過去のページ―自由法曹団通信:1170号      

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谷萩 陽一 「開示証拠の使用等に関する規程(案)」について
河野 善一郎 公選法・大石事件 エリザベス・エヴァット女史証言成功 戸別訪問禁止、文書配布規制、事前運動禁止は、自由権規約一九条、二五条に違反する
前川 直善 住基ネット五・三〇金沢地裁判決
泉澤 章 光 州 へ の 旅 (中)
河内 謙策 二一世紀の東アジアと日本国憲法(下)
永尾 廣久 「市民の司法は実現したか」
笹本 潤 世界の平和メカニズムとなっている憲法九条の危機を世界に広めよう




「開示証拠の使用等に関する規程(案)」について

茨城県  谷 萩 陽 一


 このたび、日弁連執行部から、「開示証拠の使用等に関する規程(案)」が六月の理事会に提案された。承認されれば総会にかけることになる。

 私は、この案を作る日弁連裁判員制度実施本部のPTに所属していたので、関係者が精力的に議論し、様々な紆余曲折を経て、度重なる改訂を経て成案を得るに至ったことはよくわかっているつもりである。

 しかし、それでもなお、私自身としては最後まで賛成できなかった点がある。PTのメンバーでありながらこのような形で意見を述べる事への批判があれば甘んじて受けるつもりであるが、団員の皆さんには問題の所在を認識していただいたほうがよいと思い、あえて投稿させていただいた。

 問題は、規程案の第六条、開示された証拠を、被告人・関係人以外の者に交付等する場合の規定である。規程案では、「特段の事情があって、関係人でない者(略)に審理準備等に必要な情報を得る目的で交付等するときは、その目的のために必要な限度でしなければならない。」とされている。「審理準備等に必要な情報を得る目的」に限定されており,例示列挙ではない。

 ここにいう「必要な情報を得る目的」とは、典型的には、事故の目撃者を探すために実況見分調書の一部を交付する、といったものが想定されている。同「目的」による交付のときは、この六条所定の注意をすればよいが、それ以外の「目的」では、そもそも交付すること自体が、開示証拠の利用方法として許されない、というのがこの規程の立場なのである。

 ところで、改正刑訴法第二八一条の四第一項では、審理準備目的以外での証拠の交付を禁じている。ただし、その違反行為に対する措置にあたっては、同条第二項に定める諸事情を考慮することとされている。

 いうまでもなく、冤罪支援活動では、証拠そのものを支援者に交付して、無実の確信を広める活動がさかんに行われる。また、弁護団から提供された証拠類を詳細に検討した成果を学者やジャーナリストが著作とすることもある。私も関係している布川事件では、再審段階で新たに開示された「毛髪鑑定書」の映像が、無実の新たな証拠として全国に放映もされた。

 私としては、このような証拠の利用は、あくまで無罪判決を得るための審理準備目的によるものとして、改正刑訴法第二八一条の四第一項に違反しない、と主張すべきと思っていた。そもそも世論が裁判を動かすものではない、という裁判所・検察庁の立場からはともかく、弁護士の立場からは、支援者への交付は立派な「審理準備」目的である。

 しかし、今回の規程案によると「情報を得る目的」以外は「審理準備目的外」である、と日弁連自ら規定してしまうことになるのである。

 執行部等は、支援活動等への利用は、「審理準備目的外」であっても、改正刑訴法第二八一条の四第二項で違法でないとされるから問題ない、との立場である。規程案第七条一項にも、同旨の規定が置かれた。しかし、日弁連の再審支援事件では、事件委員自ら、支援者に必要な証拠を交付して、支援活動に協力している。こうした活動を日弁連自身が、「形式上は違反である」と規定するような規程を作ってしまってよいのだろうか、せめて「審理準備等に必要な情報を得る目的」に「等」を付けるくらいの修正はできないのだろうか、という意見を提出したが、上記PTでは採用されなかった。

 この規程案は、検察庁が開示証拠の不当な使用のおそれを理由に証拠の開示に消極的になることを防ぐことがねらいとされている。しかし、上記のような「修正」をしたとしても、それだけで、検察庁が証拠開示を消極的にする理由になるとは思われない。

 団員の皆さんはどうお考えになるだろうか。



公選法・大石事件

   エリザベス・エヴァット女史証言成功

 戸別訪問禁止、文書配布規制、事前運動禁止は、
自由権規約一九条、二五条に違反する

大分支部  河 野 善一郎

 六月二七日ついにエヴァット女史の証言が実現した。七一歳の高齢ながら長身の背筋はまっすぐ伸びて、黒のスーツに白のドレスシャツ、肩から胸元にかけて大きな金の鎖を下げた姿は気品に満ちて、人間の尊厳を守る人権を語るにふさわしい証言者の品位を顕わしていた。事前に詳しい意見書と追加意見書を書証として提出していたので、尋問は、(1)経歴(2)証言を引き受けた目的(3)規約人権委員会の権限と強制力(4)委員会の解釈権限と国内裁判所の解釈(5)委員会の依拠する解釈原則と姿勢(6)規約一九条の三つの要件(7)比例原則(8)選挙活動の権利性(9)戸別訪問禁止と規約一九条、二五条の適合性(10)同じく文書配布制限との適合性(11)選挙運動期間の定めと事前運動の禁止の適合性(12)ペナルティー(当選無効)について(13)日本の裁判官に望むこと等の項目に絞った。午前一〇時から昼食休憩を挟んで午後四時まで、弁護、検察各二名の法廷通訳を介してびっしり尋問したので、女史は相当お疲れのようだった(弁護側通訳は、鈴木麗加団員(三多摩)、菅充行弁護士(大阪・団外)に引き受けて頂いたが、尋問事項が二転三転して土壇場までご苦労をお掛けした・・)。

 証言内容は、後日証言調書を出版する予定なので、乞うご期待。 要旨は(3)委員会は締約国における規約の実施を監視する機関であり、締約国は規約に定める人権を国内で尊重し確保する義務がある。(4)委員会は規約を統一的に解釈する権限を持つ唯一の国際機関である。締約国はウィーン条約に従って、規約の趣旨・目的に照らして誠実に解釈しなければならず、国内法に依拠して規約の不履行を正当化してはならない。締約国の裁判所は、委員会の表明している規約の解釈に従って解釈する義務がある。これは選択議定書を批准しているかどうかに関わりない。(5)委員会は、規約上の権利には十分な意味を与え、制限は厳格に解する態度を堅持している。(6)規約一九条は、表現の自由を制限する場合は「法律により定められた」「目的のために」「必要なもの」に限る、という三つの要件を課している。必要性の判断は厳格であり、かつ国家が具体的立証しなければならない。(7)制限の範囲を決定するに当たって、委員会は主に比例原則を採用しており、目的と制限は比例しなければならない。目的に照らして制限が広い場合、他にも手段がある場合、目的達成に効果的な関連がない場合は、いずれも比例原則に反する。(8)選挙活動は規約一九条、二五条で保障されている権利である。二五条で保障されていないとした祝事件広島高裁判決は誤りである。従って一九条、二五条の両方の要件をクリアーしなければならず、一九条に違反する制限は、当然に二五条の「不合理な制限」になる。(9)戸別訪問と買収は関連性がない。買収選挙が横行する東南アジアの国でも戸別訪問は禁止されていない。私生活の平穏は制限目的に値しない。断る自由があるし、商業、宗教活動の訪問が禁止されていないのに選挙活動のみ禁止する目的は正当ではない。(10)オーストラリアでは、選挙用文書は自由であり発行者の氏名を記載して選挙費用に計上させる。選挙費用の抑制目的で文書の種類や枚数を制限するのは比例しない。相手候補を誹謗中傷する文書の氾濫は、それ自体を規制すれば足りる。(11)選挙運動期間の設定と期間中の運動禁止は関連しない。議員はいつでも支持を獲得しようとするものであり、これを制限するのは一九条に違反し、二五条の不合理な制限に該当する。(12)事案の内容を問わず、有罪なら当選無効となるペナルティーは不合理きわまる。表現の自由を行使した行為にこのような罰を与えるのは委員会は認めないであろう。(13)規約が定める個人の人権を保障するのはまず国内裁判所の責務である。委員会の解釈に従って大石氏の権利が保障されることを要望する。

 当日は二〇〇名の支援者が集まり、八〇名収容の傍聴席は午前午後の二回に分けて埋められた。エヴァットさんはお疲れを押して弁護士会館で行われた報告集会にも顔を出され、人権規約の普及のために機会を与えられたことを光栄に思い、多くの人々が人権を守るために活動していることに感激したと逆に我々を激励された。使命感にあふれる高潔なお人柄に接して、私は思わず涙してしまった。

 あと七月被告人質問、八月論告、九月最終弁論が控えており、最後の詰めを完璧に仕上げなければならないと決意を新たにしている。



住基ネット五・三〇金沢地裁判決

北陸支部(石川県) 前 川 直 善


 本年五月三〇日午前一〇時、金沢地裁で住基ネット訴訟の判決が言い渡されました。

 原告らの住基ネットからの離脱を認める判決で、主文、理由の要旨と言い渡しが進むにつれて、私も胸が躍り、傍聴席も歓喜にざわめきたっていました。

 この判決は、当日の全国ニュース、全国新聞でも報道されたことから、すでにご存知の方も多いことと思われますが、画期的な判決であったことから、現地弁護団の私の方から(催促を受けて)概略のご報告をさせて頂こうと思います。

 国、石川県、財団法人地方自治情報センター(地自センター)を被告として原告らの住基ネットからの離脱と慰謝料を請求したこの金沢訴訟を提訴したのが二〇〇二年一二月一九日で、強力な全国弁護団のご支援を受けながら本年二〇〇五年三月四日に結審し、五月三〇日の言い渡しがあったのが今回の判決です。

 今回、言い渡された判決は、(1)被告県は、住民基本台帳法第三〇条の七第三項別表第一の上欄に掲げる国の機関及び法人に対して原告らに関する本人確認情報を提供してはならない、被告地自センターに対し本人確認情報処理事務を委任してはならない、被告地自センターに対し原告らに関する本人確認情報を通知してはならない、原告らに関する本人確認情報を保存する住民基本台帳ネットワークの磁気デイスクから削除せよ。(2)被告地自センターは、被告県から受任した原告らに関する本人確認情報処理事務を行ってはならない、原告らに関する本人確認情報を保存する住民基本台帳ネットワークの磁気デイスクから削除せよ。(3)原告らの被告国に対する請求並びに被告県及び被告地自センターに対するその余の各請求(慰謝料請求)は棄却するというものでした。

 住基ネットは、ご存知のように、住民が、転入・転居等の事由が生じたために市町村に届け出た情報のうち、氏名・住所・生年月日・性別の四情報と、市町村長が記載した住民票コード及び変更情報の六情報(本人確認情報)を、市町村長が都道府県知事に通知し、さらに都道府県知事がこれらを地自センターに通知し、地自センターがこれらを国の機関又は法人、都道府県の区域内の市町村の執行機関等に提供するというシステムです。

 この住基ネットの運用について、今回の判決は、その理由の中で、まず、プライバシーの権利はいわゆる人格権の一内容として憲法一三条によって保障されており、自己に関する情報の他者への開示の可否及び利用、提供の可否を自分で決める権利、すなわち自己情報をコントロールする権利がプライバシーの権利に重要な一内容として含まれることを確認しました。

 そのうえで、本人確認情報もプライバシーにかかる情報として自己情報コントロール権の対象となることを明らかにしたうえで、本人確認情報の一部は秘匿を必要とする程度が相当に高く、住基ネットのセキュリテイは不正アクセスや情報漏洩の具体的危険があるとまでは言えないものの抽象的な危険は否定できず、住民票コードをマスターキーとして名寄せがなされると個人情報が瞬時に集められ行政機関の前で丸裸にされるが如き状態が生じたりその具体的危険があると住民が認識すれば萎縮的効果が働くことから住基ネットの運用によって個人の人格的自律を脅かす具体的危険があり、住基ネットの運用によるプライバシーの権利の侵害は相当に深刻であるとしました。

 現代社会におけるプライバシーの権利の重要性に鑑みると、現在の住基法による住民基本台帳の一部の写しの閲覧や住民票の写し等の交付を定めた規定自体の相当性も再検討すべきものであることも述べています。

 そこで、いかなる場合に、住基ネットの運用が許されるのかという点について、住民がプライバシーの権利を明示または黙示に放棄した場合のほかは、プライバシーの権利を放棄していない住民との関係では、住基ネットの運用によって達成しようとしている行政目的が正当であること、住民のプライバシーを犠牲にしてもなお達成すべき高度の必要性があることを必要としました。

 そして、住基ネットの「行政の効率化」という目的自体は正当な行政目的であるが、住基ネットが住民のプライバシーの権利を犠牲にしてまで達成すべき高度の必要性があることについてはただちに是認できないこと、原告らのプライバシーの権利と比較衡量するのは住基ネットの運用の必要性ではなく、希望者の離脱を認める住基ネットでは足りず、住民基本台帳に記録されている者全員を強制的参加させる住基ネットでなければならない必要性であり、その必要性は、行政コスト削減の所期の目的を全うすること、離脱者の把握のために要するコストを回避すること等に限られるところ、これが原告らのプライバシーの権利を犠牲にしてもなお達成すべきものとは到底評価できないものであることを明らかにしています。

 それ故に、自己のプライバシー権を放棄せず、住基ネットからの離脱を求めている原告らに対して適用する限りにおいて、改正法の住基ネットに関する各条文は憲法一三条に違反するものと判断しました。

 この判決以前の住基ネット訴訟では、原告側の敗訴が続いており、自己情報コントロール権を含めたプライバシー権が憲法上の権利であることを明確に確認したうえで、住基ネットの問題点を実質的検討し、プライバシー権からの論理を積み重ねて、憲法問題に正面から判断を示したこの判決は、これまでの住基ネット訴訟判決の流れの中では、極めて画期的な内容で、これまでの判例の流れにスットプをかけ、判例の流れを逆転させてゆくための契機になりうるものではないかという気がします。

 この判決の翌日に名古屋地裁では原告敗訴判決が出されていますが、金沢地裁判決の実態を直視した憲法判断は現在係属中の訴訟への影響力をまだ失ってはいないように思います。

 今も全国各地の裁判所で住基ネット訴訟が係属しており、今後続々と判決が出てくる予定ですが、今回、住基ネット訴訟で初めての違憲判決が出されたことは、全国各地の原告を勇気付けたであろうことは間違いなく、今後、各地で違憲判決が積み重なり、事態が打開されてゆくことを期待するところです。

 金沢地裁判決については、これから控訴審が控えていることから、今後も、引き続き、全国弁護団のご支援をいただきながら、頑張ってゆきたいものと思います。



光 州 へ の 旅 (中)

東京支部  泉 澤   章


 バスがソウル市内を抜けると、車外の風景は畑や田んぼの風景へとかわってゆく。最初に光州へ行くことになったとき、できればソウルから韓国版新幹線に乗ってゆきたいと思ったが、新幹線は光州まで延びておらず、途中在来線に乗り換えたりすると、高速を使うのと時間的にあまりかわらないとのこと。飛行機を使った場合どうなのかは知らないが、陸路で光州に入ろうとすると、ソウルからのアクセスは非常に悪い。聞けば、反体制の地盤になってきた光州を含む全羅南道は、長い間中央政権から敵視され、恣意的に社会基盤の整備を遅らされてきたのだという。最近は地方政治の改革もすすんでいると聞くが、韓国ではいまノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領の首都機能移転政策が大きな論争となっており、これからも地方の基盤整備は大きな問題として残るのだろうかと思う。

 出発から二時間ほど経ったころ、サービスエリアで昼食ということになったが、食堂だと時間がかかるということで、用意してきたお弁当を食べた。弁護士とその家族(子どもたちも数人)二〇人ほどが、木陰の下や芝生のうえにシートをひき、車座になってお弁当を食べる様子は、まるでピクニックにでも来ているようだった。

 更に一時間半ほど走った後、我々を乗せたバスはやっと光州市内へと入った。

 光州市内へ入ったバスは、光州事件のシンボルでもある旧道庁を抜け、民弁総会のプレシンポとして、午後から日韓合同シンポジュームが開催される予定の、五・一八記念文化館に向かった。この施設は、韓国では「五・一八民主化運動」と呼ばれている光州事件の記念事業の一環として、五・一八記念文化センターの敷地に建設された新しい建物である。光州市内に光州事件当時の面影を残すものはほとんど無くなってしまったということだが、かわりに、最近は政府によって大規模な記念施設が続々と建設されているようだ。韓国政府、国民の光州事件に対する評価が、民主化以降、大転換したことが良く分かる。

 ところで、いまの二〇代、三〇代の団員は、光州事件と言われてもピンと来ないかもしれない。かくいう私自身、光州事件発生当時は中学生で、数珠繋ぎに連行されている学生たちのニュース映像を、おぼろげながらに記憶しているくらいだった。

 なぜ、韓国の人々がいまも光州事件を重視し、民主化のシンボルと考えているのか?ここで、日本語で書かれた解説書「五・一八光州民衆抗争」(光州広域市五・一八史料編纂委員会編)をもとに、光州事件の概略について説明したいと思う。

 一九六一年に軍事クーデターで権力を握り、その後一八年間続いたパク・チョンヒ(朴正熙)大統領の軍事独裁政権は、一九七九年一〇月二六日のパク大統領暗殺によってひとまず幕を下ろす。しかし、パク・チョンヒ暗殺後の権力の空白を縫って政権を握ったのは、またしても軍人のチョン・ドファン(全斗煥)であった。後に大統領に就任するチョン・ドファンは、パク・チョンヒの軍事独裁政権を引き継ぎ、民主化要求を軍事力で弾圧する姿勢を明確にしたが、一九八〇年春には、大学を中心に全国で民主化デモが発生していた。一九八〇年五月、当時野党大統領候補で後に大統領となるキム・デジュン(金大中)の地盤光州市では、学生・市民による民主化要求のデモが大規模に繰り広げられ、その波は日を追うごと大きくなっていった。五月一八日、政府は戒厳軍を導入し、デモに対して力づくで鎮圧することを決定したが、軍による実弾発砲による死者が出るに至り、市民も銃をもって対抗する市街戦状態となった。光州市は一時、市民の統治によるコミューンの様相を帯びるが、結局、戦車を先頭に本格的な鎮圧に乗り出した軍に対抗できず、蜂起から一〇日後の五月二七日、全羅南道庁が軍隊に制圧されることによって、光州事件は終わりを遂げた。そして、軍事政権時代には、光州事件は「容共勢力により煽動された不純分子の暴動」であるとして、国民に真実を告げることも抑圧し、政府発表で約二〇〇人といわれる犠牲者をきちんと弔うこともできなかったという。

 しかし、民主化を求めて多くの市民が蜂起し、軍事政権に敢然と抵抗した光州事件の教訓は、一九八〇年代後半から本格化する民主化の過程において、再評価されはじめた。そして、文民大統領の時代になり、正式に事件の真実を調査するに至って、現在、光州事件は、韓国の「民主化闘争における金字塔」という評価を受けている。

 いまなら、「北=軍事独裁政権」で「南=民主主義政権」というイメージが一般的かもしれないが、わずか二〇数年前までは、南も軍事独裁政権だったのだ。そして、そこで命がけで闘い、多大の犠牲を払いながらも民主化を勝ち取ってきたのが、当時の韓国の若者であり、後に民弁を作る土台となる人々だった。

 光州で少年時代を過ごし、目の前で市民の蜂起と弾圧を見たというイ・キョンジュ先生なども、その影響を全身で受けてきたのだろう。その落ち着きさと話の格調から、一回りとはいわないまでもだいぶ私より年長かと思っていたイ・キョンジュ先生が、ほぼ同い年(彼は一九六五年、私は一九六六年)と聞いてびっくりしてしまった。バブルの走りでボーっとした八〇年代の学生生活を送っていた私とは、やはり格が全く違うのだった。

(次回は、シンポの内容からはじまります)



二一世紀の東アジアと日本国憲法(下)

東京支部  河 内 謙 策


台湾問題

 二〇〇〇年三月の総統選挙では、民進党の陳水扁が三九・三〇%、宋楚瑜三七・四七%、国民党の連戦二三・一〇%の得票率で、陳水扁が当選し、政権交代が実現したのである。

 陳水扁は、少数与党のなかで苦戦した。二〇〇四年三月の総統選挙では、連戦(国民党)・宋楚瑜(親民党)の前回総統選挙の二位・三位連合が形成された。陳水扁・呂秀蓮(民進党)に対する基礎票の差は圧倒的であった。しかし、陳水扁・呂秀蓮は、台湾の北端から南端までを二〇〇万を越える人間の鎖でつなぐ二・二八デモを成功させるなどして、この劣勢を跳ね返した。選挙前日に狙撃事件なども発生したが、結果は、陳水扁が五〇・一一四%、連戦が四九・八八六%で、得票率にして〇・二二九%、得票差にして二万九五一八票差で陳水扁が勝利した。二〇〇四年一二月の立法院選挙では、総統選挙の勢いで与党過半数獲得の予想もあったが、与党連合は一〇一議席(民進党八九、台湾団結連盟一二)にとどまり、野党連合は一一四議席(国民党七九、親民党三四、新党一)を確保した。陳総統は、「敗北」の責任を取って辞任した。二〇〇五年二月二四日、陳水扁と宋楚瑜が会談し、一〇項目の合意が発表され、独立派の黄昭堂、金美齢らが総統顧問を辞任した。二〇〇五年三月一四日、中国の全国人民代表大会は反国家分裂法を可決した。二〇〇五年の四月から五月にかけて、連戦と宋楚瑜が訪中し、中国の胡錦涛主席との間で「一つの中国」の原則を確認した。

 日本においては、台湾を長く蒋介石が支配してきたこともあって、台湾問題を平和運動がとりあげてこなかった。一九九〇年代の半ばから明らかに情勢が変わってきているのにもかかわらず、惰性の力は強かった。最近、ようやく議論が始まったという状況である。

 台湾の独立の是非が一番議論のポイントである。私は、日本の平和運動も、世界の平和運動も、台湾の住民が独立の道を選択したならば、それを支持すべきであり、それを支持することは「住民自決の原則」からいって当然であり、それは国連憲章一条・経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約一条によっても裏付けられると考えている。中華人民共和国は一度も台湾を支配したこともないのだから、中国の言い分には無理がある。「中国は一つ」というのは、国共内戦時代や一九六〇年代ならともかく、今日ではもはや現実ではない。

 中国が、場合によっては台湾を武力解放するという方針をもっていることは反国家分裂法の制定により再び明らかになった。現に台湾海峡の対岸には五〇〇基のミサイルが設置されたといわれているし、台湾有事の場合に駆けつける米原子力空母の阻止をするための準備が進められており、昨年一一月に中国原潜が日本の領海を侵犯したのは、その一環と思われる。これに対し、今年の二月一九日、アメリカと日本が台湾海峡問題を共通の戦略目標として確認し、緊張が極めて高まっている。私は、中国の覇権主義には反対であるが、台湾の独立の支持を台湾への軍事的支援にすり替えることにも反対する。台湾問題は、あくまでも平和的に解決しなければならないし、日本の政府は中立の立場で平和的解決のために力を尽くすべきだと考えている。

韓国・中国における反日行動の問題

 今年の三月から四月にかけて、韓国・中国において反日デモが激しく展開された。今年が第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)終了六〇周年であることから、このことはある程度予想されていたことではある。しかし、その展開の過程は、予想を超えたものであった。中国の反日デモは終息したかとも思われるが、事態の根本的解決には至っていない。

 韓国と日本の間の長年の懸案である竹島(独島)問題は、日本・島根県の「竹島の日」制定前後に急浮上した。盧武鉉韓国大統領は、三月一日、一九一九年の三・一独立運動を記念する式典での演説の中で、「日本は、過去の真実を究明し、反省し、心から謝罪し、必要があれば補償し、和解しなければなりません。これが、世界のあらゆる国々で見られる歴史を清算するための普遍的プロセスなのです」と述べた。これが、独島(竹島)の韓国領有を主張し、教科書問題、戦後補償問題についての日本の責任を追及する反日デモ等の大きなはずみになったことは間違いない。韓国政府は、三月一七日に「人類普遍的価値と常識に基づいた日本側の態度の再確立を要求する」などを内容とした「対日新ドクトリン」を発表した。大統領は、三月二三日、「日本が侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫徹しようという意図を、これ以上、黙って見ているわけにはいかなくなった」「いかなる困難があっても、引き下がったりうやむやにせず、今回は必ず解決する」という談話を発表した。四月五日の日本の教科書検定の結果の発表は、火に油を注ぐことになった。盧武鉉大統領は、四月二七日、民団新聞二五〇〇号の祝辞のなかで、「韓国と日本は東北アジアの未来をともに切り開いていくべき運命共同体」であると述べた。そのため、日本では大統領が態度を変えたという噂も広がっている。小泉首相の韓国訪問は六月に予定されている。

 中国の場合は、三月半ばごろから展開された日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに反対するインターネット署名運動が発端となっている。署名は、三月中に一〇〇〇万人を超えたといわれている。常任理事国入りに反対し、歴史問題などを追及する反日デモについていえば、四月二日成都における数千人のデモに始まり、四月九日北京一万人、四月一〇日蘇州数千人、広州二万人、海口一万人とデモが拡大し、四月一六〜一七日には、瀋陽一〇〇〇人、天津二〇〇〇人、上海数万人、寧波一〇〇〇人、杭州一万人、深?数万人、長沙二〇〇〇人、厦門六〇〇〇人、東莞一〇〇〇人、香港一万二〇〇〇人、珠海一〇〇〇人、南寧数百人、南京数十人、青島数十人、西安数十人、成都三〇〇人、石家荘(人数不明)と一七都市にまで広がった。デモは日本企業への襲撃も伴い、とりわけ一六日の上海では、日本料理店、日本総領事館などが次々と襲撃された。中国政府は、デモに伴う破壊行為、暴力行為についても一切責任を認めない態度を貫いた。四月一七日の日中外相会談では、李肇星外務部長は、「現下の問題は、日本政府が台湾問題、歴史問題、国際人権問題等で、一連の中国国民の感情を傷つけた」からである、と述べている。四月二二日、アジア・アフリカ首脳会議において、小泉総理大臣は、過去の植民地支配と侵略に対する「痛切なる反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。四月二三日、ジャカルタにおいて、小泉総理と胡錦涛国家主席との会談が行われた。この会談の内容には不明な点があるが、小泉総理は反日デモに伴う暴力行為についての謝罪と賠償は問題にせず、一方、胡錦涛国家主席は五項目の提案をするという中国ペースの会談だったようである。ともあれ、中国政府は、反日サイトの閉鎖、反日活動家の拘束などを通じて反日デモ抑制の方向で動き、その結果は、現在までのところ成功しているようである。

韓国と中国の反日行動をどうみるべきであろうか。

 韓国の反日デモについては、日本では、盧武鉉大統領がこれまで日本の歴史問題を在任中は問題にしないと約束してきたのに、何故三・一演説に見られるように心変わりしたのか、という点に焦点が当たっている。たしかに、盧武鉉大統領の方針転換は、大統領の人気獲得のために韓国人の民族感情を利用した感があることは否定できない。しかし、広範な民衆が提出している問題を無視し、大統領の方針転換に焦点を合わせるのは、適切ではない。日本の保守的政治家やマスコミが問題を歪曲する論理構造は、中国の反日デモの問題でも同じである。保守的政治家やマスコミは、中国政府がこれを利用して国際政治において日本バッシングを行い、自己の有利・影響力の拡大を図ろうとした官民一体のデモである、あるいは中国政府が中国民衆の不満を外にそらそうとした官製デモである、と言う。私は、二〇〇三年に中国国内においてイラク戦争反対のデモが実質的に不許可になり抑圧されたのを現地で見てきた経験を有するので、中国政府の、反日デモが「国民の自発的なものである」という言を信じることはできない。しかし、韓国の場合と同じく、それだけではない、と考える。韓国の場合も、中国の場合も、基本的には民衆の日本に対する不満の爆発であり、共通の根を持つものなのである。

 韓国の場合も、中国の場合も、問題は解決していない。日本の政府が中国政府に対し、反日デモに伴う破壊行為に対する謝罪と補償を要求するのは当然であるが、日本政府がそれにとどまるならば、問題は悪化し、累積し、反日デモも再燃するであろう。ましてや、日本の一部右派政治家が言い出している、「北京五輪にノー」ということは論外である。日本の政府も日本の民衆も、韓国と中国の民衆が提起した問題に答えなければならない。更にここで考えなければならないのは、韓国と日本との間でも、中国と日本との間でも民衆レベルの交流が大事であり、それなしには問題の根本的解決がないということである。歴史認識の問題にしても、歴史の現実を中国の民衆の口から日本の民衆が学ぶことが決定的に重要なのである。この民間レベルの交流を成功させるためには、中国における表現の自由、海外旅行の自由が確保されなければならない。中国から自由に海外に行けず、海外に行った場合の発言はチェックされる、インターネットも検閲されるというのでは、民衆レベルの交流が成功するはずはないからである(何清漣著、中川友訳『中国の嘘―恐るべきメディア・コントロールの実態』扶桑社、二〇〇五年、参照)。

平和共同体をめざして

 東アジアにおける平和の問題は、問題が発生するたびに、問題の二国間で処理するということでは処理しきれなくなっている。これまで見てきたように、問題が深刻で、問題の解決のためには多国間の協力と抜本的解決が必要だからである。それゆえ、本稿の最初のところで述べたように、東アジアにおける平和の問題を解決するために、また覇権争いに終止符を打つために、私は憲法九条と平和的生存権に基礎を置いた平和共同体構想を主張するのである。(日本の政府や財界が進めている東アジア共同体構想が真の平和共同体と異なることについては、拙稿「東アジア共同体の問題点―反対する立場から」『INTERJURIST』第一四九号参照。)

 注意していただきたいのは、私の構想は、単に外交専門家や国家同士が仲良くするというものではなく、民衆の交流と連帯に基礎をおく平和共同体でなければならないということである(入江昭『平和のグローバル化へ向けて』日本放送出版協会、二〇〇一年、を参照)。私は、平和とは単に戦争がない状態ではなく、民衆の共生と連帯が実現している状態であると考える。それゆえ、民衆の交流と連帯は平和共同体の実現に必要不可欠なのである。

 民衆の交流と連帯ということは、新しいテーゼではない。しかし、今、新しい内容をもって私たちの前に立ち現われているといえよう。とはいえ、現状は厳しい。民衆同士がナショナリズムや排外主義で、分裂し、対立している。グローバリゼーションの進展の中で、各国の政府や指導層はポピュリズムにもとづき、ナショナリズムや排外主義を煽り立て利用している。最近の日本についていえば、日本の民衆がこれほど他国・他民族に対する蔑視、侮蔑、憎悪、恐怖の感情を見せるようになるとは、私の予想をはるかに超えたことであった。

 法律家運動・平和運動も、民衆の交流と連帯をもっと意識的に追求する必要があると考えている。たとえば、中国の法律家・民衆は、まだ世界の法律家運動・平和運動の輪の中には入ってきていない。これは、驚くべきことであると言わなければならない。このことがあまり問題にされてこなかったことは、更に驚くべきことであると言わなければならない。

 しかしながら、民衆の交流と連帯を強化するための様々な新しい努力は始まっている。今年の九月にソウルで行われる第4回アジア太平洋法律家会議(COLAPW)もそのような努力の一つである。同会議のテーマは「アジア太平洋地域における平和・人権・共存―分断と対立の克服を目指して―」である。



「市民の司法は実現したか」

福岡支部  永 尾 廣 久


 共同通信の現役の記者(土屋美明)が司法改革の全体像をあますところなく描いた画期的な労作です(花伝社)。四六〇頁もある大部の本ですが、自分の書いた新聞の特集(連載)記事をもとにしていますから、重複はあるものの、大変読みやすい内容となっています。

 著者は司法制度改革審議会の六三回の審議をほとんど毎回モニターテレビを通して傍聴し、すべての検討会に顔を出し、推進本部の顧問会議は毎回傍聴したといいます。ですから、書かれた内容には臨場感があります。

 今回の司法改革について、著者は、当初の予想をはるかに超え、法科大学院の創設など司法の基盤そのものに変革を迫る大規模な具体的成果として結実したとみています。現段階では評価に値する実りをもたらしたのではないかというのが著者の考えです。これは私も同感です。本当に市民のためのものに結実させるか、これからの取り組みにもかかっていますが・・・。

 著者は、裁判員制度・刑事検討会と公的弁護制度検討会の委員をつとめました。穏やかで誠実な人柄と高い能力・識見を評価されてのことだと思います。政府の都合のいいように取り込まれるだけだという批判を受けるのを承知で委員になるのを承諾したということです。私は、著者の果たした役割を高く評価しています。

 著者は弁護士(会)についても辛口の提言をしています。

 これまでは少人数の貴族制社会で生きてきたかもしれないが、これからは多人数の大衆社会になる。だから、従来型の発想をしていたのでは社会の動きから取り残される。日弁連にしても、会長(任期二年)、副会長(同一年)ら執行部と事務局という態勢、そしてボランティア的な組織のままで、やっていけるのか。これまでと同じことを漫然とくり返していたら機能不全に陥ることは目に見えている。日弁連事務局を強化し、組織体制を整備するべきではないか。

 うーん、そうなんですが、あまりに事務局体制が強大なものになってしまったら、地方会の意見が十分に反映されるのだろうかという心配もあったりして、難しいところです。

 いまは司法修習生は一人あたり年三〇〇万円ほどの給与が支給されています。これが、二〇一〇年一一月から貸与制に切り替わります。著者はこの点について賛成のようですが、私は弁護士養成に国が税金を投入してもいいと思います。医師だって自己負担で養成しているじゃないかという反論がありますが、むしろ私は医師養成も国費でやってよいと思うのです。要は、公益に奉仕する人材の育成と確保です。無駄な空港や港湾建設などの大型公共事業に莫大な税金を投入している現状を考えると、よほど意味のある税金のつかい方だと私は確信しています。

 法科大学院を終了しなくても新司法試験を受けられる予備試験が二〇一一年から始まります。これによって、特急コースができてしまうのではないかと著者は心配しています。予備試験は法科大学院終了と「同等」レベルのものとすることになっています。しかし、超優秀の人は、それも難なくパスしてしまうことでしょう。法科大学院を経ないで新司法試験に合格して弁護士となる人が何百人もうまれるのは必至です。彼らには人生経験が不足しているといっても、そんなものはあとからついてくるといって迎え入れる法律事務所は多いと思います。

 この予備試験を太いパイプとして残せという声は案外、弁護士のなかからも強く聞かれます。とくに苦労した人に多いように思います。私は、それでいいのか疑問です。

 上ばかり見ているヒラメ裁判官が多いというのは誤解だ。組織のなかで、もっとも自由なのは裁判所だ。最高裁や高裁がどう思うかなんて、おおかたの裁判官は考えていない。このような藤田耕三元判事の意見が紹介されています。しかし、残念ながら、事実に反すると私は考えています。事実を見つめて自分の頭でしっかり考えるというより、先例を踏襲し、現状追認の無難な判決を書いて自己保身を図る裁判官があまりに多いと思うのです。

 ところで、著者は、ごく最近知ったのですが、私と同じ年に大学に入ったのでした。父親の病気のため生活保護を受けていた家庭から高校、大学へ通い、アルバイトをしながら授業料免除と奨学金で卒業したというのです。頭が下がります。私の場合は、決して裕福とは言えませんでしたが、基本的に親の仕送りに頼っていました。もちろん家庭教師その他のアルバイトはしていたのですが、セツルメント活動に打ちこむだけの余裕はありました。

 それはともかく、司法改革とは何か、どのような議論がなされたのかを知る貴重な資料的価値のあるものとして、司法改革を消極的にみている人をふくめて団員のみなさんにぜひ一読されるよう、おすすめします。



世界の平和メカニズムとなっている

憲法九条の危機を世界に広めよう

東京支部  笹 本   潤


■ 憲法九条によせる世界の声、九条の国際的な意味

 憲法九条の改正の動きが活発になるにつれて、国際的には「憲法九条を守れ」という声が大きくなってきている。この間のNGOの国際会議においては、海外のNGOから憲法九条に関する発言が相次いだ。

今年の二月に東京で行われたGPPAC東北アジア会議では、東北アジアのNGOが、日本の憲法九条に関する熱いメッセージを語った。

 『(日本国憲法九条は)、中国のみならず東北アジア全体にとって大変重要な論点です。なぜならその平和主義が、東北アジアと同じく国際社会の平和にとってもカギとなる要素だと認識されているからです。』(中国NGO)

 『日本では憲法九条を改定しようとしている人たちがいます。もちろん変更を決めるのは日本のみなさまです。しかし隣人たちの声を聞くと言うのもおそらく重要なことではないかと思います。日本の自衛隊はイラク戦争に参加し、自衛隊員は今日的な戦争体験をしています。もし九条が変えられたらその次は何が起きるでしょう。私は学生たちに、日本は良い平和憲法を持っていると話してきました。しかし、私は学生たちに次に何を話せばよいのでしょう?』(サハリン大学教授)

 六月にパリで行われた国際民主法律家協会(IADL)大会でも、日本の憲法九条に関する決議がなされた。

 「IADLは、第九条の改訂問題が、日本の国内問題にとどまるものではなく、国際社会の重大問題であることを確認する。なぜなら、第九条は、第二次世界大戦とアジアの植民地支配を反省した、日本の国家・民衆の世界の国家・民衆に対する平和の誓いだからである。IADLは、日本軍がアメリカ軍と一緒に肩を並べて世界各地で軍事力を行使することを容易にするために第九条を変えることに反対する。アメリカの戦争行為への日本の大手を振っての参加は、世界の平和への重大な挑戦以外の何物でもない。」という決議がなされている。

 そして七月一九日にニューヨークで開かれるGPPACのグローバルアジェンダでは、「世界には、規範的・法的誓約が地域の安定を促進し信頼を増進させるための重要な役割を果たしている地域がある。例えば日本国憲法第九条は、紛争解決の手段としての戦争を放棄すると共に、その目的で戦力の保持を放棄している。これは、アジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台となってきた。」と平和のメカニズムとしての憲法九条の意義が強調されている。

 韓国でもこの間、民弁の弁護士や学者が中心となって日本の平和憲法の問題の研究会ができたり、市民団体も日本の憲法九条をアジアの平和の問題として捉えようという動きが始まっている。日本の市民団体や弁護士が中心となって連帯活動が始まりつつある。

このようにアジアと世界からは、憲法九条を変えてアメリカと一体となった軍事大国化を目指す日本の動きに警戒心が高まっている。特にアジアにおいては、小泉首相の靖国参拝やつくる会教科書問題などの日本の右傾化の動きが警戒心に拍車をかけていることは間違いない。

九条を変えるなという世界の声を広げていく運動は、靖国、歴史認識の問題のようにナショナリズムの問題にすり替わる余地が少なく、普遍的な価値の追求、東北アジアというリージョナルな平和の問題と捉えられている。(もっとも改憲派は内政干渉というのだろうけど)

このような中、アジアのみならず世界の多くの市民に向けて、「日本が戦争と軍備を放棄した憲法九条を持っていること」、「その憲法九条が改正されようとしていること」をもっと知らせて行かなくてはならない。

■ 八・一五世界同時・憲法九条意見広告運動

 このような目的で、今年の八月一五日に世界各地の新聞に同時に「日本の憲法九条を守ろう」という意見広告を載せる企画をGPPAC JAPAN(武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ・ジャパン)で進めている。八月一五日という日にしたのは、日本国内では戦没者追悼や靖国参拝が話題となる「終戦記念日」を、日本軍国主義が敗北しアジアの人々が解放された日へと転換する出発点とするためである。

 GPPACで知り合った各国の市民団体・NGOと協力して、意見広告を載せるための賛同金を集めているのでご協力していただきたい。賛同金が多ければ多いほど多くの国の新聞に日本の憲法九条の意見広告が掲載される。意見広告のレイアウトは、九条の条文と九条によせる各国の市民の声を紹介するものにする。

<送金先>
個人賛同金 一口 一〇〇〇円より
団体賛同金 一口 五〇〇〇円より
郵便振替口座 00110-9-741009
口 座 名  GPPAC東北アジア
通信欄に「世界同時意見広告」とお書きください


<掲載予定紙>
韓国・ハンギョレ新聞     中国・人民日報
米国・ニューヨークタイムズ紙 フィリピン・インクワイアラー紙
コスタリカ・ラ・ナシオン紙  イラク・アズ・ザマン紙
スペイン・エル・パイス紙   ドイツ・ターゲスツァイトゥング紙
フランス・ル・モンド紙    イギリス・ガーディアン紙
キューバ・グランマ紙     台湾・中國時報紙

※日本では、朝日新聞(全国版夕刊・全五段)に掲載予定。

その他の国も交渉中。

<問い合わせ先>
GPPAC JAPAN(ジーパック ジャパン)
〒169-0075 東京都新宿区高田馬場三ー一四ー三ー二F
             ピースボート内(担当:松村、吉岡)
電話〇三ー三三六三ー七五六一 FAX〇三ー三三六三ー七五六二
E-mail: gppac@peaceboat.gr.jp

■「世界・アジアから見た日本の憲法九条」七・二八報告会&講演会

 七月二八日には、国際会議で日本の憲法九条がどのように討議されてきたのかについて実際に参加したメンバーから報告してもらうのとともに韓国の権赫泰(クォン・ヒョクテ)教授の講演がある。教授は、李京桂教授(五月集会講演者)らと日本の憲法九条の研究会を立ち上げている。韓国において日本の憲法九条改正問題がどのように捉えられているかを語ってもらう予定である。

 日 時  七月二八日(木)午後六時半〜八時半
 場 所  文京シビックセンター・4Fシルバーセンターホール
 主 催  日本国際法律家協会、 GPPAC JAPAN