容の真実性、公益性、目的の公益性を認め、告発方法の妥当性について十分な内部努力をしなかったとしても無理からぬことであり、全体として内部告発は正当な行為で法的保護に値すると認定した。その上で会社の措置は、合理的な裁量の範囲内で人事権を行使すべき義務に違反した債務不履行であり、一三五六万円余りの損害賠償を命じた。
原告は、二〇〇二年流行語大賞を受賞するなど内部告発とこれに対する不利益扱いとの戦いのパイオニア的存在であり、今回の判決は、公益のための通報が保護されるべきであるとの価値観を定着させる大きな一歩となったと考えられる。また、来年施行予定の不十分な『公益通報者保護法』の枠組みよりも広く正当性を認定するなど同法の運用にも一定の影響をあたえると考えられる。
トナミ運輸(前衆議院議長綿貫民輔氏がオーナー、業界五位の大手)は、三月一日本判決に服する旨表明したが、これは、これ以上世論を敵に回して原告を苦しめることが得策ではないと判断したからであろう。
原告は、判決を積極的に評価しつつも、謝罪文の不交付、消滅時効により一〇年以前の請求の切捨て、三〇年にわたる慰謝料が二〇〇万円では低額にすぎるなどその不十分点を克服し、原審で却下された会社最高幹部の証人追求などによりさらに立派な判決をめざすとともに、原告の処遇の改善、損害の回復、謝罪、会社の責任の明確化などを柱とする和解=全面解決の追求の二正面作戦の遂行のため、引き続き控訴して取組むことを、三月六日決定した。引続きご支援をお願いする次第です。
1 はじめに
一九九九年九月、東京都立府中病院の、ある診療科部長の立場にあった医師が、自宅で自らの命を絶ちました。享年五三歳。大規模自治体病院における診療科部長として、極めて重い責任と長時間労働による肉体的・精神的負荷を受け続けた結果の、過労自殺でした。
これに対し、一九九九年一〇月、医師の妻が、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害認定を請求。請求から丸五年が経過した昨年一二月二二日、基金支部は、本件を公務災害と認定する旨の決定をしました。
本稿では、事件を担当した弁護団メンバーの一人として、この事件について報告させていただきます。
2 事案の内容
都立府中病院とは、人口四〇〇万人が暮らす東京西部の多摩地域において、唯一の総合的機能を持つ都立病院です。定床数は761床で、一日あたりの外来患者数は一六三六人(いずれも二〇〇〇年度予算規模)。地域の中核病院として、高度・専門医療を実施しているほか、三次救急医療施設である救急救命センターが設置されるなど、救急医療が重視されています。
このような病院において、被災者は、特に業務多忙な診療科に属する医師として、また、同科全体を管理する部長職にあるものとして、次に述べるような業務を行っていました。
まず、同診療科には週三回の外来診療がありましたが、一九九九年六月以降、被災者は三回すべてを一人で担当していました。そして、外来診療後、及び外来の担当のない時間には、多くの受持入院患者の診療を行います。また、年間百数十件に及ぶ手術についても、自ら執刀するほか、それ以外の手術にも立ち会って指導するなど、多くの手術を担当。加えて、宿直勤務が月に二、三回ありましたが、救急患者が多い同病院では宿直中に仮眠はおろか休憩すらできない状況であるにもかかわらず、通常業務の前もしくは後に宿直が入るため、宿日直勤務の時は実に三〇時間を超える連続勤務を余儀なくされていました。
以上のような診療業務に加え、被災者には、部長としての管理業務がありました。具体的には、院内でおこなわれる各種会議に参加するほか、週2回の個別症例検討会に参加するなどして若手医師の指導にあたっています。また、同診療科の毎月二〇〇〇枚程度にも及ぶ膨大なレセプトのチェックも一人で行っており、請求前の毎月月初めには、泊まりがけで作業することも少なくありませんでした。さらに、業績評価等人事管理や施設管理なども、部長である被災者の業務とされてきました。
こうした業務を行っていた被災者が、異常な長時間労働を余儀なくされていたことは言うまでもありません。勤務体制表など、客観的資料から積み上げられる残業時間数だけで、一九九九年一月から六月までの間で月平均おおむね一〇〇時間。加えて、緊急呼出待機(オンコール)時間も、月一〇〇時間前後に及んでいました。
このように、被災者は、膨大な日常業務を抱えていました。本来であれば、これらは診療科内の医師で分担されるべきものでしたが、医師が抜けて欠員が生じたり、やっと医師が補充されても経験未熟な若手であったりしたため、人出不足は深刻を極め、あらゆる業務を部長である被災者が陣頭になって行わざるを得なかったのです。
そして、このような被災者をさらに苦しめたのは、人材確保の任務でした。すなわち、府中病院においては、医師の確保も部長である被災者の業務とされていたのです。被災者は、出身大学をはじめとする関係各所に窮状を訴える手紙を出したり、また直接訪問してかけあうなどの努力を重ねましたが、同専門科医自体の数が減少していた上、多忙を極める病院に勤務しようという医師は少なく、人材確保は困難を極めました。
このような状況の中、被災者は、一九九九年六月ころにうつ病を発症します。そして、最終的に大学から医師の派遣を断られた数日後の同年九月、命を絶ちました。自殺数日前に被災者が会った後輩医師は、基金支部に提出した上申書の中で、次のとおり述べています。「平成一一年八月下旬から、先生は最後の手段として、大学に出向いて教授・助教授先生に直接窮状を訴えて、短期間でも良いから何とか医師を派遣して頂けないかと懇請されましたが、最終的に拒否されがっくりと肩を落として戻ってこられました。その時、先生の顔には大変な疲労感と絶望感が浮かんでおり、ふと『自分がいない方がよいのかな、自分がやめた方が事態は改善するのかな・・・』とこぼされたのを記憶しています。」
3 本決定の意義
都立病院部長医師は、職務が多岐にわたり、かつ裁量性が高いため、その業務内容や精神的負荷を客観的に把握することには困難が伴いました。しかし、他の同僚医師などの協力が得られたことに加え、病院サイドからも本件公務災害申請に関して様々な資料が作成・提出されたようで、今回の公務災害認定につながりました。
周知のとおり、労基署に比し、過労死の認定件数が際だって少ない地公災基金支部ですが、その中で本件は、継続的な長時間労働の実態と職務の質的困難さを正面から認めて公務災害の認定をした、画期的なものといえるでしょう。
4 最後に
東京都は、現在、多摩地域にある他の専門都立病院の機能を、都立府中病院に集中させようとしています。このような中、都立府中病院は、多摩地域の中核病院としての役割をますます強めています。
しかしながら、本件被災者のおかれた状況をみると、そのような中核病院たるにふさわしい予算や人員配置がなされているものとは、到底言えないことは明らかです。
患者の生命と健康を守るべき病院の職場において、医師が過労自殺に追い込まれるなどという事態があっていいはずはありません。本件は、地域医療について公的責任を負っている自治体病院の、過酷な職場実態のあり様について、警鐘を鳴らすものといえるでしょう。
*本件については、尾林芳匡団員、鈴木敦士団員、鈴木麗加団員、私の四名で担当しました(いずれも東京支部)。
千葉支部 秋 元 理 匡
1 事案の概要
本件は、千葉県内の鞄。田運輸において、賃金の一方的な引き下げに反対する交通運輸一般労働組合(交運労)の組合員を排除するため、形式的に会社を閉鎖して労働者を全員整理解雇し、営業を別法人の鞄。田運輸(同じ商号!、以下「新藤田運輸」)に譲渡した上、譲受会社が交運労組合員以外の労働者を採用したという事件である。
〇四年三月、会社(以下「旧藤田運輸」)は突如、最大三五%にもなる賃金カットを発表した。これに反対する労働者の運動が高まり、五月には会社に対し反対署名を提出するにいたった。そんな中、翌月、会社は閉鎖を発表、八月末日をもって労働者は全員整理解雇された。そして、賃下げに反対しなかった、あるいは反対意思を撤回した者だけが新藤田運輸に採用され、賃下げに反対した交運労組合員は一人も採用されなかったのである。
この新藤田運輸は、もともと旧藤田運輸と同じ社屋内にある系列企業である成田エアーポートサービス鰍ェ〇四年五月に商号変更したものである。そして、商号変更直後に旧藤田運輸の役員が新藤田運輸の役員に就任し、大幅な増資を行った。そして、新藤田運輸は旧藤田運輸から営業用財産を譲り受け、同じ商号・同じ営業所で、同じ運送業を営んでいたのである。
このような経過からして、交運労は、会社による整理解雇―営業譲渡―会社閉鎖−採用拒否は、組合つぶし目的の偽装行為であるとし、激しく抵抗した。そして、解雇直後の〇四年九月一〇日、交運労組合員一〇名が、新・旧両藤田運輸を相手に、千葉地裁に地位保全と賃金仮払の仮処分を申し立てた。
2 仮処分の審理
九月二九日に第一回審尋が開かれた。労働者ひとりひとりの日々の生活がかかっているだけに、早期解決が望まれる。一二月六日に審理を終結するまでの約二ヶ月間に六回の審尋が開かれた。
会社側から提出された主張・資料の分析とそれに基づく主張、法的問題点の抽出・調査・整理と、一〇月・一一月はほとんどこの事件にかかりっきりであった。そうした作業の中で、新藤田運輸が実際には旧藤田運輸の一営業部門に過ぎなかったこと、旧藤田運輸にリストラの必要がなかったことがどんどん明らかになった。そして、旧藤田運輸が本店を田に移転にし休眠状態に入ったことが分かったため、審理途中で組合は債務者を新藤田運輸一社に絞り、旧藤田運輸に対する申立てを取り下げた。
組合側は、新藤田運輸に対しても労働契約関係が存在することの法的根拠として、法人格否認の法理や労働契約関係承継の法理を展開した。
これに対し、会社側の主張は、営業譲渡は雇用契約関係の承継を内容としないとか、別法人であるから新会社が従業員を採用するか否かは自由であるとかの形式論に終始していた。
3 仮処分勝利決定
一二月六日に審理が終結して待つこと二月半、二月二三日付で勝利決定が出された。
決定は、組合側の主張を全面的に採用し、「旧藤田運輸の会社閉鎖・従業員解雇及び債務者への営業譲渡・従業員不採用は、賃金引下げに反対する労働者の排除という不法な目的をもってされたものであるといわざるを得ないから、債権者ら従業員に対する関係においては違法、無効であるというべきであって、実質的には、旧藤田運輸の雇用関係を含む事業全体が旧藤田運輸から債務者に承継されたとみるべき」とした。
4 本件決定の意義と今後の課題
営業譲渡に仮託した組合排除や労働条件の切り下げが横行しているが、このようなことが許されたのでは、労働者の権利擁護のために獲得・蓄積してきた権利・法理が画餅に帰し、労働組合活動は圧殺されてしまう。本決定は、こうした問題に正面から取り組み、組合排除を狙った会社を断罪した。
今般の労働法制の改正として、このような営業譲渡や採用拒否の規制は見送られたのは残念であるが、裁判実務では労働者保護法理の潜脱を目的とした偽装倒産を許さない方向が定着している。本件では、早急に本案訴訟による終局的な解決を進めるが、このような実務の成果に依拠しながら、更に発展させていきたい。
本件の準備段階で、勝英自動車学校事件弁護団の神原元団員より資料を提供していただいた。この場を借りてお礼申し上げる。
弁護団は、鈴木守、神定大、拝師徳彦、常岡久寿雄、大島一と秋元である。
大阪支部 大 前 治
一、はじめに
二〇〇五年一月二五日、大阪高等裁判所にて不当配転事件の逆転勝利判決を得た。一審判決(「労働判例」八七三号五九頁)を取消して、勤務地・職種限定合意を認定したうえ、遠隔地配転命令や異職種出向命令に厳しい要件を課す判決である点で、今後の運動の武器となりうる判決である。
(弁護団=石川元也、徳永豪男、坂田宗彦、中森俊久、大前治)
二、事案の概要
(一)調理師として入社、昇格
原告は、調理師学校を卒業し、調理師免許を取得し、飲食店の勤務・自営を経て、平成九年三月に被告会社に入社した。全国で約二五〇店舗を経営する企業であったが、勤務地については、採用面接時に「娘が心臓の難病であり、主治医を変えられないので、関西地区で勤務したい」と口頭で述べて了承され、当初から主任として採用された。入社三ヵ月後には店長、さらにはマネージャー職へと昇格していった。
(二)降格と東京配転命令
ところが、ある頃から会社側は原告を煙たく思うようになった。原告が先輩社員の「セクハラ疑惑」の無実を晴らそうとした行動や、会社側が勤務査定の基準を遡って変更することに疑問を呈した行動などが、会社にとって気にいらなかったのである。また、折りしも株式上場を前に、会社側は、調理師経験を持たない大学卒社員を店長やマネージャーに登用するようになった。会社にとっては、叩き上げの板前経験よりも、レシピとマニュアルを遵守する大学卒若手社員の方が使いやすいのであろう。
平成一四年六月、原告はマネージャーA職から同B職に降格された。
さらに同年九月には店長A職へ降格する処分とともに、「研修が必要」との名目で、同年一〇月から東京で勤務せよとの配転命令を発令した(本件配転命令)。
(三)隔離研修、冷凍庫作業指示(出向命令)
これに対して仮処分命令申立をすると会社側は、仮処分審理中は東京配転を強行しない代わりに、事務所内に原告を一日中閉じ込めてレシピ等の机上学習させる「研修命令」を発した。さらに同年一一月には物流子会社での研修を指示し、マイナス三〇度の冷凍庫内の作業に従事させた。身体に負担がかかるため他の従業員は数日おきにしか従事しない作業であったが、原告だけは連日の作業を命じられた。
この物流倉庫での勤務は、当初は「研修」によるものであったが、同年一二月には同職場への正式な出向命令が発せられた(本件出向命令)。
原告のように調理師経験を有し、四店舗を統括していた元マネージャーを、このような職場へ出向させた前例はなかった。会社に歯向かう者への「見せしめ」が目的であることは明らかであった(なお、職場には労働組合はない)。
三、仮処分の勝利と、一審提訴
仮処分決定では、東京への配転命令は権利濫用として無効と認定された(大阪地裁・平成一四年一二月五日決定、朝倉亮子裁判官)。
仮処分審理で会社側が挙げた配転理由は、「部下にサービス残業を指示した」、「社員食事代の不払いを認めた」、「他の社員を脅迫した」などであったが、裁判所は会社側の疎明は不十分とした。(なお、配転命令については勝利したが、降格処分の無効については「保全の必要性」が認められず却下されたので、即時抗告した)。
会社側は、配転無効の仮処分決定後も、東京への配転命令を撤回しなかった。それどころか、前述のように異職種出向命令を維持して「見せしめ」の目的を貫徹しようとした。そのため、平成一五年一月一六日、@東京への配転命令、A物流部門への異職種出向、B降格処分、それぞれの無効と、C慰謝料二〇〇万円の支払いを求めて、本訴訟を提起した。
四、一審の審理と判決内容
(一) 一審の審理
一審では、従業員が作成した「報告書」は、原告を疎ましく思う上司が部下に作成を指示した文書であり信用できないこと、「食事代不払い」や「サービス残業指示」などの事実調査のあり方が恣意的であることなどを明らかにし、「研修」を目的とする配転命令の必要性がないことを主張した。また、娘が難病(大動脈縮窄、心室中隔欠損、大動脈弁狭窄)であり先進医療機関の主治医を変えられない事情から、勤務地を関西地区に限定する合意が成立したこと、さらに東京配転に業務上の必要性・合理性がなく不利益が重大であることを主張した。
降格による減給により住宅ローン支払いも苦しくなり、妻が新聞配達までして家計を支えていることなども示し、このことからも大阪を離れることは重大な不利益であることを主張した。
また、会社側証人についても、直接に事実確認をしない上司の証言や、上司の意向に沿った同僚の証言は信用できないと主張した。
(二) 一審判決の内容
一審判決は、原告の敗訴となった(大阪地裁・平成一六年一月二三日判決、労働判例八七三号五九頁)。仮処分決定では信用性が認められなかった報告書類をそのまま信用したうえ、上司や同僚の証言を鵜呑みにすることによって仮処分とまったく反対の事実認定がなされた。娘の難病等の事情も、「甘受すべき程度」として切り捨てられた。法律論としても、異職種配転や出向命令に一定の要件を課そうとする判例の集積を無視した杜撰な判断がなされた。
判断方法の誤りについて一例を挙げると、一審判決は、「就業規則に配転規定が存在すること」を理由の一つとして、勤務地限定合意は存在しないとした。しかし、この判断方法は不適切である。たとえ広汎な配転を認める就業規則規定が存在していても、個々の労働者と使用者が勤務地限定合意をすることはありうるし(新日本通信事件・大阪地裁平成九年三月二四日判決、労判七一五号四二頁)、入社後の職務内容等を考慮すれば同規定の適用が否定されることもある(ヤマトセキュリティー事件・大阪地裁平成九年六月一〇日判決、労判七二〇号五五頁)からである。
こうした不当判決に納得できる訳がなく、控訴した。
五、控訴審の審理経過
(一)控訴審の審理、会社側の姿勢
控訴審は、大阪高等裁判所第四民事部に継続した(裁判官=小田耕治、山下満、青沼潔)。
この間も会社側は、原告に対して物流部門での単純作業をさせ続けたうえ、他の従業員が従事している配送業務を原告には担当させないことによって、原告を他の従業員に接触させない仕打ちを施した。これは、徹底的に原告を差別するという会社側の強い意思の表れであった。
原告側は、そうした会社側の姿勢を指摘して、配転の不当な意図が示されていることを指摘した。また、控訴審段階では娘の病状をより詳細に主張立証した。原告の娘が生後間もない頃から心臓の難手術を繰り返したことや、被告会社への採用面接の直前に娘が大手術を終えたばかりであったことなどを主張し、勤務地が関西限定であるからこそ入社を決意したという事情をよりリアルに示すよう心がけた。
(二)和解期日の経緯
控訴審の裁判官は、早い段階から、原告を露骨に冷遇する会社側の姿勢に問題意識を抱いたようであった。そうしたなか、和解期日が数回開かれた。
原告は、「会社側が東京配転に固執するのは、難病の娘を持つ原告が退職せざるを得なくなることを知っているからである。会社側が、原告を物流部門に異職種出向させて差別的扱いを続けるという姿勢を改めないままでは、東京配転を前提とする和解には応じられない。いつ大阪に戻れるか不明であるうえ、大阪復帰後に調理職に配属される保証もないからである。」と主張し、会社側が原告への態度を根本的に改めることなしに本件の解決は不可能であると伝えた。
和解期日を担当した陪席裁判官は、「会社側の条件は、東京での勤務期間は長くて一年半だが、その期限や大阪復帰後の配属先は明示しない、とのことです。」と、会社側の主張をそのまま原告側に伝えてきた。会社側の姿勢そのものが和解解決の障害となっているのに、陪席裁判官はそれを批判しようともせず、解決の障害除去のため会社側を説得する態度も感じられなかった。このような和解期日では、およそ本当の意味の解決は図れない。原告側は、合議体または裁判長のイニシアティブのもとで会社側を説得していただきたいと求めた。
それ以後は裁判長が和解期日にも姿を現すなどして、会社側に不利な心証の示唆を含めて、力強い説得が行われたようである。裁判長は、和解期日の終盤に、「会社側は、一歩も引かない様子です。原告も大変でしたね。」と心情を吐露した。裁判官がどのような姿勢で和解協議に臨むかによって、方向性は異なってくるものだと再認識させられた。
六、控訴審判決の内容
控訴審判決は、東京配転も異職種出向も無効として、慰謝料一〇〇万円の支払いを命じる画期的な勝利判決となった(大阪高等裁判所平成一七年一月二五日判決)。
その内容は、以下のとおりである。
(一) 原告の勤務態度などについて
提訴後に作成された従業員の「報告書」は信用性に劣る。第一次的な責任を負うべき従業員が、マネージャーとして間接的な管理責任を負うにすぎない原告に責任を転嫁しようとして作成された可能性がある。
会社側が行った「調査」の過程には不自然な点があり、原告が他の従業員を畏怖させる問題行為を起こした事実は認めがたい。
ただ、従業員の食事代不払いを暗に承知した事実や、一八歳未満の従業員を深夜に働かせた事実は認定された(この点をもって、降格処分は有効とされてしまった)。
(二) 東京への配転命令について
ア 勤務地限定合意を認定
被告会社が関西地区で事業展開をした時期であったこと、採用面接時の原告の申し出などから、勤務地限定合意の成立を認める(本来なら、それだけで配転無効の勝訴となるが、判決は予備的に以下イ〜オの事項も判断した)。
イ 勤務先を配慮すべき「信義則上の義務」を認定
仮に勤務地限定合意が認められなくても、勤務地に配慮する意向を示した事実があり、できる限り勤務地を関西地区に限定すべき「信義則上の義務」があると認定。
ウ 東京配転の業務上の必要性を否定
研修目的の配転ならば、関西地区内でも可能。「他の従業員を脅迫した」という事実も認められないので原告を関西から遠ざける必要もない。
エ 東京配転による原告の不利益
難病の娘を介護する必要などを認定。不利益は重大。「東京に無償の社宅がある」という事実をもって、不利益が解消されることにはならない。
北海道コカコーラ事件(札幌地裁・平成九年七月二三日決定、労判七二三号六二頁)は、二人の娘が経過観察ないし発達遅延という事情を抱えていた事例で配転を無効としたが、本件も、心臓の難病を抱えた一人の娘を抱えた原告について適切な判断を行ったものとして高く評価できる。
オ 配転手続について
使用者は「予め、(1)配転が必要とされる理由、(2)配転先における勤務形態や処遇内容、(3)大阪地区への復帰の予定等について、控訴人(原告)に対し可能な限り具体的かつ詳細な説明を尽くすべきであった」と判断。こうした手続が履践されていないとしたうえ、「勤務地を関西地区にとどめるようにできる限りの配慮がなされたとも到底いえない」と指摘した。
配転命令について、労働者に対する一定の説明や情報提供義務を求める判例としては、メレスグリオ事件(東京高裁・平成一二年一一月二九日判決・労判七九九号一七頁)などがあるが、本判決は、さらに一歩すすめて「具体的かつ詳細な説明」を要件とする点で、配転命令によりいっそうの縛りをかけるものと評価できる。
以上のことから、本件配転命令は権利の濫用であると認められた。
(三) 出向命令について
ア 出向命令の法的根拠
「出向命令権の根拠としては、就業規則の包括的な事前合意で足りるといえるが、出向の場合、配転と異なり、労務提供の相手方や指揮命令権者が変動し、労働条件、キャリア、雇用の面で労働者に不利益が生じ得るから、出向命令を有効になしうるためには、さらに、当該出向の対象労働者との間で配転に関する個別の合意が成立しているか、就業規則又はその附則において、出向先の労働条件・処遇、出向期間、復帰条件(復帰後の処遇や郎等条件の通算等)に関する規定が整備され、その内容も労働者に不利益を被らせるものでないことを要する」、このことは「子会社等の関連会社(への出向)の場合でも異なるところはない」と判断。
本件では、そのような規定はないから、本件出向命令は法的根拠を欠き無効であると認定した。
イ 出向命令が権利濫用か否か
本来なら、前述アで出向命令を無効とした時点で勝訴となるが、本件では「なお、事案に鑑み、さらに、本件出向命令が権利の濫用になるか否かについて検討する」として判示が続いた。
原告は調理師資格を持ち、関西地区のレストラン部門という勤務職種の限定が認められるところ、これまでと職種を異にする職場へ出向を命じるものであるから、「職種を異にする出向の場合は、出向によって労働者に生じる不利益はさらに大きくなるおそれがあるから、被控訴人(会社側)としては、出向先での労働条件・処遇、出向期間、復帰条件等の具体的内容について、通常の場合に比してより一層十分な説明を尽くすべきものと解される」が、そのような説明がされた事実はない。よって、本件出向命令は権利濫用である。
異職種配転について、「特段の必要性」と「特段の合理性」、そして「これらの点についての十分な説明」がなければ異職種配転はできないと判示した事例は、直源会相模原病院事件(東京高裁平成一〇年一二月一〇日判決・労判七六一号一一八頁、最高裁にて確定=労判七七三号二〇頁)が知られている。本判決は、「異職種」であるうえに「出向」であることから、さらに「より一層十分な説明を尽くすべき」として、出向命令の要件を厳しくしたものであり、評価できる。
(四) 慰謝料請求について
東京への本件配転命令は、先述のように無効な配転命令であるうえ、配転の必要性、労働条件、勤務期間の説明もせず、「事実上は、被控訴人(原告)にとって退職を余儀なくさせられる内容」である。
また、物流部門への本件出向命令は、調理師免許を持ちマネージャー職まで経験した控訴人に冷凍庫での単純作業を長期にわたり担当させるものであり、「控訴人(原告)が強い屈辱感を覚え、かつ、見せしめのため他の従業員から隔離されたと受け止めるのもやむを得ない内容のものである。したがって、これらの命令により、控訴人が相当な精神的苦痛を受け、また現に受けていることは容易に推察されるところである」と認定。そのうえで、人事権を濫用してなされた不法行為であるとして慰謝料一〇〇万円の支払いを命じた。
(五) 降格処分について
紙数の制約のため詳細は報告できないが、前述のように従業員食事代の不払いを暗に承知していたことなどを理由として、本件降格は権利濫用ではないとされてしまった。
ある意味で裁判官は、配転無効について予備的判断も含めて完全に原告勝訴としたこととの均衡から、降格ついては会社側主張を取り入れるということで、いわば「バランスをとった」というようにも思われる。
七、最後に
以上のように、控訴審判決は、会社側が提出した証拠を精査して、その内容だけでなく成立過程までも吟味して信用性を否定するなど丁寧な事実認定を行ったために一審とは全く異なる結論となった。
法律論としても、東亜ペイント事件などの判断枠組みを機械的に当てはめることなく、事実経過に即した的確な判断がなされたと評価できる。
控訴審の和解期日における裁判官の姿についても述べたが、一審・控訴審を通じて、裁判官のあるべき役割を考えさせられる事件であった。
本件は、当初は石川元也、徳永豪男、坂田宗彦の三名の弁護団であったが、仮処分申立の後に、新人登録したばかりの中森俊久、大前治の二名が加入した。本稿の筆者(大前)などは未熟さゆえ至らぬ点も多々あり、思い出せば赤面するようなことも少なくない。
石川元也弁護団長をはじめとする先輩方と一緒の弁護団に加えていただき、長年の経験に裏打ちされた議論のなかで鍛えられながら、長大な準備書面を分担して書き上げ、高裁勝利判決を勝ち取れることができた。喜びに耐えない。
東京支部 鶴 見 祐 策
二月一九日、速記官制度を守る会の総会が開かれた。大阪の石松竹雄会長をはじめ各地から弁護士、速記官、書記官など裁判所職員、司法運動にかかわる人々が集まった。竹澤哲夫弁護士が「司法アーカイブズ 法制の現状と問題点」と題して講演された。訴訟記録が公正な裁判の基本であるばかりでなく、後世に残される歴史資料としても重要な意義をもつこと、そのため平成一一年に国立公文書館法が制定されたこと、これを国民の立場から有益に機能させることが重要であること、そのため記録作成に精通した速記官など裁判所職員が、記録の評価と収集に実務的な関与が必要であることを強調された。
運動の一年間の総括が行われた。二〇〇四年の速記官の配置は三五一名となった。九六年の八二五名に比べて半数以下となった。無配置の本庁は五(富山、金沢、福井、松江、那覇)、支部は一二に及んでいる。最高裁当局による新規養成を中止の結果である。本年は更に加速するであろう。三二〇名を割るおそれもある。全国の裁判所に速記官の配置を定めた裁判所法に違反する事態である。
いっぽう運動の前進も見られる。昨年三月の衆参両院の法務委員会が全会一致で「速記官が将来的に不安定な状況に置かれることのないよう十分な配慮をすべきである」と付帯決議をした。速記官の職責の重要性を認めて最高裁に再検討を促したのである。速記官は、国会、日弁連、大学、その他各種の集会の場で即時の文字化を披露してきたこともあり、電子速記技術の目覚しい進歩とその有用性が、広い範囲で知られるようになり、その努力がいま実りつつある。
最高裁の対応にも若干の変化が見られる。速記官が自費で輸入した機械ステンチュラの法廷持込を認めたのに続いて、昨年末には官物のパソコンに反訳ソフト「はやとくん」のインストールを容認するに至った。遅ればせとはいえ、これまで頑迷に近い当局の消極的な姿勢を思うと一定の前進と評価できよう。
導入される裁判員制度には多くの課題が残されているが、裁判の公正の確保には法廷記録の迅速な作成が不可欠であることは言うまでもない。裁判員を含めた評議の場には文字化された正確な逐語録が提供されなければならない。録音反訳では役立たない。判決後も記録は重要である。裁判員制度の健全な発達と定着には、研究者や司法関係者の客観的な素材による厳密な検証も必要であろう。国立公文書館法の活用につながる課題である。
総会は、次の提言をまとめた。「公正で正確な評議のための重要な制度的基盤として速記官の「速記録」を位置づける」「すべての裁判に正確な「速記録」を迅速に提供するため電子速記システムを基本とした新たな制度を確立する」「裁判IT化に適応したデジタルデーターによる記録の提供、聴覚障害者への情報提供など時代に即応した司法サービスの向上をめざす」これが今後の運動の柱となる。
二〇〇九年に新任の速記官を職場に配置するためには、本年一二月の定員法案に盛り込まれる必要がある。これからが重要な節目である。本年二月八日、速記官養成再開を求める団体署名五二四を最高裁に提出した。このなかには大阪をはじめ一一の弁護士会が含まれている。各地の団員による努力の反映でもあろう。公開の法廷と正確な客観的記録が公正の前提条件である。それなしに国民的な裁判批判は成り立たない。この問題の正確な認識と団員の意欲的な一層の取組みが望まれる。