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坂本 修 四月一五日、是非おいでください ―憲法問題全国活動者会議―
吉田 健一 五月集会案内特集(1) 山形・五月集会への参加を呼びかけます 平和と憲法の破壊を許さないために 活発な討論・交流を!!
三浦 元 山形かみのやま温泉で開かれる 五月集会にお越し下さい
松島 暁 五月集会分科会の持ち方に関する提案
竹澤 哲夫 横浜事件・再審開始確定 ―検察官の抗告棄却、再審公判へ―
菊池 紘 西武鉄道の体質は変わるか  ―助役降格事件で和解
飯田 美弥子 少年非行防止法制が招く怖い社会
田中 隆 「つくる会」教科書と地域戦
小野 万里子 ご支援いただいた皆様へ 白血病のアッバース君の急死にあたって




四月一五日、是非おいでください

―憲法問題全国活動者会議―

団長  坂 本  修

 団三月常幹で決定し、FAX送信などでもお知らせはしていたのですが、団四月常任幹事会の前日の四月一五日、団本部で『憲法改悪阻止闘争本部(仮称)』の立ち上げを兼ねた憲法問題全国活動者会議を開きます。「本部」設立は、今までの改憲阻止対策本部と、有事法制阻止闘争本部を合体し、いわば立体的・結合的に、改憲阻止に団が力を結集してたたかうためのものです。有事立法の具体化、生活安全条例の制定、自衛隊法「改正」など。改憲の先取りが目の前で進行しています。これらについて、放置しておいて、九条改正阻止のための国民投票での勝利を訴えているだけにするわけにはいきません。同時に、憲法改悪阻止のための半数以上の国民世論、その担い手としての多くの語り部=A多様な組織化を、時機を失せずに、誤解を恐れずに言えば「独自」に取り組む必要があると思います。そのことを急がねばならないでしょう。

 情勢をどうみるか、いま何をなすべきかをみんなで語り合い、こうした討論に基づいて、どんな名前、どんな構成の「本部」をつくり、「本部」はどう行動すべきかを決めたいのです。そして、新しい体制を活用して、全団的に行動を広げ、わずか一ヶ月少々ですが、行動の成果を持ち寄って、五月集会に反映させ、さらなる活動の拡大・前進を実現したいのです。 

 自由法曹団は、憲法問題について、さらにその根底にある「戦争をする国」「弱肉強食の新自由主義の国」とは何かについて様々な知識・理論を持っています。団は、この間、団外の学者、知識人、アジアの人々(とりわけ韓国の法律家)、NGOの人たち(とりわけ、GPPACの人々)などから多くを学びました。私たちの得た、いわば理論的財産を出しあい、共同財産にする討論をしたいものです。

 同時に、自由法曹団は、「広く人民と団結」してたたかう「行動の団体」です。この国の主人公である労働者・国民の「現場」のたたかいに、身をおき、そこから学び、エネルギーを得て活動するーこれはいうならば団の「特技」であり、「伝統」です。すでに、各地で団員は多様な行動を開始しており、各地での「九条の会」の組織でも、様々な学習会でも弁護士会内での世論形成でも、豊富な成果をあげています。是非、こうした活動を報告しあって、みんなの、これまた共同の財産にしたいと思います。なお、国民投票法に反対する運動をどうつくるかも、この時期の大事な問題です。

 困難な問題、また答えの見えない問題、思ったとおり進んでいない問題など心配な、あるいは悩み多いことはたくさんあります。団の活動にも、改善すべきこと、「空白」なことがたくさんあるに違いありません。そうしたことも、率直に語りあいたいと思います。

 改憲阻止、そしてこのたたかいを通じて「もう一つの日本」をつくり、アジアや世界とともに生きることは、戦後、団史上最大の課題です。私たちは、有利・不利両面を含めて、目の前の現実の条件を直視し、そこから、主に自らの力で道を切り開くことが求められているのだと思います。そのために、今団にとって必要なこと、そしてこれから一貫して必要なこととして、団員みんなの力を合わせる体制をつくり、前進することが大事だと確信します。

 その第一歩として、四月一五日の集まりをみなさんの力で是非成功させてください。そのことを心から願って筆をおきます。

 なお、「団通信」でのお知らせが遅れてしまったことをお詫びいたします。


五月集会案内特集(1)

山形・五月集会への参加を呼びかけます

平和と憲法の破壊を許さないために

活発な討論・交流を!!

幹事長  吉 田 健 一

 来る五月二二日・二三日、自由法曹団研究討論集会(五月集会)が山形県かみのやま温泉で開かれます。

 今日、改憲案づくりや国民投票法案など明文改憲を具体化する動きが着々と進められています。他方では、戦闘の続くイラクへ自衛隊の海外派兵が続けられる一方で、有事法制が具体化され、日米同盟が新たに強化されようとしています。しかも、国民は、リストラ、社会保障の改悪、増税など多大な犠牲を強いられ、自由であるべき教育現場に対する権力の介入も強められています。さらに、「テロ対策」に象徴されるように、「安全」という「公共の利益」のために監視カメラなどによる人権侵害が公然と行われ、ビラ配布活動に対しても次々と弾圧が加えられています。国民に有無を言わせない体制づくりが具体化されつつあると言っても過言ではありません。

 このように平和憲法のもとでつくられてきた社会の基本的な枠組みが、日米同盟やグローバル化・新自由主義「構造改革」などの名のもとに破壊されようとしているのです。

 私たちの日々の活動も、そのような動きの中でおこっている人権や平和に対する攻撃、憲法破壊に対するたたかいとして位置づけられると思います。九条の会の呼びかけに応えて全国的に広がっている運動など、新たな取り組みも始まっています。明文改憲を許さない国民的な運動に大きく発展させるためにも、力を集めて共同を広めることが急務となっています。

 今年の五月集会の全体のテーマは、『迫りくる戦争への足音、変質する「福祉」社会、憲法の破壊にどう立ち向かうか』です。平和や人権など様々な課題に対する活動を、改憲策動と一体となって進められる大きな動きのなかでとらえるとともに、改憲を許さないたたかいを発展させるために何が求められているかなど、率直に討論したいと思います。

 そこで、全体会では、日本において憲法研究に従事した経験もある李京柱(イ・キョンジュ)韓国仁荷大教授に「東北アジアの平和と日本国憲法九条」と題して記念講演をしていただく予定です。また、分科会では、私たちの取り組んでいる様々な課題を全体の動きの中で横断的にとらえ、活発な討論、交流を行いたいと思っています。そのために、T平和と改憲に関する情勢や取り組みについて議論する「平和の破壊と創造の分科会」、U労働・教育を含め国民生活の現場から社会全体の動きと権利闘争について議論する「『福祉』社会の破壊と再編の分科会」、V治安強化や弾圧の動きとこれに対するたたかいについて議論する「戦争と治安の分科会」という三つの分科会に別れて、報告・討論を進めることにします。

 また、前日の二一日には、プレ企画として「今日の状況と法律事務所建設の課題ーロースクール、団支部、共同事務所」をおこないます。あわせて、新人学習会や事務局交流集会も予定しています。

 また、集会後の二三日ないし二四日には新緑の山形をめぐる懇親旅行の企画も用意されています。

 全国の団員・事務局のみなさんが多数参加され、活発な討論が行われることを期待いたします。


山形かみのやま温泉で開かれる

五月集会にお越し下さい

山形支部支部長  三 浦  元

 今年の五月集会は、山形のかみのやま温泉日本の宿古窯で開かれます。東京駅からですとJR山形新幹線つばさで約二時間三五分山形駅のひとつ手前のかみのやま温泉駅下車、駅から車で約五分です。

 日本の宿古窯は上山市の南、静かな丘陸地に湧く葉山温泉の一角にあり、近代的設備の整った大規模和風ホテルで、日本の旅館百選ではトップクラスです。敷地内から奈良朝時代の窯跡が発見され、その窯跡はホテルの館内に保存されています。ホテルの名前はこれに由来し、絵付けのできるらく焼コーナーもあり、ここで絵付けのらく焼きが楽しめます。

 ホテルには展望抜群の屋上露天風呂や北前船の模型がある紅花風呂があります。ホテルから東を臨むと蔵王の山並みが見事であります。近くには上山城、斉藤茂吉記念館があります。温泉の泉質は弱食塩石膏泉、リウマチ、神経痛、関節痛、婦人病、打ち身、捻挫などに効能があります。夕食には米沢牛を準備しております。

 山形支部一同、準備万端を期して皆様の御参加をお待ちしております。


五月集会分科会の持ち方に関する提案

事務局長  松 島  暁

1 五月集会のテーマと分科会の持ち方について

 特別講演は、李京柱仁荷大教授の「東北アジアの平和と日本国憲法九条」です。一国の基本法(憲法)の運命が、広く世界(グローバル)や地域(リージョナル)の平和・安定に深く結びついており、李先生からは、朝鮮半島という東北アジアの視点から日本の憲法を語っていただきます。また、五月集会のテーマは、『迫りくる戦争への足音 変質する「福祉」社会 憲法の破壊にどう立ち向かうか』です。

 これまでの五月集会分科会が、委員会や対策本部ごとの課題をテーマとする、いわば「縦割り分科会」であったのに対し、本年度の分科会は、改憲日程の現実化、戦時体制ないし準戦時体制の進行、憲法的価値を実現してきた様々な制度やシステムの破壊という現実のもと、統一的テーマ=憲法的価値(平和、民主主義、平等、人権)の破壊とそれに対抗するわれわれの運動という切り口での「横断的」な討論をめざします。

 分科会は次の三つで、一日目二時間半、二日目二時間弱、計四時間通しの分科会です。

I 平和の破壊と創造の分科会・・・・平和と改憲に関する情勢や取り 組みについての議論

II 「福祉」社会の破壊と再編の分科会・・・・労働・教育を含め国民 生活の現場から社会全体の動きと権利闘争についての議論

III 戦争と治安の分科会・・・・準戦時下での治安強化や弾圧の動きと これに対するたたかいについての議論

2 平和の破壊と創造の分科会

(1) テーマ

 平和を破壊するものは誰か?われわれはそれにどう立ち向うか?ー平和の破壊、九条改憲阻止のたたかいを団はいかにすすめるか

(2) コンセプト

 世界の平和を基本的に攪乱しているのは誰か?ブッシュは「テロと核」だといいます。しかし、はたしてそうでしょうか?むしろ世界に対し「自由・民主主義・開かれた市場」という統一的価値を時には武力を用いて強要しようとしているブッシュ政権自体が世界を攪乱しているのでは・・・・。かつてアジアにおける平和の攪乱者は日本の軍国主義でした。憲法九条は、日本のナショナリズムの暴発を抑止してきたし、アジアにおける米国支配に対しても抑制的に機能してきました。九条改憲はこの抑制を取り払うものです。

 九条が改憲された後の「この国」と米国こそが東アジアにおける平和の攪乱者となる危険性が大きいのです。したがって「この国」において九条とその理念を守りきることこそが世界やアジアの平和構築にとっての最大の貢献です。今、各地に「九条の会」をはじめとした運動が広がりつつあります。自衛隊の海外派兵とイラク訴訟、基地闘争、戦後補償・責任問題などその現状を出し合い、運動の課題や進め方について議論します。

 同時に、わたしたちの運動も一国の枠を超え、国連や地域安全保障というグローバルあるいはリージョナルな動きと連動しています。GPPAC、COLAP、東アジア共同体構想も取りあげます。

(3) 討論の柱

 (1)米の世界戦略と日米同盟、平和の攪乱者は誰かーテロと核か

 (2)九条改憲をめぐる状況

 (3)憲法改悪と運動の現段階ー各地の運動、イラク訴訟など

 (4)平和を守る国際連帯ー国連、地域の安全保障構想

3 「福祉」社会の破壊と再編の分科会

(1) テーマ

 拡がる「希望」格差社会、戦後「福祉」社会はどこへ向かおうとしているのかー噴出する社会矛盾、労働・教育・市民のたたかいの現場から考える

(2) コンセプト

 戦後、新しい憲法のもと、人々は、憲法(二五条生存権、二六条教育権、二七・二八条労働権)を武器に憲法的価値の実現をめざし多くの成果を勝ち取ってきました。憲法九条のもと軍事費を抑制しながら、平等を大きな柱に不十分さや弱点をもちながらもそれなりに安定した社会、日本型福祉社会(真の福祉社会化といわれれば疑問はあるものの)を形成してきました。この社会が、グローバリゼーションや小泉「構造改革」のもと、乱暴に破壊されつつあります。人々の生活、生命、平等、権利を大事にする社会から、人々を企業や国の利益確保の手段、あるいは支配の対象とする社会への大変革が目論まれています。その究極にあるのが「国益のために戦争をする国」です。

 進行する「福祉」社会の破壊に対し、労働・教育・市民等の各分野で団は具体的事件を通してどのようにたたかっているのか、今後どのように立ち向かおうとしているかを議論します。

(3) 討論の柱

 (1)グローバリズム、構造改革によって破壊される「この国」の現状ー労働、教育、生活破壊を貫くもの

 (2)いま労働の現場で何が起きているのかー雇用の流動化と・時間規制の撤廃など財界戦略、公務労働のアウトソーシング

 (3)教育破壊とどうたたかうかー学校の株式会社化、競争原理の導入など教育「改革」と子どもの権利

 (4)壊される市民社会、それとどうたたかうかー居住のマネーゲーム化と借家法「改正」

 (5)壊される街と自然ーダムや道路建設による環境破壊、大規模再開発による「街」の破壊

4 戦争と治安の分科会

(1) テーマ

 戦争する国の治安政策ー戦時下・準戦時下における治安動向、われわれはいかに対抗するか

(2) コンセプト

 九・一一によって戦時国家化したアメリカは、対外的にはアフガニスタンとイラクを侵略し、内部に向かっては愛国者法による治安強化が図られました。その結果、NLG弁護士リン・スチュワートが連邦裁判所で実刑判決(六月に予定される量刑裁判では数十年の実刑といわれている)を受けるというショッキングな事態に立ち至っています。弁護活動に当たった弁護士がその行動を理由に犯罪とされたもので、かつての弁護活動=治安維持法違反を思い出します。「この国」においても、イラク派兵以降、既に戦時体制あるいは準戦時体制に移行したと治安当局者は認識しているふしがあります。その中での言論弾圧ー立川、堀越、葛飾、板橋ーが生まれています。

 さらに無謀な国家改造にともなうイライラ・社会不安、体感治安の悪化という漠然とした不安感を口実にした治安の強化が有事体制の整備と並行して進行しており、監視カメラ、生活安全条例、警察学校連絡制度等々での治安強化が進んでいます。しかもこれらの治安強化が国民世論の一定の支持のもとで進行している事態に団はどう立ち向うのかを考えます。

(3) 討論の柱

 (1)戦時下の治安強化ー九・一一以降のアメリカの治安と愛国者法

 (2)グローバル化の中の治安強化

 (3)戦時下の言論活動と治安ー頻発する弾圧事件と団のたたかい

 (4)「体感治安」の悪化と治安強化ー新たな治安政策と国民世論

 (5)安心安全という名の戦時体制ー東京石原都政の場合


横浜事件・再審開始確定

ー検察官の抗告棄却、再審公判へー

東京支部  竹 澤 哲 夫

 三月一〇日、東京高裁第三刑事部は横浜事件再審開始決定に対する検察官の即時抗告の棄却を決定した。これに対する検察官の特別抗告期限の三月一五日の経過を以て、再審開始は確定した。

 横浜事件再審の実現にはいくつも高いハードルや困難があった。?再審を請求するには、確定有罪判決(原判決)の謄本を添付しなければならないのに添付できない。第一、二次の再審請求はそのことの故に、いわば門前払い同然に棄却の憂き目にあっている。?判決謄本の添付ができないばかりか、訴訟記録も一切ない。?再審を求める本人(もと被告人)が次ぎ次ぎに他界して、第三次請求審の決定時(〇三・四・一五)、全部が死後再審となっていた。いくつもの困難な条件が重なる中での再審開始決定であり、今回の高裁による再審支持決定であり、再審開始の確定であった。

 免訴再審によって再審の扉をあけ、再審公判においては免訴判決ではなく、治安維持法違反「無罪」にゴールする。私たちの悲願であり、夢であった。そのゴールが一気に私たちの視野に入るところまで到達したことを示したのが、今回の再審開始決定の確定である。

 横浜事件再審の手続きは次の段階である横浜地裁第二刑事部における再審公判に移る。治安維持法違反被告事件としてはじつに六〇年振りの公判となる。なにを主張の柱とし、充実した立証を果たすか。史上まれにみる悪法、治安維持法はわが自由法曹団の多くの先輩にも多大の犠牲をもたらした。それらの諸先輩が存命なら、どんな指導を頂けるだろうか。そんなことも想像しながら、再審公判に臨みたい。戦争末期の最大の言論弾圧事件・横浜事件の全貌、治安維持法違反事件ねつ造にいたる経緯と実体、今回の決定も認定している特高、思想検事による拷問の実態、本件記録、判決原本等の焼却の経緯など、再審公判が公開の法廷で明らかにすべき事実と課題は多い。

 「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は常にこれを公開しなければならない。」は憲法八二条が但書を付してまで強調したことである。憲法第三章の一か条は、今回の決定が再審開始を支持する理由とした拷問の絶対的禁止の憲法三六条である。これらの憲法の規定は本件を含む治安維持法違反事件等の犠牲の上にもたらされたものである。

 本件裁判が国民の基本的人権の根幹に関わることを忘れることなく、治安維持法による犠牲救済をめざす諸々の運動の正しい前進と連帯に寄与できること、当面は本件再審公判における充実した主張と立証、それによって中身の濃い再審無罪の判決を勝ちとることに向けて努力したい。


西武鉄道の体質は変わるか

ー助役降格事件で和解

東京支部  菊 池  紘

 「堤前会長は逮捕されたが、西武の体質変わるか――『ぬれぎぬ降格』謝罪させた元助役語る」三月五日のしんぶん赤旗社会面に金田政彦さんの話がおおきな写真いりで掲載されている。

 一九九九年四月、西武秩父駅で、松坂大輔投手の西武入団記念テレホンカードの売り上げ七万二八〇〇円が紛失した。管区の助役としてお金を管理していた金田さんが疑われ、本社の管理職に「警察が入ってもいいのか。警察はテレビ以上厳しい取調べになる」「お金を渡していないのに渡したというなら、懲戒免職で退職金を支払わない」「管理者失格」「ぼけている」などとののしられ、退職を求められた。横領を否定し退職も拒否した金田さんは、助役から駐輪場担当に降格された。西武鉄道でも要のひとつとされる西武秩父駅の助役から、ものさびしい駐輪場への異動は、耐え難い屈辱をあたえ退職に追いやろうとする、見せしめの降格であった。

 ところが、二か月後、金庫の下から売り上げ金が全額でてきた。

 そこで助役への復帰を求める金田さんに、西武秩父駅菅区長は「いまさらなにを言うか」「一度下した処分は、会社の名誉にかけても撤回しない」と怒りだし、その願いを聞こうとしなかった。

 金田さんは、各自治体などの法律相談をまわりながらも、なかなか会社を相手にうって出ることはできなかった。何代にもわたる西武鉄道一家で、職場に複数の親族がおり、そこへの報復が懸念されたからである。しかし定年も間近になった二〇〇三年に提訴。この提訴には、私鉄連帯する会や西武革新懇の職場の労働者の支持があった。城北法律事務所への相談もこれらの労働者の紹介があったから。

 所沢地区労など支援の仲間たちは所沢駅頭の西武鉄道本社前でくり返しビラを配るとともに、不当降格の撤回を求めて集会をもち、デモ行進をした。

 降格の無効確認と損害賠償を求める裁判では、団員の大山勇一さんと武田志穂さんががんばった。その過程で降格に関する先例を集めてみると、規制緩和のこの一〇年で労働者がどれだけ資本の横暴に虐げられているか、想像をこえるものがあった。たとえば、外資系銀行の課長を受付業務に降格・配転したことを「元管理職の原告をことさらにその知識にふさわしくない職務につかせ、働きがいを失わせるとともに銀行内外の人々の注目にさらし、違和感を抱かせ、やがては職場にいたたまらなくさせ、みずから退職の決意をさせる意図の下にとられた措置」として不法行為の損害賠償を認めたバンコイリノイ事件東京地裁判決。同じような判決が東京地裁、大阪地裁で七〜八年の間に二〇件近く続いている。しかも裁判例は氷山の一角にすぎない。理不尽な降格を無効とする判決のやまを前に、この日本はどういう社会になっているのか、私たちは考えさせられることになった。

 裁判所は証拠調べを経て強く和解を勧告し、数ヶ月のやり取りを経て合意を見た。その骨子は、この配転に関し西武鉄道は金田さんに遺憾の意を表明し、解決金を支払うというもの。すでに定年退職していたので、降格の取消しは明示されなかったが、解決金は降格の差額賃金額をふまえたものになった。「一度下した処分を取り消すことはない」としていた西武が判決前の和解に応じたについては、この間の株名義偽装問題の拡大があったと見るのが妥当だろう。金田さんは「絶対君主のようにふるまう西武鉄道が謝るかどうか社員が注目している中で、会社が『遺憾の意』を表明したことは、私にとって大勝利。これから西武がどう変わるかが問題」といっている。

 西武・コクド事件を契機に、あらためて、ひろく企業の社会的責任が問われている。企業が社会的存在であり、環境対策、その透明性・情報開示などとならんで、人事評価の公平性、人権配慮が問われている。ここ数年の不当降格を否定する裁判例の積み重ねとあいまって、金田さんの名誉を回復した和解は、この問題を考える一例となった。


少年非行防止法制が招く怖い社会

東京支部  飯 田 美 弥 子

 ショッキングな少年事件の報道が相次いでいる。「子どもというものが、以前と違ってきているのではないか。」そういう意識からか、少年非行を防止するための法律整備の動きが活発になっている。

 しかしながら、(1)果たして本当に法律を「整備」する必要はあるのか、(2)必要だとして、今議論されている「整備」の方向は正しいといえるだろうか。

 立ち止まって、検証する必要がある。

2 法整備の必要性がない

 佐世保の事件や一七歳の少年が出身小学校の教員を死傷した事件など、世間の耳目を集めるような事件は、確かに起こっている。しかし、そうした事件は、一般の少年事件の傾向を反映したものなのか。そうでないとしたら、特殊な事件の防止を理由に、一般予防の施策を検討するのは誤っていると言わなければならない。一般予防の策を取っても、特別予防の実は挙がらないからである。

 では、少年法改正案が前提としているように、一四歳未満の触法少年事件は増えているのだろうか。そして、これまでの児童福祉法の枠組みでは、対応できない状況が生まれているのだろうか。客観的なデータを検討しなければならないのに、立法理由にそのような説明は見当たらない。

 ここで注意すべきは、データそのものの正確性も検討する必要があるということだ。「犯罪白書」の元執筆者である浜井浩一氏によれば、警察は、検挙率を上げたいときは自転車窃盗で数を稼ぎ、犯罪の認知件数を減らすという(「世界」三月号)。認知件数を増やせば、「犯罪が増えた」ような外形を作出することができるのである。

 立法側は、まず、根拠となるデータをきちんと提供すべきである。

3 整備する方向性が間違っている

 次に、現在、提案されているのは、警察による調査を認め、保護観察中の遵守義務違反を理由に少年院送致ができるようにし、また少年院送致年齢を引き下げるなどの少年法改正や、街頭補導活動に法的根拠を与えようというものである。

 このような立法によって、少年の非行抑止の効果があるとは思えない。以下に大きな問題点二つを指摘する。

(1)児童福祉の領域の切り捨て

 少年院送致の年限引き下げは、少年院の負担増加という量的な問題だけでなく、児童自立支援施設が担ってきた児童福祉分野の後退を意味する。

 これは、「一四歳未満の少年による犯罪」のとらえ方を、改めるということを意味する。

 つまり、一四歳未満はまだ人格の形成途上である。処罰では、その年齢の子どもの育っていくべき力にかみ合わない。拘禁施設に入れることで、社会性が養えないことは余りにも当然である。ある程度人格が完成し、批判能力も育っている一四歳以上と一緒に処遇することは実態に合わない。

 この年齢の犯罪は、家庭環境などの問題の発露であることがほとんどである。大切にされたことがない子どもに、他人を大切にしましょうと教えたところで、どうすればいいのかわかるはずがない。

 環境調整こそが、この年齢の少年の犯罪抑止のポイントなのである。そして、これまで、福祉的な措置で実績もあげてきていた。

 児童福祉の視点を切り捨ててしまうことは、少年の実態に合わないというべきである。

(2)警察官関与は不適当

 被害者のためにも、起こった事実を正確に調べるべきであるとの議論がある。しかし、そのための方策が、警察官による調査なのだろうか。警察官が調査をすれば、事実はよりよくつかめるのか。

 少年は、被暗示性が強く、表現力が乏しく、防御する力が弱い。聴取に特別な注意が必要であることは、これまでの法制の前提であった。

 他方、警察官は、犯罪捜査については専門的な修練を積んでいるが、児童心理などについての訓練は受けていない。

 警察の取り調べによって、少年がありもしない事件の「自白」をした例さえ報告されている。

 調査のためには、専門分野、たとえば児童相談所内に虐待対策班が作られて、実績をあげていることを参考に、触法少年対策班を作るなどの方策で対応すべきである。

 補導員に、法律上、継続補導や処遇選択の権限を与えるなどは、論外である。上述のように、認知件数が増え、非行少年を増やし、社会不安を増すだけである。

 提案されている法整備の底流にあるのは、非行少年に集団的な規律教育を施すことによって、次の非行を抑止する、という発想である。先にも指摘したが、少年が自ら育つ力を信じる、という児童福祉の視点は欠落しているか、大きく後退している。

 ハンセン病療養所では、療養者の子ども達が「未感染児童」と呼ばれて、差別された。少年非行防止の新しい法制は、いわば、子ども全体を「未非行少年」として警戒し、監視する姿勢、「未感染児童」に対するのと同じ不信の姿勢である。

 また、学校・警察相互連絡制度もある。

 こうした「法整備」がなされた後の社会を、私は、怖いと思う。

 学校で教師が生徒に、「そんなことをすると、警察に通報するよ」と言い、子ども達は相互に「アキラくんたら、いけないんだあ。おまわりさんに言ってやるから。」と言い合うのである。警察官は連絡を受けて、子どもを継続的に観察する。「お、今日は帰りが遅いな。何か悪いことやってないか?」子ども達は、警察官のそうした問いに曝されることになる。

 この仕組みで犯罪は抑止されるのか。

 私には、憲法改正・教育基本法改正と軌を一にした、物言わぬ、犯罪だけはしない、従順な国民作りの一環に見えてしかたがない。


「つくる会」教科書と地域戦

東京支部  田 中  隆

1 二〇〇一年夏……あのとき教科書闘争があった

 「新しい歴史教科書をつくる会」が採択をねらった中学用歴史・公民の教科書を、全国五四三採択区(当時)がすべて拒否したのは二〇〇一年夏。養護学校等に持ち込んだ石原都政の孤立突出等はあったものの、「採択率一〇%」をめざした「つくる会」からすれば完敗という結果であった。

 「つくる会」教科書を阻止するために、東京支部と都下の法律事務所は地域諸団体に緊急提起して地域闘争を展開した。全国各地でも、法律家アピール運動や公民教科書批判意見書の提出行動などの活発な活動が行われ、「ローカル県」では弁護士の活動が大きく報道された。東京支部と自由法曹団の活動は、支部と本部のプロジェクトがとりまとめた二冊の報告集にまとめられている(東京支部「二〇〇一夏 熱き教科書」、本部「『つくる会』教科書にNoを!」)。

 教科書闘争とは、憲法問題であるとともに教育問題であり、この国の加害責任を問うたたかいの性格をも帯びたたたかいであった。教科書闘争を通じて侵略戦争・加害責任の意味を問いかけた〇一年夏とは、「九・一一事件」を機に世界が反テロ戦争になだれ込む直前の時期、東京支部はネオ・ナショナリズムを突出させた石原都政との渡り合いを続けていたが、この国全体としてみれば「穏やかなとき」のなかにあった。

 あの夏から四年、世界と社会は大きく変動した。海外派兵と有事法制で「安全保障」が前面に登場し、随所で「公」や「共助」の強調が続き、「テロの脅威」や「北朝鮮の不安」がナショナリズムに火をつけつつある。あのとき「つくる会」の孤立主張の観のあった国旗・国歌や国防の義務は、いまや教育攻撃・憲法攻撃の焦点になろうとしている。これが、これらの動きに真っ向から対峙してきた自由法曹団が教科書問題に参戦せざる得ない理由であり、東京支部が再びプロジェクトを立ち上げた理由である。

2 「改憲イデオロギー教本」=公民教科書

 扶桑社から発行される予定の〇五年版歴史・公民教科書は、いま文部科学省の検定に供されている。検定が終わるのが三月末、四月中下旬には「修正意見を受けて入れて修正した見本本」が登場してくるはずである。その見本本が全国の教育委員会に送付されて検討が開始されるのが五月、学校・学科担当者などの研究・検討や教科書展示が行なわれるのが六月、研究・検討を踏まえて採択手続が行なわれるのが七〜八月。スケジュールはすでに確定している。

 重視すべきは、情勢の面でも「つくる会」の戦略の面でも、「歴史」と「公民」に位相の違いが存在すること。神話と歴史を混同し、侵略戦争を正義の戦争のように描き出し、その合理化のために「自虐史観」排撃と「物語としての歴史」を前面に押し出す……この〇一年版歴史教科書の基調は「改訂版」とされる〇五年版でも変わるまい。

 これに対し、検定申請されている公民教科書は「新訂版」であり、「内容も一新し、執筆者も大幅に変わった」というもの(「つくる会」機関誌「史」〇四年七月号)。その「新訂版」が、この四年間の世界とこの国の政治状況・イデオロギー状況等を取り入れたものになるのは必至だろう。過去を語る「歴史」がそのときの政治情勢に左右されないはずなのに対し、現在を語る「公民」にはダイレクトに政治が反映するからである。

 前記の「史」によれば、公民教科書のポイントは、「伝統文化の承継者としての子ども」「国防の意義、自衛隊の現実」「天皇・皇室の位置づけと国旗・国家」「大日本国憲法と日本国憲法を同列に扱う」「家族の意義とジェンダ・フリー批判」などとされている。これが、いまこの国を覆おうとしている改憲イデオロギーであることは多言を要すまい。教科書問題とりわけ公民教科書の問題は、改憲イデオロギーそのものなのである。

 歴史教科書と歴史認識が中心論点のように取り上げられ、海外からの批判も歴史教科書に向けられることから、公民教科書への批判がなおざりにされる傾向が生じかねない。だが、「改憲イデオロギー教本」と言うべき公民教科書採択の深刻さは、歴史教科書にまさるとも劣るものではない。この改憲イデオロギーを正面から叩くのは、歴史家ではなく法律家の役割。全面批判を機敏に行なうため、東京プロジェクトはすでに公民教科書批判意見書の準備に入っている。

3 いま地域戦のとき……国家改造・改憲との「草の根」での対抗

 市町村立中学校については五七二の採択地区(教育委員会あるいはその協議会)、養護学校・中高一貫校については都道府県教育委員会が教科書採択を行なう。この土俵で「つくる会」教科書の採択を阻止するたたかいだから、教科書闘争は最初から最後まで地域が主体となった闘争。クローズアップされるのは首長や教育委員会の姿勢であり、地域の市民運動・平和運動・教育運動・憲法運動などの蓄積と力量であり、その地域への法律事務所や弁護士のかかわり方となる。

 「生活安全条例」や警察・学校相互連絡制度など、地方自治体や教育委員会が焦点となる課題もめずらしくはないが、憲法と教育にかかわる同じ問題についてすべての地域、すべての教育委員会で同時に雌雄を決するたたかいは教科書問題をおいてほかにはない。

 その地域や地方自治体は、いまや国家改造の策動、改憲の策動との対抗の主戦場となろうとしている。三年がかりで強行された有事法制は法律レベルでの整備を完了し、自治体レベルの国民保護計画によって地域社会を臨戦態勢化しようとする段階になっている。全国に広がった「生活安全条例」は監視カメラ・民間パトロールの網を張りめぐらせ、「体感治安の悪化」を口実に地域や学校を監視社会に変えつつある。その学校が、「自由」の名による徹底した競争化・差別化と自由を圧殺する管理統制強化のもとに置かれていることも多言を要すまい。これらはすべてこの四年間に顕著に浮上した動向であり、日々地域社会を変貌させつつある動向でもある。

 これら「草の根」レベルで進行している動きの本質を捉え、「草の根」レベルで対抗できる戦線を構築することは、改憲策動に対抗する力を「草の根」から生み出していくうえでも決定的な意味をもっている。地域が主戦場となろうとする時代の教科書闘争とは、それぞれの地域での改憲阻止闘争の前哨戦にほかならない。

(二〇〇五年 三月一五日脱稿)


ご支援いただいた皆様へ

 白血病のアッバース君の急死にあたって

愛知支部  小 野 万 里 子
(セイブ・イラクチルドレン・名古屋 代表)

 二月六日、白血病のイラク人少年アッバース君(六歳)がイラクで急死しました。

 湾岸戦争時に劣化ウラン弾を浴びた戦車隊兵士を父に持ち、高度放射能汚染地域であるバスラで生まれ育った、典型的な現代型戦争の犠牲児でしたので、私どもも何とか救命したいと取り組んできましたが、残念な結果になりました。

 主治医のフサーム医師によると、死亡時の状況は以下のとおりです。

 (1)アッバースは帰国以来ずっと元気にしていた、

 (2)死の前日の二月五日も、日中はいつものように兄弟たちと元気よく遊んでいた、

 (3)その夜高熱を出し、明け方にはけいれんも始まったため、病院に搬送された、しかし、来院時にすでに意識はなく、呼吸にもノイズが発生していて、手をつくしたものの、午前一〇時にそのまま息を引き取った。

 (4)死因は、感染性の髄膜炎を疑うが、あまりに短時間の容態急変で、断定できない。

 日本全国からのご支援で、小児白血病の分野では世界のトップクラスとされる名古屋大学病院で治療でき、経過良好で帰国した彼をも、結局救命することはできませんでした。

 バスラでは、劣化ウラン弾によると考えられる白血病の子どもたちが激増していますが、発病後アッバース君のように長く(と言っても、わずか一年九ヶ月間ですが)生きられている子どもはほとんど皆無です。彼は、「まだ生きている」と、他の白血病の子どもたち、そして治療にたずさわる医師らの希望のシンボルでもあったそうです。

 そのようなことも併せ考えると、無念で無念で、言葉が出ません。今なお平然と劣化ウラン弾を使い続ける側に、この思いをどうやったら伝えられるのかと途方に暮れます。

 アッバース君は、「イラクジン ダカラ イラクニ カエルヨ バイバイ」と日本語で言って帰国しました。そう、彼はイラクの子だったから、ほかのイラクの子たちと同じように死んでいったということなのでしょう。彼の後ろには、何千人もの死にゆく「アッバースたち」が列をなしています。私たちは、これ からも「アッバースたち」を助けるために活動を続けていきます。

 どうか、皆様も、折にふれ、彼のあの大きな目を、ツルツルのあの頭を、思い出してあげて下さい。そのことが戦争も劣化ウラン兵器もない平和な世界を作っていくための礎になると、私どもは信じています。

 アッバース君をはじめイラクの子どもたちへのこれまでのご支援、まことにありがとうございました。そして、今後とも引き続いてのご支援をよろしくお願いいたします。

(追記)

後日、アッバース君の両親から、悲しいあいさつが届いています。

日本の皆さん、アッバースの治療を応援していただいた皆さん。

 アッバースは亡くなりましたが、たいへん幸せな子どもでした。日本で治療していただいたおかげで、イラクに帰ってからはたいへん健康で、亡くなる直前まで全く苦しむことなく、突然のように静かに息を引き取ることができたからです(注・イラクの白血病の子どもたちは、苦しみ抜いて死んでいっている)。

 イラクにもどってからのアッバースは、とても元気で、体も大きくなり体重も増えていました。もとのきれいな色の髪が伸びて、目は輝いていました。少し大人びた感じで、私たちおとなと一緒にイスラムのお祈りもできるようになってきていました。

 私たちは、アッバースを守るために細心の注意を払っていたのですが、残念ながら、死という悲しい結末を避けることはできませんでした。人間の死の問題である以上、私たちの意思やどんな医学の手も及ばないことだったのかもしれません。

 イスラムの夭逝したすべての子どもたちがそうであるように、アッバースも鳥のようにとびたって天国で安らかに過ごしている、と私たちは考えています。私たちは、今もアッバースを想い続けて、そして、アッバースの純粋な魂を感じています。

 本当にありがとうございました。

アッバースの母アヌワル・父アリ